気持ち悪い妹

602 :気持ち悪い妹:2007/10/25(木) 23:13:36 ID:1vmM8G+H
 先日、私は三度目の自殺に失敗しました。人間の体というものは思いのほか丈夫に作られてるらしく、勝手に毒を吐き出してしまうのです。
肉体は、とんでもないエゴイストです。持ち主の私がどんなに死にたい死にたいと願っていても、無理矢理生きようとしますから。
私という個性は、囚人です。否応なく生かされる、鎖を繋がれた奴隷です。
 幸せになれない人生に、何の価値がありますか。ただただ、苦しくて、悲しくて、妬ましく思うだけの一生に、どんな意味がありますか。
労働、心労、困苦、窮乏、失錯、茶番、倦怠、懊悩、嫉妬。私の生涯はそれだけでした。
世界のなかからきれいさっぱり消えてなくなってしまうことが、私のただ一つの希望でした。けれど、失敗しました。死ねばいいのに、私はまた兄さんを悲しませてしまいました。
 運ばれた病院での胃洗浄は、たいへん苦しいものでした。兄さんの叱責は、もっと辛いものでした。
どうしてこんな真似をするんだ。辛いなら相談してくれ。そう涙ながらに訴える兄さんの姿に、ひび割れ、砕けかけ、とうに色あせてしまった私のこころがぎしりと軋みました。本当、こんな私なんて、死ねばいいのに。
私は兄さんに何もいいません。私は臆病です。だから私は死のうとしたのです。兄さんが話している間も、こころの奥底に澱み、渦巻いているどす黒い想念を外に逃がさぬよう、私はじっと黙りこくっていました。
 私は素直にこころをあらわせない子でした。欲しいものやしたいことがあっても、両親に言い出せないどころか、そんなことを考えた自分を恥しく思い、顔を赤らめて、身動ぎ一つ出来ない子供でした。
私は怖かったのです。人に笑われることが怖い。人を傷つけることが怖い。人にさらけ出すことが怖い。つまり臆病者なのです。
自分の頭でものを考えたりせず、他人の頭で考えます。主体性なんてものはぜいたく品で、他人の真似しか出来ないのです。



603 :気持ち悪い妹:2007/10/25(木) 23:15:07 ID:1vmM8G+H
 そんな私にも、ただひとつ、自分の意志から出た欲求があります。私は兄さんが好きでした。男として好きでした。たまらなく愛しています。
はじめの兄さんとの思い出は、駄菓子屋でお菓子を買ってもらう場面です。いつもは意地悪な兄さんが、優しい声で「何がいい?」と話しかけてくれるのでした。
子供の頃の兄さんは、両親に叱られてばかりでした。私をぶったり、お菓子をとったりして、母さんに怒られるのです。
母さんのいる前では、兄さんは私に対して意地悪でした。けれど、私と二人きりのときは、とても優しい人でした。
近所に住む乱暴な年長さんに私がいじめられたときも、勝てもしないのに、兄さんは悪童へ殴りかかっていきました。
「お兄ちゃんなんだから当たり前だ」というのが兄さんの口癖で、私のためにこしらえた傷を撫で擦りながら、ぶっきらぼうに呟きます。兄さんは、私と同じ恥しがりやなのです。
 思春期を迎えた私は、夜な夜な兄さんを想って一人遊びに耽ったものです。そ知らぬ顔をして、先ほどまで股座をかき混ぜていた指で兄さんの体に触れてみると、背筋にぞっとするような快感が走りました。
こんなこといけない、いけないと思いつつも、私にとってそれはたいへん魅力的な行為で、麻薬のような常習性がありました。
この頃にはもう、私は兄さんを性愛の対象としてみていたのです。
高校に入ってしばらくすると、兄さんは一人の女性を家に連れてきました。兄さんは、私には何も教えてくれません。そして、隣にある兄さんの部屋から、無理に噛み殺したようなくぐもった音と、何かの軋む音が聞こえます。
私は壁に耳を当てて、涙を流しながら、自分を慰めていました。


604 :気持ち悪い妹:2007/10/25(木) 23:17:08 ID:1vmM8G+H
 時間は、常に私たちを追い立ててきます。鞭を叩きつけて、休む暇も与えずに先へ先へと追い遣り、血を流させます。
一つのところに留まることは、一瞬たりとも許されません。安息は、あってはならないことです。私たちは動揺し、移ろい続けねばなりません。
日々の糧を得るための労苦。一生涯、その日その日を引き摺られて生きて、疲れ果てて死んでいく。
老衰という病気は無いそうです。どんなに長く生きたとしても、医者は心不全などの病名をカルテに書きなぐります。
環境は変化します。私はただ、兄さんと仲の良い兄妹でいたかった。二人きり、余分な人間なんて要らないのに。けれど、私たちの周りは変化を強制する。
体は勝手に大きくなり、立場は年々変わっていって、二人の距離はその日ごとに広がっていく。
私は兄さんの恋人と談笑するようになりました。女の子同士の、秘密の話。男の子の兄さんには教えてあげません。
私は彼女に微笑みます。彼女も私に微笑みます。笑えるようになったのではなく、笑うしかないのです。
 兄さんが結婚しました。お相手は例の女性です。タキシードを着た兄さんの表情はとても幸せそうで、私は涙を流して祝福しました。
その翌日、私は最初の自殺未遂をしました。浴槽に浸かったまま、手首を深く切りつけました。
第一発見者は母らしいです。私は意識が朦朧としていたので、詳しいことは分かりません。
 病院で鬱病と診断されました。大学を休学して、カウンセリングに通わされます。ときどきは、兄さんの新居に招待してもらい、兄さんと一緒に夕食を食べます。
奥さんは私のことをあまりよく思っていないようだけれど、兄さんがとても優しくしてくれるので、へっちゃらです。
法事などで、家に親戚が集まるたびに私の陰口が囁かれていますが、兄さんは私を庇ってくれます。
私が病院へ通うようになってから、母さんは随分痩せてしまいました。白髪も増えて、まるでお婆さんみたいですけれど、私にはどうでもいいです。
 兄さんの赤ちゃんが生まれました。丸くてちっちゃな、醜い顔をした赤ん坊です。私は、最近よく眠れないとカウンセラーに報告します。馬鹿なおばさんはそれを鵜呑みにして、処方箋を出してくれました。ちょろいものです。
そうして、私はまた自殺に失敗しました。



605 :気持ち悪い妹:2007/10/25(木) 23:19:34 ID:1vmM8G+H
 母さんが倒れました。父さんにぶたれました。本当にどうでもいい。兄さんが悲しみました。自分が情けなくなりました。ですからもう一度、隠していた薬を飲み込みます。
悔しいことに、三度目の正直とはいきませんでした。薬への抵抗が付いてしまったようです。
 私は兄さんを愛しています。この秘密は、お墓の中まで大事に抱えていかなければなりません。根掘り葉掘り聞き出そうとする厚顔無恥な善人気取りや、ただ血が繋がっているだけで内心疎ましく思っているであろう赤の他人には、絶対に漏らしてはいけないのです。
たとえ、私の想いが叶ったとしても、私たちは幸福になれません。無関係な人間ほど、憤慨して、陰口を叩きたくなるものです。私たちの周りの人間がそうでした。人間は、倫理によって殺されます。恥らいで自殺します。
あのウェルテルでさえ、自ら頭を撃ち抜きました。兄さんの幸福を願うからこそ、気持ちの悪い妹は生きていてはいけないのです。私は生きていたくないのです。
 もしも、死後の世界というものがあるとしたら、私は今度こそ絶望したでしょう。死してもなお生きなければならないのなら、正しく無間地獄です。
私はもう、疲れてしまいました。忙しなく働くのはこのくらいにして、眠ってしまいたくなりました。何も無い状態、生まれる前の状態に戻りたくなりました。
 リストカットでは上手く死ねませんでした。服毒自殺は二度も失敗しました。今度こそ、必ず成功する、手間のかからない、邪魔が入らない、確実なやりかたを用います。
持ち運べる椅子を用意しました。長くて丈夫な縄を用意しました。近所の高校に私の背丈より高い鉄棒を見つけました。
深夜になるまで待ちます。結局、私は未通女のまま死んでゆくのでしょう。けれど、それがとても嬉しくもあります。
私の愛は清かったと、たいへん誇らしいこころのまま、死ねるのですから。
 頼りなくぶら下がる輪っかに、頭を通します。だんだん、首に感じる体重が、大きくなっていきます。
腕が、がくがくと震えて、宙を掴みます。足がしびれて、動かなくなります。
好きです。兄さん、と口の中で呟きます。愛しい人の顔を思い浮かべて、椅子を蹴飛ばします。
ごきり。鈍い音が、耳の奥から響きます。まるで、じぶんのからだじゃないみたい。うえからだんだんくろいのがおりてくる。
さよなら。兄さん。










606 :気持ち悪い妹:2007/10/25(木) 23:20:24 ID:1vmM8G+H






「子供たち連れて来なくてよかったわね。お義父さん、娘が亡くなったっていうのに、羽目外しすぎよ」
「まったく。まあ、気持ちはわからんでもないがな。親父たちもようやく厄介払いできて安心してるんだろ」
「でも、不謹慎だわ」
「そうだよなぁ」
「どうしたの?」
「いや、な。明日朝一で会議が入ってるんだ。このままじゃ終電に間に合わないかもしれない」
「後のことは私がしておくから、あなたはもう帰ったら?」
「ああ。そうする。母さんも疲れてるみたいだし、手伝ってやってくれ」
「ええ」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年10月28日 13:50
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。