シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

精霊流し

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精霊流し 作者:見越入道

 八月十五日。
 鳴阿遼二は路面電車に揺られながら、ある場所を目指していた。夕暮れ時でやや混んではいるが路面電車の開け放たれた窓から涼やかな風が流れ込み、心地よい揺れが寝不足気味の意識を朦朧とさせ、幻のようにあるシーンを呼び起こす。
 中央公園の片隅で、白いベンチに腰掛ける二人の男女。一人は遼二。もう一人は橘カヤ。
 柔らかな光の中、二人は手を絡ませ見つめ合う。
「カヤさん、俺は決めたよ」
「なんですの?決めたって」
「俺は君を一生愛していこうって、決めたんだ」
 カヤはくすりと笑う。カヤが遼二を見つめる。まるで魂までも見透かすような目。
「いけませんわ、遼二さん。殿方はそうやってかっこつけてばっかりで」カヤの言葉をさえぎり、遼二は懐から小さなリングケースを出し、カヤの目の前で開ける。光る指輪、カヤの驚く顔・・・
 遼二が何か言おうとし時、夢は途切れた。
「終点、山の手三丁目ぇ。山の手三丁目ぇ」
 気だるそうな車内アナウンスが響き、遼二は目を覚ました。夕日が差し込む車内にはすでに遼二しか乗っていなかった。
 路面電車を降り、焼け付く西日に汗をかきながら閑静な住宅街を徒歩で抜け、田園地帯に差し掛かる辺りにある大きな屋敷の前で遼二は歩みを止めた。
 屋敷の門には「橘」と表札が掲げられている。


「遼二さん、もうあなただけになっちゃったわね。カヤのところへ来てくれるのは。」
 橘キヨは遼二を屋敷の応接室に招きいれた。彼女は橘カヤの母親で橘家の現当主だ。すっかり老け込んでいるが背筋は未だぴんと伸びており、気品ある顔立ちにどこか凛とした空気を漂わす御仁である。
 遼二は、毎年この時期に決まって橘家を訪れる。それは十年前、彼の婚約者だった橘カヤが事故死してからずっと続けている習慣だ。キヨは冷えた麦茶を入れた小綺麗なグラスを遼二の前に置くと、自身もゆったりとソファに腰をおろして言葉を続けた。
「あの子が事故で死んだとき、遼二さん、正直あなたを恨んだものよ。あなたと付き合わなければカヤはあんな事にならずに済んだかもと思ったものだわ。ほら、あなたたちの付き合いを私は反対していましたから。」
 遼二はただ静かに頷く。実際カヤと遼二の関係はとても祝福されたものではなかった。
 片や、霧生ヶ谷でも指折りの橘財閥の長女、片やしがない高校教師だ。二人の関係が祝福されるはずも無かった。
 キヨはふっとため息をついてから続ける。
「でもね、今は思うの。あれから十年経った今でもカヤの事を思ってくれている、そんなあなたに出会えたカヤはきっと幸せだったんだって。」
 ここでキヨは少し考えてから、
「ところで遼二さん、あなた、御結婚は?」と、問いかけてきた。遼二はその意外な問いに思わず口ごもったが「いや、お恥ずかしながら良縁に巡り合いませんので。」と言葉を濁して麦茶をぐいと飲んだ。
 キヨはすっと窓の外を見ながら言う。
「そう。私は心配しているのよ、遼二さん。あなたがもし、カヤのことでわずかでも気が咎めているのではないかと。死んだ人間はもう戻らないわ。あなたの人生は、あなた自身のものなのだから。御自分を大事にしなくてはいけませんよ。遼二さん。」
 遼二ははっとした。まさか見透かされているとは思っていなかったからだ。
 キヨはただ静かに微笑んでいる。そのすぐ隣に朧な影が現れた。人影はゆらゆらと陽炎のように揺れ、そして伏し目がちに僅かに微笑むカヤの姿となった。遼二はその姿をまじまじと見つめていたが、カヤは伏せた目を上げ、遼二の方に向き直るとにこやかに笑って、何か一言言ったようだった。声は聞こえない。
 その幻は再び朧にかすみ、遼二が思わず手を伸ばして「カヤ」と言いかけた時には跡形も無く消え去っていた。
 キヨが遼二の様子を見つめながら、静かに、しかしはっきりと言った。
「遼二さん、カヤの魂は返していただいたわ。もう、あの子の魂を縛るのは止めて。」
 キヨの突然の言葉に遼二は何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。同時に体から力が抜け、ソファーにもたれ掛かるに座り込むと、ぼんやりと天井を見上げた。キヨは続ける。
「遼二さん、今日はあなたにもカヤを送って貰いたいの。お時間、よろしいかしら」


 日も暮れた頃、遼二とキヨは九頭身川にかかる錦橋へと来ていた。二人のほかにも多くの人々が浴衣姿にちょうちんをぶらさげ、川べりにひしめいている。そし人々の手には一様に15センチほどの小さな木の板の上に載せられた和紙造りの灯篭が携えられている。
 キヨは手にした灯篭に墨で文字を書く。
「橘カヤ」
 そしてそれを遼二に手渡した。遼二はその灯篭の中の小さなろうそくに火を灯し、川面へと流す。二人は静かに手を合わせた。
 他の人々もそれぞれの灯篭を川面に浮かべ、手を合わせる。 無数の灯篭が作り出す朧な光は川面をぼうっと照らし出し、さながら海へと向かう魂の流れを想起させた。
 しばらく手を合わせていたキヨは、いまだ目をつぶり、手を合わせる遼二にささやくように言う。
「わたくし、毎年精霊流しをしてますのよ。でもね、毎年決まって、ほら」
 カヤは川面の少し先にある錦橋と兄弟橋となる絹橋の辺りを指して続ける。
「あの、絹橋あたりに行くと、カヤの灯篭だけふっと火が消えますの。わたくしそれを見るたびに、きっとまだカヤの魂をこの世に留めて置きたい人がいるのじゃないかって思いましたの。」
 遼二は目を凝らし、今しがた自分が流した灯篭を探した。橘カヤと書かれた灯篭は、ぼんやりと光りながら絹橋の下をくぐり、静かに流れていった。


 翌朝、まだ朝もやがかかる中、遼二は静かに橘家の門を抜けた。
 昨夜は結局橘家にやっかいになってしまったのだが、不思議と悪夢を見ることも無く熟睡出来た。これほど熟睡したのは実に十年ぶりだ。遼二は心なしか体が軽くなったように感じ、朝もやで湿った空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 玄関先にはキヨが見送りに出ていた。
「いろいろとご面倒をお掛けした様で、どうもすみませんでした。」と遼二が言いさすのにキヨはすっと手の平を出して言葉を止め、遼二をじっと見つめる。
 しばらくそうしてから、ふっと息を吐いて笑顔になり、
「もう、大丈夫ね。」と言った。彼女の少し奇妙な行動が気になり、遼二が何か言おうとすると、
「あら?カヤは何も言いませんでしたか?」と、キヨ。
「カヤさんが、何か?」
「カヤだけではございません。我が橘家は代々秘透見の力を持っていましてよ。」
「ヒトミ・・ですか?」
「はい。秘められた物を透し見る力ですの。昨日見えられた時、あなた、死人がついていたのですよ」
 遼二は言葉を無くした。
「でも、もう大丈夫。これからは、きっと前を向いて歩けますでしょう」
 遼二は珍しく笑顔を見せ「はい。」と答えると、深々と頭を下げてから橘家を後にした。

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