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『運命の探求』
後編Bパート

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「どういうことだ……!」


第97管理外世界の平行世界(パラレルワールド)と時空管理局に認識されたこの地球(ほし)の衛星軌道上で待機している次元艦アースラの艦内で、
この船の艦長であるクロノ・ハラオウンは驚愕に満ちた声で忌々しく呟いた。
艦内のオペレーター、クルー達も不安げな表情を浮かべつつも全力で“その事象”を解析すべく動き続けている。
なれどその強固であり未知であり絶対的なその事象は、人間の範疇では決して納まりきれない位階にまで達していた。
何故、この様な事態に成ってしまったのか。先ほどまではほぼ順調であり、たとえいかなる問題が出てこようとも対処できる布陣であった筈だ。
だのに―――手も足も出せないとは、如何いう事か。
焦るクロノに、オペレーターがこの異常事象に困惑しながらも現状を報告する。


「現場の無人島を中心に半径数十kmに渡って次元断層と類似する、未知なる隔絶空間壁が何重にも展開されています! これでは転移魔法はおろか、物理的な干渉すら不可能です!」

「何とかその隔絶空間壁の“穴”を見つけろ! どんな小さな穴でもいい、異相次元率を同調させて無理やりにでも抉じ開けるんだ!」

「りょ、了解ッ!」


クロノは前例の無い異常現象に歯軋りしながら、それに至るまでの過去を振り返る―――それは、突如舞い込んできた指定ロストロギア探索及び確保の命令。
今回は高町なのは、八神はやて及びヴォルケンリッターの面々が別任務で動いていた為、フェイト・T・ハラオウンを中心に編成した部隊でその任務に当たる事となっていた。
だがそれも昨今から続く時空管理局所属魔導師の人員不足が祟り、僅か一個小隊による任務遂行を挑まざるをえなかった。
その為、実力的にも階級的にも頭角であるフェイトに先陣を切らせ、他の小隊を後続させるという手合を取るに至ったのだが……フェイトを転移させることに成功し、後続させようとした瞬間に、この“異常事象”が舞い込んだのだ。
つまるところ……今、あの島の中にいる管理局所属の魔導師は―――フェイトしかいない。

(っ……! こういう時に限って、僕は何も出来ないのか……ッ!?)


義妹の安否さえ解らぬ原因不明のトラブルに愕然と打ちひしがれながら、クロノは己が無力さを呪う。
ようやく次元断層と類似する隔絶空間壁の内部から発せられる魔力反応を何とか索敵できたが、その中にあるフェイトの魔力反応はついぞ見つけられなかった。
あるのは、正体不明の何者かが極僅かな魔力を燃焼させる反応と、文字通り無限に、無尽蔵に沸き立っていく膨大な魔力反応の二つのみ。
客観的に捉えればフェイトの生存率は絶望的である。


(いや! まだだ……まだ、“諦めてはいけない”! 出来ないと決め付けて、無力と嘆くには未だはやい!) 


だが―――クロノは己が無力を呪いながらも、未だその眸は絶望の色に染まってはいなかった。
まだ……まだ彼女がそうなってしまったという確証は取れていない。彼女は絶対に、生きていると。其処に確かに居るのだと、クロノはらしくもない曖昧な願いを心の内で叫んでいた。


(無力かどうかなんて結果で決まるもの……やれるだけの努力は常にやるべきだ。そう……まだ、絶望するには早すぎる!)


そう―――“否”と叫ぶその意志こそが、闇黒の狭間に煌く新たな光芒(ほし)を創造(つく)るのだ。


◆◆◆


だがその叫びさえも女は悉く卑下し、闇黒の狭間にて嘲笑した。


『ハハハハハハハハっ! 言うじゃないか少年。だけど無駄だよ。急造ではあるが、この僕が拵えた“柵”を討ち破ることなんて“彼ら”くらいしか出来ないのさ!
ただ一点にのみ絞られて施されたこの多重次元断層壁は、干渉遮断という一点だけみればあの『クラインの壷』と同等の断絶結界だ。君たち如きでは万が一でも破る事は叶わない!』


嘲りながら悶える異形の肢体は余りに淫靡な風体。
其れは原理さえも侵す毒といえる。そう……この異形の闇さえも侵しうる窮極の毒。
毒は己に抗う存在を蔑みながら、彼らに絶望という猛毒を魂に流し込んでゆく。
舞台を自分の思うとおりに引っ掻き回す事を至上命題とする彼女は、舞台の外にいる役者でさえも己が手の内で踊らすのだ。

そう―――これは『人形劇(グランギニョール)』。
総ては作り手の思うが侭。どんな無理無謀な設定でさえも己の都合で極大解釈して無理やり捻じ込む、子供の遊戯に似た、つたない舞台劇。
故に、誰からの介入も在り得ない。これは自分だけの世界。自分だけの物語。自分が楽しめればそれで良い。そんな、狂った無邪気を振り撒く混沌の戯れ。



“―――やっぱテメェのシナリオは糞つまらねェよ、ヘボ監督! テメェが作る物語なんざ、何度でもリテイクを要求してやらァ!!”
“―――観客はそのような結末など望んではおらんだろう。いい加減自重という言葉を覚えた方が良いな、邪神!!”



だが―――そんな絶対不可侵の遊戯でさえも打ち壊す、“窮極のご都合主義”が、突如としてこの『人形劇』の舞台外にて爆誕した。

遥か闇の彼方で爆砕が起き、極光が顕現する。
闇黒の世界でさえも一瞬だけ塗り替える刹那の光輝。その中で―――『男』と『女』、そして『神』が悠然と降臨を果たした。

女は……『混沌』はソレを知覚した。瞬間、彼女の嘲笑に歪んだ口元により一層、亀裂が奔った。それは……あまりに嬉々と歪んだ、狂える愛情とすら解釈できる微笑だった。


『ふふ、―――アハハハハハ! やはり……やはり来たか!! よくもまぁこんなトコロにまでやってきたね。ご苦労なことだよ、ほんとに。
僕の“人形劇(グランギニョール)”をことごとく打ち壊す、荒唐無稽な“ご都合主義(デウス・エクス・マキナ)”! 愛しい愛しい、我が、“我等”が怨敵よ!!』


彼は……彼らだけは例外だ。
なにせそれは“彼女自身がそう望んで創り上げた”、神のシナリオさえも三流のハッピーエンドに挿げ替える窮極のご都合主義を体現した刃なのだがら。



『ならば今一度打ち砕いて魅せよ! この僕に……僕等に再びその理不尽を討つ刃を振り翳して魅せてくれ! ―――最も新しき神よ!』



そう……闇黒に侵された物語を三流のハッピーエンドに落とす“ご都合主義”は、無限螺旋を超えてなお叫び続ける。
闇黒神話を討ち破る、荒唐無稽な御伽噺はセカイすら超えて紡がれる。遠く旧きより来たる、刃金の咆哮が木霊した。


“―――言われなくても、やってやるさ!!”
“―――だが、その前に『やること』がある。邪神よ、汝との闘いはその後だ!!”


だが神は邪神の意志に反してその場から消失……否、自らを再度別次元へ転送した。
向かう先は……運命の名を持つ少女のもとへ。

彼らが闘う場所は“あの舞台ではない”。もとより“彼女がその役目を担うべき”なのだから。
救うのだ。そして、伝えなければならない。
人間の強さを。理不尽な邪悪に打ちひしがれながらも、毅然と立ち向かう……脆弱な人間だけが持ちうる無敵の意志を伝える為に。

伝えるべき言霊はただ一つ。



“―――汝、魔を断つ剣となれ”



◆◆◆


フェイトの意識は闇の中をたゆたっていた。
右も左も上下も無い、ただ其処に自分が居ると言う事だけしか感覚的に理解できない、牢獄の中に閉じ込められている。
指の一本すら動かせない。右手に持っていた筈の相棒(バルディッシュ)も何処へ消えたのか。闇の中、彼女はたった独りだけ幽閉されていた。
段々、彼女は彼女の存在を固定出来なくなっていく。身体は脳を省いて総て石化され、動こうにも動けず、ただただ理不尽に侵されて行くのみ。
四肢に取り付いた触手は己自身を石化の呪術を内包し、解呪(ディスペル)しようにもその人知を超えた複雑な術式を前に打ちひしがれる。
何度も何度も、繰り返しそれに挑むも、何もかもが成す術が無く、唯一動く脳内の思考に構築された術式が霧散し、いつしか彼女の心の中は絶望の色が浮き出てきた。


―――もう、無駄だ。


そう思う。あの邪神に対しては、なにをしようとしても無駄になる。無へ唾棄されてしまう。
この邪悪を打ち倒すという意志も。それ以上の圧倒的な邪悪の前にして折れてゆくだけだ。
あの邪神狩人と呼ばれた老壮の男ですら、神を召喚して尚、邪神相手にあの有り様ではないか。
陰鬱たる思念は新たな陰鬱を呼び、彼女を絶望の闇に誘っていく。


―――勝てる筈が無い。あんな異形に、勝てる筈が無い!


理解を超えた恐怖の奈落に、彼女は心の中で、絶望の涙を流す。
闇の狭間、絶望に灼かれた彼女の流す涙の煌きは。
邪悪に打ちひしがれ、無力に泣くその涙は、本当に無駄なのだろうか。



『無駄なんかじゃないさ』



否と。その闇の中、聞き覚えのない男の声が毅然と響き渡った。
この冷たい闇において光り輝くソレは、言い様もなく暖かく、心地が良い。

―――なんで? どうやっても無意味なのに。どんな事をしたって勝てっこ無いのに。

―――怖くないの? 私はとても怖い……怖いよ!! 

疑念と憧憬に似た感情が沸いた。
この絶対的な絶望の中、その絶望に屈せず煌きを放つ存在に、どうしても興味が沸いてしまった。
男は見た目相応に若く、慈愛と勇気、何よりも信念に満ち足りた声色で、その絶望の最中で希望を口にする。


『怖いさ。―――けど全部が無駄だから何もしないで、やっぱりその通りになる方がもっと怖い。……そんな後味悪ぃのはアンタだって嫌だろう?』


それは余りに一直線過ぎて馬鹿らしいとさえ思える、単純明快な希望。
後味が悪いから行動をおこすだなんて、どうしてそこまで子供っぽい事を口にするのだろうか。
世界は何処までも邪悪に冒されて、成す術なく絶望に屈するだけだというのに。こんな筈じゃないことばかりなのに。
けど……フェイトはその言葉に、言い様も無く打ち震えた。絶望に屈しかけていた彼女の心に、淡い光が顕現を果たす。
すると何処からとも無く、その男の隣に少女の様な影が現れる。少女は不遜な態度でありがなら、優しく彼女に応えを放った。


『その絶望の涙は、決して無駄ではない。それは絶望を知る者だけが流す、次の希望を渇望する者が流す正しき涙。憎悪の空よりおちる無垢なる涙。
 ―――女! フェイト・T・ハラオウン! 汝(なれ)はその涙をおとした。故に……未来の希望を切り拓く、斬魔の刃を手にする権利を得た!』


勇壮な言霊が響き、それが波濤と成って、異形たる闇の世界に亀裂が奔った。
亀裂は段々と大きくなってゆき、その狭間から希望に満ち足りた光がフェイトを照らし上げる。

『オレ達がしてやれるのは、コレくらいだ。此処は“アイツ”の検閲が激しすぎる。だけど……最後に』

その光の彼方。彼女に言葉を送った男と少女の背中が見えた。フェイトは思う。それはまるで連理の枝。明日へ向かう希望の比翼。
絶望の闇を祓う、眩い極光の果てに立つ二人が同時に手を差し伸べて、誓いの言霊が咆哮された。



『『―――受け取れ! 我等の意志を!! 魔を断つ剣(意志)を!!!』』



其の彼ら二人の並び立つ狭間より、一つの光が現出し、フェイトの胸元まで真っ直ぐに移動してきた。その光に触れる。とても暖かく、優しい、祈りの輝きだった。
その輝きを知り、彼女は絶望の闇から生還を果たす。あれ程まで彼女を幽閉した闇の呪縛が光の粒子となって消え失せ、信念の煌きが彼女の身体を包み込んだ。

―――嗚呼。この人達の言うとおりだ。全部が無駄だからって、何もしないなんて事は私には出来ない。なら……やるしかない。いや――やってみせる!

決意を纏った彼女の顔に、もはや絶望の色は消え失せていた。
それを見届けた男と女は笑みを浮かべた。もはやなんの心配も要らないと悟り、彼らはその場を後にする。
二つの影は眩い光輝の彼方へ歩んでゆき、まるで消しゴムで掻き消された様に、その場から消失した。
フェイトは理解するよりも速く、感覚だけでそれを知る。彼らには彼らの戦いがあることを。この場の戦いは、自分に託されたのだと。

ならば―――絶対にやり遂げて見せよう。それが、彼らに救われた者の、唯一の報いだから。
彼女はその場に落ちていて相棒(バルディッシュ)を手に執った。待機状態からすぐにアサルトフォームに変換、そして……彼女はさらに形態を変化させる。
ソレは金色の刃。明日の希望を齎(もたら)す優しい輝き。天をも切り裂かんと猛る、巨大な愛剣。
その名をバルディッシュ・ザンバーフォーム。勇壮に滾る希望の刃が、今此処に破邪の剣となり、顕現を果たした。
更にフェイトのバリアジャケットが急速に粒子化し、そして新たな形態へ変化させてゆく。それは―――バリアジャケットの呪術的防御力を極限まで削ぎ落とした、余りに流麗な戦闘装束。
何処までも速さを追い求め、人の身でありながら真実『雷光』に至る為の、彼女自身最大の切り札にして窮極の礼装、諸刃の剣。
それは未だ完成に到達しえない姿……ソニックフォーム。閉ざされた闇夜を幾重にも切り裂く雷光は、彼女がその姿を顕現させた瞬間に歓喜するかの様に祝福の怒号をあげた。


「そうだ……確かに怖い。怖いよ。けど……それが本当になってしまう方がもっと怖い。だから―――」


そして彼女は飛翔する。あの邪神が佇む戦場へ。未だその邪神の猛威に抗う、狩人のもとへ。
その圧倒的な理不尽を共に断つべく。理不尽を討つ為の理不尽(つるぎ)を掲げ、彼女は空へ向かう。



「―――まだ、“諦めない”」



―――魔を断つ意志は未だ折れず。彼女はその刃を執り、神の摂理に挑む。

◆◆◆


アンブロシウスを駆るラバン・シュリュズベリイは残り僅かな魔力を燃焼させながらも、果敢に邪神と相対する。
もはや先ほど切り刻んだ筈の巨躯は、召喚された時と変わらぬ堅牢さを持ちえ完全新生を果たしていた。
ミード残量が絶望的なまでに少なくなっているアンブロシウスでは、どう足掻いても倒しきれぬ事は、誰が見ても明白な事実として突き立つ。
だが、アンブロシウスはそれすら振り切って完全新生を果たした邪神ガタノトーアに向かってその疾風を吹き荒んだ。不屈に燃える狩人の魂は、未だ消え失せる事は無い。


「ぐ、ぅぅ……ッ! ハスターの爪よ!!」


シュリュズベリイは五指に己が信仰する風の魔力を解き放つ。
それと連動……呼応して、アンブロシウスの腕より巨大な風の刃が発生。襲い掛かるガタノトーアの触手を切り刻み、鮮血を舞わせた。
だが、幾重にも……波濤じみた触手の群れがまた際限なく襲い掛かる。これでは鼬(いたち)ごっことそう変わらない。
シュリュズベリイは変化が見られない現状に苛立ちながらも残り少ない魔力を行使して魔風を呼び起こし続け、幾億分の一に在るか否かの反撃の機会を今か今かと模索し続けた。
鬼械神アンブロシウスが必滅の奥義『凶殺の魔爪』は確かにガタノトーアの体を幾重をも刻み曝し、抓んでやった。
だがその分子以下の世界で、あの宝玉から発せられた膨大な字祷子等が結晶化し、分子どころか原子構造の過程から新しく再構成し今の傷一つ無い姿を顕現させている。

そして―――その細胞分裂に似た術式は今も尚続けられ、今や傷一つ付けた瞬間にその傷が『新生』してしまう始末だ。
幾ら刹那の内に切り刻んだトコロで、数刻すれば復活を遂げてしまう。
あの宝玉と邪神の身体を分離させようとも、生憎と宝玉(ソレ)はガタノトーアの額にある時点で絶望的である。
宝玉を抓みだそうとすれば、ガタノトーアは確実に抓みだそうとした存在を視覚し絶対堅牢なる複雑術式を用いた神威の石化呪法で今度こそ此方が石像になってしまうのがオチだ。
最早、彼等が持ちうる手札の数も底を尽き掛けていた。

『駄目……っ! もう、ミード残量が殆ど……!!』

鬼械神を動かす為にくべられた蜂蜜酒(ミード)も、最早全体の二割以下に激減し、飛行能力が著しく低下。
ハヅキの悲痛な叫びと共に、希望の灯火が潰えそうになる。だが―――


「“諦めるな”! 私達は未だ何も成してはいないぞ! 
 最後の最後まで……喩え魔力が尽きようとも、諦めなければ未来永劫に戦える!! 億分の一の勝機を手にするまで―――諦めてはならんッ!!!」


シュリュズベリイの闘志は依然と燃え続けている。
そうだ。彼は如何にしてこの外なる邪悪どもと戦う決意をした?
彼の脳裏に焼き付けられたおぞましい闇黒の怪異。あんな物を人々の眼に入れさせれはならない。
今は無き、自らが抉った眼球に映し出された、昏い怨嗟の塊を滅さなくてはならない。このかくも美しき世界を、闇黒の混濁に沈めさせるワケにはいかないと。
人間を、人類を破滅に追いやらんとする邪悪を討つ為に彼は外道の知識を以って戦い続けた。そう―――故に、彼は諦めない。彼の魂に突き立つ剣は、決して折れはしないのだ。



だからこそ―――彼女が、間に合った。


『……これは、魔力反応? だけど、この反応は……ッ!?』


ハヅキがその魔力反応に気付き、驚きの声をあげる。
その瞬間、アンブロシウスの後方より迫っていた邪神の触手は雷の魔弾により引きちぎり、寸断されていく。断面に濃く残る電撃の爪痕は、その再生能力を一旦停止させる程の圧力を誇っていた。

突然の事態に何事かと、シュリュズベリイもその魔力反応を感知した方角に顔を向けた。
彼が盲目の眼窩で“視えた”のは、地上から暗雲に向けて飛び立つ、金色の軌跡の一つ。彼が知る煌き。
その光が、シュリュズベリイらに向かって、溌剌とした声色で叫んだ。


「―――シュリュズベリイ先生! ハヅキ! 大丈夫ですかッ!?」


そう……それは紛れも無い、ガタノトーアによって呪縛された筈の女性、フェイト・T・ハラオウンの姿。
巨大な刃を手に飛翔する彼女の眼は、遠くから見ても誰だってわかる。アレは―――未だ諦めぬ、不屈の剣を持ちえた者だけが持つ決意の瞳だ。 


(あの邪神の呪縛を、自力で解呪(ディスペル)したというのか……!)


シュリュズベリイは驚嘆しながら、満身創痍でありながら笑みを零す。
彼女から湧き出る魔力は、全快のシュリュズベリイよりも及ばないだろう。技術面においても、能力面でも、人を邪悪に侵す圧倒的な異形と戦う知識をとっても、総てが彼よりも劣っている。
だが――彼女が掲げた切なる意志。決して諦めぬ不屈の魂。その一つにして総てが、世界最強の邪神狩人ラバン・シュリュズベリイと同等……いや、それ以上に燃え滾っていた。
故に彼は笑みを零さずにはいられない。この世界に……否、人類の邪悪に抗う為の意思は無限に連鎖してゆくモノだ。
彼が今まで教え子達に指導してきたのは、その“覚悟”。そしてその覚悟を持って然るべき知識と技術。その連鎖がついに、彼女に……フェイトに受け継がれた。


「私達は大丈夫だ、フェイト君! にしても……よくあの呪縛を解呪出来たな。君の才華には驚かされるばかりだ」

「えっと……どうやって解呪出来たかは自分でもあやふやなんですが……とりあえず、こっちは無事です!」

『悠長に無事を確認しあってる場合じゃないよ、二人とも!』


ハヅキの怒気が含まれた声により、復活の再会を素直に嬉しんだ両者の顔が真剣なものとなる。
眼前に佇むは、傷一つ無く新生を果たした邪神。龍頭に似た触手を幾重にも蠢かせながら、アンブロシウスとフェイトに狙いを定めているのがはっきりと解る。
今の状態では、予想以上に機敏な動きを見せる幾十の触手によってアンブロシウスとフェイトといえど捕縛されて石化されてしまうのが目に見えていた。
そう―――それは、持久戦に持ち込められてしまったらの話だ。ガタノトーア自身、それすらも視野に入れてのしつこい攻撃に出ていたのだろう。
あの宝玉……『ロストロギア』による無限新生の前では、奴の持久力は正しく無量であり無窮であり無尽蔵。
何事にも限界が存在するフェイトらにとって、そんなガタノトーアと持久戦に持ち込まれてしまえば、その果てに蹂躙の限りを尽くされてしまうのは自明の理であった。


「今の我々は自らの尻尾を追っている様な不実であり不毛な戦況だ。こちらが幾ら攻撃しようにも、あの宝玉から湧き出る魔力が総てを始まりに戻す。
 ―――厄介なものだ。我々が有する魔力総量を圧倒的なまでに凌駕し、尚も持て余している。くわえてガタノトーアの堅牢な防御力……もはや、死角と呼べるものは無い、か」

『残念だけど……今回ばかりは流石に危ういよ』


シュリュズベリイが言うとおり、邪神ガタノトーアの肌はこの世に存在するどんなモノよりも強固。
それに加え、たとえアレの身体ごと微塵にしたとしても肝心の『宝玉』が魔力粒子を再結晶させて新生させてしまう。
邪神の堅牢な防御力はこちらの最大の攻撃を行使してやっとのことで破砕することを可能とするが、あの『宝玉』の所為でそれも一切合切が無駄と化し……その『宝玉』という単語に、フェイトは思考を止めた。

―――宝玉。ガタノトーアの身体を一から構成し直し新生させてしまうほどの莫大な魔力を有する媒体。
時空管理局からロストロギア認定を受けた代物。名称は未だ決定されてはいない未知なる遺産。
だが、それはロストロギアなのだ。そういったモノに関してならば、彼女は百戦に至るほど任務を完遂させてきた。ならば、そのロストロギア確保はどうやって行ってきたというのか。

そしてフェイトは、ようやくその術(すべ)を見つけ出した。

(―――っ! そうだ、こんなの“いつものこと”だよ。そう……アレを止める方法は、ただ一つ……!)

故に、フェイトは“それ”をシュリュズベリイらに告げる。


「シュリュズベリイ先生、“作戦”があります……億分の一の勝機を掴み取れる、唯一の作戦が」


◆◆◆


「では―――よろしくお願いします」

フェイトは勇壮に燃える破邪の意を胸に、アンブロシウスと別方向にむけて飛翔した。行く先は遥か天空。
その飛翔を見送ったシュリュズベリイとハヅキは、彼女が提案した“とある作戦”について思案する。
それは余りに荒唐無稽で無茶苦茶で、蛮勇と唾棄し蔑まれても当然と言える、無謀な作戦であった。
だがそれでも。依然とその眼にやどる闘志の炎の猛りは留まることを知らない彼女を見て、シュリュズベリイは無言で聞き受けた。
シュリュズベリイはその突拍子も無いが大胆かつ単純明快である方法を打ち出した彼女の事を考えたとき、不意に笑みが零れてしまった。
それは純粋な喜び。教育者としてのシュリュズベリイが見せる、無垢な歓びだった。


「ハハ……教え子の成長ぶりを見るのは、いつ見ても良いものだ」

『ダディ、本当にいいの? あんな作戦を採用するなんて……』


ハヅキは呆れながら主を諌める。
だがその声色はどこか、彼と同じく嬉しそうに上擦っていた。
つまるところ、そう口では言い咎めていたとしても、内心で想う心は同じと言う事。
だからこそシュリュズベリイは無言でハヅキに微笑んだ。そう――諦めるのは、まだ速い。


「では……私達も征くとしよう。レディ、あと“どれくらい”だ?」

『三分間。それだけなら全力でこの子は頑張れるよ。それ以上は―――』

「充分だ―――最後の足掻きにして、最強の鬼札。人間の諦めの悪さを存分に披露してやろう」


シュリュズベリイがそう言った刹那、アンブロシウスは超次元的な変形を行う。
間接部分とも取れる部分が在りもしない方向へ折り曲がり、ある部分は身体の中に内蔵されていってしまう。
瞬く間に起こった超次元的な変形が終わり、アンブロシウスはその形状を以前のそれと遥かに逸脱した形状(フォルム)へ移行されていた。


それはより鳥に近くなった刃金。霊子の大海を渡る翼神。紫紺に彩られた、ヒアデスの風を体現する存在。
そう――これこそがアンブロシウスが別形態(モード)『エーテルライダー』。音速すら超える神速を征く為の翼である。
起動するフーン機関。コレまでのダメージの蓄積により、機関(エンジン)自体の損傷も激しい。だがそれの意を介する事無く轟音がおののく。
そして……その音速を超えた世界の中で、毅然と吼える声が聴こえた。紛れも無い、ラバン・シュリュズベリイの咆哮だ。
彼は再び宣言する。邪悪を討ち滅ぼす為に。我が書(子)と、運命の名を持った教え子と共に。烽火(のろし)が再び、天に昇る。



「では再び始めるとしよう――――諸君、反撃の時間だ!!」



シュリュズベリイの意志と共にアンブロシウス―――エーテルライダーが翔けた。
もはやミード残量も残り僅かで、魔術回路も汚染され外部も内部も満身創痍の限りであるのに、それを無視するかのような速度で駆けぬける。
それでも音速を超えた飛翔を持って、再生したガタノトーアの周囲を円を描くように高速で旋回し、近づく触手達を引き千切る。
やがて巻き起こす風の軌跡はその軌道に沿って自ら動き、波濤となって渦を巻く。音速を超えた速度によって繰り出された竜巻はガタノトーアの全視界を遮り、蠢く触手の総てを斬り尽くしていった。
劫と唸る大竜巻はそれだけでもありとあらゆる物質総てを切り裂く刃となって、邪神の甲殻を抉り狩っていく。魔風の冴えは未だ衰える事を知らない。
……が、その矢先に膨大な魔力を循環させてその堅牢な肌を再生させてゆくガタノトーア。それをシュリュズベリイはさして気にもせず鼻で笑った。


「攻撃を行えば、すぐに再生をおこなう……“ただそれだけ”だ。まるで馬鹿の一つ覚えだな!」

『そんなのばっかりじゃ、単位はやれないね!』


エーテルライダーの内部より叫ぶ二つの声が更に魔力の猛りを顕わとする。
僅かな魔力を一気に燃焼させ、遂にその風が刃を超え、地球の重力をも遥かに超えた全周囲引力が、ガタノトーアを中心として発生させる竜巻の中枢に顕現する。
文字通り総ての方向から引き千切らん限りに蹂躙する魔風の猛りにもはや術式、技術、位階などの些細なステータスなど意味をもたない。

それは……ただただ破壊の中で破滅を熾す、暴虐無尽の神威に他ならなかった。
破壊し、再生され、粉砕し、新生し、破滅を熾し、転生を廻す。
本当ならばその神威の風によって討ち棄てられる邪神の塵骸は魔京を築ける程に斬り刻み続け果てた筈である。
だが、築けど築けどガタノトーアの巨躯はあの宝玉……フェイトが言う『ロストロギア』より流れる文字通り無尽蔵の魔力により新生、新誕してしまう。

そう、如何な攻撃を持ってしても、アレを絶命させる事など出来はしない。―――元より、絶命に至らしめる事など考えていないのだから。

音速の風による全方位視覚阻害の壁。これならば幾らガタノトーアと言えど“あそこ”に到達するまでは視界にその存在を確認することなど不可能。
故に、彼女の存在に気付くことなど、出来ることもない―――!!



「さぁ―――征きたまえ、フェイト君!!」


◆◆◆


彼女……フェイト君が提案した作戦。それは余りに無茶であり無謀な作戦だった。それを聴いたときは一瞬ではあるが柄にも無く驚愕を顕わとしてしまうほどに。
邪神ガタノトーアの額に埋め込まれた魔力媒体である宝玉―――彼女が言うには『ロストロギア』と呼ばれる太古の文明の滅びた技術によって生み出された遺産。
もとより彼女はそれを確保する為にクナアへ訪れたと聞く。危険なロストロギアの封印。それこそが彼女が所属する『時空管理局』の上層部からの命令事項。
その為に―――『この世界』に訪れたのだと。

端的でしか聴けなかったが、彼女……フェイト・T・ハラオウンはこの世界の住人では無い。
確かに平行世界、別世界の存在は魔術的に解明されてはいたが、初めて聞いたときは流石に驚きを隠せなかった。
だがそうだとすれば色々と説明が付く。彼女の行使する魔術理論は我々が使うモノとは別系統。
我々のように外道の知識を以って行使する魔術ではなく、彼女が使うのはあくまで人間の知識によって編み出された魔術だ。
多少なりとも喉元に引っ掛かっていた何かもごっそりと抜けた。疑問が氷解する時ほど私にとって嬉しいことは無い。


話を戻そう。
彼女が提案した作戦、それは簡単に言えば『ロストロギア』の封印だ。
邪神ガタノトーアの尋常じゃない転生能力は、私たちが睨んだとおりそのロストロギアから顕現される膨大な魔力によるものである。
これのお陰で、いくら我々が外殻から邪神を殲滅したとしてもすぐに新生させてしまう。ならば、どうやってその輪廻を断つことが出来るのか。

―――答えは容易、その流れを元から断てばいい。
つまり、転生能力の元凶であるロストロギアを先に封印しえれば魔力の流出は遮断され、膨大な魔力のみで形成されたガタノトーアを一気に滅する。
成功してしまえばそれで此方は勝利をもぎ取って終了だ。
だが……この概要は極めて簡単に要約したモノであり、実際に行おうとすれば余りに危険すぎる作戦である。
確かに私もミスカトニック大学のアーミティッジ博士より承った危険な古代遺産(オーパーツ)の封印はある程度行ってきたが、相手はロストロギアと呼ばれる根も葉も違えた異界の遺産。
根本からして我々が知りうる呪術式で完全な封印を成しえるかどうかは余りに可能性が曖昧だ。
その点に加え、フェイト君は数多の次元世界で数多くの古代遺産を封印し続けてきた時空管理局の一員だ。ロストロギア封印に関して言うならば、我々の技術を大いに上回っている。

つまり……ロストロギアを封印する為には、彼女があのガタノトーアの眼前に立たなくてはいけない。
だが相手はあのガタノトーア。ヤディスの魔王にして、神域さえも生温い位階に達する『石化の魔眼』を持ちえた存在だ。
邪神の額に埋め込まれたロストロギアを封印するよりも先に必ず彼女を其の眼が捉え、再度彼女を石灰の牢獄に堕としうることなど造作も無い筈である。
それは文字通り命を、魂を賭した勝負。億分の一の勝機を勝ち取る為の行為とはいえ、いくらなんでも無茶が過ぎる。


だが――私はそれを“否”とすることは出来なかった。
視える筈の無い私の視覚が、彼女から沸き立つ光輝を視てしまったからだ。
この私の眼に。この私の虚ろな眼窩に。彼女の身体の奥底から滲み出る、諦めを踏破しうる輝きが焼きついてしまったのだ。

年甲斐も無く、その非現実的な感情に惑わされてしまった。……いや、感化されてしまったという方が正しいだろう。
そう……彼女から沸き立つその光は、絶望を知りながらも諦めず、前へ進む意志の篭められた、不屈の輝きだ。

その輝きを、私は否定することは出来ない。故に私はその作戦の提案を肯定した。
我が娘が横から批難の声を多少あげつつも、不承不承に合意を示した。ならば、私は彼女の為にその“活路”を示さなくてはならない。
そうだ。今このガタノトーアを包み込んでいる竜巻はその“活路”だ。ガタノトーアの魔眼の注意を彼女に移させることなく、彼女がロストロギアの眼前に立つための道筋だ。
ハスターの魔風によって発現されたハリケーンの遥か上空、文字通り台風の目に位置する空から仕掛けるたった一撃の強襲作戦。

やり遂げなくては成らない。やり遂げる為に私は最大限の活路を見出すのだ。


彼女の―――魔を断つ意思に応える為に。


◆◆◆


シュリュズベリイの口訣が響いた刹那、竜巻が舞い起こる丁度真上の空。そこに彼女は居た。
金色の大剣を掲げたフェイト・T・ハラオウンが、星の煌きの下に、かの邪神を断つべく神速を以って降臨する。



「ハアアアァァァァァァァァァァァァァァ―――――ッッッッ!!!!!」



乾坤を賭した咆哮。
吹き荒ぶ大嵐の猛威に抵抗し、フェイトは己が現時点で可能な最高速度で遥か下降、ガタノトーアがのさばる大地に向かって飛翔した。
魔風が猛る嵐の最中、一つの雷光が天より飛来する。その姿は何処までも真っ直ぐであり、総ての魔を断つ無垢なる雷へと成り果てる。
だが、この魔風の中ではいくら防御魔術を強いたところで人間が耐え得るには限界がある。
ハスターの魔風は、触れる総てのモノに対して険悪である。触れれば途端に四肢を切り刻み、その血をもって贖わせることだろう。
……だがフェイトはそんな防御術式など敷かず、総てをザンバーフォームの冴えと己のスピードに魔力を集中させているのだ。
それがソニックフォームのただ一つにして最大の欠点。必要最低限まで鎧を削ぎ落とし、ただ速さという一点のみを求めた結果、一撃でも攻撃を喰らえば凄惨な結末が待っている。
だがフェイトはソレに臆する事無くまた速度をあげる。およそ人間が耐える事の出来ない刹那の速度。加えて魔風の刃が彼女の身体を傷付けていく。
一本、また一本と皮膚と血管が千切れ、纏っているバリアジャケットが所々破れてゆき、曝け出した肌からは数え切れない裂傷が現れ、其処から鮮血がまた一つ流れて散っていく。



だがこんな痛みじゃ止まれない。
まだだ。
まだ速さが足りない。
圧倒的なまでに速度が足りない。
この程度じゃ、容易にあの邪神に視覚されてしまう。
もっと。
もっと速く。
相手が知覚できぬ程速く。
己でさえ知覚出来ない位の疾さを。
神に迫る速さを。
神さえ超える神速を。


―――その願いは空しく、彼女の第六感から悪寒が生じた。


「―――ッ!?」


吹き荒ぶ魔風の猛威の最中、在り得ざる角度からそれはフェイトを追撃していた。
ガタノトーアの触手である。邪神は自らの触手を石化し、この魔風の猛威すらも耐えうる異質な触腕として再構成し、
様々な角度から、鋭角な軌跡と曲線を描いたような軌跡を残すように幾重に幾重に幾重に幾重に………一つの触手の先端からまた新たな触手が十に増え、その中の触手の一本の先端から、またしても触手が十増え………、その連鎖。

それはあまりに醜悪過ぎる儀式である。触手より湧き出た、この世のモノとは思えない瘴気を纏う異臭が彼女の意識を朦朧とさせていく。
神速に至った彼女でさえその瘴気によって意識が徐々に剥奪されてゆき、だんだんとスピードが落ちてゆく。……このまま行けば、確実に失敗する。


だが、諦めない。諦めるわけにはいかない。
彼女の心の内は、そのような理不尽を断じて赦さないと、最後まで抗う意志を掲げていた。


………その諦めぬ心が、魂が。絶望を覆すご都合主義を呼び起こすのだ。



「スティンガーブレイド・エクスキューション・シフトッッ!!!!」

フェイトの耳に聴きなれた声が。この場に居る筈の無い、男の声が聴こえた。
瞬間、文字通り百に至るであろう触手の束は、遥か天空……台風の目から突如として降り注いだ百、いやそれ以上はあるだろう光の刃によって断罪されてゆく。
それでもなお降り注ぐ光の刃はガタノトーアのほぼ全身どころか、大地にまで突き刺さり………爆砕した。
光が爆ぜ、閃光と硝煙が竜巻の内部で乱舞する。フェイトに襲い掛かる数多の触手は一気に消滅し、ガタノトーア自身も爆発して発生した閃光によってその魔眼を閉じえざるをえなかった。

フェイトは驚愕よりも先に疑問が浮かび上がる。
……この魔法。そしてこの練り込まれた術式。それは正しく彼女の義兄が繰り出すものに他ならない。
嵐の狭間で停止し、フェイトは上空を見上げる。
シンボルカラーである黒を主張としたバリアジャケットを纏い、デバイス『デュランダル』を携えた魔導師……『クロノ・ハラオウン』が、其処にいた。


「く……クロノ!? アースラはどうしたの!?」
「それは後で話す! 今は……アレをどうにかするのが先だ」


念話で会話をするのだが、驚愕と疑問に彩られたフェイトの声は存外に大きかったのか、クロノは顔を顰めながらのたうつ邪神を見据えた。
今まで相対してきたどんなモノよりも醜悪であり邪悪な存在だ。彼自身、その姿をみて身を震わせてしまう。デュランダルを握る掌に汗が滲み出た。
瞬間、クロノとフェイトの念話の外から、別の念話の回線が無理やり繋がれた。クロノの耳に聞きなれない老人の声が聴こえた。

『其処の少年よ、助かった。もしや君も時空管理局とやらの一員かね?』

敵意は微塵にも無い。
管理外世界の魔導師が何故こんな場所にいるのかは全くわからないが、フェイトと共にガタノトーアと戦っていたところから敵ではないと認識する。
時間は余り無い。手短に彼の事を知る為にクロノは最低限の回答と質問を投げる。

「時空管理局所属、L級艦船『アースラ』提督及び執務官クロノ・ハラオウンです。貴方は、一体……」
『私の名はラバン・シュリュズベリイ。詳しい自己紹介はすまないが後に取っておいてほしい。君の言うとおり今は―――あの邪神をどうにかするのが先だろう?』

言葉少ない返答。だがその中にも真摯な感情が篭められていることを悟ったクロノ。
彼の言葉に「違いない」、と笑みを浮かべて再度念話でシュリュズベリイに呼びかけた。


「……なら、僕はフェイトの後方支援に回ります。貴方は?」
『私はただ、彼女の為に“道筋”を作るのみだ。もう、僅かしか魔力が残ってないのでね』


そうして両者は互いにいったいどのような性格をしているのかが理解できた。
少なくとも……緊急事態ともいえるこの状態の中では、絶対の信頼を預けれる相手だということは。
シュリュズベリイは友愛の情を篭め、激励を言い渡す。


『では……健闘を祈るぞ、クロノ・ハラオウン君』
「了解しました。貴方も、ご武運を」


そこで念話は途切れた。
クロノはバルディッシュをたずさえたフェイトを見据える。
その表情は、勇壮でありながら優しさが織り交ぜられた決意の笑みだ。
突然現れた義兄に困惑しながらも、その顔をみて……言葉を交わさずとも、理解できる。
だがクロノはそれを口にする。理解して尚、決意と信頼をたてる為に。


「心配しなくていい。僕が……僕達が、君をあのバケモノの眼前にまで届けてみせる。そこからは―――」


―――君の仕事だ、と。
フェイトの耳にまではっきりと聞こえた。

フェイトはしばし呆けたものの、唇を綻ばせて微笑んだ。絶望の色の影もない、無垢なる希望に彩られた微笑みである。
そう……いつだってこのような理不尽が襲い掛かろうとも、彼女達の“諦めぬ意志”が、こんな陳腐過ぎるご都合主義を何度も何度も呼び起こしてきたのだ。
今回だってそうだ。かの盲目の賢者が教授してくれた、邪悪に立ち向かう意志、決して折れぬ不屈の想い。
それでも折れそうになってしまった心を、希望と決意によって矯正してくれた、二つの光。突然現れ、己の危機を救ってくれたクロノの優しさと信頼。
それらが彼女の心の中で淡く煌いた。―――嗚呼、なんて心地良い滾りだろう。これならば、どんな敵が襲いかかろうとも、勝てそうだ……否、勝てる。
彼らの想いが、彼らの期待が、そして彼女自身の不屈の信念が。こんなにも心地良く己の魂を灼いてくれる。
負ける筈が無い。
億分の一の勝機? 充分だ。その程度、必ず掴み取ってみせる。
人間によって作られる荒唐無稽なご都合主義(デウス・エクス・マキナ)はいつだって、いつの世だって無敵なのだ。


「………わかったよ、クロノ。ありがとう」


想いは決意に。決意は誓いに。
フェイト・T・ハラオウンは飛翔した。
暴虐の嵐の中を。乱舞する閃光の果てを、魔を断つ意思と共に征く。



「――――――――――ッッッ!!!!」



その速度は彼女の叫びすら遥か彼方へ置き去りにするほどの臨界へ。
魔風すら寄せ付けず、閃光すらも追い付けぬ神威の次元へと。
其の形容は、まさしく雷光。
絶望の闇を切り裂く、一筋の雷光だ。

再生した触手達も追いつけない。
追撃しようにも、盲目の賢者が繰り出した吹き荒ぶ険悪の魔風と、黒衣の魔導師によって降り注がれる断罪の光刃がそれを阻んでしまう。
ありとあらゆる障害を寄せ付けず、屠り去り、抹消させ。……遂に彼女は邪神が佇む姿を間近に肉眼で捉えた。

一層に膨れ上がる魔力。それら総てをスピードに費やして、一気に封印し殲滅する―――筈であった。



『―――ガtaの祷ア、羅ァン=tegoスゥゥゥ……孵ザ・うぇiiィィ……ッッ!!!!!』



人語じみた人外の言語が邪神の声帯器官から響き渡り―――滑(ぬめ)りと、邪神の瞼(まぶた)が再び開眼された。
先ほどの石化呪法とは比べ物にすらならない無尽蔵の魔力の猛り。世界が刹那の勢いで灰色に染まってゆく。

彼女の思考がそれに気付いたのは奇跡的だったといえよう。
だがそんな灯火すらもその呪術は無慈悲に蹂躙し凌辱してゆく。
バルディッシュの光刃の先端部分から侵食するように灰色の影が這い上がってくる。

――だがフェイトは先ほどとは違い、臆する事無くそのまま降下。
魔術回路が瞬く間に汚染されてゆく。バルディッシュの内に流れる機関(パイプ)から侵食されてゆく石化の術式は魔力の流れさえも石に変えていった。
――それでもフェイトは躊躇い無く疾駆する。
肉体が、精神が、魂が成す術なく蹂躙されつつも、彼女の眸に宿る光輝はそれに比例してより一層燃え滾っていく。

『させるものか!! 貴様如きの眼で、彼女を蹂躙し尽せると思うなッッ!!』


……その滾りに応えるかの様に、しわがれた老人の声――ラバン・シュリュズベリイの叫びと共に、フェイトの眼前に紫紺の巨影『エーテルライダー』が竜巻の中で鋭角の軌跡を描いた。
限界近くに超過熱を加えられたフーン機関は、その機体ごと真っ白な閃光に包み上げ、傍から見れば光の風が乱舞している様にも見える。
光の風は五度、鋭角な軌跡を描いて……術式が完成された。
其れは幾何学的な紋様であり、遥か古より伝えられた、最も新しき光の結印。煌く五芒星。そう、これこそは―――



『第四の結印は“旧神の印(エルダーサイン)”!! 脅威と敵意を祓い、我が盟友を護るもの也!!!』



そう口訣が響いた刹那、フェイトはその魔法陣の光輝に包まれる。
汚染された魔術回路は瞬く間にその清浄なる光輝によって浄化されてゆき、彼女自身に宿った魔力も、その深遠なる煌きによって莫大に膨れ上がった。

ガタノトーアの魔眼さえも跳ね除け、フェイトは再び神速の領域へ。
闇黒に冒された理不尽たる邪悪さえも、その光輝を目の前にして難なく看破されてしまう。

……終(つい)ぞ、邪神の眼前に肉薄した。

バルディッシュを振り翳す。先ほど突き抜けた『旧神の印』によって膨れ上がった魔力を総て流し込む。
爆ぜる光輝。煮え滾る輝きは太陽にすら見えてしまう。目の前には、驚愕に眼を開けた、邪神の姿。


「――――雷光、一閃」


顕現されるスフィア。凄まじい威力を孕んだまま帯電し、神速に至る彼女の周囲に顕現する。
それらがフェイトのその言霊によってバルディッシュの刀身に其の稲妻を送り込む。もはや視認することさえ出来ない光輝。
だがそれですら足りないと言わんばかりに、スフィア以外の場所から稲妻が供給されてゆく―――エーテルライダーによって巻き起こった竜巻と共に発生された雷だ。
世界は白に包まれ、それ以外の色彩は総て絶えた。


それでも………そんな白に支配された世界の中で、毅然と彼女が最後の咆哮が轟く。




「プラズマザンバー…………ブレイカアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ――――――――ッッッ!!!!!!!」




限りなく零距離に近い場所から放たれた、最大火力の一撃。
ガタノトーアの顔面はその絶対的な熱量によって瞬時に蒸発し、堅牢な甲殻さえもたった一撃で吹き飛んでいく。
確実な勝利に見えた。

だが………まだ終わっていない。
この雷光の中でもあの『宝玉』は未だ健在。再び無尽蔵の魔力が溢れ出し、無理やりガタノトーアの構成術式を構築していく。
しかしそれでもプラズマザンバー・ブレイカーの咆哮と波濤は一切、途切れる事無く。宝玉による再生が追いつく事無く、刹那の内の永劫で、それは拮抗し続けられる。


限界などすでに突破している。だが……これほどまでの魔力を叩きつけて尚、再生を繰り返そうとするあの宝玉の脅威。
その恐怖に怯えながらも立ち向かう。そう……諦めなければ、必ず―――勝利は勝ち取れるのだから。

其れに応えるかのように、金色の刃が白い光輝の最中で、何かを叫ぼうとしていた。


(………? バルディッシュ―――どうしたの?)


フェイトがその違和感に勘付く。
破滅と新生の鬩ぎ合いの最中、手に持った相棒に宿った熱量が一気に膨れ上がった。
バルディッシュは音さえ超えた超次元の拮抗の最中――――その名を、全世界に響けと言わんばかりに、静かに紡ぐ。



◆◆◆


『I'm innocent rage.』
『I'm innocent hatred.』
『I'm innocent sword.』

我は憎悪に燃える空より産まれ落ちた涙。
我は流れる血を舐める炎に宿りし、正しき怒り。
我は無垢なる刃。

『I'm―――――』

我は―――………


◆◆◆




バルディッシュがその聖句を読み上げる前に、
白に包まれた世界が、音もなく軋みをあげて、爆砕した。




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最終更新:2008年07月06日 18:29