「貴方達……まだやろうっていうの?」
「ああ、何度でもやってやるさ」
 戦場は魔力光と地竜の炎で仄かに照らされている。はっきりとは見えないが、爆音と剣戟の音からも、フェイト達が激しく戦っていることは伝わってくる。
 地竜の背の上で再度、アルカイザーとエリオはナシーラと対峙した。ナシーラは地竜の首筋を背にして妖しく微笑む。
 ナシーラはもとより、エリオも息を整え冷静さを取り戻している。
 その様子から一筋縄ではいかないことは、既にナシーラも察しているだろう。今のエリオは、言葉巧みに操れるただの子供ではないということだ。
 互いに睨み合い、弾かれる時を探っている。最早挑発も会話も――全ての言葉に意味が無い。僅かなきっかけで戦いが始まる、一触即発の状態。
 不規則にうねる足場は定まらず、力を入れていないとバランスを崩しかねない。
「ギャォォオオオオオ!」
 張り詰めた空気が漂う中で、戦いの号砲となったのは地竜の咆哮。フェイトとシグナムの猛攻によって、地竜は堪らず悲鳴を張り上げた。
 刹那――地竜の背が激しく振られるのに合わせて、3人が同時に飛び出した。震動を物ともせず、踏み込みを強くするアルカイザー、尾で跳ぶように走るナシーラ。
小刻みに足を動かし、器用にバランスを取るエリオと三者三様である。
「うぉぉぉおおおおおお!」
 気勢を発して、最初にエリオとナシーラがぶつかった。ナシーラはストラーダの振り下ろしを、両手の爪で受け、そのまま両腕を振り上げてエリオを押し返す。
 斬撃に勢いが乗る前に食い止めた――言葉で表せば単純だが、それだけナシーラの動きが機敏であることを示していた。加えて、ナシーラに決定打を与えるには、やはりエリオの打撃は軽い。
 斬撃は両腕の振り上げに弾かれるが、その背後からはアルカイザーが走り込んでいる。エリオが勢いを利用して自ら離れたのだとナシーラが気付くのに、時間は掛からなかった。

《シャイニングキック》

 地竜の背中とほぼ平行して滑空するキック。エリオを退けた直後だった為、ナシーラは咄嗟の反応が遅れた。
 何とか回避を試みるも、その速度は凄まじい。迷う暇も与えずに迫るキックに対し、ナシーラの選択肢は一つしかなかった。

《尾撃》

 ぶつかり合うシャイニングキックと尾撃。通常の打撃ならば、太い尾によって弾くことも容易かろうが、今回はアルカイザーのキックもそう簡単にはいかなかった。
「くぅぅぅぅぅ!!」
「フウゥォォォォォ!!」
 両者共に掛け値なしの全力同士。衝撃波で空気を震わせるほどに拮抗した激突は、時間にすれば数秒にも満たない。しかし、互いの気迫はもっと長時間の攻防を思わせる。
 終わりは意外に早く訪れた。押し負けたのは――シャイニングキック。正確には、直線のキックが横からの打撃に逸らされたと言うべきか。
 追撃を予想したのか、競り負ける直前にアルカイザーは尾を蹴り、回転しつつ後ろに跳躍。
 しかし、ナシーラが息つく暇も与えず、背後に回っていたエリオが、ストラーダを刺突の態勢に構えている。
 ナシーラは、再び尾で防戦しようとするが――
 尾が痺れて思うように動かせなかった。アルカイザーとの激突によるものだ。
 これが狙ったものであることに、何故気付かなかったのか。今更になってナシーラは自らの迂闊さを呪う。
「坊やぁ!」
 ナシーラは振り下ろされた槍を、振り返り様に左腕で庇った。直撃は避けられたものの、付け根近くまで深く切り裂かれた腕からは、青い血が舞う。
 エリオは自分の一撃に確かな手応えを感じた。が――すぐにその表情が曇る。
「なん……で……!」
 血を滴らせながらも、敢えてナシーラは左腕でエリオの右肩を抉ってみせた。貫き手に突き刺された肩からは血が滲み、それは激痛と共に広がっていく。
 怒りに燃える瞳と裏腹に口元を歪ませるナシーラ。半ば勝利を確信した喜悦の表情。状況は違えど、自分を自由に嬲り殺せる実験動物だと思っているに違いない。
 対するエリオは、一歩も引かず、ストラーダを握り直す。攻撃が効かない訳ではないのだ。まだ戦うことはできる。
「このトワイライトゾーンの中なら回復力も3倍……どう頑張ったってあなたじゃ軽すぎるのよ!」
 一人ならそうかもしれない。だが、今は違う。今は――その決定打を与えられる存在がいる。



《シャイニングキック》

 背後からの指示通りに頭を下げると、突風が頭上を掠めた。
「甘いわ!」
 しかし、シャイニングキックはまたも回復した尾と相殺。今度はナシーラも予測済みだった為か、下から突き上げるように尾を振り上げ、キックは容易く弾かれた。
 バランスを崩したアルカイザーは、ナシーラの頭上を越え、回転しながら飛ばされていく。
「アルカイザー!」
 エリオの叫びにもアルカイザーは答えない。すぐにナシーラの標的はエリオに向き、アルカイザーを気にする間も無くなってしまう。
 速さもさることながら、最もてこずらせているのは尾だった。まるで第三の手のように器用に動き、しかも威力は比べ物にならない。
 両腕の猛攻を凌ぐ間も、常に尾の動きを警戒せねばならず、エリオは戦闘に集中できずにいた。
 ナシーラもそれに気付いているらしく、尾を無意味に跳ねさせてエリオを威嚇する。
 光沢を放つ両の爪をストラーダで受けると、ぶつかった爪とストラーダの向こうから嫌らしい笑みが見えた。
「どうしたの坊や? そんなに私の尾が怖い?」
 エリオは何も答えなかった。挑発であることは解り切っているからだ。
 尾撃は強力である。しかし身体を半回転させる以上、大きな隙が生まれる。だからこそ確実に決まるチャンスを狙っているのだろう。
 だが、それが解っていても状況を好転させる術は思いつかない。とりあえず距離を開けるべく、後ろに跳べばナシーラも追ってくる。
それが更にナシーラを勢いづかせ、速度の乗った爪を防ぐことが困難になった。
「怖い? 怖いのね坊や?」
 ヒュン――と風を切って尾がエリオの顔に飛ぶ。
「くっ――!」
 エリオはストラーダを顔の横に立て、防御姿勢に入るが、尾は急激に失速。代わりに爪が反対の肩を浅く裂く。
 玩ぶようにからかいながらの攻撃に神経をすり減らし、離れることを許されず、エリオは次第に勢いに押されていく。
――これ以上、後ろには下がれない……。でも、突撃しても勝てるとは思えない……
 血路を見出すべく、ナシーラを睨み、その動きを観察する。
 その時、光が見えた。ナシーラの背後、何かが風を切って飛来する。暗闇を照らし、ライトグリーンに棚引く光は、まるで――流星。
 ナシーラはまだ気付いていない。こんな時、アルカイザーならどうするか。それを考えればおのずと答えは導き出された。
「脇が甘いわよ、坊や!!」

《尾撃》

 迷いを察知したエリオに生まれた一瞬の隙をナシーラは見逃さない。素早く身体を回し、エリオの脇下へ尾を叩き込んだ――それこそが狙いであるとも知らずに。
 エリオが声も無く吹っ飛び――直後、勝利を確信したナシーラの、がら空きになった背中を流星が貫いた。


 ナシーラに弾き飛ばされたアルカイザーは、空中で体勢を整え、飛ばされる方へ足を向ける。先にあるのは幹のように太い地竜の首筋。これほど上手くいくとは思っていなかったものの、無策で突撃した訳ではなかった。
 増幅された回復力、防御力を攻略する方法に頭を捻ったが、結局浮かんだ手段は一つ。回復を上回って致命傷を与えられる威力の攻撃を、防御されないように当てる――実に単純明快な方法。
 そこで思い出したのが、公園で戦った女が使った三角蹴り。正攻法でどうにかなる相手ではないのなら、搦め手から攻めるしかない。
 不意を突く為には、たとえ自分がやられても、ナシーラの注意を引いておける存在が必要になる。エリオは十分にその役目を果たしてくれた。
 アルカイザーは地竜の首に接触と同時に、身体を捻る。足を溜め、蹴り出した勢いを乗せて再び宙を舞った。

〔ディフレクトランス〕

「ディフレクトランス! トォォッ!!」
 予想外の方向――予想外の角度――予想外の攻撃。
 高角度からのスピードと体重、更に回転を加えた三角蹴りは唸りをあげ、文字通り突撃槍(ランス)となってナシーラを貫く。
 打撃の瞬間、骨が折れる耳障りな音が響き、ナシーラは叩き伏せられた。
「ギィィィヤァァァァァ!!」
 奇声を上げて動かなくなったナシーラの前にアルカイザーは立つ。
 しかし、彼は拳を握り締めたまま動かなかった。いや――動けなかった。


 これは人なのだ。今はモンスターだとしても、数十分前までは確かに人の形をしていた。ここまでの道中で、幾人もの研究員の成れの果てを屠っていながら今更なのかもしれない。
そこに加えて、彼女の固まった恐怖の表情が決意を鈍らせる。
 ナシーラはピクリとも動かなくなった。だが、この程度で死んだとは思えない。おそらくは気を失っているだけだろう。
 今ならば拳か踵を振り降ろすだけで、容易く彼女の命を絶つことができる。だが、無我夢中の戦いの中でならまだしも、
抵抗できない相手に止めを刺すという行為がアルカイザーを縛り、拳を止めさせた。
 それは、内心ずっと考えていた状況。綺麗事で己を飾り、目を背けてきた代償。
 今、ここで殺せと言うのか? 無抵抗で気絶している相手を? それがヒーローなのか?
 できない――たとえ彼女が同じように何十人もの人々を犠牲にしていたとしても、そして今後もそれを繰り返すとしても。
 それは人としての優しさなのか、それとも、この期に及んで己で手を下せない臆病さなのか。
 倒すべき敵を前にしてなお、正義の鉄槌は振り下ろすべき時を迷っていた。
 彼女はまだ、生きている。戦闘力を奪えば、もう十分なのではないか――そんな考えすら脳裏を掠める。
 そして自ら作り出したこの状況が、彼自身の窮地を招くことになった。


 アルカイザーの奇襲から数十秒――未だ痛みは続いているが、驚異的な身体能力は既に彼女の身体を辛うじて行動可能にしていた。
 どういう訳かアルカイザーは攻撃を仕掛けてこない。ナシーラは狸寝入りを続けながらも、頭の中では冷静に、そして狡猾に反撃の機会を窺う。
 拳を見つめて動かないアルカイザーを見て、やがて一つの仮説に行き着く。こいつは命を奪うことに怯えているのだ、と。
 ブラッククロスを脅かすかもしれぬ存在が、こんな腑抜けとはなんたる僥倖。ナシーラは込み上げる高笑いを必死に堪える。それが今日、最も苦しい戦いだった。
 勝手に笑みを作る口元を見咎められないよう、身体を丸めながらチラリと様子を見ると、彼が一歩一歩近づいてくる。
 ようやく決意を固めたのかもしれないが、もう遅い。足取りも明らかに緊張している。

 一歩――まだ足りない。
 一歩――後少し。
 一歩――今!

 射程距離に入った瞬間――ナシーラが跳び上がっても、アルカイザーはまるで反応できなかった。

《グリフィスクラッチ》

 文字通り蛇蝎の如く、縮めた身体を伸ばす勢いで踊りかかり、素早く強烈な引っ掻きを繰り出す。
 真紅の爪は、アルカイザーのボディプレートも、スーツさえも切り裂いて、その胸に鮮やかな線を刻んだ。
「ぐぅっ……!」
 防御も間に合わず、呻きながらアルカイザーは倒れ込む。ナシーラは紅い血に染まった爪を舐め、妖しく微笑んだ。
「本当に甘いわね……。倒れた敵を目の前にして迷うなんて」
 自分は違う。もう何人もの人間を殺してきた。泣き叫び命乞いをする人間を、薬漬けにして改造もした。
 だから怖くない。いざ殺す段になって迷ったりするはずがない。
 爪がヘルメットの隙間――首筋を貫けばそれで全てが終わる。実に簡単なことだ。どうして彼はこんな簡単なことができなかったのだろう。
「さようなら、ヒーローさん」
 ナシーラは爪を立てて振り下ろす。しかし爪が届くことはなく、鋭く伸びた爪は半分まで切り取られている。
 暗黒の中、寸前で煌いた黄色の魔力光と雷光。それが意味するものは――


「また邪魔をするのね……坊や!」
 目の前には、ストラーダを薙いだエリオが息を荒げて立っていた。
 確かに手応えはあったはずなのに、今また、彼は立ちはだかってくる。
 アルカイザーもこの子もそうだ。このトワイライトゾーンの中で動きも力も制限されるはずなのに。自分のように特殊な回復力も持ち合わせていないのに。
 それでも、何度でも立ち上がってくる。これだけが、優れた頭脳を持つ自分にも理解できなかった。
 しかし恐れることは無い。如何に凝視が警戒されようとも、戦闘力では俄然こちらが上回っているのだ。
 ナシーラは余裕の表情でエリオを睨みつける。だがエリオも怯むことなく、正面から視線を受け止める。
「もう……殺させない!!」
 ナシーラにとっては虫酸が走るような気色の悪い言葉だった。


 もう殺させない――ただそれだけの言葉が傷ついた身体に力を与える。挫けそうな意志を支えてくれる。
――不思議だ……。口に出しただけなのに……
 口に出すことで、実際にそれが実感として湧いてくる。
 施設にいた頃は毎日のように、
――大丈夫――
――きっと助けにきてくれる――
 そればかり呟いていたように思う。そうすることで救いを信じることができた。恐怖を少しでも和らげることができた。
 やがて、それは絶望と諦めを経て、呪いと憎しみに変わっていき、心もそれに合わせて荒んでいった。
呪詛を一つ吐く度に自分から何かが零れて、その隙間が黒く染まっていった。
 無表情になる研究員達に悟られないよう無表情で、逆撫でしないように無言で痛みや辛さに耐えてきた。
 今にして思えば、諦めずに唱え続けていれば何か変わっていたのかもしれない。たとえ救いが現れずとも、絶望に染まることは――
――いや……もう止めよう……
 エリオは首を振り、追憶を中断する。振り返ることがあってもいい、でも今はその時ではない。
 多分アルカイザーだって同じなのだろう。「ヒーローとして」「人々を守る」「それが正義だ」そう信じることで、戦ってこれたのかもしれない。
傷つけられる恐怖から逃れられていたのかもしれない。
 この推理が的を射ているかも、それが正しいことかも解らない。だが、たとえそうだとしても、それを責めることはできなかった。
 これまでのエリオにとって、ヒーローとは羨望と、秘めた嫉妬の的。しかし、今日ここでアルカイザーと出会って、何かが変わった。
 完全無欠の存在ではなく、その実、彼なりの苦悩と弱さを抱えていた。不安、恐れ、迷い――それは彼が紛れもなく人間である証。
 それを知っても失望はしなかった。決して手の届かない存在でも、完成された存在でもない。今、自分が戦わなければ彼は死んでしまう。
 それが嬉しい――と言ってはおかしいだろうか。だが、そのことが無性にエリオを昂らせた。
 自分はもう救いを待つだけの無力な子供ではない。守れる力は確かにこの手にある。それでこそ、必死で強くなった甲斐があるというもの。
 それだけではない。ヒーローである彼の力になれるということ、自分も誰かのヒーローになれるということ――様々な想いが絡み合い、
混ざり合って、とても一言では片付けられない。
 フェイトによって救われた過去。それは言葉だけでなく、彼女が身体を張って受け止めてくれたからこそ。
 たとえ嘘だ偽善だと嗤われようと、"本気の嘘"ならそこに迷いは無い。誰かから言葉を貰えれば、言霊が勇気になる。守りたいから、優しい言葉をあげたいから戦う。
――たとえそれが偽善だとしても、信じたい気持ちは嘘じゃないから……
 エリオは静かにストラーダを持ち直し、大きく息を吐いた。呼吸に合わせて、弱気な思いが吐き出されていく。

「『僕が守る』……」

 誰にともなく、うわ言のようにエリオは呟いた。ナシーラはそれを怪訝な顔で見ている。

「『お前なんか怖くないぞ』……!」

 身体の震えが止まり、代わりに心が奮い立った。身体から痛みが引いていく。
 今は言葉を掛けてくれる人はいない、助けてくれる人も――だから自分で自分を鼓舞する。
 ただ――この言葉だけは嘘にはさせない。

「『絶対に負けるもんか』!!」

 ストラーダを構えたエリオは、口端を僅かに持ち上げて微笑った。



 尾撃は、咄嗟にストラーダで庇ったおかげで大したことはない。それでも、直撃すればストラーダが損傷し兼ねなかった。
だから全てをストラーダで受け止めず、自分にもダメージを流すしかなかった。
「どうしたの? 坊や……足がふらついてるわ」
 ナシーラは、これ以上無い厭らしい顔でエリオを嘲笑った。
「……くっ!」
 事実である以上、言い返せない。尤も言い返す気も無いが。
――乗るな、これは作戦だ……
 時間を与えれば相手は回復する一方だ。ナシーラが多弁になるのは決まって時間を稼ぎたい理由があった。ということは、まだダメージは治りきっていないはず。
 アルカイザーはまだ起き上がってこない。意識があるのかも定かでない。ただ一つ、彼の行動を無駄にはできない――それだけは解る。
「はぁぁぁぁぁ!」

《スピーアシュナイデン》

 先手必勝、エリオはカートリッジをロードし、袈裟斬りに斬りかかった。カートリッジロードを警戒してか、ナシーラも爪で受けようとはせず、飛び退った。
 するとエリオも距離を詰めて身体ごと回転し、横に薙ぐ。旋風を思わせる鋭い薙ぎ払いも、ナシーラは跳躍して回避した。
 エリオは機敏に動くナシーラに対して攻めあぐねていた。
 地竜の背の上という特殊な場所――奥行きはそれなりに長さがあるが、左右にはあまり余裕が無い。だからこそナシーラも、エリオの攻撃をバックジャンプで回避していた。
 ならば刺突が有効だが、やはり厄介なのは尾の存在である。外せばストラーダを弾かれるのは必定だろう。
「ほらほら! 息が乱れてるわよ!」
 不快な挑発が降り注ぐ。ナシーラは相変わらず多弁だった。
 エリオはまだ足を残している。おそらくナシーラの背後を取ることも可能だ。
 しかし、同じ手は二度は通用しないだろう。後は使うべきタイミングのみなのだ、一撃で決まるタイミングでないと意味がない。
 エリオがなかなか思い切れないでいると、それを察したのだろう。ナシーラは一気に距離を詰め――

《回転攻撃》

 猛烈な勢いで身体を回転させる。鋭い爪と尾で形成された小さな竜巻に巻き込まれたが最期、ストラーダは砕かれ、BJごと引き裂かれるだろう。
 間違い無い――ナシーラは勝負に出たのだ。
 風圧に押されて後ずさる。すると、引き摺るように下げた足が外れて、危うく体勢を崩しそうになる。ナシーラを追い詰めておきながら、それをひっくり返されたせいで、もう後がない。
――どうする!? どうすれば……!
 恐慌しそうになる心を必死に抑え、エリオは考えを巡らせる。横には回避できるスペースは無い。上に跳んでも苦し紛れの回避では捕まる可能性が高い。
 ならばいっそ下に逃げるか? とも考えたが、逃げればアルカイザーはどうなる? 
 応援は期待できない。どの道、今倒せなければ勝機は無いのだ。
「それなら……やるしかない」
 生半可な攻撃は掻き消され、魔力の無駄にしかならないだろう。たった一撃、されど強力な一撃が要る。
 もう一度、エリオは息を吐いた。余計な考えを払拭し、全ては敵を倒す為に。
 心臓の動悸が治まると、意を決して、エリオは竜巻へ向かって飛び出す。右手に握られたストラーダからは、重く低い音が立て続けに響いた。


 強い風圧が身体を押し戻す。身体がもっと大きければ――そう思わないでもないが、言ってみたところで始まらない。
 ストラーダを突き――だが、強靭な皮膚には碌に刺さらない――支えにして跳躍。しかし、高さはナシーラの頭一つ上と、たかが知れている。
「低い! 低いわ、坊や!」
 飛び越えるにも、振り下ろすにも足りない。足が巻き込まれる寸前、エリオは叫んだ。相棒である槍の名を。
「ストラーダ!!」
『Speerangriff.』


《スピーアアングリフ》

 ノズルから噴射した魔力は、穂の向く先へ推進力を発生させた。すなわち、エリオの直上へと。
 ぶれないよう、しっかりと押さえられたストラーダごと、エリオの身体を持ち上げる。ほんの少し、ほんの少し高さを増すだけでよかった。
「ウォォォォォォォォォォ!!」
 噴射を停止、ストラーダを回転の中心――台風の目へ向けると、再噴射。エリオはこの一撃に全てを賭けていた。保険を掛けている余裕は無い、まさに捨て身の一撃。
 ナシーラは完全に意表を突かれた形になった。勢いづいた回転を急に止めることはできず、身を捩じらせるのが精々だった。
 唸って逆巻く竜巻を、ストラーダと合わせて一本の稲妻となってエリオは貫いた――


 柄を抱くように押さえ、雷を迸らせての突撃は、闇を裂いて地竜の背に突き刺さった。それも、逃れようともがいた、ナシーラの左腕ごと。
 噴き出す青い血液、ごろりと転がる片腕を見ても、エリオは、
――外した……!
としか考えられなかった。それは全ての意識を、目の前の敵を仕留めることのみに集中した結果だった。
 悲鳴を上げる暇も惜しみ、ともかく逃げようと試みるナシーラに、エリオは素早く反応した。僅か一瞬で狩る側と狩られる側は逆転し、いっそ冷徹なまでに、青く血塗られた穂先は獲物を追う。
 ナシーラの顔面は蒼白。かつて妖艶であった表情も、今は狂乱の相をありありと表している。恐怖と怯えを映した瞳を前にしても、エリオは槍を収めない。いや、そもそも顔など見ていなかった。
 荒々しい踏み込みとは裏腹に、心中は穏やかなものだった。駆り立てる衝動こそあるものの、激しい波はいつの間にか、すっかりなりを潜めている。
有る限りの力で目前の敵を"殺す"――それしかなかった。
「これで――」

《スピーアアングリフ》

「終わりだぁぁぁぁ!」
『Sonic Move』
 カートリッジはフルロード。後はもう、逃げ惑うあの背中にストラーダを突き立てるだけ。エリオは溜めていた足を一気に使い、雌伏の状態から跳びかかる肉食獣のようにナシーラに迫った。
 みるみる距離は縮まり、そのまま身体ごとぶつかるつもりでいたのだが――
 ナシーラが腰ごと捻らせて振り向いた。まだ反撃を諦めた訳ではなかったらしい。
 しなる尾が側面から飛んでくる。このままでは側面から直撃を受け、形勢はまた傾くだろう。かと云って、ここで退くこともできない。
 エリオは咄嗟に踏みとどまったが、攻撃を止めるつもりもなかった。
――このままじゃ届かない。なら!
 その思考、そして以後の一連の動作が、どれほどの時間を要したかは解らない。だが、ナシーラの尾が届くよりは僅かに早かった。
 刹那――短期間ながらも培った戦いの直感が身体を導く。エリオは両手に抱えたストラーダを右手に持ち替えた。
慣性で滑るように進んでいた身体を、踏み抜かんばかりの踏み込みで留める。
 同時に突き出される右腕。肩に激痛が走るが、そんなことが今更どうだと言うのか。ここで仕留めなければ後がない――それがエリオの力を引き出している。
 しかし、たとえリーチは伸びても、所詮は右腕一本。両腕で持ち、身体ごと突進するのとでは大きく威力に差が生じる。
 単なる片手突きを必殺の一撃に昇華させる――方法は幾つもない。この期に及んでエリオにできる術としては一つしかない。
 エリオはストラーダごと、握った右腕を激しく捻った。捻じ切れんばかりに軋む腕の動きは、ストラーダに伝わり鋭い回転を生む。
「はりゃあぁぁ!!」
 埋め込まれた杭のように不動となった左足を軸に、限界まで身体を屈める。
――まだだ!
 尾を振りながらもナシーラは後退している。片腕に切り替え、力の限り腕を伸ばしても、自分の短い腕ではなお届かないことをエリオは悟った。
――まだまだ!!
 エリオは、魔力噴射を止めず暴れるストラーダを、手の内で滑らせる。


〔光の腕〕

 握る力を弱め、滑らせ、尚且つ噴射を最大まで引き出す――それは、基本両腕で扱い、エリオの小さな身体なら飛ぶことすら可能にする推進力が、緩んだ枷を引き千切り暴れることを意味する。
 案の定、ストラーダは凄まじい勢いで手から逃れようとした。
 滑らせなければリーチが足りない。かといって、自由にしてしまえば武器を手放すことになる。一つの技として完成もしない。
 ブーストしたストラーダの勢いに回転が加わり、雷と魔力光を帯びた螺旋を描いて突き出される。衝撃は思うより激しく、このままでは身体ごと持っていかれるか、それとも握り続けることができずに、手の内から飛んでいってしまうか――
「くぅぅぅぅおおおおおお!!」
 歯をきつく喰い縛り、身体を弓なりに反らせて持ち堪える。決して離れないよう、狙いを最後まで違わぬよう、磨耗する掌に力を込め続ける。
 直後――尾はエリオの頭上を掠め、ストラーダはナシーラの脇腹を貫く。螺旋の動きはそれに留まらず、細い腹の臍近くまでを無惨に抉り取り、血の華を咲かせた。


 噴射が治まり、ようやく動きを止めるストラーダ。血飛沫に閉じた目を開いても、それはまだエリオの手の中にあった。といっても、辛うじて柄尻を親指と人差し指で摘んでいる状態で、技と呼ぶにはあまりにも未熟だ。
 掌は摩擦でBJの手袋ごと皮が剥けていた。袖口は魔力の反動かズタズタに切り裂かれ、その凄まじさに今頃震えが来る。まさに刹那の攻防だったことが、実感として湧いてくる。
「まだ……終わりじゃない……」
 だが、まだ力は抜けない。ナシーラは悲鳴すら上げず、倒れもせず、引き攣った笑みを浮かべている。何を考えているのかは解らない。が、その傷を見るに、致命傷であることは確実だ。
 おそらく本人もそれを解っているのだろう。立っているのが精一杯という風に見える。
 だが、まだ生きている。そして他者を虐げ、弄び、用が済めば殺すか捨てる。自分が最も憎む行為を繰り返す。だから――生かしてはおけない。
 刃を振りかざすエリオに迷いは無かった。
 目の前の相手は"敵"。そうとだけ認識し、撃破する。そうやってエリオは勝利した。故に今、正気に戻ることを心のどこかで拒否している。考えてしまえば迷いが生じてしまう。それが怖い。
 エリオは腰溜めに構え、標的を貫くことだけに集中する。
 憎んでいたナシーラに止めを刺すというのに、エリオは怒りに燃えるでもなく、歓喜に打ち震えるでもなかった。ただ、ひたすら無心に、無感情であろうとしていた。
 自分がただの槍だったならどれだけ楽だっただろう。
 目を背けるように、遠ざけるように、その恐怖から逃げるように。かつて自分を虐げてきた者達のように心を殺そうと努めた。
 ストラーダと同化し、一本の凶器として殺傷する――ただそれだけを念じて。
 それでも――止めのその瞬間、エリオを支配していたのは、どうしようもない悲しみ。
「……やりなさい! 坊や!」
 ナシーラの顔にあるのは凶喜。死を前にして彼女は眉を跳ね、血で赤みを増した唇を歪めた。
「貴方は強い。そして、勝者たる貴方は敗者の返り血を浴びるの。ごくごく当たり前のことなのよ」
 命乞いされるよりはやり易かっただろう。エリオはその笑みに、言葉に誘導されていく。果たしてそれが自らの意志によるものなのか、彼女に操られているのかさえ解らない。
 突き出す腕は、ただ一本の槍として。
「さあ――堕ちなさい坊や!!」
 呪縛のままに繰り出した槍は、ナシーラの胸に突き立ち、戦いの終わりを告げる――はずだった。
 しかし、寸前でストラーダはそれ以上に強い力で止められた。
――!!
 槍を握っているのは、倒れたはずの男。
 汚れた赤とくすんだ金に彩られた――"今は"虚飾のヒーロー。



「アルカイザー……!?」
 胸に深く傷を刻まれ、今も血を流しているというのに、握られたストラーダはビクとも動かない。
「俺は馬鹿だ……! 守るって決めたのに、決心したはずなのに、土壇場で迷っちまった……」
 アルカイザーの、ストラーダを握る腕に力が入る。ナシーラよりもエリオよりも、何より己の体たらくに対する怒りが、ストラーダを軋ませる。
 守るということは戦うこと。だが、戦うなら相手を倒さなければならない。それが当然の事実。
「本当は気付いてた……いつかはやらなきゃいけないって。これまではたった一人で、モンスターどもとしか戦わなかった。
でも、ブラッククロスには人間の戦闘員もいる。俺の仇のシュウザーだってそうだ……」
 敵わないと知って、降参してくれればいい。あまつさえ、戦いの流れの中で倒れてくれれば――そんなことまで考えた臆病さに、心底嫌気が差す。
 ヒーローとして人々を守る――その辛さとは、強敵と戦うことだけではない。真に問われるのは、その先にあるのだ。
「でも、俺がやらないってことは誰かがやるってことなんだ……。お前みたいな奴がやるってことなんだ」
 エリオは強い。あくまで素人目だが、戦い振りも、もう立派な戦士と言えると思う。
 彼は小さくても尖ったナイフだ。戦う意志でここにいる以上、これからやることは余計なことなのかもしれない。彼がこれからも戦い続けるのなら、いつかは通る道だろう。
それでも――
「それでも……それは今じゃなくていい」
 いつかエリオが、それが原因で足を掬われても、後悔する時が来たとしても嫌だった。わがままなのは解っている。それでも――。
「今、お前が涙を流すことはないんだ……!」


「え……?」
 指摘されて始めて、エリオは頬を伝っているものに気付いた。そっとなぞると、触れた指が熱い。感覚は無いのに、涙は止め処なく流れ続ける。
「何で……」
 流れる涙を拭きもせず戸惑うエリオ。次第に押し殺していた様々な思いが甦り、ふっと力が抜ける。
 ストラーダが手から零れ落ちて、カタンと音を立てた。その音でエリオは異変に気付いた。ストラーダのアルカイザーの握っていた部分が黒く焦げていたのだ。
 アルカイザーの身体が赤い。錯覚かとも思ったが、直後に漂ってくる蒸せるような熱気。先程と比べても、明らかに赤熱している、
「だから……もう迷わない……!」

 轟――と、アルカイザーの拳を紅い炎が覆った。指先、掌、手の甲――右腕の至る所から、溢れるように燃え上がっている。
 そして、アルカイザーはゆっくりとナシーラに近づいていく。ナシーラは口許を歪め、酷くいやらしい声で笑った。
「ふふっ、残念ね……。死ぬ前に、未来ある少年の心に、消えない傷を刻んで逝くのも面白いと思ったのだけれど」
「何だと……?」
「あの坊や、あらゆる感情を排して私を殺そうとしたわ。多分、坊やも私と同じね」
「僕が……?」
 ナシーラは首だけをエリオに向けた。ギョロギョロした蛇じみた目が、そしてその言葉がエリオを竦ませる。
「私は何一つ後悔も反省もしていない。研究は止められないもの。その為なら、他人どころか自分すら使うわ。あなたも同じ。
大事な"もの"とそうでない"もの"を秤に掛けて、はっきりと選べる人間」
「違う! 僕はそんな……!」
「いいのよ、否定しなくても。おめでとう! これであなたも立派な戦士ね!」
 ナシーラは言葉に詰まるエリオが最高に面白いらしく、わざとらしく皮肉な賞賛を送ると、また高らかに笑った。
 アルカイザーの炎が更に激しく燃え上がる。ナシーラの前で、アルカイザーは静かに拳を構えた。
「それとも……出来損ないの命は、私の命を奪って完全になろうとするのかしら?」


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最終更新:2008年04月10日 20:06