ノストラダムスは王党派カトリックを標榜していた。
実際にはユダヤ教の信仰を堅持していたと主張する者たちもいるが、実証主義的な裏付けを持たない。
他方、プロテスタントであった可能性については否定しきれないが、少なくとも著書では、プロテスタントへの批判的傾向は明白である。
ここでいう「異教徒」とは、非カトリックを指す。ただし、あくまでもノストラダムスの著書における位置づけによる分類であって、当「大事典」として、どの宗教・宗派を正統とするかといった価値判断を含むものではない。
特にイスラームについては、ノストラダムス予言では侵略者・破壊者としての要素が強い。それについては、記事「
イスラーム」の結論部分に書いたことを、この索引でも以下に再掲しておく。
(ここから再掲)
ノストラダムス予言に見られるイスラーム侵攻のモチーフは、中世以来の予言的言説が、16世紀当時の国際情勢の中で今日的な切迫感を持って受け止められていたことの歴史的証言のひとつに過ぎない。精神史・社会史的にそこから何かを学びうるとしても、そこから21世紀においても性懲りもなく、イスラーム諸国によるヨーロッパ侵攻をきっかけとする人類最終戦争が 「もうじき起こる」「近いうちに起こる」 と言い続けるのはナンセンスだろう。
もちろん、そういう戦いが絶対に起こらないとは誰にも断言できないし、(それこそ
偽メトディウスから数えれば実に1300年以上も「そのうち」「そのうち」 と言い続けているのだから) いずれ起こることもあるかもしれない。
しかし、そもそもその背景にある中世的予言には、キリスト教を聖なる教え、イスラームを邪悪な教えと二分するような価値観が投影されている。そのような予言を妄信することは、異文化に対する不寛容を助長することにつながり、むしろそうした衝突が起こるリスクを高めるだけだろう。
通俗的な予言解釈本のたぐいは、しばしば 「賢い知恵で予言のメッセージを汲み取ろう」 というような大義名分を掲げたがる。しかし、前時代的な宗教対立を煽るような論者に賢い知恵が備わっているようには見えない。本当に賢い知恵を備えているのなら、むしろ前時代的な宗教対立の呪縛から抜け出すことこそが意識されるべきではなかろうか。
(ここまでが再掲)
イスラーム
ノストラダムス予言に islam や muslim という語は登場しない。多くは「アラブ(人)」、「
ムハンマド(の信仰を持つ者)」、「
イシュマエル(の末裔)」、「
バルバロイ」といった単語で登場する。
アラブ
Arabe 〔アラブ人〕
Arabie 〔アラビア〕
- 第5巻55番(「アラビア・フェリックス」=イエメンへの言及)
Arabiq 〔Arabiqueの省略形〕
Arabique 〔アラビアの〕
Arabesque 〔アラビアの〕
ムハンマド(の信仰を持つ者)
イシュマエル(の末裔)
バルバロイ
Barb’
Barba.
Barbar
Barbare(s)
Barbari
Barbarique
Barbaris
スレイマン
モール人(ムーア人)
モール人ないしムーア人というのは、元は
マウレタニアの民を指す言葉であり、北アフリカの住民を指す。
ノストラダムスは
MorisqueやMoresqueという語で言及している。
以下は本人の作か不明である。
また、本人の手になるか不明の断片にはmauritainという形で登場する。
金星・金曜日
このほか、安息日などの関係から、太陽・日曜日=キリスト教、土星・土曜日=ユダヤ教、金星・金曜日=イスラームという対応関係が成立する詩があると指摘されている。
月・三日月
現代でもイスラーム諸国の国旗では三日月や星がシンボルとして用いられることがある。
ノストラダムス予言でも、「三日月」や「月」がイスラームを指している可能性は指摘されている。
ただし、
アンリ2世も愛人ディアーヌの名(月の女神と同名)にちなんで三日月のシンボルを用いたため、すべてがイスラームを指すとは限らない。
それでも一応「三日月」(croissant)の登場箇所を挙げておくと、以下のとおりである。
このほか、
selinの登場する詩は、イスラームを指している詩が含まれる可能性がある。
プロテスタント
プロテスタントは、当時のフランスではもっぱらユグノーと呼ばれたが、この語は『予言集』に出てこない。カトリックからはプロテスタント寄りと批判され、プロテスタントからはカトリックと批判されたノストラダムスにとって、批判者からの攻撃材料を増やすわけにはいかなかったのだろう。
「プロテスタント」
「ユグノー」は出てこないが、「プロテスタント」を含む詩は存在する。
第7巻82番は予兆詩第74番をもとに偽作されたものであり、元は同じ詩篇である。
ほかに、プロテスタントやユグノーを明記した詩がない。モデルにしたと思われる詩はあるが、その辺りは解釈にもかなり左右されるので、索引としては扱いにくい。
ただ、
ジュネーヴ、
レマン湖、
トゥールーズなどは、異教的なモチーフで出てきやすい地名である(登場箇所は、リンク先の各記事を参照のこと)。
「異教徒」
異教徒を意味する語 paganisme は
第3巻76番にだけ登場する。この詩は、実証主義的にはドイツ再洗礼派の描写と推測されている。
ドイツ再洗礼派と推測される詩には、
第3巻67番、
第4巻32番もある。もっとも、これらは財産の共有を謳う詩篇であり、20世紀以降の信奉者たちはマルクス主義と結び付けたがる傾向があった。
ユピテル主義者
ノストラダムス予言には、「
ユピテル主義者」「木曜日を祝日とする者」のモチーフが登場する。当時の言説では、プロテスタントが聖木曜日に冒涜的な集会を開いているという風説があり、それとの関連性が指摘されている。
このモチーフの登場箇所は、以下の通り。
ユダヤ教
このほか、
サトゥルヌス主義者には「ユダヤ人」の意味もあるので、ユダヤ教徒を指す言葉として使われている可能性もある(登場箇所は
Saturninを参照)。
土曜日・土星で例えている可能性と、その登場箇所については、上記の「金星・金曜日」の節を参照のこと。
その他
仏教、バラモン教、ヒンドゥー教などへの言及は特にないものと思われる。
マギへの言及(
詩百篇第10巻21番)は、ゾロアスター教への言及と解釈できなくもないが、どの程度意識されていたかは不明である。
このほか、
ウェスタに仕えた巫女
ウェスタリス、太陽神に仕えた
ブランコスの末裔など、ギリシア=ローマ神話に由来する宗教的なモチーフが散見されるが、本来の古代信仰の意味なのか、不明瞭な文脈での言及も少なくない。
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最終更新:2021年08月14日 23:06