日向美弥@紅葉国様からのご依頼品
雪の薔薇園
きん、と冷たく澄んだ空気に満たされた宰相府藩国、冬の園。
あいにくの曇天、小雪が舞う中コートを身に着けたロングヘアの女性が寒さを忘れたように一人でじっと立ちつくしている。
その女性、紅葉藩国の医師む~む~はやや緊張した面持ちで手首に巻いた時計の文字盤に視線を落とした。
あと5分。
1時間前には冬の園に到着、そのまま時間まで暖かい場所で待っていれば良さそうなものだが、我慢できずに待ち合わせに指定された冬薔薇園の前に到着してから既に10分が経過。
それから殆ど30秒おきに時計を確認していた。
む~む~がそうまで待ちわびているその相手とは。
先程む~む~が歩いてきた道。薄く降り積もった雪の上についた真新しい足跡を辿るようにしてジャケットを羽織った銀髪で長身の男が歩いてくる。
「日向さーん」
「……」
第6世界、式神ワールドと呼ばれる場所からの客人、日向玄乃丈。大神の血を受け継ぎ探偵を生業としている。その性向は高潔にして正義の人。そして清貧を常とする。
絵に描いたようなハードボイルドな男であった。
その姿を認めるなりぱっと顔を輝かせて手を振るむ~む~に、日向は普段は鋭い視線を少しだけ和ませると黙って肩の辺りを払う真似をした。
その意味に気付いて慌てて肩に降り積もった雪を払い落とすむ~む~。ついでにロングヘアを軽く振るとぽそぽそと固まりになった雪が滑り落ちた。
それを見て日向は笑った。地面に落ちた雪の量がここに立ちつくしていた時間を如実に物語っている。
「ここでもどうだ?」
俺は暑いのが苦手でね」
「雪は好きです。うちの国ではぜんぜん見られないので」
ちょっとかっこわるいとこ見られたかも、と照れるむ~む~に日向は曇天から覗く日差しのように微笑んだ。
途端にどきまぎしだすむ~む~。それというのも、前述の通りハードボイルドな日向はむ~む~のアプローチに照れることはあっても微笑みかけてくることはこれまで無かったからだ。
ちなみにぐるぐるしだしたむ~む~は忘れているが日向はデートとしてこの場に来ている。実のところどうしたものか対処に困っているのは彼も同じで、これがハードボイルドなデートだ、と身を以て示すようにして日向はむ~む~を連れて冬薔薇園へと入っていった。
広大な冬薔薇園の一画。二人が足を踏み入れた最初のエリアでは一面に赤い薔薇が咲き誇っている。
「うわ…きれい……」
白い雪を纏った薔薇は赤と緑のコントラストが際だって見えた。まるで天然色の氷を彫刻したような、冷たく凜とした美しさにうっとりするむ~む~。
む~む~が嘆息して屈み込んだので日向は足を止めて微笑んだ。
「話に困るときは綺麗なものを見るに限る」
「う……困るんですか?」
「俺は噺家じゃない」
「じゃあ綺麗な薔薇たくさん見ることにします」
「それがいい」
短くそれだけ言うと日向は再び黙って、薔薇の小道を大股に歩いていく。
小走りにその後を追いかけて隣に並ぶむ~む~。歩幅に差があるので置いて行かれないようにしようとするとどうしても小走りになってしまう。
「ええと…手を、つないでいいですか?」
「やめとくよ」
やはり短く答えて日向は変わらずすたすたと歩いている。隣を歩くむ~む~に歩幅を合わせたりはしない。
「どうした?」
数メートル歩いてから振り向いた日向は酷くしょんぼりとしたむ~む~を見て暫く考えた。
ハードボイルドな自分との妥協点を探っている。
「…左手なら」
「……はいっ!」
即座に数メートルの距離を小走りに駆けて右手で日向の左の手を取るむ~む~。なんと素晴らしきしょんぼりからの超回復。
大きくて、この寒空の下でも暖かい。節のある日向の掌の感触。
「利き腕がばれるな」
「あ、利き腕あけてるってことなんですか。
……ごめんなさい。事情しらなくって」
「単なる用心だ。
大事なものが殺されるのは、1度で十分だ。2度は多すぎる」
そう言ってふ、と目を伏せた日向にむ~む~ははっとなった。一つは日向の心の傷に触れたから。もう一つは彼がここに来てからずっとむ~む~を護っていてくれたことに気付いたからだ。
足早に歩いているのも実は先回りして安全確保をしているという気遣いの表れらしい。
「……はい」
大事なもの、という言葉に嬉しさでいっぱいな一方で自己嫌悪に沈みそうなむ~む~は結局それだけしか言えなかった。
日向はどこか遠くを見るような、傷付いた目で白い薔薇を見ている。その視線の先にいる人を、む~む~は知っていた。
「この色は、嫌いですか?」
「いや。
ピンクほどじゃない」
ピンクの方は単純に嫌な思い出かもしれないが。
「じゃあ、他の色の薔薇のところまわりましょうか?」
「お前さんの見たいのを見ればいいのさ」
「そうですね…私は赤が好きかな。雪にも映えますし」
んーそれなら、と顎に手を当ててむ~む~が言うと日向は黙って先導するようにして歩き始めた。
またしても小走りに後を追うむ~む~。
日向の向かった先には薔薇で形作られた巨大で壮麗な門があった。
先程の薔薇と同じ品種だろうか、大理石の支柱を匍う赤と緑の薔薇はまるでその形で生まれてきたような自然なたたずまいで二人を迎えた。
「うわ……こんなに大きな…きれい……」
「凱旋門かな」
「そんな感じがしますね」
門を見上げるむ~む~は随分と顔を上向かせていた。アーチの頂点から根本まで、見渡す動きの大きさが門の大きさを表している。
「確かに凄い。やきそばいくつ分だろう」
「やきそばだと…わかんない。とってもたくさんでしょうね」
ぽつりと漏れた突拍子もない比喩に思わず吹き出しそうになってからむ~む~はその価値を計算しかけ、すぐにやめた。
これもきっと日向の心遣いの一つなのだろう。見れば彼が微笑んでいる。
「写真でもあったら撮影してやれるんだが」
「見たくなったら、またここにくればいいです。
写真より、その方がずっと綺麗ですよ」
笑顔でそう言って振り返るむ~む~に微笑みを返す日向。
「そうだな」
「はい」
「……」
咲き誇る赤い薔薇のアーチの下、日向は不意にむ~む~に顔を近づけた。
深く透徹した視線がじっと注がれているが、む~む~には何のことだか解らない。
頭の上に沢山の「?」を浮かべてただその満月のような瞳を見つめ返す。
一応断っておくと、にらめっこではない。
ではないが、暫くすると日向は根負けしたように微笑んで近づけていた顔を離した。
「昼飯でも食べるか」
「はい……」
軽い口調で短く言ってきびすを返す日向。
ここでようやく先程の急接近の意味に気付いて派手に赤面するむ~む~。しかし今更自分の方からリトライするわけにもいかない。
そうでなくても倒れそうなくらい恥ずかしいのだ。そうこうするうちに足音無く静かに歩いていく日向とはどんどん距離が開いていく。
その後ろ姿に不吉な既視感を感じたむ~む~は恥ずかしさも忘れて夢中でその後を追い、日向の左腕にしがみついた。
驚いて立ち止まり、左腕のむ~む~を見る日向。
「ど、どうした?」
「置いてかれるかと思った…」
触れてみると解る、見た目より逞しい腕にぎゅっとしがみついて言うむ~む~に日向はえ~と言う顔をしたあと、とびきり優しく微笑んだ。
「近くにいる」
「はい……だめです、ずっとどこか不安でいるから。
いつかみたいに、また消えちゃって。どこ探しても見つからなくなるんじゃないかって」
「……」
ぽろぽろと涙を流してこちらを見上げるむ~む~に日向はもう一度ゆっくりと、顔を近づけた。
絡み合う月色と若葉色の視線。
今度は間違えない。む~む~はそっと瞳を閉じてその瞬間を待った。
そっと唇に触れる、愛しい人の唇の感触。
む~む~の時は一瞬にして止まった。雪景色が写り込んだように頭の中が真っ白になる。
先程とは違う、幸せを訴える涙が後から後から溢れては頬を伝って雪を溶かす。
歓喜に胸を震わせるうちにどのくらいの時が過ぎたのか、壊れ物を扱うように日向はそっと、顔を上げる。
む~む~は黙って日向の胸にもたれた。もう、離れない。この思いだけは絶対に。
冷たく澄んだ空気の中、無数に咲き誇る赤い薔薇だけが、凜とした沈黙を湛えて抱き合う二人を見守っていた。
作品への一言コメント
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- ご指名いただきありがとうございました!初の式神関連作になりましたが如何でしょう。個人的には資料集めで見た日向さんがかっこよかったです。まる。 -- 久遠寺 那由他 (2008-06-01 03:03:43)
- 日向さんはもちろんかっこいいのです(/ω\) ささ、この機会に式神関連も網羅を…いやおいといて。ただでさえ甘いログに、砂糖がtで増量されてるようなΣ 後でつけた注釈や感想戦でのネタまで拾っていただいてありがとうございます。 -- 日向美弥@紅葉国 (2008-06-02 01:23:18)
引渡し日:2008/06/19
最終更新:2008年06月19日 15:31