オートロックを外し、部屋に入るなり男は携帯電話をベッドに投げつけた。
「くそっ! あの野郎、ふざけやがって!!」
 もう一人はそんな男に目もくれず、部屋の奥のソファに座る。ドレッドヘアを後ろで括った褐色肌の男――名前はルーコ。
 携帯を投げた金髪髭面の男、ケネスは怒りが治まらないのか、ベッドにドカッと腰を落とした。
先程まで元社員とやらに研究成果を渡して復帰するよう説得していたが、無下にされたらしい。
 ルーコ、ケネス共にアメリカの企業、マイヤー&ヒルトン社の人間である。スーツに身を固めているが、とてもビジネスマンには見えない。
ヤクザかマフィアといった印象を漂わせ、特にルーコの纏う雰囲気は鋭く、身のこなしからして隙がない。明らかに一般人とは一線を画していた。
「社の破産を免れるには、あの男の研究が必要なんだろう? だったらさっさと手に入れてしまえばいい。その為にあんたは俺を連れてきたんだ」
 マイヤー&ヒルトン社とは、世界で最初に契約者を兵器として扱い、戦争に投入した企業である。
 脳外科手法による、一般人の契約締結実験。契約者の量産を目的としたインブリード。異種能力者間の交配によるハイブリッドの製作。
一般企業でありながら、様々な契約者を使用した実験を繰り返してきた。もっとも、そう簡単に契約者の能力を解明し御しきれるはずもなく、
現在その経営状況は思わしくない。
「ビジネスを始めるにはそれなりの手順が要る。お前ら効率第一主義の契約者には分からんだろうがな。お前は黙って俺の指示に従っていればいい」
 ケネスが苛立ちの矛先を無関係なルーコに向けても、ルーコは軽く受け流している。その態度がケネスの怒りを益々煽りたてた。
「いいか、私はお前らが大嫌いだ。同じ部屋の空気を吸うことすら反吐が出るくらいにな。
それをビジネスの為に仕方なく同行させたに過ぎない。それを覚えておけ」
「そうかい……」
 ルーコは手持ちのバッグから本を取り出すと、ページの角を折ってドッグイアを作ってはページを捲った。その仕草は手慣れたもので、
次々とページが消化されるが当然読んでなどいない。ひたすらに全てのページを折る。何も知らなければ無意味な作業に映るだろう。
 それは契約対価。契約者が能力の行使の前後に行う行動。ルーコ自身その意味は理解しておらず、
ただしなければならないという衝動に駆られてページを折っている。
 個人により対価となる行動は異なり、肉体や精神に変化が起きる対価も存在する。即ち対価とは精神的、肉体的な呪縛であると言えた。
「ここまで言われて貴様は言い返しもしない。それは貴様らが、パトロンの保護がなければ生きていけないクズな生き物だからだろうが」
 ルーコは答えなかったが、内心ではケネスを嘲笑っていた。
 この男は随分とおめでたい勘違いをしている。契約者を商品として扱っていながら、商品を何も理解していない。
これでは経営が傾くのも頷けるというもの。
ルーコがここにいるのは、あくまで彼の言うビジネスに過ぎない。金払いがいいから従っているだけだ。船が沈めば他を探す。
さほど苦労はしないだろう。何せ契約者を欲しがっている連中は腐るほどいる。中でも、最も契約者を欲しているのは各国の諜報機関というくらいだ。
もっともそれに比べれば、こちらの方が自由も利くだろうが。
ルーコは自分の能力に、それなりの自信を持っていた。売り込めば、そこそこの値で買ってもらえるだろうとも。
契約者は己を過信もしなければ、過小評価もしない。その評価も、自己を客観的且つ冷静に分析した結果である。
 対価は面倒だが、肉体的苦痛が無い分ましだとも考えていた。対価に激しい苦痛を伴い、払える回数に限りがある契約者もいる。
だがここが面白いところで、対価と能力の利便性や威力は比例しない。
 楽な対価で強力な能力を持つ者もいる為、必然、総合的に使える契約者と使えない契約者は分かれるのだ。
「ま、見限られない程度には頑張るさ」
 ルーコの飄々とした態度に、ケネスは鼻息も荒く冷蔵庫から瓶を取り出した。キョロキョロと栓抜きを探しているので、
ルーコは瓶に向かい軽く人差し指を曲げる。
 次の瞬間、音もなく瓶の口が切断されて床に転がった。
 ケネスは一瞬小さく声を上げた後、ルーコを睨んだ。善意でしてやったというのに、これも気に障ったらしい。
大仰な素振りでルーコに指を突きつける。
「奴の答えがノーなら次の手段に出る。イエスと言うまで続ける、どんな手を使ってでもな。それが私のやり方だ」
(せいぜい頑張ってくれ)
 心の内で呟きながら、ルーコは尋ねた。
「例えば?」
「奴の……田原の娘を攫う」
 息巻くケネス。ルーコは十分強行だろうと思ったが、黙っておいた。
 下らない用途で能力を使ってしまったので、また対価を支払わなければならない。
ルーコは再び、黙々と本にドッグイアを付ける作業に戻った。


 帰る気になれなかったはやての足は駅に向かい、そして東京に来ていた。街の雑踏、夜の闇を覆い隠す人工の光、
そのどれもが海鳴とは比べ物にならない。
 はやては浮かない顔で喧騒の中を彷徨い歩く。この街では歩いている誰もが、行き交う他人の顔など見ていない。
だというのに、人の波は一定のルールに従って流れていた。
 家には遅くなると言ってあるから怒られはしないだろう。何をするでもなく、行く当てもない。ただ無為に時間ばかりが過ぎていく。
 人ごみに疲れたはやては、人の流れから外れて手近な壁にもたれかかった。一人ポツンと佇むはやてに、道行く人間は誰一人気付かない。
 何故こんなところに来たのだろう。大勢の人間に囲まれれば孤独が紛れるかと思ったが、むしろ際立つ一方だった。
苛立ちばかりが募り、何もかもが煩わしく思えてくる。こんなことなら早く家に帰ればよかった。そうすれば隠し事ばかりのユーノとフェイト、
自分勝手ななのは、何よりそう思ってしまう自己への嫌悪感を、一時的とはいえ忘れられたのに。
 じきに群衆を観察するのにも飽きたはやては、視線の逃げ場を空に求めた。見上げた空には星が瞬いている。
ふと、偽物の星の中の一つが目に留まった。
 不規則に明滅する不自然な輝き。それは例えるなら、生まれる直前の星。晴れ渡った空に一つだけあった雲がその星にまとわりつき、
輝きを阻害している。しかし星を覆う雲の隙間から微弱ながら光は漏れて、完全には隠しきれていない。
 星を眺めていると、5年前の流星雨の夜を思い出す。自分勝手に行動した挙句、危うく死にかけた夜。今でも度々悪夢で蘇るのに、
それは自分だけの胸に秘めている。隠し事という意味では自分も同じ、なのはを責めることもできなかった。
 そうして、はやてがこの日何十回目かの溜息を吐いていると、
「泥棒―! 誰か、その男を捕まえて!!」
 街のざわめきを突き破って声が響いた。
 見ると、野球帽を目深に被った男が女物のバッグを抱えて走っている。器用に人ごみをすり抜け走る男に、誰も咄嗟の反応が追い付いていない。
(なんや、あれくらいなら魔法でこっそり……)足でも払ってやろう。
 そう思ったはやては上体を起こした。幸い男ははやての方に向かっている。ばれないように隠した右手に魔力を集中させる。
 距離、障害物共に問題なし。
 いざ放とうとした瞬間、男の横から飛び出た影が男の腰に飛びついた。
押し倒された男の腕は素早く捻られ、背中に回る。たったそれだけの動作で男の動きは完全に封じられた。
「残念、警察だ」
 そう言ったのは革ジャンを着た金髪の軽そうな男。一見刑事には見えないが、片手で男を抑えつつ、空いた手には警察手帳を持っていた。
 若い刑事は苦悶の声を上げる男を立たせつつ、
「斎藤さん、俺、ちょっくらこいつを交番に突き出してきますわ」
 こちらはいかにも刑事といった風貌の、スーツ姿の男に断りを入れる。斎藤は片手を上げてそれに答えた。
 野次馬達は一瞬の出来事に呆気に取られていたが、やがて拍手が巻き起こり、刑事に賞賛を浴びせた。
若い刑事は誇らしげに手を振りながら、被害者の女性と犯人を連れて消えていく。
 あんなものは最初から警察に任せておけばよかったのだ。だから、これで良かったはずなのに。
それなのに間抜けにかざした腕を戻しながら、はやては酷く空しい気分に襲われた。そんな自分が心底嫌だった。
 はやてはまたも深く溜息を吐いて元の姿勢に戻る。
 はやての知る限り、魔法とは人を無力化したり、物を破壊したりという用途が殆ど。この世界では、それを自衛であっても使う機会は滅多に無かった。
補助魔法も多々あるのだが、どれも普通に生活するにはいま一つ実用性に欠ける。
アルフやユーノほど多彩な術が使えれば違うのかもしれないが、はやてにとってはあまり使えないものだった。
 警察の真似事をしようにも、そもそも情報が得られない上、犯罪や暴力の現場に出くわすなど、そうあるものではない。
それこそテロや銀行強盗、立て篭もり、大規模災害でもあれば存分に力を揮えるのだろうが、そうなれば正体は簡単に衆目に晒されてしまう。
決して事件や災害を望んでいる訳ではないが、窮屈さは否めなかった。
 結局、魔術的もしくはそれに近い特異な事件や現象が起きなければ、この世界で魔導師には存在意義が無いに等しい。それに比べれば、
デバイス一つで小さくなったり、花を咲かせたり、心を読んだり――なんだ、アニメの魔法少女の方が余程人を幸せにできるではないか。

 刑事の姿は見えないが、皆の視線と関心は未だ刑事に集中している。どうやら、駆けつけてきた制服警官二人と話しているらしい。
さっさと去ってしまえばいいものを。
 はやてが足元の小石を蹴りながら腐っていると、どこからか視線を感じた。それも一瞥しただけではなく、ずっとこちらを見つめている。
 ナンパだったらこっ酷く袖にしてやろうと思いつつ、はやては首を振って視線の主を探す。
 それはまるで隠れる様子もなく、呆気ない程簡単に見つかった。本人からはやての前に現れたというのもあるが、
視界に入ると同時に視線が惹きつけられたのだ。彼女ははやてが目を見張る程に美しく、印象的でもあった。
 彼女の様な淡いライトグリーンの長髪は、巷ではまず見かけない。
 そして最大の特徴はその瞳。透き通った琥珀の宝石を彼女は瞳に持っていた。
「本当はあなたが助けてあげたかった?」
「え……?」
 突然の、しかも心を見透かした彼女の発言に、はやては疑問符を発する。
「あなた"も"、誰かを救うことで自分を証明したいんじゃないの?」
 戸惑うはやてが可笑しいのか、顔に微笑みを浮かべながら、彼女ははやての隣に立つ。ふわりと揺れた髪から、鼻孔をくすぐる微かな香りが漂った。
 はやては答えなかった。いや、答えられなかった。はやて自身も知らない心の暗部までことごとく暴かれた気がして、絶句するより他なかった。
(な……なんやこの人? なんで私がそんなこと考えてるって……あかん、動揺を悟られたら……)
 胸を押さえてなんとか落ち着かせ、はやては彼女を観察した。
 見た目はおよそ二十代前半。だが、もっと成熟した雰囲気も持つと同時に、若くも思える。顔つきからして白人だろうが、確信は持てない。
 ライダースーツのような服は、引き締まった腰から下のラインを見事に表し、上半身にはベストを羽織っていた。
スーツは体にピッタリと張り付き、ある程度は伸び縮みに対応できるだろう。
「お姉さん……誰なんですか?」
 やっと出てきたのは、そんな月並みの台詞。はやての胸の手を見て、彼女はクスリと笑った。
「ごめん、怖がらなくてもいいよ。ちょっとからかっただけ」
 見た目に反した、子供っぽく悪戯な笑い方。
 彼女の内には大人と子供が同居している。
 それがはやての、彼女に対する率直な印象。それこそが彼女の違和感の正体。年齢が読めなかったのもそのせいだろう。
「な……怖がってなんか!」
 完全に向こうのペースに巻き込まれていた。彼女の持つミステリアスな雰囲気、大きな瞳がそれを助長する。
透き通った琥珀の瞳に見つめられると、心が丸裸にされるような感覚に襲われる。口では強がっても、動揺は表面化してしまう。
 彼女ははやてを見て一度だけ小さく微笑んだが、すぐにそれも消えた。
「ねえ、助けを必要としている娘がいるの」
 彼女は突然、はやてのもたれた壁から数メートル離れた方を指差す。しかし指の延長には、何の変哲もないファーストフード店。
「もし、あなたがあの娘を助けたいなら……助けてあげたら?」
 目を凝らして指の先を見る。隣の店との間には狭い路地があるようで、路地からは幽かな火照り、黒い煙が漂う。
「!!」
 それが意味するものが何か、はやては即座に察した。付近の人間は先程の捕り物の野次馬に集まっているのか、周囲には誰もいない。
――火事だ!!
 とでも叫ぶべきなのだろうが、はやては無言で走った。あんなところに自然と火が点くはずがない、誰かが点けない限り。
思い浮かべるのは今日出会ったばかりの少女。もしかしたらという直感が、はやてに声を上げさせなかった。
「はやて……あなたにとって大事なこと、忘れないでね」
 背中に投げかけられた彼女の言葉。何故名前を知っているのか、どういった意図で言ったのか、はやてに考える余裕は無かった。
考えるより今は、数メートルの距離を全力で縮める方が先決だった。
 はやてが路地の入口に走り込むと、やはりというか燃えるゴミ箱の前で棒立ちの柏木舞が居た。炎が照らし出す彼女の目は虚ろ。
何かに魅入られたかのように、その場に立ち尽くしている。
「舞ちゃん!?」
 呼んでも反応は無い。夕方見たセーラー服のまま、燃え移りそうな距離にも関わらず、微動だにしない。明らかに異常な状態だ。
 燃えているのは、ゴミ箱一杯に積まれたゴミの一部。まだ数分と経っていない。
 当然だ、こんなところで火が出たら誰でも気付く。最初に発見したのがはやてだっただけのこと。
 はやては考える。この状況で、今の自分がすべきは何か。自分にとって大事なこととは何か。
 迷ったのはほんの数秒。結局はやては、昼間舞が言った言葉を信じることにした。気付いたら燃えていたという、普通なら言い訳にしか聞こえない言葉を。
 ゴミ箱を力一杯蹴り飛ばす。ゴミ箱は音を立てて倒れ、燃えていた一部が地面に転がった。
「……え!?」
「走るで! 早く!!」
 正気を取り戻したらしい舞に構わず、はやては舞の左腕を掴んで走り出した。
「ちょ、ちょっと何よ!!」
「ええから走って!!」
 舞は混乱して足をもつれさせたが、はやては手を離さなかった。ゴミ箱を倒したからだろう、
背後では誰かが「ゴミが燃えてる!」や「お巡りさん早く!」などと口々に叫んでいる。
 仕方がなかった。燃え広がりはしないだろうが、あのまま火勢が強くなり、万が一のことでもあったら事が大きくなってしまう。
これなら中身が散乱したことで放っておいても消えるだろうし、誰かが消すだろう。
 背後を振り返って状況が把握できたのか、舞も足を動かし始めた。路地の長さは50mもない。
このまま向こう側に出てしまえば安全だと考えていたのだが、どうやら見通しが甘かった。
「待て!!」
 背後から声が響く。誰かが追ってきている。しかし、振り向いても姿は見えない。
 街灯も無い裏路地では足元すらおぼつかず、見えるのは30~40m先の大通りの明かりのみ。女性二人でも、なんとか逃げ切れる距離だ。
後は人ごみに紛れてしまえばいい。
 光を目指してひたすら二人は暗闇を駆け抜ける。闇の中息を切らし、舞の手を固く握って離さないように、はやては必死に地面を蹴る。
 一歩進むごとに光は近づき、明るい場所に出た瞬間は思わず口に出していた。
「抜けた!」
 裏通りから飛び出してきた二人に、通行人達は訝しげな視線を送るだけで何も言わない。この街では、誰も他者に過度な関心は抱いていないのだ。
はやて達はこれ幸いと、愛想笑いを返して人ごみに紛れた。
 これで逃げ切れた――そう思うとどっと疲れが押し寄せて、二人は壁に手を突いて荒い息を吐き出す。互いに目を合わせると、無性に笑いが込み上げてきた。
「は、ははは……」
「ふふ、ふふふ…………あの、ありがとうございました……」
「あ、ええんよ……。とりあえず……ハァ、話は後にして……何処かで休もか……」
 過度の緊張で、あの程度の距離を走っただけでもまだ心臓が暴れている。浅い呼吸を何度も繰り返し会話もままならない。
「失礼、ちょっとよろしいですか」
 背後からの男の声で、はやての心臓は飛び跳ね、今度こそ爆発するかと思った。
 どうやら、はやてはまだ休めないらしい。ここに追い討ちを掛けられれば、もうどうなるかわからないというのに。
 おそるおそる振り返ると、そこには初老の制服警官が立っていた。肩を上下させる様子からして、追いかけて来たのは彼なのだろう。
「は、はい!」
 声を上擦らせながらも、辛うじてはやては平静を装う。舞はというと緊張して固まっているので、はやてが応対するしかなかった。
「先程向こうの通りでゴミ箱が燃やされていたのですが、セーラー服の少女が逃げるのを見たと言う証言がありまして、2,3お話を……」
 後ろを走っていたのは舞だ。白いセーラー服だけは、逃げる直前に誰かの目に留まっていてもおかしくない。
「いえ……私達は……」
 そこまで言い掛けて、何と答えるべきか躊躇してしまった。
 顔は見られてないだろうから惚けるしかないが、答えを誤って疑われれば、舞があの場にいたことはすぐに調べがつく。迂闊な返答は絶対にできない。
「……随分疲れているようですが、どうしたんですか?」
 様々な可能性が頭の中で渦巻き、言葉に詰まるはやて。なかなか答えない彼女を見る警官の目つきは、徐々に疑念が確信に変わっていく。
「聞いているんですか……? ちょっと――」
 焦れば焦るほど考えが纏まらない。纏まらないことでプレッシャーは更に加速し、はやてを追い込みつつあったその時。

「二人はずっと僕と一緒にいましたよ。今まですぐそこのCDショップに。気になるようでしたら、そこの店員さんに聞いてみて下さい」

 肩にそっと手が触れた。その手に優しく引き寄せるように力が込められ、はやては振り返る。頭一つ高いその人物を見上げた瞬間、
はやては驚きのあまり叫びそうになった。
「李く――」
「それより、お巡りさん。セーラー服の女の子なら向こうに走って行きましたけど……」
 それは翠屋のアルバイト、李舜生。さり気なくはやての肩を抱きながら、はやてを遮って警官の前に出た。
 突然の李の登場に、警官は面食らっている。更に李はあさっての方向を指差し、真っ赤な嘘を吐いた。
それも、当事者でなければはやても騙されそうな程、堂々とした態度で。
 警官は李の指差した方向と李を交互に見る。こういった事態に慣れていないのか、散々迷って李に向き直った。
「あなたは……」
 質問を予想していた李は舞の肩にも手を置き、
「二人の兄です」
 はやてと警官にニッコリと笑いかけた。
「あ、えっと……妹で……姉です!」
 李に合わせて、引きつった笑顔のはやても舞の肩を抱く。
 こうなったら、もうどうにでもなれ――そんなやけっぱちな気分だった。
「あの……僕達もういいでしょうか?」
「あ、ああ……では失礼」
 呆気に取られている警官に李が言うと、彼は一礼してそそくさと李の示した方へ去って行った。
その後姿はどこか滑稽ですらあり、笑いを誘う。
「ぷっ……あははははははは!」
 やがて警官の背中が見えなくなると、はやては道端で大声で笑いだした。
 今だけは周囲の目も気にならない。緊張からの解放も相まってか、テンションは最高。目に映る全てが面白おかしく見えた。

「あー、怖かった。李君――」涙ぐんだ目を擦りながら、はやては右手を掲げる。
「はやてさん?」つられて李も右手を上げた。

 そこへはやてが掌を叩きつけ、パァンと乾いた音が響く。

「ありがとうな、李君!」
 数歩進んで振り返ったはやては、顔に満面の笑みを湛えていた。

「いえ、それより何かあったんですか?」
「うーん……ちょっとな……。って……舞ちゃん?」
 はやてが舞を見ると、まだ呆然としている。唐突に李も登場し、急展開に次ぐ急展開で認識が追い付いていないのだろう。
 はやてと李は顔を見合せて数秒の沈黙、二人同時に笑った。


次回予告
LYRICAL THAN BLACK―黒の契約者―

闇を焼く炎の奥には真なる暗闇があった。火の手を便りに奔るのは、今は無力な一人の少女。
数多の思いは交錯し、閉ざされた街は過熱する。地上に満ちる嘆きを知ることもなく、星は無情の光を放つ。
信じたくはなかった。握り締めたこの手が無知故の蛮勇であると。
そして、光は天空へ昇る……。

第四話 
新星は夜天の空を焦がし……(後編)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年04月20日 18:56