<<月へと還る獣>>

   奴隷公女

      1

 「――世の中にはな。出来ることと出来ないことがある」
  苦り渋った声が、室内に響き渡る。
  女の声だ。
  張りのある、娘の声だ。
  いや。「娘」と呼ぶには、やや取り急ぎの感がある。
  例えるなら色づく前の青柿。
  少女である。
 「さて。実現不可能な理とは……、いかがなものでござりましょうな。このうつつの世の中、たいがいの行為は残念ながら出来まする」
 「言葉遊びをしているのではない」
  瓢と返された応えを聞いて、少女の声に険が含まれる。
 「……わたしが断る理由、こなたが一番良く知っていように。どぉおうしてそんなに、結婚結婚結婚結婚と口の酸くまで申すのだ」
 「乱世でござりますれば」
 「乱世。乱世、乱世、乱世!次に口を開けば、すぐそれだ。……それも聞き飽いた」
 「事実にござります」
  応える声は、こちらもまだ若い。
  男の声だ。
  肩の上で几帳面に切り揃えられた髪。どこか面白がっているようにも感じられる、片側を上げた唇。まだ、三十路には少し早いと見え、年齢は26、7。見積もっても、29は越えまい。
  けれど年不相応の、老成された雰囲気も、確かに醸し出している。それはきっと男が、歳月よりも数多くの、辛苦を味わってきたせい。
  瞳はおそらく閉じられている。
 「おそらく」と前置きが付くのは、男の瞼の上に布が当てられているからである。
  両目共に塞がれている。
  盲目なのだ。
  生まれつきのそれではない。後年負ったものである。
  当て布の下には、完治した今なおぬらぬらと鈍く光る、深い掻き傷が残る。
  男が昔、自ら潰したものだった。
  部屋の中には少女が一人。男が一人。
  飄然とした男が、諦めきれずに口を開く。
 「何がそんなにご不満なのでございます?彼の国の王子におきましては、お血筋良し、財力良し。政治における発言権の不足感と、現国王が子沢山のため、周りを取り巻く、ややこしい後継者の数の問題はございましても、浮気のご心配はなされることの無い、失礼ながら醜男の類。愛人相手にやきもきする必要は、まず……ご不要。これを逃す手はございま」
 「くどいッ」
  男の言葉を遮って、少女が初めて振り返った。
 「せぬと言ったら結婚はせぬッ」
  きびしい眼差しであった。
 「左様でございますか」
  盲いた目では、視線は感じられまい。
  意外にあっさりと、男は話を変える。
 「ところで、先日申し上げました、エスタッド皇国への、ご訪問の件についてでございますが」
 「ぬ、」
  関心を惹かれかけ、それに自身で気付いた少女が、渋面を作った。
 「――エン」
 「は」
 「こなた、何故に本当に持ちかけたい話を、後手に後手に持ってくるのだ」
 「陛下が最初から素直に、話を聞かれるタマですか」
 「ぬ、」
  さらりと言い返されて、少女――トルエ公国21代目当主キルシュ――は、ますます渋面を作った。
  それに気付いているのかいないのか、エンと呼ばれた男は素知らぬ風情で、窓の外へ顔をやっている。


  後世、戦国乱世と呼ばれたこの時代、どこを見渡しても群雄割拠、争い、争い、争いの、真っ只中にあった。
 「平和」と言う言葉が、「叶わない夢」と同系列で語られた時代である。
 「一期一会」と言う言葉が、痛いほど身に沁みて実感の出来た時代である。一度別れたが最後、例え隣人であろうと、次に会える保障がまるでない。
  策略、密告、不義、下克上。酒場で歌歌いが、弦をかき鳴らして歌い始めれば、まずその言葉が、必ず歌上に現れる時代である。
  今日建った城が、明日には燃えて灰と消える時代である。
  全土、乱れた。
  その、ケシ粒でも散らしたように乱れる大陸の中で、いくつも現れては消えてゆく「国」という、形のあって無い、不安定なもの。
  その一つに、トルエ国がある。
  正式には「公国」なのだが、先月その公国を統治していたはずの公爵は、奸臣の裏切りにより寝首を掻かれ、事実上公国は崩壊。それでは「国」の統治がなるまいと、後を臨時的に請け負った――と言うよりは厄介仕事を押し付けられたのが、先日新当主の座に就いた、キルシュ・エ・ネラ・トルエその人である。
  若干15歳。
 「トルエ」と言う家名を、辛うじて冠することが許されていただけの、妾腹も妾腹。血統をたどれば、傍系の更に傍系と言う、半ば以上に九割はこじつけの感のある、新当主任命であった。
  と、言うよりキルシュ以外に、血筋を引くものがない。
  廻り回って、振ってきた災厄である。
  キルシュ本人にとっては。
  そもそも、キルシュと言う名前、トルエ公国の正史には全く登場しない。
  後世、歌い語りの曲目の一つに名を馳せるのが、このトルエ公女であるが、正史には僅か一行、「名代分家の女が王位を継ぐ」と記されたのみである。
  これが彼女に当たるかどうかは、定かではない。
  その「名代分家の女」を、キルシュと思って話を進める。

       2

  キルシュ・エ・ネラ・トルエ。
  トルエと名の付く以上は、なにがしかの王族の血を引いていたのであろう。ところが周りはおろか、生まれた本人ですらよく判っていなかったというから、確認のしようがない。
  物心つくより前に、二親から離されてしまったのだから、当然といえば当然のことなのだが。
  ただ、出自はともかく、母がたいそう美しい女性であったと、長じて後に聞かされて育った。
  公女と呼ばれていた。
  15歳にして既に、人生の大半を政策による虜囚として、過ごしている。
  最初に国を離れたのは、僅か二歳。行き先はアルカナ王国であった。
 「養子縁組」と言う名目で出されたらしい。
  己の立場を理解するより前から、鉄枠のはまった建物の中で過ごし、どこへ行くにも護衛と言う名の監視が付き、本来の自由の意味での自由は、一切なかった。
  本国に戻されたのが六歳。
  トルエ公国とアルカナ王国との不和が、その理由であったようである。
  本国に戻り息つく暇もなく、数週間後には隣国の傍系筋の政略結婚に、組み込まれていた。
  この時代、国と国との協定には、「人」が用いられた。
  捕虜である。
  朱印も公約も、一晩でくつがえされる世知辛い世の中である。
  紙切れでの約束は裏切れても、大事な人質の命には変えられまい。文書で信用がおけないのなら、いっそ人の命で。
  意気込みだけは立派だったものの、実際の命の重さは文書一枚と同程度。
  価値がなくなったと判断されたが最後、すぐにでも捕虜の首は飛んだ。
  豪華に見える椅子の下は常に、針のむしろと言ってもいい。
  隣国からは二年後、戻された。
  婚約者であるはずの相手が、毒殺されたからだ。
  そうして行き着いたのはエスタッド皇国。公爵位を持つ、ルドルフと言う男。前皇帝からエスタッド皇国に仕える、それなりな権力を持つ旧臣派の一人。
  再婚、と言う形で縁組がなされたようだ。
  八歳にして。
  そこでキルシュは、捕虜生活を七年過ごした。
  ところが半年前に、ルドルフ公は現エスタッド皇帝に反旗を翻す。美味い汁が吸えなくなったのが本当の理由で、建前は「現皇帝の血統問題」を掲げての、鼻息荒い参戦であったが、時代の流れを読めない愚か者であったらしい。
  敢え無く鎮圧。
  捕虜の捕虜、と言うややこしい境遇となったキルシュを、しかし鎮圧した側のエスタッド皇軍は無下に扱うこともなく、丁重にトルエ公国へと送り返してくれた。
  扱いに困ったのは本国の方だった。
  どこへ放っても、無事に出戻ってくる。
  運良く、と言う言葉が当てはまるのだとすれば、運が良いのだ。
  次の行き先を、トルエ公が天秤にかけて思案している間に、その思案していたはずのトルエ公本人が天秤にかけられ、首と胴体が泣き別れて、あの世へ旅立ってしまった。
  運が悪かったのだろう。
  後継者がいない、それだけの理由でキルシュは公女に据えられた。
  迷惑だったろう。
  諦めだったかもしれない。
  皮肉な笑いを一つ浮かべて了承したと、歌い語りは語っている。


 「それにしても。こんがらがるだけこんがらがせてから、丸投げしなくても良さそうなものだ」
  呆れ口調である。
  先程までの苛立ちは影を潜め、今はおとなしく執務机に向かっている。
  実はトルエ公国、二ヶ月前に宣戦布告とも思える行為を、エスタッド皇国へ向けて発している。
  どんなに細い絆であっても、一応はキルシュとルドルフ公の婚姻により、和議を結んでいたはずだ。少なくとも、悪い関係ではなかった。
  言い掛かりをつけたのは、トルエ公国である。
  ルドルフ公の死を持って和議は無効、とエスタッド皇国へ通達したほうが早いか、エスタッド皇帝の妹将軍の一軍へ、襲いかかったほうが早いか。
  不意を襲われた皇妹将軍の一軍は、あっけなく壊滅した。
  全滅に近い状態であったとされる。
  命からがら、皇妹将軍だけは、数人の護衛と共に逃げ延びた。
  通常ならば、すぐにでもエスタッドとトルエの間で、一戦起きてもおかしくはない。
  国力の無いトルエはともかく、軍事国家であるエスタッドにとって、弱小国を叩き潰すことは容易であったはずである。
  ところが宣戦布告をした当のトルエ公本人は、保身第一の奸臣に首を掻かれているのだ。首は即座に塩漬けにされ、エスタッド皇国に送られている。
  がしかし、今更「あの襲撃は前公爵が行ったもので、わたしは関係ありません」で済まされるとは、キルシュも思ってはいない。
  エスタッド皇帝の不興を買ったことは、はっきりとしている。
  どころか、彼の皇帝が、皇妹将軍を溺愛していると言う噂通りであるならば、トルエ国は決して許されまい。
  表面に表れるだけが政治ではないからだ。
  キルシュがトルエ公国の玉座に就いたはいいものの、事態は既に破滅の方向へと進んでいる最中で、責任を取って首を刎ねられるために、公女に据えられたといっても良い。
  流浪には慣れていた。
  今更、「何故自分がこんな目に」などと、現実逃避し悲観する気はさらさら無い。
  そう言う運命だったのだろう。
  後年彼女はそう言って笑ったそうだ。
  しかし、「重臣」と呼ばれる取り巻きたちの、あまりの責任転嫁と保身ぶりに、愚痴の一つや二つ、垂れたくもなるというもの。
  物憂げに掻き上げた黒髪が、波となってうねる。
 「三月後のエスタッド皇国公式訪問の予定の前に……、陛下には宗旨変えを行なっていただきます」
  応えて言葉を継ぐのは、先程キルシュにエンと呼ばれた、盲目の男。
 「ほう」
 「まず。現在のトルエ国教をお捨ていただき、次いで、ラグリア教の熱心な信者になっていただきまする」
 「熱心、か」
 「はい。とてつもなく熱心な、突然の改心劇にござります。これは、突然であれば突然であるほどよろしい。できれば明日、起床した直後から。差し込む朝日と共に、天啓に導かれていただきとうございます。涙など見せていただければ、完璧でござりましょう。勢い、終生を神に誓い、潔癖に神殿暮らしをなされるほどの熱心さが、今回はご必要にございます」
 「神殿か。神殿は好かぬ。あそこはえらく冷えるでな」
  この時代、神殿の造りと言えば概ね石造りである。
  木造建築の技術が発達していなかったことも、その理由の一つではあるが、大半はいざと言う時の市民の立て篭もる場所、と言う意味での石造りだ。
  火も、剣も、通さない。
  その代わり、冬は半端なく冷えた。
  礼拝堂での死因の一つに、「寒さによる脳溢血」が挙げられているほどなのだから、これは相当な寒さだ。
  素足に這い登ってくる、突き刺す冷たさを思い出し、顔をしかめるキルシュである。
 「牢屋と大して変わらぬ」
 「施政者に囚われるか、神に囚われるかの、違いでしかありますまい。どちらも虜囚にございますれば」
 「囚人か。囚人なら、大の得意だ」
  皮肉にキルシュが頬を歪めると、そうですな、と簡素な答えが男から返る。
  興味を引かれて彼女は視線を流す。
 「こなたも同じであろうに」
 「わたくしが囚われておりますのは、神でも仏でもなく、陛下にございます」
 「クサイ科白を真顔で言うな」
  この男は、苦手だ。
  仏頂面のエンから顔を背けながら、キルシュは小さく舌打ちする。
  彼女の人生に影のように付き従ってきた男、と言うことになっている。
 「なっている」と前置きが付くのは、キルシュですら、正史に名を連ねることがなかったのであるから、当然男の名は綴られていない。歌い語りでは、必ず対になって歌われる名であるものの、彼女以上に、実在した人物だったのかも怪しい。
  物語に華を添えるための、架空の人物であったのかも知れぬ。
  その名もまた、「エン」と言う以上には伝わっていない。通り名であったのか本名であったのか、家名は何であったのか、誰も知らない。
  歌い語りを取り上げるのであれば、キルシュが産まれ、そうして死ぬまで付き従っていた、と言うことになっている。
  乳兄弟説も囁かれているものの、キルシュとエンは、年が十以上離れている。なので、どちらかと言うと、近習扱いで仕えていたと推測される。
  ここでは、彼女の参謀役として話を進めたい。
  この男、常に平然としている。
  感情を乱すことが滅多に無い。
  ただでさえ、表情の半分の「視線」が当て布で隠されているために、余計判りづらい。
  長年――と言うよりはその人生の全てを、エンと共に過ごしてきたキルシュですら、男が何を考えているのか、読めないことが多々ある。
  キルシュに仕えていたのであるから、当然エン自身も十余年の歳月を虜囚として、あちらこちらにたらい回しされて来た経緯がある。
  しかし、男が公女に仕えることになった我が身を恨んだという話は、一切聞かない。
 「宗旨変えすると、どうなる」
  室内に横たわる沈黙に耐え切れず、キルシュが口を開く。
  更に加えると、横たわる沈黙を楽しんでいる風情のエンに耐え切れず、と言ったほうが正しいだろう。
 「エスタッド皇国への抑えになりまする」
  気付いているのかいないのか、素知らぬ顔で男は応えた。
 「皇帝は、神を恐れるか」
 「いえ。彼の国の皇帝は、無神論者で有名。家系でござりましょうな。父代、祖父代共に無神論。先代は暴動鎮圧の為に、いくつもの寺院を焼き払ったことがございます。確かに、一時の暴動は、それで治まりを見せたようにも見えましょうが、実際は政権が現皇帝に移行した今も、神殿筋からはひどく恨まれておりまする」
 「それと、わたしが宗旨変えを行うのと、何の関係があるのだ」
 「彼の皇帝、神は恐れますまいが、人は恐れましょう。と、言うよりも無駄に国を乱すことを嫌います。ラグリア教は、エスタッド皇国にて最多の人数を誇る大教団。規模が大きいに留まらず、時には民衆を扇動して、暴動を起こしまする。陛下が、我が身と財産を投げ打って、ラグリア神を朝も昼も晩も拝みますと、エスタッド皇国領内に住む、教皇以下在籍の僧侶たちの、陛下に対する株がぐんと上がると言う具合で」
 「ふむ。皇国は、神職が政治に口を挟むのか」
 「現政権を受け入れぬ阿呆共は、どこの国にもございます」
  エンの最後の科白に、思い当たる節が山ほどあるキルシュは、再び不愉快な顔になった。
  どこの国も内情は同じである。
 「……朝も昼も晩も拝めと申すか」
  彼の国の皇帝と同じ、無神論者のキルシュは、うんざりとする。
  信じてもいない神を信じる振りをすることに、今更異を唱える気は無い。
  どちらかと言うと、神殿における毎日の規則正しい生活と、祈りを捧げるための手順を思い描いての顔だった。
 「食事と睡眠と排泄以外の時間は、真剣に神に祈っていただけると、尚一層の効果がござります。これは、陛下の御身のご無事のために、是非とも、ご必要でござりまする」
 「やれやれ」
  ほとんど狂信者だな。言いかけて、最後の言葉は飲み込んだ。
  男がキルシュ自身を思って、悪あがきで立てた苦肉の策であることは、承知していたからである。
  おそらく、男が一番判っている。
  それを口に出すほど、キルシュは子供ではない。
  結局、不承不承ながらも、その案を受け入れることにしたのだった。

       3

 「俺は、殺すぞゴラ」
  聞いた瞬間、物騒な言葉が口を突いて出た。
  皇都エスタッド。
  の、皇居内の一室である。
  仏頂面であごに手を当て、室内を右往左往しているのは、後に「風」とも歌われる男だ。
  つい先日のエスタッド建国式典の際に、流れの傭兵稼業から足を洗い、白銀の鎧と騎士の剣を受け取っている。
  ダインと言う。
  守銭奴傭兵の渾名で流した男が、主を定めた生活に転進したのは、いわれがある。
  エスタッド皇帝に命を預けたのだとも、
  根無し草の傭兵稼業に嫌気がさしたのだとも、
  あるいは、
  ほんの好奇心だとも諸説囁かれるのだが、噂の張本人が笑うばかりで口を開かない。
  いずれも推測の域を出ない。
  ここでは割愛しておく。
 「平穏無事とは……行かないものかね」
 「ふん」
  対しているのは絶世の、という冠詞を頭に付けたくなるような、見目麗しい人。
  頭から薄紗を被っている。
  忍び訪問していると言う印である。故にダインも、その麗人の名は呼ばない。
  時折、窓からの風が紗を揺らすたびに、麗人の身体から、えも言われぬ甘い芳香が漂ってくる。煉り香水を衣服に染み込ませているのだ。
  肩から背に流れる、梳かれつくした同色の髪が、ランプの灯りに淡く輝く。
  梳いた女中はおそらく、羨望と憧憬の念を持って、それはそれは丁寧に櫛入れしたのだろう。
  月の精霊が舞い降りたかと、目を疑う容貌なのである。
 (これが女だったなら、迷うことなく押し倒しただろうな……)
  ぼんやりと目の前の美人に見とれながら、知らず口が開くダインだ。
  女であった「なら」。
  行く先々の国の一つや二つ、軽く傾いたことであろうが、残念ながらと言おうか、世の中うまくできていると言おうか、麗人はしっかりと男であった。
  男に圧し掛かる趣味は、あいにくダインは持ってない。
  テノールの声がくつくつと、向かう相手の喉奥から漏れている。
 「……なんだよ。何がおかしい」
 「君の間抜け面が健在で、安心したのだよ。式典での君は、まるで借りてきた猫であった。エスタッド国に仕える身になったからと言って、君ほどのヒネくれ者がしおらしくなるとは思ってはなかったが、一抹の不安はあったのだ。やはり、君は君であった。確認できて嬉しいよ」
 「アンタの方が、よっぽどヒネくれてんだろうがよ」
  不貞腐れてダインは思わず顔を拭った。
  目の前のこの相手、どうにもダインは苦手だ。
  話をすればするほど、猫に転がされている毛糸玉の気分になってくる。
 「それに、アンタに仕えてる気はまったくねぇぞ」
 「君は君のままが良いよ」
 「男にホメられても何も嬉しくねぇんだよ……」
  げんなりとしてダインは目を逸らした。
 「そりゃ俺だって叙勲した手前、皇帝サマの頼みとあっちゃあ、二つ返事で気前良く受けたいところだがよ。それでもその任務は頂けねぇな。だってよ、お嬢が」
 「ミルキィユ将軍」
 「いちいち話の腰を折るなっての。だからその……ミルキィユ将軍が、こないだ危うく殺されかけたのが、そのトルエ国が裏切った仕業なんだろうが。どうにか逃げ延びたから良かったようなものの、それでも部隊の損害はヒデェもんだったんだぜ。それをナシにして、その……公女さま、か?の護衛をしろってなぁ、ムシの良すぎる話だろうが」
 「存外、根に持つ性格かね」
 「……天国に片足突っ込みかけたんだぜぇ?俺だってガキじゃねぇ。外交とか政治とか、ややっこしいアンタの分野にクチ出すつもりは、さらさらねぇし、アンタがその国のお偉いさんをどう待遇しようが、そりゃアンタの自由だろうな。俺の知らないところで、どんなご馳走出していようと興味はねぇよ。……だがよ。目の前にそいつらが来るとなると、話は別だぜ」
  たたっ切るぞ。
  戦場を駆け抜けてきた不穏な光が、目に宿る。
  エスタッド皇帝が「虎」と評した男の姿が、そこにはある。
 「そこを曲げて、是非とも君に頼みたいのだ」
  物憂げな視線を少しすがめて、それから麗人――エスタッド皇帝その人――は、初めてまともにダインを直視した。
  刹那、貫かれたと思うほど鋭い視線だった。
  ダインの首筋が毛羽立つ。
 (やべぇ)
  一瞬腰が引けた。
  相手が皇帝だからとか、国家権力の塊だからとか、うわべの理由はそこにはない。
  傭兵の、勘だ。
  長い間の野戦暮らしに、危険なものは避けて通る癖が染み付いている。
  しかし殺気が放たれたのは、僅か一瞬のことだ。またたく間にそれは影を潜め、伏せ目がちの瞳からは、次の瞬間ダインはもう感じ取れない。
  今はただ、卓上に置かれたデザートフォークを、細い指で弄んでいるだけだ。
 「そ、れ、ぁ……アンタ……、俺に命じているのか?」
  暗に、殺せと。
  智謀の駆け引きはダインは苦手だ。
  考えるより実行に移す。戦場で立ち止まっていたら、やられるだけだったからだ。
  目の前の皇帝とは、生きてきた世界がまるで違う。
  知らず、喉が渇いていた。
 「何を命じていると言うのだね」
  対する皇帝は涼しい顔だ。
 「いや、だからよ、……ああもう!どうしろってんだよ!」
  ダインは頭を掻き毟る。
 「だから。トルエ国公女の『護衛』を、君に頼みたいと言っているのだ」
  皇帝はそれ以上否定も肯定もしない。
  ただ、口の端に意味深な嗤いを宿している。
 (勘弁してくれよ……)
  上機嫌の皇帝を前にして、ダインは内心盛大な溜息をついたのだった。


奴隷公女 / 後編にススム
公女と参謀にモドル
最終更新:2011年07月21日 20:55