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前の日記は勢いで書いたので、ちょっと表現がオーバーだった気がするけれど
「ウチは間違った事はしていないけれど不当に扱われている」という意識が
自他共に油断すると出そうになってないかしらん、と
このところ少し心配に思っていたようだ。
世の中は因果関係に沿って動いている、いやむしろ動いてくれ、というのは自分の信念みたいなものなので、
嫌な目に合っているという事は、何かしら周りに悪さをしていたはずだ、
そこんとこ忘れず、と、自分に釘を刺す意味で記しておく(笑)
(降りかかる事が理不尽に感じる事ももちろんあるけれど、「何もしないのが悪」というのもよくある話で。
ならなおさら理屈こねる前に動け自分!というのもあるけれど、消化しないともやもやして動けないと言い訳しつつ書く開き直り)


関連するか微妙だけれど、最近のテンダイスSSのテーマが正義なんで
唐突にヒーローゲームを振り返ってみる。
無名世界観的に「善を成すこと=正義」かは知らないけど、ここでは=と仮定。

ざくっと抜粋
芝村:善はいつ、生まれた? その出現経緯を論理的に説明しなさい。

S43@青にして正義:
1.一人だけで善も悪もなしえない。そこにあるのは快不快である。
2.善とは他者の幸せを望むことから始まる。
3.故に善は他者を認識した時に生まれた。

芝村:では動物の中には善はあるか?

都築つらね@”白にして秩序”:ライオンはシマウマにとって悪かもしれないが、ライオンは己の生存のための捕食を善と捉えるでしょう。
S43@青にして正義:動物も子を守るという行動に他者の認識があり、その幸せを願います
S43@青にして正義:よって
S43@青にして正義:動物にも他者の認識という善の必要条件が存在します

芝村:結構。
芝村:善というものは最初からあったのだ。
芝村:おそらくは集団というものが生まれたときから。
芝村:他を思えば善が生まれる。あなた方の回答はそういうことだ。

以下は自分の解釈。

「他を思う」にしても、ライオンとシマウマにとって善と悪が異なるように
思う対象・範囲によって、善の定義は変わりうる。
そんでもって、思う対象・範囲は、思う主体によって変わる。
国が違って、それぞれの人が自分の国を大事に思うなら、その人にとっての正義は違っていてもおかしくはない。

誰にとっても正しい、絶対的な正義なんてない。
それを分かった上で、より相対的に正しい善を成そうと努力するのが大事なんじゃないだろうか。
(※↑の言い回しは「怒る技術/中島義道」の影響を思い切り受けてます)


…と、理屈をこねるのは簡単で、行動するのが難しいんですが(笑)


次に考えたいのは「人とカマキリと人口調整」の予定。予定は未定。


カテゴリ: [徒然] - &trackback() - 2008年12月19日 22:45:33
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最終更新:2008年12月19日 22:45