「義家による元教え子たちのエピソード集」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
<p><font color="#993300"><u><strong>義家による元教え子たちのエピソード集</strong></u></font></p>
<p>義家の著作、インタビュー記事、国会や公的な会議での発言などから<br />
元教え子とのエピソードを集めました。</p>
<p> </p>
<p><strong>義家が唯一担任したクラスについて</strong><br />
●2000年(教職について2年目)4月~2003年3月までもちあがりで<br />
担任したクラス、36期生1年B組「義家組」と呼ぶ。<br />
●入学時は38名、卒業時は30名。<br /><br />
2000年四月。私は初めてクラスを受け持った。北星余市三十六期生の<br />
一年B組の担任である。学年のクラス数は五クラス。(不良少年の夢 p184より)</p>
<p> 2003年三月一日、卒業式当日。(略)<br />
最後に一人ひとりへの思いを綴った三十通の学級通信『義家組・最終号』を手渡した。<br />
(不良少年の夢 p262より)</p>
<p>●二年次の転・編入者数は不明。</p>
<p>●もちあがりで、二年C組、三年C組となる。</p>
<p>●メンヘラ数名(結婚の経緯参照)、自殺者2名、自殺未遂1名。</p>
<p> </p>
<p>○自殺した生徒について</p>
<p>2004年8月7日の講演より<br /><a href="http://www.yomif.jp/News1608/news160807.htm">http://www.yomif.jp/News1608/news160807.htm</a><br /><u>昨年七月</u>、「義家に会えてよかったよ、あいつだってがんばってんだよね」と<br />
親に言い残して自殺した元・生徒の話に触れ、</p>
<p> </p>
<p>義家 寂聴さん、実はたまたま今日なんですが、この九月十二日という日は、<br /><u>俺が初めて教え子を失った日なんです。その子は去年の九月十二日に自殺しました。<br /></u> 俺の教え子で中退した子ですが、今日でちょうど一周忌なんです。一年生のときに<br />
退学して、それから、少年院にずっといて、出てきてからは、真っ先に俺のとことに<br />
来てくれたので、「頑張れよ」って声だけはかけたんですけど、そのあと自殺してしまった…。<br />
(私の夢 俺の希望 p71)</p>
<p><br />
「ヤンキー先生のたからもの」p15~67よりまとめ<br />
2000年 少年院から北星余市入学<br />
1年2学期 10月退学→少年院<br />
1年半後 余市まで義家に会いに来る<br />
2003年8月23日 講演会で会う<br />
2003年9月12日 自殺</p>
<p><br />
「もしもし」<br />
すると…受話器の向こうから慟哭の叫びが私の耳を突き刺した。<br />
「先生!ユウヤが!ユウヤが!」<br />
私はすぐに、電話の相手が、私のクラスから去ってしまった、義家組初代学級委員長<br />
ユウヤの母親だとわかった。<br />
「もしもし?ユウヤがどうしたんですか?」<br />
「先生!ユウヤが…死んでしまいました」<br />
「え?」<br />
「ユウヤが、深夜、ビルから飛び降りて…死んでしまいました。<br />
自殺…したんです」<br />
「…」<br />
「先生?」<br />
「…」<br />
「せっ先生?」<br />
「…」<br />
声が出なかった。<br />
私とユウヤの中で、彼が学校を去った後も変わることなく流れていた時が、<br />
この瞬間、ピタッと止まってしまった。<br />
(ヤンキー先生のたからもの p66)</p>
<p><br /><font color="#339966">なぜか、命日が7月から9月12日に変わってます。<br />
初めて教え子を失ったのに、命日を間違えるなんて。</font></p>
<p>○もう一人自殺した教え子<br />
>■慟哭 2008年8月5日<br />
>今、連絡がきた。<br />
>教え子が自らの命を絶った。 (公式サイトの日記より)</p>
<p><br />
○自殺未遂した教え子<br />
■失望と絶望 2007年9月25日<br />
先日、教え子からメールが来た。<br />
「もう歩けないんだ…」<br />
いったいどういうことなのか問う俺に、<br />
「飛び降り…たんだ」 (公式サイトの日記より)</p>
<p><br />
●元教え子がアパートの家賃が払えないと金の無心をする。(私の夢俺の希望)</p>
<p>●精神的にボロボロになった元教え子が横浜市の教職員研修にタクシーで訪ねてきた。(週刊文春)</p>
<p>●勤務していた高校では管理売春が行われている。元締めがプリ携を使っているため逮捕できない。(バーチャル(略)研究会)</p>
<p>●元教え子がロクに契約内容も理解していないのに、携帯の販売をしている。(バーチャル(略)研究会)</p>
<p>●義家 うちの学校は悩みを相談するのに、生徒は自分の好きな先生を選べばいいんです。極端に言ったら、夜中に性病の女の子</p>
<p>を病院に担ぎ込んだりとかね。<br />
阿川 エエーッ?!<br />
義家 電話がかかってきて、「もう中が痒くて動けない。気が狂いそうだ」って言うから、「今、行く」って、無理矢理病院開け</p>
<p>てもらって、点滴打ってもらって。俺、三十二だけど若く見えるから、お医者さんに「あなた、彼氏でしょぉ?一人だけの問題じ</p>
<p>ゃないんだから」って怒られたことありますもん(笑)。<br />
(週刊文春 2003年10月16日号 阿川佐和子のこの人に会いたい)<br /><font color="#339966">32歳の男性教師にシモの悩みを相談する恥知らずな女生徒(笑)女性の教師や職員はいないのでしょうか?<br /></font>*同様の発言は「近藤サトの永田町カフェ」(<a href="http://www2.jfn.co.jp/cafe/#16">http://www2.jfn.co.jp/cafe/#16</a>)でも聞くことができます。</p>
<p> </p>
<p>●私自身も高校の教員をしてきましたが、一人外国人が入ってきました。その子はロシアの子だったんですけれども、これはもう</p>
<p>本当に苦労しました。私は社会科の教師ですけれども、ロシア語ができないのは当然なんですが、<u>もうすべて漢字にルビを振る、</u></p>
<p>
そして個別指導に膨大な時間を掛けると。一年間だけで、<u>三年生で編入してきて卒業はさせたんですけれども</u>、そうすると、そういう子が三人とか五人とかになると、非常にもう授業の進度自体が遅くなってしまうんですね。<br />
(参議院 少子高齢化・共生社会に関する調査会 平成20年2月20日)</p>
<p><font color="#339966">三年で編入=二年までは日本のほかの高校に通っていたということですよね。</font></p>
<p><font color="#339966">それなら受験合格して2年進級できるほどの日本語力はあったのでは?</font></p>
<p> </p>
<p>●教育大に通い、学生運動をしている。</p>
<p>義家 そうですね。しかし教科書がよくなるだけでは駄目です。<br />
教師の意識が変わらないと。その意味で、大学の教育学部の改革は課題です。<br />
現状では<u>左翼の牙城</u>になっています。<br /><u>私の教え子がある教育大学に在学していますが、学生運動をしています。<br /></u>
人生の過程でいろいろな経験をすることは大切ですが、教員養成系の大学での<br />
意図的な講習などは改革しなければなりません。</p>
<p> ( 「教育再生」(平成19年10月号)p7より )<br />
※北星余市のいままでの進学先<br /><a href="http://ime.nu/www.hokusei-y-h.ed.jp/career.html" target="_blank"><font color="#0000FF">http://www.hokusei-y-h.ed.jp/career.html</font></a><br />
この中で「教育大」と名乗っている大学は、北海道教育大だけ。 <br />
国会議員が北海道教育大は左翼の牙城で学生運動をしていると言ってるのですね。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p><font color="#993300"><u><strong>義家による元教え子たちのエピソード集</strong></u></font></p>
<p>義家の著作、インタビュー記事、国会や公的な会議での発言などから<br />
元教え子とのエピソードを集めました。</p>
<p> </p>
<p><strong>義家が唯一担任したクラスについて</strong><br />
●2000年(教職について2年目)4月~2003年3月までもちあがりで<br />
担任したクラス、36期生1年B組「義家組」と呼ぶ。<br />
●入学時は38名、卒業時は30名。<br /><br />
2000年四月。私は初めてクラスを受け持った。北星余市三十六期生の<br />
一年B組の担任である。学年のクラス数は五クラス。(不良少年の夢 p184より)</p>
<p> 2003年三月一日、卒業式当日。(略)<br />
最後に一人ひとりへの思いを綴った三十通の学級通信『義家組・最終号』を手渡した。<br />
(不良少年の夢 p262より)</p>
<p>●二年次の転・編入者数は不明。</p>
<p>●もちあがりで、二年C組、三年C組となる。</p>
<p>●メンヘラ数名(結婚の経緯参照)、自殺者2名、自殺未遂1名。</p>
<p> </p>
<p>○自殺した生徒について</p>
<p>2004年8月7日の講演より<br /><a href="http://www.yomif.jp/News1608/news160807.htm">http://www.yomif.jp/News1608/news160807.htm</a><br /><u>昨年七月</u>、「義家に会えてよかったよ、あいつだってがんばってんだよね」と<br />
親に言い残して自殺した元・生徒の話に触れ、</p>
<p> </p>
<p>義家 寂聴さん、実はたまたま今日なんですが、この九月十二日という日は、<br /><u>俺が初めて教え子を失った日なんです。その子は去年の九月十二日に自殺しました。<br /></u> 俺の教え子で中退した子ですが、今日でちょうど一周忌なんです。一年生のときに<br />
退学して、それから、少年院にずっといて、出てきてからは、真っ先に俺のとことに<br />
来てくれたので、「頑張れよ」って声だけはかけたんですけど、そのあと自殺してしまった…。<br />
(私の夢 俺の希望 p71)</p>
<p><br />
「ヤンキー先生のたからもの」p15~67よりまとめ<br />
2000年 少年院から北星余市入学<br />
1年2学期 10月退学→少年院<br />
1年半後 余市まで義家に会いに来る<br />
2003年8月23日 講演会で会う<br />
2003年9月12日 自殺</p>
<p><br />
「もしもし」<br />
すると…受話器の向こうから慟哭の叫びが私の耳を突き刺した。<br />
「先生!ユウヤが!ユウヤが!」<br />
私はすぐに、電話の相手が、私のクラスから去ってしまった、義家組初代学級委員長<br />
ユウヤの母親だとわかった。<br />
「もしもし?ユウヤがどうしたんですか?」<br />
「先生!ユウヤが…死んでしまいました」<br />
「え?」<br />
「ユウヤが、深夜、ビルから飛び降りて…死んでしまいました。<br />
自殺…したんです」<br />
「…」<br />
「先生?」<br />
「…」<br />
「せっ先生?」<br />
「…」<br />
声が出なかった。<br />
私とユウヤの中で、彼が学校を去った後も変わることなく流れていた時が、<br />
この瞬間、ピタッと止まってしまった。<br />
(ヤンキー先生のたからもの p66)</p>
<p><br /><font color="#339966">なぜか、命日が7月から9月12日に変わってます。<br />
初めて教え子を失ったのに、命日を間違えるなんて。</font></p>
<p>○もう一人自殺した教え子<br />
>■慟哭 2008年8月5日<br />
>今、連絡がきた。<br />
>教え子が自らの命を絶った。 (公式サイトの日記より)</p>
<p><br />
○自殺未遂した教え子<br />
■失望と絶望 2007年9月25日<br />
先日、教え子からメールが来た。<br />
「もう歩けないんだ…」<br />
いったいどういうことなのか問う俺に、<br />
「飛び降り…たんだ」 (公式サイトの日記より)</p>
<p><br />
●元教え子がアパートの家賃が払えないと金の無心をする。(私の夢俺の希望)</p>
<p>●精神的にボロボロになった元教え子が横浜市の教職員研修にタクシーで訪ねてきた。(週刊文春)</p>
<p>●勤務していた高校では管理売春が行われている。元締めがプリ携を使っているため逮捕できない。(バーチャル(略)研究会)</p>
<p>●元教え子がロクに契約内容も理解していないのに、携帯の販売をしている。(バーチャル(略)研究会)</p>
<p>●義家 うちの学校は悩みを相談するのに、生徒は自分の好きな先生を選べばいいんです。極端に言ったら、夜中に性病の女の子</p>
<p>を病院に担ぎ込んだりとかね。<br />
阿川 エエーッ?!<br />
義家 電話がかかってきて、「もう中が痒くて動けない。気が狂いそうだ」って言うから、「今、行く」って、無理矢理病院開け</p>
<p>てもらって、点滴打ってもらって。俺、三十二だけど若く見えるから、お医者さんに「あなた、彼氏でしょぉ?一人だけの問題じ</p>
<p>ゃないんだから」って怒られたことありますもん(笑)。<br />
(週刊文春 2003年10月16日号 阿川佐和子のこの人に会いたい)<br /><font color="#339966">32歳の男性教師にシモの悩みを相談する恥知らずな女生徒(笑)女性の教師や職員はいないのでしょうか?<br /></font>*同様の発言は「近藤サトの永田町カフェ」(<a href="http://www2.jfn.co.jp/cafe/#16">http://www2.jfn.co.jp/cafe/#16</a>)でも聞くことができます。</p>
<p> </p>
<p>●私自身も高校の教員をしてきましたが、一人外国人が入ってきました。その子はロシアの子だったんですけれども、これはもう</p>
<p>本当に苦労しました。私は社会科の教師ですけれども、ロシア語ができないのは当然なんですが、<u>もうすべて漢字にルビを振る、</u></p>
<p>
そして個別指導に膨大な時間を掛けると。一年間だけで、<u>三年生で編入してきて卒業はさせたんですけれども</u>、そうすると、そういう子が三人とか五人とかになると、非常にもう授業の進度自体が遅くなってしまうんですね。<br />
(参議院 少子高齢化・共生社会に関する調査会 平成20年2月20日)</p>
<p><font color="#339966">三年で編入=二年までは日本のほかの高校に通っていたということですよね。</font></p>
<p><font color="#339966">それなら受験合格して2年進級できるほどの日本語力はあったのでは?</font></p>
<p> </p>
<p>●教育大に通い、学生運動をしている。</p>
<p>義家 そうですね。しかし教科書がよくなるだけでは駄目です。<br />
教師の意識が変わらないと。その意味で、大学の教育学部の改革は課題です。<br />
現状では<u>左翼の牙城</u>になっています。<br /><u>私の教え子がある教育大学に在学していますが、学生運動をしています。<br /></u>人生の過程でいろいろな経験をすることは大切ですが、教員養成系の大学での<br />
意図的な講習などは改革しなければなりません。</p>
<p> ( 「教育再生」(平成19年10月号)p7より )<br />
※北星余市のいままでの進学先<br /><a target="_blank" href="http://ime.nu/www.hokusei-y-h.ed.jp/career.html"><font color="#0000FF">http://www.hokusei-y-h.ed.jp/career.html</font></a><br /><font color="#339966">この中で「教育大」と名乗っている大学は、北海道教育大だけ。 <br />
国会議員が北海道教育大は左翼の牙城で学生運動をしていると言ってるのですね。</font></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>