次元世界の中心、ミッドチルダ。
 魔法が発達した世界であり、数多の次元世界を守るための組織である時空管理局が、存在する世界でもある。
 新暦79年。人々は変わらぬ平和を過ごしていたかのように思えた。
 だがしかし、この世界で小さな事件が起きている。ある日突如として現れた、ハイディ・E・S・イングヴァルトと名乗る謎の人物。
 毎晩、イングヴァルトは格闘技の有段者達を襲撃しているという自体が多発している。幸いにも事件扱いにはなっていないが、時空管理局としても黙って見ているわけにはいかない。
 実際操作の手を広めたが、イングヴァルトが発見されたという例はゼロ。被害は拡大する一方。
 そこで時空管理局は、この事態に対して異世界に存在するスーパーポリスマンに協力を要請した。
 特殊刑事課と呼ばれる、ハードで最強の男達に。





 その晩は、人通りの少ない街路が月明かりに照らされていた。
 夜空は二つの満月と肉眼でも見える惑星、及び無数の星々で輝いている。全てが、まるで芸術品のように美しかった。
 それらの下では、本来平和な静けさに包まれているかもしれない。

「ぐああああぁぁぁぁぁっ!?」

 しかし、それを打ち破る絶叫が響く。
 声の主である男は、勢いよく壁に叩き付けられた。体格は筋骨隆々としており、一流の武道家であるという雰囲気を醸し出している。
 だがそんな彼が破れた。目の前に立つ、一人の少女によって。
 その顔立ちは端整なフランス人形のように整っており、美しかった。普段、それを隠している筈のバイザーは、足元に転がっている。
 赤いリボンで二つに纏められている、腰に届くほどの長さを持つ明るい緑色の髪。年相応の体を包む白と緑を基調としたバリアジャケットと、しなやかな脚部に履かれた白いソックス。

「まだだ……まだ、これじゃ悲願は果たせない」

 夜風に長髪が揺れる中、その表情が憂いで歪む。ハイディ・E・S・イングヴァルトと名乗った彼女、アインハルト・ストラトスはたった今倒した男から目を離し、その場を後にした。
 これでは、覇王の悲願を果たすことなど出来ない。ベルカに存在する全ての王を倒し、この身体に流れる血と自身の格闘術――覇王流(カイザーアーツ)――が最強である事の証明こそが、自分自身の存在意義。
 だからこそ、名うての実力者達を倒してきた。でもこれじゃあ、まだ足りない。聖王オリヴィエの末裔や、冥王イクスヴェリアを捜し求めてこの手で倒す。
 そうしなければ、意味が無い。
 微かな溜息を漏らし、アインハルトは人気の無い闇の中を歩く。その最中だった。

「――見つけたぞっ! 通り魔!」

 直後、闇の中より気配を感じると同時に、大声が放たれる。
 大気を切り裂くような音も聞こえ、アインハルトは反射的に構えを取り、上を見上げた。すると、輝く満月を背に一つの人影が写っている。
 それを見て、アインハルトは夜空より迫るのが凄まじい敵意であることを感じ、反射的に背後へ跳んだ。直後、彼女の立っていた場所から、何かが砕けるような音が聞こえる。
 鼓膜に響いた轟音から、相手は只者ではないとアインハルトは思った。彼女はそのまま、襲撃者の方に振り向く。
 その直後、彼女は驚愕で目を見開いた。

「えっ……!?」
「お前か」

 目の前に立つのは、一人の男。
 鷹のように鋭い瞳を、アインハルトに向けていた。二つの目からは凄まじい威圧感が放たれていて、凄腕だろうと震え上がらせてしまうような雰囲気を放つ。
 だがしかし、アインハルトはそこに気を向けていなかった。現れた男の格好が、あまりにも有り得なかったため。
 オールバックの黒髪、太い眉毛、赤と黒の二色を持つネクタイ、右手首に巻かれた時計、右肩と左足に付けられた拳銃のホルダー、二足の革靴。ここまでは普通かもしれなかった。
 問題なのは、男の筋肉が露わになっていた事。筋骨隆々としており、無駄な脂肪が一切見られない。見るだけで、強者である事を窺わせる。
 だが、それがまるで隠されていなかった。男が身に纏っているのは「きたの」と名前が書かれた、黒い海パンのみ。
 小学生がプールの授業で履くような代物で、男から感じられる厳格な雰囲気とはまるで合っていなかった。しかも、異常なまでに股間がモッコリとしている。
 この男は変態。それが、アインハルトが抱いた第一印象だった。

「ここ最近、格闘技の有段者達を次々に襲っている、ハイディ・E・S・イングヴァルトとは」

 その異様さにアインハルトが呆然としていると、男は口を開く。その声には凄みがあり、瞳と同じく圧倒的な迫力が感じられた。
 しかしアインハルトは、蹴落とされずに構える。

「……貴方は、一体何者ですか」
「質問をしているのは私だ。イングヴァルトとはお前の事か?」
「否定はしません」

 そして、彼女は男の問いかけに淡々と答えた。
 目の前に現れたのは、新たなる敵。しかも、全く知らない相手だ。海パン一丁で戦う男など、聞いた事がない。
 だが何者だろうと自分と戦うのであれば、それ相応の礼儀で答えなければならない。
 進む道の果てに待つ、覇王の悲願を果たすために。

「やはりそうか……ならば、これ以上罪のない人々を傷つけさせるわけにはいかん」
「そうですか……でも、私も負けるわけにはいきません」
「ほう、ならばどうするつもりだ?」
「決まっています」

 言葉と共に、アインハルトは姿勢を低くする。そして、勢いよく跳躍した。
 夜の冷たい空気が、大きく振動する音を耳にする。そのまま、弾丸の如く突進した彼女と男の距離は縮む。
 神速と呼ぶに相応しい動きの中、アインハルトは腰を勢いよく回す。男との距離が零になった瞬間、左の拳を放った。
 空気を裂くような勢いで、男の顔面に叩き付けようとする。今まで数え切れないほど、屈強な男達を倒してきた自慢の拳。
 今回も同じように、現れた変な男を叩き潰す!
 しかし、アインハルトのそんな思いは届かなかった。固く握った拳が当たろうとした瞬間、男は首を僅かに横へずらす。
 それだけで、打撃を回避したのだ。アインハルトは微かに驚愕を感じながらも、二発目を放つ。だが男は頭部を傾けるだけで、またしても呆気なく避けた。
 アインハルトは攻撃の目的を変える為に視線を下へ移して、脇腹にフックを放つ。しかし男が体制を横にずらした事で、空振りに終わった。
 彼女は矢継ぎ早に、四肢をフル活用して拳や蹴りを数え切れないほど振るう。だがその全てが、男に掠りさえもしなかった。
 一発一発をこちらが放つ速度より、上の動きで避けている。

「まて、落ち着くんだ」
「くっ!」

 攻撃を躱す男は呟くが、そんな事を聞くつもりは無い。アインハルトは敵を倒すことだけを一心に、攻撃を続ける。
 鍛えられた脇腹に蹴りを放つが、またしても避けられた。裏拳や手刀も、全力を込めて放つ。
 しかし一向に当たる事は無く、夜風が震える音だけが響いた。それを耳にして、彼女の中で焦りが生まれていってしまう。
 それなりに拮抗する相手と巡り会った事はあるが、これ程のフットワークを誇る戦士など知らない。
 恐らく、純粋な身体能力なら自分を凌駕するだろう。認めたくないが、そこには純粋に敬意を感じなければならない。
 だからといって、負けるつもりなど毛頭無かった。

「やああぁぁぁぁぁっ!」

 気合いの声と共に、鋭いストレートの一撃を放つ。しかし、避けられるという結果が変わる事はない。
 このままではラチがあかないと思い、彼女は一旦背後に飛んだ。それによって、アインハルトと男の距離が数歩分開く。
 後ろに下がった彼女の息は、乱れていた。予想外の動きを見せる相手にペースが崩され、動きの中に焦りが生じた故。
 それとは対照的に、目の前の男は平然と佇んでいる。それにアインハルトは苛立ちを感じ、怒りで表情を顰めた。

「なるほど、なかなかキレのある拳と蹴りだな」

 互いの目線がぶつかり合い、夜風だけが聞こえる中。突如、男が静かに呟く。

「どうやらただの通り魔ではなさそうだな……お前の一撃からは、信念が感じられる」
「そうですか……貴方こそ、一筋縄ではいきませんね」
「だが、無駄な戦いは止めるんだ。こんな事を続けていても、無意味だ」
「貴方にとっては、そうかもしれません。ですが、私にとっては大いにあります」

 その瞬間、アインハルトは身体の底に力を込めた。
 この男は、やはり圧倒的強さを誇っている。これまで倒してきた男達など、まるで比較にならないほど。
 このまままともに戦っても、勝てる見込みは薄い。

「……どうやら、このままでは貴方に勝てそうにありません。貴方はそれほどまでに強い」
「ほう」
「ならば、私は私の全てを出して、貴方を打ち破ります」

 冷たい一言と共に、アインハルトは魔力を開放。一瞬で拳に流れ、闇を切り裂く輝きを放つ。
 それは彼女が、これまで数多くの勝利を得るために繰り出した最大の奥義。
 先祖代々より伝わる、覇王の強い血を持つ者だけが扱う事を許される必殺技。
 魔力の光に目をくらまされたのか、男の瞼が少しだけ狭まるのが見える。それを好機と察して、アインハルトは地面を蹴った。

「むっ!?」
「覇王――」

 弾丸をも上回る速度で、彼女は疾走する。己が信じる名前を、大きく告げながら。
 自分の力を、全てを拳に込めてアインハルトは走る。目の前の敵を倒し、自分が上である事を証明するために。そして、覇王が最強である事を証明するために。
 それが今の自分の、存在理由だから!

「――断空拳ッ!」

 やがて男の目前にまで迫った瞬間、アインハルトは拳を繰り出した。それは引き締まった筋肉に容赦なく叩き付けられ、凄まじい衝撃を生む。
 男の身体は吹き飛び、雷のように盛大な轟音を鳴らして夜の闇を揺らした。大量の粉塵が沸き上がり、冷たい風によって広がっていく。
 手応えは、確実にあった。この技は今まで戦った全ての者を倒してきたのだから、当然。
 そう思った瞬間、彼女の膝は一気に崩れて地面に落ちる。いくら勝ったとはいえ、最後まで得体の知れない男だった。もしもこれ以上関わっていたら、自分の中の何かが壊れていたかもしれない。
 だが、もう終わった事だ。何よりもあんな男なんか、これ以上思い出したくない。
 今日は早く帰って、体を休めよう。勝利を確信したアインハルトは立ち上がり、その場を立ち去ろうとした。

「フフフハハハ……なるほどな」

 その直後、あの声が聞こえてくる。
 アインハルトはそれに反応して、瞬時に振り向く。見ると、粉塵の中からゆっくりと立ち上がってきた。先程断空拳を叩きつけたはずの、男が。
 その顔に浮かべている不敵な笑みを見て、アインハルトは戦慄する。あの技を受けて立ち上がる者がいる事が、信じられなかった為。
 男が叩きつけられた地面のアスファルトは陥没しているから、確実に食らっていた筈。だが、男の身体に見えるのは僅かな砂埃のみ。
 傷なんてものは、まるで見えなかった。

「う、嘘……!?」
「良い技だ、まさか我が汚野家秘伝のオイルを塗ったこの身体を吹き飛ばすとは……やはりお前の力は本物のようだな」

 あの一撃を受けたのにも関わらず、眼光と声からは未だに強い覇気が感じられる。それを向けられて、アインハルトは一瞬だけ震えた。
 まるで蛇に睨まれた蛙のように。アインハルトはそんな今の自分に気づくと、すぐに抱いた恐怖を振り払った。
 そして、男を睨み返す。

「貴方は……貴方は一体何者なんですか!?」
「そういえば、私としたことがまだ名乗っていなかったようだな」

 アインハルトが疑問を叫ぶと、男は歩みを止めた。

「股間のモッコリ伊達じゃない!」
「っ!?」
「陸に事件が起きたとき、海パン一つで全て解決!」

 そして、胸を堂々と張りながら叫びだす。異様な行動に、アインハルトは目を見開いた。そんな彼女のことなど構いもせず、男は言葉を続ける。

「特殊刑事課三羽烏の一人!」

 やがて、悠然とした態度で力強く名乗りを上げた。
 その男は、アインハルトが知らない世界から現れた、特殊刑事課と呼ばれるエリート刑事集団の一員。警視庁では警部補の位を持ち、特殊刑事課会員番号1番に任命された男の名は、汚野たけし。
 そしてもう一つ、人々を守ると決意した際に背負った名前がある。その名は――

「海パン刑事だあっ!」

 男は圧倒的な威圧感を込めながら、海パン刑事の名前を大きく告げた。声に含まれた物を感じて、アインハルトは確信した。
 海パン刑事と名乗ったこの男は、やはりとんでもない変態。それでいて、とんでもない強さを持つ戦士だ。断空拳を受けても尚、立ち上がるのだから間違いない。
 しかしそれでこそ、身体に流れる覇王の血が熱くなる。これほどの強者と戦えるのだから、喜ばないわけが無い。
 アインハルトの感情は徐々に高ぶっていく、その最中だった。突如、ピピピと軽い音が鳴り響く。
 海パン刑事は身に付ける腕時計に目を移して、脇のスイッチを押してアラームを止めた。突然の出来事にアインハルトが怪訝な表情を浮かべる中、海パン刑事は自身のパンツに手を突っ込む。

「えっ!?」
「失礼、エネルギー補給の時間だ」

 そして、その中からバナナを取り出して、皮を剥く。
 パンツの中から、出てきたバナナ。そんなワードが頭に思い浮かび、アインハルトの顔は思わず赤くなってしまう。一方、海パン刑事は中身の果肉を口に含んだ。
 何故、あんな所にバナナを入れていたのか。あんなのをパンツに入れたまま、戦っていたというのか。そして、何故あんな所から出した物を食べられるのか。
 有り得ない。断じて、有り得ない。アインハルトの中で疑問が広がる中、海パン刑事はバナナの皮をパンツの中に戻した。
 中身を食べ終えた彼は、肩と足首に付けた拳銃を地面に放り投げる。

「どうやら、お前に敬意を示して私も全てを出さなければならないようだ」
「えっ?」

 告げられた言葉に、アインハルトはぽかんとした顔を浮かべた。一方で海パン刑事は、パンツの両サイドに手をかける。
 そのまま一気に下ろして、それを放り投げた。

「あ……っ!」

 パンツの下から現れた物を見て、アインハルトは思わず目を見開いてしまう。海パン刑事が、正真正銘の全裸になったため。

「な、な、な、な、な、な、なっ……!?」

 それによって見える物は一つ存在した。股間から天に向かって伸びた棒、棒に濃く浮き上がる血管、二つの球が隠されている袋、それらの真上に生えた大量の縮れ毛。
 それは男ならば皆、一年間で一日たりとも見るのを欠かさないかもしれない存在。
 それは例えられるのに、ソーセージやマンモス等様々な物が使われる存在。
 それは男にとって、排泄などに使われる存在。
 それはメディアで映し出されたら、高確率でモザイクに隠されてしまう存在。
 それはアインハルトにとって知識で得ているが、実際に目で見た事がない存在。だから彼女は、絶句するしかない。

「なああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 そう、それは『男の証』である。海パン刑事の『男の証』を見て、アインハルトは凄まじい悲鳴を発した。
 そして、頬が真っ赤に染まってしまう。普段の彼女からは、まるで想像出来ないような様子だった。
 それでもアインハルトは、何とかして平静を保って海パン刑事を睨む。しかしその瞳からは、うっすらと涙が溢れていた。

「な、なんで裸になるんですかっ!?」
「何を言う、我々人間は生まれたときは裸だろう? それに動物は皆、裸で生きている……私は自然の摂理に従うまでだ」
「……ッ!」

 あまりにも突拍子も無く、常識から外れた理論にアインハルトは言葉を失う。
 海パン刑事は『男の証』を晒して、恥ずかしがる気配を見せない。むしろ、誇っているようにも感じられた。
 アインハルトは海パン刑事に対する羞恥と、先程自分が抱いた感情に関する失望を抱いてしまう。あんな男を、一瞬でも尊敬してしまった自分が恥ずかしかった。 
 だが怒りよりも、それを遙かに上回る動揺によって彼女の身体は動かない。そんな中、海パン刑事は得意げな表情で両腕を広げながら、足を進めた。
 一歩、また一歩と進むたびに『男の証』もブラブラと揺れながら近づいていき、アインハルトの瞳に大きく映ってしまう。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
「恐れる事など何も無い。私は君と話し合いたいだけだ、友達になるために」
「なりたくありません!」

 アインハルトは全力で否定した事で、思わず構えを崩してしまう。
 海パン刑事はこれまでとは違って優しく語りかけるが、とても信じる事など出来ない。全裸になって『男の証』を晒す奴の言う事など、まず耳にする事自体が不可能だった。
 仮に真実だとしても、こんな男と友達になんてなれるわけがない。いや、なりたくなんてない。もしもなってしまったら、覇王の血が泣くに決まってる。
 これ以上、巨大な『男の証』を直視するなど、まだ11歳の彼女には到底耐える事が出来なかった。生理的な嫌悪感を感じてしまい、思わずアインハルトは両手で顔を隠してしまう。
 それが、致命的な隙となってしまった。

「今だっ!」
「えっ!?」

 その刹那、海パン刑事の鋭い声が聞こえる。同時に凄まじい敵意が襲いかかるのを感じ、アインハルトは顔を上げた。
 すると、陸上選手のように身体を低くしながら走る海パン刑事の姿が、彼女の瞳に飛び込んでくる。その速度は韋駄天のようで、瞬時に距離が縮んでいった。
 疾走する海パン刑事と目が合った瞬間、アインハルトの全身に悪寒が走る。このままだと何をされるか分からない。少なくとも生きて帰れるとは思えなかった。

「う、うわあぁぁぁぁっ!」

 アインハルトは絶叫に近い悲鳴をあげながら、勢いよく拳を振るう。しかし当たろうとした瞬間、海パン刑事は跳躍した。
 それを追うために、アインハルトは上空を見上げる。すると、海パン刑事の『男の証』が大きく見えてしまい、彼女は一瞬だけ固まった。
 それがまた、致命的な隙となってしまった。

「海パン・キイィィィィィィィクッ!」

 海パン刑事は大きく叫び、右足を向けながら急降下した。その勢いは凄まじく、硬直していた事もあって回避が間に合わない。
 迫り来る跳び蹴りを見て、アインハルトは両腕を交差させてガードの体勢を取った。海パン刑事の足は両腕に激突し、鈍い音を鳴らす。
 腕が引きちぎられてしまいそうな激痛を感じてしまい、アインハルトは悲鳴を漏らしながら、数歩だけ後退った。それほどまで、海パン刑事の一撃は重い。
 だが、止まっている暇など無かった。ここで動かなければ敗北に繋がってしまう。色んな意味で。
 アインハルトは何とか足元を安定させて、海パン刑事に振り向く。その間がまた、致命的な隙となってしまった。

「え――?」

 彼女の目に飛び込んできた物。それは、大の字となって高く跳び上がる海パン刑事の姿だった。
 そして、彼の股間が頭の高さまで昇っているのを、アインハルトは見てしまう。何事かと彼女は思った瞬間、顔面に『男の証』が激突した。
 グニュリ、と柔らかい物が潰れるような音を鳴らして。

「が、あ……ッ!?」

 海パン刑事の一撃を受けて、奇妙な呻き声と共にアインハルトは背中から倒れる。それは物理的衝撃は当然の事、彼女の精神にも多大なダメージを与えていた。
 アインハルトの視界を埋め尽くすのは、生暖かさを感じる人肌。そして、放たれる爽やかな香り。アインハルトは現状を認識していたが、認めたくなど無かった。
 自分の顔面が今、海パン刑事の『男の証』を受け止めている事を。

「む、むぅぅぅぅぅぅぅぅむぅぅぅ!」

 夜の闇を、言葉にならない絶叫が切り裂いた。いや、声を出す事など出来ない。
 彼女の唇は、海パン刑事の『男の証』によって塞がれていたからだ。象徴とも呼べる棒が口の中に入っていないのは、不幸中の幸いかもしれない。だが、彼女にとっては何の慰めにもならなかった。
 アインハルトは四肢をばたつかせて足掻くも、何も変わらない。海パン刑事の『男の証』が、彼女の顔面を圧迫するだけだった。

「んんんんんううぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 地面の上で、手足が何度も暴れる。何度も藻掻く。
 もはや、まだ生きているから戦えるなどという問題ではない。アインハルトの中に宿る、オンナノコとしての部分が断末魔の叫びをあげ続けているのだ。
 彼女はまだ性の知識に関しては、あまりにも乏しい。そんなアインハルトに対して、何の勉強も無しに『男の証』を顔にぶつけるなど、拷問以外の何者でもなかった。

「んんんんんんんぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 暴れている内に、次第にアインハルトは息が苦しくなるのを感じる。
 零距離に存在する『男の証』によって、呼吸の自由までもが奪われていた。『男の証』の進入を防ぐため、反射的に口を閉ざしたがこういったデメリットもある。
 だからといって今、呼吸をする事なんて出来るわけがない。もしそんな事をしてしまっては、海パン刑事の『男の証』が口の中に――
 アインハルトはその先から考えるのをやめた。それは想像しただけで吐き気を促したため。
 だがこのままではそこに到達するのも時間の問題。そんなのは、死んでも嫌だ!

「んんんむううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 アインハルトは錯乱しながらも、残る全ての魔力を右腕に込める。視界が『男の証』に遮られてはっきりしない中、拳を振り上げた。
 その直後、海パン刑事の『男の証』が目前から消えて、変わりに綺麗な星空が瞳に映る。
 アインハルトはすぐさま体を起こした。

「ぶはあぁっ! ……はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 ようやく取り戻せる酸素を精一杯吸っては吐く。しかしアインハルトの呼吸は、明らかに荒くなっていた。
 『男の証』が顔に激突する。それは、彼女にとってあまりにも残酷すぎた。
 しかし終わりの時が訪れたわけではない。彼女の聴覚は一つの足音を捉える。それでアインハルトは反射的にピクリ、と身体を震えさせた。
 恐る恐る、彼女はゆっくりと振り向く。そして見つけてしまった。
 未だ『男の証』を、堂々と晒している海パン刑事を。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ……ああ、っ!?」
「まさか私のゴールデンクラッシュを受けても尚、抵抗出来るとは」
「い、嫌あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 海パン刑事の言葉には驚愕が混ざっていたが、アインハルトにとってはどうでもよかった。この男がまるで獲物を狙う獰猛な肉食獣に見えて、彼女は更に絶望してしまう。
 そして、彼女の心は恐怖に埋め尽くされてしまい、瞳からポロポロと涙を流し出した。もはや、アインハルトの精神は限界をとっくに迎えている。
 こんな男にこれ以上関わりたくない。こんな男をこれ以上見たくない。
 いや違う。そもそも今は現実ですらないんだ。
 目の前で起こっているのは、ただの夢。目の前に立っている男は、ただの幻。目の前から聞こえる声は、ただの幻聴。
 アインハルトはついに、現実逃避にまで陥ってしまった。しかし辺りから感じる夜風の冷たさと、地べたの感覚がそれを否定する。
 それだけでなく、目の前から迫る海パン刑事の足音も、これが夢や幻などではない正真正銘の現実であると教えていた。

「や、やめて……! もう、やめて……! 来ないでっ……! 来ないでぇっ……!」
「必殺のゴールデンクラッシュを耐えるという事は、やはり君は正真正銘の戦士のようだ……!」
「ひっ、ひっ、ひっ、ひいぃぃぃぃぃぃっ!」

 恐怖で震えるアインハルトは泣きながら懇願するが、海パン刑事は笑いながら近づいてくる。『男の証』を前にした彼女は腰を抜かしてしまい、四肢で後退るしかできない。
 海パン刑事の言葉は耳に届いているが、その意味を受け取る余裕など既になかった。
 度重なるダメージによって、立ち上がる事が出来ない。もしも今、そんな事が出来たのならアインハルトは迷わずこの場から逃げていただろう。
 今の彼女は、誇り高き覇王の末裔ではない。理性も矜持も完全に壊され、恐怖に震える一人の少女。それほどまで、アインハルトの心は絶望に蝕まれていた。
 もっとも、一体誰がそんな彼女を責める事が出来るだろう。誰だって、今のアインハルトと同じ状況にまで追い込まれてしまったらこうなるしかない。
 もしも何も知らない人間がこの光景を見たら、全裸となった男が強姦魔として一人の少女を襲っているように見えるだろう。恐らく、百人中百人。
 しかし現実は、異世界より現れた刑事が通り魔を逮捕する為に戦っているという、全く正反対の出来事だった。

(助けて……助けて……助ケテ……タスケテ……たすけて……!)

 これまでたった一人で戦ってきたアインハルトが求めたのは、救いの手。だが、学園でも物静かな雰囲気を放ち、他者とのコミュニケーションは必要最低限程度しか取らなかった彼女を助ける者など、誰もいない。
 最早、アインハルトに待つのは絶望のみ。それを察した彼女の歯は、ガチガチと音を鳴らしていた。
 その時だった。どこからともなく冷たい風が吹いてくる。その直後、海パン刑事のネクタイが首から離れて宙を舞った。

「むっ!?」
「えっ!?」

 それに二人は、一瞬だけ驚愕する。
 アインハルト自身は気付く事は出来ないが、それは『男の証』を押しつける海パン刑事への抵抗の結果。放った拳自体は当たる事はなかったが、込められた魔力がネクタイの一部を引き裂いていた。
 それはアインハルトにとっては、あったからといってどうという事もないかもしれない。しかしそれが彼女をこの危機から救う事になった。

「い、嫌……」
「へっ?」
「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 凄まじい悲鳴が辺りに響き渡る。これまでとは違ってアインハルトではなく、海パン刑事が顔を真っ赤に染めていた。
 これまで感じられた強者の雰囲気から一転、まるで無理矢理服を脱がされた少女のように。

「オウ、マイガアアァァァァァァァァァァッ!」

 先程までネクタイがあった所を両腕で隠しながら、海パン刑事は脱兎の如く逃げ出した。そして、すぐに見えなくなる。
 あまりにも唐突な変貌に、アインハルトはぽかんと口を開けた。一瞬、何かの罠かと思ったが、彼女はようやく安堵する。
 そして、よろよろと手摺を支えに立ち上がった。

「よ、よかった……助かった」

 彼女は純粋な意味で、息も絶え絶えながらにそう呟く。
 助かったという事実に、生きているという事実に、素直に喜んでいた。今のアインハルトに、戦意や敗北に対する憤りなどは微塵もない。
 海パン刑事から開放される。たったそれだけが、アインハルトに生きている喜びを感じさせていた。
 不意に彼女は、首を横に動かす。そこには、夜空の輝きに照らされた海が広がっていた。

「綺麗……」

 普段は何とも思わなかったそれが、やけに美しく見える。まるで、無数の宝石が散らばっているかのように思えて。
 アインハルトは涙を拭わないまま潮風を浴び、海を眺め続ける。今日は夜なのに35℃を超えて結構暑いが、そうしていたかった。
 それが失敗である事を知らずに。

「ん……?」

 海の美しさに見入っていた彼女の瞳は、ある物を見つけた。少し離れていた場所で、不自然に海水が盛り上がっているのを。
 何だろうと思った瞬間、花火のようなな爆音が唐突に響いた。それによって盛大な水柱がそこから立ち上り、大量の海水を辺りに散らす。
 そして、地面も大きく揺れた。

「きゃあっ!」

 突然の衝撃に、惚けていたアインハルトは驚愕のあまりに尻餅をついてしまう。安心しきっていた事で油断してしまい、それに反応出来なかった。
 雨水のように降り注ぐ大量の海水に、彼女の体は濡れてしまう。一体何が起こっているのか、まるで分からない。
 更なる疑問が生まれようとした瞬間、揺れる海の中から一機の潜水艦が現れた。それがアインハルトの視界に現れると同時に、上部のハッチが勢いよく開く。
 すると、そこから虹色の光が溢れ出してきた。

「タ~~ララ~~ラ、ラ~~ララ~~!」
「!?」
「海を愛し、正義を守る! 誰が呼んだかポセイドン! タンスに入れるは、タンスにゴン!」

 辺りを照らす輝きの中に、回転している人型のシルエットが見える。回れば回るほど、人影の姿がはっきりと映ってきた。
 潜水艦から現れたのは、口髭と眉毛を生やし、まるでトドのように体型が丸い中年男性。
 茶色のリュックサック、上着だけの水兵服と赤いスカーフ、両足に履かれた白い靴下と下駄、見慣れない五角形のマークが刻まれた褌。
 いきなり現れた男の格好に、アインハルトはデジャブを感じてしまい、軽い悲鳴を漏らす。さっき逃げ出した海パン刑事のように、この男もまた『男の証』を隠す褌以外、ロクに服を着ていなかったから。

「タ~~リラ~~ララ~~ララ~~! 私は水上警察隊隊長、海野 土佐ェ門!」

 そして海パン刑事のように、堂々と宣言する。すると、海野 土佐ェ門と名乗った男の額に、イルカのようなマークが現れた。
 それだけでなく、禿げた頭の上にちょこんと小さなヤシの木。そして口にくわえられるように、パイプ煙草までもが出現する。
 現れた男、海野 土佐ェ門は海パン刑事と同じように、アインハルトの知らない世界で生きる特殊刑事課の一人。警視庁特殊刑事課会員番号5番に任命され、警視の階級を持つ。
 イルカの調教師、ガラス職人、漫画家の職業を経た末に、刑事になった彼にもコードネームが与えられていた。

「お茶目なヤシの木カットがトレードマークの、ドルフイイイイイィィィィィン刑事だっ!」

 決めポーズを取りながら、ドルフィン刑事は潜水艦の上で大きく名乗る。それを聞いて、呆然としていたアインハルトはハッとしながら、ようやく立ち上がった。
 しかしその表情は、完全に怯えで染まっている。ようやく海パン刑事がいなくなったと思ったら、また似たような変態が出てきた。
 もしもここでドルフィン刑事とか言う奴の相手をしていたら――考えるだけでも、鳥肌が立ってしまう。今度こそ、命を落としかねない。
 震えるアインハルトは、ほんの少しだけ後退る。その直後だった。

「ムーンライト・パワー! メエェェェイクッ! アァァァァァップ!」

 何処からともかく、ドスの効いた男の声が聞こえてくる。それに流れるように、奇妙な音楽も聞こえてきた。
 一昔前に放送された、魔法少女アニメの変身シーンに使われるような、とても軽快で控えめながらも華やかさを持つBGMが。

「えっ、えっ、えぇっ!?」

 度重なって起こる奇妙な出来事を前に、アインハルトは動揺しながらキョロキョロするしか出来ない。
 いきなり聞こえた声に、訳の分からない音楽。それがアインハルトの不安をより一層、煽る事になる。
 次の瞬間、上空より二つの気配を感じた。何をすればいいのか分からないまま、彼女は反射的に上を見上げる。
 二つの満月を背に現れたのは、筋骨隆々とした肉体をセーラー服で纏い、逞しい髭を生やした二人組の男。
 それもただのセーラー服ではない。1990年代に大ヒットを巻き起こし、今なお絶大な人気を誇る美少女戦士が変身した際に着るようなコスチュームを。
 そして、男達はアインハルトの前に着地した。

「華麗な変身、伊達じゃない! 月のエナジー背中に浴びて、異世界に巣くう悪を撃つ! 月よりの使者、月光刑事ッ!」

 三日月の模様があるフライトガールが被るような桃色の帽子、そこから流れる黒いツインテール、角張った金色の眼鏡、帽子と同じ色を持つリボンとスカート。
 彼もまた、ミッドチルダとは違う世界から現れた、正義を志す男だった。コスチュームチェンジをする事で、七つの特殊能力が使えるようになる特殊刑事の一人。
 聖羅 無々の名前を持つ、満月の時のみ出動する刑事。月光刑事。

「同じく、美茄子刑事!」

 そして彼の相棒である、黄色のスカートと緑色のリボンを胸に付けた男も、美茄子刑事の名を堂々と名乗った。

「「只今、見参ッ!」」

 満月の空を守る二人の男は、力強くポーズを決める。それは夜空に浮かぶ満月のような、圧倒的存在感を放っていた。
 同時に、何処から流れてくるのか分からないBGMも止まる。

「……」

 ヒュウゥゥゥゥゥ、と音を立てながら冷たい風が流れた。
 アインハルトはそれを、唖然とした表情で見るしかできない。だが彼女は、自分のするべき行動を瞬時に導き出す。
 突然現れた、三人組の変態。褌一丁が一人と、セーラー服が二人。多分、いや絶対に海パン刑事の仲間だ。
 本能でアインハルトはそう察する。そして、彼女の脳裏に蘇る光景。目前に『男の証』が大きく映り、顔面に勢いよく叩き付けられた。
 悪夢という言葉すらも生温い記憶に、アインハルトの瞳から涙が蘇っていく。

「……い、い、いっ、嫌ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そして彼女は背中を向けて、一目散に逃亡した。それも神風のように全力全開のスピードで。
 今の彼女に、ドルフィン刑事や月光刑事や美茄子刑事を潰すという選択肢を取るなど、死んでも出来なかった。
 もしここでそんな選択を取ったらどうなるか? 考えるまでもない、今度こそ命を落としてもおかしくない。
 その恐怖でアインハルトの生存本能が覚醒し、走る速度を一気に上昇させた。

「「「逃がさんぞっ! 通り魔!」」」
「ひいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 男達の厳つい声が聞こえる。ババババババ、と巨大なプロペラが回転するような音も聞こえる。
 それを聞いて彼女は振り向いたが、すぐに前を向いた。後ろから夜空を背に、巨大な戦闘機が夜空を背に現れたため。
 あれはずっと前に読んだとある本で見覚えがあった。確か異世界に存在する戦闘機で、月光とかいう名前だったはず。
 だから月光刑事なのか、と一瞬だけアインハルトは思った。しかしすぐに思考を振り切る。
 まるで何かが爆発したかのような轟音が、次々と後ろから聞こえてきたからだ。

「ぎええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 あまりにも奇妙な悲鳴をあげるアインハルトの顔は、既に涙でぐしょぐしょになっていた。
 彼女はひたすら走る、走る、走る。しかしあの爆発音は立て続けに聞こえる。一度爆発する度に「月に変わってお仕置きよ!」や「全力全開!」なんて月光刑事の言葉が聞こえてくる気がするが、まともに聞いてはいけない。
 話を聞く末に待っているのは、破滅だけ。

「助けてくださ~~い! おまわりさ~~ん!」

 やがてそんなアインハルトの悲鳴が、夜のミッドチルダに駆け巡ったそうだが真相は定かではない。





 ドルフィン刑事の乗る潜水艦から、数え切れないほどのミサイルが放たれる。月光刑事と美茄子刑事が乗る月光には変なレーザー砲が付けられていて、そこからまた変な光線が発射された。
 その標的は、緑色の長髪を揺らしながら逃げまどう一人の少女。だが攻撃の範囲はあまりにも凄まじく、周りの物を容赦なく破壊していた。
 まるでテロリストのように悪質に見えるが、その本質は刑事なので尚更タチが悪い。
 そんな地獄のような光景を、一人の男が呆れた表情で少し離れた位置から眺めていた。黒い角刈りの髪型、異様なまでに太いカモメのような形をした眉毛、ゴリラのように逞しいが妙に低い背丈、それを包む警察官の制服。
 亀有公園前派出所に勤務する警察官、両津勘吉巡査長は溜息を付いた。そこには、通り魔に対する同情も少しだけ込められている。

「よりにもよって史上最悪の変態集団に狙われるとは……なんて、運の悪い通り魔だ」

 ある日、いつものように適度にサボりながら適度に交番勤務をしていた時。特殊刑事課の連中が急に派出所に現れて、自分をこんな所に連れてきた。
 どうやらこのミッドチルダとか言う世界で、あのハイディ・E・S・イングヴァルトとかいう女が人々を襲っているようだから、その逮捕に無理矢理協力されられる。
 その割には、調査などはほとんど特殊刑事達が済ませたので、自分の出番はほとんどなかったが。

「……やれやれ、わしはこんな貧乏くじを引く役かよ! ちくしょう!」

 やがて両津は八つ当たりのように、道端の石ころを蹴る。それは数回地面を跳ねた後、草むらの中に消えていった。
 そして彼は、すぐそばで蹲っている全裸の男に振り向く。今まで何度も煮え湯を飲まされてきた変態、海パン刑事へと。
 その外観からは普段の偉そうな調子は微塵も感じられず、まるで全裸を見られた女子高生のように羞恥に染まっていた。それもそのはず、今の海パン刑事にはネクタイが巻かれていないため。
 どういう理由かは知らないが、海パン刑事はネクタイを取られると急に恥ずかしくなってしまうようだ。しかも『男の証』は決して隠そうとせず。
 だがこんな海パン刑事を人前に出すわけにもいかない。横暴で姑息な両津だが、一応最低限の良識は持っていた。

「ほら海パン、行くぞ!」
「いやあぁぁぁぁん! 離してよ、エッチ!」
「お前が言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 胸を隠しながら蹲る海パン刑事の腕を引く両津は、鬼のような顔で怒鳴る。
 前々から思っていたが、こいつらは非常に鬱陶しい上に面倒くさい。おまけに何度、とんでもない目に遭わされたか。
 正直、特殊刑事課とまともに関わっては命がいくつあっても足りない。本音を言うなら、こんな状態の海パン刑事を引き連れるのも嫌だ。でも、ここでこいつを見捨てたら何をされるか分からない。
 だから無理矢理にでも、引き連れる必要があった。
 両津が海パン刑事を引っ張る中、胸ポケットから振動を感じる。彼はそこに収納されている携帯電話を取り出し、もう片方の手で通話に出た。

「もしもし?」
『もしもし両津さん、そっちはどうですか?』
「おお、ランスターか。今ドルフィンと月光達が、犯人を追っている所だ」

 向こうから聞こえるのは、この世界の案内をしてくれたティアナ・ランスター執務官。特殊刑事達なんかとは違って、まともな常識人だ。
 加えて、この世界に来てからイングヴァルトを捜索するとしても、自分をあんな奴らとは別行動をさせてくれたので、マリアのように良心溢れる人物でもある。

『そうですか、引き続き追跡を続けてください。私達もすぐに向かいますから』
「わかったよ」
『それと、両津さん……一つ言いたい事があるのですが』
「ん、何だよ?」
『えっと……人事には恵まれてないかもしれませんが、どうか気を落とさないでください。悪い事ばかりが続くわけじゃありませんから。それでは、失礼します』

 そう言い残すと、ティアナは電話を切った。それを聞いた両津は、何とも言えない気分となる。
 特殊刑事課の奴らによって、連れてこられた自分に同情してくれるのは結構だが、あの言葉からすると同僚と思われていた。だとすると、逆に悲しくなってくる。

「……とにかく、行くぞ。海パン」

 やがて両津は溜息を吐きながら、抵抗する海パン刑事を無理矢理引っ張ってその場を去っていった。
 その背中に、妙な哀愁を放って。





 余談だが、この日を境にハイディ・E・S・イングヴァルトが格闘技の有段者を襲撃するという報告は、一切入らなくなる。
 ちなみにアインハルト・ストラトスがこの後どうなったのかは、誰も知らない。

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最終更新:2011年07月21日 11:10