【双葉学園忌憚研究部 第二話「夢壊し」 後編】

 貸切になった体育館はいつもより広く感じた。
 たった七人で占領しているホールは、少し歩くだけで音が響き渡る。
 ピカピカに磨かれた床に、未央のげんなりした顔が映っていた。
「……聞いてないよお、いきなりラルヴァと戦うなんて」
 斑鳩はニッコリと微笑んだ。
「この部活動は遊びではないのよ。危険も伴うし、いくら私達が推薦した人物とはいってもきちんと力量を確かめなくてはなりません。それに、私達三年はこれから活動自体に参加できない事も多くなるし、そうなったら貴方達だけの力で解決しなければならない事態を迎える事もあるでしょう」
 うげぇ、と未央は声に出して不満を挙げる。
「サイアク。やっぱ参加しなけりゃ良かった……こんな事で、死んじゃったら元も子もないよぉ」
「大丈夫だって未央。オレがいるんだぜ? 実戦経験豊富なんだから、ラルヴァなんかにゃ引けをとらねーよ」
 深赤は自身満々で親指を立てるが、蒼魔は正直不安しかなかった。
「いや……お前、この間ラルヴァに捕まってたじゃねえか」
 そう言われると何も言い返せないのだろう、深赤がガックリと項垂れる。
 そこで斑鳩が深赤の肩を叩いた。
「大丈夫よ。暫くはなるべく危険度の低い依頼を貴方達に回すようにするから。まだ猶予はあるので、今の内に貴方達にはメンバー間での連携、戦闘訓練、実践経験を詰んでもらいます」
「……でも、いきなり実戦経験って言われても……。特に私と未央は異能もないし、どうすればいいのか」
 不安そうに言う響に、小金井が懐から小さな十字架を取り出した。
「私の知り合いに『霊具』の職人がいてね。これを使えば、一般人の君達でもラルヴァに軽いダメージくらいなら与えられるだろう」
「霊具?」
 未央の言葉に斑鳩が詳しい説明を始めた。
 薪流しの時も解説役を買って出ていたところを見ると、どうやら彼女は歩く辞書らしい。
「霊具とは魂源力の詰まった道具の事よ。特別な装置を組み込む事によって擬似的な異能を使えるようになる、と考えればいいわ。ただ、道具自体に籠められる魂源力は人間の物とは比べ物にならないから、あまり過度な期待は禁物よ」
「なーんだ、これで私も異能力者になれると思ったのに」
 未央はあからさまにガックリした口調で言った。
「それに道具の中に入っているからといって自在に使える訳ではない。その魂源力を引き出す作業は自分でやらなくてはならない」
 小金井はそう言いながら、十字架を響に渡した。
「霊具は作成するのが非常に難しくて、数も少なければ殆ど広まっていない。慎重に扱ってくれよ」
「あの、小金井先生……私の分は?」
 小金井はそっぽを向いて、頭をポリポリと掻く。
「い、いやーそれが、まさか佐倉クンまで来るとは想定外で……そもそもこの霊具自体も三年前に予約してやっと手に入れた一つだからなぁ」
 そう言われて、未央は頬を膨らませた。
「えー、じゃあ私、手ぶらで戦えっていうんですか? しんじゃいますよ!」
「何もラルヴァと戦うには異能がなければダメという事はないでしょう? 貴方にもできる事はあるはずよ」
 斑鳩の言葉に、未央は納得したようなしていないような、複雑な表情で項垂れた。
「……それで、ここで今からラルヴァを倒せばいいんですか?」
 蒼魔が本題を切り出すと、小金井の顔が引き締まった。
「ああ。丁度今、問題になっている事件があってね。まぁ、噂の規模や出所、反応があった目標のラルヴァもすぐに解決できるレベルだがね」
「今回の噂は『夢壊し』という噂よ」
 斑鳩の言葉を聞いて、蒼魔は軽く笑う。
「薪流しの次は夢壊しですか。イヤに語呂がいいですね」
 蒼魔の茶々に、小金井が苦笑した。
「ただの偶然だよ」
「五人以上の人物が夜中零時に体育館に集合して円を作って座り、輪になるように手を繋いで全員が一人の人間の事を思い浮かべると、その人物の夢の中に夢壊しがやってきて、病院送りになるという噂です」
「……なんか、よくわかんない噂だね」
 率直な未央の意見に斑鳩も同調した。
「ええ。この噂は出来も悪ければ大した深みもない、稚拙なものよ。自分達に都合のいいように作った単なる嫌がらせ用の噂ね」
「でも、それが現実に起こったんですよね?」
 響の言葉に、斑鳩は残念そうな顔をして頷く。
「そうね。最初は面白半分で流したんでしょうけど、何人かそれを信じる人間が現れ始めて、信憑性が出てきたと勘違いしたのね。こういった都市伝説には必ず、油をもっと撒こうと『実際にやってみた』とかそれっぽい体験談を話す人間もいるから」
 確かに都市伝説には「友達が実際にやったらしいが」とか、「実際に被害にあった人間がいるらしい」とか、そういった誰かの身近な人間が経験していると言うとグッと信憑性を増す気がする。
 蒼魔はそろそろ話を纏めようと、口を開いた。
「要するに、それを真に受けた人たちが本当にその噂どおりに実践して、ラルヴァを呼び出してしまったって事ですか」
「ええ、そうよ。カテゴリーエレメントのラルヴァが、人間の恨みを通して魂源力を吸い出した事で、本当に病院送りになってしまったみたいね」
「でも、ちょっとおかしいですよね」
 響が腑に落ちない表情で呟く。
「ラルヴァがそんなに、人の都合に合わせて動くなんて……」
 しかしその言葉に斑鳩は不適な笑みを浮かべた。
「何か勘違いしてないかしら。病院送りになったのは、夢壊しを実践した五人の方よ」
「なるほど……結局、人の念が集まって、ラルヴァをおびき寄せただけだったんですね」
 蒼魔の言葉に斑鳩が頷く。
「ええ。皮肉にも、そういう恨みが上手に同調して強い念を生み出してしまったんでしょうね。……という訳で、私達も今から同じ事をしてラルヴァを呼び出します」
 未央があからさまに嫌そうな顔をした。
 しかし深赤は既にやる気満々のようで、横でストレッチを始めている。
 蒼魔もここまでくれば、もう後はなるようになるだけだ、と腹を括った。
「佐倉。もう諦めろ」
 小さくそう言って肩を叩く。
「うー……。っていうか、今からやって呼び出せるんですか?噂では十二時にって」
「それは教師に見つからない様にと、後は雰囲気を出す為に時間帯を指定しているだけよ。実際、その通りに行動する事でメンバー全員の念が同調したんでしょうけど……私達には何の必要もない行為ね」
 斑鳩はそう言って、後ろを振り返った。
 叫がつまらなさそうにそっぽを向いている。
 未央がなるほど、と手を打つ。
「確か木戸君の能力って、思念波がどうのこうのみたいな感じでしたもんね」
「ええそうよ。それに私の思念探知も合わせて、皆の意識を同調させるわ。ここには同調のスペシャリストもいることだし……」
 今度は斑鳩がこちらを見てくる。蒼魔はすかさず目を逸らした。
「ところで、一つ気になってたんですけど、皆の能力の名前って自分で付けたんですか?」
 未央の質問に、何故か小金井が恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いた。
「ボ、ボクが名付けたんだよ。何にでも名前はある、便宜上の意味合いも兼ねてつけたほうがいいと思ってね」
「なるほど……それにしても30越えたおっさんが考えた名前にしてはやたらはっちゃけてますね」
「す、すまない……」
 小金井は顔を真っ赤にして俯く。
「さて……じゃあ、そろそろ始めましょうか? 言っておくけど、私と小金井先生はラルヴァとの戦闘に関しては一切サポートしません。貴方達だけの力で倒す事」
「この中で戦闘に特化した能力を持つのは風間クンだけだから、彼女を中心に戦うべきだね」
「というか、戦えるのって深赤だけなんじゃ?私なんか手ぶらだし」
「いや、木戸クン達も一応ラルヴァに攻撃する事はできるよ。思念波をぶつける程度の事だが……。それに」
 小金井はそこで一端言葉を切って、蒼魔の方を見た。
「東堂クンの能力も、使いようによっては戦闘に役立つだろう」
 蒼魔にはそうは思えなかった。
 叫に「人形遊び」と揶揄された通り、自分の能力は大した事はない。
 斑鳩といい小金井といい、どうして自分をこんなに過大評価しているのか……。
 ふいに、叫の「本当は自分の事、特別だと思ってるんだろ?」という言葉が頭に浮かんだ。
「じゃあ皆、中央に集まって。皆で輪になって手を繋いで座るの」
 斑鳩がそう言って、全員がぞろぞろとホールの中心に集まる。
「あれ? 小金井先生は参加しないんですか?」
 響の言葉に、また小金井は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ボクはもう年だから……思念の同調には邪魔になるだけだろう」
 反応に困ったのか、響はなんとなく頷いて視線を戻す。
「木戸君達は私の両隣、他は適当でいいわ」
「おい東堂、お前、あっちいけ」
「言われなくても分かってるよ」
 誰が好き好んで男と手を繋ぐか。蒼魔は叫を睨みつけ、斑鳩の丁度正反対に座る。
 隣に深赤と響が座った。
「じゃあ、何か一つの事を念じて。私が皆の思念の糸を手繰り寄せてあわせて、木戸君達がそれを増幅するから」
「一つの事って、何を念じれば?」
 未央の質問に、斑鳩は答えなかった。
「何でもいいわ」
「えー……どうしよう。東堂君なんか出してよ」
「いきなり言われてもなあ。佐倉こそなんかないのか?」
 未央は首を捻る。深赤も考え込んでいるようだった。
「あの……じゃあ、チャーハン……とかどうかな」
 響が控えめに、かつ恥ずかしそうにぼそぼそと呟く。
「チャーハン? 何でまたそんな……」
「いや、あの、昨日、中華料理屋に皆で行ったでしょ。ほら、拍手君がバイトしてる」
「ああ、大車輪ね」
「うん……あそこのチャーハンすごくおいしかったから……な、何でもいいっていうから適当に出しただけなんだけど、ダメなら他のでも……」
「いや、それでいいんじゃないか」
 蒼魔は面倒臭かったのでそのまま承諾した。他の皆も異存はないらしく、適当に頷いている。
「響って世間知らずだよねぇ。私はそこの料理は安くていいとは思うけど別においしいとは思わないなー」
「そ、そんなこと……」
 未央の茶々を遮って、斑鳩が凛とした口調で話す。
「じゃあ、チャーハンについて念じて。目を閉じて、意識を集中させるの」
 そうして斑鳩は目を閉じる。続いて、木戸兄弟も目を閉じた。
 流れに合わせて蒼魔も目を閉じる。
 暫くすると、薪流しの時と同じ、内臓を覗かれている不愉快な感覚が蒼魔を襲った。
 斑鳩と随分離れているからか、体が慣れてしまったのか、前回の時に比べると我慢できる程度ではあったが。
 斑鳩はそのまま、思念の糸を丁寧に一本一本手繰り寄せ、ゆっくりとその思念波を引き出す。
 まずは響から。
(えーっと……まずいなあ、自分からチャーハンとか言い出しといて……何をどう念じればいいのか……ちゃ、チャーハンの事を考えればいいのよね。……うーん……ホ……ホイホイチャーハン?)
 嫌な予感がした。とりあえず置いておいて、続いて未央の糸を手繰り寄せた。
(拍手君はどうして私の胸に興味を示さないんでしょうか。どうして響の胸ばかりを見ているのでしょうか神様不公平だと思いませんか天罰を与えてくださいお願いします)
 最早完全にチャーハンとは別の方向に進んでいる。斑鳩はガックリとしながらも、他の思念を覗いてみる事にした。
 深赤の思念の糸は、何故かつい先程から念じているとは思えないほど強く光っていた。
(ネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜きネギ抜き)
 ……まぁ、チャーハンに関連する思念といえなくもないが、なんとなくズレている。
 最後に蒼魔の糸を手繰り寄せた。
(ヤサイマシマシニンニクマシアブラブラブラ)
 ブチッ、と何かが切れる音がする。勢いよく斑鳩の右手が解かれて叫が立ち上がった。
「おいこら! てめぇら! もっと真面目にやれ! ただの恨みやらしょうもないこだわりやらベクトルがずれまくって同調なんかできねーんだよ! あと東堂、てめぇのはチャーハンじゃなくてラーメンだからな! ロットがどうだとかそういうやつだから!」
 一通り喚いた後、叫はどしりと荒々しく座りなおし、手を繋いだ。
 斑鳩は咳払いをして、場の雰囲気を持ち直すよう口を開く。
「いい? 無駄なことは考えなくていいの。普通に、チャーハンって考えればいいだけだから。弱くても思念のベクトルさえ同調できれば、後は木戸君達が共鳴で増幅してくれるからね」
 そういわれて、全員が静かに頷く。
 また暫くして、斑鳩の思念探知がゆっくりと蒼魔達の体に入ってくる。
 単純に文字を浮かべるような感覚でイメージしていると、すんなりと思念の糸は一つの場所に集まった。
 全員の糸が集まると、今度は木戸兄弟が柔らかな光を放ち、蒼魔達を奇妙な感覚が襲った。
 「思念の同調」という事だろうか。自分と外の世界を隔てる肉体等の壁が一切取り払われ、むしろ自分と世界が同じものではないかと、乖離しているものなど何一つないような不思議な感覚。
 心地よいという訳ではないが、気味が悪い訳でもない。上手く言い表せない、不思議な感覚だった。
 だが蒼魔はそれを楽しんでいた。ふわふわと意識が霊体離脱を起こしたように軽く、枷など何もない、自由な気持ちを感じていた。
 だがそれも、長くは続かなかった。
(……お父さん)
 蒼魔の足元から、声がする。幼くて、無知で、救いを求めるような、無力な呟き。
 声がした瞬間、蒼魔の目の前が真っ暗になる。
 薄暗い闇の底に引きずりこまれるような感覚だ。
 いや、むしろ、闇が外へ飛び出そうとしているのに、自分が飲み込まれているだけなのかもしれない。
 意識が繋がっている状態でもし、この闇が逆流するのだとしたら……。
 蒼魔は本能的に危機感を覚えたが、自分の体を掴んで離さない暗闇は、全員の頭の中に声を届けた。

『はい、良い子の相談ホットラインです』
「もしもし」
『! 良かった、かけなおしてくれたのね。……何か話したい事、あるかな? 何でも話そうよ』
「お父さんがいないんです」
『……ボク。お父さんは、君に何か酷い事をしているのかな? だとしたら、話してほしいな。何か、助けになれるかもしれないし』
「お父さんなんていないんですよ。ボクは捨てられたんです。新しいお父さんは、ボクの手に釘を刺しました。『お前が普通じゃないからだ』ってニヤニヤ笑って、ボクを殴ったんです。ボクが悪い子だから」
『釘を刺した!? 手は大丈夫? それは、ひどいわ。ボク、今どこにいるのかな? すぐお医者さんに見てもらわないと』
「ボクは本当に普通じゃないんですよ」
『何を言っているの? 君は普通よ』
「ううん、お父さんの言う通りなんです。釘を打たれて痛かったのに、今はもうなんともないんだもん。ボクがジャンプすると、隣の陽子ちゃんもジャンプして、ボクを気味悪がるんです。お父さんは『ボクは特別な人間だ』って言いました」
『……でも、釘を刺されて良い訳ないわ。ボク、お家がどこにあるか分かるかな? おばさんもお父さんと話がしてみたいなあ』
「特別ってなんですか。普通じゃないってなんですか。普通じゃないと皆が遊んでくれないんですか。特別だと、皆が殴ってくるんですか」
『そんなことない、そんなことないわ』
「嘘つくなよ! 誰もボクと遊んでくれないんだよ! 目を合わせても皆避けるんだよ! あんたなんか、ボクの気持ち何にも分かってないじゃないか!」
『……そうね、ごめんなさい。おばさん、無責任なこと言ったねぇ。だから、理解したいなあ。君を助けてあげたい。普通じゃない事が理由で遊ばないなんておかしいよって、言ってあげたい』
「……何も変わらないもん。言ったところで、何も変わらないもん。今日もまた、お父さんがボクにヒドい事をするんだ。どうして……ボクの本当のお父さんは助けにきてくれないの。どうしてお母さんは知らん振りするの……」
『……おばさんが助けてあげたいよ。だから、お家を教えてくれないかな?』
「うるせえよ、ババア」

「あああああああああ」
 蒼魔の叫びと共に、思念の同調が弾けて切れた。全員がその衝撃で後ろに吹っ飛ぶ。
「……見ただろ! お前達、俺の……見ただろ!」
 蒼魔が必死の形相で叫び、全員を睨みつける。
 蒼魔を見返す全員の瞳は、同情やら悲しみやら、そういったベクトルのものであると受け取れた。
 それが更に蒼魔を激昂させた。
「なんだよ! そんな目で見るなよ! ……ただの、ただのイタズラだよ。イライラしてたから、気分転換にイタズラ電話かけただけだ」
「蒼魔……本当は、ずっと前から異能力に目覚めてたのか? 俺……お前の家庭の事情何も知らないで」
 深赤の言葉に蒼魔は激しくクビを振る。
「違う違う違う! 俺は普通だ、別になんともない。ちょっと、特別ぶりたかっただけだ。別にそんな……やめろよ、頼む、同情しないでくれ……俺をカワイソウだと思わないでくれ……」
 蒼魔が頭を抱えて蹲ると、響がそっと蒼魔の肩に手を置いた。
「……東堂君……」
 どんな言葉をかければいいのか悩んでいるのだろう、響は蒼魔の名を呼び、暫くはそのままで黙っていた。
「……まずい!」
 数秒、そのまま沈黙が流れただろうか。蒼魔は自らの後悔や恥ずかしさ、自分の闇を見られた事で動揺しきり、頭を抱えたまま押し寄せる波のような感情と戦っていた。
 その側で、斑鳩がそう声を出した。
「ラルヴァが来るわ! 戦闘態勢を!」
 その言葉を聞いて深赤と木戸兄弟が立ち上がり、続いて未央も立ち上がった。
 しかし蒼魔はそのまま、蹲り続ける。
「東堂君……」
 響が蒼魔の体を引き起こそうとするが、非力な響の腕では蒼魔を引きずる事もできなかった。
 やがて、もやもやと黒い霧が体育館の天井辺りから噴出してくる。
 それは次第に一つの塊へと収束していき、どんどんと膨張していった。
「先生! これは、予想以上に……」
 斑鳩の言葉に、小金井も顔を顰める。
「ふむ……東堂君の深い恨みと同調してしまっているようだ。このままではどんどんと吸い上げて、彼達だけでは手に負えなくなるね」
「なら、私も霊具で……」
 そう言って斑鳩が制服の内ポケットから霊具を取り出そうとするが、小金井が厳しい表情で制した。
「言ったはずだ、サポートはしないと」
「でも……」
 小金井は斑鳩を下がらせ、響達に声をかける。
「いいか! そのラルヴァは東堂クンの思念を吸い取っている。彼に正気を取り戻させるんだ、そうしないと風間クン達に勝ち目はない!」
 その言葉を聞いて、響と未央はお互いを見合わせ頷く。
「東堂君……。しっかりして。……恥ずかしいかもしれないけど、皆、気にしないよ」
「ねえ、東堂君。ほら、立って。ちょっと電話の声が聞こえたくらいで、詳しい事なんて分からないよ。それに私だって響だって、皆そういう悩み抱えてるよ。言いたくない事あるよ。だから、しっかりしてよ」
 二人で必死に言葉をかけるが、蒼魔は反応しなかった。無気力になったかのように体を縮こまらせ、決して顔を外に出そうとしない。
「東堂君……」
 そうしている間に、肥大化した闇は徐々に質量を伴い始め、やがてそれは獣の形を取り始めた。
「くらえっ!」
 深赤が両足に光を溜め、完全な獣になる前に、闇に向かって思い切り放った。
 それに合わせて木戸兄弟が思念波を叩き込む。
 しかし、獣はビクともせず、鋭い牙を持つライオンの様な姿を完全に構築させてしまった。
「くそっ……歯が立たねぇ」
 深赤が悔しそうに唇を噛む。
 獣は思い切り咆哮をあげ、凄まじい衝撃波で深赤達を吹き飛ばした。
「がっ!」
 数メートル程吹き飛び、体が地面に叩きつけられる。
 すぐ近くの響達が、慌てて三人の体を起こす。
 闇の獣は獰猛な虎のようにジリジリと足を鳴らし、噛み付くそぶりを見せていた。
「……まずい。噛み付かれたら一環の終わりだぜ」
 深赤は先程までの表情とは打って変わって、非常に弱々しいものになっていた。
 その奥では木戸兄弟が、体を激しくぶつけてしまったのだろう、両手であちこちを押さえながら苦しそうに立ち上がる。
「おい……おい、東堂! いい加減にしろよ、お前、俺たちを殺す気か!」
 叫が痛みを堪えながら蒼魔の元に近寄る。
「いつまでもグジグジしてんなよ、東堂。皆、何かしら問題は抱えてるだろうが。お前だけじゃねぇんだよ、お前がここで飲み込まれてどうすんだよ」
 蒼魔はその言葉を受けて、ゆっくりと顔を上げた。
「……どうすればいいか分からなかったんだ。毎日毎日、家に帰るのが苦痛だった。でも学校に行っても、誰も相手にしてくれないからもっと苦痛だった。自分っていう存在が、本当につまらない、ちっぽけな存在に思えてきて……。特別だなんてこれっぽっちも思っていないよ。俺はただ、俺らしく生きたいだけだよ。俺の居場所がほしかっただけだ。なのになんでそれを否定する! 何で俺を拒絶するんだよ!」
 悲痛な叫びが、体育館の中に木霊した。
 それに呼応するように、獣が更に肥大化する。
「東堂君……!」
「寂しくて、寂しくてたまらないよ。どうすればいいのか分からなくて、結局、自分を都合よく偽って、普通の人間を演じて、でも、それでも俺はクラスで浮いてる。人と必要以上に打ち解けられない。自分がこんな目に合うのが理解できない。何でだ、チクショウ。チクショウ……」
 また頭を抱えて呟く蒼魔を、深赤が思い切り殴りつけた。
「いい加減にしろよ!」
 深赤の容赦ないパンチを受けて、蒼魔は思わず数歩、後ろに下がる。
「オレだって思ってたよ! お前は一緒に居ても、どこか上の空で、何にも自分の事話そうとしない。助けてほしいって、素直に言えずに口を噤んでるんじゃねぇかよ。自分の気持ちを相手にぶつけずに分かってほしいって勝手な願いを押し付けてるんじゃねぇかよ!」
 深赤の言葉は、蒼魔の心に激しく突き刺さった。
「……オレはずっとお前の側にいたけど、お前の事なんて何にも知らないよ。それでも、お前はオレの大事な存在に代わりはないよ。……それでもお前はまだ、そういう事言うのかよ。自分には何もないって、自分には居場所がないって、そう思うのかよ?」
「深赤……」
 蒼魔は顔を上げて、深赤を見る。
 深赤の瞳は、痛いほどにまっすぐで、ひたむきに、蒼魔の心を貫いた。
「深赤……そうだな。俺は……馬鹿だ。どうしようもなく弱くて、でも、そんなところを人に晒すのが怖い。ああでもない、こうでもないって自分の中でだけで話を進めて、……混乱して、誰かが自分を救ってくれると勝手な妄想で慰めていた。余計、辛くなるだけなのに……」
 蒼魔が自分の弱さを認めた時、闇は少しずつ宙に散っていった。
 獣の姿が段々と小さくなっていき、牙はその鋭さを失っていった。
「蒼魔……同調を使えよ。オレとお前で、あいつを倒すんだ。お前がオレの力を使って、あいつを倒せ。自分を乗り越えろよ」
 深赤が強くそう言って、蒼魔を励ます。
 蒼魔は小さく頷いた。
「東堂君……私も、援護します」
 響が十字架を手に持って、蒼魔にかけよる。
「さっさと済ませるぞ。これから……忌憚研究部の一員として、お前も活動していくんだろ。こんなところで、てこずってる訳にはいかねぇよ」
 珍しく叫が穏やかな口調でそう話す。
 祈がそれに合わせて頷いた。
「なんだよ……お前、俺の事嫌いじゃなかったのか。こういう時だけ、いいカッコするとかずるいだろ」
 蒼魔がそうぼやくと、叫は鼻で笑った。
「嫌いだよ。嫌いだけど、同じ部活になったんだからしょうがないだろ。嫌でも顔あわせる事になるんだから」
 叫なりの不器用な優しさ、というところだろうか。
 なんだかちょっと薄気味悪かったが、蒼魔は自分の心が軽くなるのを感じた。
 自分に嘘をついて、幻想で固めた心の鎧が剥がれ落ちていく。
 もう何も、隠す事などない。そんな思いが、蒼魔に開放感を与えた。
 恥ずかしさや、不安や、心の闇が消えた訳ではないが。
 それから目を逸らす事の方が問題なのだろう。
「……行くぞ、深赤!」
 蒼魔の声かけに深赤は頷いて、二人の意識は同調した。
(……!? なんだ、これ……さっきみたいな感覚だ)
 先程の思念の同調の影響だろうか? 薪流しの時のような、体だけの同調ではなく、完全に意識が溶け合っているかのような同調だった。
(深赤……いけるか?)
 心の中で呼びかけると、強く呼応する。
 それと同時に、深赤の足に凄まじい光の輝きが宿った。
 途端に、危険を察知したのだろう、ラルヴァが咆哮を上げながら、深赤に噛み付こうと襲い掛かった。
「水無瀬、十字架をかかげろ!」
 叫がそう言って、祈と共鳴する。
 響は慌てて十字架を掲げると、静かに目を閉じて意識を集中させた。
「私だって……!」
 すると、十字架から十字の光が放たれる。
 小さな光だったが、ラルヴァにぶつかると苦しそうな声をあげ、突進せんとする動きが止まった。
「今だ、祈!」
 叫と祈が増幅した思念波を続けざまに叩き込む。
 ラルヴァが悲痛な叫びをあげ、二・三歩退いた。
 そうしている間に、深赤の足に宿った輝きは、眩しいくらいにその発光を強める。
(蒼魔……いけるぜ!)
 深赤の意識が強く呼びかけた。
 蒼魔はそのまま、深赤と共に右足を宙に浮かべ、光をラルヴァへと放った。
 まるで巨大な槍のように、放たれた光は空を切り、ラルヴァを引き裂く。
 まともに光を受けたラルヴァは、断末魔をあげながら消滅していった。
「……やった……倒した!」
 蒼魔が静かに同調を切り離したところで、未央が騒ぎ出す。
「すごい、すごいじゃん! なーんか、チームワークバッチリじゃん私達!」
「素晴らしいね。私達のサポートなしでここまでやるとは」
 小金井が嬉しそうにうなずいている。
 蒼魔は恥ずかしさに俯くが、先程の事を全員に謝っておこうと思って、口を開いた。
「あの……さっきは皆……悪かったな。ちょっと取り乱しちゃって」
「ううん、気にする事なんてないよ。……むしろ、東堂君の事知れて、良かったなって思うし」
 響が努めて明るい口調でそう言う。
 未央もそれに合わせて茶化すように微笑んだ。
「そうそう。……ま、スケベな妄想とかじゃなかっただけ、いいんじゃないかな」
「そうだな! まぁオレも隠し事あるし、それがバレちゃったらオレもあんな風に取り乱すだろうしさ……」
 深赤は蒼魔を励ますようにそう言って、鼻の頭を掻く。
 それを聞いて、未央が意地悪く笑った。
「……そうだよねぇ~、龍河先輩にラブレター書いてるなんて知れたら、恥ずかしいもんね!」
「お、おい、佐倉」
「……蒼魔……言ったのかよ……」
 深赤がワナワナと震えだす。蒼魔はまずい、と思ったが、時既に遅しか深赤の蹴りが蒼魔の脇腹に炸裂していた。
「ぐあぁ……ごめんなさい」
「ったく!」
 そんな二人のやり取りを見て、響が笑った。
「皆お疲れ様。いいコンビネーションだったわね。これなら問題なく部活動を続けられると思うわ」
 斑鳩が満足気に頷く。
「じゃあ今日はこれで解散ね。これからは毎日放課後に、旧校舎の1-B教室に集合する事。もうしばらくは私達三年も参加しているから」
 そういい残して、斑鳩と小金井は体育館を後にした。
 その頃には脇の痛みも治まったので、とりあえず立ち上がる。
「さぁて……これからどうしよっか~」
「あ、木戸君……」
 なんとなく全員がゆったりと時間を過ごしていると、木戸兄弟が静かに体育館を後にしようとするのが見えて、響が呼び止めた。
「なんだよ」
 叫がぶっきらぼうに言う。
「あの……良かったら、これから皆で、ご飯でも食べにいかない? 私、動いたらお腹減っちゃった」
 恥ずかしそうにお腹をさすって響が言う。
 未央がそれは名案、とばかりにのっかった。
「いいねいいね~、それならさ、大車輪行こうよ。なんかチャーハンのこと考えてたら中華食べたくなっちった」
「そうだな! あそこは量があるから、腹にたまって丁度いいぜ」
 深赤が舌なめずりをしながら、涎を手で拭う。
「木戸君達も……どうかな? 一緒に」
「兄さん、行こうよ」
 祈が穏やかに微笑んで、叫を促す。
「……分かったよ。ま、しばらくは休戦だな」
 そう言って、東堂に近寄ると肩を思い切り叩いた。
「いてぇ、なんだよ」
「お前の奢りな」
 叫はニヤニヤと笑いながらそう言うと、さっさと体育館を出て行く。
「ようし、今日は東堂君の奢りだ! 食うぞ~」
 それに続いて未央や深赤、響も似たような事を言いながら体育館を飛び出した。
「……お金貸そうか?」
 呆気に取られて佇む蒼魔に、祈が同情しながらそう言った。
「……トイチで頼む」
 蒼魔は苦し紛れにそう言うと、自分も体育館を後にした。
                                続く



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最終更新:2010年07月20日 21:55
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