ヘラクレイオス1世

【元ネタ】史実
【CLASS】ルーラー
【マスター】
【真名】ヘラクレイオス1世
【性別】男性
【身長・体重】190cm・100kg
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力B 耐久A 敏捷C 魔力C 幸運B- 宝具A+
【クラス別スキル】
対魔力:EX
 揺るぎない信仰心によって高い抗魔力を発揮する。
 ただし、魔術を逸らして(かわして)いるだけなので、広範囲魔術攻撃の場合、助かるのはルーラーだけである。
 教会の秘蹟には対応しない。

真名看破:C
 ルーラーとして召喚されると、直接遭遇した全てのサーヴァントの真名及びステータス情報が自動的に明かされる。
 ただし、隠蔽能力を持つサーヴァントに対しては発揮されない。

神明裁決:B
 ルーラーとしての最高特権。
 聖杯戦争に参加した全サーヴァントに一回令呪を行使することができる。
 他のサーヴァント用の令呪を転用することは不可。

【固有スキル】
環境戦略:A
 土地の性質を利用し、それを自らの戦術に組み込む。
 このスキルは戦場で使用する場所を深く理解する事によって初めて効果を発揮する。
 一例を挙げるならば、ルーラーの場合はニネヴェの戦いを征した際に利用した濃霧が発生する場所も利用できる。
 発生した霧は敵軍が放つ遠距離攻撃に回避判定を与え、成功すれば攻撃を回避する。
 逆に霧に包まれた敵軍は自らの居場所を把握する事は出来ず、軍略系スキル、軍勢系の宝具を使用する際にファンブルの確率が高まってしまう。

皇帝特権:B
 本来所有していないスキルを短期間獲得することができる。
 騎乗、剣術、芸術、カリスマ、と多岐にわたるスキルを習得できるが、
 宝具『聖十字の祝福』の真価を発揮するには一時的に本スキルを封印する必要がある。

十字の加護:B
 聖十字架を宝具として持った事による恩恵のスキル化。
 ルーラーの回復を助け、またルーラーへの守護を強めている。

ハギア・ソフィアの祈り:B(C-)
 ハギア・ソフィア大聖堂の守護を獲得する。
 本来さほどの効果は期待できなかったが、十字の加護によりランクが向上している。

開かれし棺:A
 ルーラーの死後三日間は棺に封をしない事を遺言した逸話からのスキル。
 霊核が破損するレベルのダメージを受けた場合、棺を召喚、自らをその中に保存する。
 棺の中に入った後は外部から魔力を注ぎ込む事で宝具『聖十字の祝福』の効果も合わさり、蘇生を遂げる事が可能。
 但し必要魔力は膨大であり、また棺の中に入ってから三日が経過するとそのままルーラーは消滅する。

【宝具】
『聖十字の祝福(スタヴロス・コイネー)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人
 かつてゴルゴダの丘にて、かの者の磔刑に使われたとされる十字架。
 復活の象徴であり、病を癒し、死者を蘇生させる等といった伝説を持つが故に宝具としての主な効果は癒しの力となる。
 真名解放せずともルーラーの肉体を活性化させ回復を促進する。
 そして真名解放を行えば自陣営全体の傷を癒し、更に自らの皇帝特権スキルを封印する事で自陣営全体を包む防壁を発生させる。

【解説】
東ローマ中期の皇帝にしてヘラクレイオス朝の開祖。
 アルメニア人貴族にしてカルタゴ総督の父とユスティニアヌス1世の妹ウィギランティアの曾孫の母を持つ。
 彼が皇帝に即位したきっかけは当時暴政を行っていた東ローマ皇帝フォカスに父が反乱した事にある。
 ヘラクレイオスは首都コンスタンティノポリスへ艦隊を率いて攻める事で、婚約者を人質に取られる事態もあったが2日で首都は開城し、フォカスは処刑された。
 そしてコンスタンティノープルに入城したヘラクレイオスは皇帝として任命された。

 しかし当時東ローマ帝国は滅亡の危機に瀕していた。
 大地震、ペスト大流行、ユスティニアヌス1世の相次ぐ遠征や建築事業などによる財政破綻や軍事力の低下、そしてササン朝ペルシアの侵攻。
 シリア・パレスティナ、次いでエジプト・アナトリアを占領され、首都間近にササン朝軍が迫ってきていた。
 更にかの者の磔刑に使用されたとする十字架、聖十字架をササン朝に奪われ、帝国の権威は地に墜ちた。

 ヘラクレイオスはしばらく何も手を打てず、一度カルタゴへの逃亡を図ったが、奮起し自ら軍を再建。
 6年もの間ほとんど首都を離れて親征を行った。
 そして627年にニネヴェの戦いでササン朝に勝利、翌年に自らササン朝首都クテシフォンへ侵攻して勝利を収める。
 更に同年ササン朝ではホスロー2世の暗殺により和平派が台頭、カワード2世と和睦し領土と聖十字架を奪い返すことに成功した。
 首都コンスタンティノポリスヘ凱旋したヘラクレイオスは、従来の皇帝の称号「インペラトル」ではなく、
 「キリスト信者のバシレウス(ササン朝など周辺諸国の「王」を示すものだった言葉)」と名乗った。
 以後バシレウスが東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。

 しかしアラビア半島でイスラム教を信仰するアラブ人が勢力を拡大し、シリアへの侵攻を開始した。
 ヘラクレイオスは自ら軍を率いて撃退しようとしたが、ヤルムークの戦いでアラブ軍に敗れてシリア・パレスティナを失い、敗戦の衝撃で病に倒れた。
 病に倒れた後は、後継者問題や、宗教対立などに苦しみながらもイスラムに対する防衛線を構築するのに尽力した。
 そして641年2月11日に没した。
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最終更新:2023年09月13日 21:36