乳出の井戸  (下永谷)

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 むかしの生活を考えたことがありますか。
 いまのように、電気やガスが普及していませんから、農作業や家事は、手間ひまかかる重労働でした。
 また、粉ミルクや牛乳がなかったので、母親のお乳が出ないということは、とてもたいへんなことでした。
 そんな時代のお話です。

 下永谷に、お乳が出なくて困っている嫁がいました。
 食べるものも貧しく、一人でも多くの働き手が欲しい農家の中で、休養もとれません。
 出ない乳をしゃぶっては、ひもじそうに泣く我が子を見るにつけ、なんとかお乳が出ないものかと、途方にくれていました。
 そんな嫁の様子に気がついた、村の老女がいました。
 その老女も、かつて乳が出なくて苦労したひとりでした。なんとか自分の乳で育てたい母親の心、嫁として子育ても満足にでさないと責められるつらさ。自分の思い出とも重なり、老女には、その嫁の気持ちがよくわかるのでした。
 老女は、嫁にささやきました。
「般若寺へ行ってごらん。そこの井戸の水で、お粥を炊いて食べるんだよ。じき、お乳がたっぷり出るようになるさ。しつかり、おやり」
 嫁は、言われたとおりにしました。
 すると、ふしぎなことに、乳が丸々と張ってきたのです。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
「よしよし、いま、お乳をやるよ」
「うっくん、うっくん」
「そうかあ、うまいか。たっぷり飲みな」
 自分の乳を飲んで、満足そうに眠る我が子を見て、嫁は感謝の気持ちでいっばいでした。
 子どもを立派に育てあげたその嫁は、お乳が出なくて困っている母親を見かけると、そっと教えてやりました。
「般若寺へ行ってごらん」
 こうして、下永谷の般若寺の井戸は“乳出の井戸”として、口伝えに広まり、ずいぶんと遠くからも、水をもらいに来ていたということです。
 今では、そのおもかげもないのが残念です。






最終更新:2009年05月02日 23:04