世界の政治思想一覧

目次

自由民主主義


 自由主義と民主主義との統合は思想史的に見て決して自明なものではなく、多様なニュアンスを持つこれら両者の結合がヨーロッパで正統的制度として確立するには20世紀を待たねばならなかった。それは権力からの自由、その意味で私的な消極的自由の理念と、政治へ参加する自由、いわゆる積極的自由の理念とをいわば相互補充的に結びつけた性格を持ち、基本的人権のカタログはこれら自由権を具体的な形で規定したものである。
 自由民主主義において政治社会の基本的単位は個人であり、彼は私的自由を享受するのみならず政治的意思決定の形成に与かる。各人は理性の持ち主として自らの自発性に基づいてこの意志形成過程に参加し、討論と説得そして妥協を通じて結論を導き出す。ここでは何よりも自らの見解と異なる見解への傾聴と寛容とが必要であり、このような基盤の上でのみ多数決は多数の専制に陥らずに機能することができる。思想信条、言論出版、集会結社などの自由はこのような基本理念を実現するために不可欠の条件と考えられ、それらの保障は自由民主主義の存在にとって決定的意味を持つ。統治機構はこのような基本理念が現実化される制度的場であり、その内容はイギリス型議院内閣制であったり、アメリカ型大統領制であったり、決して同一ではない。

マルクス主義と改良―修正主義


 マルクス主義の戦略は、社会的矛盾が革命的状況を作り出すほどに資本主義社会が「成熟」しなければ革命は不可能である、という原則に基づいており、マルクス主義者はこの原則によってユートピアンから自ら(科学的社会主義)を区別していた。西欧・中欧の正統マルクス主義者はこの原則を信奉しつつ、他方自ら重要な政治勢力に成長しながらも非社会主義勢力との協調を原則的に拒否し続けた。この間にも資本主義社会と労働者の社会的条件とは諸々の変化を受け、マルクス主義政党(者)の政治活動のあり方は避けて通ることのできない問題となりつつあった。この問題はE・ベルンシュタンの論文を契機にドイツ社会民主党内に論議の嵐を巻き起こすことになる。
 改良主義を唱える英国のフェビアン協会と接触していた彼は何よりもマルクスの資本主義の運命に対する預言―正統派の戦略はこれに基本的に依拠していた―に重大な疑義を唱えた。即ち中産階級は消滅せず、資本家の数はむしろ増大し、総生産の増大は一人当たりの富の増大をもたらし、労働者の境遇は改善され、資本主義の危機は近づきつつあるどころかむしろ遠ざかりつつある。他方プロレタリアートの数は増加せず、しかも彼らは均質的でなく互いに対立する利害関係を保ち、したがってかかる階級が階級意識に満ちた独裁を可能にする革命を行うと期待するのは全くの幻想である、と。
 ベルンシュタインは労働者階級の搾取と悲惨な状態とを是正することや、階級に対する階級の支配を打倒することを主張しないわけではない。彼にとって問題はマルクスの預言への盲目的信従を改め、政治的民主化の流れのなかで労働者の境遇を改善すべく積極的な政治活動を展開することにあった。そのことは民主化された既成の国家を前提にし、更に社会主義に好意を寄せる人々との協調を当然予定する。そして暴力的革命やそれへの待望ではなく、交渉と妥協とが社会主義者にとって唯一実効的な行動となる。こうして社会主義は自由民主主義の制度化と結びつき、改革と協調とを旗印とする新たな運動への展望が生じた。このような社会主義の流れは第一次大戦を経て社会民主主義として現れ、今日に至るまで共産主義とともに社会主義の二大潮流を形成している。

マルクス主義と革命―共産主義


 レーニンの議論において最も注目されるのはその党理論(それは当然運動論につながる)である。彼は労働組合と社会主義とを峻別し、労働者は外から働きかけを受けない限り労働組合主義者にはなっても社会主義者となりはしないと規定する。彼によれば労働者はインテリ的職業革命家が外部から社会主義思想を注入することによって社会主義的意識を持つに至るのであり、革命は決して自然発生的に生ずるのではない。労働組合主義に陥っているベルンシュタイン流の「経済主義」派に対して、社会主義革命を目指す党は次のように組織されねばならない。第一にこの党は労働組合と連続した、広汎な成員から成るものでなく、小数の職業的革命家から成る、秘密集団で無ければならない。第二にそれは一定の討論を前提にしつつも、いったん決定が行われた以上その執行が無条件に要求される、集権的組織原理を持たねばならない(「民主集中制」)。こうして党はプロレタリアートの前衛となる。
 このような党理論はレーニンの議論の中の一部にすぎず、彼の労農提携政策や二段階革命論は後進地域へのマルクス主義革命理論の「創造的」適用として注目されており、帝国主義論もまた国際的支配関係のみならず先進資本主義国の分析として大きな影響を与えた。しかしながらこの党理論が決定的に重要性を持つのは、この理論が革命途上において適用されたのみならず、諸般の事情も加わってそのまま革命後の統治原理となったからである。プロレタリアートの独裁はその前衛の、従って党の独裁となり、党の独裁は党中央委員会のそれへと等置される。そしてこれらエリートは敵対する階級の絶滅と社会の根本的変革とに可能な絶大な権力を持ち、巨大な官僚制がその下に成立する。このような党理論を前提とする革命と社会主義のあり方は社会主義者の間で大きな議論を呼ぶこととなった。今日注目を集めているユーロコミュニズムはこのようなモデルそのものを根本的に再検討する姿勢を示している。

毛沢東思想(マオイズム)


毛沢東思想とは、毛沢東を代表とした中国共産党が、マルクス・レーニン主義の基本原理と中国の実情を結合させた理論成果であり、中国式マルクス主義であり、中国人民の革命と建設の指導思想であり、半封建半植民地における人民による革命の理論である。

1)毛沢東思想の誕生
阿片戦争後、中国は次第に半封建半植民地国家への道を歩むこととなる。その中で中国人は民族の出路を見出すべく、当初西洋の新理論に学び、続いて明治維新を成し遂げた日本を学ばんとしたが、「教師が学生を侵略」する現実を前にして、中国人が西洋に学ぶ迷夢は帝国主義によって打ち砕かれることとなった。百日維新、辛亥革命を含む全国規模の運動は悉く失敗に終わり、西洋政治思想への懐疑が生まれ、増大し、発展する中、1917年ロシア十月革命の砲声が中国にマルクス・レーニン主義をもたらした。しかし半封建半植民地の中国においての革命は、西洋資本主義国家やロシアとその国情が著しく異なり、マルクス・レーニン主義の著作にもその具体的答案を求めることもできず、また類似した革命経験も世界に存在しなかった。そこで、毛沢東を代表とした中国共産党は、中国の国情から出発し、マルクス・レーニン主義の基本原理と中国の革命と建設の具体的状況を結合させた、毛沢東思想を生み出すこととなった。
2)毛沢東思想の形成及び発展の歴史過程及びその特徴
一、党の創建と国民革命時期:毛沢東思想の萌芽
党の創建から北伐までの時期になされた毛沢東思想萌芽の最も象徴的なものは、新民主主義革命の基本思想が提出された点と、マルクス主義と中国革命の実際とが初級結合に至った点である。
 1922年7月、中国共産党第二次全国代表大会(以後、歴次中国共産党全国代表大会はその次数を含め「中共二大」の如く表記する)において最高綱領と最低綱領が制定された。最高綱領に曰く、無産階級を組織し、階級闘争の手段を用い、労農独裁の政治を打ち建て、私有財産制度を排除し、漸次共産主義社会に到達すべし。最低綱領に曰く、内乱の排除、軍閥打倒、国内平和の建設、国際帝国主義による圧迫を覆し、中華民族完全独立に到達し、統一中国本土(東三省を含む)を真の民主共和国と為すべし。中共二大は初めて全国人民の前に徹底した反帝半封建の民主革命現段階綱領を示し、また中国共産党がマルクス・レーニン主義と中国革命の実際を初級結合させた現れであり、中国革命に方向を示した。1923年6月、中共三大は孫中山の指導する国民党と国共合作の統一戦線方針と政策を確定し、共産党員は個人名義でそれぞれ国民党に加入、国民党と党内合作を開始した。1925年1月、中共四大は無産階級の民主革命中における指導権と、工農連盟の重要性を指摘した。それと時を同じくして毛沢東は《湖南農民運動考察報告》と《中国社会各階級分析》を発表、党のこの時期における理論成果の代表であると同時に、毛沢東思想萌芽の代表作となった。毛沢東は《中国社会各階級分析》の中で「一切の帝国主義と結託している軍閥、官僚、買弁階級、大地主階級及び彼らに付属する一部分の反動知識界は我々の敵である。工業無産階級は我々による革命の指導力である。全ての半無産階級、小資産階級は、我々に最も近い友人である。動揺して定まりの無い中産階級は、その右翼は我々の敵と成り得、その左翼は我々の友人となりえる。しかし我々は常に彼らを防ぐ必要があり、彼らに我らの陣営を撹乱させてはならない。」と論述し、誰に頼るべきか、誰と団結すべきか、誰を叩くべきかを明確にした新民主主義革命の基本路線を示した。《湖南農民運動考察報告》のなかで、毛沢東は農民運動の種々の困難に回答を与えるばかりではなく、農民の民主革命における偉大な歴史的作用を充分に予想し、群集を信じ、群衆に依拠し、群集を発動し、群集の創造精神を尊重する革命思想について述べた。《報告》では無産階級指導権の中心問題たる農民問題を正確に解決し、マルクス主義が中国革命の実践と結合し始めたことをあらわし、以後の党の新民主主義革命総路線の前身となり、毛沢東思想の萌芽の象徴となった。
(編集中)

サンディカリズム


 社会主義の「新しい学派」と自称するサンディカリズムは、主として第一次世界大戦前のフランスにおいて大きな影響力を持った独特の革命理論である。マルクス主義者が改良にしろ革命にしろ、いづれも政治への参画の中で社会的変革を実現しようとするのに対して、サンディカリズムにおいては労働組合が資本家ならびに政治権力と直接対決し、革命の担い手となる。サンディカリズムの目標はマルクス主義者と同様であるが、しかし彼らは国家そのもの、政治活動そのものに対する不信感においてマルクス主義と一線を画している。そこでは、労働組合自身が単なる物質的利益の実現以上の目的を持つものと考えられ、それは革命組織であるとともに革命後の統治機関とされる。
 革命行動の方法として最も重要なものが「ゼネ・スト」である。サンディカリズムにおいて「ゼネ・スト」は資本家及び国家に対する労働者の戦闘意欲を高め、労働者相互の連帯性を強化する効果を持ち、根本的社会変革のための武器となる。G・ソレルによれば正に「ゼネ・スト」は社会神話であり、それは重大な社会的帰結をもたらす。彼はまた暴力行使を労働者の勇気、力量、自負を育てるものとして正当化した。
 サンディカリズムはその行動主義からも明らかなごとくマルクス主義に付きまとう経済決定論的色彩に全く無縁である。他方この行動主義は所与の抑圧関係の打破を主たる信条とし、そこには革命のための方策は見られるが、革命後の統治方策はほとんど見られず、むしろその青写真の提示はサンディカリズムの力の源泉である夢想的直感を破壊するものとして退けられる。このような性格はその反国家主義と同様、サンディカリズムに対するアナーキズムの強い影響を物語っている。

ギルド社会主義


 ギルド社会主義は英国において台頭した独自な社会主義理論であり、それは資本主義社会の根本的変革を求める点で他の社会主義と同様である。しかしここで注目されるのはギルドという言葉に込められたこの社会主義の理念である。この場合ギルドとは人間の創造性と自発性とに支えられた労働を可能にする組織、制度を象徴し、それは高度に分業化された近代的労働体制のあり方に対置させられる。従ってギルド社会主義の独自性は労働者の創造性と自発性に根拠をおく、労働者による生産活動の直接的管理に求められる。それは資本主義に対決するのみならず、官僚化した独裁的権力による生産活動の中央集権的コントロールとも決定的に対立する。
 ギルド社会主義は産業別、職能別に組織された諸ギルドを単位とし、各ギルドは他に対して自立するとともにそれ自身の内部は民主主義的構造を持ち、各ギルドの地域的規模の大きさは業種によって多様とされる。そして各種生産計画の決定や実施は各ギルド間の相互交渉、更にはギルドの全国会議によって決定される。このような労働者の自発性を根拠とする組織原理はサンディカリズムとの親近性を示唆しているが、しかし両者は国家に対する態度において根本的に異なっている。即ちギルド社会主義は単に反国家的ではなく国家機能を再吟味した上でその存在を認める。例えばG・D・H・コールは当初から国家の主権性を否定し、やがて経済活動の領域から国家の存在を完全に締め出し、その機能を個人的関係(結婚や犯罪)、軍事や外交に限定するに至った。しかし国家とギルドとの関係はそれ自体複雑であり、しかも論者によって多様な見解の表現が見られるが、総じて国家を非主権的に捉え、社会を機能的のみならず地域的に自立した集団の協調関係として把握する点が顕著である。

アナーキズム


 政治権力そのものを攻撃し、否定するという意味でのアナーキズムは決して近代に特有の現象ではないが、近代のアナーキズムは他の諸々の思潮と結びつくことによって独特の展開を遂げるに至った。M・バクーニンやP・クロポトキンの思想は第一に進歩の理念によって支えられている。すなわち、人間社会が人間の獣性や優越性の支配する世界から、相互扶助と協調との世界へと発展していくことは「科学的」真理である。第二にそのような発展を妨害し、旧来の状態に人間を押し込めようとするのが私有財産、国家それに宗教であり、これら諸制度に対する批判において彼らは社会主義者の議論に接近するが、ここでの批判は人間の自然のそれらによる抑圧や強制へと何よりも向けられる。
 第三にこのような発展傾向は自然に完成するものでなく、それを阻害する諸要因を除去するためにはエリート集団に率いられた革命が必要となる。そこには当然暴力的破壊が伴うが、破壊対象は制度であって個々人ではないとの根拠からテロがそれ自体として直ちに是認されることは無い。第四にこの革命は決して国家権力の存在や一階級の独裁をもたらすものでなく、直ちに人間の自発性に基づいた、肉体的・精神的強制から自由な結合関係をもたらす。人間の自然の十全な開花は怠惰や犯罪を生み出すものでなく、平和と秩序、そして豊かさを保障する。人間は依然として社会的存在であり続けるが、それはあくまでも自由の相互承認の基礎の上に築かれる関係である。

ナショナリズム


ナショナリズムとは総じて地域的、文化的、言語的、人種的親和性に支えられたある人間集団の情緒的一体感の主張であり、それがいかなる政治体制と結びつき、いかなる政治運動を喚起するかは一義的に決定できない。従ってそれは当然時代的、地域的に極めて多様な形で現れる。
 しかし近年ナショナリズムの性格には顕著な変化が現れた。第一はリベラル・ナショナリズムを支えていた、レッセ・フェール(自由放任主義)の理念の後退である。そこに国家と経済との密接な関係が発生し、イギリスの世界経済に対する支配権の動揺と関税戦争とが生じた。しかも第二に注目すべきことは、このような国家機能の変質が政治民主化と時期的に重なったことである。今や国家は大衆の経済的・社会的要求をもはや無視することができず、社会主義的改革要求はナショナリズムの尖鋭化をもたらした。レッセ・フェールのメダルの裏側であった社会主義インターナショナリズムはかくして無残な終末を迎えることになった。そして第三に民族国家の著しい増加はこのようなナショナリズムの尖鋭化を阻止するものでなく、かえって国際政治を複雑で緊張に満ちたものとすることになったのである。

ファシズム


 イタリアの中から忽然と姿を現したムッソリーニの率いるファシズムは、「全ては国家のためにあり、国家に敵対し、その外部に存在するものは何も無い」をモットーとする。その主張によればリベラリズムは個人の利益へ志向し、社会主義は一階級の利益を目標とし、ともに利己的かつ反社会的原理によって支えられている。これに対してファシズムは民族と国家とへの個人の全面的かつ英雄的献身を主張し、国家生活のあらゆる側面をこの原理に従って統制することを唱える。ファシズムのイデオローグであったヘーゲル主義者G・ジェンティーレによれば、その究極目標はイタリアとその政府とを強力で華々しい存在たらしめることにあった。
 個人の自由、平等、諸権利は有機体的で階層状に形成された民族国家論によって置換され、人間の自由はかかる民族国家の原理に服従し、それを担うときにのみ実現される(「最大の自由は国家権力の極大化と合致する」)。そのことはファシズムのスローガン、「責任、規律、指導者への服従」に明らかである。そして国家の構成単位は個々人でなく、社会的・経済的諸団体であり、これらの諸団体に対しては民族の利益と意志との下での協力が要請された。諸政策と諸活動は全て国家意思の下に統一され、教育はこの理念を鼓吹し、植えつける場となり、暴力もこの目的との関連で神聖となる。
 この体制の下、民族意識を感知できる人間の数は少数であり、国家の主権の現実の担い手はこれらのエリートである。大衆はこれらエリートの決定を受動的に喝采し、その命令に厳格に服従し、自らに与えられた任務を積極的に実行すべき存在であって、決して国家生活を導いたり、政治指導者を批判する存在たりえない。全てはムッソリーニの判断と指導とに委ねられる。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年01月30日 14:36
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。