人の恋路を邪魔するべきではない

 今日は休日、天気は晴れ。9月に入り少しは涼しくなるかと思ったが、いまだ午前中は日差しが強く、夏同然に感じられる。
 今日は、ショップで子供たちにデュエル教室を開く日でもなく、アキラの野郎は用事があると暇ではないらしく、戦沙も秋也も同様にそうらしい。
 特にやることもなく、ただ自室で貴重な休日を、貴重な自由時間を消費するのはなんだか勿体ない気がした。
 18という年齢的にもまた時期的にも、少しは勉強をするべきなのだろうがどうにも気がすすまない。
 気付けば今こうして、俺──黒剛進は、目的もなく駅前のアーケードをふらふらと歩いている。
 元々人通りの多い所だが、休日と言う事もあっていつも以上に人が多い。
 特に恋人同士と思われる若い男女が、日頃より多くいるように感じる。
「腹減ったなぁ。今は、午後6時か。なんか少し食べていくかな」
 13時頃に出かけて、気付けばもう18時。
 昼飯はしっかり食べてきたが、場所柄そこかしこから良い匂いがしてきて、よけいに空腹感が増す。
 肉屋のコロッケに、繁盛してるうどん屋とそのとなりにある中華料理店やファストフード、様々な香りがないまぜとなって一斉に嗅覚を刺激してくる。
 しかし、うどんや中華、という気分ではない。
 言ってみれば、ご飯というよりはデザート、つまり甘いもの、クレープとかを食べたい気分だ。
 しかし、女子供ならいざしらず、大の男の腹がクレープの1つや2つで膨れるとは思えない。
 それに、この通りにクレープ屋はない。
「甘くて腹も膨れるもの……。飯食った後に甘いもの食べる、ってのはなんか違うような」
 甘くて量がとれるものを考えるが、丁度良いものが思いつかない。ケーキ屋の前を通った瞬間、ケーキをホールで! という、我ながら素敵な案を思いついたりもしたが、そんな事に使う金があるならデッキを補強したいところだ。
 冷静に考えてみれば、そもそも、そんな大量のケーキをどこで食べるのかという話でもある。明らかに、外で1人で食べる物じゃない。かと言って、家に帰り1人で食べるのは、家族に悪い気がするし、なにより俺はいますぐ食べたい。
「なんだか今日は、駄目だな、もやもやする。朝のアルカナ占いは何位だったかな、あまり良くなかったような」
 そうこう考えているうちに、気付けばアーケードがもう終わりそうだ。
 我に返り、そこで立ち止まって辺りを見渡す。
 見える範囲にある飲食店は、ラーメン屋にカレー屋に、少しお高いハンバーガー屋と寿司屋、それにドーナツ屋がある。
(ドーナツか、悪くないかもしれない。それに、100円セール中ってのはとてもいい。そうだな、ドーナツにしよう)
 ドーナツは揚げ菓子であり、簡単に言えば砂糖やチョコを塗りたくった物だから、腹もちもいいだろう。単純にそう考える。
 なにより、学生の身分である自分には、100円セールという言葉がとても嬉しい。俺は足早にそのドーナツ屋に入った。
 入店してすぐ、聞こえてきたのは店員のはつらつとした挨拶、そして目に入ってきたのは、様々なドーナツ。
 色とりどりという訳ではないが、多種多様な種類のドーナツが配置されており、また甘い匂いで殊更に心を躍らせてくれる。
(まずは、フレンチそしてシナモン。シューフロッケン! そういうのもあるのか)
 ゆっくりと新商品の購入を吟味したいところだが、休日というせいか午後6時の割に人が多く、後ろがつかえている。
 新商品は、少々小さく感じるため、また今度。今は胃を満たす事を優先する。
 飲料はアイスコーヒーを頼みたいところだが、ここのそれはどうも高い。
 仕方なく、アイスコーヒーよりは幾らか安い炭酸飲料を選んだ。
 飲料だけで約200円。自動販売機で同じものを100円で購入したなら100円安くすみ、100円安くすむという事は、つまりストレージのカードを1枚ないし2枚買う事ができたという事。
 失敗した! と思ったが時すでに遅く、会計はもう始まっている。
 会計を済ませて店の奥に進み、空席を探す。奥側の席は全部埋まっていた。
 空いている席は、アーケード側に面しているガラス張りの壁の前にある席だけのようだ。
 少々恥ずかしい気もするが、そこへ腰かける。
 ドーナツ6個というのは、自分にとって食べた内に入らない程度の量だが、そんなことはどうでもいい。
 目の前に並ぶドーナツたちは非常においしそうだ。
 まずはフレンチ。この柔らかさ、この甘さ、とてもおいしいが量的には失敗した。結構に生地が軽いのだ。
 次は、チョコリング。パン生地ということもあり、ボリュームが先のフレンチとは全然違う。
 しかし、それでも少々物足りなく感じるのは、自分の体格が良すぎるせいだろう。
 こういう時、自分が150cm程度の男ならもっと満足できたのだろうか、と思う。
 さぁ、次は、どうするべきか。抹茶で口内に新風を起こしたいが、それはこのシナモンでもできる事だ。
 カレーパンは最後と決めている。ガオ・ド・リングは、カレーの前と決めている。
 些細な事だが、どうせ暇な身ゆえ無駄に悩んでみる。店としては邪魔だろうが、構わない。
 あぁでもないこうでもないと、抹茶とシナモン、両者を見比べたりしてみる。
 そうしていた時、ふと、見覚えのある人間が視界に入った。
 アキラと尼曽根だった。2人とも動きがなんだかぎこちない。
 尼曽根の方は、明らかに普段と様子が違う。具体的に言うと、動きがギクシャクしていて、顔が赤い。
 そして似つかわしくないヒラヒラした服を着ている。多分に、蘭さんが選んだ服だろう。
 似つかわしくないとは言ったが、よくよく見れば可愛らしい。
 しかし、どこか似合っていないというか、着慣れていない感じがする。
(あぁ、用事ってのは、それか。最近御執心だからな)
 自分としては、may町で3本の指に入る色事師、と言われる親友が、やっと1人の女性に恋をしたのだから嬉しい事だ。
 どれくらい入れ込んでいるかと言うと、普段アキラを邪険に扱うショップの女連中が、
「最近アキラに声をかけられなくて、結構寂しい」
 などと愚痴をこぼすほどだ。ちなみにその事は、絶対に調子に乗るだろうから、アキラには教えていない。
 それほどに夢中になり、2人はもはや恋人同然に見える程の付き合いだが、いまだに付き合ってはいないらしい。
 尼曽根は奥手だと黒橋さんが言っていたが、アキラが未だ手を出さない、というのは意外な事だ。
 あいつも、深い付き合いとなると慎重になるのだろうか。それとも、彼女はそれだけ大事な存在なのだろうか。
 2人はこちらに気付かず、素通りして駅のほうへ歩いて行った。
 気付かれなくてよかった、と素直に思う。あちらがこちらに気付いたら、不本意ではあるが水をさす事になる。
 2人が通り過ぎたので、抹茶とシナモンの壮絶なる争いを再開しようとした矢先、また見覚えのある人間が視界に入った。
 それは、氷川だった。なにやらこそこそと物陰に隠れながら移動している。
 珍しい事にいつもの制服姿ではなく、白のブラウスにデニムのパンツルックだ。
 休日だから当たり前と言えば当たり前だが、思えば今の今まで氷川の私服姿なんて見たことがなかった。
「なにやってんだ、あいつ」
 思わず声に出してしまったが、大体の見当はつく。理由は分からないが、どうせまた、2人を尾行でもしているのだろう。
 氷川が言うには、未成年同士が夜の街を歩くのは、
「不健全!」
 らしい。夜と言っても、まだ6時を過ぎた程度だが。
 自分に言わせてみれば、2人は全く健全な関係で、こそこそと人を尾行している氷川のほうが不健全だと思う。
(そのうち馬に蹴られちまうぞ、全く)
 凄絶な抹茶シナモン戦争はいったん停戦とし、親友の貴重な蜜月の時を邪魔させないために、氷川へ声をかけることにした。
 そのために、まずはこのドーナツを入れる箱を貰わなければいけない。
 俺は、店員にドーナツを詰めてもらい、足早に店外へ向かった。

「なぁにやってんだ」
「げぇっ!?」
 素っ頓狂な声をあげて、氷川が飛び退く。
 周りを歩く人たちが、一瞬だけちらとこちらを見るが、なんでもないと分かるとすぐにまた無関心に戻る。
「声かけただけなのに、驚き過ぎだろうが」
「いきなり後ろから声をかけられたら、誰だって驚きます! それも、あなたのように大柄な人なら尚更」
 冷静なようで、氷川は結構予想外の事態に取り乱す。
 平静を取り戻すのは早いが、それでもこの驚き方は、毎度こちらも驚いてしまう。
「そうか? それはいいとして、何してんだ」
「それはですね、あのですね」
 氷川はらしくなく、歯切れの悪い答えをする。
 珍しくこんな受け答えをするのは、やましい事があり、本人が嘘をつけない性格だからだろう。
「まぁいい、ちょっと面貸せ、デュエルだ。ここは人目が多いから場所を移すぞ」
「デュエルですか。けど、移動したら、その、見失う……」
「何を見失うんだよ、ほら、いくぞ」
「いやです、デュエルをしたいなら、ここでしてください」
「やだよ恥ずかしい。ほら、いくぞ」
「いきません!」
 力強く断られた。
 前から思っていたが、頑固なやつだ。これはどうにも曲がらないだろう。仕方なく提案をのむ。
 この堅物は本当に、
「鉄の女」
 とか、
「氷の女」
 といった類の言葉が似合う。
「わかった、ここでやってやる。ライフは8000でいいな」
「4000です」
「……わかった」
 アキラのために、少しでも時間を稼ぎたかったが、仕方ない。
「「デュエル!」」
 どうやらこっちが先攻を取れたようだ。
「ドロー」
 6枚の手札を眺める。悪くない手札だ。終末の騎士は嬉しい。
終末の騎士を召喚、効果によりデッキからインヴェルズの斥候を墓地に送る。そのままターンエンド」
 防御するためのカードが無いのは不安だが、元々が守りを考えずに除去して殴るデッキだ。
 それに、氷川のデッキと性格を鑑みて、1ターンでライフを削られる事はないと踏む。
「下級モンスター1体だけだなんて、事故でも起きたのですか」
「心配してくれるのは、素直にありがたいな。なに、見てのお楽しみだ」
「そうですか。私のターン、ドロ-」
 氷川が引いたカードを手札に加え、見つめ、考えている。
 氷川が操る【メタビート】は、ひとつひとつの動きに熟考を必要とするデッキ。
 通常のデッキを扱う以上に、知識と経験が必要とされる。
 相手の動きを制限し、無効し、自分は質実剛健なモンスターでこれまた慎重に攻撃してくる。
 相対する身としては、胃が痛くなるデッキだ。
「私は、異次元の女戦士を召喚。そして、バトルフェイズ、女戦士終末の騎士へ攻撃!」
 攻撃宣言とともに、異次元の女戦士終末の騎士へ素早く飛びかかり、終末の騎士へ唐竹割りに一閃。
 終末の騎士は、自身の剣でその攻撃を受けようとしたが、剣もろとも真っ二つに切られてしまった。
「メイン2。カードを3枚セットして、ターンエンドです」
「俺のターン、ドロー。まったく、3枚もセットされると嫌なもんだ」
 そう言って嫌な顔をしてみたが、内心そうでもない。
 【インヴェルズ】対【メタビート】は、【メタビート】が有利。正直に言えば、なるべく決闘はしたくない類のデッキだ。
 しかし、今回の手札は、中々にいい手札。案外、このまま勝てるかもしれない。
「まずは、墓地のインヴェルズの斥候を自身の効果で特殊召喚。そして、その効果にチェーン手札からサイクロン発動、さらにチェーンしてサモンチェーンを発動」
「くっ、通します」
 賄賂も宣告も無かったのか、無効されることなく、無事にチェーン処理が行われる。
 チェーン3。サモンチェーンにより、俺はこのターン3回通常召喚を行える。
 チェーン2。サイクロンが唸りを上げてリバースカードを貫き、破壊する。破壊したカードは、強制脱出装置
 大当たりだ。
 チェーン1。墓地よりインヴェルズの斥候が特殊召喚される。キョロキョロとあたりを見渡す姿が愛らしい。
斥候をリリースして、インヴェルズ・モースをアドバンス召喚する。召喚時に効果発動、1000ライフを払いカードを2枚選択してバウンスする。女戦士と、そのリバースカードだ」
モースの召喚に対して、奈落の落とし穴を発動! 落ちてもらいます」
奈落の落とし穴にチェーン、手札から侵略の一手を発動。なんかあるか」
「なっ、……ありません」
「今日は、どうやらついてるらしい。侵略の一手によりモースを戻して、1ドロー。そしてモースの効果により、選択した女戦士をバウンス……奈落はバウンスされないでそのまま墓地か」
 ここまで通ったのなら、あとはもう進むのみ。
 サモンチェーンの効果により、あと2回召喚できるのだから、倒すまではいかなくとも大打撃を与えられる。
インヴェルズ万能態を召喚、そしてそのままリリースして、インヴェルズ・ギラファをアドバンス召喚。ギラファの効果により、そのリバースカードを墓地に送り、俺は1000ライフポイント回復する」
 インヴェルズ・ギラファが自身の右腕から黒紫色の火球を轟音とともに撃ちだし、選択されたカード──盗賊の七つ道具が墓地に送られる。
「そんな、4枚あったカードが……」
「言ったろ、今日はついてるらしい。ギラファでダイレクト!」
「くぅっ!」
 インヴェルズ・ギラファの攻撃により氷川のライフポイントは4000から1400へ減少。
「カードを1枚セットして、ターンエンドだ」
「くっ、この、私のターン! ドロー!」
 氷川が涙目になっている。やりすぎた、とは思わない。なぜならこれは、デュエルだから。
 戦いにおいて、手を抜くほうが失礼だ、と俺は思っている。もちろん、時と場合にもよる理念だが。
「うっ、くっ、うぅ……異次元の女戦士を召喚! バトルフェイズ! 女戦士ギラファへ攻撃!」
 女戦士の効果により、ギラファは除外されるだろう。
 しかし、その後にこちらが下級を召喚してそれに対処できなければ負けは確定。
 それに、斥候が墓地にいてカードを伏せた、という事から、俺がセットしたのはすぐに使用できるカードという事を予想できている筈。
 今の氷川を見るに、これは意地の攻撃なのだろう。
「リバースカードオープン、侵略の波動ギラファを手札に戻して、女戦士を破壊する」
「そんなっ。うぅっ……ターンエンド、です」
「ドロー。斥候を特殊召喚して、斥候をリリースしてインヴェルズ・モースを再び召喚。モースでダイレクト!」
「な、なにもありません。私の、負けです……」

 失敗した。何を失敗したかというと、特に何も言わずにデュエルを始めた事だ。
「さぁ、デュエルに負けたのだから、2人を追いかけまわすのはやめろ」
 と言ったのだが、
「私がデュエルに負けたら監視をやめるなんて、あなたはそんな条件を提示していませんし、もちろん私も言っていません!」
 そう反論されてしまった。
 なるほど、確かにその通りだ。俺も氷川もそんな事を言ってはいない。
 だが、デュエルに負けた以上、決闘者としては(理不尽な内容でもない限り)勝者の言葉に従うべきだと思う。
 ヒールでもないのにカツカツと足音が聞こえそうに姿勢良くキビキビと歩きだした氷川の後を追いかけて横に並び、話しながら歩く。
 向かっている方向は、アキラ達が向かっていった方向。このまま進めば自然公園に行くことになる。
 自分としては、なんとかしてその歩みを止めたい。
 2人のためにでもあるが、そろそろ帰りたい。帰りがてらドーナツを食べたい。
 そんな俺の思いも知らず、氷川はこちらを見もせずに、
「ともかく、あなたのせいで2人を見失ってしまいました。一緒に探してもらいますよ」
 などと言ってきた。
「おい、待て、なんで一緒に探さなきゃいけないんだ」
「聞こえませんでしたか。『あなたのせい』で見失ったからです」
「確かにそうだけどな、いいかげん諦めたらどうだ。人の恋路を邪魔すると死んでしまうんだぞ。知ってるだろ」
 一応は罪悪感のようなものを感じているのか、氷川はこちらにサッと向きなおして、
「べ、別に邪魔しているわけじゃ」
 そう言った後すぐに視線を逸らす。恋人同士の尾行と監視なんて、よろしくないことだというのは馬鹿でも分かる。
 本人は善かれと思ってそうしているのだろうが、一瞬だけだが少々語調が弱くなったことから、氷川自身その行為の正当性に疑問を持っているのかもしれない。
「そっちにそのつもりはなくても、当人には邪魔なんだよ。大体、なんで2人を追っかけまわしてんだ。別段、2人が悪さをしてるわけでもないだろう」
「それは、2人の行く先々で乱闘騒ぎが起きるからです」
「いや、まぁそれはな。……ついてないな、あいつらも」
 自分のことではないが、思わずため息が出る。売られた喧嘩を買う方もあれだが、2人に対して同情を禁じ得ない。
 喧嘩を売る奴らの目星は見当がつく。あいつらも勝てないのによくやるな、と思う。
 しかし、今の言葉を聞く限り、氷川はアキラと尼曽根自身に、また2人が付き合っている事を問題としている訳ではなさそうだ。
 初めて会ったときは、アキラと尼曽根と一緒に、不良だの暴力的だの散々言われもしたが、最近はそう言われることも少なくなった。
 氷川もある程度柔軟になったということなのだろうか。
 少なくとも昔なら、アキラと尼曽根がデートしていたなら見つけた瞬間に、
「不純異性交遊です!」
 などと直接説教しに走っていただろうが、最近はいきなり小言を言ったりはしてこなくなった。
 デュエルをしてからそれほど時間は経っていない筈だが、自然公園への東側入り口見えてきた。
 氷川は結構、歩きが速いようだ。
 ともかく、アキラと尼曽根の今後のために、氷川を説得してさっさと帰ると決めた。
 大事な話だから歩きながら話すのもあれだろう、と思い、公園で適当なベンチを探してそこで話すとも決めた。
 とりあえずアキラに、現在地を知らせろ、というメールを送信するついでに時間を確認すると、19時直前になっていた。
 公園に入ってすぐ、左手側にベンチが2つ見えた。俺は、そこを指差して、
「そこのベンチでちょっと休もうぜ」
 氷川へ、そう促す。しかし、
「休んでいる暇なんて、ありません」
 と一蹴された。聞こえなかったことにして、氷川の腕を掴んで無理やり座らせる。
「な、なんですか!?」
「いきなり大声出すなよ、驚くだろ。大事な話だ、いいか。2人が心配なのは分かるし、喧嘩は誇れる事じゃないってのも分かる、だからってデートしてるのを監視するなんてのは無粋だと思わないか。まだ未成年だけど、もう子供じゃないんだ、喧嘩で怪我しようが、自己責任でいいと思うんだぜ。それに、アキラはそこらへんの男数人から尼曽根を守れるくらい強いし、尼曽根だって男を蹴り倒せるくらいに腕っ節は強いんだ。なぁ、デートの時くらいは2人をほっといてくれないか」
「それは、その……」
 氷川は目線を逸らして、沈黙する。しかし、すぐにこちらを向き言葉を紡ぎ始める。
「分かってます、デートを監視だなんて、卑しくて陰湿なことだって。けど、あなたは知っているでしょう? 喧嘩をすれば怪我をするんです、痛くて、血が出るんです。デュエルと違って、危険な行為なんですよ。もしかしたら、何かの間違いで死んでしまうかもしれないんです。それを自己責任という事で見過ごすことなんて、私には、できません。それに、2人が心配なのはもちろんですが、それ以上に相手の方たちが心配なんです。噂を聞きつけて現場に向かい、ちょうど喧嘩が終わった場面に遭遇した時、血だらけになっている人たちを見てなんとも言えない悲惨な気持ちになりました。その時は皆さん切り傷や打撲で済んでいましたが、いつか誰かが大怪我をしてしまうかもと思うと、私は……。ねぇ、教えてください、アキラさんたちは、あなたはなんで喧嘩なんてするのですか、私には全然理解できません」
 なんで、か。考えたこともなかった。
 氷川は、真っ直ぐにこちらを見て返答を待っている。相手が相手だけに、また自分のためにも下手なことは答えられない。
 そのために嘘を考える訳ではないが、打算的になるべく好まれないような答えを省こうとした。
 しかし、こういうのは結局素直に言ったほうがよさそうだ、と考え直し、
「俺が思うに、コミュニケーションの一種なんだよ。そして、闘うこと自体が楽しいのさ。デュエルが楽しいのと、根っこの部分では同じだと思うぜ。それよりあの2人の場合は、不可抗力で仕方なく、な事が多いと思うがな」
 そう答えた。
 氷川は、少し驚いた後にそれに対する返答を考えているようだ。
 触れ合いの一種という表現か、楽しいという事か、それとも両方に驚いたのかは分からないが、俺の答えは、氷川にとって思いもつかない理由だったのだろう。
「そうなんですか、そういうものなのですか。でも──」
 そこまで言ったところで、俺は氷川へ手を向けて、
「まぁ、待て」
 と言葉を遮った。
 氷川の言い分はよく分かる。
 運悪く当たり所が悪くとか、倒れた拍子に強く頭を打ってとか、そういう話を知らないわけじゃない。
 しかし、最悪の事を想定するなら、世の中危険だらけだ。
 氷川は、思うに優しすぎる。優しいからこそ、人に厳しい。
 優しいから、被害を抑えようとして、少ない確率の事ですら危険と判断する。
 氷川が何も言い出さないことを確認してから、一拍おいて、
「つまりは、あいつらが喧嘩しなければいいんだな?」
 と切り出す。
「明日にでも2人に言っておくさ。適当に理由つけて、今後は喧嘩をするなって。喧嘩しなければ、2人をつけなくて済むんだろう?」
「でも、2人が約束してくれても、先に言ったように、仕方なく喧嘩してしまう場合があるんじゃないですか?」
 氷川は、先から変わらずにこちらを見据えたまま、素直に疑問を口にする。
 もっともな話だ。2人が約束を守っていても、どうしようもない場合がある。
 あの2人と自分はどうにも絡まる星の下に生まれたらしく、囲まれたら逃げるに逃げれないかもしれない。
「絶対とは言い切れない。だけど、しないように頼んでみる。なんならお前も来るか? そのほうがあいつらもちゃんとしてくれるだろう。俺が適当に理由つけて頼むより効果的だと思うぞ」
 俺がそう言い終わると、間髪入れずに、
「はい、一緒にいきます」
 氷川は、強くそう答えた。

「それじゃ、帰るか」
「はい、帰りましょう」
 とりあえずは、明日ショップmayで話すことにした。
 その旨を2人に伝えようとして、携帯を開く。そこで、思い出したが、俺は尼曽根の連絡先を知らない。
 その事を氷川に伝えると、
「私が連絡しておきます」
 と言って携帯を出した。
 氷川と尼曽根の関係は、正直良いのか悪いのか分からない。
「頼んだ。ところで氷川、お前家はどこらへんなんだ」
「え? あの、ショップmayと伊田さんが働いているバイクショップの間です」
「それなら送って行ってやるよ。駅前の駐輪場にバイク止めてんだ」
 そんな悪いですよ、と氷川は辞退したが、
「女1人に夜道を歩かせたら、アキラに殺されちまう。俺のために乗ってけ」
「そ、そうですか。では、よろしくお願いします」
 無理やり送っていくことにした。
 アキラなら、というか普通の男なら下心でそういう事を言ったりするんだろうが、そういうわけじゃない。
 3ヶ月ほど前に1度、先の理由でアキラに思い切りドロップキックをくらわされたからだ。
 不意の事だったし、あの野郎加減なしでやりやがったから非常に痛かった。
 どれくらいの威力だったかと言うと、とっさにそれを受けた左腕が、蹴られてから2日も痺れたほどだ。
 さすがに悪いと思ったらしく、後日アキラから菓子折り(インヴェルズ・ローチ)を渡された。
 正直ローチは、【インヴェルズ】で使うにも使いにくいので困ったものだが、そういう気持ちだけでも十分嬉しかったというかなんというか。
 その事を思い出して、無意識のうちに蹴られた左腕をさすった。そして、左手に持ったドーナツの箱を思い出した。
「そうだ、食うか?」
 箱を開けて、氷川に見せる。氷川は、特に喜びもせず、
「あ、いいんですか。それじゃ、えぇと、抹茶をもらいます」
 と言って、ヒョイと抹茶ドーナツをつまんで口へ運んだ。こうして、抹茶シナモン戦争は、唐突に終戦を迎えた。
 アキラが、
「女の子は抹茶好きだよなー」
 とか言ってた事を思い出す。
 ともかくして、駐輪場までは歩く事になる。
 携帯を見ると、19時15分だった。ふと、物凄く空腹だという事に気づく。
 つい足が速くなりかけたが、いくら氷川の足が速いと言っても歩幅の差を考えると急ぐ訳にもいかない。
 アキラのせいで、気付けば俺も変に紳士的な行動をとってしまう様になった。
 空に月が浮かんでいる。満月に見えるが、細かく言うと違うのだろう。
 雲ひとつなく、月はその身を寂しげにそして力強く主張している。
 らしくなく、俺は思わず、
「月が奇麗だな」
 氷川に向けてというわけでもなく、独り言のように呟く。
 氷川は、俺がそんな事を言うとはまるで思わなかった、とでも言うような顔でこちらを覗きこむように見た後、月を観て、
「綺麗ですね」
 そう言った。
 そしてその後、何故かは分からないが、
「えっ、あの、今のは、そうじゃないですよね? 違いますよね?」
 と急に慌てだした。
「何が違うんだ」
 と聞いてみたが、
「べ、別に何でもありません! 違うなら、別にいいです!」
「気になるじゃないか」
「何でもありません!」
 普段、人に対して説教する時とはまた違った迫力で、うやむやにされた。
 丁度そうやって俺の質問をはぐらかされた時、携帯の着信が鳴った。鳴ったのは、俺の携帯。
 見てみると、先程アキラに送ったメールへの返信だった。
(なんだ、公園の奥のほうにいたのか)
 公園のベンチでヤキモキしていたら、喧嘩を売られたからちぎって投げていたそうだ。
(今更だけど、なんか不安になってきた)
 はたしてちゃんと言うこと聞いてくれるのだろうかこいつ、などと親友への信頼が少し減少しかけた時、また携帯の着信が鳴った。鳴ったのは、氷川の携帯。
「尼曽根か」
「えぇ、そうです。えーと……」
 アキラと一緒にいるのだから、尼曽根もそこにいるのだろう。
「『またアキラの前で喧嘩しちまったよどうしよう』ですって。ですって。……ですって」
「え。あ、おう」
 氷川の表情が、瞬間、内に眠っていた憤怒の心を表した。
「ほら、あれだ、またいつもの不可抗力で仕方なく」
 とっさに、フォローに入る。しかし、どうにもフォローしきれない気がする。
「仕方ないも何もないでしょう! さっさと走って逃げればいいものを、なぜそうなるんですか!」
「あぁ、ほら、囲まれて逃げれない場合があってな」
「1人倒して囲みを破れば逃げられるでしょう!」
「1人倒すのはいいのか?」
「あぁもう、今日という今日は許しませんよ! さぁ、行きますよ!」
「わかった、わかったから睨むな」
 氷川が、電話をかけ始める。
 電話はすぐにつながり、つながると同時に、電話の向こうにいる尼曽根へ凄い勢いで言葉の雨を浴びせかけている。
「いいですか! 今そこに行きますからね! 待っててくださいよ! 待ってなさいよ!」
 本当に怖いなこいつ、心からそう思った。ナイフ持った馬鹿とか、バット持った馬鹿と対峙した時より恐怖を感じた。
 いつのまにか、氷川はもう遠くを走っていた。やはり走っても速いようだ。
「シナモンとリングは、2人にやるかな」
 なんだか2人が不憫になり、なけなしのドーナツを渡そうと決めた。食べ物は心を癒してくれるだろうから。
 しかしそれはそれで自分の腹が苦しい。
 俺は、あとどれくらいしたら飯にありつけるのだろうか、説教は長いのかな、とかそんな事を考えながら、俺は氷川の後を追った。

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最終更新:2011年09月13日 19:42