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みっつ 幹の根・何眠る 作者:あずささん ひとつ 人魂ふらふら悪酔い ふたつ 双子が増えたり減ったり みっつ 幹の根・何眠る「……大樹」 よっつ 夜泣きの山烏 いつつ いつか世界が交わり「大樹」「むっつ むくむく霧の中」「だ・い・き」「――んあ?」 呼びかけると、ご機嫌に歌っていた弟はようやくこちらを振り返った。日向春樹は半眼となって彼を見やる。椅子の上に座るならせめて靴を脱げ、と忠告してからため息をついた。 「何、それ」「へっ?」「何歌ってたの?」 一瞬何を言われたのかわからなかったのだろう。弟――日向大樹はきょとんと目を丸くし、それから「ああ」と笑ってみせた。「数え歌だってさ」「数え歌? 今のが?」「おう、この前杏里に教えてもらった♪ あっちの学校で流行ってるらしいぜ!」 別に自分の作った歌でもないのに彼は誇らしげに笑う。それがおかしく、春樹は軽く肩をすくめておいた。それでも大樹は満足したのか、再び陽気に口ずさむ。 ひとつ 人魂ふらふら悪酔い ふたつ 双子が増えたり減ったり みっつ 幹の根・何眠る よっつ 夜泣きの山烏 いつつ いつか世界が交わり むっつ むくむく霧の中 ななつ 名無しの水源通り やっつ やっぱり戻っておいで ここのつ ここの子・家はここ とお で遠くにさようなら 軽快に流れていくメロディー。それに対し歌詞は何やら謎めいていて、春樹は思わず首を傾げてしまう。全体的に脈絡もなければ一つ一つもいまひとつ意味がつかめなかった。そもそも双子が増えたり減ったりすれば、それはもはや双子じゃないのでは、などとツッコんでみたい衝動に駆られる。 しかし大樹は全く気にならないのか、ご機嫌な調子で何度も歌いながら窓の外に目をやっていた。定期的に揺れる列車の中。大樹はその揺れすら楽しんでいるようだ。幸せな奴、と春樹は胸の中で独りごちる。 (ま、仕方ないか) 学校の休みを使ってお泊りだ。行き先は、以前引っ越してしまった大樹の友達・一ノ瀬杏里の家。しかも割と遠出なのにも関わらず、「友達の家だから大丈夫だろう」と親の許しも得、なんと自分たちだけの旅行となった。今年小学六年生になる大樹がワクワクしないはずがない。冒険だ、とばかりにはしゃぎたくなるのも理解出来た。ちなみに春樹は大樹とたった一つしか違わないのだが、――弟が小柄だからだろうか。それとも春樹がしっかりしすぎているのだろうか。たいていもっと歳が離れているように見られがちである。むしろ、母親似の大樹と父親似の春樹は外見もそれほど似ていないため、一見しただけでは兄弟と思われるかも曖昧なところだ。 「霧生ヶ谷市か……」 浮かれる弟を尻目に、ゆったりと窓の外へ視線を転じる。隙間からわずかに吹き込む風は春の香りがした。*****「杏里!」「大樹! 春樹くんも!」 駅のホームへ降りると、すでに杏里と彼女の母親が迎えに来ていた。杏里が転校したのは二年前、彼女が小学四年生のとき。去年は彼女がこちらに遊びにきたので、約一年ぶりの再会だ。彼女は前より髪が伸びたのか、頭の上で綺麗に二つに結っている。背はそこまで伸びたという印象はない。とはいえそれは大樹も同じなので、彼らの身長はだいたい同じくらいだろう。だが何より嬉しいのは相変わらず元気そうなことだった。こちらを見ては飛び跳ねんばかりの元気と笑顔を向けてくれる。 「久しぶりー!」 負けじと元気を向け、さらには荷物も放り出して大樹が杏里に飛びついた。春樹は彼の荷物を引きずるようにしてその後に続く。はたから見ると微笑ましい小さなカップルのようだが、別に彼らはそんな関係でない。大樹の飛びつき・抱きつきはもはや癖なのだ。見知らぬ相手でも、優しくされれば彼は遠慮なく向かって行く。「人見知りしない」「人懐っこい」と言えば聞こえはいいが、限度を超えるとただのアホである。そして大樹は紛れもなく限度を超えたアホなのだろう。 さりげなくひどいことを思いつつ、春樹は世話になる杏里の母へ頭を下げた。「ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」「いいのよ、賑やかな方が好きだもの」 そう優しく微笑まれ、未だにわぁわぁ騒がしい大樹たちは彼女の家へ向かった。***** 初めて来る場所だからと、家へ向かうまでもずい分遠回りし、彼女たちは軽く霧生ヶ谷市を案内してくれた。その際にやたら水路が多いな、とか。思ったよりずっと賑わってる場所なんだな、とか。春樹と大樹は様々なものを興味津々に見て回った。特に大樹が気に入っていたのは奇怪なほどどでかいアンテナだ。何だあれカッコイイ、と声を高くして叫ぶ彼(声変わりがまだなので彼の声はやたら耳に刺さる)に、杏里はなぜか誇らしげな顔をしていたものである。 他にも興味深いものはたくさんあったが、まずは荷物をきちんと置きたいし、休みはまだまだ終わらない。後日ゆっくり回ることにし、みんなはようやく家へ辿り着いた。 そして。 懐かしい再会には積もる話もあるだろう。駅のホームで出会ったときも比較的騒がしかったが、家でならもっと大っぴらに話が弾んでいくはずだ。 そう予想していた春樹に反し、杏里は部屋のドアを閉めるなり、ふいに表情を引き締めた。とはいえ、その瞳の奥にはかなり楽しげな光が宿っている。「ねぇ、桜の木の下には何が埋まっていると思う?」 ――それが、杏里がいきなり投げかけた言葉だった。「え?」「桜?」 突然のことで訳がわからない。春樹と大樹は互いに顔を見合わせた。「あのね、小学校で色んな話があるの。噂だったり、あ、あとはハルさんが教えてくれたりして。それこそ不思議な話がいっぱい!」「そういえば杏里ちゃん、好きだったよね、そういうの」「オレら、よく連れ回されたもんな」 生き生きと瞳を輝かせる杏里に、日向兄弟は思わず苦笑。 彼女にとって「不思議」は生き甲斐なのだ。彼女の嬉しそうな表情が、ここ、霧生ヶ谷市の不思議の多くを語っているようであった。伝承等の多い地なのかもしれない。ともかく、引っ越した彼女がその地に馴染んでいるようなのは喜ばしい。 「そんなにあるの?」「うん、二人に負けないくらい不思議だよ」「僕らに、ね……」 ――杏里の言葉通り、実は、春樹と大樹は少々他人と違う能力を持つ。杏里はそれを知る数少ない者の一人であった。普通なら不審がられるか拒絶されそうなものだが、杏里に関してはそういった反応とは全く無縁である。むしろ彼女の方からこちらに近寄ってくるくらいだ。要するに少しでも「不思議」の近くにいたいのだろう。そんな彼女だからこそ、二人も気兼ねなく友達付き合いが出来るようになったのだが。 杏里はワクワクとこちらの瞳を覗き込んできた。「それでね、その話の中の一つに桜が出てくるの。桜の木の下には色んなものが埋まってるんだって。ね、何だと思う?」「何って……。よく死体が埋まっているとは言うよね」 首を傾げつつ呟くと、隣で大樹が「げっ」と顔をしかめた。彼はホラー系が大の苦手なのだ。「ふふー。そんなのありきたりすぎるよ」 ニヤニヤと表情を緩める杏里。それもちょっとどうかと思うが。「じゃあ何があるんだよ?」「あのね」 にっこり。彼女はいっそ無邪気なまでに笑う。「ここの大きな桜の下には、街が埋まってるの」「「――はい?」」 ……。 …………。 二人はしばし思考が停止した。聞き間違いかと思ったが、そうでもないらしい。 街。街?「杏里?」「杏里ちゃん?」 何を言ってるんだとばかりに見つめると、彼女はさも嬉しそうに笑顔を突きつけてきた。その笑顔には一点の曇りもない。嘘をついて騙そうという気はないようである。 「ね、すごいと思わない? 気になるでしょ!」「って言われても……」「おう、すっげー気になる! 杏里、何か知ってるのか?」「ちゃんと確かめたわけじゃないの。でもどの桜かは知ってるよ」「マジでっ? じゃあ見に行こうぜ!」「ほんと? やった! 大樹ならそう言うと思ってたんだ」「……あのー?」 恐る恐る春樹は声を掛けてみる。だが、小さなその声は彼らの耳に届かない。春樹はそのテンションについていけそうになかった。「桜の木の下には街が埋まっている」と本気で話す杏里も変わっているが、それをあっさり真に受ける大樹も単純だ。子供って無邪気だな、とまだ中学生でしかない春樹は年寄りじみたため息を吐き出しておく。 「行くのはいいとして、いつ行くつもり?」「今日の夜」「夜!?」 さらりと告げられ、うっかり声が裏返ってしまった。春樹は慌てて身を乗り出す。「夜に出掛けるなんて危ないよ。桜を見るなら夜の必要性なんてないし……」「だめだよ春樹くん。だって夜桜なんだもん」 意味がわからない。 春樹はこめかみをグリグリと押した。杏里が活発で、行動力に長けているのは知っていたけれど。「お父さんとお母さんは何て言ってるわけ?」「内緒。だってバレたら怒られるでしょ?」 わかっているのだからタチが悪い。「あのね……」「いいじゃん春兄。ちょっと見てくるだけなんだから」「おまえは黙ってろ!」 杏里以上に、自覚も危機感もない大樹はもっともっとタチが悪い。 それがわかっているからこそ鋭く叱ると、大樹はうっと言葉を詰まらせた。しかし彼も負けてない。最近は反抗期なのだろうか、「でも」やら「だって」やらと口答えすることが多くなってきた。春兄、と金魚のフンのようについてくるのは相変わらずだけれど。 「でも杏里だって楽しみにしてたんだぜ! それに春兄だって気になるだろ?」「それは……」 今度は春樹が詰まる番だった。気にならないと言えば嘘になる。だが、ただの噂だろうと思う気持ちも強いのだ。春樹は、未だにサンタクロースを心の底から信じている大樹とは違う。 「お願い、春樹くん。それに、キリコさんだったら絶対に調べようとすると思うの!」「……キリコさん?」「私の憧れの人なの」 力強くうなずき、杏里はうっとりと思いを馳せた。「真霧間キリコさん。普段はホケカンで働いてるんだけど、それ以外では家業を頑張っててすごくお酒好きで色んな実験もしてたりするんだって……♪」「家業って?」「マッドサイエンティスト」「…………」 果たして今のどこに、彼女は憧れという要素を見出したのか。春樹は眉間にシワを寄せずにはいられなかった。どうもイメージが形になってくれない。「春兄、まっちょさいえんちぇすとって何だ?」「……さあね」 大樹はしきりに首を傾げているが、きちんと説明してやる気にはなれなかった。一方、杏里は未だに熱弁を繰り広げている。「私もまだ、きちんと会ったことはないんだけどね。でもでも、本当に憧れちゃう! 会ったら絶対弟子入りさせてもらうんだからっ。そのためにも、私は不思議を前にして逃げるわけにいかない!」 「あ、杏里ちゃん……」「春樹くんがどうしても駄目って言うなら、私と大樹だけで行くんだから。ね、大樹!」「おう!」 ――二人の目は本気と書いてマジだった。真剣そのものだ。春樹が駄目と言えば、本当に二人で行ってしまうのだろう。 はあ、と何度目かの大きなため息を一つ。どちらか一人なら力ずくで止めることも出来るが、二人となると春樹の手には負えない。「わかったよ……」 どの道彼らが行くことに変わりないのなら、保護者として自分も行かねばなるまい。 力なくうなずいた春樹に、二人はパッと表情を輝かせた。「さすが春兄!」「ありがとう春樹くん! お礼にキリコさんのプロマイドあげる♪」「ええ?」 渡されたのは、右手に刃物らしきもの、左手に酒瓶を抱えた白衣姿の女性。 ホケカン、保健管理室で働いているということは医者でないのだろうか。なにゆえ刃物と酒瓶を抱えているのか。「……え、ちなみに盗撮とか?」「違うよー。もらったの。二枚あるから一枚だけあげるね」 誰にもらったんだと聞きたかったが、聞けば芋づる式に謎が増えそうなのでやめることにした。興味を持ったらしい大樹が写真を覗き込んでくる。「あ、思ったより全然マトモじゃん」 これをマトモと思える大樹も大物だ。「いつか会えたらサインもらいたいな。あ、でも二人は気をつけた方がいいかも」「?」「人間にも興味があるかはわからないけど、二人の“力”ってやっぱり不思議だし。捕まったら実験体にされちゃったりして?」「うげ!?」「あ、はは……」 ――近い将来、杏里の手によって実験体にされる可能性の方が高いだろう。そう思ったが、あえて口に出さない春樹だった。***** 夜になるまで互いの学校の話をしたり、杏里の調べた不思議談をしたりと、話は止まることがなかった。彼女の両親がもてなしてくれた手料理は文句なしに美味しかったし、お風呂も程良く気持ち良い。後はこのまま布団に潜り、少しだけ夜更かしをしながら過ごせばいいのにな、と春樹は未練がましく二人を見やった。二人は出掛ける準備万端だ。大樹なんていつもはモタモタと手間取るくせに、こういう時に限って妙に行動が素早い。 「さ、行くよ!」「おう!」 潜めているが張りのいい二人の声で、春樹も渋々覚悟を決めた。 杏里の親は明日用事があるらしく、今日は早々と寝床に就いている。その辺もしっかり把握していた杏里はさすがと言うべきか、何と言うべきか。不思議に対する情熱の証だろう。 家をこっそり抜け出すと、風がひんやり冷たかった。杏里を先頭に向かった先はちょっとした山のような場所だ。そして何より、先の案内でも軽く通ったところである。しかしそこにあるのは緑ばかりで桜があった記憶はない。しきりに首を傾げながらも、今のリーダーは杏里なので逆らう術もない。 人が通れるようにきちんと道が出来ているので迷う心配はなかった。ただ、心なし霧――春の今は霞と言うべきだろうか?――が出てきたようで春樹はわずかに眉をひそめる。もしこれ以上濃くなるようなら、視界が白く曇って大変だ。 そんな心配の矢先。ふと、大樹がきょろきょろしていることに気づいた。「大樹、どうした?」 数歩遅れていた彼は、声をかけられたことで慌ててこちらへ駆け寄ってくる。「んー……何か声、聞こえた気がして」「声?」「よくわかんねーんだけど、呼ばれてるよーな……?」「ちゃんと聞こえないのか?」「ん。てか、聞くつもりはなかったんだぜ。ただ急に、ちょっと雑音が入ってきた感じで」 曖昧に肩をすくめる大樹。――彼の不思議な能力、それは“人以外の声を聞く”こと。それはつまり、動物や植物の声を言葉として捉えるのだ。会話も一応可能だが、それは少々疲れるので、「あまりやるな」と春樹は毎度注意している。今回も彼の“力”が何か影響したのだろう。だが、はっきり聞こえないというのはやや引っ掛かった。「聞こう」と意識していないとはいえ。 大樹も気になるのか、集中しようと耳を澄ませる。が、杏里が彼の手を握ることでそれを遮った。「杏里?」「聞かない方がいいよ」「へっ? でも」「聞いたら、呼ばれちゃうかもしれないでしょ?」 何にだ、と思ったが、杏里の表情は思いのほか真剣で。「大樹って引き寄せられやすい気がするし」「な、何だよそれ?」「う~ん、上手く言えないんだけどー」「言えよ、訳わかんないだろーっ!?」 意味深な台詞が恐怖を煽ったのか。大樹がうるさく喚いた。もう杏里はいつも通りに笑っている分、その光景は少々情けない。 ふ、と彼女は空を仰いだ。月がぼんやりと丸い。つられて仰ぎ見る自分たちの耳にそっと音が寄り添ってくる。 ひとつ 人魂ふらふら悪酔い ふたつ 双子が増えたり減ったり みっつ 幹の根・何眠る「……杏里?」 よっつ 夜泣きの山烏 いつつ いつか世界が交わり むっつ むくむく霧の中 ななつ 名無しの水源通り「杏里ちゃん?」 やっつ やっぱり戻っておいで ここのつ ここの子・家はここ とお で遠くにさようなら ――大樹が瞬いた。きょろりと見渡し、「声が聞こえなくなった」と小さく呟く。それを聞いた杏里が照れたように笑った。「学校でよくみんなが言うの。この歌を歌えば、少しは大丈夫なんだよって」「? でもこれ、数え歌なんだろ?」「あはは、私もよくは知らないんだけど。最後にさよならってあるでしょ? だから連れていかれないんだって」「「…………」」 だから、一体誰に、どこに連れていかれるというのか。 ツッコみたかったが、これもまた芋づる式に謎が増えそうなのでやめることにした。知らぬが仏という言葉もある。先人は一体どんな経験からこの言葉を生み出したのだろう。想像すると少し同情してしまいそうだ。 「あ」 ふいに杏里が声を上げ、小走りに駆け出した。手を握られていた大樹は転びそうになりながらそれに続き、春樹もやや駆け足でその後に続く。 そして、唖然とした。「うそ……」 ――こんなに大きくて立派な桜の木が、あったなんて。 先にも述べたが、ここは一度通ったはずだ。そしてそのとき、確かに大きな木があったことは覚えている。だがそれは葉が緑で、どう考えても桜と呼べないものだった。これほど大きな桜が咲き誇っているなら気づかないはずがない。 すげぇ、とキラキラ瞳を輝かせる大樹とは裏腹に、春樹は言葉もなくぼんやり魅入ってしまった。わからない。わからないが、引き込まれそうなほどの存在感だ。月明かりすら掻き消してしまわんばかりの。 「何で……」「この桜、夜にしか咲かないの。だから言ったでしょ? 夜桜だって」「そーゆう意味!?」 一般的に「夜桜」といえば、単に夜の桜、もしくは夜に桜を見ることを指すのではないだろうか。大体どうなっているのだろう。朝顔の反対みたいなものだろうか。いや、それは無理があるか。 「なぁ、でも肝心の街は?」「……って大樹、何でシャベル持ってるんだ」「え、だって埋まってるんだろ?」「掘る気!?」 しかもそんな、オモチャみたいなシャベルで!?「大丈夫だよ、桜を傷つけたりはしないし」「杏里ちゃんまで!」 しかも彼女のはやたら立派だ。「あ、杏里ずりぃ! オレもそっちがいい!」「駄目、私が最初に街を見つけるんだから!」「オレにこれ渡したのはそのためか! 卑怯だぞっ」「自分で持ってきてない大樹が悪いんだよ」「お泊りにシャベルいるなんて思わなかったんだから仕方ないだろーっ」 それが当たり前だと思うのだが。 春樹はため息をついた。幻想的な雰囲気が台無しだ。しかも、二人が騒いでいる間にも霧が少しずつ立ち込めてきている。大丈夫かなぁ、と投げやりになりながらも不安がよぎった。綺麗なものは、狂気を呼び寄せる。そんなことを聞いたことがあったと思うのだけど。 (本当に綺麗としか言えないな……) どっしりとした幹。それに負けないほどの花びらの群れ。まるで押し寄せんばかりの、覆いつくさんばかりの、はたまた、飲み込まんばかりの。桜が儚いなどと誰が言ったのか。今、こんなにも圧倒しているというのに。そこに在るというだけで。 突然月明かりが差し込んだ。「うわ!?」「大樹?」「あ、アレ……!」 とっさにシャベルを放り出してしまった大樹が指を差した先には――木の根元から奥へと続く、深そうな穴。だが、大きさはそれほどない。大樹や杏里が入れる程度だろう。春樹なら途中でつかえる可能性もありそうだ。 「……あったっけ、あんなの?」「違うって、突然割れて出来たんだぜ!」「もしかしてこの先に街があるんじゃ……!」「ちょ、杏里ちゃん入る気!? 無茶だから! 何があるかわからないよ!? ただの熊の寝床かもよ!?」「このくらいの熊さんなら飼っちゃうもん!」「お母さんたちが嘆くよそれ!」 入ろうと足を踏み出す杏里を慌てて引き止める。その間に、大樹は興味深そうに穴を覗き込んでいた。さすがに一人で入ろうという気はないのか、とりあえず落ち着きなく視線を彷徨わせている。 と。『ちょっと、そこどいてヨ』「「「……っ!!?」」」 いつの間に現れたのか。穴の前に立つ、掌サイズの女の子。全身をピンクのフリルで調和した少女は苛立たしげに大樹を見上げている。『そこにいたら入れないじゃなイ』「ご、ごめん……?」『全くもウ。大きい人間はこれだから嫌なのよネ』「うわ、オレ初めて大きいって言われた」「喜ぶなバカ」 確かに小柄な大樹は「チビ」と馬鹿にされることが多いが、掌サイズの少女に「大きい」と言われても誇れることでない。――というか、落ち着いて話している現象でない! 今さらになって混乱が押し寄せてくるが、少女は穴に入ってしまった後だった。とたんにザッと風が吹く。桜の花びらが舞い狂うように押し寄せた。三人はとっさに目をつぶり顔をかばう。風が、霧が、花が舞う。濃く甘い香りが全身に叩きつけられる。 「……あれ……?」 目を開けたときにあるのは木々と静寂ばかりで、穴はどこにも見当たらなかった。あんなにも見事だった桜の木さえ、今では心なし気力が落ちているように見えるほど大人しい。 今のは一体何だったのか。自身に問いかけてみるが、答えは返ってきそうにない。 それは本当に瞬く間の出来事だった。「…………」「…………」「…………」「…………」「…………も、もう帰ろうか」 呆然としている二人に春樹が引きつった笑顔を向けると、思いのほか二人はあっさりうなずいた。どうやら先ほどの現象を、穴が消えたということで「通りすぎてしまったもの」と捉えたらしい。これ以上いても何もないだろうという予感が同じく春樹にもあった。三人は来た道をトボトボと歩き始める。あまりにも突然で、そしてわずかなことで、杏里ですら感激に浸る余裕もないようだ。いや、彼女のことだから呆然としつつも悔しさが込み上げているのかもしれない。あそこで後を追っていたら、という考えを彼女が持たないはずもないだろう。 「あれ?」 唐突に声が注がれ、見るとそこには若い青年が立っていた。二十代くらいだろうか。立ち止まった春樹たちに眉をひそめてみせる。「こんな時間に子供が出歩いちゃ駄目だよ」「すいません」 子供扱いに大樹と杏里は不服そうだったが、「当たり前」だとばかりに春樹は深々と頭を下げた。子供なのだ、自分たちは。補導されないだけマシである。「これから帰るところですから。……お兄さんこそ、こんな時間に何してるんですか? お仕事……じゃないですよね、こんな場所じゃ」「え」 まさか逆に質問されるとは思わなかったのだろう。青年は困ったように、そして誤魔化すように笑ってみせた。「花見、かな。多分。きっと。一応そんなこと言ってたけど」「花見? いいなぁっ、オレもやりた――ぐえっ。何すんだよ春兄!」「余計な口挟むな」「だって! あんなキレーな桜だったらオレももっと見たいし!」「え? 桜を見たの?」 相手が目を丸くする。そこで春樹たちは思い出した。あの桜は夜にしか咲かないらしいということを。 桜があることを知らずに花見に来たのかと疑問が浮かんだが、それはともかく。 三人は互いにそれぞれ顔を見合わせる。胸中は一緒のようだ。あの不思議を他の人にも自慢したいような。けれど、大事に秘密にしておきたいような。 自然と笑みがこぼれた。「いえ、何でもありません。それでは失礼します」「お兄さんさよならっ」「おやすみー!」 めいめいが声をかけ、不思議そうな顔をしたまま「気をつけて帰るんだよ」と言われた言葉を背に、三人は小走りに駆け出した。溢れる笑い声。春の風が心地良い。くすぐったくて、温かくて、ワクワクする。 あの不思議を独り占めにするつもりはない。でも、もう少しだけ自分たちで味わおう。休みは、まだまだあるのだから。 ちなみに青年の名を名取新人と言い、彼を花見に呼び出したのが真霧間キリコだった。それを知り、杏里が「会うチャンスだったのにーっ!!」と絶叫したのは、その翌日のことである。
みっつ 幹の根・何眠る 作者:あずささん
ひとつ 人魂ふらふら悪酔い ふたつ 双子が増えたり減ったり みっつ 幹の根・何眠る「……大樹」 よっつ 夜泣きの山烏 いつつ いつか世界が交わり「大樹」「むっつ むくむく霧の中」「だ・い・き」「――んあ?」 呼びかけると、ご機嫌に歌っていた弟はようやくこちらを振り返った。日向春樹は半眼となって彼を見やる。椅子の上に座るならせめて靴を脱げ、と忠告してからため息をついた。 「何、それ」「へっ?」「何歌ってたの?」 一瞬何を言われたのかわからなかったのだろう。弟――日向大樹はきょとんと目を丸くし、それから「ああ」と笑ってみせた。「数え歌だってさ」「数え歌? 今のが?」「おう、この前杏里に教えてもらった♪ あっちの学校で流行ってるらしいぜ!」 別に自分の作った歌でもないのに彼は誇らしげに笑う。それがおかしく、春樹は軽く肩をすくめておいた。それでも大樹は満足したのか、再び陽気に口ずさむ。 ひとつ 人魂ふらふら悪酔い ふたつ 双子が増えたり減ったり みっつ 幹の根・何眠る よっつ 夜泣きの山烏 いつつ いつか世界が交わり むっつ むくむく霧の中 ななつ 名無しの水源通り やっつ やっぱり戻っておいで ここのつ ここの子・家はここ とお で遠くにさようなら 軽快に流れていくメロディー。それに対し歌詞は何やら謎めいていて、春樹は思わず首を傾げてしまう。全体的に脈絡もなければ一つ一つもいまひとつ意味がつかめなかった。そもそも双子が増えたり減ったりすれば、それはもはや双子じゃないのでは、などとツッコんでみたい衝動に駆られる。 しかし大樹は全く気にならないのか、ご機嫌な調子で何度も歌いながら窓の外に目をやっていた。定期的に揺れる列車の中。大樹はその揺れすら楽しんでいるようだ。幸せな奴、と春樹は胸の中で独りごちる。 (ま、仕方ないか) 学校の休みを使ってお泊りだ。行き先は、以前引っ越してしまった大樹の友達・一ノ瀬杏里の家。しかも割と遠出なのにも関わらず、「友達の家だから大丈夫だろう」と親の許しも得、なんと自分たちだけの旅行となった。今年小学六年生になる大樹がワクワクしないはずがない。冒険だ、とばかりにはしゃぎたくなるのも理解出来た。ちなみに春樹は大樹とたった一つしか違わないのだが、――弟が小柄だからだろうか。それとも春樹がしっかりしすぎているのだろうか。たいていもっと歳が離れているように見られがちである。むしろ、母親似の大樹と父親似の春樹は外見もそれほど似ていないため、一見しただけでは兄弟と思われるかも曖昧なところだ。 「霧生ヶ谷市か……」 浮かれる弟を尻目に、ゆったりと窓の外へ視線を転じる。隙間からわずかに吹き込む風は春の香りがした。*****「杏里!」「大樹! 春樹くんも!」 駅のホームへ降りると、すでに杏里と彼女の母親が迎えに来ていた。杏里が転校したのは二年前、彼女が小学四年生のとき。去年は彼女がこちらに遊びにきたので、約一年ぶりの再会だ。彼女は前より髪が伸びたのか、頭の上で綺麗に二つに結っている。背はそこまで伸びたという印象はない。とはいえそれは大樹も同じなので、彼らの身長はだいたい同じくらいだろう。だが何より嬉しいのは相変わらず元気そうなことだった。こちらを見ては飛び跳ねんばかりの元気と笑顔を向けてくれる。 「久しぶりー!」 負けじと元気を向け、さらには荷物も放り出して大樹が杏里に飛びついた。春樹は彼の荷物を引きずるようにしてその後に続く。はたから見ると微笑ましい小さなカップルのようだが、別に彼らはそんな関係でない。大樹の飛びつき・抱きつきはもはや癖なのだ。見知らぬ相手でも、優しくされれば彼は遠慮なく向かって行く。「人見知りしない」「人懐っこい」と言えば聞こえはいいが、限度を超えるとただのアホである。そして大樹は紛れもなく限度を超えたアホなのだろう。 さりげなくひどいことを思いつつ、春樹は世話になる杏里の母へ頭を下げた。「ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」「いいのよ、賑やかな方が好きだもの」 そう優しく微笑まれ、未だにわぁわぁ騒がしい大樹たちは彼女の家へ向かった。***** 初めて来る場所だからと、家へ向かうまでもずい分遠回りし、彼女たちは軽く霧生ヶ谷市を案内してくれた。その際にやたら水路が多いな、とか。思ったよりずっと賑わってる場所なんだな、とか。春樹と大樹は様々なものを興味津々に見て回った。特に大樹が気に入っていたのは奇怪なほどどでかいアンテナだ。何だあれカッコイイ、と声を高くして叫ぶ彼(声変わりがまだなので彼の声はやたら耳に刺さる)に、杏里はなぜか誇らしげな顔をしていたものである。 他にも興味深いものはたくさんあったが、まずは荷物をきちんと置きたいし、休みはまだまだ終わらない。後日ゆっくり回ることにし、みんなはようやく家へ辿り着いた。 そして。 懐かしい再会には積もる話もあるだろう。駅のホームで出会ったときも比較的騒がしかったが、家でならもっと大っぴらに話が弾んでいくはずだ。 そう予想していた春樹に反し、杏里は部屋のドアを閉めるなり、ふいに表情を引き締めた。とはいえ、その瞳の奥にはかなり楽しげな光が宿っている。「ねぇ、桜の木の下には何が埋まっていると思う?」 ――それが、杏里がいきなり投げかけた言葉だった。「え?」「桜?」 突然のことで訳がわからない。春樹と大樹は互いに顔を見合わせた。「あのね、小学校で色んな話があるの。噂だったり、あ、あとはハルさんが教えてくれたりして。それこそ不思議な話がいっぱい!」「そういえば杏里ちゃん、好きだったよね、そういうの」「オレら、よく連れ回されたもんな」 生き生きと瞳を輝かせる杏里に、日向兄弟は思わず苦笑。 彼女にとって「不思議」は生き甲斐なのだ。彼女の嬉しそうな表情が、ここ、霧生ヶ谷市の不思議の多くを語っているようであった。伝承等の多い地なのかもしれない。ともかく、引っ越した彼女がその地に馴染んでいるようなのは喜ばしい。 「そんなにあるの?」「うん、二人に負けないくらい不思議だよ」「僕らに、ね……」 ――杏里の言葉通り、実は、春樹と大樹は少々他人と違う能力を持つ。杏里はそれを知る数少ない者の一人であった。普通なら不審がられるか拒絶されそうなものだが、杏里に関してはそういった反応とは全く無縁である。むしろ彼女の方からこちらに近寄ってくるくらいだ。要するに少しでも「不思議」の近くにいたいのだろう。そんな彼女だからこそ、二人も気兼ねなく友達付き合いが出来るようになったのだが。 杏里はワクワクとこちらの瞳を覗き込んできた。「それでね、その話の中の一つに桜が出てくるの。桜の木の下には色んなものが埋まってるんだって。ね、何だと思う?」「何って……。よく死体が埋まっているとは言うよね」 首を傾げつつ呟くと、隣で大樹が「げっ」と顔をしかめた。彼はホラー系が大の苦手なのだ。「ふふー。そんなのありきたりすぎるよ」 ニヤニヤと表情を緩める杏里。それもちょっとどうかと思うが。「じゃあ何があるんだよ?」「あのね」 にっこり。彼女はいっそ無邪気なまでに笑う。「ここの大きな桜の下には、街が埋まってるの」「「――はい?」」 ……。 …………。 二人はしばし思考が停止した。聞き間違いかと思ったが、そうでもないらしい。 街。街?「杏里?」「杏里ちゃん?」 何を言ってるんだとばかりに見つめると、彼女はさも嬉しそうに笑顔を突きつけてきた。その笑顔には一点の曇りもない。嘘をついて騙そうという気はないようである。 「ね、すごいと思わない? 気になるでしょ!」「って言われても……」「おう、すっげー気になる! 杏里、何か知ってるのか?」「ちゃんと確かめたわけじゃないの。でもどの桜かは知ってるよ」「マジでっ? じゃあ見に行こうぜ!」「ほんと? やった! 大樹ならそう言うと思ってたんだ」「……あのー?」 恐る恐る春樹は声を掛けてみる。だが、小さなその声は彼らの耳に届かない。春樹はそのテンションについていけそうになかった。「桜の木の下には街が埋まっている」と本気で話す杏里も変わっているが、それをあっさり真に受ける大樹も単純だ。子供って無邪気だな、とまだ中学生でしかない春樹は年寄りじみたため息を吐き出しておく。 「行くのはいいとして、いつ行くつもり?」「今日の夜」「夜!?」 さらりと告げられ、うっかり声が裏返ってしまった。春樹は慌てて身を乗り出す。「夜に出掛けるなんて危ないよ。桜を見るなら夜の必要性なんてないし……」「だめだよ春樹くん。だって夜桜なんだもん」 意味がわからない。 春樹はこめかみをグリグリと押した。杏里が活発で、行動力に長けているのは知っていたけれど。「お父さんとお母さんは何て言ってるわけ?」「内緒。だってバレたら怒られるでしょ?」 わかっているのだからタチが悪い。「あのね……」「いいじゃん春兄。ちょっと見てくるだけなんだから」「おまえは黙ってろ!」 杏里以上に、自覚も危機感もない大樹はもっともっとタチが悪い。 それがわかっているからこそ鋭く叱ると、大樹はうっと言葉を詰まらせた。しかし彼も負けてない。最近は反抗期なのだろうか、「でも」やら「だって」やらと口答えすることが多くなってきた。春兄、と金魚のフンのようについてくるのは相変わらずだけれど。 「でも杏里だって楽しみにしてたんだぜ! それに春兄だって気になるだろ?」「それは……」 今度は春樹が詰まる番だった。気にならないと言えば嘘になる。だが、ただの噂だろうと思う気持ちも強いのだ。春樹は、未だにサンタクロースを心の底から信じている大樹とは違う。 「お願い、春樹くん。それに、キリコさんだったら絶対に調べようとすると思うの!」「……キリコさん?」「私の憧れの人なの」 力強くうなずき、杏里はうっとりと思いを馳せた。「真霧間キリコさん。普段はホケカンで働いてるんだけど、それ以外では家業を頑張っててすごくお酒好きで色んな実験もしてたりするんだって……♪」「家業って?」「マッドサイエンティスト」「…………」 果たして今のどこに、彼女は憧れという要素を見出したのか。春樹は眉間にシワを寄せずにはいられなかった。どうもイメージが形になってくれない。「春兄、まっちょさいえんちぇすとって何だ?」「……さあね」 大樹はしきりに首を傾げているが、きちんと説明してやる気にはなれなかった。一方、杏里は未だに熱弁を繰り広げている。「私もまだ、きちんと会ったことはないんだけどね。でもでも、本当に憧れちゃう! 会ったら絶対弟子入りさせてもらうんだからっ。そのためにも、私は不思議を前にして逃げるわけにいかない!」 「あ、杏里ちゃん……」「春樹くんがどうしても駄目って言うなら、私と大樹だけで行くんだから。ね、大樹!」「おう!」 ――二人の目は本気と書いてマジだった。真剣そのものだ。春樹が駄目と言えば、本当に二人で行ってしまうのだろう。 はあ、と何度目かの大きなため息を一つ。どちらか一人なら力ずくで止めることも出来るが、二人となると春樹の手には負えない。「わかったよ……」 どの道彼らが行くことに変わりないのなら、保護者として自分も行かねばなるまい。 力なくうなずいた春樹に、二人はパッと表情を輝かせた。「さすが春兄!」「ありがとう春樹くん! お礼にキリコさんのプロマイドあげる♪」「ええ?」 渡されたのは、右手に刃物らしきもの、左手に酒瓶を抱えた白衣姿の女性。 ホケカン、保健管理室で働いているということは医者でないのだろうか。なにゆえ刃物と酒瓶を抱えているのか。「……え、ちなみに盗撮とか?」「違うよー。もらったの。二枚あるから一枚だけあげるね」 誰にもらったんだと聞きたかったが、聞けば芋づる式に謎が増えそうなのでやめることにした。興味を持ったらしい大樹が写真を覗き込んでくる。「あ、思ったより全然マトモじゃん」 これをマトモと思える大樹も大物だ。「いつか会えたらサインもらいたいな。あ、でも二人は気をつけた方がいいかも」「?」「人間にも興味があるかはわからないけど、二人の“力”ってやっぱり不思議だし。捕まったら実験体にされちゃったりして?」「うげ!?」「あ、はは……」 ――近い将来、杏里の手によって実験体にされる可能性の方が高いだろう。そう思ったが、あえて口に出さない春樹だった。***** 夜になるまで互いの学校の話をしたり、杏里の調べた不思議談をしたりと、話は止まることがなかった。彼女の両親がもてなしてくれた手料理は文句なしに美味しかったし、お風呂も程良く気持ち良い。後はこのまま布団に潜り、少しだけ夜更かしをしながら過ごせばいいのにな、と春樹は未練がましく二人を見やった。二人は出掛ける準備万端だ。大樹なんていつもはモタモタと手間取るくせに、こういう時に限って妙に行動が素早い。 「さ、行くよ!」「おう!」 潜めているが張りのいい二人の声で、春樹も渋々覚悟を決めた。 杏里の親は明日用事があるらしく、今日は早々と寝床に就いている。その辺もしっかり把握していた杏里はさすがと言うべきか、何と言うべきか。不思議に対する情熱の証だろう。 家をこっそり抜け出すと、風がひんやり冷たかった。杏里を先頭に向かった先はちょっとした山のような場所だ。そして何より、先の案内でも軽く通ったところである。しかしそこにあるのは緑ばかりで桜があった記憶はない。しきりに首を傾げながらも、今のリーダーは杏里なので逆らう術もない。 人が通れるようにきちんと道が出来ているので迷う心配はなかった。ただ、心なし霧――春の今は霞と言うべきだろうか?――が出てきたようで春樹はわずかに眉をひそめる。もしこれ以上濃くなるようなら、視界が白く曇って大変だ。 そんな心配の矢先。ふと、大樹がきょろきょろしていることに気づいた。「大樹、どうした?」 数歩遅れていた彼は、声をかけられたことで慌ててこちらへ駆け寄ってくる。「んー……何か声、聞こえた気がして」「声?」「よくわかんねーんだけど、呼ばれてるよーな……?」「ちゃんと聞こえないのか?」「ん。てか、聞くつもりはなかったんだぜ。ただ急に、ちょっと雑音が入ってきた感じで」 曖昧に肩をすくめる大樹。――彼の不思議な能力、それは“人以外の声を聞く”こと。それはつまり、動物や植物の声を言葉として捉えるのだ。会話も一応可能だが、それは少々疲れるので、「あまりやるな」と春樹は毎度注意している。今回も彼の“力”が何か影響したのだろう。だが、はっきり聞こえないというのはやや引っ掛かった。「聞こう」と意識していないとはいえ。 大樹も気になるのか、集中しようと耳を澄ませる。が、杏里が彼の手を握ることでそれを遮った。「杏里?」「聞かない方がいいよ」「へっ? でも」「聞いたら、呼ばれちゃうかもしれないでしょ?」 何にだ、と思ったが、杏里の表情は思いのほか真剣で。「大樹って引き寄せられやすい気がするし」「な、何だよそれ?」「う~ん、上手く言えないんだけどー」「言えよ、訳わかんないだろーっ!?」 意味深な台詞が恐怖を煽ったのか。大樹がうるさく喚いた。もう杏里はいつも通りに笑っている分、その光景は少々情けない。 ふ、と彼女は空を仰いだ。月がぼんやりと丸い。つられて仰ぎ見る自分たちの耳にそっと音が寄り添ってくる。 ひとつ 人魂ふらふら悪酔い ふたつ 双子が増えたり減ったり みっつ 幹の根・何眠る「……杏里?」 よっつ 夜泣きの山烏 いつつ いつか世界が交わり むっつ むくむく霧の中 ななつ 名無しの水源通り「杏里ちゃん?」 やっつ やっぱり戻っておいで ここのつ ここの子・家はここ とお で遠くにさようなら ――大樹が瞬いた。きょろりと見渡し、「声が聞こえなくなった」と小さく呟く。それを聞いた杏里が照れたように笑った。「学校でよくみんなが言うの。この歌を歌えば、少しは大丈夫なんだよって」「? でもこれ、数え歌なんだろ?」「あはは、私もよくは知らないんだけど。最後にさよならってあるでしょ? だから連れていかれないんだって」「「…………」」 だから、一体誰に、どこに連れていかれるというのか。 ツッコみたかったが、これもまた芋づる式に謎が増えそうなのでやめることにした。知らぬが仏という言葉もある。先人は一体どんな経験からこの言葉を生み出したのだろう。想像すると少し同情してしまいそうだ。 「あ」 ふいに杏里が声を上げ、小走りに駆け出した。手を握られていた大樹は転びそうになりながらそれに続き、春樹もやや駆け足でその後に続く。 そして、唖然とした。「うそ……」 ――こんなに大きくて立派な桜の木が、あったなんて。 先にも述べたが、ここは一度通ったはずだ。そしてそのとき、確かに大きな木があったことは覚えている。だがそれは葉が緑で、どう考えても桜と呼べないものだった。これほど大きな桜が咲き誇っているなら気づかないはずがない。 すげぇ、とキラキラ瞳を輝かせる大樹とは裏腹に、春樹は言葉もなくぼんやり魅入ってしまった。わからない。わからないが、引き込まれそうなほどの存在感だ。月明かりすら掻き消してしまわんばかりの。 「何で……」「この桜、夜にしか咲かないの。だから言ったでしょ? 夜桜だって」「そーゆう意味!?」 一般的に「夜桜」といえば、単に夜の桜、もしくは夜に桜を見ることを指すのではないだろうか。大体どうなっているのだろう。朝顔の反対みたいなものだろうか。いや、それは無理があるか。 「なぁ、でも肝心の街は?」「……って大樹、何でシャベル持ってるんだ」「え、だって埋まってるんだろ?」「掘る気!?」 しかもそんな、オモチャみたいなシャベルで!?「大丈夫だよ、桜を傷つけたりはしないし」「杏里ちゃんまで!」 しかも彼女のはやたら立派だ。「あ、杏里ずりぃ! オレもそっちがいい!」「駄目、私が最初に街を見つけるんだから!」「オレにこれ渡したのはそのためか! 卑怯だぞっ」「自分で持ってきてない大樹が悪いんだよ」「お泊りにシャベルいるなんて思わなかったんだから仕方ないだろーっ」 それが当たり前だと思うのだが。 春樹はため息をついた。幻想的な雰囲気が台無しだ。しかも、二人が騒いでいる間にも霧が少しずつ立ち込めてきている。大丈夫かなぁ、と投げやりになりながらも不安がよぎった。綺麗なものは、狂気を呼び寄せる。そんなことを聞いたことがあったと思うのだけど。 (本当に綺麗としか言えないな……) どっしりとした幹。それに負けないほどの花びらの群れ。まるで押し寄せんばかりの、覆いつくさんばかりの、はたまた、飲み込まんばかりの。桜が儚いなどと誰が言ったのか。今、こんなにも圧倒しているというのに。そこに在るというだけで。 突然月明かりが差し込んだ。「うわ!?」「大樹?」「あ、アレ……!」 とっさにシャベルを放り出してしまった大樹が指を差した先には――木の根元から奥へと続く、深そうな穴。だが、大きさはそれほどない。大樹や杏里が入れる程度だろう。春樹なら途中でつかえる可能性もありそうだ。 「……あったっけ、あんなの?」「違うって、突然割れて出来たんだぜ!」「もしかしてこの先に街があるんじゃ……!」「ちょ、杏里ちゃん入る気!? 無茶だから! 何があるかわからないよ!? ただの熊の寝床かもよ!?」「このくらいの熊さんなら飼っちゃうもん!」「お母さんたちが嘆くよそれ!」 入ろうと足を踏み出す杏里を慌てて引き止める。その間に、大樹は興味深そうに穴を覗き込んでいた。さすがに一人で入ろうという気はないのか、とりあえず落ち着きなく視線を彷徨わせている。 と。『ちょっと、そこどいてヨ』「「「……っ!!?」」」 いつの間に現れたのか。穴の前に立つ、掌サイズの女の子。全身をピンクのフリルで調和した少女は苛立たしげに大樹を見上げている。『そこにいたら入れないじゃなイ』「ご、ごめん……?」『全くもウ。大きい人間はこれだから嫌なのよネ』「うわ、オレ初めて大きいって言われた」「喜ぶなバカ」 確かに小柄な大樹は「チビ」と馬鹿にされることが多いが、掌サイズの少女に「大きい」と言われても誇れることでない。――というか、落ち着いて話している現象でない! 今さらになって混乱が押し寄せてくるが、少女は穴に入ってしまった後だった。とたんにザッと風が吹く。桜の花びらが舞い狂うように押し寄せた。三人はとっさに目をつぶり顔をかばう。風が、霧が、花が舞う。濃く甘い香りが全身に叩きつけられる。 「……あれ……?」 目を開けたときにあるのは木々と静寂ばかりで、穴はどこにも見当たらなかった。あんなにも見事だった桜の木さえ、今では心なし気力が落ちているように見えるほど大人しい。 今のは一体何だったのか。自身に問いかけてみるが、答えは返ってきそうにない。 それは本当に瞬く間の出来事だった。「…………」「…………」「…………」「…………」「…………も、もう帰ろうか」 呆然としている二人に春樹が引きつった笑顔を向けると、思いのほか二人はあっさりうなずいた。どうやら先ほどの現象を、穴が消えたということで「通りすぎてしまったもの」と捉えたらしい。これ以上いても何もないだろうという予感が同じく春樹にもあった。三人は来た道をトボトボと歩き始める。あまりにも突然で、そしてわずかなことで、杏里ですら感激に浸る余裕もないようだ。いや、彼女のことだから呆然としつつも悔しさが込み上げているのかもしれない。あそこで後を追っていたら、という考えを彼女が持たないはずもないだろう。 「あれ?」 唐突に声が注がれ、見るとそこには若い青年が立っていた。二十代くらいだろうか。立ち止まった春樹たちに眉をひそめてみせる。「こんな時間に子供が出歩いちゃ駄目だよ」「すいません」 子供扱いに大樹と杏里は不服そうだったが、「当たり前」だとばかりに春樹は深々と頭を下げた。子供なのだ、自分たちは。補導されないだけマシである。「これから帰るところですから。……お兄さんこそ、こんな時間に何してるんですか? お仕事……じゃないですよね、こんな場所じゃ」「え」 まさか逆に質問されるとは思わなかったのだろう。青年は困ったように、そして誤魔化すように笑ってみせた。「花見、かな。多分。きっと。一応そんなこと言ってたけど」「花見? いいなぁっ、オレもやりた――ぐえっ。何すんだよ春兄!」「余計な口挟むな」「だって! あんなキレーな桜だったらオレももっと見たいし!」「え? 桜を見たの?」 相手が目を丸くする。そこで春樹たちは思い出した。あの桜は夜にしか咲かないらしいということを。 桜があることを知らずに花見に来たのかと疑問が浮かんだが、それはともかく。 三人は互いにそれぞれ顔を見合わせる。胸中は一緒のようだ。あの不思議を他の人にも自慢したいような。けれど、大事に秘密にしておきたいような。 自然と笑みがこぼれた。「いえ、何でもありません。それでは失礼します」「お兄さんさよならっ」「おやすみー!」 めいめいが声をかけ、不思議そうな顔をしたまま「気をつけて帰るんだよ」と言われた言葉を背に、三人は小走りに駆け出した。溢れる笑い声。春の風が心地良い。くすぐったくて、温かくて、ワクワクする。 あの不思議を独り占めにするつもりはない。でも、もう少しだけ自分たちで味わおう。休みは、まだまだあるのだから。 ちなみに青年の名を名取新人と言い、彼を花見に呼び出したのが真霧間キリコだった。それを知り、杏里が「会うチャンスだったのにーっ!!」と絶叫したのは、その翌日のことである。
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