注意 「台詞」『固有名詞等』(思考)《技・術等》〔閃き〕【連携】


 少年は幼く、小さく、だが勇敢だった。少なくとも、その時の彼にとっては眩しく見えたのだ。きっとこの小さな身体の中には、途轍もない勇気が詰まっているのだろう。
痛みに震えながらも立ち上がろうとする姿、眠り姫を守る為に身を削る姿は、まさしく騎士と呼ぶに相応しかった。
 それは彼にとって、忘れかけていた何かを目覚めさせるには十分だった。それは傷ついてでも誰かを守ろうとする意志。
 たとえ命を懸けても、大切なものを守れないこと。そして奪われた悲しみ、痛みを抱え続ける苦しみ――そんなものは誰より知っていたはずなのに、ヒーローの力に胡坐を掻いて忘れていた。
 それを教えてくれた彼が、今まさに傷ついている。
 それでも力を振り絞り戦おうとしている。
 そう、出会った時と同じように。
 そのがむしゃらな思いを守りたいから――その為にこそ戦う。名乗りを上げるのは、挫けてしまいそうな意志を、勇気を甦らせる原動力となることを願うからだ。
 故に彼はこう叫ぶ。
「闇を貫き光よりの使者、アルカイザー見参!!」


リリカル・フロンティア番外編
――HERO――その名はアルカイザー
後編 【翔べ 不死鳥の如く】


「あれがヒーロー……。『アルカイザー』……?」
 闇の中に生まれた光は、今も神々しいまでに輝きを放っている。燦々と降り注ぐ陽光は暗く沈みそうになる心にも一条の光明をもたらす。
 やがてフェイトの呟きに答えるかのように、アルカイザーはフェイトとシグナムに向き直った。
「ラミアの相手は俺が引き受ける。この少年を頼む!」
「ちょ――あなたは誰なんですか!?」
「言っただろう! 俺はヒーロー、アルカイザーだ!」
 アルカイザーは、10mはゆうに超える足場を軽々と飛び降り、地竜へと走る。その度に青いマントが翻った。
 鉄球を蹴り砕いた時も驚いたが、やはり人の身体能力を遥かに上回ってる。こんな存在が管理局も把握しておらず、独自に行動しているのは些か不安ではあるが、
――でも……いけるかもしれない
 そう思う気持ちもフェイトの中に生まれつつあった。それは彼の戦闘力を見た上での計算でもあり、尚且つそれ以上に掻き立てられる何かがあった。
「シグナムは地竜に接近して攻撃! キャロは私とシグナムの後ろから援護に回って!」
 手早くシグナムとキャロに指示を出し、フェイトは態勢を立て直す。呆気に取られていた二人も我に帰り、頷いて散開した。
 そしてもう一人、足場の上で膝を突いているエリオにフェイトは目を遣る。未だ混乱と動悸が治まらないらしい。九死に一生の場面だったのだ、無理もない。
「エリオ……動ける?」
「……はい! まだ戦えます!」
 水を打ったような勢いのいいエリオの返事だが、逆にフェイトはそこに一抹の不安を隠せない。このままここで隠れさせておけば安全なのでは――そんな考えさえ頭を過ぎる。
 傷ついている上に飛べないエリオを、再度地竜に向かわせる。これがどれほど危険なことか。
しかし、動きが制限される謎の結界の中、手が足りないのもまた事実であった。子供を救わなければならない自分達がここで負ける訳にはいかない。その目的の為に自分達が躊躇は許されない。
「エリオはナシーラ所長の捕獲。……困難なら、独自の判断で非殺傷設定の解除も許可……。私達で引き付けるから背中に登って」
「……了解!」
 活きのいい返事で答えるエリオ。それはもう、いつもの素直な少年だ。少なくとも表面上は。
 フェイトは彼を完全に救えたつもりでいた。もう何の心配も無い――そう、信じ込んでいた。
 過去の闇は消えてなどいなかった。ただ忘れていただけ、隠れていただけ――彼のすぐ傍にいることも気付かずに。

フェイトが身体を掴んで降ろそうと近寄るより早く、エリオもアルカイザー同様に足場を跳んだ。
「エリオ!?」
突然の行動に目を丸くするフェイト。降下というよりも落下と言った方が適切な高さである。それでもエリオは器用に体勢を変え、ストラーダを突き立てて着地の衝撃を和らげた。
「いたたた……」
エリオは両手足を軽く振る。衝撃で痺れが残っているが問題は無い。
「エリオ、無茶しちゃ駄目だよ」
「大丈夫です!」
フェイトが嗜めるも、エリオは碌に聞いていない。立ち上がりアルカイザーを追って走り出す。
先程までの怒りに任せた暴走とは違うようだが、どこか焦っているようにも見える。すぐに暗闇に消える後ろ姿を、フェイトは目で追った。


 アルカイザーはエリオと同様に、地竜の足の間を縫って走る。その巨大な体躯と人の身体の差は云わば蟻と象のようなもの。単なる踏みつけでも、それは即座に死を意味する。
 地竜はナシーラの指示無しでもそれを理解している。自分の巨体は、それだけで武器なのだと。故に、何度も何度も足を踏み鳴らす。

《ふみつけ》

 しかしアルカイザーも怯むことはない。頭上を覆った足が下ろされると同時に跳躍。床を震わせへこませた足を蹴って、再度跳躍。
「はっ!」
 アルカイザーは背中によじ登りナシーラと対峙する。
「あなたが最近、ブラッククロスにちょっかいを出しているというヒーローさん?」
 絵画のように美しい顔と流れる青い髪。彫像のように妖艶な美しさを放つ裸体。反面、太くうねる尾は巨大な蛇のそれだった。
 ラミアと化したナシーラは、高く耳障りな声色で囁く。アルカイザーを前にしても余裕の態度を崩さずに。
「そういう貴様はブラッククロスの構成員か!」
「正確には組織の者じゃないわ。でも……そうね、お得意様というのが近いのかしら? だから……」
 長く伸びた尾を引き摺って、じりじりとナシーラとアルカイザーは距離を詰める。一歩近づくごとに身体に緊張が走る。
 一足飛びの距離まで近づいた瞬間――お互い同時に反応する。しかし、僅かに速かったのはナシーラだった。
「たっぷり恩を売っておかなくちゃ!!」

《尾撃》

 ナシーラの尾が、アルカイザーの側頭部目掛けて激しくしなる。
 衝撃――続いて乾いた残響音。
「くっ!」
 見えなかった――辛うじて右腕で尾を防いだものの、痺れで少し感覚が失われている。
 メットで表情が解らないのは幸いだった。きっと驚愕がそのまま表情に出ていることだろう。
 トワイライトゾーンが敵に与える恩恵とはこれほどのものか。これまで戦った敵に比べ、格段に速く、しかも重い。
 地竜は元より動きが鈍く、攻撃にも威力があった為に、防御に対してしか実感は無かった。しかし、人間大の相手と、こうして戦ってみると凄まじいものがある。
 いやらしい笑いを裂けた口に浮かべ、鋭く尖った爪を立ててにじり寄るナシーラ。暗闇の中、真赤な口が酷く恐ろしいものに見え、アルカイザーの足は自然と後ずさっていた。


「くそっ!」
 エリオは憎々しげに呟く。それもこれもこの暗闇のせいである。
 この結界の中では敵の姿を視認できない。アルカイザーとナシーラの戦闘の音、光で地竜の位置は辛うじて解るのだが、時折発射される鉄球の軌道が全く見えない。
 エリオは明かりが消える前の景色を思い出す。ドーム状の広大な地下空間――その最奥に地竜は陣取っていたはずだ。
これなら小回りの利かない巨体を補い、放射状に火力を十分に活かすことができる。


 一撃で全てが終わるのだ。移動が慎重にもなる。
 地竜に正面から走っていると、唐突に風を切る音が聞こえた。背筋を震わす寒気は嫌な予感としか言いようがない。身体の震えに従って、エリオは即座に左に転がる。
 抉られた床と鉄球の破片が飛礫になって顔を打つ。
「ぅうう……」
 右に転がっていれば、今頃破片になっていたのは自分の身体の方だっただろう。想像しそうになって、大きく首を振る。
 きっと想像してしまえば進めなくなってしまうから。
 遠くで光が瞬いている。魔力光からして、どうやらフェイトとシグナムは善戦しているようだが、果たして地竜にどれほどの効果があるだろうか。このままでは遠からず力尽きる。
「キャロ!」
 エリオは竜に乗った少女の名を叫び、彼女の為に標を立てる。

《サンダーレイジ》

 ストラーダが突き刺すのは敵ではなく床。弾けた雷は、闇の中に一瞬閃光の柱を立てた。
「(近くにいたら答えて! 今の雷はどの方向に見えた!?)」
「(えと……私から見て斜め右くらい? そんなに遠くない!)」
「(光の位置から左の方に飛んで! できるだけ低く!)」
 念話を送りながら、エリオはまた左に横跳びする。今まで立っていた位置に二発、鉄球が連射された。
 エリオはひたすらに左へ走る。それを追うように、背後で轟音が響く。
 続いて更に一発、着弾。まるで雨のように辺りに鉄球が降り注いでくる。ずっとこの音を聞いていたせいか、聴覚があやふやになってきた。
 光の標は地竜に対しても恰好の目印になる。そう何度も使えない。
 これは推測に過ぎないが――おそらく地竜も完全に見えてはいない。今は単に光の周囲を撃っているのだと思う。
 ナシーラには見えているかもしれないが、そこはアルカイザーが引き付けていることを祈るのみだ。
 確か、砲台は地竜の左肩に厳重に固定されていた。先程から多分地響きは聞こえていない。ならば、左に行けば行くほど狙いは付け辛い――そうエリオは踏んだ。


「(キャロ! どれくらい飛んだ!?)」
「(分かんないよ! どうする? やっぱり明かりを――)」
「(駄目だ!!)」
 念話越しでも伝わるエリオの迫力に、キャロはビクンと震えた。破片の飛礫は低く飛ぶフリードを打ち、キャロの顔にも傷を作る。
「(地竜は明かりを頼りに攻撃している。だから、それは最後の最後だ)」
 エリオは必死に頭を働かせようとしていた。しかし、そう簡単に名案が浮かぶはずもなく、そうしている内に時は過ぎていく。
キャロも向かっているはずだが、このままでは通り過ぎてしまうだろう。
――どうすればいいんだ……!
 重く低く地面が唸る。視線を向けると、巨大な影が地響きに合わせて動いている。地竜が方向転換をしているのだ。
 エリオの背中に寒気が走る。戦慄が脳天から背中へと駆け巡る。
 端に追い詰められた自分を自由に狙い撃つ地竜――そんなヴィジョンが浮かんでは消える。更に状況は厳しくなってしまった。
 キャロは近い。だが、エリオには今一つ確信が持てずにいた。
 声は聞こえず、目にも見えない。外れれば次は無い――それ故に確信無くしては動けない。
――後一つ! 一つきっかけがあれば……!

 震えるエリオをよそに、鉄の擦れる音――地竜の砲台が向きを変えた。

《十字砲火》

 しかし、覚悟していた砲撃はやってこない。直後に、金色の十字架が地竜の身体を浮き彫りにした。
 フェイトがプラズマランサーをありったけ撃ち込んだのだ。これが意図したものかは不明だが、エリオの目には見事な左右対称〈シンメトリー〉の金十字が飛び込んだ。
 エリオの居場所を照らすには僅かに足りない光。それでも、迷いに曇ったエリオの頭の中に光は届いた。
「(キャロ! 今の十字砲火、どんな風に見えた!?)」
「(どんなって……綺麗でくっきり左右対称で……)」
――!
 それこそが唯一足りなかった確信――
 戸惑う様子のキャロに構わず、エリオは口元を歪め、握った腕に力を込める。ストラーダの先端に再び閃雷が迸った。
「きゃ!?」
 僅か一瞬の間に、素早く辺りを見回すエリオ。照らされた先にあるのは、短い悲鳴を上げて目を丸くする少女。
 その声を正しく聞き取れはしなかったが、互いにするべきことは瞬時に察していた。
「キャロ!」
「エリオ君!」
「飛んで!!」
「うん!」
 主の意志に呼応してフリードは舞い上がる。乗ってからの上昇では間に合わない――思い切り床を蹴って手を伸ばすエリオ。
 対して、ギリギリで掴んだ手を振り回されて慌てるキャロ。なんとかフリードの身体を掴もうとジタバタする拍子に、エリオの手が柔らかい感触を掴む。
「ご、ごめん!」
 コントを続ける二人の真下を鉄球が抉る。それはエリオの足が地面を離れた、ほんのコンマ数秒ほど後のこと――


「どこまで下がるのかしら? もう後が無いわよ」
 ナシーラは不快な笑みを湛えて、アルカイザーを追い詰めていく。地竜の首元、彼女の言うようにもう下がることはできない。
 妖しくうねる尾は、空を切って恐ろしい速さで迫る。刃物よりも研ぎ澄まされた爪を受けきれる自信は――無い。
 認めたくはないが、自分はこの女に気圧されている。それが鎖となって動きを縛り、燃え広がるように更なる恐怖を煽った。
「さあ、もう戦わないの? さあ!」
 踊りかかるナシーラを自分の視界から隠すように、恐怖から逃れるように、咄嗟に両腕を交差させるアルカイザー。

《デスグリップ》

「ぐぁぁあ!」
 爪はスーツを貫き、深深とアルカイザーの腕を突き刺した。貫いた爪は真紅に染まり、先端から赤い血を垂らす。
 傷口が熱を伴って疼く。
 実際かなり痛かったが、何故だろう? "恐怖"はそれほどでもなかった。
「あら?ヒーローでも血は赤いのね。人を超越したヒーロー、実験のサンプルにしてあげようと思ったのに、所詮は脆くてか弱い人間に過ぎないって訳」
 腕を流れる血液を見つめる。鋭すぎたせいか、それほど出血してはいない。
 痛いには痛いが、耐えられないほどではない。流れる血とは逆に、恐怖が徐々に治まっていくのを感じる。未知への恐怖は、実体を持った瞬間に崩壊していく。
「赤い血……」
 ドクン、と心臓が跳ねる度に湧き上がってくる感情は、自分でも上手く表現できない。だが、それが拳を固める力を与えてくれたことは確かだった。
 血で滑る拳を握り締め、アルカイザーはレッドとして答えた。
「ああ、お前がどう思ってるか知らないが、俺は正真正銘の人間だよ。ブラッククロスに魂を売って、赤い血を捨てて――"化け物"に成り下がったお前なんかと一緒にするな!」
 それは怯える心を隠す強がりに過ぎない。ただ怒りのままに言葉を紡いだに過ぎない。
 しかしヒーローとして口上を述べるよりも、不思議と心が駆り立てられていく。

負けるものかと口にすればそれが心にも反映される。勝てると口に出せば、本当に勇気が沸々と込み上げてくる。
「だったら……どちらが上等かその身で試してみなさい!」

《デスグリップ》

「そうだ……俺は人間だ! ……人間の俺が強くならなきゃ意味が無い!」
 アルカイザーの頭に蘇る光景。それはほんの数十分前、人間の自分が無様に地に降された戦い。
――あの女の動きを思い出せ……。相手の動きに沿ってリズムを合わせろ。流れるように足を運び、懐に入れ。そして攻撃を捌いて――投げる!!

〔当て身投げ〕

 勝利を確信したナシーラの攻撃は単調そのものだった。強化された肉体の性能に酔いしれていることに加え、目の前の敵が勝手に威圧されているとなれば尚更である。
 だから戦法など考えるまでもなかった。ただ自慢の爪を振り下ろすだけで十分だった。
 最早相手に逃げ場は無い。無様に避けようとすれば尾を叩き込んでやるだけでいい。いや、既に奴を呑み込んでいるのだ。少しずつ弄ぶように刻んでやろう――と。
 しかしアルカイザーは爪を避けようとはせず、寧ろナシーラの懐に潜り込んできた。
 認識と同時に反転する視界。背中に感じる衝撃。
 勢いをそのままに投げ飛ばされ、叩きつけられたナシーラは、危うく地竜の背から転げ落ちそうになったが、きつく爪を立てて持ち堪えた。広い巨竜の背とはいえ、あまり自由に走り回れるスペースはない。
必然的に、なだらかになった肩にしがみ付いた形になっている。
「どうした、もう後が無いぜ?」
 見上げると、アルカイザーは血塗れの腕を組んで立っていた。その自信有り気な姿勢が、皮肉たっぷりに言葉を返す声が、ナシーラを激しく憤らせた。
「人間がぁぁあああああ!!」
 尾で地竜の背中を叩いて、高々と跳び上がるナシーラ。当初の余裕の表情はもうどこにもない。悪鬼の形相でアルカイザーを見下すのは、見下すべき存在に見下されたことが我慢ならなかったからに違いない。
《尾撃》
 落ちる速度も上乗せして"しなる"ナシーラの尾。しかし、今のアルカイザーには、それがどれほどの速さで、どのような軌道を描いてくるのかが容易に予測できた。

《当て身投げ》
《短剄》
【当て身短剄】

 それさえ解れば後は簡単だった。
 限界まで引きつけてこちらも跳躍。振り抜かれる寸前の尾を掴んで、空中から背に投げる。
 そして落ちながら体勢を修正。全体重に落下の重力も加えて、拳を腹に叩き込む。全てが一繋がりの流麗な動作――
「ギャァァアアアアアアアアアア!!」
 耳を塞ぎたくなるほどの叫びを上げ、悶絶するナシーラ。拳に込められた氣が体内で暴れ狂っているのだ。
 怒りは動きを単調にする。それは身を以って解っていたが、逆に相手を怒らせ攻撃を誘うことまで、意識してできるほどアルカイザーも経験が豊富ではなかった。勿論、研究者だったナシーラが知らなかった故の結果だろう。
 壮絶にのたうち回るナシーラを、アルカイザーはただ見ていた。できるならここで終わらせたい――そう思いながら。
 やがて起き上がるナシーラ。長い髪に隠れたその表情が徐々に露になっていく。そして――
 アルカイザーはその顔を見て、何かを諦めたように首を振り、軽く構えを取った。だが、それに反して声は酷く悲しげで、苦々しく――
「……かかってこい。今度こそ叩き潰してやる……!」


「エリオ君! これじゃ迂闊に近づけないよ!」
 キャロは背中のエリオに叫び、彼も小さく頷く。目標の手掛かりも、ナシーラの指令も失った地竜は、闇雲に鉄球を撃ち、高温ガスの咆哮を撒き散らしている。
 フリードの大きさでは近づくのは危険だろう。エリオを降ろすだけでも難しい。
「(キャロ、そのまま行って! 私とシグナムで抑え込む!)」
「フェイトさん!?」
 フェイトが飛ぶのに合わせて、示し合わせたシグナムがそれを追う。わざと地竜の目を引きつつ、地竜の頭上に到達。同時にフェイトはバルディッシュをザンバーへと切り替え、シグナムはレヴィンティンを振りかぶる。
「行くよ、シグナム!」
「承知!」

《神速三段突き》
《ロザリオインペール》
【神速インペール】

 地竜は頭上に現れたフェイトとシグナムに高温ガスを吐き出すが、届くことなくフェイトの姿は消え、直後に顎の下から鋭い突き上げを見せた。
「ギャオオオオオ!!」
 ザンバーの先端が僅かに肉に刺さったのみだったが、顎を強打された地竜は堪らず仰け反った。
 畳み掛けるように紫の十字の光が地竜の頭に降り注ぐ。シグナムが十字の端に渾身の力で剣を突き立てるのと、フェイトの二撃目が地竜の頬に刺さるのはほぼ同時――
 最後は十字の中央に二人揃っての突き。金と紫、二つの光が美しく重なる。魔力が弾けて色鮮やかな閃光が闇を切り裂いた。
 だが――それでも倒れない地竜の頑丈さには、揃って閉口した。
「(キャロ!)」
 それでも、どうやら道は開けた。痛みに耐えかねたか、ガスの放射気管に衝撃を受けたのか、ともかく炎は止んだ。エリオとキャロを乗せたフリードは、暴れうねる地竜の背の上へと到達する。
「やっぱり危ないんじゃ……今のエリオ君傷だらけだし、フェイトさんかシグナムさんじゃ駄目なの……?」
 心配そうに見つめるキャロの問いに、ゆっくりと首を振るエリオ。
「……駄目だよ。フェイトさん達じゃないとアイツにダメージを与えられない。地竜を抑えられるのが二人だけな以上、僕が行くのが一番なんだ」
「でも……!」
 キャロは食い下がったが、エリオは既に彼女を見てはいなかった。見つめるのは、地竜の背で戦うヒーローを名乗る男だけだった。


 アルカイザーとナシーラの戦いは膠着状態に陥っていた。ナシーラもカウンターを恐れてか、深く攻め込んでこようとしない。それに気付いたアルカイザーも迂闊に攻めはしなかった。
 危ういバランスを保つ戦況を崩したのは、空から降ってきた少年。
「ぅおおおおお!」
 落ちながらストラーダを上段から打ち下ろす斬撃を、ナシーラは寸でのところで回避。惜しくも頬を掠めたに過ぎなかった。
「ちっ! 坊やも一緒になって向かってくるってこと……」
 着地したエリオは素早く跳び退ってアルカイザーに並ぶ。青い血を流す頬を押さえ、ナシーラは二人をきつく睨みつけてくる。
「あなたは何故こんなことを……。子供を攫ってどうするつもりなんだ!」
「ここは生命科学研究所。当然――実験素体に使うに決まっているでしょ?」
「実験……?」
 悪びれる様子などまったく見せずにナシーラは答えた。恐ろしい事実をしれっと口にする彼女に、エリオは恐怖すら感じた。
「知っていて? 妖魔の幼体というのは確認されていないの。その起源・発生も、上級妖魔の人と酷似した姿も、存在のほとんどが謎のヴェールに包まれている。
下級妖魔はモンスターもどきでね、弄っていても埒が開かないのよ。だからと言って上級妖魔はおいそれと手が出せない」
 次々に吐き出されるのは彼女の秘められた研究プラン。想像だにしなかった彼女の思考には、アルカイザーも動揺を見せている。

「人と妖魔の融合というのは、なかなかに難しいのだけどね。でも不可能ではないことはあなた達が見てきたとおり。
幼体が確認できないのならここは一つ、子供と融合させたらどうなるのかしら? ってね」
「ふ……ふざけるな! なんだってそんなことを!」
 エリオは思った。この女はスカリエッティや施設の人間達と同じだ。どんな犠牲を払おうと構わず、飽くなき探究心で世界の全てを食い尽くす。
「この実験が成功すれば、また一歩妖魔とモンスターの実態に近づける。妖魔の寿命とモンスターの強靭な肉体。
そして多様化の過程、変身能力、吸収する妖魔武具の謎を解き明かせば、人は更なる進化を遂げるのよ……!」
 自らの理想に酔い痴れるナシーラは、恍惚と両手を広げた。まるでそれが自らに下された神託であるかのように。
 しかし、頭上――地竜の首元では絶えず爆音と咆哮が鳴り響き、眼下には鉄球による無惨な破壊の跡。
彼女の理想、その全てが暗闇と瓦礫の先にあることを示している。
 モンスターよりも妖魔よりも醜悪で、心の暗部を増幅させた化け物。醜く歪んだ心の様も、その行いも、また人間の在り方であることは解っている。それでも――いや、だからこそ許せない。
「サンプルは三人。成功したなら、一人は強制的に成長を促進させてみて、一人はじっくりと経過を観察。
もう一人は……青い薔薇でも咲かせてみようかしら? 妖魔の君のような高貴な存在なら、さぞかし美しい色彩が表れるんでしょうけど、あの小娘には逃げられちゃったし……。
無垢な子供の妖魔の血なら、或いは曇りの無い色合いが出るんじゃないかしら……。どう? 興味無い?」
「全く無いな。お喋りはその辺にしたらどうだ」
 即答するアルカイザー。しかしエリオには、心なしかその声に込められた強い感情を感じた。彼もまた怒りに燃えているのか。或いは――
「子供の誘拐も碌にできない木偶人形のお陰で足が付いちゃったけど、まだパトロンに捨てられると困るの。
実験の材料だって、ブラッククロスから買えばこんなことにもならないのよね。でも、パトロンにブラッククロスと取引していることがばれると流石にまずいから、ちょっとは控えなきゃ」
 自分と同じく、憎しみを抑えられないのか。
「これで私の話は終わり。最初からあなた達に理解が得られるとは思ってないわ。これで私はなんとしても、あなた達を殺さなければならなくなった。お互い多少の時間稼ぎにはなったわね」
 荒い息を整え、睨みあうナシーラとエリオ。
 頭の中がチリチリと焼かれていくような感覚と共に、思考が失われていく。そこにあるのはただ怒りのみ――
 思い知らせてやらねばならない。彼女のような人種が実験体としてぞんざいに扱った者の怒りを――恐怖を――苦痛を! それがどれほど重いものであるかを、その身で解らせてやる。
 激しい衝動に突き動かされる今のエリオが、自分とナシーラを見つめるアルカイザーの冷ややかな視線に気付けるはずもなかった。

「少年、俺に考えがある。君の攻撃ではおそらく攻撃が通らない。だが、俺の攻撃なら奴に効くはずだ」
 正体は隠さねばならないが、親しくしている少年に対し、どう話していいものか解らない。だからアルカイザーは柄にもなく、丁寧な口調で端的に提案のみを伝えた。
勘のいいエリオならばそれだけで察してくれるだろう。
 しかし、エリオは一瞥もせずに答える。口調は重く、アルカイザーに対しての不満がありありと感じ取れた。
「そんなの……やってみなくちゃ解らないですよ!」
「おい、少年!?」
 エリオは制止も聞かず、正面からナシーラに突進していく。
「はぁあああああ!」
 ナシーラは戦闘に関しては素人だ。正面から向かえばそこに攻撃を返してくるはず。自身の肉体に自信があれば尚のこと。
 エリオの予測通り、ナシーラは一直線に向かってくるエリオに爪を繰り出す。エリオは溜めた足を踏み込み、跳躍。ナシーラの背後に回った。
 やはり速度では自分が勝っていたのだ。そしてエリオはストラーダを振り上げる。
――捉えた!

《尾撃》

 そう思った瞬間、側頭部を叩かれ、激しく脳が揺さぶられた。滞空していた小さな身体は、いとも簡単に吹き飛ばされる。
「エリオ!」
 アルカイザーは地竜の背から弾き飛ばされたエリオを追い、BJの襟を掴む。力を入れると、その身体はぶらりと腕を揺らし、驚くほど簡単に引き寄せられた。
 10mを超える高さから難なく着地したアルカイザーは、地竜から一度離れ、エリオの頬を軽く張った。
「おい、大丈夫か!」
 エリオは意識を失ってこそいないものの、衝撃で少し朦朧としている。
「大丈夫です……放してください」
 と、やがてエリオは腕の中からするりと逃れた。
「あらあら……そんな正面からの真っ正直な攻撃じゃ通用しないわよ」
 ナシーラは地竜の背の上から満足気に見下し、二人に嘲笑を浴びせる。
 やはりそういうことか――アルカイザーにはすぐに見当が付いた。ナシーラは挑発に乗り、散々カウンターを受けたばかりだ。
いくら戦闘に関しては素人といえども、馬鹿正直な突撃を疑わないはずがない。
「少年、俺に合わせてくれ。攻撃力が足りなくとも、君の機動力なら奴を上回ることができる。君と二人なら奴を倒せるんだ」
 アルカイザーはナシーラから視線を離さずに、再度エリオに協力を求めた。
「……あなたは自分をヒーローだと言った。ヒーローって……何なんですか?」
 エリオは問う。今度はアルカイザーをはっきり見つめ、そのヘルメットの下を見透かすように。
「あなたがヒーローなら……全ての人々を救う英雄なら、どうして僕を助けてくれなかったんですか……」
 最後の方は辛うじて聞き取れるほどの、か細く小さな声。だが、どれほど小さかろうと、それはアルカイザーの心深くに届いた。

 それは今となってはおぼろげで遠い記憶。モンディアル家で暮らしていた頃、エリオの中にヒーローは存在した。
 助けを求める弱き人々を守り、平和を脅かす存在を討つ。弱きを助け、強きを挫く――彼らの勇姿は子供達の目を引き、心を惹きつける。
それはエリオも例外ではなかった。そう、あの時までは。
 我ながら馬鹿馬鹿しいと思うが、今ではそう考えられたことが懐かしくて、とても大事なことだった気がする。
 はっきりとしたことは、もう思い出せない。だが、施設に放り込まれてから一月までは本気で信じていた。何もヒーローがそのまま出てくると信じていた訳ではない。
ただ、必死で助けを求めていれば誰かが助けにきてくれる――そう思いたかったのだ。
 しかし、一年以上が過ぎてもヒーローは来てくれなかった。誰一人として優しく接してくれる者などおらず、碌に顔を見もしない物扱いの日々。数年間、太陽も見られない暗い独房と実験室を行き来する日々。
 得体の知れない電極を付けられ、どこまで電流に耐えられるかを実験されたこともあった。反抗しようとすれば、気絶するまで殴られ、骨が何本か折れるまで蹴られたこともある。
この悪魔のような研究員達から、自分を救ってくれる者をずっとずっと待ち望み、時が過ぎていった――
 救いは訪れることなく時が経ち――やがてエリオはある結論に至った。
――ヒーロー――そんなものは存在しないのだ、と。


 研究員の中には、ナシーラのように嬉々として身体を弄る者も少なからずいた。だが、ほとんどの者達は皆、一様に無表情だった。
 何の感情も浮かべず、他人を傷つけることができる者達。だが、やがてエリオは相手の表情に秘められていたものを、見抜けるようになった。
 一つは得体の知れないモノへの果てしない恐れ。もしも、逃げられでもすれば、間違いなく復讐されるだろうとでも思っていたのか。
すればするほど、憎しみは募るばかりだというのに。
 それは例えるならば、完全に息絶えるまで昆虫を切り刻み、脚を千切り、羽根を毟る子供のような――理由が、残虐な愉悦の為か、恐怖心によるものかの違いしかない。
 きっと自分こそが、彼らにとって平和と生命を脅かすモンスターなのだろう、と。だからこんなにも虐げられるのだろうか、だから誰も助けてくれないのだろうか――そう幼心に思ったものだ。
 そしてもう一つ――彼らの目の奥に暗く潜んでいたのは、自らの残酷さと醜悪さを覆い隠し、目を逸らしたい気持ちだった。
幼い子供に対する非人道的な所業から目を背けたいのは解る。しかしエリオから見れば、彼らもナシーラのような連中と何ら変わらない。
 憎しみの視線と疑問の視線、どちらも同じ――彼らはそれに敏感に反応し、怯えながらまた殴るのだから。
時には仕方ないなどと言い訳を並べながら傷つける――そんな彼らがとても不思議で、そして憎かった。
 それに、彼らが強制的に実験に参加させられているようにも見えなかった。好奇心を押さえられなかったのか、或いは『プロジェクトF』を解明して役立てたいとでも考えていたのか。
全ては想像に過ぎないし、どうでもいいことだ。
 居場所をくれたフェイトには感謝しているが、この気持ちとはまた違ったものに思える。尤も、その頃にはヒーローを信じる心など現実に擦り切れて、とうに消え失せていた。
 フェイトによって、随分とましな施設に入ってからは、徐々に世界を憎む気持ちは薄れていった。しかし、過去は消えることなく、時にエリオを苛んだ。
もう、あの頃には戻れない、ヒーローを信じていた頃には戻れないのだと。
 以来、ヒーローと云う言葉には敏感に反応してしまう。自分でもそれが嫌で堪らない。
 勝手な逆恨みであることは解っている。全てを救うなど、そんなものは子供に夢を見させる為の、聞こえのいいお題目であることも承知の上だ。
 それでも不意に思うことがある。助けを求める悲痛な叫びに応えてくれる存在がどこかにいるのかもしれないと。もしかすると――心のどこかで、今も泣き叫び続けているのかもしれないと。
 だから今、エリオは目の前のヒーローと名乗る男に問い掛けずにはいられなかった。

「ヒーローとは何か……か。解らないな……」
「え……?」
「俺もお前と一緒で新人なんだ。だからそれをずっと考えてる。正直、あの言葉はつい口を吐いて出ただけだ」
 しばらく逡巡した挙句、アルカイザーは正直な気持ちを答えた。ヒーローになったところで、どう振舞えばいいのか解らない。
結局は戦うしかできないことは確かでも、どのような心で戦えばいいのかが解らない。
「俺はさっきまでアイツを本気で殺したいと思ってた。いや、今でもそうだ。他人を何とも思わない、あんな連中を笑わせておくなんて絶対にできない! 心底虫酸が走る……!」
 ヒーローを謳ってみたところで、憎しみは厳然として己の中に在る。しかし、つい口を吐いたあの言葉も嘘偽りのものでは決してない。
「けど――俺と同じ顔をしてるお前を見たら、急にそっちが悲しくなった……」
 ヘルメットに隠されたアルカイザーの表情は読めない。エリオの顔を見るでもなく、彼はナシーラを見上げた。
「お前みたいに優しい、いい奴が、あんな奴を殺そうと必死になるのは……やっぱり見たくないよな」
 上ではフェイトやシグナムが地竜と激しい戦いを繰り広げている。足元の二人には気が回っていないようだが、危険なことには変わりない。
「お前の過去に何があったか、俺は知らない。過ぎてしまったことはどうにもできない……。全ての人を救うなんてできない……。それでも――」
 アルカイザーはエリオに向き直った。そして、その手を差し伸べた。共に戦う為に。
一人ならば憎しみに囚われることがあったとしても、一緒なら強くなれると信じたいから。
 それはエリオの闇を知らないからこそ吐くことができた綺麗事。それでも、それはずっとずっと――何よりも待ち望んだものだった。
「今、お前の力になることならできる」


「そんな今更……!」
 伸ばされた手――それはずっと待ち焦がれていたもの。だが、エリオは素直に手を取れず、首を横に振った。
 ずっとヒーローなどいないと思っていたのに。そう思ってきたのに、今更手を伸ばされたところでどうすればいいのだろう。
 俯くエリオにアルカイザーはそっと手を引き、語りかける。穏やかで、それでいて力強い声。
「そうだな、今更かもしれない。だってお前にはもう力があるじゃないか」
「力……」
 同年代の子供は皆、学校に通って平穏に暮らしている。それなのに無理をして魔導師を目指したのも、厳しい訓練に耐えてきたのも、全ては強くなりたかったから。
 大人=強者であったからこそ、背伸びもした。子供だと笑われると、むきになって怒りもしたのだ。
「お前はもう、非道や不条理に対して抗う力を持っている。その術を知っている。そして、これからきっともっと強くなって多くの人を救う……と思う」
 だが強くなるのは何の為だったろうか? 復讐の為か、それとも――エリオは真っ白になっている頭の中を、少しずつ探っていく。
「終わったことはどうにもできないけど、お前は自分自身で昔の自分を救ってやれるんじゃないか?」
 そうだ、強くなりたかったのは、フェイトと共に働きたかったから。そして誰かを守れるようになりたかったから。そして――
「僕が助けてあげたいのは……昔の僕?」
「辛い記憶に打ち克てるとすれば、自分の心を救えるとすれば、それはやっぱり自分だけなんだ」
 徐々に心が楽になってきたのを感じる。同時に、表情からも憑き物が落ちたように険しさが消えていく。
「お前にはもう……ヒーローは必要無いのかもな。もし仮に……ほんの少し、自分で立ち上がる為に心を奮わせる手伝いをするのがヒーローだとすれば――お前はもう立てるじゃないか。
お前に勇気を貰った奴だっているだろう。お前は誰かにとってのヒーローにだって――」
 それが、他ならぬ彼自身だと、エリオには想像もできなかっただろう。

「でも! 僕はあいつを許せそうにない。子供達を助ける目的を忘れて、ただ倒すことしか考えられなかった……。
僕の記憶が……研究と称して人をオモチャにするような、あんな人を絶対に許しはしない……」
 そんな自分にヒーローなんてなる資格があるはずがない。エリオは伸ばしそうになった手を引いて、所在無げに胸に抱いた。
「それでいいさ。俺だって憎しみも怒りも捨てることなんてできない」
「あなたも?」
 エリオは首を傾げた。彼は"同じ顔"と言った。ヒーローたる彼でさえも、怒り狂う自分を抑えられないこともあるのだろうか。
「誰だって振り返ることはある。けど、振り返った先にいる昔のお前の……その後ろを見てみろよ」
 アルカイザーはおもむろにエリオの背後を指した。
「そこには辛くて苦しくて、でも自分ではどうしようもできなくて。そんな人達が沢山手を伸ばしてるんだぜ?」
「僕と同じ人達……」
 そして自分が救いたい人達。
「ああ。見ろよ、大行列で順番待ちだ。だから昔の自分を救えたなら……次の手を取れ」
 こんな暗黒の結界の中でいるはずがない。そう、頭で解っていても、何故か振り向くのが怖かった。
 意を決して、エリオはアルカイザーの指す背後を振り向く。そこには――


「いない……」
 助けを求める人々の姿など見えはしなかった。
 そこには聳え立つ巨大な地竜の影と、それを相手に飛び回るフェイトとシグナム、そしてキャロ。
 ただそれだけ――誰の声も聞こえることはない。当然といえばあまりに当然だった。
 アルカイザーは、呆気に取られているエリオをからかう。不思議と、嫌味さは感じない。
「それはお前がまだガキだからだな。もう少し大人になれば見えるさ」
「……僕を子供扱いしないでください!」
 はっとエリオは口を押さえた。あまりに自然に出た言葉に自分でも驚いている。まるで見知った青年を相手にしているような気さえした。
「そうやってむきになるのが子供っぽいってことだ」
 アルカイザーが、にやりといたずらっぽく笑った――ような気がした。ヘルメットで表情は窺えないのに、そこにはよく知った顔が透けて見えた。
 もう少し大人になれば――その為には、この状況を勝って生き残らねばならない。もしも彼の言う通り、自分を待つ人が存在するのなら、それはこの"後ろ"にしか有り得ない。
 巨大な竜は行く手を遮る高い壁。これを打ち壊したその時、果たしてそれは見えるのだろうか――
「確かなことは……お前の未来も明日も、これを倒した"先"にあるってことだけだな」
アルカイザーも地竜を振り仰いだ。彼と並んで立ちながら、エリオはふと湧いた疑問を口にする。
「でも……何であなたは僕のことをそんなに――」
 気にしてくれるのか――そう続けようとしたところで、エリオの言葉は彼に遮られた。
「何だかお前は俺を見てるみたいなんだ。だから……その、つい……気になって仕方ない」
 アルカイザーはそっぽ向いて、照れ臭そうに言った。その仕草といい、やはり似ている。
 そういえばレッドはどうしただろうか。戦闘機人を一人で引き受けて自分を行かせてくれものの、いくら彼でも戦闘機人に勝てるとは思えない。
 それはおそらく彼も解っていただろう。それでも立ち向かえる彼こそ、本当に強い戦士なのではないか――
 そこで初めて、エリオは自分の感情に名前を与えた。嫉妬でも憧憬でもある、その気持ちの正体を知った。
「僕は……きっと羨ましかったんだ……」
 エリオの呟きはアルカイザーにも届いていたらしい。彼は穏やかな声でエリオに答える。


「そうか……お前はヒーローが羨ましかったのか……。いいさ、俺にだって……だけどその気持ちだって、強くなる為の原動力にできるはずなんだ」
 どうやら彼は自分の言葉を勘違いしているようだが――そんなことはもうどうでもよかった。
 ただ、その言葉だけは胸に刻んでおく。
 大事に仕舞って、忘れないように。
「僕が過去のことを振り切れたのか――まだ解りませんけど、やらなくちゃいけないことは思い出しました」
 自ら、誰の手を借りることもなく立ち上がったエリオの表情には、怯えも狂気も無く、ただ適度に引き締まった緊張感が宿っていた。
何よりも瞳がぶれることなく、毅然と顔を上げてアルカイザーを見据えている。
「お願いします。僕と一緒に戦ってください」
 エリオは今度は自分からアルカイザーに手を伸ばした。無論、それは信頼を固める握手ではない。非礼を詫びるものでもない。
「これはお前を助けるヒーローの手じゃない。それでいいんだな?」
 エリオはこくりと無言で頷き、それを受けてアルカイザーはその手を取った。
「――行くぞ、エリオ!」
「はい!」
 アルカイザーはそのまま膝を沈ませ、一気に跳び上がる。その右手は、エリオと固く繋がっていた。

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最終更新:2008年08月12日 11:31