第零話『永劫の開演』


其処は様々な色彩が混濁した、異形の闇だった。
昏く淀み、白く醜く、ありとあらゆる色彩表現から逸脱された怪異に侵されし闇だ。
その邪悪に彩られた世界の中心、ヒトのと呼ばれる生命を模された影が、舞台の中心で踊るように両手を掲げる。
―――哂(わら)いながら。

『ハハっ……予想だにしなかったよ、今回の結末は。やっぱり九朗君は何処までも僕の予想を裏切ってくれるねぇ。
それもまた一つの物語、陳腐で愛すべき、最も忌むべき刹那の永劫!』

それは、余りに邪悪過ぎた汚濁の微笑みだ。
あらゆる感情が唸りをあげて混ざり合い、感情という想念を越えた怨嗟の叫びだ。
度重極まったその憎悪は―――然り、愛と似ている。
純粋で真っ直ぐ過ぎたその邪悪は、相反する愛情となんら変わりばえが無いと言えた。
影は―――『女』は、哂い続ける。
目の前の混濁の海に漂流する、一つの『黒い人影』を見据えながら、嘲笑を零した。

『だが、そんな刹那の永劫もこう何回と続けば飽きちゃうモノだよね。―――ほんの少しくらい、“お遊び”をしたって誰も文句は言わないさ』

そうだ。
あの無限の檻に囚われた『二人の王』の御伽噺。
よもやあのような結末になろうとは、如何なこの『女』としても計り知れぬコトじゃなかった。
だからこそ。あれくらいの枝の数では、足りないのだ。ならば増やそう。
枝の数を増やし、彼等をそれに絡めさせ、さながら人形劇のように操り続けようと。
用意をするのは簡単だ。
だが物語(セカイ)の骨子(プロット)を推敲するには少しばかり時間が必要だ。
だが、無限輪廻においてかの二人の王を育て続けた『女』だ。これくらいの時間、刹那すらほど遠い。
が――、それでは少々無粋だ。いくらあの“女”とて、遊びを欠いては飽きてしまう。
せめて、そうだ。
『もっと別の御伽噺』を作って観るのも悪くは無い。せめてもの『暇潰し』だ。
道化は道化らしく、お遊戯は丹念に清々を篭めて、子供のような邪悪を孕ませたつまらない御伽噺を作っていく。
―――それが彼女、『無■■神』である『■■■■ラ■■■ッ■』が思いついた戯れ事。


―――『女』は溺死体のように闇の海をたゆたう『男』をまた見つめ、愉快げに手を差し伸べた。
黒い装甲は所々剥がれ落ち、元々あった筈の顔を覆う仮面は先の戦いで破壊され、少年のようなあどけない寝顔をさらしている青年。
かつて実の姉に殺され、恨み、妬み、辛み、憎悪の限りを以って殺し愛った黒き天使。五つ目の黒き堕胎。

『だけど“それが良い”。ずっと昔から壊れている人形が、どんな風に踊ってくれるのか。
それを見届けるのもまた一興。泡沫に消える楽しい一幕さ』

邪笑。
『女』は本当に楽しそうに、身を捩(よじ)りながら、悶えるように、喘ぐように謳う。
……狂騒劇の始まりを! 狂った御伽噺を! 嗚呼、愚痴たる人間を贄として、儚くも強壮な物語を!

そうして、『女』は告げた。
狂った笑顔で。無の貌(かお)で。灼ける三つの眸に孕ませた、苛烈に熾(おこ)る憎悪と愛を以って。

『―――では、始めよう! 君は僕に愛される資格を手に入れられるのか! それともただの陳腐で唾棄すべき存在のままでいるのか! 
嗚呼、君が踊る演目は一体どんなモノなのだろう。ワルプルギスの再来か、グランギニョールの狂喜か!』 

歓喜に似た声は感極まって、この混沌たる闇の世界すら歪ませる程の邪悪が詰まった笑い声を発する。
一頻り喋り終わり、呼吸を整える。
そして、期待に心を膨らませながら、憧れるように、恋焦がれるような静かな声でこたえた。


『それとも―――そう。この邪悪に冒された狂騒劇を、荒唐無稽に無理やり終わらせてくれる
―――“デウス・エクス・マキナ”へと成り果てるのかな?』


その言葉を最後に、『女』は己が欲にのまれながら狂喜して、暗き混濁の海にたゆたう黒い影……『男』の周囲を円形状に歪めていく。
カチリと、鍵の音が響いた。
この世界から、異なる世界へと通じさせ/転移させ/開闢させて。

『女』は尚も哂う。
言わせてみれば、総ては決まったコトなのだ。この遊戯も。この物語も。


『そう――――総ては、ナ■アル■ト■■■■の意のままに!!』




主役は憎悪に焦がれた黒い影。
深く淀んだ恩讐と殺意は、時として愛によく似ていた、最後まで愚かであり悲哀であった男。
黒き天使の名を冠する復讐者。
ヒロインは未だ壇上に昇らず。影は独り、絶望に酔いながら踊り狂う。

……されども。

『――否(いや)! まだだ、まだ間に合う!!』

一つの、脆弱な光が必死に叫ぶ。まだ絶望するには速いと。
否、絶望などさせるものかと。
だがその光も、この壇上という囲いの外に在る。舞台に上がるには未だ至らず。

未完成の箱庭。
不実の輪。
蛇の輪舞曲(ウロボロス・ロンド)。

それでは、始めるとしよう。
白き王の紡いだ荒唐無稽の御伽噺とはまったく別で、それでも、その愚かな生に縋って足掻き続ける、弱く、醜く、そして愛すべき物語を。



『機人咆哮リリカルサンダルフォン』、開幕。

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最終更新:2008年02月09日 22:49