運命を動かす出会いから、一体何日が経過しただろう。
 怪人が現れて、それを撃破する。そんな日々の繰り返し。
 まるで時間が加速しているのかとすら錯覚してしまう。
 それ程に、彼女たちの毎日は多忙であった。

「はぁっ! ふんっ! せやぁっ!」

 今日も今日とて、いつもと変わらぬ戦いを続ける。
 フェイトが背を預ける相手は、蠍の仮面を身に付けた紫の戦士。
 振るう剣の一太刀一太刀が鈍器の様に重く、しかし吹き抜ける風の様に鋭く。
 紫と黒金の刀は、敵であるワームの急所を一片も違わず、斬り倒してゆく。
 紫の仮面が通り抜けた後に残るのは、緑の炎と爆音のみだった。
 最後に残ったのは、成虫となった緑色のワームのみ。
 地球に存在する「蟷螂」に似たワームだった。

「後はあの親玉だけっ……! 剣、このまま連携で行ける?」
「ああ、心配は無用だ! 行くぞフェイト!」

 フェイトの問いに、力強い頷きで返すサソード。
 全くもって、これ以上ないと言う程に頼もしい味方だ。
 彼の動きは、彼女の知る限り最高の剣の使い手であるシグナムにも劣らない。
 ――否。もしかすると、あのシグナムすらも上回るのではないだろうか。
 フェイトが思わずそう考えてしまう程に、神代剣の実力は本物であった。

『Haken Saber.』

 バルディッシュを一閃。
 光の刃となった魔力刃が、大気を切り裂いてワームに迫る。
 一発目の着弾を確認せず、二発目、三発目、四発目と連射。
 速度と攻撃力にのみ重点を置いた攻撃を、咄嗟に回避するのは難しい。
 クロックアップをしようとしたのだろうが、その判断も既に遅く、魔力刃は全弾命中。
 蟷螂に似た緑の外骨格を魔力刃に切り裂かれ、その身を軽く爆ぜさせる。
 それからようやく、ワームはこの時間軸から姿を掻き消した。

 ――CLOCK UP――

 サソードのベルトから鳴り響く電子音。
 フェイトの視界から蠍の仮面が消える頃には、フェイトも身に纏ったマントを脱ぎ捨てていた。
 ただただ速度と攻撃力だけを追い求め、今でも進化を続けるその姿の名は、ソニックフォーム。
 レオタード姿になったフェイトは、自分の身体速度を音速にまで引き上げる。
 一瞬でその姿が掻き消えて、フェイトの姿が音速の世界へ突入した。

「――ッ!?」

 研ぎ澄まされた感覚で、敵のワームが驚愕に息を詰まらせるのが聞こえた。
 漆黒のデスサイズを振り上げたフェイトと、紫の刀を振り上げたサソード。
 その場に佇む緑のワームの身体を、既に二人の刃が挟み打ちをしていた。
 ヒヒイロノカネで造られた刃と、魔力の刃がワームを前後から切り裂く。
 その身体を爆ぜさせて、無様にアスファルトを転がったのは、ワーム。

「これで、終わらせるっ……!」

 バルディッシュが、がしゃんと音を立ててカートリッジを吐き出した。
 高出力の魔力がバルディッシュに充填されて、心なしか魔力の刃がその光を増した様に見える。
 夕焼けの太陽をバックに、フェイトがその姿を掻き消し――再びワームの目前に出現。
 振りかぶったその大鎌を、力の限り――

「お、俺の負けだ……! 許してくれ!」
「――なっ!?」

 金に光輝く魔力刃が、ワームの首を掻き斬ろうとした、まさにその直前だった。
 突然のワームの言葉に、デバイスを握り締めるフェイトの手がぴたりと止まる。
 赤の瞳を目一杯見開いて、突然の敵の行動に困惑。その判断を鈍らせる。
 眼前のワームがその場で土下座し、フェイトに赦しを乞い始めたのだ。

「俺の負けだよ! もう人は襲わない、だから命だけは助けてくれよぉ!」
「本当に……? もう、人は襲わないって約束する……?」

 かちゃりと音を立てて、振り上げたバルディッシュを下ろした。
 この言葉を信じていいのかは分からない。だけど、誰にだって更生のチャンスはある。
 自分だってそうだ。過去に犯した過ちを、皆が許して、受け入れてくれたから、今の自分がある。
 だから出来る事なら、自分も許せる側の人間になりたい。
 あの時自分を受け入れてくれた、なのは達の様に。
 だけど、その判断は致命的なミスで――。

「ああ、約束するよ……! だから――!」

 目の前の緑のワームの姿が掻き消えた。
 それがクロックアップだと判断する前に、フェイトはその首根っこを掴まれていた。
 柔な人間の肌など片手で握り潰してしまいそうな怪力で、ぎりぎりとフェイトを締め上げる。
 突然の行動に何の対処も出来ずに、ただただ苦しみに息を吐き出す事しか出来なかった。

「だから――死んでくれよ」
「私を……だま、し……っ――」
「ワームの言葉を信じる方が悪い。自分の甘さを呪うんだな、ガキが」
「こんな……っ、ところ、で……」
「安心しなよ。お前は俺の中で生き続ける……ワームとしてな」

 頭が鉛の様に重たくなって行く、そんな錯覚。
 平衡感覚が無くなって、フェイトの視界が霞んで行く。
 酸素が足りない。痛みよりも何よりも、フェイトを動かすだけの酸素が足りない。
 自分はここで、このまま死んでしまうのか――そんな疑問と共に、感じる憤り。
 こんな汚い奴に騙されて、無様に死んでしまう自分への、苛立ち。
 剣からの助けを求めようにも、一向に剣は現れない。
 自分を置いて、何処かへ逃げてしまったのか。
 そう考えた矢先の出来事であった。

「――ッ!!」

 霞んで行くフェイトの視界に映ったのは、赤い閃光。
 カブトムシにも見えるそれが、ワームの腕に痛烈な打撃を与え、その腕の力を弱めさせた。
 そのまま機械仕掛けのカブトムシは、ワームの身体に体当たりを仕掛ける。
 怯んだワームの胴体に蹴りを叩き込んで、拘束を無理矢理振りほどいた。
 どさりと音を立ててその場に落下。気付けば、赤いカブトムシは一人の男の手に収まっていた。

「……あの人っ!!」

 フェイトは知っている。
 赤いカブトムシを手にした、その男を。
 何故か学校の屋上でパンを売る、謎の多い男。
 天の道を往き、総てを司る男――その名は、天道総司。

「変身」

 天道が、赤いカブトムシを銀のベルトに叩き込んだ。
 同時に、銀の六角形が輝きを放ちながら天道の身を包んで行く。
 重厚な銀と赤の装甲に覆われたその姿には、確かな見覚えがあった。
 フェイトの記憶が正しければ、あの装甲が弾け飛んだ先には――

 ――CHANGE BEETLE――

 起立した赤い角はカブトムシを彷彿とさせる。
 鮮やかなブルーの複眼が一際輝いて、電子音が響き渡った。
 フェイトの記憶と寸分違わない。その姿は、あの夜初めて目撃した仮面ライダー。
 カブトムシの趣をそのまま赤の装甲に凝縮した様な外見の、そのライダーの名は。

「カブト!!」

 仮面ライダーカブト。
 意味の分からない行動で戦場を引っかき回し、弟切ソウの光を奪った男。
 私利私欲の為だけに戦い、自分の邪魔をする者は潰して進む悪人ライダー。
 人々を守る上で、絶対に障害になるであろう悪のライダーが、そこには居た。

 だけどフェイトは知っている。天道総司という男を。
 一緒に居た時間は少ないけれど、彼が本当は誰よりも優しくて、不器用だと言う事を。
 あの日、パンを分け与えてくれた天道総司が、悪人であるカブトである筈がない。
 ――そう思いたかったが、現実は違う。現に天道は目の前でカブトになったのだ。
 驚愕の中で、それでもフェイトはカブトの元まで飛翔し、声を掛ける。

「助けてくれてありがとう、カブト……ううん、天道さん」
「……お前が死ねば、どれだけの人間が悲しむと思ってるんだ」
「えっ……」

 青の複眼で、ちらとフェイトを見下ろし。

「そんな事も分からず友達や親を悲しませている様では、お前もまだまだ子供だという事だ。
 悪い事は言わん。子供はとっとと家に帰って、家族を安心させてやれ。それが一番の親孝行だ」

 それっきり、カブトは喋らなくなった。
 と言うよりも、フェイトに呼び掛けに耳を貸さなくなった。
 カブトにとっては、フェイトなど足手まといでしかないのだろう。
 遠回しな戦力外通告に項垂れ、しかし同時に、天道の言わんとする事も解る。
 彼女らの境遇を知らぬまともな大人なら、誰だってそう言うだろう。
 仮にもしも自分に子供がいたら、絶対に戦わせたくなどないから。

 だけど、同時に疑問が生まれる。
 天道総司は、やはり悪人ではないのではないか、という希望。
 自分の障害となるもの全てを叩き潰して進む男が、自分にあんな言葉を掛けるだろうか。
 もしかしたら、弟切ソウとの間で何らかの誤解があったのではないだろうか……。
 そんな疑問がフェイトの頭の中を駆け巡って、余計にフェイトを混乱させる。

「フンッ!」

 フェイトの耳朶を叩くのは、天道の声と、弾ける金属音。
 すぐに戦う気にもなれず、傍観するフェイトの眼前には、一方的に蹂躙されるワーム。
 腕から生えた蟷螂の鎌を振るおうにも、カブトには一撃足りとも当たりはしない。
 圧倒的な戦闘能力の差ででカウンターを叩き込まれ、後じさるのはワームの方。
 いい加減不利だと感じたのだろう、ワームが周囲の視界から、その姿を掻き消す。
 それがクロックアップだと気付くまでに、それ程の時間は必要としなかった。
 当然カブトもクロックアップをしようと腰へと手を伸ばすが――

「ウガァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「――何ッ!?」

 突如として現れた銀色のワームに、その行動は阻止された。
 全身から牙にも見える突起を尖らせ、不気味に肩を上下させる。
 何処か蠍の様にも見えるワームが放つ、明らかに先程までの敵とは違う存在感。
 こいつは姑息な手段など必要としない。真っ向から敵を叩き潰すだけの力を持っている。
 直感的にフェイトにそう思わせる程の気迫を身に纏ったワームが、カブトと対峙していた。

「……またお前か」

 やれやれとばかりに呟いたのはカブト。
 ちゃき、と音を立てて、金色の短刀を持ち上げる。
 刹那、蠍のワームの拳と、カブトの短剣が音を立てて激突した。



 ACT.9「警告:カブト暴走中」



 それから一日経って――。
 加賀美新は、この現状に頭を抱えていた。
 何故こんな事になったのだろう。というかどうしてこの男はこうも問題を呼び込むのだろう。
 目の前でいつもと何ら変わらぬ動作でパンを片付ける天道を見て、加賀美は頭を掻き毟る。
 まるで何事も無かったかのような飄々とした態度が、加賀美には理解できなかった。
 同時に、多少の事では動じないこいつの性格が羨ましい、とも思った。

「おい天道……何でこんな事になったんだよ」
「全く……俺が知るか。そいつらに聞け」

 天道の答えに、加賀美は嘆息した。
 次いで、天道に鋭い視線を向ける少女達を見遣る。
 高町なのはを筆頭とした魔法少女達三人(と剣)が、そこには居た。
 珍しく気難しそうな表情を浮かべるなのはの目線までしゃがんで、

「なのはちゃん、天道が何かしたのなら代わりに俺が謝るからさ、何があったのか教えてくれないか?」
「謝る必要などない。俺はただ俺の道を往くのみ……お前らとは所詮相容れぬ道だ」

 加賀美の言葉を聞くや否や、口を挟んだのは天道だった。
 当然なのは達の表情も険しくなり、天道を見る視線がより冷たくなる。
 これはまずいとばかりに、加賀美は絶叫した。

「ああもう、話が進まないからお前はちょっと黙ってろ!!」

 ……怒鳴られた天道は不服そうに俯き、作業に戻った。
 何も言葉は発しないが、一応なのは達と話す事を許してくれた様だ。
 加賀美はずっと天道と一緒に居た為に、いつの間にか天道の細かい表情まで見分けられる様になっていた。
 そんな加賀美からすれば、怒鳴られ作業に戻る天道は少しだけ拗ねた様にも見えたのだが、そんな事はどうでもいい。

 それからややあって、一連の話を聞き終えた。
 彼女らの話によると、天道は……というよりカブトは、悪人ライダーという事で通って居るらしい。
 シャドウ隊長である弟切ソウを力でねじ伏せ失明させ、私利私欲の為に力を振るい続けるカブト。
 おまけに、カブトはなのはの目の前で、襲われた研究所の生き残りの命を奪おうとしたらしい。
 十中八九そいつはワームに擬態された奴で、天道はただワームを倒そうとしただけなのだろうが。
 確かにその辺りの情報だけを聞けば、悪人としか思えないのも無理はない。

「……で、カブトを悪のライダーだと思ってたって訳か」
「そういう事……やっぱり誤解があるなら解いた方がいいって言ってるのに……」

 ――言っているのに……当の天道はあの態度である。
 大きなお世話と言ってしまえばそれまでだが、なのは達が不機嫌になるのも無理はない。
 確かに、相手の事を思って言ったにも関わらず、あんな態度で返されては誰だっていい気はしない。

「そういう事らしいぞ、天道。で、どうなんだよ?」
「“どう”……とは、何についての“どう”だ?」
「いやだから、その弟切って奴には本当に心当たりないのかよ」
「知らないな、そんな奴。その弟切って奴、俺を他の誰かと勘違いしてるんじゃないのか?」

 言いながら天に輝く太陽を指差して、

「もっとも……俺程の逸材を他の誰かと勘違いするとも思わんがな」
「……じゃあやっぱりお前なのかよ!」
「くどい。知らんと言ってるだろう」

 天道の言い分は決して変わらず、曲がらない。
 弟切ソウなんて奴は知らないし、ましてや失明などもっと心当たりがない。
 故にそれ以上弟切について話す事は無意味で、なのは達と話す気も無い。
 ついでに言えば子供でありながら戦うなのは達の事も気に入らない。
 それが天道の言い分であった。

「まぁ、こいつはこんな奴だからよく誤解されるんだけど、本当はいい奴なんだよ」
「それは……解るよ。天道さんを見ていて、悪い人だって気はしないから」

 難しい表情を浮かべながら、なのはが告げる。
 だけど、その言葉にはまだ続きがあって。 

「だけど、カブトを本当に信じていいのか分からないって気持ちがあるのも、本当なの」
「そっか……」

 無理はない。
 弟切という人間の情報を鑑みるに、素直に信じていい筈がないのも解る。
 だからこそ、出来れば自分達で何とかして天道の誤解を解きたい、と思う。
 そう思い、頼れる仲間である神代剣に視線を向けるが――すぐに嘆息。
 こいつに頼るくらいなら、自分の力で誤解を解いた方がマシだ。
 きっと剣が一枚噛めば余計にややこしい事になるに決まっているから。

(しかも、昨日も暴走したらしいじゃないか……剣)

 加賀美新は、神代剣の正体を知っている。
 蠍のワーム――スコルピオワームとしての正体を、知っているのだ。
 フェイトと天道の話から考えるに、昨日二人が出会ったのは十中八九こいつだ。
 途中で剣が離脱し、本人にその間の記憶が飛んでいる以上、最早間違いない。
 何とか決着がつく前に蠍のワームが戦線を離脱した事で、何事も起こってはいないが――。
 一応、大切な「友達」である剣が、無惨な死に方をしてしまうのはたまらなく嫌だった。

「じゃあ、別の質問なんだけど……」
「ああ、何だ?」
「どうしてこの学校にはZECTのライダーが三人も集まってるの?」

 その質問に、加賀美は一瞬たじろいだ。
 ZECTの隊員たるもの、そう簡単に情報を教えていいのだろうか。
 一応彼女らもZECTと協力体制にあるようだからいいのかも知れない。
 だけど、天道は恐らくこの戦いに彼女らを巻き込む事を望まない。
 かといってここで説明しなければ、彼女らは引き下がらないだろう。
 どうしたものかと考えた上で、加賀美は仕方ないとばかりに口を開いた。

「実は……この学校はワームに狙われてる可能性が高いんだ」
「ええ!? うちの学校が、ワームに……!? どういう事!?」

 元々加賀美は、説明が得意な人間ではない。
 何処から話していいものかと考えている内に、先に口を開いたのは

「呪いの鏡だ」

 意外にも、天道総司自身であった。
 あんなに子供を戦いには巻き込みたくないと言っていた癖に。
 一体全体どういう心境の変化だろうと、天道の顔を覗き込む。
 天道は嘆息し、憂鬱そうに答えた。

「どうせお前らは話を聞かない限り引き下がらないだろう」
「でも、いいのかよ天道?」
「呪いの鏡の噂くらいなら、この学校の生徒なら誰でも聞いた事があるだろう。
 それを教えたくらいで、現状が大きく変わるという訳でもない」
「なるほど、確かに」

 納得し、手をぽん、と叩いた。
 呪いの鏡とは、この学校に伝わる怪談の一つである。
 どの学校にでも存在する様な、よくある七不思議の一つだ。
 当然、多くの場合は只の噂で終わるのだが……今回は違う。

「で、一体何なん? その呪いの“加賀美”って」

 ここではやてが割り込んだ。
 関西弁のイントネーションの違い。
 そんな微妙な訛りが、「鏡」を「加賀美」に変えた。
 少なくとも、一同にはそのように聞こえた。

「「「…………」」」

 ……全員の視線が加賀美に集中。
 暫しの沈黙が流れ、そして――

「俺じゃねえっ!!!」

「あ……そ、そっか、はやてちゃん転校してからそんなに経ってないから、知らないんだ」
「う、うん……それなら仕方ないね。私も転校してから暫くは知らなかったし」

 加賀美の絶叫など、まるで無かったかの様に。
 なのはに続いてフェイトが、苦笑いと共にフォローを入れた。
 加賀美本人も何処か恥ずかしくなって来たので、もうこの事は忘れる事にした。
 嗚呼、それでいいのだ。それで自分と、ここに居る皆の気が少しでも楽になるのなら……。

「呪いの鏡に願えばその願いは叶う……が、変わりに願った者は姿を消してしまう」
「で、その鏡にはワームが関わっている可能性が高いって事、か……」
「そういう事だ。だから学校側に鏡には近寄らない様に指導しろと言ってるんだが……」

 天道が不機嫌そうに告げた。
 自分達はZECTの立場を利用し、学校側にそう指導するように、確かに伝えた。
 なのに、実際に行われた指導は、ホームルームで申し訳程度に鏡の話がされただけ。
 絶対に近寄るなとも言わないし、立ち入りを禁止する訳でも無い。
 学校側も只の噂とたかをくくっているのだろう。

「そっか……私達も、友達にはあそこに近寄らない様に呼び掛けておかないとね」
「ああ、そうしてくれると助かるよ、なのはちゃん」
「じゃあ、もう一つだけ質問があるんだけど」
「ん? 何だい?」

 加賀美を見上げるなのはの視線が、一度天道の手元のパンへ向き。

「どうしてパン屋さんなの?」
「……あ、それは俺も気になってたんだ」
「あー……言われてみれば確かに。何でなんやろ」
「パン屋さんと呪いの鏡って、何も関係なさそうだもんね」

 その場の全員の視線が、天道へ向けられた。
 それに気付いた天道は、しかし特に慌てる様子もなく。
 いつも通りの澄ました態度で、告げた。

「俺はお前らと違って、どんな些細な事も見逃さないという事だ」

 再び暫しの沈黙が流れて――

「「「……は?」」」

 奇しくも全員の声が揃った。
 果たして、その答えは結局謎のままなのであった。
 といっても、天道が謎なのは今に始まった事ではない。
 故に加賀美も、それ以上深く考える事も無く、詮索もしなかった。
 案の定、天道もこの話題をこれ以上続けるつもりもないらしく、

「そうだ、そんな事より……焼きそばパンの次は何がいい?」

 と、天道。
 突然の話題の展開に、何と答えていいのか分からない一同が、困惑を浮かべる。
 天道はいつだってそうだ。行動にしろ会話にしろ、何でもかんでも脈絡が無さ過ぎて困る。
 ずっと一緒に行動してきた加賀美ですらこう思うのだから、他の皆はもっと困っているだろう。
 一拍の間の後、その場の全員の怪訝そうな表情に気付いたのか、天道は説明を続けた。

「いつまでも焼きそばパンじゃ飽きられるからな。何か食べたいメニューはあるか?」
「ああ、何だそういう事か……それなら」
「ああ! あるぞー!!」
「……!?」

 耳元で響いた大声に、加賀美は思わず身体を強張らせた。
 今まで黙って居た神代剣が、ここへ来てようやく口を開いたのだ。
 剣もまた天道と似ていて、何でもかんでも突然過ぎて疲れる時が多い。
 しかも天道と違って言っている事が子供染みた時が多いから、尚困る。

「俺はショ・ミーンの――」
「却下だ」

 今度は天道だった。
 言葉を遮られた剣が、驚愕にも似た面持ちで天道を見詰める。
 しかし、そんな表情を浮かべているのは剣だけで、他の全員は冷静そのものだった。
 なのはやはやて達も、そろそろ剣という男がどんな人間かを理解して来た頃なのだろう。
 周知の通り、剣は多分碌な案を挙げない。故に加賀美も、天道の判断は正しかったと思えた。




 それから数時間後の出来事であった。
 場所は「創才児童園」……何の変哲もない、子供たちの擁護施設である。
 一つだけ変わった事を挙げるなら、この施設を設立したのは、かつてのスマートブレイン社である事。
 スマートブレインはとあるたった一つの目的の為に、親を失い、九死に一生を得た子供達を保護していた。
 だが、それも過去の話。スマートブレインが解体された今、この養護施設にそんな目的は関係ない。
 子供たちが無邪気に走り回るグラウンドを眺めながら、海堂が口を開く。

「まっさか、あんたがここの保父さんをやってたなんてなあ」
「私としても、貴方がここに来るなんて想定外でしたよ」

 表情一つ変える事無く、創才児童園の保父である立川が答えた。
 エプロンを身につけ、子供たちに笑顔を向ける立川は、まるで別人の様に見える。
 あの日、あの時空戦艦の中で出会った立川は、正直言ってもっと気難しい奴に見えたから。
 同じく保父で、同時にかつての仲間である三原修二が子供達と遊ぶのを眺め、軽く手を振る。
 三原もすぐに海堂の存在に気付き、海堂の視線の先で軽く頭を下げ、一礼した。
 そんな二人の様子を眺め見た立川が、怪訝そうな表情で口を開く。

「にしても、何故ここへ? 貴方が三原さんに会う為だけにここに来るとは思えませんが」
「俺様だって人として生きてんだ。生きてりゃそりゃあ、色々あらぁな」
「そうですか……」
「そうですよ」

 口調はおどけていて、しかし表情は重苦しく。
 海堂には、どうしても忘れられない……忘れてはいけない人間がいる。
 鈴木照夫。自分があの日火災現場から救い出した、小さな一人の男の子だ。
 彼は結局、最後の最後まで命の恩人である海堂に心を開いてくれる事は無かった。
 小さな子供だけを救い、その両親を救う事が出来なかった海堂への憤り。
 出来る事なら、自分も一緒に死んでしまいたかったと、そう思っていたのだろう。
 だけど、それでも海堂は照夫を助けたかった。目の前で死に行く子供を、放って置けなかった。
 故に海堂は、照夫への贖罪の為に、この養護施設へ頻繁に足を運んでいたのだ。

(照夫ぉ……今頃天国のパパとママと、元気でやってっか?)

 空を仰いで、心中でぽつりと呟く。
 海堂が会いに来た少年は、既にここには居ない。
 あの戦いで、照夫はくだらない……本当に、くだらない事の為に死んでしまった。
 照夫のあんな最期を認める気はないし、今だってその事実は変わりなく、海堂を苛む。
 どうすれば照夫を死なせずに済んだのだろうか、と。そんな事を考え始めたらキリがない。
 だけど、どんなに悔やんでも、それは既に過去の話。照夫はもう、帰って来ないのだ。
 だから海堂は、照夫の死のきっかけを作った「オルフェノクの王」を、絶対に認めない。
 それを思い出して、気付いた時には自ら自分の心境を打ち明けていた。

「オルフェノクの王って野郎にゃあ、ちっとばかし……いや、ちっとどころじゃない怨みがあってよ」
「怨み……ですか」
「ああ。俺様ぁそいつを忘れない為に、またここに来たのかも知れねえな」

 あの戦いが終わってから、自分はたったの一度しかここに訪れて居なかった。
 前を向いて、残された時間を人として生きる為に、自分はその道を選んだ。
 だけれど知らない間に状況は変わって、そうも行かなくなってしまったらしい。
 あんな悲しい犠牲を払った戦いを、もう一度繰り返そうとしている馬鹿がいるのだ。
 だから自分は、奴らへの怒りを忘れない為に、もう一度ここへ訪れたのだった。
 そんな海堂の事情を、何となく察したのであろう立川が、小さな微笑みを浮かべた。

「なら、それが貴方の“人間らしさ”なんでしょうね」
「……だとしたら、何なんだろうな、人間って」

 だけど、海堂にとってその言葉は余計に悩みの種となるだけだった。
 結局人間は、消えない傷を背負って歩いて行く事しか出来ないのだろうか。
 だとするならば、確かにオルフェノクの奴らが言う様に、人間とは不完全な存在である。
 自分も何の気兼ねなく好き勝手に人間を殺して回るオルフェノクになっていたら、どんなに楽だっただろう。
 そんな事を考える事は今まで何度もあったが、だけれど、それでも人間を捨てる気にはなれなかった。
 それどころか、木場と出会い、照夫と出会い、海堂は人類を守りたいとさえ決意するまでになった。
 今だってそれを曲げるつもりは無いし、オルフェノクの味方になるつもりもない。
 だけど、自分でも分かっている様に、それは何よりも難しい道で。

「ちゅうか楽じゃねえわな、人間として生きるってのも」

 ぼやかずには居られなかった。

「ですが、だからこそ人は愛おしい。貴方はもう分かっている筈ですよ。
 人間はちっぽけで儚い。しかし、だからこそ守るに値する存在なのだと」
「その口ぶり聞いてっと、まるであんたも人じゃねえっつってるみたいに聞こえるぜ」

 言いながらちらと見た立川の表情は、変わらぬ無表情であった。
 立川からの返事は無言で、それきり二人の間には沈黙だけが流れてゆく。
 だけど、立川が悪人だとは思えないし、彼の過去に何かがあったとしても、詮索する気は無い。
 故に海堂は、これと言って新たな話題を挙げるでもなく、ただ二人でじっと空を見上げていた。

 そうこうしていると、不意に第三者の気配を感じた。
 何事かと視線を下ろせば、目の前に直立しているのは、一人の女。
 この施設とはどう考えても不釣り合いな雰囲気の女は、全身黒尽くめの喪服姿。
 流石の海堂も、目の前の喪服の女には気味の悪さを感じた。

「ようやく見付けたぞ、立川」

 それだけ告げると、喪服の女の顔面に灰色の何かが浮かび上がった。
 エビともザリガニともつかぬ、何らかの甲殻類の面影。それは徐々に女性の身体を覆い――
 次の瞬間には、女の身体は逞しい灰色の装甲に覆われた怪人……オルフェノクと化していた。
 腕にロブスターのハサミにも見える鈍器を装着したそいつは、何処か海堂の知り合いに似ている。
 そう。あのラッキークローバーの薄気味悪い女……ってそんな事は今はどうでも良かった。

「おいやべえぞ、オルフェノクだ!」
「いえ、これはオルフェノクではありません……!」

 立川がそう告げると共に、近くに潜んで居た緑の異形が一斉に姿を現した。
 数にして、大凡十体。そのどれもが同じ形をした、まるで昆虫の蛹の様な異形であった。
 突然の化け物の襲来に、グラウンドを走り回って居た子供達はすぐに園内へと逃げ込んだ。
 その様子に一先ずは安心。次に、見覚えのない敵に狼狽しつつ、海堂は尋ねる。

「お、おおおい立川、じゃあ何だっつうんだよこいつらは!?」
「これがワームです……人類の敵と言う点では、オルフェノクと変わりませんが……」
「そのワームが、何でお前を狙っとるんじゃ! あれか、お前がZECTの人間だからか!」

 そんな問答を繰り返す間に、ワームはじりじりと自分達を包囲してゆく。
 何の為にかは知らないが、ここで確実に立川と海堂の二人を抹殺する気だ。
 冗談じゃない。何も成し遂げないまま、こんな所で訳の分からない奴らに殺されてたまるか。
 自分はまだ、オルフェノクの王をこの手で一発も殴っていないのだ。
 それすら成さぬまま、黙ってやられてなるものか。

「しゃあねえ……あんまりやりたくなかったが、仕方ねえか」

 一歩を踏み出し、全身に灰色の影を浮かび上がらせる。
 それは、海堂の姿を戦闘に特化した形態へと変えさせる前触れ。
 蛇の面影を身に重ねて、それを全身に具現化させようとして――しかし中断。
 突如として海堂とワームの間に立ち塞がったのは、一人の男だった。

「海堂、立川さん! ここは俺に任せて、君達は逃げてくれ!」

 エプロンの上に巻き付けた銀色のベルト――デルタドライバー。
 右手にデルタフォンを握り締めて、創才児童園のアルバイト保父・三原修二は言う。
 海堂と巧は以前、オルフェノクの王絡みの戦いがまだ終わっていない事を三原にも伝えた。
 それ故に、三原自身もまたデルタのベルトを持ち歩く様にしていた事が、功を奏したようだった。
 しかし、三原の言葉自体は頼もしいのだが……彼の背中はどういう訳か頼りなく見えてしまう。
 その辺りは、かつて共に戦った時から何も変わっていないのだな、と海堂は感じた。

「三原! お前本当に大丈夫なのかよ!?」
「ああ、やってみるさ……今の俺にだって、二人を守る事くらいは、出来る筈だから」

 決意は十分。戦う覚悟も出来ているらしい。
 それだけ告げると、三原はポケットに手を突っ込んだ。
 中から自前の携帯電話を取り出して、それを海堂に投げつける。
 慌ててそれをキャッチした海堂は、怪訝そうな表情で尋ねた。

「携帯……!? こりゃあ、一体何のつもりだ、三原!?」
「俺の携帯に、乾君の電話番号が登録されてるから……いざとなったらそれで助けを呼んでくれ」
「そういう事か……なるほど、粋な計らいをしやがる! 礼を言うぜ三原!」

 最後にそれだけ告げると、海堂は駆け出した。
 退路を塞ぐ邪魔なワームにはタックルをかまして、無理矢理道を開けさせる。
 立川と二人で強引に道をこじ開け、施設から飛び出した二人は一目散に駆け抜けた。
 およそ百メートル程走って、とりあえずは追手が居ない事を確認して一安心――
 否、安心も出来ない。遥か後方で戦っているあいつは、三原なのだから。

(死ぬんじゃねえぞ、三原……! 普通なら負けない戦いでも、お前じゃ不安なんだからよ!)

 最後に振り返った海堂の視線の先では、白銀の戦士が奮闘していた。
 天使の様に輝く白銀の身体は、最強にして原点たるギア・デルタの証。
 一度は戦う決意を固めた男だ。たかが蛹ワームに遅れを取る様子もない。
 デルタの拳は、デルタの蹴りは、易々と蛹ワームを薙ぎ倒していた。


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最終更新:2011年01月18日 09:46