ヨーロッパ 義賊

ユライ・ヤーノシーク

スロヴァキアの義賊(1688~1713)。

1688年、農奴の子としてスロヴァキア西北部の村に生まれる。
1707年、19歳でラーコツィ・フェレンツ2世の軍に参加。翌年、ハプスブルク帝国軍の捕虜となり、一時帝国側に転向してある城の守備兵となる。が、1710年、その城に投獄された盗賊の首領ウホルチークと意気投合し脱走。そのまま盗賊団のリーダーとなり、貴族や商人などを襲った。1713年、生きたまま鈎で胴を貫かれて木にぶら下げるという方法で処刑された。
伝説では、不思議なシャツのおかげでそれでも死なずに刑場から逃げ出し、その後も富める者から盗み貧しい者に与えたという。

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最終更新:2005年07月19日 15:37