ネパール当局は、事故を減らすための措置として、世界最高峰エベレスト(Mount Everest)を含め、同国内の山に単独で登ることを禁止した。
ネパール内閣は28日、同国の登山規制の改定案を承認。来春の登山シーズンを前に示されている一連の対策の一つとして、国内の山の単独登山を禁止した。
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初めての低酸素トレーニング
本日からエベレスト(8848m)ローツェ(8516m)に向かいます。(無酸素・単独)
今年は無酸素で確実に登るために同じ山域であるローツェ(8516m)を高所順応で無酸素で登り、ベースキャンプまで下りてから体調を整えて、エベレストに向かいます。
そして、登るルートは自分の中で密かに溜めていた計画があり、ルートの状況を確かめてからアタック直前にルートを発表します。
3月21日 | 日本出発 | |
3月26日 | ナワン村→チュル・ファー・イーストBC(4900m) | |
3月27日 | BC | |
3月28日 | BC→チュル・ファー・イースト(6038m)→BC | |
4月3日 | 壮行会に参加 | |
4月17日 | 日本出発 | |
4月18日 | ||
4月19日 | ||
4月20日 | カトマンズ→ルクラ(2860m) | |
4月21日 | ルクラ→ナムチェバザール | |
4月22日 | ナムチェバザール→タンボチェ(3860m) | |
4月23日 | タンボチェ→ペリチェ(4270m) | |
4月24日 | ペリチェ | ステイ |
4月25日 | ペリチェ | 「2日間39度近くの熱が出てました」 |
4月26日 | ペリチェ→エベレストBC(5300m) | |
4月27日 | BC | ステイ |
4月28日 | BC | ステイ |
4月29日 | BC | ステイ |
4月30日 | BC | ステイ プジャを行う |
5月1日 | BC | 撮影メンバーが体調不良で倒れる |
5月2日 | BC | 撮影メンバー帰国 |
5月3日 | BC | 「今日から登山開始の予定でしたが、昨日夜中からまた 38度を越える熱が出てしまい今日は上がりませんでした」 |
5月4日 | BC | ステイ |
5月5日 | BC→C2(6400m) | |
5月6日 | C2→BC | 強風のため撤退 |
5月7日 | BC→ルクラ(2860m) | (7日または8日) 咳が止まらないため、ヘリコプターでルクラまで下りる |
5月8日 | ||
5月9日 | ルクラ | |
5月10日 | ルクラ→BC | 「明日からまた登り始めます」 |
5月11日 | BC | ステイ |
5月12日 | BC→C2 | 「今日から高所順応で上部を目指します」 プジャ、出発動画をUP |
5月13日 | (夜中から)C2→ | 「ネパール時間の夜9時から、7000mまで登ります。」 シェルパが頂上までのルート工作完了 |
5月14日 | →ノーマルルート7200m地点→BC | 「吹き下ろしの風が強いので」下山 両足義足の中国人登山家、夏伯渝(69)が登頂 |
5月15日 | BC | 79歳の日本人男性がローツェ登頂、最高齢記録 |
5月16日 | BC | |
5月17日 | BC | 倉岡隊が登頂 |
5月18日 | BC→C2 | 南西壁ルートをとると、会員向け動画をUP |
5月19日 | C2 | 『1日で約1000mの標高を上げると体への影響が大きく出るので』 ステイ |
5月20日 | C2→7320m→(少し下がって)C3 | GPSでは最高地点7320m。会員向けメールでは 「テントを張るため安全な場所を探して少し標高を下げ」た、とある。 AG隊が登頂 |
5月21日 | 体調不良で下山との連絡ののち、遺体で発見 その日のうちにヘリでルクラ、カトマンズまで搬出 |
Japanese climber Nobukazu Kuriki, 36, died while descending to lower camps on Mt Everest last night, rescuers revealed.According to Climbing Guide Ashish Gurung, rescuers retrieved Kuriki’s body from 7,200 m near Camp II.日本人登山家の栗城史多(36)が、昨夜、エベレストで下部キャンプへ移動中に死亡した。山岳ガイドのアシシュ・グルンによると、救助隊員はキャンプ2に程近い7,200m(※)から栗城の遺体を回収した。
(※)標高はのちに事務局から6600mと訂正されたKuriki had gone missing since 11:30 pm after he sent a radio message to his climbing guides at Camp II from Camp III for help, Gurung said. “A team of guides, who left for Camp III immediately after receiving his message, failed to trace him in the high camp,” he added. “Since then, the rescue team hadn’t heard anything from him.”栗城は、キャンプ2にいた山岳ガイドにキャンプ3から無線で助けを求めた後、午後11時30分頃から行方不明になっていたとグルンは語った。
「メッセージを受けた直後にキャンプ3に向けて出発したガイドチームは、彼を追跡することができなかった」 「それ以来、栗城から救助チームに対しての連絡が途絶した」と彼は付け加えた。Kuriki had asked for help as he suffered from persistent cough and pain, Gurung said. “It was impossible to locate him in the night as the radio network disconnected.” According to him, the team found Kuriki’s body above Camp II this morning.栗城は、絶え間ない咳と痛みのため助けを求めた。 「夜間に無線通信が切断されたため、彼の位置を特定するのは不可能だった」とグルンは話した。彼によると、救助チームは、栗城の遺体をキャンプ2よりも高い場所で今朝発見したという。Along with a filming crew and four high altitude workers, Kuriki headed to Mt Everest to attempt to climb the world’s highest mountain solo from the West Ridge route without supplemental oxygen, according to the expedition organiser, “Kuriki was alone at Camp III when he asked for help.”栗城は、撮影スタッフと4人のシェルパとともに、エベレスト山に向かい、西稜ルートから無酸素で世界最高峰を単独で登ろうとしていた。遠征主催者によると、栗城が助けを求めた時、彼はキャンプ3に一人でいたという。Earlier reports from the base camp, however, claimed that the alpinist was found dead in his tent at 7,400 m.ベースキャンプからの以前の報告では、このアルピニストが7,400メートルのテントで死亡しているとされていた。Tika Ram Gurung, Managing Director at Bochi Bochi Treks said that Kuriki’s body has been brought to TU Teaching Hospital for postmortem.ボチボチトレック社のティカ・ラム・グルン社長は、栗城の遺体は検視を行うためトリブバン大学教育病院に搬送されたと語った。
21日夕方、東京・中央区の栗城さんの事務所で、チーフマネージャーの小林幸子さんが取材に応じました。
それによりますと、栗城さんは現地時間の21日午前1時ごろ、標高7400メートルから少し降りた場所に張ったテントから「高山病で気持ちが悪くなり吐いている状態なので、これから下山する」と無線でベースキャンプに連絡があったということです。(中略)
登山をサポートするシェルパが捜索に向かったところ、現地時間の午前8時前ごろに体が冷たくなって呼吸をしていない状態で倒れているのが発見されたということです。
(5月20日)20時30分ごろ「吐き気が止まらない。ちょっと異常な感じがして危ないかもしれない。今すぐキャンプ2に下ります」と無線で下山を伝える。23時ごろ「救助のため登ってくるシェルパのヘッドライトを目指す」と無線。この時点で栗城さんのヘッドライトは消えており、月明かりを頼りに下山をしていたと推定される。これを最後に、連絡が途絶え、翌朝シェルパが6,600m地点で栗城氏の遺体を発見した。下山中に滑落、全身を強打したことが死因である。
(高熱が出て咳が続いた後)
「結局、最後まで栗城は体調を回復できなかった。」
「俺から見ると辛そうでしたね。特に今年からは自分の足じゃなくて大人の背中、大人の手に押されているみたいな感じで。行かないとならねえみたいな、そういうふうに見えましたよ。本人はどうかわからないですけど。」
――出発直前はどんな感じでしたか
「いつもよりは人に会う時間がものすごく多くて。遠征のための買い物とかだと分かるけど、どちらかというと人に会うためにあっちいったりこっちいったり。一番集中できていなかったんじゃないですかね今までで。なんかあんまり楽しそうでもなかった、(遠征に)行くことが」
野口さんは4月、ベースキャンプに向かう栗城さんと山中ですれ違ったという。「登るぞという高揚感はなく、追い詰められて参っているような雰囲気だった」
世界最高峰エベレスト(Mount Everest、標高8848メートル)の春の登山シーズンに当たる5月に登頂した人の数が今年、史上最高の807人に上った。
ネパール、中国両当局によると、ルートは南のネパール側から563人、北のチベット側から244人が頂上に到達した。
今年のエベレストは異例の好天候で、非常に多数の登山者が登頂することができた。
ヒマラヤ登山に関する記録をまとめた「ヒマラヤン・データベース(Himalayan Database)」によると、これまでの過去最高記録は2013年の665人だった。