哲学的ゾンビ

哲学的ゾンビ(てつがくてきゾンビ、philosophical zombie、p-zombie)とは、心の哲学(philosophy of mind)で用いられる言葉で、外面的には普通の人間(未)と全く同じように振る舞うが、内面的な意識や感情を全く持っていない人間のこと。

概要

哲学的ゾンビとは、人間と全く同じように振舞うが「心」を持たない存在のことである。人間が指先を刃物で切られたとすると、その指先からは血が流れ、彼は痛みを感じて手を引っ込めたり「痛い」と言ったりする。哲学的ゾンビが指先を刃物で切られたとすると、その指先からは血が流れ、彼は手を引っこめたり、「痛い」と言ったりするのだが、彼は本当は痛みを感じていない。透明で冷たいサイダーを飲んだ時、冷たそうな仕種や美味しそうな素振りをしていても、内面的に「透明さ」・「冷たさ」・「甘さ」・「爽やかさ」を感じてはいないし、政治や科学・哲学について普通の人間と同じように受け応え、複雑な論理を展開していても、彼らは"思考を巡らせ"たりしないし"何かを伝えようという意図"を持って議論したりしないのである。

この様に、人間と哲学的ゾンビとの違いは、その内に発する気持ち・感覚の有無である。この、外から客観的には確認できない主観的な気持ち・感覚のことを、心の哲学ではクオリア(未)(あるいは現象的意識)と称する。この言葉を使うと、「哲学的ゾンビとは、人間からクオリアだけを欠如させたものである」といえる。

哲学的ゾンビは、心の哲学(philosophy of mind)に於ける仮想の存在であり、種々の思考実験等に用いられる。哲学的ゾンビが実際に存在すると信じている人はごく少数である。

種類

哲学的ゾンビには、どこまで人間との共通点があるかによって次の2種類がある。これらは心の哲学においてどの様な議論の場面で用いられるかが異なる。*1

  • 行動的ゾンビ(behavioral zombie)
見た目や行動では人間と区別が付かない、とだけ定義されたもの。(物理的構造は人間と異なるかもしれない)
「人工知能は心を持ちうるか」といった議論の場面等で用いられる。

  • 神経的ゾンビ(neurological zombie)
見た目や行動では人間と区別が付かないし、物理的構造も人間と全く同じであるもの。
「クオリアと物理的状態との関連」を議論する場合等に用いられる。

  • 東京ゾンビ (Tokyo Zombie)
「黒富士」に遺棄された人間の魂と産業廃棄物から出た化学物質とが融合して蘇ったモノ
を描いた漫画作品。同名の映画の原作にも用いられた。


ここはVoodoo Club 朝になったら呪文が解けて みんなカボチャに還っちまうのさ
 -RAVEN 「Voodoo Club」

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最終更新:2010年06月01日 17:31
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*1 魂がどこに具備されているかという議論において、"魂のないゾンビ;soulless zombie"という仮想的存在が用いられる場合がある。これは、見た目や行動や物理的構造が人間と同じで更にクオリアも持っているが、"魂"のみが欠けているもの。