ノストラダムスの肖像画 (グラネ、1846年頃)

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ノストラダムスの肖像画 (グラネ、1846年頃)」で検索した結果

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  • ノストラダムスの肖像一覧
    ...記事名は、絵の場合「ノストラダムスの肖像画」、彫刻の場合「ノストラダムスの彫像」で原則として統一する。また、カッコ内は作成者名、出版地名、所蔵先名などを用いているが、個々の事情により統一できていない。 ノストラダムスの肖像画 (1562年)生きているうちに描かれたもの。 ノストラダムスの肖像画 (レオナール・ゴーチエ) ノストラダムスの肖像画 (メジャヌ所蔵、1614年頃)息子セザールが描いた肖像画。 ノストラダムスの肖像画 (サロン市庁舎所蔵)セザールが描いた別の肖像画。 ノストラダムスの肖像画 (アムステルダム、1668年)1668年『予言集』に収録された木版画。 ノストラダムスの肖像画 (ドーデ)五島勉が「二つの顔を持つ護符」と紹介した四行詩つきの肖像画。 ノストラダムスの肖像画 (アヴィニョン、1716年) ノストラダムスの肖像画 (パリ、1754年)若い頃のノストラダ...
  • ノストラダムスの肖像画 (グラネ、1846年頃)
    (*1) 基本データ 作品名 不明 作者 フランソワ・グラネ(François Granet)もしくはその工房 作成時期 1846年頃 様式 油彩画(画布) サイズ 18 x 13 cm 所蔵先 ヴェルサイユ・トリアノン国立美術館 コメント  セザールによる肖像画の複製である。e-corpusによれば、ルイ=フィリップがヴェルサイユに飾る複製を1845年に依頼したことから作成されたという。 名前 コメント
  • ノストラダムスの肖像画 (アヴィニョン、1716年)
    ...日本語訳 ミシェル・ノストラダムスの肖像画 作者 ダヴィド(Jud. David) 作成時期 1716年 様式 版画 サイズ 24.3 x 18 cm 所蔵先 ポール・アルボー博物館など。かつてはダニエル・ルソも私蔵していた。 コメント  ダヴィドの名と、「アヴィニョン、1716年」という作成情報は絵の中に小さく書かれている。また、ジャン・ヴァリエの名に触れていることが重要で、この絵画の存在は偽1566年版『予言集』の刊行年を特定する上で、大きく貢献した。 名前 コメント
  • ノストラダムスの肖像画 (メジャヌ所蔵、1614年頃)
    (*1) 基本データ 作品名 Portrait de Michel de Nostredame 日本語訳 ミシェル・ド・ノートルダムの肖像画 作者 セザール・ド・ノートルダム 作成時期 1614年頃 様式 油彩画(銅板) サイズ 18 x 16 cm 所蔵先 メジャヌ図書館(エクス=アン=プロヴァンス) コメント  息子セザール・ド・ノートルダムが作成したと伝えられる肖像画の中では、おそらく最も有名なものであろう。日本では、ヘンリー・C・ロバーツ『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』(たま出版、1975年)にモノクロ写真が掲載されており、比較的早い段階から知られていたものと思われる。  ここで採用した図版はウィキメディア・コモンズにアップロードされているものである。エドガール・ルロワがメジャヌ所蔵としている画像と色調が一致しているが、エルヴェ・ドレヴィヨンらがメジャヌ所...
  • ノストラダムスの肖像画 (アムステルダム、1668年)
    (*1) 基本データ 作品名 なし 作者 不明 作成時期 不明 様式 版画 サイズ 72 x 126 cm(収録文献のサイズ) 収録文献名 『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』1668年アムステルダム版 コメント  ラテン語の二行詩は以下の通り。 Vera loquor, nac falsa loquor, sed munere coeli Qui loquitur DEUS est, non ego NOSTRADAMUS 私は真理を語り、虚言を語らない。それは天からの賜りものゆえ、 語り手は神であって、私ことノストラダムスではないのだ。 起源  この版画の初出は『ミシェル・ノストラダムス師の真の四行詩集の解明』(1656年)らしい。同書では、二行詩はその解釈書の著者自身が書いたとされている。なお、1656年の解釈書では口絵の下に ...
  • ノストラダムスの肖像画 (エメ・ド・ルミュ、1840年)
    (*1) 基本データ 作品名 なし 作者 エメ・ド・ルミュ(Aimé de Lemud) 作成時期 1840年頃 収録文献名 ウジェーヌ・バレスト 『ノストラダムス』(パリ、1840年) 名前 コメント
  • ノストラダムスの肖像画 (パリ、1754年)
    (*1) 基本データ 作品名 Michel Nostradamus Médecine et Astrologue 日本語訳 医師・占星術師ノストラダムス 作者 左:オール・ビレット(Aure Billette)、右:不明 作成時期 左:1754年、右:18世紀(1754年以降) 様式 版画 サイズ 未詳 所蔵先 フランス国立図書館 ほか (*2) コメント  比較的若い頃のノストラダムスを描いた肖像画である。18世紀に作成されたものであって、あくまでも想像図に過ぎないが、かなり珍しいものとはいえるだろう。  これはよく似た2つの版が知られている。  上の画像のうち、左はパリの出版業者ドヴォー(Deveau)が1754年に出版したもので、欄外に「パリ、サン=ジャック通りのサン=ブノワ近くでラルシュ・ダリアンスの看板を掲げるドヴォーの工房にて」(A Paris, ...
  • ノストラダムスの2016年予言
    2015年予言―2016年予言―2017年予言  一部メディアにはノストラダムスが2016年について予言しているかのような主張が見られる。だが、それは事実ではない。 ノストラダムス本人の作品には、2016年と明記された予言など存在しない。 『ノストラダムスの予言は的中していた! 2016年「人類40億人滅亡」恐るべき証拠』  並木伸一郎の著書『ノストラダムスの予言は的中していた! 2016年「人類40億人滅亡」恐るべき証拠』(竹書房、2015年)は、題名に反して、ノストラダムス予言から2016年の破局を導くものではない。  ノストラダムス予言で直接解釈されているのは百詩篇第10巻72番のみで、「2016年」という年号はその解釈にすら出ていない。 『2016年向けのノストラダムス予言トップ10』  Alex Noudelmanが「2016年向けのノストラダム...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ピエール・リゴー版、1716年頃)
    ...エの名前に言及のあるノストラダムスの肖像画が1716年にアヴィニョンで出版されていることから、それとほぼ同じ時期であろうと推測されていることによる。  かつてダニエル・ルソは、実際に印刷した業者としてアヴィニョンのドメルグ家を挙げていた。この説は、フランソワ=ジョゼフ・ドメルグが手がけた『予言集』1731年アヴィニョン版との類似性から、一定の説得力を持っていた。  しかし、現在ではむしろアヴィニョン出版業史の専門家ルネ・ムリナが指摘するように(*3)、アヴィニョンのジョゼフ=シャルル・シャスタニエの方が有力だろう。スワンギャラリーによる2007年のカタログでもシャスタニエが偽作者とされている(*4)。  シャスタニエと判断する根拠としては、以下の点を挙げることができる。 シャスタニエはリゴー家の木版画を使い回していた。 この偽版の冒頭に収録された墓碑銘に用いられている...
  • ノストラダムスの肖像画 (ドーデ)
    ...たが、ユタン自身は「ノストラダムスの肖像画、1668年」(Portrait de Nostradamus, 1668.)としか注記していない(*5)。それは明らかにアムステルダム版の肖像画と取り違えたもので、出典自体を正しく認識していなかったとしか思えないが、伝説的な護符を発見したはずの人物がそのようなミスをするとはまず考えられない。  ゆえに、誰が作成したのかもはっきりしない17世紀後半の四行詩を護符などと持て囃すのは、実証的に見た場合には全く支持できない。 派生  バルタザール・ギノーも解釈書『アンリ2世からルイ大王までの歴史とノストラダムス予言集との一致』の中で、書斎に腰掛けるノストラダムスの肖像画と四行詩を収録したが、こちらは署名がソーヴ(Sauve)となっている。また、『予言集』1697年版でも使われたが、こちらは署名が全くない。  3つの版画は似ているものの、...
  • セザール・ド・ノートルダム
    ...メートル)。 ノストラダムスの肖像画(銅板、18×16。1614年頃)メジャヌ図書館(エクス)所蔵。左右の上隅に天使を一体ずつ配した、楕円形の枠に収まっている構図の肖像画。『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』をはじめ、多くのノストラダムス関連の日本語文献で見ることが出来る、有名な肖像画のひとつ。 ノストラダムスの肖像画(銅板、38×29。作成時期未詳)カルヴェ博物館(アヴィニョン)所蔵。伝えられるところによると、もともとこの絵は、墓銘碑とともに墓に掲げるために作成されたものであったという。ノストラダムスが58歳の時を描いているというが、その時セザールは8歳だったため、当時、もう一つの肖像画ともども、元になった肖像画があったのではないかと推測する論者もいる。 自画像(銅版、18×16。1616年)メジャヌ図書館所蔵。天使が持っている紋章など細かい違いはあるものの、構図そのもの...
  • ミシェル・ノストラダムスの予言集 (ジョリ、1815年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1815年にアヴィニョンのジャン=アルベール・ジョリによっても出版された。 正式名 PROPHETIES DE MICHEL NOSTRADAMVS,Dont il y en a trois cens qui n ont iamais esté imprimees ; Trouuees en vne Biblioteque laissee par l Autheur. NOUVELLE EDITION, d après un Exemplaire trouvé dans la Bibliothèque du célèbre PASCAL. AVIGNON, Chez J.-A. JOLY, IMPRIMEUR-LIBRAIRE, 1815. ミシェル・ノストラダムスの予言集。決して出版されなかった300篇を含み、 著者の残した蔵書の中か...
  • ノストラダムスの2018年予言
    2017年予言―2018年予言―2019年予言  ノストラダムスの2018年予言は、いくつかのインターネットメディアで報じられている。しかし、毎年恒例の単なる与太話の域を超えるものではない。  なお、ノストラダムス本人の予言で2018年と明記された予言は存在しない。 目次 2018年トップ10予言 トランプ暗殺と27年続く戦争 2018年トップ10予言  海外のサイト「ロンバルディレター」(Lombardi letter)は WW3? Top 10 Nostradamus Predictions for 2018 (第三次世界大戦か? 2018年向けのノストラダムス予言トップ10) という記事を2017年3月24日に掲載した(*1)。  日本ではこの記事などに依拠する形でネットメディアのTOCANAが同年9月6日に 【ショック...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・リブー、1669年)
    ...の版に収録されていたノストラダムスの肖像画のページのみが所蔵されている(*2)。 派生  同じ年にパリで出版された1669年ピエール・プロメ版は、リブー版の相次ぐ出版に触発されたものかもしれない。  あるいは、1669年に再版したリブーが、その版をプロメに譲渡したのかもしれない。  ほかに、1668年リブー版に触発されて1669年プロメ版が出され、まだ売れることを再認識したリブーが1669年にも再版した、といった可能性も想定できる。  しかし、この辺りの出版順序を特定できる資料は確認されていない。 名前 コメント
  • Almanach : & Predictions, pour l'An...mil cinq cens Soixante-sept
    ...る。詳細は不明だが、ノストラダムスの肖像画とともに「三年間の驚異の予言」(Predictions Merveilleuses, Pour trois Ans.)という節があるという(*2)。 所蔵先  かつてダニエル・ルソが所蔵しており、2007年4月のオークションに出品されたが、落札者は不明である。  そのオークション目録では、ミシェル・ショマラの書誌番号73、ヘルツォーク・アウグスト図書館にも所蔵と紹介されていたが、『紀元1567年向けの占筮と多くの予言』と混同したものであり、不適切であろう。  扉の四行詩は同じものだが、『占筮と多くの予言』の方には、肖像画や「三年間の驚異の予言」という節はないし、献辞をささげる相手も異なっている。 名前 ...
  • サン=レミ=ド=プロヴァンス
    ...e Brun)では、ノストラダムスの肖像画などを展示している部屋がある(*3)。  また、カルノー通り(rue Carnot)にはノストラダムスの胸像の彫られた噴水がある。この噴水は1859年に彫刻家アンブロワーズ・リオタールによって作製された。 【画像】ノストラダムスの泉(*4)  20世紀にはサン=レミに移住したことがきっかけで、ゴッホやノストラダムスの歴史的調査にいそしんだ精神科医エドガール・ルロワが現れている。彼が現在の実証的伝記研究にもたらした貢献の大きさは測り知れない。 名前 コメント
  • ノストラダムスの肖像画 (サロン市庁舎所蔵)
    ...amus 日本語訳 ノストラダムスの肖像画 作者 セザール・ド・ノートルダム 作成時期 17世紀 様式 不明 サイズ 不明 所蔵先 サロン=ド=プロヴァンス市庁舎「結婚の間」(Salle des Mariages) コメント  望遠鏡の発明は17世紀初頭のことで、ノストラダムスが使っていたことはありえない。エルヴェ・ドレヴィヨンとピエール・ラグランジュは、息子セザールが「学者としてのノストラダムス」を強調しようとした伝説化の一環と指摘した。 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムスの予言集 (モロー、1796年)
     ノストラダムスの『予言集』は1796年にボルドーのモローによっても出版された。 【画像】扉に使われた木版画(*1) 正式名 PROPHETIES DE Mel. NOSTRADAMUS, Imprimées sur l Edition de 1689.A BORDEAUX, Chez MOREAU, Imprimeur, rue des Remparts, No. 55, près la Porte-Dijeaux. L AN M. DCC. XCVI. 1689年版に基づいて印刷されたミシェル・ノストラダムスの予言集ボルドー、 ラ・ポルト=ディジョー近くのランパール通り55番地、印刷業者モローの工房にて。 1796年  古版本でノストラダムスに敬称が付いていない版はきわめて異例である。また、標準的な題名からも逸脱している。 内容  ミシェル・ショマ...
  • サロン=ド=プロヴァンス
    ...・ノートルダムによるノストラダムスの肖像画の一つが飾られている。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ジャンソンほか、1668年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1668年にアムステルダムのジャン・ジャンソンと故エリゼ・ヴェイエルストレの未亡人によっても出版された。 【画像】1668年アムステルダム版の口絵と扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Alemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrig...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ブゾンニュ、1691年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1691年にもルーアンのジャン=バチスト・ブゾンニュによって出版された。扉は1689年版とほぼ変わらないが、口絵は上下に説明が加わっている点に違いがある。 【画像】1691年版の口絵と扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du Mond...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ウルセル)
    ...と扉2がある。  ノストラダムスの肖像画のあと百詩篇第1巻から第10巻、第11巻(2篇)、第12巻(11篇)が収録されている。補遺篇は百詩篇第6巻100番、第7巻43番、同44番、同73番以降の4篇、第8巻の補遺篇(6篇)、第10巻補遺篇が含まれている。  最後に予兆詩集と六行詩集が掲載されている。  以上はマリオ・グレゴリオ(未作成)が公開している伝本に基づくものだが、リヨン市立図書館ミシェル・ショマラ文庫の伝本では、扉1と扉2の順序が逆で、巻末に解釈集が収録されているという(*2)。解釈集は題名も扱われている詩もページ数も1689年ルーアン版とほぼ同じだが、それに比べて1篇少ない。  ロベール・ブナズラが私蔵する伝本はさらに異質で、扉2が冒頭に来るのはショマラの伝本と同じだが、扉1と伝記は百詩篇集と予兆詩集の間に挟まっているという(*3)。結果として「真の百詩...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、1650年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1650年頃にもリヨンのピエール・リゴーの名義で出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimées. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, Chez PIERRE RIGAVD, ruë Merciere, au coing de ruë Ferrandiere, à l ensaigne de la Fortune. AVEC PERMISSION. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられ...
  • ノストラダムスの予言は的中していた! 2016年「人類40億人滅亡」恐るべき証拠
     『ノストラダムスの予言は的中していた! 2016年「人類40億人滅亡」恐るべき証拠』は2015年3月に双葉社から出版された並木伸一郎の著書。 【画像】 表紙 構成 第1章 ノストラダムスの予言は的中していた!! 第2章 人類滅亡の予兆~omen~ 第3章 太陽系に遺された「神々の指紋」 第4章 人類滅亡は「母なる太陽」がもたらすのか!? 第5章 人類は生き残れるか!? 「影の政府と極秘計画」  ノストラダムス予言に直接触れているのは第1章の中でも、わずかに8ページである。しかも、この種の本にありがちな図版や写真を多く挿入する構成なので、文字情報はかなり少ない。 コメント  ノストラダムス予言で解釈されているのは詩百篇第10巻72番のみである。  その解釈は、1999年に発見された小惑星ベンヌのこととしている。  ベンヌは (この本にも明記されている通...
  • アンリ・トルネ=シャヴィニー
     アンリ・トルネ=シャヴィニー(Henri Torné-Chavigny, 1826年6月20日 - 1880年7月5日)は、フランスの司祭。ノストラダムス予言の信奉者であり、エドガー・レオニが言うところの「19世紀の三大解釈者」の一人である(後2人はウジェーヌ・バレストとアナトール・ル・ペルチエ)。  ロベール・ブナズラは「ノストラダムスの注釈者の中で一番の有名人」(*1)と紹介している。  本名はアンリ=アントワーヌ・トルネ(Henri-Antoine Torné)だが、ノストラダムスの秘書ジャン=エメ・ド・シャヴィニーに肖って、姓に「シャヴィニー」を加えた。  司祭であったことから、トルネ師(アベ・トルネ, l abbé Torné)とも呼ばれる。  日本語文献に、ノストラダムスの秘書(弟子)の名前を「トルネー」としているものがあるのは、明らかにシャヴィニー本人と、この...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャック・ガリガン、1791年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1791年にアヴィニョンのジャック・ガリガンによっても出版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES PROPHÉTIES DE M. MICHEL NOSTRADAMUS, DIVISÉE EN DIX CENTURIES. Nouvelle Édition imprimée d après la copie de la premiere Édition faite sous les yeux de CÉSAR NOSTRADAME son fils en 1568. A AVIGNON, Chez JACQUES GARRIGAN, Imprimeur-Libraire, place Saint-Didier.. 1791. 十巻の百詩篇に分けられたミシェル・ノストラダムス師の予言集1568年に息子セザール・ノス...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)によっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN POYET. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Centuries VIII. ...
  • ミシェル・ノストラダムスの予言集 (マルシャン・ド・ヌヴォテ、1804年)
     「新刊書籍の商人たち」 名義での『予言集』は、1804年にも出版された。 正式名 Propheties de Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cens qui n ont iamais esté imprimees ; Trouves en une Bibliotcque[sic.] laissee par l Autheur. Nouvelle Edition, D après un Examplaire trouvé dans la Bibliothèque du célèbre Pascal. A Paris, Chez les Marchands de Nouveautés. L An de J. C. 1804 ミシェル・ノストラダムスの予言集決して出版されなかった三百篇を含み、 著者の残した蔵書の中から発見さ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ガリガン兄弟、1791年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1791年にアヴィニョンのガリガン兄弟によっても出版された。 【画像】扉に使われた木版画(*1) 正式名 LES PROPHÉTIES DE M. MICHEL NOSTRADAMUS, DIVISÉE EN DIX CENTURIES. Nouvelle Édition imprimée d après la copie de la premiere Édition faite sous les yeux de CÉSAR NOSTRADAME son fils en 1568. A AVIGNON, Chez les freres GARRIGAN, Imprimeurs-Libraires, place Saint-Didier. 1791. 十巻の百詩篇に分けられたミシェル・ノストラダムス師の予言集1568年に...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (トゥーサン・ドメルグ、1772年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』1772年アヴィニョン版は、トゥーサン・ドメルグによって出版された。 【画像】1772年版の扉(*1) 正式名 Les Prophéties de M. Michel Nostradamus, Nouvelle Edition imprimée d après la copie de la premiere édition faite sous les yeux de César Nostradame son fils en 1568.Divisée en Dix Centuries. A Avignon, Chez Toussaint Domergue, Imprimeur Libraire, pres le Collège. M. DCC. LXXII. Avec Permission des Supérieurs. ミシェル...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ヴィレ、1697年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1697年にリヨンのジャン・ヴィレによっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE MAITRE MICHEL NOSTRADAMUS,Dont il y en a trois cents qui n ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par ledit Auteur. A LYON, Chez JEAN VIRET, Ruë Merciere, au Coin de ruë Ferrandiere. M.DC.XCVII. Avec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 リヨン、メルシエール通りとフェランディ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ランドリオほか、1792年)
     18世紀末頃にはリオンのランドリオが度々 『予言集』 の出版に携わった。そのうちルセ、ボヴェールと組んだものは、ランドリオが出版した版の中で唯一刊行年が明記されている。 【画像】第一部扉と第二部扉(*1) 正式名  二部構成であり、それぞれの扉に記載されているのは以下の通りである(*2)。 第一部 LES PROPHETIES DE MICHEL NOSTRADAMVS, Dont il y en a trois cens qui n ont iamais esté imprimees ; Trouuees en vne Bibliotecque laissee par l Autheur. NOUVELLE EDITION, D après un exemplaire trouvé dans la Bibliothèque du célèbre ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ
     ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ(Pierre-Joseph de Haitze, 1648年頃 - 1736年7月26日)は、フランスの作家、歴史家。主としてプロヴァンスの歴史や、プロヴァンスに縁のある人物の伝記をまとめた。  エーツは、1648年頃にカヴァイヨンで生まれた。ベアルン地方の高貴な出自であったという。彼はプロヴァンスの歴史に特に興味を持ち、様々な調査も行った。その作品は文体の丁寧さや明瞭さが評価される一方、内容が皮相的であることや、調査における批判能力の不足なども指摘されている。 彼は、親戚にあたるジャン=フランソワ・ゴフリディ家に秘書として住み込んでおり、1736年にプロヴァンス地方のトレ(Trets, 現ブーシュ=デュ=ローヌ県内)で没した。 ノストラダムス関連  エーツによるノストラダムスの伝記 『ミシェル・ノストラダムスの生涯(未作成)』(1711年...
  • ノストラダムスの甥
     ノストラダムスの甥は、ノストラダムスの弟や妹の子供(男子)のこと。史料的に裏付けられる範囲では7人が確認できるが、いずれも特筆されるような業績は残していない。  しかし、16世紀半ばから17世紀初頭の偽ノストラダムスたちは、しばしば権威付けに「ノストラダムスの甥」と名乗った。ジャン・ド・ノートルダムはこのような風潮に対し、知人宛の手紙の中で、ノストラダムスの縁者であるかのように騙る占星術師たちはいずれも偽者であると断じている。  「ノストラダムスの甥」という名称はその後途絶えていたが、19世紀になると、暦書の名義として使われるようになった。『ノストラダムスの甥による1849年向けの絵入りの有用な予言暦』(Almanach Prophétique, Pittoresque et Utile pour 1849, Publié par neveu de Nostradamus...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • Pronostico o Vero Giudico sopra L'anno MDLXVI
     『1566年向けの占筮あるいは真の判断』(Pronostico o Vero Giudico sopra L anno MDLXVI)は、1565年にフィレンツェで出版されたフィリップ・ノストラダムスの著書。確認されている範囲では、フィリップの最初の著書である。 【画像】扉(*1)。フィリップの肖像画のようだが、実際には本家ノストラダムスのイタリア語版『1564年向けの占筮と暦』の転用ないし模倣に過ぎない。 正式名 PRONOSTICO O VERO GIVDICO SOPRA L ANNO MDLXVIEccellente philosopho Astrologo M. Philippo Nostradamo. Tradotto di Francese in lingua Italiana. Stampato in Milano Ristampato in ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (クロード・ガルサン、1643年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1643年にマルセイユのクロード・ガルサンによっても2種類出版された。2種類の版は題名も内容も異なるが、いずれも第二部まで収められているにもかかわらず、二部構成を採用しなかった初めての版である。 【画像】扉に使われている木版画(*1) ミシェル・ノストラダムス師の予言集 正式名 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.PRINSES SVR LA COPIE IMPRIMEE à Lyon, par Benoist Rigaud.1568. A MARSEILLE, Chez CLAUDE GARCIN, Imprimeur de la Ville à la Loge. M. D. C. XXXXIII. ミシェル・ノストラダムス師の予言集1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの...
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    ...材集「いらすとや」のノストラダムスの肖像画を使用させていただいております。 原文比較について、閲覧環境によっては大文字の I (アイ)と小文字の l (エル)が同じに見えることがあります。 ©sumaru 2024 (著作権・リンク許諾について)
  • ノストラダムス関連年表
     このノストラダムス関連年表では、彼の生涯やノストラダムス現象に関わりのある主な出来事についてまとめた。  信奉者側がどのような事件を的中させたと主張しているかについては的中例として有名な予言を参照のこと。 ノストラダムスの存命中の関連年表 1503年12月14日(木曜日) - 誕生。 1518年頃? - アヴィニョン大学で自由七科を学んだとされる 1520年 - 学業を中断したと推測されている。 1521年 - 各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめる(- 1529年) 1529年10月23日 - モンペリエ大学医学部に入学。数年以内におそらく除籍。 1531年 - アジャンでアンリエット・ダンコスと最初の結婚。 1530年代後半? - 最初の妻と子どもをペスト(?)で失う。以降放浪したとされる。 1545年前後? - 手稿『オルス・アポロ』を...
  • Lettre à Catherine de Médicis
     『カトリーヌ・ド・メディシスへの書簡』(Lettre à Catherine de Médicis)は、1996年にミシェル・ショマラ出版社から刊行された『王太后への書簡』(1566年)の影印本である。 構成  32ページ分ある。ただし、うち9ページ分は白紙である。  冒頭で2つの木版画が紹介されている。一つはノストラダムスの存命中(1562年)に彫られたという肖像画で、もうひとつはノストラダムスやカトリーヌと誤って結び付けられてきた木版画である。  Présentation と題するミシェル・ショマラによる解説がそれに続き、『王太后への書簡』に関する書誌的な情報などについて、手際よく紹介されている。  その後に本編といえる影印による復刻版が掲載され、現代フランス語による訳も収録されている。  なお、裏表紙にはエリック・ヴィジエによるミシェル・ショマラ文...
  • ウジェーヌ・バレスト
     ウジェーヌ・バレストないしバレート(Eugène Bareste, 1814年8月5日 - 1861年6月3日)は、19世紀パリのジャーナリスト、作家。 生涯  20歳の時に刊行した『人民の伝記』で文筆活動を開始した。これは「人民双書」(bibliothèque populaire)の1冊として刊行されたものであったが、その中でもよく売れ、唯一4版を数えた。 1836年にはトロワ(未作成)で刊行されていた『ジュルナル・ド・ローブ』紙(journal de l Aube)の編集者として、4か月間文芸面を担当し、同じ年には『オーブ県の偉人伝』を出版した。その後パリに戻り、いくつかの媒体に(時には匿名で)寄稿を行った。その後も、二月革命の際に、いち早く『ラ・レピュブリック』紙(La République)を創刊するなど、ジャーナリストとしての活動を続けた(ちなみに同紙は1851年12月...
  • フロラン・ド・クロー
     フロラン・ド・クロクスあるいはフロラン・ド・クロー(Florent de Crox, 生没年未詳)は、16世紀フランスの占星術師である。ノストラダムスに便乗して、自著の著者名に「故ミシェル・ノストラダムス師の弟子」という肩書きを常につけていたが、ノストラダムス本人との接点は確認されていない。 【画像】フロラン・ド・クローの肖像画(『1570年向けの暦』扉の木版画)(*1)  著作  この人物による著作は現存しないものも含めて5冊確認されているが、すべて暦書である。 『1570年向けの暦』(Almanach, Pour l An M.D.LXX.) 『1574年向けの暦』(Almanach pour l an 1574) 『1583年向けの暦と占筮』(Almanach et Pronostication pour l an 1583.) 『1586年向けの暦書...
  • Recueil des revelations et propheties merveilleuses de saincte Brigide
     『聖ビルギッタ、聖キュリロスや他の多くの聖者たちや敬虔な人々の啓示と驚くべき預言の集成』(Recueil des revelations et propheties merveilleuses de saincte Brigide, sainct Cirile plusieurs autres saincts religieux personnages)は、1575年にノストラダムス2世によって出版された文献。 【画像】(左)第一部扉、(右)第二部扉(*1) 正式名 第一部 RECVEIL DES REVELATIONS ET PROPHE-ties merueilleuses de Saincte Brigide, Sainct Cirile plusieurs autres Saincts religieux personnages.Outr...
  • ノストラダムス大予言原典・諸世紀
    ...て息子セザールによるノストラダムスの肖像画が、ロバーツのコレクションとしてモノクロで転載されている(実際には、オリジナルはエクス=アン=プロヴァンスにある)。  続いて「セザールへの手紙」の日本語訳が収録され、そのあとで、ロバーツによる端書きの訳と、日本語版監修者による解説(pp.17-43)が載せられている。  本編にあたる詩百篇集では、原文対訳に解説が添えられている。  この解説は、原書に載せられていた解説と注をもとに、手短にまとめなおしたものである。  一方、詩によっては、編集者韮沢潤一郎らの解釈や、おそらく編集者らによって関連性があると判断されたジーン・ディクソンやエドガー・ケイシーの予言のフレーズが併記されている。  第7巻と第8巻の間には、「アンリ2世への手紙」が収録されているが、ロバーツの英訳に比べても、一部で大幅な省略が行われている。  ...
  • ノストラダムス
     ノストラダムス、本名ミシェル・ド・ノートルダム(Michel de Nostredame alias Nostradamus, 1503年12月14日 - 1566年7月2日) は、ルネサンス期フランスの人文主義者で、少なくとも薬剤師・料理研究家、詩人、翻訳者、占星術師としての著作を発表し、自らは愛星家 (Astrophile)と名乗った。また、晩年には国王シャルル9世(未作成)の常任侍医と顧問に任命された。  日本では1999年の人類滅亡を予言した人物として知られているが、そもそもその根拠となった恐怖の大王が登場する詩篇は、本物かどうかすら、実証的には十分に評価が定まっているとは言いがたい。ノストラダムスの予言がその詩篇に収斂していくかのような認識は、それ自体が通俗的なトンデモ解釈の山によって生み出された妄想である。  1980年代以降、ルネサンス期の一人の人文主義者と...
  • ギヨーム・ニヴェール
     ギヨーム・ニヴェール2世(Guillaume II de Nyverd)ないしギヨーム・ド・ニヴェールは、16世紀パリの出版業者。綴りは流動的で、Niverd, Nyver, Niver などとも綴られた。1549年から1573年まで活動し、1568年にはフランス語文献に関する国王の御用業者(Impremeur du Roi en langue français)となっていた(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの著書『ペストに対する極めて有益な治癒策』(1561年)を刊行した。ただし、現存しておらず、ノストラダムス本人の作か不明である。  ほかの文献はいずれもノストラダムス2世のものばかりで 紀元1567年向けの占筮と多くの予言(1566年頃) 紀元1567年向けの暦と予言(1566年頃) 今年から1568年までの驚異の予言(1566年頃) 20年間の予言...
  • ノストラダムスの墓
     現在のノストラダムスの墓はサロン=ド=プロヴァンスのサン=ローラン教会(サン=ローラン参事会聖堂)にある。  しかし、もともとノストラダムスが遺言していた場所はそれと異なっており、移転されたのは1813年のことであった。 ノストラダムスの遺言  ノストラダムスは口述した遺言書の中で、次のように埋葬場所を指定していた(当「大事典」の区分でいう3節)。 本遺言人ミシェル・ノストラダムス師はその魂が肉体から召し上げられた暁には、その亡骸が前記サロン市の聖フランチェスコの修道院の墓所に丁重に葬られることを望み、また命じる。そして、その〔修道院の〕大扉と聖マルタの祭壇の間の壁に寄り添う墓碑または記念碑が作られることを望む。  「聖フランチェスコの修道院」とはフランシスコ会修道院のことである。  実際に、当初はフランシスコ会修道院附属聖堂でこの遺言の通りに埋葬されていたといい、...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、17世紀初頭)
     リヨンのピエール・リゴーは、17世紀初頭に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を少なくとも三度出版した。それらは出版者名の直前についている前置詞 PAR, Par, Chez によって区別される。 【画像】Chez の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR PIERRE RIGAVD, en rue Merciere au coing de rue Ferrandiere. Auec Permission. ミシェル・ノスト...
  • ノストラダムス2世
     ノストラダムス2世(Michel de Nostradamus le jeune, 1574年歿?)は、ノストラダムスに便乗した同時代の占星術師の一人である。本名や生年は不明で、ノストラダムス本人との血縁関係は一切裏付けられていない。また、「ノストラダムスの弟子」と自称していたが、この点も裏付けが取れない。  なお、Nostradamus le jeune は「若者(の方の)ノストラダムス」の意味である。普通「2世」は姓でなくファースト・ネームにつくものなので、むしろ「小ピット」「小デュマ」などにならって「小ノストラダムス」とでもした方が良いのかもしれないが、先行する文献に倣って「ノストラダムス2世」としておく。 【画像】ノストラダムス2世の肖像画(『20年間の予言』扉の木版画)(*1) 活動  記録上この名前を初めて確認することができるのは1568年のことである...
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