街に夜の帳が下りる頃、高町家の道場には未だ明かりが灯っている。
道場には二人だけが相対し、構えたまま互いに微動だにしない。
どうやら打ち込むタイミングを計っているようだ。
窓からは涼やかな風が流れ込み、火照った身体を僅かに冷ます。聞こえるのは風が木々を揺らす音のみ。
ほんの数秒が何時間にも思える程の静寂――。
先に動いたのは左側の剣士だった。一足飛びで面を振り下ろす。
完全に動きを読まれていた。鋭い一撃を相手は的確に受け止め、流れるように胴を薙ぐ。
辛うじて胴を柄で庇う。読んでいたのはこちらも同じ。
それでも、並の遣い手に対応できる速度ではなかった。
面や胴こそ着けているものの、元より剣道としての形式や動きは踏んでいない。完全な模擬戦だった。
そこから先は乱打の応酬。しかし、ぶつかりあうのは竹刀のみで身体には一撃も入っていない。
その剣閃は最早目で追いきることはできない。それはおそらく当人も同じだろう。
可能な限り相手の剣先を読み、捌き、掻い潜って打つ。
二人の激しい熱気が渦のようになり、場を支配する。
呼吸すら忘れて打ち合うこと数分。
先に息を乱し、姿勢を崩したのは先に打ち込んだ剣士だった。
乱撃の中に垣間見えた一瞬の隙を相手は見逃さず、開いた脇の下に逆胴を叩き込んだ。
「がはっ!」
大きく息を吐いて床に膝を着く。胴の上からでも呼吸ができない程、その一撃は重かった。
「腕を上げたな、秋水〔しゅうすい〕」
「……ありがとうございました。恭也さん」
早坂秋水は息を整えて立ち上がり、高町恭也に一礼した。

閉店後の喫茶店『翠屋』の店内で秋水は遅めの夕食を取っている。テーブル席の向こうには恭也と妹の美由希が座っていた。
「食事までお世話になってすいません」
カウンターで微笑む店長の高町士郎、桃子に何度目かの礼をする。勿論、代金は払うつもりだが。
「いいのよ、遠慮しなくても」
「ああ、ほとんど半年振りに恭也と手合わせしたんだ。疲れただろう?」
ニコニコ笑っている4人に釣られて笑みを零す。同年代との会話とはまた違う、
一家の団欒は痒いようなくすぐったいような不思議な感覚がして、どうにも戸惑ってしまう。
「ええ、恭也さん本当にありがとうございます」
「いいさ、たまに日本に帰った時くらいしか相手してやれないしな」
「お兄ちゃんを追い越す日も近いかもね」
士郎、桃子夫妻。長男の恭也、長女の美由希。あと一人、妹がいるらしいが秋水は面識が無かった。
彼らと出会ったのは昨年の春のことだ。
ホムンクルスの集団『L.X.E〔超常選民同盟〕』の子飼いの信奉者として、姉と共にホムンクルスとなる為にひたすら強さを求めていた頃――。
休日の練習後、剣道部の連中に誘われ偶然入った喫茶店が翠屋だった。
わざわざ隣町まで引っ張ってこられたのは迷惑極まりなかったし、その時は味にも大して興味は無かった。
さっさと帰るか、と席を立った時に店に入ってきたのが荷物を持った恭也だ。
顔は優男だが鍛えられた肉体は服の上からでも分かったし、その気配に何か感じるものがあったのかもしれない。
彼が道場に行く、と告げた言葉を聞いた時、思わず手合わせを申し出ていたのだ。
――結果は敗北。彼の速く重い剣戟を受け止めきることができなかった。
その際も面や胴を着けて竹刀で臨んだが、それが彼の本来の戦い方ではないと知った時は更に驚かされた。 
思えば、それが高町家との出会い――。
「どうしたの?秋水君」
「食欲無いのかい?」
桃子と士郎に声を掛けられた。どうやら思い出している内に手が止まっていたようだ。
並んでいるメニューはチキンカレーとサラダとスープ。ごく有り触れたものだが、口に入れると優しい味が空腹に染みる。
「いえ、美味しいです。凄く……」
秋水は僅かにはにかんで、本心から答えた。

恭也は秋水に手合わせを求められた時、最初は断るつもりだった。恭也を動かしたのは秋水の眼。そして彼の言葉。
「俺は今、強くなれるだけ強くなりたい」
彼がそこまで強さを求める理由は解らない。だが、彼に少し興味が湧いた。
全国4位というだけあって腕はかなりのものだ。
それだけではない。それ以上に彼の剣には鬼気迫るものを感じた。そしてそれは追い詰められるに連れて強まっていく。
何が彼をそこまでさせるのか――それは未だに解らないし聞く気も無かった。
御神流を教えろと言うなら断るつもりだったが、どうやら強い相手と稽古をしたいだけらしかったので、以後も美由希が何度か相手をしたらしい。

次に秋水と会ったのは昨年の暮れだった。
どこか纏う雰囲気が変わり、剣からも鬼気は感じない。とはいえ弱くなったのではなく、むしろその太刀筋は見違える程に鋭く研ぎ澄まされていた。
そして最も変わったのは、よく笑うになっていたこと。

恭也は頬杖をついて秋水を見る。美味そうにカレーを口に運ぶ彼は、仮面を被っていたような一年前とはやはり違う。
「秋水、"強くなれるだけ強くなりたい"気持ちは今も変わってないか?」
彼は突然の問い掛けに少し戸惑っていたが、すぐに恭也の眼を見返し
「はい」
と短く答える。その眼と感じる想いは一年前と少しも変わっていなかった。

今宵は新月。夜陰に乗じて行動できるとはいえ、やはり月が見えないのは寂しい。
だがそれも一時のこと、すぐに明るくなる。それに見えなくとも月はそこに在るのだ。
街で最も高いビルから街を見下ろす。
街の中心部はもう21時を過ぎたというのに、派手なネオンや道行く人間の声で賑わい、なんとも喧しい。
だがそれも一時のこと。やがて全ての音は止み、更に眩い光が照らすことになる。
「むぅ~ん、さあ始めようか。月のように美しい光で夜空を照らし、月のように丸い門を開こう」
指を弾いて鳴らし、パーティーの開始を告げる。パチンと寂しく響いた音は人々の耳に届くことはないが、少なくとも彼らには伝わったようだ。

「それじゃあ、ご馳走様でした」
秋水が店の扉を開けると、外がやけに騒がしい。
それが悲鳴だと解る頃には、既に奴等は近くまで迫っていた。
「ホムンクルス!?」
トカゲを模した機械の化け物、そしてバタフライの造った醜悪な人型の蝶整体が4匹、商店街を闊歩していた。
何故、ホムンクルスがこんなところにいるのかは分からない。
分からないが、秋水はすぐさま扉を閉じた。
「どうしたの?秋水君」
「しっ!黙って」
口に指を当てて全員を黙らせた後、急いで電気を消す。
冷静に携帯を取り出し、連絡を試みる。
連絡先は警察ではなく、私立『銀成学園』寄宿舎。


錬金戦団の活動凍結後、秋水は戦団と関わることは無かった。それゆえ戦団にこちらから連絡する手段は持っていない。
卒業し寄宿舎を出てから約三ヶ月経つが、まだ寄宿舎にはあの三人がいるはず。
武藤カズキ、津村斗貴子、キャプテン・ブラボーの三人。そういえば火渡戦士長と中村剛太、毒島華花もだ。
不思議なことにあの学園には六人もの錬金の戦士が集まっている。助けを求めるなら彼らが適任だ。
ブラボーなら戦団への連絡手段も持っているだろう。それに武藤は核鉄をその身に宿している。
しかし確かに番号をプッシュしたはずの携帯からは電子音しか聞こえてこない。
「ちいっ!」
秋水は苛立ちながら携帯を仕舞った。
窓の外を人型の影が過ぎる。
これならやり過ごせるかもしれない、と淡い期待を抱くが――どうやら甘かった。
ガラスの割れる音と共にホムンクルスが飛び込んできた。
蝶整体だ。こちらに気付いているのか?
息を潜めていれば或いは――。
「きゃああああ!」
美由希か桃子か。どちらかは分からないが悲鳴を上げてしまった。これで他のホムンクルスも寄ってきてしまう。
秋水はすかさず蝶整体に駆け寄り、腹を全力で蹴り飛ばす。
不意を突かれた蝶整体を店の外に蹴り出すくらいはできた。
「逃げてください!早く!」
幾多のホムンクルスを屠ってきたからこそ解る。
武装錬金無しで挑むことがどれほど無謀なことなのか。そして狩られる側に回ることがどれほど恐ろしいことか。
この家族だけは絶対に守らなければ。
たとえ核鉄がなくとも自分は錬金の戦士だ――そう考えることで秋水は自分を奮い立たせる。

包囲しているホムンクルスは現時点でおよそ8、9体。低級な動物型か蝶整体ばかりだ。
たったその程度の相手でさえ今の自分には驚異である。
壁を壊されて四方八方から掛かられてはどうしようもない。入り口を開いたのはその為でもあった。
秋水は振り回される蝶整体の爪をかわし、がら空きの頭部に打ち込み、外に叩き出す。
三人は全員がトカゲ型ホムンクルスを相手にしている。敵が緩慢とはいえ、三人ともホムンクルスをものともしていない。
「はあああああ!!」
特に恭也の力は凄まじい。恭也の渾身の一撃でホムンクルスの頭から砕けるような耳障りな音が響いた。
異形の化け物でもこの程度ならば人でも勝てないこともない。ただ、問題はその先にある。

襲い来る敵をただひたすら叩くこと十数分――。
秋水含む全員が既に疲弊しきっていた。
ホムンクルスは致命傷となるような打撃でも、ものの数十秒で起き上がってくる。通常の武器ではホムンクルスを殺すことはできないのだ。
現在、まともに攻めても勝ちは薄いと学習したのか、ホムンクルス達は遠巻きに道場を覗いている。
「大丈夫ですか?皆さん」
戦闘に立つ秋水が全員を振り返る。
「こっちはまだまだいけるが……」
「秋水君は大丈夫?」
「だが、このままじゃまずいな……」
「みんな……ごめんなさい……」
恭也、美由希、士郎、桃子が答える。余力は残っているようだが、三人とも疲労は隠せていない。
今は散発的にしか接近しようとしないが、じきに総攻撃を仕掛けてくるだろう。そうなれば防ぎきることはおそらくできない。
その前に他のホムンクルスがここを嗅ぎつけてくるかもしれない。
(それでも……俺が守らなければ……!)
具体的な策は何もない。選択肢は自分が消し去ってしまった。
それでも諦める訳にはいかない。
重くなりつつある足を踏み込む彼の許に、救いの天使は風を切って飛び込んできた。

「秋水~~!!」
「ぶっ!?」
突如視界が真っ暗になる。力一杯引き剥がすと、顔面には何か奇妙な生き物が張りついていたようだ。
天使には違いないが――それは天使と呼ぶにはあまりにも珍妙な容姿をしていた。
「ゴゼンか!?」
「秋水!核鉄だ!桜花から核鉄預かってきたぞ!」
それでも彼にとって救いの天使には違いなかったが。

『弓矢〔アーチェリー〕』の武装錬金『エンゼル御前』――それが早坂秋水の双子の姉、早坂桜花の武装錬金である。
このキューピッドと言うよりも肉まんのような珍妙な自動人形〔オートマトン〕はその一部である、通称『ゴゼン様』。
ゴゼンの手には確かに核鉄が握られていた。
「姉さん!?なんで核鉄が――」
ゴゼンは桜花と意識を共有しており、ゴゼンを通じての通話も可能だ。秋水はゴゼンの頭を掴んで姉に質問を投げつけようとした。
「(秋水クン、話は後よ!)」
二体の蝶整体が道場の両側面の壁を突き破るのと、桜花の声はほぼ同時。勢いのまま突進し、振り上げた拳は桃子と傍らの士郎を狙っている。
「(エンゼル様!)」
桜花の号令でゴゼンの腕が高速で動き、一体の頭に無数の矢が刺さる。蝶整体はその場に崩れ落ち煙を立てて消滅した。
それでも残った一体は止まろうとはしない。拳を正面から受けることは士郎でも不可能だ。そして桃子がかわすことも間に合わない。
以上を考えるよりも早く、秋水はゴゼンから核鉄をひったくり身体ごと蝶整体の前へと飛び込んだ。
「武装錬金!!」
拳が秋水へと届く寸前、突き出したXX(20)の核鉄が輝きを放つ――。

「秋水君!」
士郎が目の前に割って入った秋水に叫ぶ。
光に目が眩み、次の瞬間には化け物は拳ごと両断され床に転がっていた。
反り返った蒼の刀身、先端の刃は両刃に分かれた小烏造。彼の手に握られているのは紛れもない日本刀だった。
「休んでて下さい。俺が片付けてきます!」
彼は振り返ることもなくそう告げると、外へと飛び出していく。続けて連続した化け物の悲鳴。
数分、たった数分でそれは止んだ。何度戦っても斃すことのできなかった化け物を、彼は
僅か数分で斃してしまったのか。

秋水は妙な高揚感に包まれていた。手元には馴染んだ感触。柄のXの印が蝶に変わっていることを除けば、何一つ変わらず懐かしい。
ようやく――ようやく自分の手に皆を守れる力が戻った。それが『日本刀〔ニホントウ〕』の武装錬金、『ソードサムライX』。
「姉さん、この核鉄はまさか……」
「(ええ、パピヨンのものを借りたの)」
秋水はホムンクルスの掃討を手伝ったゴゼンに、正確にはゴゼンの向こうの桜花へと話しかける。
「やっぱり……。だが、どうやって?」
パピヨンが核鉄を素直に貸し出すはずがない。享楽的で自己中心的、パピヨンとはそういう男だ。

「最初は彼が人を拾っているところを私が発見したの。二人を重そうに担いで飛んでいたわ」
桜花はその二人――大学の同級生でもある月村すずかとアリサ・バニングスを見やる。彼女達は二人揃ってベッドに寝かされている。
服は全身血に染まっているにも関わらず、かなり疲れているのか起こしても起きようとしない。
「電話は通じないし、秋水クンや海鳴の様子も気になった。その点は彼も同じだったみたいね」
「(あいつは自分で見に行かなかったのか?)」
「彼は助けた二人が余程気になるみたいね。だから私を情報収集に使った。その見返りに私は核鉄を借りた……そういうこと」
当のパピヨンは二人から離れた場所で読書中だ。それでも会話はおそらく聞いているだろう。
「(姉さん……今何処に?)」
「パピヨンパークよ」
向こうで秋水の息を呑む音が聞こえた。弟の驚く姿を想像すると可笑しくなり、桜花はいたずらっぽく笑った。

何にせよ、これで脱出の目処はたった。このまま街中を突破して銀成学園へ走るのが最適だろう。
「桃子さん、立てますか?」
「ええ……」
力無く答える桃子を士郎が支える。
「皆さん、今は事情を話している暇はありませんが付いてきて下さい」
全員がそれに頷く。理由を訊く者はいなかった。
――どれほど走っただろうか。ゴゼンが上空から探してくれたおかげでホムンクルスと遭遇することはなかった。
街は明かりが消えているはずなのに、やけに明るく感じる。
原因はすぐにわかった。それは街を覆うようにたちこめる銀の煙。
暗闇の中でもわかるキラキラ光る美しい銀の煙だ。気付けば全員が銀の煙の只中にいた。
それでも構わず走り続ける内に、恭也達の動きが鈍くなっていく。
〈ぜひ……ぜひ……〉
掠れた呼吸音――水を求める犬のように舌を出し、必死に空気を取り込もうとしている。
腕は喉を押さえ、顔には苦悶の表情を浮かべる。
「どうしたんですか!?恭也さん、美由希さん!?」
遂には走ることもできなくなり、その場に座り込んでしまう。
だが、秋水には全く理解できなかった。銀の煙を吸収していても、自分の身体には全く異常はないのだから。
「士郎さん、桃子さん!?」
しかし、何度呼びかけても彼らからは〈ぜひぜひ〉と掠れた呼吸音しか返らなかった。

背後で耳を劈〔つんざ〕く轟音が響き、近くの民家の屋根に大きな穴が開く。爆発、炎上する民家。
「まだ動ける人間どもがいたのかァ?」
銀の煙の中から現れたのは戦車。
しかし無骨なデザインのものではなく、四足歩行の脚部も長い砲身も、
そして中心にある頭部も――全てが色とりどりの原色や模様で飾られたなんとも派手な戦車だ。
(ホムンクルス……ではない?何なんだこいつは)
「逃げたきゃ逃げてもいいんだぜ?後ろからはこの『ピンボール―「K」』様の大砲で狙わせてもらうけどよ!ぎゃははははは!!」
そう言って戦車は下卑た笑い声を上げた。何にせよ戦うしかないことだけは確かだ。
(だが遠い……)
奴の武器は背中の大砲だ。そして秋水は一足飛びに懐に入れる距離にはない。
左右はあまり広くなく、障害物もないから奴としては狙いもつけ易いだろう。

「やる気なら相手になってやるぜえ!」
戦車の放った砲弾が壁を抉り破片を撒き散らす。
「ぐうっ!」
破片は容赦なく秋水を、そして高町家の人々を打ちつける。秋水は衝撃で地面を転がった。
(まただ……また、迷っている間に危険に晒してしまった……!)
全員で逃げるという選択肢は最早不可能だ。戦うにせよ、砲弾の直撃を受ければ人の身体など容易く粉砕される。
だが避ければ動けない彼らが危険だ。
秋水は選択を迫られる。それも、またしても時間制限付きの選択を。

「どうしたあ、人間!来ないならこっちから行くぜ!」
恭也の目の前で早坂秋水は傷ついた身体を引き摺って戦っている。自分達が彼の足を引っ張っている。
珍妙な生物は矢を連射しているが大きなダメージは与えられていないようだ。
そして戦車の二射目は確実に秋水を捉えて放たれた。
彼は刀でそれを受けて逸らせる。砲弾は再び壁面で炸裂し、熱と破片で彼を痛めつける。
衝撃で吹き飛ばされた秋水は恭也の近くまで転がってきた。
息も絶え絶えになり、全身から血を流し、それでも彼は起き上がろうとしている。
「もういい……〈ぜひ〉秋水、君だけでも逃げろ〈ぜひ〉……」
美由希や士郎もそれに頷く。これ以上、自分達を守る為に犠牲にさせる訳にはいかない。
それは高町家の全員の総意に違いなかった。
「そうそう、一人で逃げるか、全員で死ぬか選びな!尤も逃がしゃしねえけどな!」
戦車はそう言ってまた嗤う。
「いえ……俺は逃げません。俺は皆さんの御陰で強くなれました……ですから勝ちます」
彼は頭から血を流しつつも自分に、いや全員に微笑んでみせた。
それはきっと強がりなのかもしれない。それでもその『笑顔』を見ると胸がふっと軽くなるような――。
気付くと痛みも呼吸困難も徐々に治まっていた。

ギリギリの状況で迫られる選択。最初はその重さに迷いどの選択肢も選べなかった。
今は違う。
「そうそう、一人で逃げるか、全員で死ぬか選びな!尤も逃がしゃしねえけどな!」
どちらも選ばない。自分も死なないし、彼らを死なせるつもりも毛頭無い。
拾える命は全て拾う。そう、彼のように。
日本刀の武装錬金、『ソードサムライX』。エネルギー攻撃を無力化できる以外は単なる強力な刀でしかない。
秋水はこの武装錬金が嫌いではなかった。それは言い換えれば自らが強くなれば、武押す錬金もどこまでも強くなれるはずだから。
秋水は微笑み、立ち上がる。

逆胴の構え――その構えから薙ぎ払う以外に無いが、
恭也をして「その速さの前に避けるは叶わず、その重さの前に防ぐも叶わず」と言わしめた構えである。
「今度こそバラバラに吹き飛ばしてやらあ!!」
迫る砲弾に足を止めることなく走り続ける。
すれ違う直前に右腕に力を込め、溜めに溜めた剣を解き放つ。
砲弾は秋水とすれ違うと同時に爆散。銀でない爆煙が濛々(もうもう)と秋水の姿を覆い隠す。
煙が晴れた時、既に秋水は戦車の上に立っていた。
服は焦げつき、傷は更に増えているが、されど身体は逆胴の構えを取っている。
「てめえ――!」
ピンボール「K」は振り向きながら頭部に隠された機関銃を秋水へと向けるが、それより速く機関銃の銃身、砲身、四肢、そして首に線が走った。
「おおおおおおおおおお!!」
高速の剣閃は乱雑にひたすらに線を刻んでいく。
やがて線の走った箇所は同時に、そして静かに切り離され、ピンボール「K」は無数の欠片と化した。

ゴゼンが秋水の許に下りてくる。
「やばいぞ秋水!ホムンクルス共がこっちに集まってる!!」
今の戦闘で随分派手に音を立ててしまったせいだろう。
どうやら、まだ倒れる訳にはいかないようだ。秋水は途切れそうになる意識を必死で繋ぎとめる。
「ゴゼン、お前は皆を聖サンジェルマン病院へ案内して、その後学園の寄宿舎へと向かえ。俺はホムンクルスをここで食い止める」
「無茶苦茶だ!もうふらふらじゃねーか!」
「行け!」
食い下がるゴゼンを無理やり黙らせると、代わりにゴゼンから桜花の声が聞こえる。
「(秋水クン……私達の場所も安全とは言えない。ここにいる二人を守る為には核鉄が必要になる。
あなたはまだ誰かの命を背負っていることを忘れないでね)」
「分かってる、核鉄は必ず返しに行くから。……ありがとう姉さん」
回復した高町家の人々が秋水に駆け寄ってくる。皆、怪我を負っているのに秋水を心配している。
「皆さん、ここからは別行動にしましょう。俺はホムンクルスを引き付けながら逃げます。
こいつがホムンクルスから逃げられる道を指示しますから、皆さんはそれに従って逃げてください」
「おう!オレ様に任せとけ!」
全員が胸を叩くゴゼンに僅かに不安げな顔をしたが、それしかないことと、話す時間もないことは分かっているらしく頷く。
「でも秋水君……そんな身体で……」
「大丈夫です。考えはありますから」
そう微笑う秋水に安心した三人はゴゼンを追って走り出す。ただ恭也だけは最後まで秋水の眼を見続けていた。

迫り来る足音と唸り声を感じる。
秋水は彼らが逃げた方向に背を向けてソードサムライXを構える。
傷と疲労は深く、核鉄の治癒力でも間に合わない。
「やっぱりあの人は騙せないな……」
銀の混じった闇を見据える秋水は、頭の中で状況を打開する選択肢を模索していた。

この日、一人を除いて海鳴市に動く人間は誰一人、いなくなった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

船内でも一際広い一室、銃器で武装した男達を前に彼は一人で立っていた。敵の数は十人といったところか。
長い金髪を後ろで結び、金の瞳は彼らを臆することなく睨みつけている。
黒の詰襟、フード付きの赤いコート、厚底のブーツ、白い手袋――それが彼のバリアジャケット姿だ。
男達は彼を見るや即座に銃を構え、発砲。
彼は避ける動作もなく、それに身を任せる。銃弾は彼の身体を通過し背後の壁に穴を開けた。
男達は何秒間も、彼を完全に殺す為に撃ち続ける。常人には余計な程、銃弾を消費するのは彼が魔導師だからだろう。
煙が消えた時、彼の姿はそこには無かった。
当然、跡形もなく消滅したはずもなく――。

パン!
と掌を合わせる音と共に、金の鎖が五人の男の四肢を繋ぎとめた。
身動きを封じられた男は勿論のこと、それ以外の連中も彼の姿を探す。
先程まで何も無かったはずの空間、部屋の片隅に彼の姿はあった。決して小さくて見えなかったのではなく、本当に何も無かったはず。
彼は幻影と同じ強い眼で彼らを睨み、残った五人へと走り出す。

小さい――いや、コンパクトな――いや、回避に適した効率的な体格を生かして障害物を銃弾の盾にして一人に接近。
下から顎を突き上げ昏倒させる。仲間ごと彼を撃つ為に他の男達は狙いを変えた。
彼は両手を叩き、シールドを弾道に合わせて展開。
何発かはそれに弾かれた。こういう時、表面積が少ないと便利である。
昏倒させた男を物陰に叩き込み、三人組へと跳躍。
そのまま首筋に足刀を当て、着地。二人目の腹に肘鉄を加え、三人目の銃を掴み投げ飛ばした。

瞬く間に九人まで制圧してしまった彼に驚く最後の男は、手にデバイスらしき杖を握っている。どうやら魔導師らしい。
彼は最後の一人に向かい掌を合わせ、不敵に笑った。
笑みに逆上した男は四つの魔力弾を彼へと発射する。同時に彼も男へと走る。
左右から迫る弾をシールドで防ぐ。彼は左右の衝撃へと意識を集中させた。
ここまでは男も予想していた。左右の魔力弾は囮、本命は左下から迫っている。
肉迫する直前でようやく彼はそれに気付く。
今更気付いたところで遅く、回避は体勢を崩してしまう。彼はそう判断し――。

左足で魔力弾を蹴った。
男は目を見張った。殺傷設定の魔力弾を蹴るなど、まずありえない。
だが、現実に弾かれた魔力弾は壁へとぶつかり消滅する。
受け止めながらも走るのを止めなかった彼は男の間近まで接近していた。
だが、まだ最後の一発が残っている。それも最大の威力を込めた一発が。
正面からの魔力弾に彼は片手でシールドを張り、防ごうとした。
そこで彼は初めて驚きを顔に出した。シールドが持たないのだ。
激しい光を放ち、魔力弾とシールドが拮抗する。衝撃に身体を押されそうになる。
彼は負けないよう、強く足を踏み込んだ。
瞬間、シールドを魔力弾が貫いた。魔力弾は彼の右腕を吹き飛ばした――かに見えた。

勝利を確信し、男は笑った。
その顔は笑顔を張りつかせたまま歪む。
めり込んだのは確かに彼の拳。
殺傷設定の魔力弾を正面から受けてびくともしない腕。
「その腕……その足……手前、何者だ……?」
倒れる寸前、男の言葉に彼は答えない。
その後、通信で船内全ての制圧が完了したことを確認。
部屋中をひっくり返し、目的のもの――紅い宝石『レリック』を回収した彼は再度掌を合わせる。
足元に魔法陣が現れ、彼はクラウディアへと転移、帰還した。

「海賊船の制圧、ご苦労だった。『エドワード・エルリック』」
次元空間航行艦船、クラウディアの艦長室に、彼――エドワード・エルリックは呼び出された。
今はバリアジャケット姿ではなく、時空管理局の制服に身を包んでいる。
「連中の持ってたレリックの出所はわかったのか?艦長」
エドは目の前の椅子に座った艦長、『クロノ・ハラオウン』に訊ねる。
「お前は敬語を使えと……まあいい。複雑なルートを経由しているらしく正確な出所は奴等も知らないらしい。まあ気長に捜査するしかないだろう。」
「それで俺をわざわざ呼び出したのは?」
クロノはエドを一瞥して一度、溜息を吐く。
「転属だ、エドワード・エルリック。古代遺物管理部、機動六課に転属を命じる。正式な辞令は後日だ、以上」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
一方的なクロノにエドは食って掛かる。当然だ、飛ばされる理由がない。
こうなることを予想していたように彼も切り返す。
「理由がないだと?あんな無茶な命令無視をしておいてよく――まあ理由は別にある。最近ミッドで確認された奇病は知っているか?」
「ああ。激しい痛みを伴う呼吸困難。今は数人しか確認されてないとか」
「あれには錬金術が関わっているという情報がある」
「錬金術!?」
エドは飛び上がる程驚いた。この世界に来て久し振りに聞いた響きだ。
「お前の知ってる錬金術かどうかは解らない、直接調べろ。六課はお前が回収したレリックを専門に扱う部隊だ。
六課の隊長達の出身、第97管理外世界にも昔は錬金術が存在したらしいしな」
この世界に来て二年以上、なんとか次元世界を行き来できるようになったが、未だ元の世界の手掛かりさえ掴めず自棄になりかけていたところだった。
このままよりは幾らか前に進めるかもしれない。断る理由はなかった。
「分かった!機動六課だな!?」
「ああ、以上だ。下がっていい」
一変して眼に力が戻ったエドを呆れたようにクロノは見る。余程元の世界に帰りたいのだろう。

「今までありがとうな、艦長。あんた部下の扱いが上手いところだけは俺の元上司と似てるぜ」
「他は似てないのか?」
「ああ、特に既婚で愛妻家ってところが特にな。たまには奥さんにも連絡してやったらどうだい?」
「余計なお世話だ」
にやにやするエドを追い払ってクロノは一人溜息を吐く。
錬金術の発達した別の世界から来た――いつだったかエドを問い詰めた時、彼はそう答えた。
正直、半信半疑ではあったが、彼はたまにどこか遠くを見つめているような感じがしていたのは確かだった。

「本局に帰ったら連絡するか……」
エドの捨て台詞を聞いて、海鳴市に残した妻エイミィと子供達を思い出す。
今頃どうしているだろうか?母リンディとアルフもこっちに来ている為、今は三人だけだろう。
クロノは机の引き出しの写真を見る。
そこには自分と子供を抱いたエイミィ、リンディ、義妹フェイトが幸せそうに笑っていた。


次回予告

弟を救う為、弟と別れてやってきた世界。ようやく掴んだ糸口を逃さない為にエドは動き出す。
「待ってろ、アル。俺は必ず帰るからな」
友の為に、友と反してやってきた世界。解決の鍵を求めるフェイトに老婆は無情に言い放つ。
「しろがねは管理局に協力する気はない」
第3話
真理の扉/からくり~しろがね 第1幕 開幕ベル

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最終更新:2008年08月03日 03:07