私だけの人

241 名前:私だけの人 ◆YzvJ/ioMNk [sage] 投稿日:2007/04/27(金) 06:26:18 ID:rolhx8K8
「お兄ちゃん、起きてよ」
ちょっとハスキーな声が、俺を覚醒させた。
「ん…吹雪?」
まだ焦点の定まらない目で見たのは、俺の妹。
「お兄ちゃんを『お兄ちゃん』って呼ぶのは私だけだよ」
…それもそうか。などとぼやけた頭で思う。
そういや、入院してる吹雪を見舞いに来たんだっけ…。
時計を見ると、すでに見舞いにきてから二時間近く経っていた。
くぁ…と小さく欠伸をして、眠気を払ってから妹の手を握る。優しく目を見る。
言葉はないが、一々言葉を交わさなければわからないほど浅い付き合いじゃない。
早く治ってくれ。その思いのたけを込めて、手を握る。
「お兄ちゃんの手、暖かいね」
「お前の手が冷たいんだよ」
精々、会話はこの程度。それでも、伝えたいことは伝わると信じている。

「本山さん、申し訳ありませんがそろそろ消灯の時間ですので、お引取り願えませんか?」
もうそんな時間か…と腕時計を見ると、八時半を過ぎていた。
本当は八時で面会を締め切るのだが、吹雪は精神的にいくらか怪しいところがあるので、特例となっていた。
「お兄ちゃん、もう帰るの?」
「…ごめんな、吹雪。本当はもっと一緒にいてやりたいんだけど、我が家のようにはいかないよ」
帰ると言うと、吹雪は必ず袖を掴む。離れたくないと。
もちろん辛い気持ちもあるが、そこは飲み込む。傷跡のある手をそっと振りほどき、騎士のように手へキス。
「じゃあな」
これが、いつもの別れ方。その後、吹雪は必ず頬を赤くして見送る。
…あの子だけは、傷つけたくない。そう思ってする、俺にできる精一杯の愛情表現

242 名前:私だけの人 ◆YzvJ/ioMNk [sage] 投稿日:2007/04/27(金) 06:27:10 ID:rolhx8K8
俺たちの生い立ちは、あまり幸福ではなかった。
両親は俺が中学三年、妹が小学五年のときに離婚。
俺は昔から喧嘩ばかりしていた両親を見ていたので、別に不思議には思わなかった。
妹もそんな両親を見ていたが、甘えたい盛りの年頃。どんなにショックだったかはわからない。
俺たちは母親に引き取られた。そこまではどこにでも転がっている話だ。
だが、母親は離婚から一年も経たずに再婚。相手も子持ちの男だった。
ここから先は、ありふれた悲劇。母親は相手の子ばかり可愛がり、俺たちには冷たく当たった。
とはいえ、衣食住に困るほどではない。それでも何かにつけて貶められた。
俺は一つ屋根の下にいる人間を『家族』と思うことはついに出来なかった。
妹もそれは同じようで、結局なじまなかった。
それだけならまだいいが、精神的にかなり辛かったらしく、自分の身体を傷つけることも多々。
そして、そんな手間の掛かる妹をさらに無碍に扱う実母と義父。
俺はそんな家にいるのが嫌で、必死に勉強して資格を取り高校卒業(就職)と共に家を出た。
妹に「来るか?」と一言聞けば、妹は何も言わずに荷物をまとめた。
それからもう5年。俺はその間にたたき上げの出世頭になっている。
出世自体に興味はないが、いかんせん養う家族がいる以上、金はいる。
今でも必死に仕事をこなしているが、段々妹と接する時間が減っていくのが目下の気がかり。
寂しい思いをさせたくないと思うが、時間にはどんな武器でも敵わない。
そんな事を考えながら、俺は病院を後にした。

243 名前:私だけの人 ◆YzvJ/ioMNk [sage] 投稿日:2007/04/27(金) 06:28:11 ID:rolhx8K8
…お兄ちゃんの寝顔を眺めている。
私の人生の中でも最も素敵な時間。
普段は無愛想な顔なのに、寝顔は素直であどけない。
目蓋に唇を落としてみる。可愛らしくうなった。
指を舐めてみる。清潔な石鹸の香りと、わずかな汗の味。
それがとっても美味しくて、指を無心に舐める。
視線がいやらしくなっていくのがわかる。頬が上気するのも。
「…私、変態みたい。」
そう呟いても、舌は止まらない。
お兄ちゃんはかなり疲れているみたいで、全く目覚める気配はない。
それどころか、ちょっとくすぐったそうにうなる。
そんな仕草が可愛すぎて、どんどんと行動を昇華させたくなるけど、こんな所じゃまずいよね?
気持ちを振り払って唇から指を離すと、微かな銀の糸。
それが何だか、私の気持ちを代弁してるみたいに見える。
お兄ちゃん…昔から、私にはお兄ちゃんだけだよ?
お兄ちゃんが居れば、私は何も要らないよ?
人を狂わせるお金も。
離れて暮らすことになる広い家も。
親もいらない。私の愛を邪魔するだけだから。
布団もいらないよ。お兄ちゃんと抱き合って眠れば、どんなものより暖かいから。
広い世界もいらない。お兄ちゃんの腕の中、それだけが私の世界でいい。
ただ、お兄ちゃんがいればいい。
ずっと一緒にいられるのなら、地獄にだって喜んで堕ちるよ?
私は弱い人間。
お兄ちゃんに寄り添わなければ、真っ直ぐ前を見て立っていられないから。
どんどん、お兄ちゃんに寄りかかっていくから。
だから、もっと強く抱きしめて?倒れないように、折れちゃうぐらい、ぎゅってして?
いっそ、私の命を呑み込んで。私をお兄ちゃんの一部にして。
恥ずかしがらないで?
今、この病室にいる限り、世界は二人だけのものだから。
私を、お兄ちゃんのものだけにして?
深い深い泥沼に、一緒に堕ちていこうよ。
底まで行ったら、真っ暗闇。そこにこそ、本当に二人きりの世界があるから。
誰にも邪魔されない、二人だけの世界があるから。
お兄ちゃん、誰かのものになっちゃいやだよ?
お兄ちゃんは私だけのものだから。誰にも渡さないから。
お兄ちゃんを奪おうとするのなら、神でも殺してみせるよ?
だから、私を愛してね?
深く、深く、深遠の闇より暗い愛で。
私が見えなくなるくらい、暗い愛で包んでね。
そうしたら、私の目にはお兄ちゃんしか映らないから。
他人からも、私は見えないから。
だから、私を愛して。お兄ちゃん。

244 名前:私だけの人 ◆YzvJ/ioMNk [sage] 投稿日:2007/04/27(金) 06:28:55 ID:rolhx8K8
退院まで、後一週間。一週間経てば、またお兄ちゃんと一緒に暮らせる。
どんなことをしようかなぁ?
暗い部屋で、二人でじゃれあおうかなぁ?
昼も夜もなく、一緒に遊ぼうよ。お兄ちゃん。
だから、早くお仕事を片付けてきてね?

「お兄ちゃん、起きてよ」
ずっと寝てないで、起きて私を見てよ。
私にお兄ちゃんを刻み付けるために。
お兄ちゃんに私を刻み付けるために。
永久に、永遠に、たとえ死しても、消えないように。

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最終更新:2007年11月01日 01:03
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