チョ・オユー

(標高BC:4880m ABC:5700m C1:6350m C2:7200m C3:7700m ABCまでヤクが登っており、実質的にABCがベースキャンプ)

シェルパのサポートがあるのに単独

本人の記録にサポートのシェルパがルート工作と荷揚げをしてると書いてある。

標高7200mのキャンプ2(C2)に行く予定だが、僕の後ろからサポートのためについて来てもらっている
サーダー(シェルパのリーダー)が他のシェルパやABCと無線で話し合っており、なにやらサーダーはうれしそうに
踊っている。話を聞くと降りると言っている。本当はキャンプ2に食料や燃料を上げるはずだが、
彼らは3日働くと休むという習慣があり、あともう少しでキャンプ2までのルートができるのだが、
「休むので降りる」と言われた。いくら単独とはいえ限界がある。荷揚げしつつ難しいルート工作をしている
この段階では、後方からの彼らのサポートが必要だ。仕方ないので彼らにあわせて僕もABCに下山することにした。

ソース

  • 日テレの栗城特設サイト跡地


参考

下山後、酸素ボンベを吸っている
https://al.ssl.dai2ntv.jp/blog/kuriki/2007/05/キャプチャ画像
5月 9日 ABCへ下山 みんな会いたかったよ!!
そして初めて酸素ボンベを使います。超楽しみです。
撮影隊用の余りの酸素ボンベなのですが、手足は暖かくなるし、
頭は冴えるみたいです。ちなみに酸素ボンベを業界用語で「神」というみたいです。
天国にいってきま~す。

7000m(C2?)まで撮影隊が上がっている
ダウラギリ遠征の副隊長である児玉毅氏の報告より
http://www.sossportswear.com/take/report1/ (魚拓とそのキャプチャ画像
通信機器、カメラなどのエンジニア兼カメラマンの石井さん。年齢は30歳。
東京農大探検部OB ということもあり、僻地の仕事を得意としている。
栗城隊では2006年のチョーオユー遠征に参加。そのとき、高所に弱い体質ながら、
標高7,000mのキャンプに2週間も滞在するという離れ業を演じた。

山頂手前では先行する他隊の後をずっとトレースしている (公式動画より)
霧の中で先行する他隊(韓国の呉銀善隊と思われる)を捉えると、その後を追随。山頂で待っていた彼らに祝福されるというオマケつき。
なお、ヒマラヤンデータベースによればこの日は前出の呉銀善の他にアルティオム・スコピン(カザフスタン)の登頂が認定されているが、動画だと山頂にいる先行者は3人。 後に登頂疑惑を醸す事になる呉銀善は単独を標榜しておらず、別の8000m峰の登頂では同行シェルパも認定されている為、同行者の隠蔽などは考え難い。

ちなみに国立登山研修所の「登山研修」vol.24では栗城隊の人数は「2名」とされている。


ヒマラヤンデータベース Cho Oyu Spring 2007 (Updated 1 March 2012)
http://www.himalayandatabase.com/2007%20Season%20Lists/2007%20Spring%20A1.html

国立登山研修所「登山研修」バックナンバー
http://naash.go.jp/tozanken/tabid/83/Default.aspx
「栗城隊の人数は2名」 Vol24 p79のキャプチャ画像 (画像クリックで拡大します)

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最終更新:2014年07月15日 02:41