文芸戦争

新都社黎明期、かつて文芸と漫画は一つだった。
やがて文芸作品の割合が増えるようになると、
当初、文芸と漫画を見分ける術が読むまでなかったため、
漫画専門読者から文芸は「文芸地雷」として忌み嫌われた。

アンチ文芸運動が広がるにつれ、その叩きは過激化し、文芸廃止運動まで行われた。
文芸は自分達の重要性を訴えたが、文芸は圧倒的なマイノリティであり、
戦いに敗れた文芸は廃止は免れたものの文芸専用雑誌へと隔離されるようになった。

その後、最新作品更新情報一覧も従来は漫画と文芸が区別されてなかったが、
文芸と漫画が区別されるようになり、漫画は表示数8、文芸は4という屈辱的な扱いを受けるようになった。

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最終更新:2010年12月23日 20:42