「ええ天気やなあ、イギー」
うるせーな、犬の俺に話を振るな。ただでさえ、今は疲れてるんだ。
おれが大人しく膝の上に乗っているのをいい事に、自宅までの道中相変わらずネジの足りない一方通行の会話を楽しそうに続けるはやてを睨み上げた。
だが、もちろんこの天然娘はまるで堪えやしねえ。
丸くなったおれの背中を撫でる手が鬱陶しいぜ。逃れようにも、病院で打たれた注射のせいかやけに体がダルイ。
おれ達は病院の帰り道の最中だった。
はやても足の治療の為に病院通いをしているが、今回はおれの方だ。
くたばる一歩手前だったおれは、治療後にも何度か動物病院へ通い詰めている。この世話好きなはやての意向で、半ば強引にな。
まあ、へし折れたアバラが何本も肺にブッ刺さるという重傷を経験したおれとしては、しっかりとした治療を受けられるのはありがたい。おかげで順調に回復中だ。
今日は毎回欠伸の出るような長ったらしい検査の後で、ようやく顔に巻いていた包帯がとれた。
外傷はもうほとんど塞がって、完治している。
ウザったい包帯がなくなったのはいい事だが、さすがにその後風呂にぶち込まれたのは勘弁だったぜ。
おかげで随分体力を消耗した。今は疲労困憊ってワケだ。
元のハンサム顔は取り戻したが、折れたアバラに関してはまだ何本か完全にくっ付いちゃいない。
今後、まだ何回かあの病院の世話になると思うと憂鬱になるぜ。
小型犬であるおれの容姿のせいか、看護婦がやたらと猫撫で声で話しかけてくるのがウゼーったらねーんだぜ。
おまけに、もう治りようも無い失くした左足を見るたびに気の毒そうな同情心満々って感じの視線を注ぎやがる。
余計なお世話だぜ。名誉の負傷とまでは思わねーが、この傷を見て『カワイソウなボク!』ってウジウジするような犬じゃあねえんだぜ。
勝手な同情心が苛立たしい。そのせいか、精神的にも疲れて仕方ねえ。
そんな風にくたびれたおれが楽をする為に、車椅子に座ったはやての膝の上に乗るのが、はやて自身は嬉しいらしく、終始ご機嫌だ。
ケッ、勘違いするんじゃねーぜ? おれはただ車代わりに使ってるだけさ!
……なんて犬のおれがはやてに対して言っても仕方ねー。
「シャンプーして毛並みもサラサラやなー、触り心地ええわー」
話せたとしても聞きやしねーだろうがな。
撫でさせるままにさせておきながら、おれはもう一度心の中で悪態を吐いた。好きにしな、もう面倒クセー。
家に着くまでの道で定着したやり取りをしながら、おれははやての膝の上からゆっくりと流れてく風景を眺めていた。
……しかし、疲れている時ほど疲れる事が起きやがる。
品性の感じられない同族の唸り声を耳で捉える。
眼を向ければ、おれ達の道先を二匹の犬が塞いでいた。
おれとは違う大型犬だ。首輪があるから野良じゃあないようだが、正直そのツラは人様に飼われる努力を怠っているとしか思えないほど不細工だった。
だらしなく舌を垂らして涎を撒き散らす様を見ると、同じ犬である事にウンザリしてくる。
こういうバカどもが蔓延っているから、おれのような一部の天才が同列に扱われちまうのだ。
『ガゥウウウウ……』
『ゥウ゛ウ~~~』
二匹は唸り声を上げながら、ねめつけるような視線をおれに向けている。
見るからに頭の悪そうな肉袋どもは、どうやらおれが目的らしい。
体の小さいから舐めているのか、それとも片足が無いからか。どっちにせよ『ビビらせてやろうか』って頭の悪い考えが筒抜けだぜ。
本来なら相手にするのもバカらしい奴らだが、おれを膝に乗せたはやては怯えるように小さく震えていた。
「ど、どないしよう……っ」
野犬の類じゃないとはいえ、小学生ほどもある体格の大型犬だ。
もし暴れられれば太刀打ちできない。足の不自由なコイツには十分恐怖の対象となるだろう。
飼い主は何をやってやがるんだ? 頭の悪いケダモノは手綱をしっかり握っときやがれ。
人間にどう見えるかは知らねーが、二匹のバカ犬は加虐心丸出しって感じの笑みをニタリと浮かべた。
やれやれ……。
ちょいとばかし……調子に乗りすぎだぜ。オメーら。
(ギラリ――ッ!)
『!!?』
おれが一睨みした途端、バカどものにやけた笑みが消え失せた。
ようやく自分達がどんな相手に喧嘩を売っていたのか理解したらしい。
おれの『凄み』を感じて、おっ立てていた下品な尻尾は股の下まで垂れ下がる。格の違いに気付くのが遅ぇーぜ。
普段なら、おれがボスである事を小便が枯れるまで教え込ませるところだが……まあ、今回は面倒だからいいぜ。
『ク……クゥ~~~ン』
『失せなッ』と顎を軽く振って促すと、負け犬二匹はヘコヘコ謙りながらおれとはやてを大きく避けて去って行った。
おれが今住んでいる街は、故郷の街とは違って平和ボケしたアホ野郎どもが多い。奴らもそんなモノの一部だ。
おれが全快した暁には、まずその辺の改正を行う必要があるかもしれない。力でな。
バカ二匹を撃退したおれは、再び背中を丸めてはやての膝に体を預けた。
はやては目の前で起こった出来事にしばし呆然としながらも、やがて我に返って車椅子を進め始める。
「はあ~、怖かったなぁ……飼い主さん何処やろ? あんなん子供に怪我させたら大変やで」
本気で怖かったんだろう、やけに饒舌なはやてだが、その内容は他人を案じるものだった。相変わらずお人良しな奴だ。
「でも、スゴイなぁ。今の犬、イギーが追い払ったんやろ? 違う?」
だから、犬が答えるわけねーだろが。
うんざりしながらも、おれは片足を軽く振って肯定を示してやった。意味が理解できなくても知らねーがな。
だが、コイツはエスパーなんじゃねーか? と思うほどどうでもいいおれの反応から正確に意味を読み取る変わり者なのだ。
「やっぱり! なんやイギー、体はちっこいクセに大物なんやなー。頼りになるボディガードさんや」
まるで自分事のように、ついさっきの恐怖も忘れてはしゃぐコイツの能天気さにはマジで呆れるぜ。
同じ帰り道でも、さっきより二割り増しでウザったいはやての弾んだ声を聞き流しながら、おれはやれやれとため息を吐いた。
まあいいさ、慣れるもんだからな。こんなやり取りを繰り返す時間も。
「待っててなー、今日はご馳走にするよー」
帰宅してからもやけに機嫌のいいはやては、鼻歌を歌いながら台所へ向かっていった。
ま、飯が豪勢なのはいい事だぜ。傷を治すには、たっぷり食ってたっぷり寝るのが、どんな治療より一番効くからな。
普段なら飯の時間まで寝て過ごすおれだが、帰り道ずっとはやての膝の上で横になってたせいか、眠気は全くない。
おれは特に考える事もなく、家の中をうろつく事にした。
今のうちに、庭の茂みにこっそり隠したコレクションを見に行くのもいい。
くつ集めの趣味なんて、はやてに知られるわけにはいかねーからな。面倒な事になる。
―――だが、おれの足が自然と向いたのは外ではなかった。
ある部屋の一角で、足が止まる。
明りのついていないその部屋は薄暗く、見上げた本棚は不気味な建物のようにそびえ立っている。
その棚に置かれた、一冊の本。
おれがこの家にやって来てから、ずっと気になり続けている物だ。
この本が何なのか、もちろんおれがはやてに聞く事は出来ない。アイツが愛読する小説か? それともアルバムか何か?
たった一冊の本に、何もそこまで執着する必要なんかないのかもしれねーが……おれの鼻には匂いやがる。
どうにも『キナ臭い匂い』ってヤツがな。
得体の知れないモノが、この閉じたページの中で蠢いている―――そんな気がして仕方ねーぜ。
本を眺めていると、唐突に背筋を薄ら寒いものが走り抜け、おれは身震いをしてそそくさとその部屋から離れた。
気のせいか、あの本から感じる『匂い』が少しずつ強くなっていっているのは……おれのらしくもない不安のせいだと思いたいぜ。
何かが始まるような、言い知れない『予感』ってモンを感じる。
正直、面倒は勘弁してもらいてーもんだがな、やれやれ……。
←To Be Continued
最終更新:2007年08月14日 15:36