・ED後の夕方というか夜というか
・年齢とか再会までの年月とか大絶賛捏造してます
・攻マイケルの「駄目かな?」の可愛さは異常
・秘蔵のワインは犠牲になったのだ……

再会の夜 1




 人間、驚きやら衝撃やらで、頭が働かなくなるということはあるものだ。そんな当たり前でかなりどうでもいいことを考えながら、ニールは深く息を吐いた。目の前には煌々と辺りを照らす蝋燭があり、右手には蝋燭消しがある。ここまで揃っていれば、誰が見ても蝋燭の火を消そうとしているのだと思うだろう。事実、そのためにニールはそこに立っている。だが、消した先のその延長線上にあるものを思うと、意味もなくうろたえては手が止まってしまう。
 ここは、ニールの務める教会だ。ヨークシャーの片田舎にあるこの建物は、取り柄と言えば古さだけという、ごく小さなものでしかない。石造りの壁は手入れを欠かさないために小奇麗ではあるが、他に特別美しい装飾があるわけでもなく、少ない村人たちを収容できる程度の礼拝堂と懺悔室、あとは牧師館という名の小さな家屋が奥に続いている程度だ。その空間とて、ニールがすでに使用しているものを除けば、あとは客用の寝室しかない。
 その客用寝室に荷物を下ろした人物の存在が、ニールの手を止めている。
「でっかくなりやがって」
 ニールは呟くと、視線を遠くに向けた。ニールが今いるのは、教会の礼拝堂だ。のどかと言えば聞こえはいいが、要するに辺鄙な村だ。他の町と比べても、夜は格段に早い。だからニールは、夕方六時の鐘を鳴らした後、礼拝堂を閉めてしまう。クリスマスなど年に何回かの例外はあるが、大抵はこれでどうにかなってしまうのだから、平和なものだ。
 今日もニールはいつもどおりに鐘を鳴らし、扉を閉めた。そして、灯されていた蝋燭を消そうとして、ふといつもとは違うものに気付いた。
 それは、匂いだ。礼拝堂の奥、牧師館の食堂に続く扉から、穏やかに食欲を誘う匂いが漂ってくる。たったそれだけのことに、ニールはどうしようもなくうろたえた。
 ここにはニールしか住んでいない。何せ小さな村で、小さな教会なのだ。礼拝を開くにも何をするにも、一人いれば十分すぎる。だから、本来なら食事の匂いは、この後ニールが台所に立たなければ発生しない。つまり、今ニールが嗅いでいるこの匂いは、ニール以外の第三者が作っているということになる。そして、それが誰なのかを、ニールは知っている。
 初めて会った時、相手はまだ子供だった。最後に別れたときも、子供だった。出会ってから別れるまで、ほんの数カ月しかなかったのだから、当然だ。そして、その子供相手に、ニールは越えてはならない一線を越えた。それはニールにとってはある意味非常に不本意な形だったが、子供が切羽詰まった快楽の色を浮かべて体を突き上げてくる様は本当に可愛かったから、今更その不満をほじくり返す真似はやめておく。重要なのは、ニールと同様に、子供もまた一線を越えてしまったということだ。
 当時二十六歳という年齢の割には、ニールはそれなりに人生経験をしてきた。美しいものも醜いものも、多少は見てきたつもりだ。だから、そんな自分が納得した上で正しい道から転げ落ちるのだとすれば、それは構わない。
 だが、ニールに手を伸ばしてきた子供は、本当に清らかだった。出会ったきっかけこそ子供にとっては不幸極まりない事件だったが、彼がこれまでにどれほどの愛と光に包まれて育ってきたのかは、かつて幼い頃に同じものを持っていたニールには手に取るようにわかった。そんな、世の中の悪意というものをほとんど知らない子供を、自分が受け入れることで穢してしまうことが怖ろしかった。悲しかった。誰に後ろ指をさされることもなく、幸せでいてほしかった。
 だからニールはその時、身を引くことで子供を遠ざけた。身勝手な願望をしたためた手紙を残し、子供の進む道に少しでも多くの光が降り注ぐよう、朝夕の祈りの度に願った。もう二度と会わないだろう子供の顔を思い浮かべては、教会の雑務に追われるふりをして寂寞感をもみ消しながら、この数年を過ごした。
 そして子供は今日、再びニールの前に現れた。別れた時よりも遥かに伸びた背と大人びた顔立ちで、あの強く清らかな眼差しのまま。
 ずるい大人の立ち回りなどいとも簡単に退けて、相手は再びその手をニールに伸ばしてきた。もうただ守られる子供ではないのだと笑う顔は、宗教画のように美しかった。自分に伸ばされる白い手を、拒む方法も、またその意志も、ニールは持っていなかった。
 青年になった子供は今、台所で夕食の準備をしている。その匂いが、ニールの鼻腔に届いている。普段自分が用意するものとは少し異なるが、それでも十分に旨そうな匂いだ。そのこと自体は大いに歓迎できる。ニールがうろたえてしまうのは、それを作っているのが二度と会えないと思っていたあの子供であることと、食事を終えた後に起こり得るだろうことにうっかり想いを馳せてしまったからだ。
 教会に現れた時、子供は手にボストンバッグを提げていた。中身は数日分の着替えだという。聞けば、今は大学の神学部に在籍しており、今回は学期末の休暇を利用してここへ来たらしい。
 空いている部屋はあるかという問いかけに、ニールは何の気負いもなく客用寝室に案内した。子供はありがとうと綺麗に笑うと、ニールに手を伸ばした。ニールもそれをごく自然に受け入れ、キスをした。そうすることが、呼吸することと同じぐらい当然のことに感じられたからだ。
 だが、子供がバッグをベッドの上に置いた、その軋んだ音を聞いた瞬間、再会の喜びで浮ついていた頭が、遅まきながら現実を認識した。ただの日帰りの旅行にボストンバッグは必要ないし、古いとはいえベッドが声を上げるほどの荷物を詰め込む必要はない。何より、子供は寝床を要求してきたのだ。つまり、子供がこの教会に泊まるつもりであることを、その時になってニールはようやく実感した。部屋まで案内した後で何を今更とは自分でも思うが、まったく、衝撃で呆けた頭は、嫌になるほど見事に働かない。
「それは、いいんだが」
 言い訳をするように、ニールは口の中で呟いた。
 それは、いい。たとえ子供が異性の伴侶を連れて現れようと、望めば部屋など幾らでも貸す。ましてや、自分たちは再会した端から互いを受け入れることを決めたのだ。同じ屋根の下で寝る、そのことに問題はない。
 問題はないが、どうにもいたたまれない。明るい陽光の下ならばともかく、こうして闇が迫りくると、どうしても最後の夜を思い出してしまう。あの、少し黴臭い本の匂いの中で過ごした、濃密で淫靡な時間が脳裏をよぎる。そうして意識してしまっている自分に気づき、うろたえるのだ。
 考えている内容も、それにうろたえている事実も、三十を間近に控えた男としては情けない。それでもなお、そんな方向につい思考が向かってしまう現実に、そして違う空間にいてさえ子供の存在を強く意識してしまう自分に、やはりうろたえてしまう。これでは、セックスを覚えたての十代の子供と変わりない。
 そんなどうしようもないことをぼんやりと考えていると、不意に背後から声が掛けられた。
「ニール、どうかしたのか?」
「ッ」
 蝋燭消しを持つ手が小さく揺れる。それに気付かなかった振りをして、できるかぎり平然とニールは振り返った。今はもうとても子供とは呼べなくなった子供が、怪訝そうな面持ちを浮かべて立っていた。窓の外に残っていた夕暮れの気配はほとんど消え、明かりといえば目の前の蝋燭と、奥にある開け放されたままの扉から零れる光だけだ。子供の陽光を縒り合わせたかのような巻き毛が、炎を受けてちらちらと輝きを放っている。ジャケットとネクタイは部屋に置いてきたのか、今はシャツにスラックスだけの軽装だ。
「支度、もう終わったけど」
「……おう、悪いな」
 何とか笑い返すと、マイケルはやはり不思議そうにニールを見た。その視線の高さも、以前ほど離れてはいない。成長期の数年はこれほどまでに大きなものかと、思わずしみじみしてしまうほどだ。成長した事実を喜ぶ反面、どこかもの寂しさを覚えてしまうのは、かつての記憶から蘇る庇護欲の所為だろう。
「ニール?」
 もう一度、怪訝そうに尋ねてくる。それに小さく笑うと、ニールは自分を引きとめていた何かを振り払うように、大げさにマイケルの髪をかき回した。
「何でもねえって。行こうぜ、メシ作ってくれたんだろ?」
「っ、いい加減にこれ止めろよ、ニール。もう子供じゃないんだぞ」
「へいへい」
 マイケルが不満そうに口を尖らせた。大人びた顔立ちが、以前のような幼さを取り戻す。その事実に少なからず安堵を覚えて、ニールはもう一度笑った。振り返り、最後に残った炎に蝋燭消しを被せる。あれほど躊躇を繰り返していた動作はいとも容易く終わって、そのことにニールは若干の呆れを否めなかった。







最終更新:2011年06月02日 11:55