人はいつでも間違うもの 大切なのはそれからの ◆o.lVkW7N.A
ドクンドクンドクンドクン。
鼓動が胸の奥で痛いほど大きく反響し、耳朶を潜って鼓膜に突き刺さった。
野比のび太は今、無力な、――そう余りにも無力な命を腕の中に抱え、人生最大の二択に悩まされている。
野比のび太は今、無力な、――そう余りにも無力な命を腕の中に抱え、人生最大の二択に悩まされている。
殺すか、殺さないか。
言葉にすればあんまりにも簡単で単純なその問いに、けれど彼は答えを出せずにいる。
悩んでいる。考えている。理科や算数や、難しい問題を考えるのは大の苦手なこの眼鏡の少年が。
彼は複雑なことを考えるのが嫌いだった。重要な選択を自分で選び取ることも、不得手だった。
テストのときはいつだって、秘密道具に頼るか、六角鉛筆を転がして出た目の通りにマスを埋めるか、だ。
そうやって、いつもいつものんびりだらだらと結論を先延ばしにして生きてきた。今までは。
けれどこの問題は、自分で答えを掴み取らなければならない類のものだ。
どちらを選ぶにせよ、決めるのは自分自身。誰かに決めてもらうことも、適当な何かに任せることも出来ない。
悩んでいる。考えている。理科や算数や、難しい問題を考えるのは大の苦手なこの眼鏡の少年が。
彼は複雑なことを考えるのが嫌いだった。重要な選択を自分で選び取ることも、不得手だった。
テストのときはいつだって、秘密道具に頼るか、六角鉛筆を転がして出た目の通りにマスを埋めるか、だ。
そうやって、いつもいつものんびりだらだらと結論を先延ばしにして生きてきた。今までは。
けれどこの問題は、自分で答えを掴み取らなければならない類のものだ。
どちらを選ぶにせよ、決めるのは自分自身。誰かに決めてもらうことも、適当な何かに任せることも出来ない。
……頭が、痛い。
もともと頭を使うのは不得意なほうだ。考え込むと、すぐに頭痛を起こす。
じんじんと側頭部を苛む重い偏頭痛は、更に思考を裁断し、分断する。まさに悪循環。
焦るな、慎重になれ、KOOLになるんだ。氷のようなKOOLさこそが、今は必要なんだ!
のび太は自分にそう言い聞かせ、伸ばした指先で頭をがしがしと掻き毟る。
そう暑くも無いのに汗がやたらと流れ落ち、背中をべたつかせて気分が悪い。
おまけに、さっきから目の前を飛び交っている薮蚊の羽音が妙に耳障りだ。苛立ちが膨らむ。
口腔内に纏わりついている粘っこい唾液を、空気の塊とともに無理やりごくんと飲み込む。
けれど口中のべっとりとした不快さは拭いきれず、のび太は舌打ちしてランドセルの中を漁った。
蓋を開けるのももどかしい、といった手つきでペットボトルを取り出して、中の水を一気に流し込む。
ボトルの中身は既に随分と生温くなっていたものの、喉を潤すには十分だった。
いや、十分なんてものではない。リリスから走って逃れ、裏山中を駆け回ったのび太は、本人が感じている以上に疲労していたのだ。
乾いた身体に染み込んでいく水分は、ただの飲料水どころか甘露のようだった。
スネ夫のうちでおやつに出されるアイスクリーム入りのメロンソーダだって、きっとこんなに美味しくはないだろう。
ごっくごっくと喉を鳴らしボトルの半分近くを飲み干して、漸くのび太はほっと人心地をつく。
じんじんと側頭部を苛む重い偏頭痛は、更に思考を裁断し、分断する。まさに悪循環。
焦るな、慎重になれ、KOOLになるんだ。氷のようなKOOLさこそが、今は必要なんだ!
のび太は自分にそう言い聞かせ、伸ばした指先で頭をがしがしと掻き毟る。
そう暑くも無いのに汗がやたらと流れ落ち、背中をべたつかせて気分が悪い。
おまけに、さっきから目の前を飛び交っている薮蚊の羽音が妙に耳障りだ。苛立ちが膨らむ。
口腔内に纏わりついている粘っこい唾液を、空気の塊とともに無理やりごくんと飲み込む。
けれど口中のべっとりとした不快さは拭いきれず、のび太は舌打ちしてランドセルの中を漁った。
蓋を開けるのももどかしい、といった手つきでペットボトルを取り出して、中の水を一気に流し込む。
ボトルの中身は既に随分と生温くなっていたものの、喉を潤すには十分だった。
いや、十分なんてものではない。リリスから走って逃れ、裏山中を駆け回ったのび太は、本人が感じている以上に疲労していたのだ。
乾いた身体に染み込んでいく水分は、ただの飲料水どころか甘露のようだった。
スネ夫のうちでおやつに出されるアイスクリーム入りのメロンソーダだって、きっとこんなに美味しくはないだろう。
ごっくごっくと喉を鳴らしボトルの半分近くを飲み干して、漸くのび太はほっと人心地をつく。
「た~た~」
泣き声交じりにズボンの裾を引っ張られ、すっかり頭から抜けていたひまわりのことを思い出す。
声のした先に視線をやれば、ひまわりは「じぶんにもくれ」と言いたげに口をぷぅっと膨らませていた。
恐らくひまわりも喉が渇いているのだろう。
彼の手にあるペットボトルを羨ましそうに見上げて、両手をばたばたと振り上げている。
声のした先に視線をやれば、ひまわりは「じぶんにもくれ」と言いたげに口をぷぅっと膨らませていた。
恐らくひまわりも喉が渇いているのだろう。
彼の手にあるペットボトルを羨ましそうに見上げて、両手をばたばたと振り上げている。
「だ、駄目だよ。これ、僕んなんだからね!!」
正確にはのび太本人の物ではなく、グリーンから譲ってもらった品なのだが構わない。
ひまわりの届かない高さまでペットボトルを持ち上げると、幼児相手に舌を出してあっかんべーをしてみせる。
ひまわりの届かない高さまでペットボトルを持ち上げると、幼児相手に舌を出してあっかんべーをしてみせる。
「絶対に駄~目っ!!」
「あうーっ」
「あうーっ」
その仕草に癇癪玉が爆発したかのように怒って、ひまわりは尚も手足を振り上げた。
紅葉のように小さな掌でぱたぱたとのび太の腿を叩くものの、当の相手はどこ吹く風だ。
だが、ひまわりはそれしきのことで諦めるほどやわな赤ん坊ではない。
一見普通の健康優良児にしか見えない彼女は、実の所、家族ともども何度も世界を救っているスーパーな赤ちゃんなのだ。
そんな彼女にとって運動音痴の小学五年生など、そうそう手強い相手ではなかった。
紅葉のように小さな掌でぱたぱたとのび太の腿を叩くものの、当の相手はどこ吹く風だ。
だが、ひまわりはそれしきのことで諦めるほどやわな赤ん坊ではない。
一見普通の健康優良児にしか見えない彼女は、実の所、家族ともども何度も世界を救っているスーパーな赤ちゃんなのだ。
そんな彼女にとって運動音痴の小学五年生など、そうそう手強い相手ではなかった。
「た~、ううっ!」
ひまわりはのび太にちょこちょこと近付くと、グラブから出ている指先で器用に彼のシャツを鷲掴んだ。
コアラのようにぎゅっと抱きつき、全身を芋虫さながらに蠕動させてのび太の身体をよじ登る。
突然の行動に驚いた彼が振り払おうとするも、しがみ付く腕力は予想以上に強く、容易には引き剥がせない。
そのまま虚をついて短い両手を精一杯に伸ばし、のび太の掲げているボトルを奪い取る。
突然のことに目を白黒させている相手を無視して、まだ蓋が開けっ放しだったそれを身体ごと両手で抱え込んだ。
コアラのようにぎゅっと抱きつき、全身を芋虫さながらに蠕動させてのび太の身体をよじ登る。
突然の行動に驚いた彼が振り払おうとするも、しがみ付く腕力は予想以上に強く、容易には引き剥がせない。
そのまま虚をついて短い両手を精一杯に伸ばし、のび太の掲げているボトルを奪い取る。
突然のことに目を白黒させている相手を無視して、まだ蓋が開けっ放しだったそれを身体ごと両手で抱え込んだ。
とはいえ対するのび太も流石に、幼児にやられっぱなしで平気なほど鈍い人間ではない。
慌てて立ち上がり、ひまわりの手には少々余るサイズのボトルを再びひったくり返す。
う~う~唸っているひまわりには構わず念入りに硬く蓋を閉め、ランドセルの奥底へボトルを放り入れた。
慌てて立ち上がり、ひまわりの手には少々余るサイズのボトルを再びひったくり返す。
う~う~唸っているひまわりには構わず念入りに硬く蓋を閉め、ランドセルの奥底へボトルを放り入れた。
「あげないよ!」
「あぅあ~っ!!」
「うるさいな、駄目だって言ってるだろっ!」
「あぅあ~っ!!」
「うるさいな、駄目だって言ってるだろっ!」
ひまわりへ叫ぶのび太の言葉の端々に、先刻同様苛立ちが見え隠れし始める。
先ほどは先延ばしにしていた答えを選択するときが、ついにやってきたのかもしれない。
顔を真っ赤にして怒気を含んだ台詞を放ちながら、彼は苛々とひまわりを見据えて再び自問自答する。
先ほどは先延ばしにしていた答えを選択するときが、ついにやってきたのかもしれない。
顔を真っ赤にして怒気を含んだ台詞を放ちながら、彼は苛々とひまわりを見据えて再び自問自答する。
殺すか、殺さないか。
目の前には、軟語を喚きながらぶんぶんと両腕を回して自己主張する、ひまわりがいる。
何の役にも立たない、自分一人では身を守ることすら不可能な、小さくて柔らかい命の塊。
それでもこの殺し合いの中では確かな参加者として一人前に扱われ、殺せば『ご褒美』へと一歩近付ける命の塊。
のび太は眼前のひまわりと視線を合わせ、ごくりと固唾を飲み込んだ。
さっき水でべたつきを洗い流したばかりの筈なのに喉は苦しく、やたら痰が引っかかった。
胸元に手を当て、とくとくと鳴り響く鼓動のうるささを抑え込む。
ぴんと張り詰めた静寂の中、その音は実際以上に大きく聞こえていた。
何の役にも立たない、自分一人では身を守ることすら不可能な、小さくて柔らかい命の塊。
それでもこの殺し合いの中では確かな参加者として一人前に扱われ、殺せば『ご褒美』へと一歩近付ける命の塊。
のび太は眼前のひまわりと視線を合わせ、ごくりと固唾を飲み込んだ。
さっき水でべたつきを洗い流したばかりの筈なのに喉は苦しく、やたら痰が引っかかった。
胸元に手を当て、とくとくと鳴り響く鼓動のうるささを抑え込む。
ぴんと張り詰めた静寂の中、その音は実際以上に大きく聞こえていた。
……赤ちゃんなんて、大っ嫌いだ。
うるさいし、わがままばーっかりだし、自分じゃ何にもできない足手纏いだし。
今も僕の大切な水を取ろうとしたし、これからだってきっとこの子がいたら邪魔になるはずだ。
うるさいし、わがままばーっかりだし、自分じゃ何にもできない足手纏いだし。
今も僕の大切な水を取ろうとしたし、これからだってきっとこの子がいたら邪魔になるはずだ。
のび太は自分自身にそう言い聞かせる。
おそらく彼の中で、答えはもう決まっているのだ。二者のどちらを選ぶのか、その回答が。
だから後は無理やりに、そのゴールへ繋がる道筋を、結果へ繋がる過程を考えているだけ。
おそらく彼の中で、答えはもう決まっているのだ。二者のどちらを選ぶのか、その回答が。
だから後は無理やりに、そのゴールへ繋がる道筋を、結果へ繋がる過程を考えているだけ。
「それに、……それにこれ以上泣かれたら、僕まで誰か怖い相手に見つかっちゃうかもしれないし。
ひまわりがいたら、走って逃げることだってできないし。だから……、だから今僕がここで殺してやる!!」
ひまわりがいたら、走って逃げることだってできないし。だから……、だから今僕がここで殺してやる!!」
のび太は眼下のひまわりをねめつけて宣言すると、肺の奥深くまで大きく酸素を取り込んだ。
心を落ち着かせるため、二度三度とゆっくり深呼吸を重ねる。
恐怖で震える指先を伸ばし、傍らに落ちていた手頃なサイズの石を拾い上げた。
振り上げたときにすっぽ抜けないよう強く握り締めると、ゴツゴツした感触が掌全体を襲う。
尖った底部が掌中に食い込み、刺すような痛みがした。その鈍痛に、のび太はふと考える。
心を落ち着かせるため、二度三度とゆっくり深呼吸を重ねる。
恐怖で震える指先を伸ばし、傍らに落ちていた手頃なサイズの石を拾い上げた。
振り上げたときにすっぽ抜けないよう強く握り締めると、ゴツゴツした感触が掌全体を襲う。
尖った底部が掌中に食い込み、刺すような痛みがした。その鈍痛に、のび太はふと考える。
……これだけでこんなに痛いんじゃ、一体殴ったらどのくらい痛いんだろう。
きっと、ジャイアンの拳骨より痛いよね。ママにお仕置きでお尻を叩かれるのよりも痛いよね。
落とし穴に落ちるのより、ラジコンで小突かれるのより、ずっとずっとずっと痛いよね。苦しいよね。
きっと、ジャイアンの拳骨より痛いよね。ママにお仕置きでお尻を叩かれるのよりも痛いよね。
落とし穴に落ちるのより、ラジコンで小突かれるのより、ずっとずっとずっと痛いよね。苦しいよね。
そう分かってはいても、今ののび太に自身の行いを止めるすべは無かった。
のび太は手にした石塊を振り上げ、未だあうあう呟いているひまわりに狙いを定めた。
外すことなど、到底ありえない距離だ。おまけに相手はただの赤ん坊。
しくじることの方が難しかった。否、その筈だった。
しかしのび太の予想に反し、彼の振りかぶった石がひまわりの頭部へと到達することは無かった。
幼児の脳天めがけて振り下ろされたその石は、瞬間、彼女の周囲に発生した力場によって遮られ、破砕した。
ひまわりはなにも、考えて回避行動をとったわけではない。
ただ本能的な恐れを感じて、両の握り拳で頭を庇っただけに過ぎない。
だが握り締めた拳は特殊な技術により力となって具現化され、そこに現出したのだ。
のび太は手にした石塊を振り上げ、未だあうあう呟いているひまわりに狙いを定めた。
外すことなど、到底ありえない距離だ。おまけに相手はただの赤ん坊。
しくじることの方が難しかった。否、その筈だった。
しかしのび太の予想に反し、彼の振りかぶった石がひまわりの頭部へと到達することは無かった。
幼児の脳天めがけて振り下ろされたその石は、瞬間、彼女の周囲に発生した力場によって遮られ、破砕した。
ひまわりはなにも、考えて回避行動をとったわけではない。
ただ本能的な恐れを感じて、両の握り拳で頭を庇っただけに過ぎない。
だが握り締めた拳は特殊な技術により力となって具現化され、そこに現出したのだ。
――巨大な盾と同等の力を誇る、素晴らしく堅牢な防御壁として。
ひまわりの装着している手袋は、ただの手袋ではない。
ガードグラブと名付けられたそれは、握り締めるだけで強固な力場を作り出し盾代わりの役目を果たす代物だ。
使用法も使用意図も、実に単純にして明快。だがそれ故、乳児のひまわりにも感覚的に使いこなせる!
ガードグラブと名付けられたそれは、握り締めるだけで強固な力場を作り出し盾代わりの役目を果たす代物だ。
使用法も使用意図も、実に単純にして明快。だがそれ故、乳児のひまわりにも感覚的に使いこなせる!
「た~っ!!」
ひまわりは周囲の力場を継続させたまま、高速のはいはいでのび太へと突進した。
身を守る、という概念くらい乳児にだって存在する。
むしろ言葉も喋れないような幼子のほうが、他者から放たれる悪意には敏感だ。
ひまわりは、のび太の全身を覆っている殺気にしっかり反応し、そして判断した。『このおにいさんは敵だ』と。
身を守る、という概念くらい乳児にだって存在する。
むしろ言葉も喋れないような幼子のほうが、他者から放たれる悪意には敏感だ。
ひまわりは、のび太の全身を覆っている殺気にしっかり反応し、そして判断した。『このおにいさんは敵だ』と。
だからひまわりは反撃に転じた。
――拳を、一段強く固める。
――拳を、一段強く固める。
己の一撃を防御されたのび太は、未だ驚愕から覚めやらない。あまりの驚きで、呆気に取られていた。
ずんずんと接近してくるひまわりに対処することもできず、その場に立ち尽くすままだ。
その間にひまわりは容赦なくのび太の股座に突っ込むと、脛を狙ってグラブの嵌められた両手を叩きつけた。
単なる赤子の一撃と甘く見てはいけない。周辺に力場を纏わせた拳は、破壊力に長けた十分な戦闘武器だ。
最高の守備は最高の攻撃だ、という言葉がある。だとするなら、最強の盾はある意味で最強の矛だ。
強力な力場を備えたひまわりの両拳もまた、それそのものが一対の矛に匹敵する威力を備えていた。
足元を崩され、のび太の身体が後方へぐらりと大きく傾ぐ。その隙を無駄にせず、ひまわりは更に二打、三打と追撃。
のび太は足を踏ん張ってその衝撃に耐えようとするものの、時を空けずに繰り出される数度の打撃は堪え切れるものではない
膝がすとんと地面へ向けて引っ張られるのを感じると同時に、彼は背中から草の間へ激しく倒れ込んだ。
ずんずんと接近してくるひまわりに対処することもできず、その場に立ち尽くすままだ。
その間にひまわりは容赦なくのび太の股座に突っ込むと、脛を狙ってグラブの嵌められた両手を叩きつけた。
単なる赤子の一撃と甘く見てはいけない。周辺に力場を纏わせた拳は、破壊力に長けた十分な戦闘武器だ。
最高の守備は最高の攻撃だ、という言葉がある。だとするなら、最強の盾はある意味で最強の矛だ。
強力な力場を備えたひまわりの両拳もまた、それそのものが一対の矛に匹敵する威力を備えていた。
足元を崩され、のび太の身体が後方へぐらりと大きく傾ぐ。その隙を無駄にせず、ひまわりは更に二打、三打と追撃。
のび太は足を踏ん張ってその衝撃に耐えようとするものの、時を空けずに繰り出される数度の打撃は堪え切れるものではない
膝がすとんと地面へ向けて引っ張られるのを感じると同時に、彼は背中から草の間へ激しく倒れ込んだ。
「くそっ……、何で赤ちゃんなんかに……」
のび太は苛立ちに顔を歪め、足に力を込めてよろよろと立ち上がる。
辺りに散乱している小石を掴んでかき集め、めったやたらにひまわりへと投げつけた。
しかし相手は、何の労苦もなくこれを全弾回避。
その行動がますます頭へ血を上らせ、のび太は大股でひまわりへ走り寄ろうとする。
血走った目でひまわりを見据えるその顔は、まさに子供を追い詰める悪役といった感じだ。
迫るのび太の鬼気迫る表情に、だがひまわりは怯えることなく果敢に対応する。
タイミングを見計らい、走る相手の脚の間を得意のはいはいですり抜ける。
まるで冗談のような綺麗さで股を潜り抜けると、くるりと片腕を軸にして真反対に方向転換。
目の前にある大きな背中を押し倒すようにして、背後から再びガードグラブでの殴打を与える。
確かな手ごたえを感じ、ひまわりはほっと息を吐いた。
自身の前進する勢いに背中を押された衝撃が加わり、のび太はまたしても地面へつんのめった。
同時に、先ほどのび太自身がばら撒いた石に足を取られ、ごろごろと地面を転がる。
バランスを崩し、完全に仰向けになった身体を起こそうと、のび太が身を捩じらせる。
しかしひまわりはそれに目もくれず、今のうちにと急いでその場を走り去った。
何もひまわりだって、のび太の息の根を止めたいわけではないのだ。
ただ自分の安全が確保できれば、この場から逃げ出せればそれでよい。
ひまわりは、一秒でも早くグリーンの元へ戻りたいという焦燥を胸に、できる限りのスピードで地面を這った。
……もっとも、「してやったり」という達成感が全く無かったと言えば、嘘になるが。
土が黄色のベビー服をあちこち汚し、突き出している小枝や草葉がチクチクと手指を刺す。
汚いし、痛い。お漏らししたまま替えてもらっていないオムツも、むずむずして気持ち悪い。
けれどひまわりはそんなことに構っている余裕などなかった。
手足を這い動かし黙々と、グリーンと別れた森林部を目指す。
辺りに散乱している小石を掴んでかき集め、めったやたらにひまわりへと投げつけた。
しかし相手は、何の労苦もなくこれを全弾回避。
その行動がますます頭へ血を上らせ、のび太は大股でひまわりへ走り寄ろうとする。
血走った目でひまわりを見据えるその顔は、まさに子供を追い詰める悪役といった感じだ。
迫るのび太の鬼気迫る表情に、だがひまわりは怯えることなく果敢に対応する。
タイミングを見計らい、走る相手の脚の間を得意のはいはいですり抜ける。
まるで冗談のような綺麗さで股を潜り抜けると、くるりと片腕を軸にして真反対に方向転換。
目の前にある大きな背中を押し倒すようにして、背後から再びガードグラブでの殴打を与える。
確かな手ごたえを感じ、ひまわりはほっと息を吐いた。
自身の前進する勢いに背中を押された衝撃が加わり、のび太はまたしても地面へつんのめった。
同時に、先ほどのび太自身がばら撒いた石に足を取られ、ごろごろと地面を転がる。
バランスを崩し、完全に仰向けになった身体を起こそうと、のび太が身を捩じらせる。
しかしひまわりはそれに目もくれず、今のうちにと急いでその場を走り去った。
何もひまわりだって、のび太の息の根を止めたいわけではないのだ。
ただ自分の安全が確保できれば、この場から逃げ出せればそれでよい。
ひまわりは、一秒でも早くグリーンの元へ戻りたいという焦燥を胸に、できる限りのスピードで地面を這った。
……もっとも、「してやったり」という達成感が全く無かったと言えば、嘘になるが。
土が黄色のベビー服をあちこち汚し、突き出している小枝や草葉がチクチクと手指を刺す。
汚いし、痛い。お漏らししたまま替えてもらっていないオムツも、むずむずして気持ち悪い。
けれどひまわりはそんなことに構っている余裕などなかった。
手足を這い動かし黙々と、グリーンと別れた森林部を目指す。
(おにいさん、どこ……?)
求める相手が、いまや別の女にメロメロなことを、ひまわりはまだ知らない。
彼女のためなら死んでもいいと、殺しても殺されてもいいとすら思っていることを、ひまわりはまだ知らない。
きっとその事実を知れば、彼女は泣き喚くことだろう。――――悲しみで? いいや、嫉妬で。
何せ、どんなに幼くとも彼女は一人前のレディーなのだから。ジェラシーを感じて、当然だ。
彼女のためなら死んでもいいと、殺しても殺されてもいいとすら思っていることを、ひまわりはまだ知らない。
きっとその事実を知れば、彼女は泣き喚くことだろう。――――悲しみで? いいや、嫉妬で。
何せ、どんなに幼くとも彼女は一人前のレディーなのだから。ジェラシーを感じて、当然だ。
* * *
イエローが手を組んだので、リルルも同様に手を組んだ。
イエローが目を瞑ったので、リルルも同様に目を瞑った。
イエローが「おやすみなさい」と呟いたので、リルルも同様に「おやすみなさい」と呟いた。
イエローが目を瞑ったので、リルルも同様に目を瞑った。
イエローが「おやすみなさい」と呟いたので、リルルも同様に「おやすみなさい」と呟いた。
イエローに強制的に服を着させられた後、(リルルは必要ないと言い張ったが、イエローに怒られて仕方なく袖を通した)
レッドの埋葬を手伝ったリルルは、今、彼のために祈っていた。
レッドの埋葬を手伝ったリルルは、今、彼のために祈っていた。
リルルにも、『祈る』という概念はあった。神や天国、天使の存在を信じてすらいた。
メカトピアにも宗教はある。神は強欲で我侭な人間をお見捨てになり、アムとイムという始祖のロボットを作られたのだ。
神は人間の代わりに天国のような世界を創るよう、自身の作ったロボットに命令なさった。
――それから数万年の時が経ち、ロボットは確かに天国のような世界を築き上げた。
支配する者もされる者もいない、貴族ロボットも奴隷ロボットもない、夢のように平和な世界だ。
すべてのロボットは平等だ。世界ロボット権宣言でもそれは語られ、広く承認されている。
曰く、『すべてのロボットは、作られながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である』と。
なんて素晴らしい、ロボット社会。欲にまみれ互いに殺し合ってばかりの人間とは、天と地ほどの格差がある。
人間は、ロボットのために奉仕するべきであり、労働するべきであり、支配されるべきだ。
だって彼らはロボットの道具であって、 ロボットが人間を自由にする行為は悪いことではない筈で。
メカトピアにも宗教はある。神は強欲で我侭な人間をお見捨てになり、アムとイムという始祖のロボットを作られたのだ。
神は人間の代わりに天国のような世界を創るよう、自身の作ったロボットに命令なさった。
――それから数万年の時が経ち、ロボットは確かに天国のような世界を築き上げた。
支配する者もされる者もいない、貴族ロボットも奴隷ロボットもない、夢のように平和な世界だ。
すべてのロボットは平等だ。世界ロボット権宣言でもそれは語られ、広く承認されている。
曰く、『すべてのロボットは、作られながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である』と。
なんて素晴らしい、ロボット社会。欲にまみれ互いに殺し合ってばかりの人間とは、天と地ほどの格差がある。
人間は、ロボットのために奉仕するべきであり、労働するべきであり、支配されるべきだ。
だって彼らはロボットの道具であって、 ロボットが人間を自由にする行為は悪いことではない筈で。
……その筈なのに、ほんの少し前まで確信していた想いが揺らぐ。
人間には『こころ』があると言う。『人を思いやる気持ち』があるのだと。
……『こころ』とは何なのだろう。それは、そんなにも素晴らしいものなのか。人間だけに備わっているのだろうか。
『こころ』を有する人間は、ロボットよりも優れた存在なのだろうか?
自身の脳裏を過ぎるその考えを、一概にただのエラーだと切り捨てられない。
桜の下で交わしたサトシとの会話を、先ほど自分を癒そうとした少女の呟きを思い出す。
彼らには、他者の痛みを感じそれを想うことのできる精神があった。
けれど、人間にそんな感情が備わっているだなんて、リルルには疑わしい。そんなの聞いたことも、考えたこともなかった。
何故ならそれらは、メカトピアでは教えられることのなかった知識だからだ。
ロボットこそが万物の長であり、絶対的な君主であるとの思想が当然のこととしてまかり通る祖国。
そこで徹底的に植え付けられた人間への不信感や優越感。
だがリルルの思考回路に錆のようにこびり付いたそれらの常識は、今や少しずつ剥がれ出していた。
それが良い兆候なのか悪い兆候なのかも分からず、リルルは少し恐くなった。
彼女は瞳を開き、隣で膝を折る少女をちらりと横目で確認する。
粛々とした空気を纏わせた彼女は、その視線に反応するかのように両の目蓋を持ち上げる。
僅かにしっとりと濡れた長い睫毛が、呼応するように軽く揺れた。
……『こころ』とは何なのだろう。それは、そんなにも素晴らしいものなのか。人間だけに備わっているのだろうか。
『こころ』を有する人間は、ロボットよりも優れた存在なのだろうか?
自身の脳裏を過ぎるその考えを、一概にただのエラーだと切り捨てられない。
桜の下で交わしたサトシとの会話を、先ほど自分を癒そうとした少女の呟きを思い出す。
彼らには、他者の痛みを感じそれを想うことのできる精神があった。
けれど、人間にそんな感情が備わっているだなんて、リルルには疑わしい。そんなの聞いたことも、考えたこともなかった。
何故ならそれらは、メカトピアでは教えられることのなかった知識だからだ。
ロボットこそが万物の長であり、絶対的な君主であるとの思想が当然のこととしてまかり通る祖国。
そこで徹底的に植え付けられた人間への不信感や優越感。
だがリルルの思考回路に錆のようにこびり付いたそれらの常識は、今や少しずつ剥がれ出していた。
それが良い兆候なのか悪い兆候なのかも分からず、リルルは少し恐くなった。
彼女は瞳を開き、隣で膝を折る少女をちらりと横目で確認する。
粛々とした空気を纏わせた彼女は、その視線に反応するかのように両の目蓋を持ち上げる。
僅かにしっとりと濡れた長い睫毛が、呼応するように軽く揺れた。
「ありがとう、……きっと、レッドさんも喜んでくれるよ」
リルルはその言葉に無言で小首を頷かせ、肯定の意を示す。そんな自分の反応が、彼女には不思議だった。
きっとこの殺し合いが始まった当初の彼女なら、『喜ぶ? 彼はもうモノでしかないのに』とでも答えていたことだろう。
けれど今のリルルは、どうしてかその台詞を口にすることが出来なかった。
彼女は今まさに自分に訪れている変化に戸惑いを隠せず、その正直な気持ちの丈をイエローにぶつけた。
きっとこの殺し合いが始まった当初の彼女なら、『喜ぶ? 彼はもうモノでしかないのに』とでも答えていたことだろう。
けれど今のリルルは、どうしてかその台詞を口にすることが出来なかった。
彼女は今まさに自分に訪れている変化に戸惑いを隠せず、その正直な気持ちの丈をイエローにぶつけた。
「私、自分の中の知識が信じられなくなりそう」
「……どうして?」
「人間は強欲で残忍で身勝手な生物だって、私、ずっと教えられて生きてきたわ。だからこそ、奴隷になっても仕方がないって。
……でも、私が今まで会った人間は皆、そんな性格には思えないの。のび太さんやサトシさん、それにあなたも。
ねえ、教えてちょうだい。一体、どっちが人間の本当の姿なの? 何が真実なの?」
「……どうして?」
「人間は強欲で残忍で身勝手な生物だって、私、ずっと教えられて生きてきたわ。だからこそ、奴隷になっても仕方がないって。
……でも、私が今まで会った人間は皆、そんな性格には思えないの。のび太さんやサトシさん、それにあなたも。
ねえ、教えてちょうだい。一体、どっちが人間の本当の姿なの? 何が真実なの?」
そう言ったリルルの声は、切実だった。彼女は、まるで縋るようにイエローを見つめて尋ねる。
その視線に射竦められ、イエローもまた、胸から搾り出したように困惑した声で答えた。
その視線に射竦められ、イエローもまた、胸から搾り出したように困惑した声で答えた。
「……確かに人間は、我侭だったり欲張りだったりすることもあるよ。
ポケモンをお金儲けのために使ったり、自分の気晴らしのために虐めたりするような酷い人も、中にはいる。
だから、キミが今まで教えられてきたことは多分、そんなに間違ってないと思う。
だけど……、そうじゃない人だって、いっぱいいっぱいいるんだ。
優しくて、あったかくて、誰かのために自分を犠牲にできるような人も、いっぱいいっぱいいるんだよ」
ポケモンをお金儲けのために使ったり、自分の気晴らしのために虐めたりするような酷い人も、中にはいる。
だから、キミが今まで教えられてきたことは多分、そんなに間違ってないと思う。
だけど……、そうじゃない人だって、いっぱいいっぱいいるんだ。
優しくて、あったかくて、誰かのために自分を犠牲にできるような人も、いっぱいいっぱいいるんだよ」
イエローは、自分自身に言い聞かせるように語る。
強欲だったり、残忍だったり、身勝手だったり。そういう人がたくさん存在することを、イエローは知っている。
それでも決して、全ての人間がそうな訳ではない。世界にはきっと、純粋な人も大勢いる。
この殺戮の舞台の中で、後者に当てはまる人間がどれだけいるのか、イエローには判断できない。
強欲だったり、残忍だったり、身勝手だったり。そういう人がたくさん存在することを、イエローは知っている。
それでも決して、全ての人間がそうな訳ではない。世界にはきっと、純粋な人も大勢いる。
この殺戮の舞台の中で、後者に当てはまる人間がどれだけいるのか、イエローには判断できない。
もしかしたらほんの数人しか、そんなお人よしはこの場にいないのかもしれない。
軽々しく『人間は皆、善良だ』なんてことは到底言えない。けれどせめて、目の前の彼女には知っていてほしい。
軽々しく『人間は皆、善良だ』なんてことは到底言えない。けれどせめて、目の前の彼女には知っていてほしい。
「そういう人が、人間の中には、確かにいるよ」
無力な者の庇護と友人の無事を願って死んでいった、優しい城戸丈のような人。
己の危険も顧みずイエローを戦場から逃がした、強いベルカナのような人。
そんな彼らの存在を、彼女には知っていてほしい。
そして、もし出来るなら――――。
己の危険も顧みずイエローを戦場から逃がした、強いベルカナのような人。
そんな彼らの存在を、彼女には知っていてほしい。
そして、もし出来るなら――――。
「そして、もしキミがそんな人間に逢えたなら、まずはその人と友達になってみてほしい。
その人と色々話して、付き合ってみて、人間がそう悪いものじゃないって、分かってほしいんだ」
「友達……」
その人と色々話して、付き合ってみて、人間がそう悪いものじゃないって、分かってほしいんだ」
「友達……」
リルルは、イエローの言葉を完全に理解してはいないのかもしれなかった。
彼女が反復した『友達』という単語は、まるで片仮名で書かれた『トモダチ』という別の言葉のように、イエローには聞こえた。
彼女が反復した『友達』という単語は、まるで片仮名で書かれた『トモダチ』という別の言葉のように、イエローには聞こえた。
「うん、『友達』。友達っていうのは、うーん……。そう、相手のために、泣いてくれる人、かな」
「私のために、泣いてくれる……? それが、友達の定義なの?」
「定義だなんて、そんな難しいことじゃないよ。ただ、今ボクが思いついただけだから」
「そう……」
「私のために、泣いてくれる……? それが、友達の定義なの?」
「定義だなんて、そんな難しいことじゃないよ。ただ、今ボクが思いついただけだから」
「そう……」
リルルは、イエローに語られた内容について考え込んでいるようだった。
表情そのものに大きな変化は無かったが、前髪で見え隠れる眉間に少しだけ皺が寄っている。
その様子に「これでよかったのかな?」と思いながら、イエローは彼女へ告げた。
表情そのものに大きな変化は無かったが、前髪で見え隠れる眉間に少しだけ皺が寄っている。
その様子に「これでよかったのかな?」と思いながら、イエローは彼女へ告げた。
「ボク、あの子のお墓を作りに行くよ」
「……さっきあなたが言っていた、あなたが壊してしまった相手?」
「うん」
「……さっきあなたが言っていた、あなたが壊してしまった相手?」
「うん」
イエローは、心に苦しいものを覚えながらも、真っ直ぐな瞳で肯定する。
自分の罪から目を逸らしてはいけないと思った。見なかったことにして進んでは、いけないと思った。
それに真っ向から向かい合うことが、彼女へのせめてもの償いになるのだろうと。
その言葉にリルルはしばし思案すると、イエローを伺うような声音でぽつりと漏らした。
自分の罪から目を逸らしてはいけないと思った。見なかったことにして進んでは、いけないと思った。
それに真っ向から向かい合うことが、彼女へのせめてもの償いになるのだろうと。
その言葉にリルルはしばし思案すると、イエローを伺うような声音でぽつりと漏らした。
「……私も、ついて行っていいかしら」
* * *
拾った太い枝を地面に突き刺して、ざくざくと深い穴を掘った。
ろくな道具もなしに人一人入れるだけの穴を独力で堀り上げるのは、なかなかの重労働だ。
ネスは垂れ落ちる汗を掌で拭いながら、それでも一人、無言で墓を掘っていた。
自分に出来ることは限られていた。絶対の信頼を寄せていたPSIも、今はまともに作用しない。
己の腕の中で徐々に弱っていく少女の前で、彼は、何一つ彼女にしてやれなかったのだ。
ろくな道具もなしに人一人入れるだけの穴を独力で堀り上げるのは、なかなかの重労働だ。
ネスは垂れ落ちる汗を掌で拭いながら、それでも一人、無言で墓を掘っていた。
自分に出来ることは限られていた。絶対の信頼を寄せていたPSIも、今はまともに作用しない。
己の腕の中で徐々に弱っていく少女の前で、彼は、何一つ彼女にしてやれなかったのだ。
「僕は、何も出来なかった」
そう口中で呟いて、重い息を吐いた。それは決して、疲労だけのせいではなかった
自身の無力さに嫌気がさす。その苛立ちをぶつけるように、手にした枝を力一杯大地に突き刺した。
垂直に突き立てられたそれを目の端に留めながら、ネスは先刻見た彼女の最期を思い出す。
「……白い女の子……、あたしの大事なひとのカタキ……」そう言葉を遺して、彼女は逝った。
そして切れ切れな声で、自分を見上げ縋るように頼んだ。「おねがい、やっつけて」と。
自分が彼女にしてあげられたことは、ひとつも無かった。けれど、これから『してあげられる』ことはある。
ネスは、決意していた。彼女の仇を打とうと。
自分と彼女は本来友人でも何でもなく、ただ偶然死に際に居合わせただけの関係だ。
けれどそれはネスにとって、『ただそれだけ』と冷静に割り切れるようなものではなかった。
だから彼は、その行為の実行を心に決める。
自分の目の前で死んでいった少女の、せめて最期の望みを果たしてやりたいと、そう思った。
手がかりは、ゼロに等しい。そもそも『白い女の子』の指す意味が、よく分からない。
肌が? 髪が? 服が? 一体何が『白い』のか、どう『白い』のか、彼女の末期の言葉に、ヒントは皆無。
自身の無力さに嫌気がさす。その苛立ちをぶつけるように、手にした枝を力一杯大地に突き刺した。
垂直に突き立てられたそれを目の端に留めながら、ネスは先刻見た彼女の最期を思い出す。
「……白い女の子……、あたしの大事なひとのカタキ……」そう言葉を遺して、彼女は逝った。
そして切れ切れな声で、自分を見上げ縋るように頼んだ。「おねがい、やっつけて」と。
自分が彼女にしてあげられたことは、ひとつも無かった。けれど、これから『してあげられる』ことはある。
ネスは、決意していた。彼女の仇を打とうと。
自分と彼女は本来友人でも何でもなく、ただ偶然死に際に居合わせただけの関係だ。
けれどそれはネスにとって、『ただそれだけ』と冷静に割り切れるようなものではなかった。
だから彼は、その行為の実行を心に決める。
自分の目の前で死んでいった少女の、せめて最期の望みを果たしてやりたいと、そう思った。
手がかりは、ゼロに等しい。そもそも『白い女の子』の指す意味が、よく分からない。
肌が? 髪が? 服が? 一体何が『白い』のか、どう『白い』のか、彼女の末期の言葉に、ヒントは皆無。
そもそもこの広い島のどこにいるかも不明なその『彼女』と、どうすれば遭遇できるのだろう。
少女の願いを叶えることの難関さ、クリアしなければならない課題の多さを改めて感じる。
問題は、今もって全くのところ山積みだった。
少女の願いを叶えることの難関さ、クリアしなければならない課題の多さを改めて感じる。
問題は、今もって全くのところ山積みだった。
「だけど、きっとやってみせる。……せめて一つくらい、君に何かしてあげたいから」
ネスは傍らに横たわっている少女に視線を移し、そう口にした。
当然ながら返事などしない彼女に「きっとだよ」と念を押して、彼は墓穴掘りを再開した。
漸く形だけは何とかなった穴の中へ少女の遺体を安置しようと、脇の間に手を入れて抱きかかえる。
自分と同じくらいの体格をしている筈の彼女の体は何だかやたら軽くて、きっと魂が抜けてしまったからだろうなと思った。
ネスは掘り終わったばかりの土穴に彼女を横たえようとして、しかしふとその手を止めた。
腕の中の彼女と、目が合った気がしたからだった。どくん、と心臓の音が大きくなる。
こちらを見上げる少女の瞳に恨みがましいところは無く、死者の怨念のようなおどろおどろしいものは感じなかった。
どちらかといえば彼女は、眠っているように穏やかな表情でネスに語りかけている風に見えた。
その視線から瞳を逸らすことなく、想いをしっかと受け取る。無言で頷いて、指先に力を込めた。
当然ながら返事などしない彼女に「きっとだよ」と念を押して、彼は墓穴掘りを再開した。
漸く形だけは何とかなった穴の中へ少女の遺体を安置しようと、脇の間に手を入れて抱きかかえる。
自分と同じくらいの体格をしている筈の彼女の体は何だかやたら軽くて、きっと魂が抜けてしまったからだろうなと思った。
ネスは掘り終わったばかりの土穴に彼女を横たえようとして、しかしふとその手を止めた。
腕の中の彼女と、目が合った気がしたからだった。どくん、と心臓の音が大きくなる。
こちらを見上げる少女の瞳に恨みがましいところは無く、死者の怨念のようなおどろおどろしいものは感じなかった。
どちらかといえば彼女は、眠っているように穏やかな表情でネスに語りかけている風に見えた。
その視線から瞳を逸らすことなく、想いをしっかと受け取る。無言で頷いて、指先に力を込めた。
* * *
「……構わないけれど、どうして?」
「理由なんて、分からないわ」
「理由なんて、分からないわ」
リルルは、そういえばさっきも同じ台詞を言った気がするな、と思いながらそう告げた。
実際、理由なんて自分でもよく分かっていなかった。しいて挙げるなら、彼女に対して興味を持ったのだ。
彼女にとって、先ほどのイエローの言葉は衝撃的だった。
人間の過ちを認め、弱い部分を認めたうえで、それでもなお、良い人間はいるのだと彼女は言った。
それはサトシさんやのび太さんのことなのだろうか。或いは、この眼前の少女自身がそうなのだろうか。
リルルはそれを見極めたかった。彼女に同行することで、人間のことをより深く理解したかった。
実際、理由なんて自分でもよく分かっていなかった。しいて挙げるなら、彼女に対して興味を持ったのだ。
彼女にとって、先ほどのイエローの言葉は衝撃的だった。
人間の過ちを認め、弱い部分を認めたうえで、それでもなお、良い人間はいるのだと彼女は言った。
それはサトシさんやのび太さんのことなのだろうか。或いは、この眼前の少女自身がそうなのだろうか。
リルルはそれを見極めたかった。彼女に同行することで、人間のことをより深く理解したかった。
「いいよ、一緒に行こう。ボクはイエロー。……キミは?」
「……私は、リルル」
「リルルさん、だね」
「……私は、リルル」
「リルルさん、だね」
歩き出したイエローに続こうとして、リルルはそこで今更ながら大切なことを思い出し、「あっ」と声を上げた。
イエローばかりに気を取られていたせいで、元々行動サンプルにする予定だったあの少女のことを、すっかり忘却していたのだ。
リルルは慌てて木々の間を抜け、少女を寝かせた筈の茂みへと戻る。
しかしそこはもぬけの殻で、彼女は思わず落胆に肩を落とした。
僅かに遅れて到着したイエローが、「どうしたの?」と荒い息で尋ねる。
イエローばかりに気を取られていたせいで、元々行動サンプルにする予定だったあの少女のことを、すっかり忘却していたのだ。
リルルは慌てて木々の間を抜け、少女を寝かせた筈の茂みへと戻る。
しかしそこはもぬけの殻で、彼女は思わず落胆に肩を落とした。
僅かに遅れて到着したイエローが、「どうしたの?」と荒い息で尋ねる。
「ここに女の子を寝かせておいたの。でも、もういなくなってしまったみたい」
「いなく……? じゃあ、その人のこと探さなくちゃ」
「いいえ、いいの」
「いなく……? じゃあ、その人のこと探さなくちゃ」
「いいえ、いいの」
リルルは首を横に振り、イエローの提案を切り捨てる。
それは合理的で機械的な判断のように思えたが、口にする少女の表情は、少しばかり悲しそうにも見えた。
それは合理的で機械的な判断のように思えたが、口にする少女の表情は、少しばかり悲しそうにも見えた。
「あの子はきっと、私ともう一度会いたいとは思っていなもの。だから、いいの」
リルルは俯きがちにそう告げると、イエローに口を挟ませる間もなく「さあ、行きましょう」と促した。
それは快活な口ぶりだったが、無理やり元気を出そうとしているように、不思議にもイエローには聞こえた。
それは快活な口ぶりだったが、無理やり元気を出そうとしているように、不思議にもイエローには聞こえた。
* * *
息が苦しい。吸っても吸っても必要な酸素が足りなくて、全身が悲鳴を上げる。
ククリは一人、森の中を逃走していた。背後をちらちらと伺い、あの少女が追いかけてこないことを確認する。
振り返った先には兎一匹おらず、ただ森閑とした森が広がっているだけだ。
しんと静まり返った森の中、そのことに安堵の息を漏らしながらも、ククリは自分の弱さに胸を痛くする。
ククリは一人、森の中を逃走していた。背後をちらちらと伺い、あの少女が追いかけてこないことを確認する。
振り返った先には兎一匹おらず、ただ森閑とした森が広がっているだけだ。
しんと静まり返った森の中、そのことに安堵の息を漏らしながらも、ククリは自分の弱さに胸を痛くする。
……また、私は逃げ出してしまった。
ゴン君のことを勝手に勘違いして、怖がって、逃げてきてしまったときと同じように。
ゴン君のことを勝手に勘違いして、怖がって、逃げてきてしまったときと同じように。
ククリはそんな自分が許せなかった。同じ過ちを繰り返している気がして、悲しかった。
自分がとてつもない卑怯者に感じられて、擦り傷でも出来たみたいに胸がじんじんと痛んだ。
そう。ゴン君の時だって、きちんと話をすれば、きっと誤解することなんてなかったのに。
ゴン君は優しくて勇気がある人で、私を逃がすためにあの女の子と戦ってくれた。
そんないい人だったのに、私はろくに話も聞かずにゴン君を悪い人だって決め付けて、そしてすぐに逃げ出してしまった。
……本当に私は、なんて自分勝手なお馬鹿さんなんだろう。
自分がとてつもない卑怯者に感じられて、擦り傷でも出来たみたいに胸がじんじんと痛んだ。
そう。ゴン君の時だって、きちんと話をすれば、きっと誤解することなんてなかったのに。
ゴン君は優しくて勇気がある人で、私を逃がすためにあの女の子と戦ってくれた。
そんないい人だったのに、私はろくに話も聞かずにゴン君を悪い人だって決め付けて、そしてすぐに逃げ出してしまった。
……本当に私は、なんて自分勝手なお馬鹿さんなんだろう。
ククリは、草陰から盗み聞いていた会話を思い出す。
あの会話を聞いたとき、本当はあの人も、そんなに悪い人でないのかもしれないと思った。
だから本当は、彼女の元に姿を現して、ちゃんと話を聞いてみたかった。
――でもククリにとってそれは、やっぱりとても勇気がいることだった。
血塗れで自分の前に現れた彼女。
平気な顔して「自分が殺した」と口にした彼女。
そして自分を電撃で気絶させ、連れまわそうとした彼女。
そんな相手を簡単に信用するなんて、怯えるククリには到底出来なかった。
あの会話を聞いたとき、本当はあの人も、そんなに悪い人でないのかもしれないと思った。
だから本当は、彼女の元に姿を現して、ちゃんと話を聞いてみたかった。
――でもククリにとってそれは、やっぱりとても勇気がいることだった。
血塗れで自分の前に現れた彼女。
平気な顔して「自分が殺した」と口にした彼女。
そして自分を電撃で気絶させ、連れまわそうとした彼女。
そんな相手を簡単に信用するなんて、怯えるククリには到底出来なかった。
「勇者さまなら、きっと逃げたりしなかったよね」
恋する相手の、きりりと整った涼やかな横顔を脳裏に浮かべる。
彼ならきっとあの女の子に対しても、いつもどおり平気な顔して接するのだろう。
もしかしたら「ふむ、なかなか刺激的な格好だな。してスリーサイズは~」なんてことまで尋ねかねない。
偏見とか思い込みとか、そういうものが勇者さまにはないから。
彼にとって女の子は皆ただ女の子でしかなくて、それがどんな種族かなんて関係ないのだろう。
人間だろうがロボットだろうが、吸血鬼だろうが夢魔だろうが魔砲少女だろうが、勇者さまの前では一緒なんだ。
普段ぼんやりしているようにも思える彼の、そういうところがククリは好きだった。
勿論、「他の女の子ばっかり気にしてないで」って嫉妬したくなることもしょっちゅうだけど。
けれどそれでもククリは、そういうところをひっくるめて彼のことが大好きだった。
彼ならきっとあの女の子に対しても、いつもどおり平気な顔して接するのだろう。
もしかしたら「ふむ、なかなか刺激的な格好だな。してスリーサイズは~」なんてことまで尋ねかねない。
偏見とか思い込みとか、そういうものが勇者さまにはないから。
彼にとって女の子は皆ただ女の子でしかなくて、それがどんな種族かなんて関係ないのだろう。
人間だろうがロボットだろうが、吸血鬼だろうが夢魔だろうが魔砲少女だろうが、勇者さまの前では一緒なんだ。
普段ぼんやりしているようにも思える彼の、そういうところがククリは好きだった。
勿論、「他の女の子ばっかり気にしてないで」って嫉妬したくなることもしょっちゅうだけど。
けれどそれでもククリは、そういうところをひっくるめて彼のことが大好きだった。
「……勇者さま」
会いたいな、と思った。口に出したら余計にその思いが強くなって、ククリはぎゅっと拳を結んだ。
手にしていた杖を握り締め、彼女は心中の彼をひたすらに想う。
勇者さまならきっと、こんな殺し合いの中でも普段と変わらずにいてくれるだろう。
そう、予感があった。いや、それは予感などといった曖昧なものでなく、確信だった。
すぐにでも逢いたい。そう願うククリの心は、ガサガサと音の鳴る前方の茂みに、現実へと引き戻された。
最初は、あの女の子が追いかけてきたのかと思った。こんなところでぐずぐずしている間に追いつかれてしまったのだと。
でも、もしそうならどうして後ろじゃなくて前から足音がするのだろう。
先回りされた? まさか、流石にそれはないはず……。
そこまで考えてククリは、もしかして、と胸を跳ね上がらせる。
そんな偶然あるわけがないと理性が告げる。それが当然だと、ククリだって分かっている。
「噂をすれば影」だなんて単なる諺に過ぎないし、こんなギャグ漫画みたいなタイミングで再会できるなんてわけはないと。
そう理解していても、期待せずにはいられない。
ドキドキと鼓動を弾ませてそちらへ目をやると、なぜか足元の草だけが左右に揺れ動いた。
だがその上方に、人影はない。草を分ける足音だけが、こちらに少しずつ近づいてくる。
手にしていた杖を握り締め、彼女は心中の彼をひたすらに想う。
勇者さまならきっと、こんな殺し合いの中でも普段と変わらずにいてくれるだろう。
そう、予感があった。いや、それは予感などといった曖昧なものでなく、確信だった。
すぐにでも逢いたい。そう願うククリの心は、ガサガサと音の鳴る前方の茂みに、現実へと引き戻された。
最初は、あの女の子が追いかけてきたのかと思った。こんなところでぐずぐずしている間に追いつかれてしまったのだと。
でも、もしそうならどうして後ろじゃなくて前から足音がするのだろう。
先回りされた? まさか、流石にそれはないはず……。
そこまで考えてククリは、もしかして、と胸を跳ね上がらせる。
そんな偶然あるわけがないと理性が告げる。それが当然だと、ククリだって分かっている。
「噂をすれば影」だなんて単なる諺に過ぎないし、こんなギャグ漫画みたいなタイミングで再会できるなんてわけはないと。
そう理解していても、期待せずにはいられない。
ドキドキと鼓動を弾ませてそちらへ目をやると、なぜか足元の草だけが左右に揺れ動いた。
だがその上方に、人影はない。草を分ける足音だけが、こちらに少しずつ近づいてくる。
「ゆゆゆ幽霊……っ?」
ククリは恐れ戦き、右回りしてその場を離れようかと一歩踏み出した。
しかし瞬間、呼応するように聞こえた声に思わずその足が止まる。
しかし瞬間、呼応するように聞こえた声に思わずその足が止まる。
「た~、た~」
…………それは、誰がどう聞いても幽霊の呻き声ではなく。
まだ生まれて間もないような、幼い赤ん坊の声だった。
まだ生まれて間もないような、幼い赤ん坊の声だった。