~ 事実に目をつぶったからといって、

            事実が無くなるわけじゃない。 ~


              ―― オルダス・レナード・ハクスリー (イギリス 1894~1963)


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 


~  プロローグ  『終わり』のはじまり  ~


 ―――史実は時に、改竄を受ける。

 有力者が矜持に拘る弁護として。
 後世に汚点を繋がない理由として。
 恐るべき真実を隠蔽する封印として。

 時には厳かな神話に抽象化され、
 時には伝説に細かく書き換えられ、
 歴史は記し続けられてきた―――

 ―――時は、遥か過去に遡る。


 ――― ズ ド オ ォ ォ ン 。 ―――

「なんだ……っ……何だああああああ!!?」

「この…!こ、この…巨大な…!…ウ…ウン――」

 ある“巨大な物体”の瞬間的積載によって、「戦船」に異常が発生した。


 全ては、“奴”が引き起こした。

「うひひひ……ど~もスミマセン」

 身なりは古くはあるも良さそうな、このアゴの長い大男、
 のちに第97管理外世界内の惑星「地球」の一地域において
 “国会議員”と呼ばれる人物へ血筋を繋げる者である。


「地盤陥没!?まさか地面に沈んでいるのか!?バカなっ!?」
 沈み、

「防衛機能が…はっ…破損!?機能エラー…その他、あらゆる…機能がっ!!」
 壊れ、

「かた…っ…!?傾くっ!落ちる!?落ち、落ちっ……ボリショオオオオオオオオイ!!!」
 墜ちていく。
            …何か意味不明な断末魔が聞こえた気もするが。

「沈むぞおおおおおお―――っ!!
 脱出しろおおおおおおお―――っっ!!!」


~ ~ ~ ~ ~

 惨劇から逃げ延びた誰もかもに、悲哀と嘆き……と一部に悪臭……があった。
 多くの者が泣きたいだろう。
 多くの者が信じたくないだろう。
 多くの者が目を閉ざしたいだろう。
 そして最も多くの者が“漂う何か”で悶絶しただろう。

 「戦船」が、
 力と技術と叡智が尽くされた結晶が、
 あまりにも法外な理由、あまりにも在り得ない理由、

 ―― 一個人の人体…下半身の一箇所から出た「アレ」 ――

 によって、傾き、沈み、壊れ、臭くなって逝くその姿を………。

~ ~ ~ ~ ~

 ―――旧暦XXX年。
 のちに「聖王のゆりかご」と呼ばれる大規模質量兵器が
 活動停止直前に大規模次元震を起こし、古代ベルカに終止符を打った真の原因が、
 ある男性1名の脱糞行為だったことは、後世の誰も知ることは無い―――

              ……そりゃあもう、そんな原因で滅んだとか、誰も遺したくない。忘れたい。


 ―――時は未来の時代に流れる。
 そして、破滅と悪臭を齎した“あの遺伝子”も、未来に―――

― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 ―――新暦75年9月19日

「―――さあ…!
  ここから、夢の始まりだ!は、は、はは……」

 この日、古の災いが甦った。
 災いの名は、『聖王のゆりかご』。
 失われたはずの『聖王』の血から創られた幼子を鍵として、その巨体は地から離れていく。

「はは、は………
  アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 一人の男が、計り知れない叡智を修めた狂気が、
 己の欲求が一段階叶った事に対してか、反射的に両腕を広げて歓喜する。
 彼の名は、ジェイル・スカリエッティ。

 そう、彼の言う通り、夢は始まる。

 しかし、彼の述べた「夢」という言葉は、『真実の悪夢』へと裏返る。

 誰が気付いただろう。
 太古の真なる悪夢を齎した遺伝子…それを『継ぐ者』の出現に。

 『継ぐ者』が「スポーツの秋」ゆえの行動をしていなければ、
 悪夢は復活する事は無かっただろうに……


 ―――『聖王のゆりかご』浮上から、XX時間経過後。

「……ああ。おかえり、ウーノ」
「トーレとセッテも戻りました。迎撃準備、完了です。
 クアットロとディエチは『ゆりかご』内部、『玉座の間』付近に待機。
 セインは回復が不十分なチンクとともに、研究所での守備につきました。
 他の妹達は、それぞれのミッションポイントと、地上本部に向かっています」

 スカリエッティの知識と実践によって創造された彼女たち…12名の戦闘機人・ナンバーズ。
 その中に、外部から確保・調整した「タイプゼロ」を加え13名…皆、配置は完了した。

 しかし、スカリエッティは研究所を厳重に隔壁閉鎖、
 機密漏洩を防ぐ監視としてナンバーズ2名を研究所内部に配置したのち、
 スカリエッティ自身、5名ものナンバーズとともに『聖王のゆりかご』内部へと移ったのである。

「…何故、ドクターも我々とともに『ゆりかご』へ?
 私を含めた姉妹5人が待機するフォーメーションの分、守備は強固ですが…
 空戦部隊による外部からの攻撃、敵の侵入という可能性がある以上、ドクターへの危険も大きいはず」
「危険なのは承知だよ…。私がこの『ゆりかご』内部に移ったのは…
 管理局による研究所への捜索を避ける目的じゃない。……これだ」

 スカリエッティの手に握られたカード状の小型機器。
 そこから浮かび上がるホログラムには、『聖王のゆりかご』における数多くのデータ…。
 しかしそれは、まだ「全てではない一部」だという。

「私でも未知のものは数多くある…。この『ゆりかご』にも、
 例外無く未知の領域はあってね…それも、大半だ。いや、9割以上かもしれないが…
 これまでに知り得たデータを整理した。直接触れ、観通して解ったことだが…旧暦の時代、
 『聖王のゆりかご』は“内容を記録したくないほど想像を絶する被害”を受けて故障したらしい」
「地中に埋没していた状態は、…やはりその“被害”が関わっているのでしょうか?」 
「可能性は確実とは言えないが、あるだろう、ね。
 そう…技術と知性を徹底的に費やしたものでさえ抗えなかった“壮絶な被害”……知りたい」

 スカリエッティの表情に、喜悦が混じり出す。
 そして、カード状の機器を落としていることにも構わず、両手の指を見つめる。
 未だ知り得ていない知識に対する探求心で興奮しているからか、指先は震えている。

「実に知りたいんだ…間違いなく私が被る危険性も高いだろう。まさに猛毒…
 だが、しかし……!湧いてくるんだよ…若い人間がたぎらせる情熱に似た探究心が…!
 猛毒じみた障害があるからこそ、なおさら求めたい、知りたい!この手で、眼で!
 古の力が創造した災いをもねじ伏せた、さらにその上をゆく、正体不明の―――」

 ――― ブーー、ブーー、ブーー ―――

 突発な出来事だった。
 冷静なウーノですら驚き、スカリエッティがわずかに表情を険しくする。――が、再び笑みを現す。
 聞き慣れない音―――警報音―――が、船内に響く。

「ドクター、これは!?」
「…そうか。
 どうやらこれが、私がまだ見つけていないうちのひとつ…」


 ―――聖王教会。

 同時だった。遠く離れた空にある『聖王のゆりかご』が、正体不明の警告音を鳴らす時間と。

 それは、何らかの超自然的な意思によって伝えられた『預言の末端』。 
 彼女の頭に直接流し込まれるように、脳裏に浮かんだ。

『…其れは…命を養いし、諸々の、屍なり……
 地を、豊穣に導く…偉大なる、欠片なり…』

 ウィンドゥに映る『聖王のゆりかご』を注視する彼女の頭に、『預言の末端』は続く。

 なぜこのような事が起きた?
 稀少技能『預言者の著書』。これで得られる詩文は、一年に一度だけのはず。
 その法則を無視するかのように、二つの月の魔力などお構いなしのように、
 その『預言の末端』は顕現したのだ。“一刻を争う事態”を伝えるがごとく。
 文章ではなく、精神に、脳裏に、直接。

『民が、記す…偽りは、破れ…… 【継ぐ者】…まことなる、亡びの…楔、を…刻む……』

 【継ぐ者】と、『亡びの楔』。
 彼女――カリム・グラシア――は直感で理解した。

『いにしえの王、に……浄化、を、課す……【継ぐ者】……
 安らぎ、を…求め……箱…船……に……!』

 今、『聖王のゆりかご』の中に、
 古の聖王を動かすほどの「全てを破壊するなにか」が居る―――!!!


 ・   ・ ・   ・ ・ ・   \ダー/


 ―――『聖王のゆりかご』内部。

「シャッ!!コノヤロー」

 ガッツの入ったような男の声。
 いや、そんな声がなくとも彼の存在だけで既に違和感がある事がおわかりいただけただろうか。

 彼は、ただ迷い込んだだけの者。そして、ミッドチルダのMの字も知らない。
 乱れたオールバックヘアーに長くしゃくれた顎…絶大な印象の顔。
 綿100%のTシャツ、ジャージ材のパンツという安価なエクササイズスタイル。
 場違い。この飛行物体の周囲広域で空戦が行なわれる予定だという時に、
 彼の存在は明らかに場違いなのだ―――

「う~ん、 あんなに走ってもびくともしねーや。今度の便器は超ガンコだぜ」

 彼は、ある所ではこう呼ばれている。―――“国会議員”と。

「いや~しかし、迷ったかな、ここはどこの体育館だ?
 ずいぶんと時代を先取りしたデザインが入ってるしな」

 ………彼がなぜ、『聖王のゆりかご』に居るのか、流れはこうだ。

 1.気温がほどよく涼しくなり始めた季節なので、夜にマラソンをやり始めた
 2.予め“あるポイント”をキープするため、樹の茂った処を通った
 3.マンホールに落ちたら見慣れない場所(とりあえず体育館と認識)に出た
 4.ランニングが応えて便意が出てきた     ←今ココ 超重要
 5.“出す”用にトイレを探しているが見つからない


 ―――『聖王のゆりかご』内部、スカリエッティ、ウーノ側。

 ――― ブーー、ブーー、ブーー ―――

《 WARNING WARNING WARNING 》

《 最上位緊急事態が発生しました 艦内の全システムを最終防衛形態に移行 》

《 内外からの全命令を無視し 非常隔壁で全エリアを遮断 》

 …高空へと浮上した。これまでは順調だった。
 そこから予想だにしなかった警戒警報。まだ止まらないブザー。

《 繰り返します 最上位緊急事態が発生しました
           艦内の全システムを最終防衛形態に移行 》

《 内外からの全命令を無視し 非常隔壁で全エリアを遮断 》

 黙ったまま警戒警報を聞きつづける男、ジェイル・スカリエッティ。
 微かな笑みは浮かべているが、顔には脂汗。焦燥の様子が見て取れる。

「―――ター、ドクター!」
「…っ、ウーノか…」

 スカリエッティは、焦りと好奇心で集中していたのか、
 しばらくの間、隣からのウーノの呼びかけに気付かなかった。

 ――今の私が考えていることは、未知の力に関わっているために
  ある程度の想定外も想定の範疇として割り切る気でいたんだ。
  例えば私の夢を“私が乗った乗用車”として、若干狭い道路を走っているとしよう。
  割れたガラス瓶や古い釘でタイヤがパンクしたり、
  長期運転による疲労で道路外の物体に当たり車体が破損するなど、
  それならまだ考え得るレベルの交通事故、つまりいずれ予防・修復もできる障害だ――

《 全乗員は――》

 ――しかしだ。今回のこの事態はどういうことだ? そう、まるで
   “付近に火山があるわけでもないのに道路から予兆無しでマグマが爆発した”
   かのような想定外の出来事だ――

《――速やかに脱出してください 》

 『ゆりかご』自身が流した機械的警告。今の彼らにとっては無慈悲な宣告でしか無い文章。

《 繰り返します  全乗員は 速やかに脱出してください 》

 ……その警戒警報を最後に、スカリエッティの視界内で、
 艦内の様子を示す空間モニターが次々と出現する。それが示ものは――『男ひとり』。

「あの男は誰だい」

 ウーノに訪ねたが、返答は――「存じません」。予想通りだった。
 スカリエッティも、あんな粗末な身なりの男は知らない。
 …アゴがしゃくれているという特徴は印象的だが。

 ――……なぜ、『ゆりかご』は“この男”を表示した?――

 スカリエッティの自問の直後、彼は警戒警報の一部と己が語った言葉を思い返す。

 ―――《 最上位緊急事態が発生しました 》―――

 ―――「旧暦の時代、『聖王のゆりかご』は
      “内容を記録したくないほど想像を絶する被害”を受けて故障したらしい」―――

 ――まさか?
  こんな変な男一人に、『ゆりかご』を撃沈させるほどの力が存在するのか?
  駆動炉の破損や聖王の陥落よりも“更に上の緊急事態”になるほどに?
  ……だが、『ゆりかご』はこの男、そして居場所を示した。つまり、
  この男と…『ゆりかご』は…関係している。『ゆりかご』は伝えようとしている!――

 スカリエッティはこの状況下でも、
 止まらない探究心のままに“あの男”に大して興味を向けている。

 ――しかし、あの屈む体勢…… そう、あの、まあ、なんだ……
  心内でも言いたくはないが“ある下品な行為”でもするのか?――

 そして、画面越しから語られる、『男』の肉声による、

『…いち』

 1カウント。

『……に』

 2カウント。
 スカリエッティの呼吸音が、徐々に大きくなる。

『………さ、ん』

 3カウント時に『男』の表情が歪む。
 この時、スカリエッティの表情から笑みが消えた。

 スカリエッティは、一人民族大移動と同じぐらいの質量を持った不安によって頭が埋め尽くされていた。
 このぶんだとそうとうがまんしてたみたいだな、などと
 チョイワルに男前ないい男の顔が一瞬脳裏に浮かんだが、――そんなことはどうでもいい!
 あの『アゴの長い男』が数え終えた“3カウント”。
 その後に続く“何か”を男がやり始めた時、こう思った。

 ―― 夢や、計画ではない。
  それよりももっと“何か大切なもの”が、終わってしまう ――― と。


「  墜 落 すん ぞおおおお お お お お  お  お !!!  」


 何故叫べた?
 何故、己の矜持や自我を無視したように、無意識にその言葉が出たのだ?
 スカリエッティは知った。何の方程式をも使わずに知った。
 これが知恵ある生物に秘められている『第六感』というものだと。
 計り知れない知性すら凌駕する原初的な本能が、彼に警鐘を伝えていた。

                                      『マジでヤバい』と。

 この時、ジェイル・スカリエッティという一人の男は、
 隣で呼びかけ続けるウーノすら無視し、緊急招集のサインを全ナンバーズに発信し続けていた。

 ええ、そりゃあもう自分のキャラを『ウィーッ!』て言いながら
 サポーターがズレた左腕ラリアットをキメてマットに沈めたいぐらいの気持ちでしたとも。


 ~~~ ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア !!!!! ~~~


 ―― 古の箱舟が、“悪魔の胎内”、と言うより“悪魔の腸内”に変化して30秒後 ――


 ―――『聖王のゆりかご』内部、トーレ、セッテ側。

               ど ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ

「急げっ!セッテ早く来いっ!」

 次々と閉じて行く重厚な隔壁。それが完全に空間を遮断する直前、
 戦闘機人のうちの2名――ナンバーIII・トーレとナンバーVII・セッテ――は、
 迫りくる“何か”から渾身で逃げつつ、横方向への飛翔を続け、
 閉まる寸前の隔壁の隙間を通り抜け続け、今に至る。

 未体験の事態を打開するため冷静に計算するも、
 迫ってくる『アレ』に対する恐怖を拭えないトーレ。
 進行方向の状態が未明である事もあり、迂闊にIS・ライドインパルスは使えない。

 ――あれだけ発信されていた信号が途絶えた! ならば、もはやドクターとウーノは今ごろ――

「…っ、閉じられたか…!」

 道の前後が、重厚な隔壁で封鎖された。
 破壊不可能とも言っていいほど凄まじく厚い壁が、二人の逃げ道を断絶した。

 ―― ベキ ば、き

「っッ!」

 通ってきた側で閉まった、重厚な隔壁。それが、音を立ててヒビが入る。
 トーレとセッテが背後を見るのは同時だった。

 ――破壊が至難かと思っていたあの隔壁でも……と、止まらないのか?――

 恐怖。
 それがいつから生じていたのか彼女ふたりには解らない。
 震えている。呼吸が静かに荒くなっている。
 寡黙なままトーレの指令通りに行動しているセッテにも、その様子がある。

 ―――怖い!
 自律して動く戦闘兵器として磨かれたはずの鋭利な思考能力。
 それをも“ぐにゃあ~っ”と捻じ曲げた、この不確定要素が。

(閉じて早いうちに隔壁は破損した。
 ……状況からして、3分未満のうちに破られるだろう!)

 恐怖を何とか振り払い、改めて状況を分析するトーレ。

(そこで問題だ! 妹1名を連れたまま
 進行方向の状況が不明の閉鎖空間でどうやってこの状態から脱出するか?)

   ☆ 3択 ― ひとつだけ選びなさい ☆

     (1)クールビューティのトーレは突如脱出のアイデアがひらめく
     (2)姉妹が来て助けてくれる
     (3)助からない。 現実は非情である。

(私が「○」をつけたいのは答え(2)だが期待はできない…
 他の作戦ポイントに向かっていたはずの妹達が
 私達の猶予があと数秒の間にここに都合よく現れて
 以前ウェンディから読まされたくだらない勧善懲悪コミックのように
 ジャジャーンと登場して「まってました!」と
 間一髪助けてくれるというケースがそう起こり得はしない!
 ……逆にクアットロ、ディエチも既に『アレ』の餌食になっているかもしれない)

「―――セッテ」
「――はい」

 ――……やはり答えは――

「全戦力を以って―――前進ルート上の隔壁を―――破壊する!」

 ――(1)しかないようだ!――

「いいか!?攻撃を一点集中し」

     ぶ ピ イ ~

「て……」

     ベキ ベキ ベキ ベキ

                び ち 。―――

 トーレとセッテが隔壁へと攻撃を加える直前、奇怪な音が鳴った。
 そして、眼前の隔壁――進行方向上の破壊対象――が、攻撃を加えずとも割れ始めた。
 それはこの事実を伝えていた。“前からも『アレ』が――――”

 ……悪い予感はしていた。確かにそれを考慮していたはずだった。
 その不安をいつの間にかかなぐり捨て、私らしくもない『勇気』を信じ、賭けた。
 そして、それを信じた私たちは、無慈悲に裏切られた。

 ――妄信した希望、それこそ絶望だった――

     答え、(3)。
               答え、(3)。
                         答え、(3)―――


 ―――『聖王のゆりかご』内部、クアットロ、ディエチ側。

 さながら超重量級の皇帝戦士がトップロープから掟破りの月面宙返りボディプレスで飛び込むかのごとく
 恐ろしいほどの悪寒が背筋に奔った戦闘機人ナンバーIV・クアットロ。
 さらに遠くから聞こえた断末魔のような絶叫×nも、彼女の恐怖心を煽った。

 隣には、離れても聞こえるほどに激しい呼吸音で息を続け、
 周囲を警戒しながらイノーメスカノンを力んで構える妹、戦闘機人ナンバーX・ディエチがいる。
 遠く背後には、これから起こる正体不明の恐怖を知らない幼女(拉致してきた)がいる。
 そして目の前では、この空間を外から完全遮断するかのようにいきなり出現した、壁。
 『玉座の間』の入り口、その扉がある壁全面を覆い尽くす、強固で重厚な壁。

 ガジェットドローンへの操作信号送信を何度も試みた。―――反応なし。
 姉妹の様子を知るための空間モニター展開。―――映るのは全て砂嵐。
 隔壁を壊すためにディエチによる砲撃を試みた。―――5発撃って、隔壁表面が焦げたのみ。
 ―――クアットロとディエチが行なった今までの行動の全てがこうだ。

 連絡不可、探知不可、脱出の可能性も希薄。さながら無人の孤島へ漂着したものと同然。
 …いや、違う。いきなり現れ、しばらくして消えた巨大な空間モニター。
 そこに映っていた『謎の男』の存在。“無人島と違う点”は、それだけ。

 ――じゃあ、あの『謎の男』と、このどうしようもない隔壁は何か関係があるって事なの!?――

 クアットロは馬鹿馬鹿しく思いながらも考える。
 しかしモニターは『謎の男』の存在を示した。そして、隔壁による完全遮断。
 無関係ではない。
 まるで『鍵の聖王』よりも“彼の存在”を最優先しているように『ゆりかご』は示した。

(まさか、起動前から『ゆりかご』内部に居た…?又は転移移動魔法で?
 いや、そんな装備の様子はないし、しかも衣服は下着同然の――)

 クアットロがこれまでの要素を計算、状況を打破するための道を探そうとしている時、
 ――絶望だけを含んだ要素が、加わった。

 ―――――   ど ぉ ん 。

「ッ!?」

 クアットロの意識が隔壁に向く。
 隔壁から、いや、響きからして隔壁の向こう側から“凄まじく巨大なものが激突した”ような音が聞こえた。
 生物とは異なる、何かとてつもなくおぞましいもの、
 “魔界から這い出た異形の怪物”――クアットロはそんな存在など信じはしないが、

 ――何かがやってくる…
  誰も想像したことのない謎の存在が、この『玉座の間』に近づいてきている!――

 ―――――   ベ  キ ・・・

 そしてその恐怖に呼応するかのごとく、隔壁が割れ始める音。

 ―――――  ボ ギ  ゴ ギ  ド ガ ガ ガ ガ

「ヒィッ!?」

 樹齢千年の大木なみに巨大なミミズが地表付近を掘り進むがごとく、急速に隔壁表面が変形した。
 得体の知れない現象に、クアットロは悲鳴に似た呼吸を漏らす。

 ――破られる。 あとわずかで、この壁は破られる!
  まるで熱湯の中に放り込まれた氷が音を立てて破裂するように!――

 固く閉じた歯の間から、荒い呼吸が漏れる。
 だがその場の状況に呑まれないよう、クアットロは強引に冷静さを保った。

「……ディエチちゃん。今、どれだけエネルギー充填されてるかしら?」

 クアットロに、もはやいつもの笑みは無い。

「非常事態が起きて、本来の機能が停滞した以上、『陛下』への期待は無いもの同然だわ」
「5回目の照射を中断してからチャージして、…今なら、最大出力も撃てるよ」

 クアットロが、ディエチの後方まで自らの立ち位置を移す。

「今この場で最も破壊力の高い攻撃手段があるのはディエチちゃんだけよ……」

 クアットロも、ディエチも、正面のひび割れた隔壁を主に見ているが、
 “正面から来るとは限らない”。この可能性も重視し、二人とも注意を四方八方へ向ける。
 そして―――

 ――――  ぐ ぎ 、  ビ ギ ビ ギ ベキキ

 封印された大悪魔が解き放たれるがごとく、隔壁の崩壊が本格的に始まった。
 そして、その奥から現れた得体の知れない何かが―――!

「っ!!発し―――」

    ぶ じゃ あ あ あ あ あ あ あ

「 ぎャブェ ェ ええ えォ ごぉぉ ウぱアァぶ !!」

              ぶ じゃ あ あ あ あ あ あ あ

 ……砲撃は、良くない判断だった。なにせ飛び散りを酷くしたから。
 隔壁を突き破って溢れ出る物体が、ディエチを丸ごと飲み込んだ。
 声にならないうえに音程も狂った悲鳴が吐き出された。
 砲撃で壊れるような代物ではない『柔らかい激流』の中へ、悲鳴ごと取り込まれた。
 『柔らかい』という事は『ダイヤモンド』よりも壊れない。

 クアットロはその正体を理解した。
 嫌になるほど理解した。拒絶しても無理矢理教え込まれるぐらい理解した。
 口でイヤと言っても体は正直だな?とか言われそうなぐらい理解したかは定かではない。

 そう、食後の動物が不特定の時間経過後に、下半身後部の特定箇所から排出される『アレ』である。

 素の機動力でその場から引き下がり、なんとか呑み込まれずに済んだクアットロだが、
 状況は変わらない。ディエチが犠牲者になった事でむしろ悪化した。
 そのディエチは、頭と片手だけが“やわらかな物体”の外に出ており、
 おぞましい場所に連れ込まれたような表情で凝固し、クアットロのほうを向いている。

「……っ、…っ…ィ…エち、ちゃ……ん……」

 クアットロは震えが止まらない。無意識に、脚が後ろへ進んでいる。

 見ている。
 ディエチが、見ている。
 負の感情に満ち溢れて凝固した表情のディエチが、クアットロを、見ている。

 さながら巨大な食人生物の大顎に捉えられたあと、仲間を見捨てて逃げ出す同僚を凝視して
 “このまま喰い殺されたらいつか悪霊になってお前を恨んで呪い殺してやるからな”
 と一直線に伝えているような表情で、クアットロを見つめている。

「……ぁ…!…あ…っ…あ……!…っ…あ……」

 恐怖で後ずさりするクアットロが腰を折り、後ろに尻から転んだと同時に、
 更なる物量が積載され、ディエチの片手と頭は―――埋没した。

 徐々に、迫っていく。
 イノーメスカノンの砲撃ごとディエチを丸呑みに喰い尽くし、
 茶色で、圧倒的な異臭を撒き散らす、半練り状のやわらかな物体が、
 洪水同然の凄まじいボリュームを以って眼前へと迫ってきている。
 なんとか立ち上がれたクアットロができる事は、行き止まりへの後退だけ。

 ―――ぁ…っ…―オ…ろ…――ぅ…ア…ッ…―お……ロ…ぉ…―――

 ぐちゃり、ぐぼぶぶ、と蠢くように迫る柔らかな塊の中から、姉の名を呼ぶ妹の微かな声。
 クアットロには、地獄の大鍋の中で煮続けられる亡者の呪詛のように聞こえた。

 視覚。嗅覚。聴覚。口内の渇いた味覚。そして確かに地に足がついている触覚。
 『戦闘機人』というマシーンでありながらも、そのベースはヒト科の動物。
 クアットロが持つヒト的な五感の機能が、目前の光景を教えていた。

 “ヒトですらない下品な物体に、姉妹ともども蹂躙される”

 これは夢ではない。妄想でもない。悪夢でもない。
 防御不可能、回避不可能、離脱不可能の、絶対的な現実である。

 ――此処は、何処?私は、私は、何処に迷い込んでいるの?――

 まるで、いきなり魔界の中へと放り込まれた無垢な幼子のように、クアットロは惑溺する。
 今起きている事を認めたくないと心で拒絶しながらも、
 現実であることを認めなければならないと葛藤している最中、

 異物が激流に変形し―――空間を追い詰める為の前進を、無慈悲に再開した。

 クアットロは、叫べなかった。
 無意識に、笑っていた。恐怖によって齎された、絶望を含んだ笑み。
 あり得なさすぎる事象があり得てしまっている現実に、恐怖が一線どころが二桁ほど脱線していた。

「…わ、……わ、――」

 そして、ある“諦め”を悟ったかのように、彼女は背後の幼女に震えるままの顔を向けた。


「私は大丈夫よ…!」


 特に意味も無く振り絞った最後の勇気だったのだろうか?
 なぜ唐突にそのようなアピールをしたかは、彼女でも解らない。
 無意味な余裕をひけらかすように、不敵な笑みを浮かべたままの一言(サムズアップあり)。
 それが、彼女がミットチルダで最後に言い放った言葉だった。

 もちろんその行為は何の意味も成さず、
 押し寄せる茶色の荒波に、クアットロは成す術なく呑み込まれた。


 そして、その背後―――


「ママアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」


 この日の幼い少女は、これまでとは一線を画した絶叫を吐き出し、虹色の爆風を起こした。


 ・   ・ ・   ・ ・ ・   ~


 ―――高度10000+XXXXメートル上空 『聖王のゆりかご』近辺空域。

「―――動きが、無い?」
『おかしいんです! 軌道上を目指して上昇を続けていることは確かですが、
 我々魔導師隊が包囲陣形を組み接近しても、全く反応が無く、―――』
「―――分かった。警戒は解かないよう、注意してな」

 白く丸い帽子。黒色が主体となったバリアジャケットの背には、6枚の黒翼が顕現している。
 それらが特徴的な彼女――時空管理局・二等陸佐、
 古代遺物管理部『機動六課』部隊長、八神はやて――が、
 『聖王のゆりかご』へと飛翔しながら通信での連絡を聞き、状況を知る。そして計る。

(確かに異様や。この距離からでも見えるほど目立つ大きさなら、
 防衛用にガジェットドローンの群れを配置してもおかしくないはずやのに、
 そんなもんが全く無く、航空部隊の接近を容易く許した……)

 ――……いや、まさか、――ワザと隙を作って、近づかせようとしている!?――

「私もすぐ持ち場に着く。著しい変化があるまで、陣形はそのままや。
 接近せず、付け入る隙を見つけても様子を計れ。逸って進攻したらあかんよ!」

 ――変化が現れたのは、指示を終えた、その直後だ。

『――やっ…八神二佐!』

 驚きの混じったような連絡の声を、はやては素早く聴き取る。

「さっそく何かあった!?」

『艦隊の観測データによる連絡ですが、「聖王のゆりかご」―――上昇が完全停止しました!!』


 ―――『聖王のゆりかご』近辺空域、スターズ01、02側。

「―――『ゆりかご』をも揺るがす“真の敵”に気をつけろ?」

 通信を送ってきた相手は、聖王教会騎士、カリム・グラシア。
 その連絡を聞くのが、時空管理局・三等空尉にして、
 機動六課スターズ分隊、赤いバリアジャケットで小柄な姿の、ヴィータだ。

「―――……なんだか難しいけど、解った。注意しとく」

 会話だけの情報ゆえに全貌は掴めないものの、“ヤバいものがある”とヴィータは確信した。

 ――どんな“ヤバいもの”があったとしても、
  『あの時』みたいに、なのはを、それに仲間も、惨い目に合わせるもんかよ!――

 10年前の辛い過去を思い出しながらも二度とそれを起させないよう、
 『守護騎士』としての自覚を堅牢にした。

 … … …

「――八神二佐からは、陣形を維持したままの待機と指示されており、
 接近せず待機を続けています。 この停滞中に侵入経路を探す提案もありますが――」
「…なら、わたしとヴィータ副隊長が先鋒で行く。合図するまで、皆はそのまま警戒を続けて」

 純白のバリアジャケットをまとう彼女こそ時空管理局・一等空尉、
 機動六課スターズ分隊01のエース・オブ・エース、高町なのは。
 彼女らが参加する作戦の目的は、次元航行艦隊による集中砲火を狙う過程のため、
 首都だけではなく次元世界への大規模被害を防ぐための『聖王のゆりかご』内部の制圧。
 そして、彼女が参加する理由のひとつ―――さらわれた幼い少女を取り戻すこと。―――

『なのはちゃん、外周警戒は私が引き受ける。だから、なのはちゃん、ヴィータ、――頼んだ』

 『ゆりかご』周囲ははやて、『ゆりかご』内部はなのはとヴィータ。
 空間モニター越しでの通信により、3人の持ち場が決まったその時。

「おうっ!」
「了か―――」
『――待った!何か変やっ!』

 ヴィータに次ぐなのはの返事を遮るように、“変化”に気付いたはやてが二人に呼び掛ける。
 その変化は、同じ空域のなのはとヴィータにも“目視できる形”で現れた。


 ―――――  バ オ オ オ ォ ォ ォ 。  ―――


 『ゆりかご』が、急に震えだした。異様な音を鳴らして震えだした。


 ―――――  バ オ オ オ オ ォ ォ ォ ォ 。  ―――


「まさか…次元震――」
『いや、なのはちゃん、そこまでのとは違う。魔力反応や変動がほとんどない』


 ―――――  バ オ オ オ オ オ ォ ォ ォ ォ ォ 。  ―――


 ……幾度ほど、奇怪な振動と音が続いたのち、止んだ。
 機動六課の3人だけではなく、数多の航空魔導師隊も、警戒を強める。

「……おさまったか」
「ヴィータちゃん、ここからどう変化するか解らないけど、今なら―――」
「―――ああ、わかってる…」

 『聖王のゆりかご』は、まだ自分たちにとっては未知の存在。
 何が起こるか、何を起こすかは解らない。
 しかし、切り抜ける突破口を開くためにも――無茶をしてでも、立ち向かう。

「………っ、あった!」

 『ゆりかご』に急接近、装甲へと着地したなのはとヴィータ。
 装甲の一箇所にあった“ヒビ”の存在。先に気付いたのはヴィータだった。 

「……ヴィータちゃん、おかしくないかな…?」
「なのは?」
「古代にあった兵器なら、ある程度の損傷はあってもおかしくないよ。
 でも、あの“ヒビ”……どう見ても、新しく割れたみたい。
 それも、あの盛り上がり方は“内側から”ヒビが―――」

 なのはが“それ”に気付いた時、更なる異変は起きた。

              ~ ~   ぐ  ら   あ 。   ~ ~

『あかん!なのはちゃん、ヴィータ!離れてっ!!』

 艦首が下を向き、艦尾が持ち上がる。
 『ゆりかご』が、いきなり傾いたのだ。
 離れで通信したはやてだけではなく、装甲に乗っていた二人にも解るほどの速さで。
 急な変化が起きてもバランスを崩すこと無く離脱する二人だが、

(……っ!?)

 ヴィータが気付く。この動きによって“ヒビ”から漏れた、形も色も無い“異様な漂い”に。

 ―― ……な…何だよっ……今のヘンな臭い!? ――

 唐突な経験を経たヴィータは一時的に混乱した。反射的に顔の下半分を手で覆う。
 “「鳥とかの飛ぶ動物が出す以外」ならどう考えてもその場にあり得ないもの”が脳裏に浮かんだからだ。

『な…なのはちゃん、嫌な予感がするけど……まさか…』

 上昇の停止。原因不明の振動。下方を向いた艦首。
 なのは宛てに、はやてが漏らした通信内容。 

 ―――その嫌な予感というものは、実に的中した!

「あ…」

「へ?」

『なぁっ!?』

 機動六課の3人の短い声が出たのとやや同時に、『聖王のゆりかご』が、“墜ち始めた”。
 想定されていた上昇軌道を一気に外れ、浅い角度ではあるが、動き方が“急降下”に変化したのだ。

「―――よっ」

 巨大戦艦とも言うべき大質量が降下する。つまり、それが及ぶ範囲内は――

「避けろ――――――――――――っ!!」

 航空魔導師隊の諸々が、巨船の降下軌道上から、散り散りになって離脱する。
 その中、急降下する『ゆりかご』を追うように走る、桜色の閃光が――

「なのはっ!?どうし―――」

 気がつけば、無意識のうちにヴィータの声を振り切り、
 墜落する『ゆりかご』めがけて高町なのはは凄まじい速さで追い始めていた。
 通信モニターでははやてからの呼び掛けがあったが、今はそれに気持ちが回らなかった。

 あんなものが、あんな規格外の質量があの速度で、地上に墜落したら?
 地上の被害は? ―――そして、内部の乗員は―――

 実は『ゆりかご』付近に到着した頃、高町なのはは脳裏に“声”を聞いた。
 幻聴と言えばそれまでだが、今の彼女にとっては、気持ちを逸らせるに事足りる事象だった。

 ――― ヴィヴィオの悲鳴が、確かに聞こえた。 ―――

「ヴィヴィオぉ――――――――――――――――っっ!!!」

 なりふりかまわず、ただ一直線に、なのはは宙を翔け、追う。


 ―――ミッドチルダ東部地上某所、森林地帯某所、時空管理局側。

「―――……今、なのはの、声…」

 時空管理局執務官・機動六課ライトニング分隊01、フェイト・T・ハラオウン。
 金色のツインテールを揺らしながら、背後の空を見た。
 幸い、ガジェットドローンの一群を掃討した後のため、隙を作るほど余裕はあった。
 そのわずかな間の後、意識を本来の目的へと向け直すと―――

『…ダメだ。侵入はおろか、探知も効かない……どの方位も厄介な隔壁で塞いだようですね』

 犬の形をした魔力の塊――『無限の猟犬』――がフェイトの元にやってきて、
 この能力を行使するヴェロッサ・アコース査察官から、通信での報告が伝えられた。
 ほぼ同時、様子を計りに行っていた仲間がフェイトの場に戻ってくる。

「とはいえ、ここまで厳重に守備を固めるなら『監視に回す戦力が少ない』とも考えられるはず…
 ――いや、もしくは『管理者が場を離れている』からこそ…?」

 両手には変則的な柄の双剣型デバイス。聖王教会シスターのシャッハ・ヌエラが、
 この警戒態勢から二通りの可能性を語る。

 このスカリエッティの研究施設は、ヴェロッサとシャッハの捜索によって場所を把握されている。
 場所を知られた故に“侵入を防ぐための防衛処理”だけならまだ対応できる範疇なのだが――

「そのうえ、騎士カリムからの連絡で聞いた“『ゆりかご』を揺るがすもの”――」

 ――それも問題だ。空にいるなのは達は、大丈夫なのかな…――

 いきなり加わった『予測できなかった不安要素』。
 その不安要素に関係している“『ゆりかご』に近い人物”…なのは達や空戦部隊をフェイトは心配する。

「私はまだ探索していないポイントに行ってみます。
 シスターシャッハ、アコース査察官、しばらくの間はこの場を――」

 シャッハのもとから離れ、別のポイントへ向かって空中を翔けるフェイト。

 ――確かに、なのはの声が、聞こえた……。それも、すごく切実な……――

 艦隊と聖王教会からの通信報告。さらに“空の方向”から確かに聞こえた親友の声。
 この短期間にいきなり加わった要素で、何か“きな臭い”ものをフェイトは感じ取っていた。


 ―――ミッドチルダ東部地上某所、森林地帯某所、ナンバーズ側。

「チンク姉、回復がまだ完全になってないんだから、無理は…」
「ドクターらしからぬ通信だ。これはただごとじゃない。
 こんな緊急時に、骨格の破損を理由に出遅れるなど…」

 戦闘機人ナンバーV・チンクは、まだ修復されきっていない状態のまま、
 戦闘機人ナンバーVI・セインに体を支えられながら森の地帯を一緒に進む。
 ドクター――ジェイル・スカリエッティがいきなり発信した緊急通信に応え、
 洞窟内部の研究所から、二人とも外部へと出ていた。
 隔壁で塞がれた研究所内部から脱出できたのは、セインの先天固有技能、
 物質を通り抜けて移動する「ディープダイバー」によるもの。

 ……遭遇は、意外と早いうちに巡ってきた。

「見つけたっ……!」

 フェイトに発見された。離れた間合いだが、二人の目前の範囲に着地した。
 別ポイントでの探索という彼女の行動が、二人の居場所と不運にも重なったのだ。

 攻撃態勢、もしくは標的分散のためか、反射的にチンクはセインから離れていた。
 無理をしてでも――とはいえ、分が悪い事に変わりはない。

 ――遭いたくない事態が、こうも早く訪れるとは…――

「……は、ははっ…どーも…」

 警戒態勢のフェイトに対し、おどけた態度を示しながらも、手を抜かず警戒は続けるセイン。

 相手は一人。しかし空戦S+ランクの魔導師。
 回復が不十分な姉――チンク――がどれだけ戦闘力を発揮できるかも不明瞭。まず満足じゃない。
 そのうえ……ドクターからの緊急発信も気になるこの状況下。
 逃げる場合、姉を連れたまま撒けるかどうか――

 ――正直…ヤバいかも。――

 お互いに、自分の状況を考慮しつつ相手の行動を探り合う。
 緊張したこの状況下で、先に動きを見せたのは―――

『フェイト執務官!僕とシャッハはこの場から退いた!早く退避を!』

 ―――フェイトだった。だが、行動には匹敵しない程度の反応。
 チンクとセインへの警戒は続けながらも、ヴェロッサからの念話を聞いている。

『アコース査察官、何かを発見しましたか!?』
『早く!「ゆりかご」が――墜ちるっ!!』

 ――……え?――

 念話で尋ね、返ってきた言葉は、“『ゆりかご』が墜ちる”。
 その言葉の意味は、遠くから聞こえる微かな“轟音”で、理解するに至った。

 その轟音につられ、フェイトが、チンクが、セインが、空を見た。
 その音源の正体に、皆、驚愕した。

 “最終防衛形態”を開始して30分後、『聖王のゆりかご』は起動地点に戻ってきたのだ!

 ――な…何が、どうして――

 避けなければいけない事は解っているが、
 なぜいきなり『ゆりかご』が墜落する羽目になったのか考えだしたフェイト。

「―――ふっ―――」

 ――…っ!しまっ――

 不意を突かれ、気付けばすぐ目前にまで敵の接近を許してしまったフェイト。
 だが―――

「伏せろ―――――――――――っ!!!」

 攻撃などせず、戦慄の表情でその一言を叫ぶセインは、
 チンクを抱えたまま押し倒す勢いでフェイトにも抱きつき、そして、

 …… IS―――ディープダイバー! ……

 セイン、チンク、そしてフェイトの姿が、透過するように地中へと潜行した。


 … … … キュ ィ ィ ィ イ イ イ イ イ イ イ イ イ イ イ ン !

 ―――『聖王のゆりかご』、急降下軌道最後半。

 地上へ船体下部が激突するまで、もう十数秒も持たない。
 あんな巨体を留めるバインドも、今の自分は使えない。
 それでも、一縷の望みを捨てずに抱いているのか、
 桜色の閃光をまといながら、高町なのはは、墜落し続ける『ゆりかご』を追う。

 ――もう、間に合わない。
  そんな事はわかってる!!
  でも、止めなきゃ、止めなきゃ……止め―――

 渾身の望みも空しく、


                  ―――   ザ    ド   オ    ン


 船体が、地に落ち、割れた。


 ――― 止 め  ら れ  な  か  っ ―――


                ズ  ガ ガ ガ  ガ ド  ガ   ガ ガ ガ

 ――― た ・・・……あ…れ、―――

 『絶望』以上の『絶句』。

             バ ギ バ キ バ キィ ー  ー ー

 ――― …あ、あの、あ…あ、え? ―――

 想定外の、更に遥か遠くに至る『別次元』の状況を目にしての、絶句。

    ガラ ガラ ガラ ガラ ガラ ガ ラァ ー ー ー

 無残にも粉々に砕けていった『ゆりかご』の中から現れたのは、

  バラ バラ  バ ラ  バ  ラ  バ、  ラ   … … …

 全長、数キロメートルにも及ぶ、超巨大≪【中略】≫。


「………………………」

 沈黙が続いた。

 一体どんな生物の尻からこんなバケモノが出てくるのか?わけがわからないよ。
 という考えも出ること無く高町なのはは沈黙した。

「……ヴィヴィオ…は?」

 どの方向から考えても“こんなの絶対おかしいよ”と言うしかない異常な現実からようやく我に返り、

「……ヴィヴィオはっ!?ヴィヴィオ―――っ!!?」

 少女の名を呼ぶ。
 そして我に返ったのが逆に良くなかったのか、
 やはり『アレ』の発するすごい異臭を間近で受けるため、
 少女を探して空を翔けるなのはもときどき呼吸が困難になって
 飛行軌道が狂ってそしてまた持ち直してそれでもやっぱり高度が落ちたので
 一度付近の森林に着陸してから悪臭の及ばない間合いで深呼吸をしたのち、

 ~ ~ ~ しばらくお待ちください ~ ~ ~

 そしてなんとか『アレ』の先頭部位へとたどり着いた高町なのは。

「ぜ…絶対にっ…、ぅぷ…トイレ、なんか、に…ぅエぇぇ、負けたり、しないっ…!!」

 この世のものとは思えない悪臭の猛威に身を晒しながら、
 捨てきれない希望を頼りにヴィヴィオの姿を探し続けて空を飛ぶなのは。
 しかし、そんな中でも脳裏では「トイレ【大】には勝てなかったよ…」という言葉がちらつき、
 心は乱れに乱れて、屈服しそうになりつつ耐え続けた。

 それでも、彼女は戦った。おぞましいものに屈しそうになる己自身と。
 そして、見つけた。
 確かな、いや、確かと言うにはあからさまに大きい魔力反応が―――

 ―――逃がさない。もう逃がさない。 絶対に………助ける!!―――

 ―――汚物の先頭、真正面へと空中停滞し、
 視界に入りきらないほど極太な標的をロックオンしたなのは。彼女は覚悟を“キメた”。
 頭の中ではヴィヴィオの名を連呼し、そして眼には一種の狂気が発生していた。無理もない。

「ぉ…おっ、ぉぷっ、汚物はっ、し…しょー、消毒、しひっ、しちゃうん、だがらはぁ!」

 もう何が何だか分からなくなってきた状態に陥りそうで陥っていないでも少し陥っているなのは。
 少女を救うために眼前の障害(極太)を徹底排除するためか、
 既に無意識のうちにレイジングハートの矛先を眼前の物体に向けていた。
 うん。ヤバい。眼がマジ。

 そして、“もう何も怖くない”の気持ちで全力全開―――をしようとした直前―――


 ~ ~ ~ ドュ ウ ウ ウ ウ ウ ウ ウ ン !!!

 ―――『アレ』の先頭部分、特に先端の一部が、大爆発した。


     ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ べ っ  ち ょ  お 。

 その爆発の際、常軌を逸した速度で飛び散り、なのはの体前面に、

 ~ ~ ~ しばらくお待ちください ~ ~ ~

 しかし、壮絶なショックで気がふれそうになりながらも、
 守るべき少女への想いと覚悟とある種の狂気で強引に心を保ち、爆発源へと向かう。
 その時のなのはの表情は、凄まじいものだった。まさに“般若”とでも言うほどに。

 そして、爆発源付近で着地。そこには――

「……だ…れ……?」

 ――まだ見たことのない女性ひとりと遭遇した。

 ―――いや、もしかしたら、わたしは知っている。
  今の姿は違っても、わたしは彼女を知っている―――

 虹色の光で身を包んで良く見えてはいないものの、
 なのはの目前に現れた、紅と翠、左右異色の瞳の女性。
 黄金の長髪を左寄りで束ね、バリアジャケットに類似した戦闘服に身を包んでいるものの、
 大人の体でも、彼女こそ、『ヴィヴィオ』だ。

「―――マ………マ。…マ…マ………」

 しかし、既に『ヴィヴィオ』は疲弊していた。
 やつれたように活力の無い目、ユラユラした足取り、震えている上半身。
 異臭と埋没が続いて呼吸が困難だったわけではない。彼女は“働いていた”。
 衝動的な出会いでなのはと再会したものの、それに構わず、
 未だ巨大な異物を方向へと振り向いて“働く”のを再開した。

「……た…かわ、…きゃ…。 闘わ、なきゃ……」

 それはまさに“火事場のクソ力”とでも言うべきもので、
 もはやいつ過労で斃れてもおかしくないほど体力を使いきっていた。

「闘わなきゃ…… この世に生まれてきたら……
 とてもかなわぬ… かなわなかろう… と思っても… 闘うんだ…!」

 なんか既に自分のキャラを『キェェェー!!』と奇声を発しながら
 地獄突きを喉にブチ込み場外に沈め、フォーク攻撃で追い打ちをしたいぐらいの勢いだった彼女は、
 ほどよい板型の装甲廃材(元『ゆりかご』)を拾ったのち、
 スコップのように扱って『アレ』を抉っては捨て、抉っては捨てる。
 ただひたすらに。まるで“古の過去から受け継がれた己の宿命”を達成させるため、“やけクソ”なほどに。

「尊厳のため……! 胸を張って生きるために……!
 だから… 実は勝った負けたは… 2番目…
 その前に闘う事自体に意味がある……! つまり敗者にも意味がある……」
「ヴィヴィオ!もう止めてっ!ヴィヴィオっ!!
 それ以降言ったら最後に起きなくなっちゃうからもう止めてぇ!!
 アゴが四角くなっちゃうからヤメテェェー!!!」

 もはやフラフラに揺れても働き続けるヴィヴィオの体を、なのはは無理矢理引き剥がす。
 この距離は既に異臭の濃い範囲内だが、もはや慣れた。慣れた自分が怖い。

「わかる?ヴィヴィオ、自分がわかる? わかる?わたしが誰だか、わかる?!」

 ヴィヴィオの正面に回り込み、両肩を両手で掴み、真正面で語るなのは。
 「お前こそ誰だよ」と対面者が言いたくなるほど激震した自我のまま、
 さながらサイコな大規模人型メカを動かす強化人間のようにヴィヴィオへ詰め寄った。

「闘わなくていいんだよ…!もう闘わなくていいんだ……いいんだからッ……!」

 泣きながら。すがりついて子供のように泣きながら。
 大きく変化したヴィヴィオの体を抱きしめていた。
 その姿は、過酷な処から戻ってきた肉親の無事を喜ぶ家族のようだった。


「いい…か、ら……い、い…がらぁ……!!」

「マ、マ……ママ……ぅふっ……ママ……く、くさいよ…」

「…う……ん……っ…うんっ…!
 そ、う……そう…だね…!だよ…ねっ…! …は……あ、は……はは、は……」

「…ふっ、は…は……おか、しい…なぁ…ひっ、く……あは、は……は………」


 “くさい”と言われ、泣きながらも、
 そのおかしさに笑みを浮かべる高町なのはと、大人の姿のヴィヴィオ。

 飛び散りを浴びて酷い状態に汚れたエース・オブ・エース。
 異物相手に闘ったせいでキツい状態に汚れた聖王。
 そんなふたりが、凄まじいサイズの『アレ』の隣りで泣きながら抱擁し合っている、
 もう、なんか、うん、すごく異様な光景が、そこにあった。


 ・   ・ ・   ・ ・ ・   ~

 ――― その後 ―――


『…<命を養いし諸々の屍>、…<地を豊穣に導く>、…確か、に』
『騎士カリム、あの、お顔が…』
『…シャッハ。エチケット袋、も、もう一つ下さォエェプ』
『どなたか!どなたかガスマスク系の何かありませんか!?あと酸素ボンベェー!』


『どーすんだよこれ!?ここらへん地面と融合して沼みたいになってんじゃねーか!』
『ヴィータちゃん!目を背けないでっ!ザフィーラは嗅覚のせいで昏倒してまだ痙攣しているのよ!!』
『シグナム…バッテンチビの奴、ダイレクトに被ったからまだうなされてる……』
『だそうだ。…ヴィータ。…あ、あとは、任せゥゴフッ』
『やめろぉー!都合よく斃れてあたしにばっか重責背負わすなーーーっ!!』


『デカさと臭さに負けて自分を見失うな!俺を見ろ!しっかり俺の目を見てくれぇ!!』
『もう嫌!!こんなのできない!!もう何もかもイヤなのぉぉぉぉ!!!』
『ティ、ティア……ここで諦めたら…人生終了だよ…?』


『うおおぉーっ!こ…こんな馬鹿な話があってたまるかよ―――っ!!』
『め…目をあけるっスよトーレ姉ぇーっ!!
 そしてあたしらをあのキビしい模擬戦でビシビシと鍛えるっスよぉーっ!!』
『や…やめろ……ノーヴェ…ウェンディ……!』
『オ…オッ…トー……ぅ、う…うっ……!』
『それよりも……こ、この姿……あまりに、無残で……く、臭すぎる……』


『や……や、あ……』
『…こっ、こちらディードっ!お…驚きました!
 ディエチ姉様が意識を取り戻しましたッ!
 生き返りましたッ!やったッ!バンザーイ!!どーぞっ!!』


『この、姿は…… まるで……
 完膚なきまでに…… 脆く崩れ去った…志……』

『儂は……心の片隅に追いやっていた己が弱さを……脆さを……
 今……この野糞に……見てしまったのだ………』

『儂が…レジアスというただの人が…いつしか躓き、歪み、外れ……
 形だけに驕って怠けていたことに……早う気付いておれば……』


『俺は最後に……自分の全てを伝えた…… ルーテシア…おまえは、俺の希望だ…
 まるで…娘と…その兄姉を…同時に持ったような気持ちだぞ…
 そして…俺は、これからお前の中で…生き続ける……』

『ル…ルーちゃん……
 泣いて、いいんだよ……今は、思い切り、泣いても……』
『……ううん。
 私、泣かない…
 私が泣いたら…ゼスト、眠れない……』

 ―――  愛して その人を得ることは最上である…
         愛して その人を失うことは その次によい  ―――

               ( ウィリアム・M・サッカレー  19世紀英国作家 )

『―――さよなら……ゼストさん……』


『クロノ、その……うわあ…なんだこれは……たまげたなあ…』
『汚いモノだなあ…やべぇよ…やべぇよ……ちょっとユーノ、現場行って…洗え』
『それはカンベンしてください……オナシャス!許してください、何でもしますから!』
『ん?今何でもするって言ったよね?』


『………っ……ふっ、ふぅわああああああああああああああん!!
 フェイトちゃああああああああああああああああああああああん!!
 こっ、こ、こ…怖かったよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
『……ねえ、なのは……先にシャワー浴びに行こうか……――脱ごう』


『ところで、リンディ提督のご家族はお元気ですか?』
『んふぅ』


 目的を緊急変更せざるを得なくなった時空管理局…いや、ミッドチルダのあらゆる諸々、
 その他諸々の協力者によって、全長数キロメートルにわたる『アレ』の清掃・処分は始まった。

 その現場に、敵も味方も関係なかった。
 その場にいた全員が、目前の問題を片付けようと渾身だった。
 そこに価値観の差異や負の感情などなく、
 無為な悪意は影と消え、全てがひとつになった時間だったのだ。

 途中から状況が爆発的(あのボリュームも含め)に変化したこの一連の事件……
 この事件解決の先鋒として活躍を果たした時空管理局・機動六課の、

 ………は、中略として………

 この事件は以後、『00(ダブルオー)事件』と呼ばれることになる。

 あ? なんで『00』なのかですって?
 それはつまり『O(オー)』と、『○(まる)』が、二つ並んでいるから、
 ふたつを連続して読むと、

 まあそんな事だ……。


 ――― 『00事件』終結から、X日後… ―――

 事件当時の状況ゆえ、事態収拾の協力をしざるを得なくなった、いや、
 それ以上の本能的な使命感で協力した、スカリエッティ勢力側の戦闘機人・ナンバーズ。
 とはいえ『00事件』発端にも関わり(関係者は「あんな事態になるとは思わなかった」と主張)、
 犯罪活動に加担していたという事実は覆らないため、一定期間の懲役が科せられる事になった。
 一部を除いて。

 ……では、その“一部”はどうなったのか?

 更生教育用の施設ではなく、“特別病棟”へと移された。
 病棟行きの理由は単純。
 “状態が酷すぎた”のである。


 ―――戦闘機人『VII』 セッテ

 意識を取り戻した後、復帰して活動しているディエチとは異なり、
 あの巨大な『アレ』の中から救出され、意識を取り戻したセッテの精神状態は不安定だった。
 彼女は今、生気の無い瞳で窓の外を見続け、何も言葉を出さず、病室から離れられないでいる。
 幸い、片腕と口を動かして物を食べることはできるのだが……枯れた表情は、変化しない。
 “何かされた少女(意味深)”のようになった状態のセッテが自我を取り戻し、
 本来の状態に戻るためには、長い時間がかかるだろう。

 恐怖が、彼女を変えた。これまでに体験したことの無い恐怖が、彼女の心から光を奪った。
 そして、彼女だけでなく………


 ―――戦闘機人『III』 トーレ

 ―― ……ぁあ…あ…来る…また…来るぅ…!…また…! ――

 ―― 逃げろぉ…だ、駄目だぁ…!そっちに行っちゃ、ダメだぁ…! ――

 ―― ああぁ、来た、もぉ…もういやだ、臭いのはぁ、いやだぁぁ!…… ――


「ぉうぅ、ぅあぁあぅぁ…ひゃめぇふぇ、やめぇ…らめへぇ、え…」

 あの惨劇から、重体の姿で救出・確保されたトーレは極限の恐怖による精神崩壊を起こし、
 回復できるかどうか目途が立たないほどの重体に陥っていた。
 その有様は、セッテよりも酷かった。
 壊れた心によって齎されたのか、何も見えず、何も聞こえない精神状態。
 その何も感じ取れない無明の闇は、精神的な面をさらに容赦なく蝕む。

「あぁふあ…たふ、け…ああ…ぅ、た…ふえ、へぁ…あぁあ…」

 呂律が回らない呻き声。それだけが、トーレの口から漏れ続けている。
 寝台に横たわったまま弱々しくうなされるトーレは、震える右手を、上の虚空へ差し伸べている。
 呼吸を維持するための酸素供給マスクで塞がれた口から、常に必死の声を出し続け、
 何も見えないまま、誰かに助けを求めるように。
 何も聞こえないまま、何かにしがみつこうとするように。

 視界も、聴力も、嗅覚も、『アレ』によってすべて埋め尽くされた『あの時』と同じもの…
 数多の臭い物体の洪水に妹達ともども流され続けて埋没し続ける永遠の迷宮の中で、
 トーレはただひたすら彷徨っていた。逃げながら、彷徨っていた。
 いつ明けるか解らない暗黒が続く限り、いつまでも… いつまでも………


 ―――戦闘機人『I』 ウーノ

 彼女は比較的早く活動可能な状態に回復していた。
 そして今、――この病棟で、妹ふたりと、――ある一人の男性の面倒を見ている。
 これはただの看病ではない。与えられた義務――懲役である。
 監視は、常に続いている。しかし彼女は逃げる気などないだろう。

 セッテの食器を回収し、心が痛みながらもトーレの点滴を交換したあと、 
 その「一人の男性」の病室までやってきた。
 その男性は直前まで眠っていたのか、ベッドの上で起きていた。

「おはよう。……『ジェイルくん』」

 ――『ジェイルくん』。 そう、この男性は―――


 ―――広域時空犯罪者 ジェイル・スカリエッティ。

 大救出劇の末、見るに堪えない壮絶な表情で固まっていた状態で発見され、
 医療設備の揃ったヘリでの集中治療の末、彼は一命を取り留めた。

 その末………

「あのね……ぼく、おふねにのったの…」

 スカリエッティはウーノの姿を少し見た後、急に語り始めた。
 『ジェイル・スカリエッティ』らしからぬ、鋭さが皆無の発言。表情も、非常に緩い。
 それも、まるで幼い少年のような――

「それでね、くさいの、いっぱいきて…こわかったの。
 でもね…おとなのひとが、たすけてくれたの」

 心が、壊れていた。
 そこに『無限の欲望』は、もういない。

「パパと、ママはね……いないんだ」

 探求することで、求め続けることで、絶えの無かった狂気。
 彼の心を支え続けていたのは、狂気だったのかもしれない。

「いないから…パパとママのおかお、わからないの…」

 その狂気を上回る何かが、彼の記憶を、自我を、壊してしまったのか。

 ――コト。

「ぼく…つみき、おもしろくて、だいすき」

 彼は、ベッドの隣にある小さな机で、積み木を重ねて静かに遊んでいた。
 この病棟に移されてから、暇な時、寂しい時、ずっと。

「でもね…パパもママも、いないから、ずっとひとりでやってるの…」


「ジェイル、くん…」

 無意識だった。
 ウーノは無意識に体を寄せて、両の腕で、彼を優しく抱いていた。

「なあに」

「一人で…歩ける、ように…っ…なったら……
 お姉さんと…っ…積み木遊び…しましょう、ね……!」

「…ほんと?ほんとに!?」

「うん…っ…うん……好きなだけ…… 山ほど…っ…積ん、で…あげる…から…!」

 泣いた。
 ウーノは、泣いた。
 もう『自分の知るドクター』ではなくなった、少年の心しかない男性を前に、彼女は泣いた。

 あの時現れた「アゴの長い男」に対する憎悪と復讐心などかなぐり捨てて、
 今はただ、現在のスカリエッティの心を、支えてあげようと想っていた。

 本来の彼が、私たちの生みの親ならば、以前の心を失ってしまっても、私たちの家族なら、
 今度は私が、家族として、支えてあげよう。
 それだけでいい。
 今、私が存在する理由は、それだけでいい―――


 ―――戦闘機人『II』 ドゥーエ

 あの『臭い大災害』によって発言のできない心身状態だったジェイル・スカリエッティ、
 ナンバーズの数名に代わり、実質的な戦意放棄・投降を表明したのは彼女だった。
 根底から全てが崩れ去り、もはや何もできない状況下ゆえの選択だったのだろう。

 判決、無期懲役。これまでのナンバーズの中では、最も重い処罰。
 だが、彼女に与えられた義務は、収監ではなかった。


 ――― 『00事件』終結から、Xヶ月後… ―――

 ……ミッドチルダ東部地上某所。元・森林地帯。

 この場所は、かつてジェイル・スカリエッティの研究所が隠され、
 『聖王のゆりかご』が蘇り、そして跡形も無く砕け散っていった場所。
 芸術的なほど整った形の『アレ』が墜落した場所の跡地である。
 そこは既に森林ではない。土塊の散らばった荒れ地。
 その荒れ地の上で、耕運機を運転する一人の何者か。

 ――― ブロロン、ブロロ、ザザッ…

 二人乗りの小型乗用車。
 悪路走破用のタイヤが砂埃を巻き上げながら走り、荒れた地の上で止まる。

「……着いたっスよ、セイン」
「……じゃ、済ませてくるから」

 元・ナンバーズの「ウェンディ」と「セイン」。

 犯罪者だった頃のジェイル・スカリエッティに加担していた立場だったが、
 “懲役”の期間も終え、こうやって外出できている。

 セインは今、この荒れ地を耕している人物に“面会”しに来た。


「……ドゥーエ姉」

「…あまり経ってないのに、久しく思えるわ、セイン」

 耕耘機を止め、セインの方向を向く彼女。
 ドゥーエは、そこに居た。以前とは全く違った立場と姿で。

 短期間で、まるで何年間も使い古したように汚れたツナギ服と、草の日除け帽子。
 彼女の印象とはまったく合わない装いを、彼女は着ている。

「…みじめな姿でしょう?
 誰も想定できなかった“あんな出来事”で、
 あれだけ仕組んできた一切が潰れ、全てを諦めて放り捨てて、この有様……」

 荒れてしまったこの土地を、再び緑化しなければならないという懲役。
 いつ終わるか、わからない。
 しかしこの過酷な義務を選んだのは、ドゥーエ本人。

「…あのさぁ、ドゥーエ姉、その…確かに“こやし”は土地にあるんだろうけど、
 そう苗植えたり種蒔いたりしたって実らないんじゃ――」

「実るわ」

 …スカリエッティの研究所から確保・救出された一部以外、
 ほぼ全ての“名も無き妹達”は研究所ごと、この地の遥か深淵へと沈んでしまった。
 巨大な物体の衝突後、時間経過による地盤の崩壊が原因である。

「ここの土地に…生まれないまま散った、名も無い妹達が眠っている」

 彼女はまた、耕耘機のエンジンを動かし始めた。
 人とは異なる体ながら、人と同じ哀しみを知った彼女。
 赤い夕日に照らされながら土を耕す彼女の横顔は、寂しげだった。

 その姿を見るセインは「どこの世紀末救世主だよ」と言いかけたが、口に出すことはなかった。


 人として、新たな道が始まった者。
 心を蝕まれ、闇の中で彷徨っている者。
 寂れた道を選び、過去を清算しようとする者。

 しかし、戦闘機人のうちの1体――クアットロ――のみ、行方は解らない。
 彼女はどこへ逃げたのか。いや、原型も残らないほど大破して死亡したのか。
 どうなったのかは不明である。真相はもはや闇の中へ。悪臭の闇の中へ……―――


 ―――と、こんなわけで、機動六課の初めての大事件処理体験は、
  クソミソな結果に終わったのでした…


~ ~ ~ ~ ~


「―――坊や、どうしても自分で歩いて行くのかい?
 もう長く歩けるような歳でもないんだろう?」

 広い草原の一箇所に、老いた女性ひとり、
 そして、荷を背負ったみずぼらしい男もひとり。

「あの時…泣いて、泣くだけ泣いて……
 何も要らなくなり……何やら、肩が軽くなりました…」

「そう………。
 それで、行き先はどこへ?」

「とりあえず……東へ」

「そして……行けるだけ、行けたら……
 野垂れ死に、いたします……」

 男の顔は、終始おだやかだった。

 ―――人は何かを捨てて前へ進む。
 この無限大の宇宙、数多の人々の名の中に、レジアス・ゲイズという名があった。
 そして、かつてその名を持っていた人の、

    なか゛い  たひ゛か゛  はし゛まる  ・ ・


― ― ― ※ ― ― ― ― ― ― ― ―


~  エピローグ  『IV』のゆくえ  ~


  ・   ・ ・   ・ ・ ・   ~


 コンクリート製の汚れきった水路。その端にしがみつき、汚水から脱出した者がいた。


「…ぐ……え゛ぇっ!!ガハッ、げほ、あ゛…っ…はっ、はっ…!」


 彼女が意識を取り戻したのは、何処かの、狭い下水道。
 それ以外は、何も解らない。

「うぇぇぇぇッ…!おぇぇぇぇぇ…!ゲホォッ、ェホォッ!」

 行方不明の扱いとされた戦闘機人ナンバーIV――クアットロ――は、
 汚れきった濁流の中で目を覚まし、這い上がって、吐き、咽び、また吐いた。
 正直、気分はいいものではない。最悪だ。悪臭を伴った汚水の中という寝醒めの上、
 口の中にはドブネズミが入り込んでいたのだから!

 押し流されていた間に何処かで失くしたのか、
 固有武装のケープは失われ、トレードマークの眼鏡は、既に無い。

「…っ、……っ、生き…てる……?」

 ――いや、ここがいわゆる“冥界”なのかもしれない――とも、クアットロは考えを巡らせたが、
 気持ちの悪い濁流と、ドブネズミが口中に入ってきたリアルな感触があるなら、
 やはりまだ死んではいない――そう結論付けた。

「なんで、こんな所……」

 ――おかしい。
 私は『ゆりかご』の中で、思い出したくもないほどにおぞましい体験を経て押し流された。
 こんな都市部の地下水道のような場所にまで流されたにしても、場違いが過ぎる。――

 戦闘機人としての機能をほぼ全て失っているクアットロは、
 この場がどこなのか知るため、水路の汚い流れを嫌がりながらも、膝下まで浸かって探索し始めた。

 だが、その時!


 ―――  う お お お お お お お お  ―――

「!」

 遠くからふと、声が聞こえた。男の声だ。


 ―――  ド ー ー ー ー ン  ―――


 誰の声か理解する間もなく、何かとてつもなく重厚な轟音が鳴る。

「な…なんなの……爆薬…?」

 もしここが都市部ならば、何らかの強盗事件や紛争があってもおかしくはない――
 クアットロの脳内分析では、――爆弾を使ったテロ行為――それらの可能性を考慮した。

 しかし無慈悲にも、その考えは外れた。カスリもせず。


  ・ ・ ・ ・ ・ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ

「何か……大きいもの……来……っ!?」

     ・ ・ ・ ・ ・ ド ド ド ド ド ド ド ド ド

「ぁ……あ……あ…あ、あ……!」


 クアットロは、己が目を疑った。

 イヤになるほどすぐ前まで味わった初体験だったのに、また遭遇した。

 濁流に運ばれて、迫ってきたのだ。

 茶色で、適度に柔らかく、悪臭を発する、巨大なとぐろ巻きの物体が―――!!!


「ウアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ―――――――――!!!!」


 逃げた。
 下水に足を取られながら、全力疾走で。


 “あの時”―――『ゆりかご』は最期の力を振り絞った、
 むしろきばり出したかのようにわずかな次元震を起こした。
 断末魔のようなその歪みは、ふたり分だけを別世界へと移すに至った。

 それがこのざまである。
 『おまる』になる事を拒み、『ゆりかご』のまま散ろうとした結果が、これである。

 “ウン”がついてしまったのか?
 彼女――クアットロ――は、ある土地へボットンと流れ着いたのだ。

 その土地の名は、「浦安」………



                                   ~  お わ れ  ~




※なお、“アゴの長い男”は『00事件』終結から5日後、エクアドルで発見されたという

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年12月30日 22:34