光太郎がスカリエッティの研究所に移送されてから暫くの時が過ぎた。

研究所にやってきた光太郎に、スカリエッティの秘書のウーノはスカリエッティの都合に合わせて日に2,3種類の検査を行い、数日をおいてまた検査をする、というスケジュールを組んだ。
基本的に人が良いせいで思わず承諾してしまった光太郎は、今の所その通りに協力していた。
お陰で宛がわれた部屋で暇を持て余していることも少なくない。

広い場所を借り、空手の稽古をしたり、(許可をもらう相手は変わってしまったが)アースラにいた頃と変わらずドクターの許可を得て本を読み、世話係の少女に頼んで外に出て気分転換をするという毎日を過ごすのは、そう悪くない。
クライシス帝国との戦いで傷ついた光太郎は、休息を欲していた。

未だ光太郎は、何か出来るような精神状態ではなかった。

光太郎に戦いの結果残ったのは、どれだけの犠牲を支払ったかと言うことだけだった。
守ろうとした地球を、本当に守ることが出来たのか確認する事も出来ない。
地球に戻る為にもどのような形にせよ…再び立ち上がる為に、光太郎には気持ちを整理する時間が必要だった。

そうしてゆっくりと毎日を過ごすある日のこと、何度目かの検査日の翌朝、宛がわれていたベッドで光太郎はドクターに借りた本を読んでいた時だった。
何冊も本を読むうちに読むスピードが上がり、光太郎は数秒に一度位の速さで本を読み進めていく。
それで頭に入るのかとこちらでの生活に不慣れな光太郎の世話役を命じられた少女に尋ねられたこともあったが、大丈夫だと光太郎は返事を返している。

不意にページを捲っていた指が止まった。誰かが読んでいる途中だったのか、途中に栞が挟まっていることに光太郎は気づいた。
それを確認した光太郎は、栞が挟まっていたページから目を反らした。
そして、視線は在らぬ場所へと落とされる…何か重要なものでも発見したかのように、光太郎の表情は険しさを増していた。

「…嫌な予感がする」

光太郎はそう言うと体を起こしてスカリエッティの所へ向かい走り出した。
…そこまで見て、スカリエッティは監視映像を止めた。

困っているような、面白がっているようななんとも言えぬ微妙な表情でスカリエッティは秘書のウーノや、自己判断による行動を許可する程信頼しているトーレ。
スカリエッティの作り出し、ナンバーズと呼んでいる戦闘機人達の内から呼んでおいた2人に顔を向ける。
そのまま目配せをして意見を求めてみたが2人とも不可解そうな表情をみせるだけで返事は無かった。
ナンバーズの三番目、紫の髪をショートカットにしたトーレが確認するように尋ねた。

「この後光太郎はまっすぐドクターの所へ乗り込んできて、驚いたドクターはうっかりケースから出していたジュエルシードを落としかけたと?」
「…これで三度目だ。偶然とも思えないが、彼が私を監視しているような素振りは無い」

スカリエッティよりも10cm以上も背が高い為、自然と見上げながらスカリエッティは返事を返す。
トーレは聊か咎めているような口調でたずねたが、白衣のポケットに手を突っ込んだままのスカリエッティにそれを気にした様子は無い。
それどころか返事を返した声は、そうしたことが起こったのを面白がっているような雰囲気を持っていた。

答えたスカリエッティは、ウーノに椅子を持ってくるように頼むと再び光太郎の監視映像や検査で取ったデータを並べ、眺め始めた。

そんな創造主の態度に、管理局が大した警備もつけずに外部に移送していた所を強奪してきたトーレは苦い顔を見せる。
ジュエルシードとはロストロギアに指定されている次元干渉型エネルギー結晶体…言わば使い勝手の恐ろしく悪いちょっとしたキングストーンで、取り扱いには十分に注意しなければならない。
スポンサーに頼んで送ってもらった異邦人一人の『嫌な予感がする』で、創造主が落っことしたなんてトーレには目も当てられない話だった…
同じくウーノも、スカリエッティを心配し苦い表情でどこかから椅子を持ってくる。

「何らかのレアスキルを所持しているとも考えられますが…」
「ありがとう。今のを見て本当にそう思うかね?」

口を濁すウーノに一瞥を与えて、再び表示させたデータをスカリエッティは眺める。
礼を言って受け取った椅子に腰掛ける彼の目は生き生きとしていた。
データはまだ殆どが不明とされていて、それ以外の洗脳結果などについては効果なしと記載されている。
スカリエッティの元にはスポンサーからの惜しみない援助で購入された最新の機器が揃っているのだが、それらをもってしても光太郎の体内を調べることはできないでいた。
それに加えてこのような原因不明の奇行に振り回され、スカリエッティの本来の仕事は妨げられていることをウーノは不愉快に感じていた。

「ドクター、やはり光太郎は早急に処分してサンプルの一つとしてしまった方がよろしいかと思われますわ。彼が来てから、予定していた作業に大きな遅れが生じ始めています」
「予定? そんなもの構わんさ。生きた興味深いサンプルを研究するには多少の遅れは仕方がない…スポンサーもそれは承知している」

秘書の進言を、スカリエッティはばっさりと切って捨てた。
異世界の質量文明が生み出した生物に興味津々らしく、鼻歌混じりにそれに付き合うつもりのようだった。
ニヤつきながらスカリエッティは「嫌な予感がする」パターンを割り出そうとでもしているのか、早送りで映像データを流していく。
流れていく映像に自身の作品の一つが移り、彼は呟いた。

「ほー…チンクはうまくやっているようだね」
「はい。騎士ゼストの世話をしていたせいか、思いのほかうまくやっているようです」

諦めたようにため息をついたウーノは、スカリエッティの隣に立ち、それをサポートしながら返事をする。
名前が挙がったチンクは、スカリエッティが作り出した戦闘機人達、ナンバーズの一人だ。
五人目のナンバーズであるチンクは他のナンバーズとは違う狙いで作った個体でナンバーズの中ではもっとも小柄だ。
発育不良な体をチンク本人が気にしているのは知っていたが、当時のスカリエッティがどこかの軍隊が少年兵に頭を悩ませていると聞き、お遊びであえてそうなるようにしたのでそれは諦めてもらうしかない。

チンクは狙い通りの結果に加え、能力も高く誰に似たのか生真面目で面倒見のいい性格に育ったので重宝している。
例えば今回のように光太郎に見せてはならないものを見せない為に、光太郎の世話役を命じたりするには打ってつけだった。

小さい体で男性としても大柄な光太郎の世話をあれこれとしている姿が映っている所を見ると、人選は間違っていなかったようだ。
そこにトーレが口をはさむ。
トーレは、画面に映る妹を咎めるような視線を向けていた。
チンクは、腰まで伸びる癖の無い銀髪を揺らし、急ぎ足になって光太郎を先導していた。

「何故チンクに? 私なら三度もドクターのお邪魔をさせるような真似はさせませんでした」

光太郎が普通に歩くだけでドンドン引き放されていく妹は、どう見ても役者不足だとトーレは感じていた。
普段は妹を虚仮にするような言い方は決してしないトーレに、スカリエッティは喉を鳴らして笑った。
意気込むトーレに、スカリエッティは映像へと目を向けたまま返事を返す。

「初めてチンクと会わせた時、光太郎が驚いていたからさ」

返事をしながらスカリエッティは、光太郎の世話役兼監視役として誰を選ぶか考えていた時のことを思い出す。
チンクを小さな女の子呼ばわりして初印象を悪くする光太郎のある種の不器用さは、チンクの世話を焼きたがる気性と馴染むだろう。
そして彼の信用をあげる一助となるとスカリエッティは考えていた。

「そういえば…あの時彼が面白いことを言っていたな」
「と言いますと?」
「チンクの服装について尋ねてきてね。クライシス帝国ではあの程度のボディスーツ程度の機能性では話にならないようだ」
「…それは、どちらかというと見た目の問題では?」

ウーノはチンクが身に着けているのと基本的には同じものを着ているトーレを見て言う。
彼女らのボディスーツは機能性は案外高いのだが、基本は体のラインが色々と出すぎる…健全な男性らしい光太郎が顔を顰めるのも仕方が無い話だ。
そうウーノは思っていた。
だが、もっと凄いのを作らなくてはねと零すスカリエッティにはその辺りの改善は永遠に無いと十分すぎるほど理解してもいるウーノは、それ以上言わなかった。

「まあ、それはいずれ彼が驚くような防護服も作ってみせるとして、あの人の良さそうな光太郎に子供が殺せるとは思えないだろう?」

尋ねられたトーレは嘲りに近い笑みを浮かべて、「そうですね」と答えた。
スカリエッティよりも背の高いトーレから見ればスカリエッティの胸程しかないチンクの体躯は、見ていて少し…有体に言うとかわいそうなものだった。
その時部屋の扉が開いて、当のチンクが研究室に入ってくる。
三人は普段の彼らからすると優しすぎる表情を見せ、黙りこくったままチンクが自分達の所へやってくるのを待った。
チンクは向けられる視線に訝しげな表情を返す。

「ドクター、私をお呼びだと聞きましたが…………なんです?」

スカリエッティ達は何も言わずに、生暖かい目で首を振った。
数年前の戦いで片目を負傷して以来、眼帯をつけているチンクは、片方だけの目を何度か瞬きさせて首を捻った。

「チンクから直接話を聞きたくてね」
「光太郎のことでしょうか?」
「ああ。彼がいた世界には彼と同等以上の改造人間が後10人いるらしいが…」

チンクの報告をまとめたものを広げ、スカリエッティは尋ねた。
詳しい話は聞けていないようだが好奇心を刺激されているらしく、椅子から身を乗り出しさえしていた。

「はい、先輩と光太郎は呼んでいるようです。私達と同じような間柄なのかもしれません」
「ふむ…」

スカリエッティは何か思うところがあるらしくそう返すだけに止まる。

「そう考えると不憫なものだな。彼は今異世界に迷い込んで一人ぼっちというわけか」

『ならば研究して彼の兄弟を作ってやるのが研究者としての責務だろうか』と、スカリエッティは笑った。
スカリエッティがそう零すのを聞いて、チンクはショックを受けたのか映像データの中の光太郎に向ける視線に同情の色が透けて見えた。
それから2つ3つ質問を重ね、メモを取ったスカリエッティは、

「…なるほど。よくわかったよ。ではチンク。もう一つ頼んでもいいかな」

そう良いながらウーノが用意した椅子の上で座りなおす。
椅子の脚が長いせいでそれでも立ったままのチンクをスカリエッティが見下ろしているのを見て、ウーノは手を止めて苦笑した。

「なんでしょうか?」
「彼と一緒にミッドに行って彼の着替えを2,3着買いに行ってきてくれないか?」
「服…ですか?」

首を傾げる三人に、スカリエッティはため息をついて頷いた。
すると新しいモニターが空中に浮かび上がり、昨晩の映像だと日付でわかるそれにはスカリエッティと光太郎が映っていた。
バスローブを身につけ、風呂上りの牛乳を飲むスカリエッティと、その隣、洗濯機の前でタオルを腰に巻き鍛え上げられた裸身を晒して仁王立ちする光太郎…スカリエッティはげんなりした顔で言う。

「私は自分の服を貸すつもりはないし、毎晩タオル一枚で洗濯機の前に立たれるのも迷惑なんだ」

横目で光太郎を見たスカリエッティは、無言で洗濯機を見続ける光太郎に居心地が悪そうにして少しずつ距離を置いていった。

「ああ。なんなら、君達の服も買いたまえ」

その時の自分の様子を見苦笑がもれた。
殆どセクハラに近い映像を見せられている三人のリアクションなど構いもせずに、スカリエッティは言う。

「ウーノ、後で私のスーツを仕立てた店などをチンクに教えておいてくれ」

因みにウーノに任せるうちにいつの間にかスカリエッティの服の値段と着心地が跳ね上がっているのだが、スカリエッティはそんなことには全く気づいていなかった。
毎日来ている服がきっちりと手入れされ、気に入って何年も着ているものもほつれ一つないのだがそれが当然だと信じていた。

「な…なんでしたら、私が参りましょうか?」

少し青ざめた顔で映像を視界に入れないようにするウーノにスカリエッティは間髪いれずに首を振った。

「駄目だ。そんなことになったら私が困るじゃないか。君がいない間、一体誰が私の世話をしてくれるというんだね?」
「はい」
「よよ予算は幾ら程ですか!?」

二人をジッと見つめるトーレを小突きながら、顔を赤くしたチンクが尋ねた。
ウーノも咎めるような目を向けると、詰まらなさそうにトーレは部屋を出て行く。部屋を出て行く時、トーレは肩越しに振り向いてスカリエッティと肩を竦めあった。

「幾らでも構わないから、見栄えよくしてやってくれたまえ…特に湯上りに見苦しくないように頼む」

そう言って、今日もまた管理局の用途不明金の額を増やすスカリエッティの金銭感覚にウーノは困ったような顔をする。
それくらいの浪費をしてもいい位には働いているが、スポンサーの一人である首都防衛隊代表の前ではこんなことはないようにしなければならない。

「わかりましたドクターとは別の店を教えることにしましょう」
「? 何故だね?」
「ドクター…」

呆れたような顔でウーノは不思議そうにするスカリエッティに近寄ると、体に手を這わせて服の掴み縫い目などを見せる。

「ドクターの服は全てオーダーメイドですから。魔法を使う職人でもその日に一着と言うのは無理です。今ドクターが着ている服を作った職人は人気もあって数年待ちなんですよ?」
「金を積んで急かせばいいだろう?」
「ドクターと同じような手合いが多いんです」
「なるほど。やる気を無くしてしまうのか」

説明を受け、やっと納得したように言うと、スカリエッティは興味をなくしたように作業に戻る。
ウーノはそんな様子に慣れているので気にせずチンクに既製服の店などの位置を教え、準備をするように言い渡した。
一番上の姉に教えられたことを何度か頭の中で整理しながら部屋を後にするチンクの背中を不安げに見送ってからウーノは通信画面を開き、今度は光太郎に連絡を取る。
部屋で読書中だった光太郎は、空中に浮かぶ通信画面に未だに不思議そうに見上げた。その田舎者っぽさにウーノは顔をしかめる。
だがそれを我慢して説明をしたにもかかわらず、光太郎は首を横にふった。

「厚意は感謝するが、受け取るわけには「こちらの買い物もありますから、荷物持ちの報酬とでも思ってください。5分後にチンクが迎えに行きますから準備をよろしくお願いします」

恐縮する光太郎にそっけなく言い捨てて、ウーノは通信画面を切る。
疲れた様子で彼女はため息をついた。
そして、外出の準備をしに行ったチンクへと通信回線を開く。
準備万端と言った顔でウーノが時々使っている車を用意しているチンクが映し出される。
手入れは怠っていないためすぐに動かせるが、シートの調整などに手間取っているらしい妹を見て、ウーノは頭を抱えたくなった。
少し考え…すぐに頼りになりそうなのは、長期の潜入任務に従事しているナンバーズの二番目、ドゥーエだけかもしれないと思い至ってから、彼女はチンクに話しかける。

「…チンク。ドゥーエに連絡をしておくから彼女と合流しなさい」
「ウーノ姉、どうしてですか?」

腑に落ちない顔で尋ねてくるチンクは、彼女ら戦闘機人達用のボディスーツ…体にぴったりとフィットするそれの上からチンクの固有武装である防御外套『シェルコート』を被っていた。
殆ど外へ出さずその手の感覚にズレがあるのだろうが、ボディスーツの上から灰色のコートだけ。
買い物に行くのにこれはないと唖然としながらウーノは答えた。

「そんな格好でそんな質問をするからよ」
「どういう」

何かチンクが言っていたような気がするが、視界の端でスカリエッティが飲み物を欲しがっていそうな雰囲気を見せたのでウーノは通信を切った。
ウーノは部屋を出て用意していた飲み物をグラスに注ぎ、スカリエッティの元に戻る。
作業をしていたスカリエッティは、戻ってきたウーノが盆の上に飲み物を載せているのを見て、手を止めた。
差し出されるグラスを取り、「ありがとうウーノ」
そう言っておいしそうに飲むスカリエッティに「いいえ」とウーノは答え、グラスを一度スカリエッティから受け取る。

グラスの表面に浮かぶ水滴をふき取り、ウーノが減った分を継ぎ足す様をスカリエッティは少しそわそわとしながら待つ。
クスリと笑い、返されたグラスから仄かに漂う甘い香りを楽しむスカリエッティのところに、光太郎とチンクがどちらが車を運転するかで揉めていると報告が来るのはもう少し先だった。

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最終更新:2010年01月26日 23:10