ミロさんを怒らせ、ロバートさんを殺してしまった。
私はその場から動くこともできず、俯いたままでいた。
どれくらいそうしていただろう。
泣き疲れて少しだけ顔を上げてみれば、目の前には自分の責任で死んでしまったロバートさんの死体があった。

「ッ…………!」

私はそれを直視できずに目を逸らす。
そして、私はその場から離れていってしまった。
自らがしでかしてしまった罪から逃げるように。

『おはよう。朝だね』

どこからともなく聞こえる声に私は足を止めたのは、それからしばらくしての事だった。

「……………えっと」

頭が働いていないのか。
それがあのワールドオーダーとかいう男の言っていた放送だと気付くのに、少しだけ時間がかかってしまった。

『重要な事なので忘れないよう、支給物に筆記用具があるからそれでメモしておくといい』
「そうだ、メモ…………メモしないと」

殆ど言われるがまま、働かない頭のままメモを取り出す。
そして、聞こえる声の通りに禁止エリアを書き記していった。
何も考えずただ、聞こえてくる声を書くだけの作業に没頭する。
そうしている間は何も考えなくて済んだから、少しだけ気が紛れた気がした。

『では続いてお待ちかねの死者の発表へと移ろうか』

死者の発表。
その言葉に、心臓が跳ねた。
これまで止まっていた思考が蘇り、私の体は固まったように動かなくなる。

01.茜ヶ久保一

最初に呼ばれた名前は私のよく知ってる名前だった。
同じ悪役商会の一員。
そりゃあ仲が良かったかと問われれば、困ってしまうような仲だったけれど。
死んでいいと思えるほど致命的に険悪という訳でもなかった。

無謀に敵に突っ込んではしぶとく生き延びる。
そんな人だったから、そうなったかと納得する思いと、こんなにあっさり死ぬだなんて信じられないという思いが同時にあった。
ただ、もう会えないのかと思うと、不思議と寂しいと感じられた。

04.麻生時音
05.天高星

連続して呼ばれるクラスメイトの名。
ああ、彼らも、死んでしまったのか。
彼らはなんの力もない一般人だった。
そんな彼らがこんな地獄に放り込まれれば、こうなってしまうのは必然だったのだろう。
決してそうは思いたくはないけれど、頭の隅でどうしてもそう思ってしまう。

23.クロウ(朝霧舞歌)

ガツンと、本当に後頭部を殴られたような衝撃が奔った。
その場に崩れ落ちるように座り込む。

もしかしたらと、いう不安がなかったわけじゃない。
彼女を一人残した時点で、この可能性を少しも考えなかったといえば嘘になる。
けれど、約束をしたのに。
形見となってしまったリボンをギュッと握りしめる。
血がにじむほどに強く。

54.半田主水

その名前が呼ばれたことに、先ほどとはまた違う衝撃を受けた。
舞歌の事は心の底で最悪の事態として予測はしていたけれど、今度は予想もしていなかった。
強く賢い人だった。そして優しい人だった。
優しすぎて、悪党には向いていないじゃないかと思ってしまうような、そんな人だった。

そんな半田さんが死ぬなんてとてもじゃないが信じられない。
これも、舞歌の事だって何かの間違いなんじゃないかという思いが頭をよぎるが。
そんなわけがないと、私は心のどこかで認めていた。
こんな時でもそんな考えしかできない自分が心底嫌になった。

73.ルピナス
74.ロバート・キャンベル

最後に。
呼ばれると知っていた自ら原因で死んでしまった相手の名と、呼ばれるとは思ってなかった最愛の友の名を聞いた。

そこで私の思考は完全に停止してしまった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

そこから先はいまいち記憶が定かではない。

はたと気づいた時には周囲の風景は先ほどまでとは変わっていた。
どうやら銃で撃たれた足の痛みすら忘れて、私はトボトボと歩き回っていたようだ。

「…………寒い」

知らず呟く。
どこをどう歩いたのか。
どれくらいそうしていたのか。
数分だったのかもしれないし数時間だったのかもしれない。
何もかもが曖昧だ。

ふらふらと歩いていた割に、近くだった禁止エリアに足を踏み入れなかったのは悪運が強いなと思う。
誰かに狙われていたらきっと成す術もなく殺されていたに違いない。
いや、いっそ、そうなっていればどれだけ楽だったのか。

「……ぉぃ」

頭痛のような目眩に頭を押さえた。
思考を取り戻したせいで、色々なことが思い返される。
いっそ誰も死んでいないと現実逃避できれば楽だったのに、頭の奥底の冷めきった自分が全ては事実だと告げていた。

舞歌もルピナスも、茜ヶ久保くんも半田さんも、みな死んだ。
死んでしまった。
それに、自分が余計な事をしたせいで、死んでしまった人がいて、

「おい、水芭――――!」
「――――はい!?」

怒鳴りつけるような大きな声が思考を中断せさた。
私は反射的に返事をして、慌てたように振り返った。

「あ、え? 新田…………くん?」

振り返った先。
そこには見知った顔があった。
クラスメイトの新田拳正くんだ。
そう言えば彼の名も名簿の中にあったっけ、などと働かない頭でぼんやりと思い返す。

「ったく。さっきから呼んでんのに、なにぼけーっとしてんだよ」

どうやら何度か呼びかけていたらしく、中々気付かかった私に呆れているようだ。
そして振り向いたこちらをまじまじと見つめた後、何か怒ったような顔をしながら近づいてきた。
いや、気付かなかったのは何というか申し訳ないけれど、そんな怒ったような顔をしなくたっていいじゃないか。

「見せろ」

そう言って近づいてきた新田くんが私の肩と腰にスッと手を掛ける
何を、と抗議する暇すらなかった。
ストンと体から力が抜けて、ふわりと強制的にその場に座らされた。
そして彼は何の遠慮もなく私の右足を手に取り、靴と靴下を脱がせて生足に触れてきた。
どうやら彼は傷を見ているようだ、足からの出血を放置してるの見て怒っていたらしい。

「痛…………ッ」
「我慢しろ。ったくこんな血だらだら流しながら歩いてんじゃねぇよ」

傷口付近を触られて麻痺しかけていた痛みが再び蘇る。
こんなに悲しいのに、傷は痛むものなのか。
その事実がなんとなく空しく感じられた。

「弾は残ってねぇみたいだな。掠めただけか。肉は抉れてるけど…………血は殆ど止まってんな」

新田くんは傷口を見て不思議そうにそう呟いた。
それはそうだろう。既に傷口付近の血管の先端は凍らせてある。
今垂れ流しているのは、さっき呆けてる間に緩ん分だろう。
肉が抉れるほどの深い傷にもかかわらず、血が殆ど流れていないという奇妙な傷口を不信がっていた。

「まあ歩けてたみたいだし、とりあえずは問題ねぇか」

だが、物事を深く気にする性質ではなかったのか、そう言って締めくくると傷口にハンカチを当てた。
傷口を圧迫するように押さえつけた後、上からクルクルと包帯代わりの布きれを巻いてゆく。
そして、足の傷の処置が終わると、彼はこれまた遠慮なく私のおでこにさわり前髪をかきあげ、そこにある額の傷を確認してゆく。
私の不注意でついた傷、ミロさんにつけられた傷を。

「頭の傷はちょっと深えが、見た目ほどじゃねぇな。
 ま、傷跡は残るだろうが大したことなさそうだな」

言いながら、ペットボトルの水で簡単に傷口を洗って手当を済ませる。
顔に傷跡が残るというのは女子的には大した問題なのだが。
その辺のデリカシーを彼に求めても仕方ないだろう。

「うっし。他に痛むところはねぇな?」
「…………え、うん。ありがとう」

なんだかあれよあれよと応急手当てをされてしまい、反射的にお礼を言ってしまった。
別に、私の傷なんて手当てする必要なかったのに、余りにも手際が良すぎて抵抗する暇がなかった。

「ったく、らしくねぇな。
 んな状態でボーっと歩き回ってんじゃねえよ。
 いつもの氷みてぇな冷静さはどうしたんだよ」

覇気のない私を叱咤するように新田くんは言う。
その言葉で、私は自分の置かれてる状況を思い出してしまった。
ジワジワと私の中から黒いものが込み上げてくる。

「冷静さ…………? 何それ? 冷静でいられるわけないでしょ!?
 新田くんだってあの放送を聞いたんでしょ? 死んじゃったのよ!? みんなが! 舞歌も……ルピナスも…………。
 むしろなんであなたはそんな平然としていられるの? 悲しくないの!? 悔しくないの!?」

徐々に声が上ずる。
自分の中でもヒートアップしていくのが分かる。
目の前の相手に、声を荒げて八つ当たりのような叫びをぶつけた。
それに対して彼は怒るでもなく、普段と変わらぬ調子で答える。

「そりゃ俺だって悲しいしとは思うさ。けど、悲しいだけだ。
 今それを悔やんだところで、どうこうなるもんでもないだろ」

どうにもならない?
本当にそうなのか?

「あなたは、自分がもっと頑張っていれば、死ななかったんじゃないかとか思ったりしないの?」
「思わねぇよ。こんな広いところで、出会う事も出来なかった奴を助ける事なんて、誰にだって無理だ。
 自分が居もしなかったところで死んだ人間の事を悔やんで、その後悔に、何の意味があるんだよ」

自らの失点を悔やむことに意味はないと。
いや、それは失点ですらないと彼は言っていた。

確かに私はルピナスの死に関わることすらできなかった。
今も彼女がどこでどう死んだのか、そんな事すらすら知らない。
そんな自分が、彼女の死を回避するには、こんな事態を起こす前にワールドオーダーを仕留めるしかないだろう。
それは実質不可能なことである。

ならば確かにルピナスの死に、私が余計な重みを感じる必要はないだろう。
だから感じるのは悲しみだけ。悲しいだけ、か。
けれど、私の場合は、舞歌の場合は違う。

「違うわ。私は、出会う事も出来なかった訳じゃない……ッ。
 私は舞歌と出会ったのよ、ここで! この場で!
 だから、私は舞歌を助けることが出来た! 出来たはずのなのよ!
 なのに、なのに私は…………! 私は、私は敵の前に舞歌を一人で置いてきてしまった…………」

後悔に両手で顔を覆う。
舞歌はきっと、あの敵の強大さを理解していた。
だから、私を護るために足止めを買って出たんだ。
私は、そんなことも分らなかった。

私があの場で判断を誤らなければ、もしかしたら舞歌は死ななかったのかもしれない。
意地でも一緒に戦うべきだった。
あれでは、見捨てたも同然だ。
私は舞歌を、一人きりにしてしまった。

「舞歌を、見捨てるくらいなら、私は…………ッ!」

例え一緒に戦たせいで、あそこであの強敵に敗れたとしても。
例えともに逃げる道を選択し、後ろから切られてしまっても。
彼女を、失ってしまうくらいなら。

「…………一緒に死にたかった」

それが私の本心だった。
自らの死など怖くはない。
死ぬ覚悟など、悪党商会の仕事をした時から、とうの昔に決めている。
それよりも、失ってしまう事の方が私にとっては何倍も恐ろしかった。

「バカかテメェは」

つまらなさげな声で。
そんな私の本心を、新田くんは吐き捨てるように切り捨てた。

「よくわかんねぇけど。朝霧はお前を守ろうとして、お前はこうして守られたんだろ。だったらそれでいいじゃねぇか」
「ッ!? いいわけないでしょ!」

平然とした声で、舞歌の死をそんな風に――!
殺意にも似た怒りを込めて目の前の少年を睨みつける。
だがその視線に怯むでもなく、彼は言葉を続ける。

「いいんだよ、それで。
 助けられたんなら素直に助けられたことを受け入れてろ。
 喜べとまでは言わねぇけど、せめてシャンと前向いて歩け。助けられた側にできる事なんてそんなもんだろ」
「なに、よ。それ。
 …………無理よそんなの。みんながいないのに、前を向いてなんて歩けない」

独りになるのは嫌だ。
みんながいるから、私は笑っていられるんだ。
みんながいないと、私は立ってすらいられない。
みんなを失った私に、どうやって前を向いて歩けと言うのか。

「誰だってそうでしょ?
 あなただって親しい人間が誰も死んでないからそんなことが言えるのよ。
 あなたもし恋人が死んだとしたら、同じことが言えるの?」

こちらの発言の何かに引っかかったのか、僅かに首を傾げるがすぐさま気を取り直してこちらに告げる。

「親だろうと兄弟だろうと恋人だろうと同じだよ。
 誰が死んだって、それは受け入れるしかない事だ」

そう、何の迷いもなく断言した。
それはきっと彼にとっての真実なのだろう。
そう思わせるに足る、意思の篭った言葉だった。

けれど、私はそんな風に簡単に受け入れられない。
悲しみも後悔もどうしても抱いてしまう。
そんな生き方は、できない。

「私にはそんな風に簡単には割り切れない。
 誰もがあなたみたいに、強い訳じゃないのよ」
「強い? こんなのは普通だろ」

当たり前の事のように言う。
それは驚くべきことに謙遜ではなく、彼の本心からの言葉だった。

「…………それ、本気で言ってるの?」
「本気だよ。別に腕っ節の話をしてる訳じゃねぇんだろ。
 人は死ぬぞ。誰だってそれを、受け入れながら生きてくしかないんだ」

人は死ぬ。
それはそうだろう。
産まれた以上、それは当たり前のことだ。
そんなことは誰だって、私だって知っている。

だけど違う。
こんなのは違う。
こんな死に方は、余りにも違うだろう。

「受け入れられるわけないじゃない!
 殺されたのよ!? こんなわけのわからない所で!
 誰だってみんな、こんな理不尽に死ぬために生きてるわけじゃない!」

こんな理不尽に殺されるなんてあってはならない事だ。
死ぬにしたって、こんなのはあんまりじゃないか。

「別にそれも、珍しい事じゃねぇだろ。
 殺人事件なんてそこいらで起きてるし、事故で死ぬこともある。通り魔に刺されることもあるかも知れねぇ。
 ただここで、それがそうあったってだけの話だ」

死に貴賤はないと。
どんな死に方でも同じことだと、彼は言っていた。

「…………そう。強いんじゃなくて、イカれてるのね、あなた」

2年間クラスメイトをやっていたが気づくことのできなかった新田拳正の異常性。
それが先天的なモノか後天的なモノかは知らないけれど。
日常生活ではそれに触れる機会がないから露わにならなかっただけで、彼は生死感だけが狂ってた。
あるいはそれは人生を生き抜いた老人の様な達観の境地なのかもしれないけれど、少なくとも私にはそうとしか思えなかった。

「……新田くん、私はあなたのそういうところが大嫌いよ。
 自分の強さに無自覚で。他人にもその強さを押し付けるところが」
「人をバカみたいに言うなよ。俺だって自分の立ち位置くらいは理解してるつもりだぜ?」
「どうだか」

知らず刺々しい言葉になっていた。
目の前の相手に、苛立っているのが分かる。

「だいたい、もう私には、堂々と面を上げて生きていく資格なんてないのよ。
 私は、人殺しの悪党なんだから」

全てを諦めたように自嘲しながら、私は罪を告白する。
その告白に、新田くんが目を細めた。

「殺し?」
「そうよ。私は人を、何の罪もない人間を死に追いやってしまったのよ?」

そうして私は、私の罪を語った。
きっと彼は私を軽蔑するだろう。
彼だけではない。
友達に嫌われて、もう二度とみんなと一緒にいられない。
きっと私は一人になる。
それが私への罰。
罪は裁かれなくてはいけない。
そうでなければならないのだ。

「確かに、そのオッサンが死んだのはお前が悪い」

話を聞き終えた新田くんは第一声でそう言った。
その言葉の通りだ。
ロバートさんの死は私の責任で、私の罪である。

「それに、そのミロってガキも悪いし、そのオッサンも悪かった。それはそれだけの話だろ」

だと言うのに、彼は私の罪を、ただそれだけと言い切った。

「それだけ? 人が死んだのよ? 私がいなければ死ななかった人がいたのよ…………?
 それをあなたは、簡単に赦すっていうの?」
「赦すも何もないだろ。別には俺はそのオッサンの身内でも警察でもないんだからよ。
 そのオッサンが恨んでない以上、その件に関してオレから言う事ぁ何もねぇよ」

いや、それは、そうだけれど。
だけど、それでいいのか?
悪意がないから赦されるだとか、相手が納得していたら殺していいだなんて、そんな法は存在しない。
人殺しは悪であり。
罰せられるべき罪である。
そんな理屈が、まかり通るのだろうか?

「それでいいの? 私は人を死なせた悪党なのよ?
 そんなのが目の前にいて、怖くないの、気持ち悪くないの? 赦せないとは思わないの?」
「別に。善とか悪とか、んな細かい事は俺の知ったこっちゃねぇよ。
 そのオッサンが赦したっていうのが実は嘘で、お前が誰彼かまわず襲い掛かるつもりだった、とかでもない限り、俺には関係のない話だろ。
 だから――――責めも赦しも、俺に請うのはお門違いだ」

息をのむ。
真意を、見抜かれた気がした。

「ちがう、そんなんじゃ…………」

知らず、後ずさる。
頭を抱えて、その言葉を否定するように首を振る。

私はただ責められたかっただけなのか。
私はただ赦されたかっただけなのか。

私はただ、楽になりたかっただけなのか。

「じゃあなんで俺に言う。それを知った俺になんて言ってほしかったんだ?」
「それは…………」

言葉に詰まる。
本当にそうなのか。
私は、あれだけの事をしておいて、ただ自分が救われたいだなんて思っていたのか。

何て醜い。
私はこんなにも身勝手で醜悪な人間だったのか。

「…………ぅぁ」

頭が痛い。
どうしようもない己の醜さを突き付けられて。
逃げ場すら奪われた私はどうすればいい?

「お前が楽になるために、他の人間を利用するな」
「ぁあ――――っ!」

その言葉が、最期の引き金だった。
その瞬間、追い詰められていた私の理性は制御を失い、氷が暴走するように周囲を凍てつかせた。
私を中心にして、華の様に刃が咲く。

しまった、と思った時にはもう遅い。
既に暴走気味に放たれた氷の刃が、一直線に目の前の相手へと襲い掛かる。
それは無力な相手の身を貫き、鮮やかな血の華を――――

「え?」

――――咲かせなかった。

目の前に広がっていたのは、砕かれ粉々となった氷の残骸と。
腰を落とし掌打を放った体勢をした新田くんの姿だった。
空手家が何本も積んだ氷柱を割るなんて映像はテレビか何かで見たことがあるが、それにしたってデタラメすぎる。

「うぉ。なんだ今の……!?」

新田くんが、驚きの声を上げて僅かに飛び退いた。
それは目の前にいきなり氷の刃が発生したことに対しての驚きだろう。
だとしたらそのリアクションは遅すぎる。

彼は目の前に迫った脅威に対して、驚いてから対処するのではなく、対処してから驚いていた。
順序がアベコベだ。どういう脳の構造をしているのか。

「今のはお前のアレか?
 いや驚いたぜ。前々から只者じゃないとは知ってたけど。んなことができるとはな」

何故か彼は感心したようにシミジミと頷く。
いやそれよりも、今彼は聞き捨てならない事を言わなかったか。

「前から、知ってた…………?」
「ん? ああ。だってお前、明らかに普段の身のこなしが素人のモンじゃないだろ。あとはそれで言ったら去年辞めてった朝霧もか。
 いや、バレバレだったぜ? 気づいてねぇのは九十九のアホくらいのもんだろ」

なんて、平然と当たり前の事のように言ってのける。
いや、そんなわけがあるか。
その辺は気を付けて生活してきたし、学校で異能を使ったことなど一度もない。

そもそも、ずっと一緒にいた私ですら、舞歌の正体に気づかなかったというのに。
こいつは普段、どういう視点でクラスメイトを見ているんだ。

「攻撃してしまったのはごめんなさい、謝るわ。
 けど、もう私のことは放っておいて…………」

そう言って彼の前から立ち去ろうとする。
今の私はどうしようもないほど不安定だ。
そう自覚できてしまう程、本当にどうしようもない。

「そうもいくか。んな状態ならなおさら放ってもおけねぇだろ」

だと言うのに、彼は当たり前のような顔を押して、私の行く先に立ち塞がった。

「いい加減にして。今のを見たでしょう?
 このままだと、私はあなたまで殺してしまうかもしれないわ。
 あなたの死まで、私に背負わせないで…………っ」

いい加減に目の前の相手へのイライラも限界だ。
私は私を、制御できる自信がない。

「殺す? 笑わせんなよ水芭。お前に人なんて殺せねぇよ」

だと言うのに、そう言ってバカにするように、こちらを嘲った。

「――――何ですって?」

明らかな挑発に、受け流す余裕のない私はさらに苛立つ。
苛立ちのまま、目の前の相手を睨み殺す勢いで睨み付ける。

「あんな攻撃じゃ人は死なない。人間はそんな簡単には死なねぇんだよ、水芭」
「嘘よ。そんなのは嘘じゃない…………!」

半田さんも茜ヶ久保くんも。
舞歌もルピナスも。
お父さんも、お母さんも。
みんなみんな、死んでしまったじゃないか。
みんな簡単に、死んでしまったじゃないか!

「そうだな。けど、何の覚悟もないお前に殺されるほど人間はヤワじゃない」
「はっ。覚悟、何それ?」

笑える。
表の世界で生きている少年が、裏の世界で生きている少女に覚悟を説くのか。

「新田くん。あなたは知らないでしょうけど、私はね、とっくに人殺しなのよ。
 ここに来る前から沢山、殺してきた。殺す覚悟だって殺される覚悟だってずっとしてきたんだから」

悪党商会の仕事で、沢山の怪人を殺してきた。
殺す覚悟も、殺される覚悟だって、とうの昔にできている。
そんな私に何が足りないというのか。

「殺す覚悟? だったらなんでロバートとかいうオッサンの事を引きずってるんだよ」
「当たり前でしょ、あの人は何の罪もない人だったのよ!?」
「一緒だろ。何が違うんだよ」
「何ってそれは、私がこれまで殺してきたのは人に害をなす悪人で、」
「だからなんだ。何が違う、人殺しは人殺しだろ?」
「それは…………」

言われて、言葉に詰まる。
果たして何が違うというのか。

人殺しだから殺していいのか?
これからきっと人殺す相手だから殺していいのか?

もともと人間だった怪人もいたし。
生まれたばかりでまだ何もしてない怪人だっていた。

それでも私は殺してきた。
化物だから、人に害成す相手だから殺していいなんてルールもないのに。

そこで、よせばいいのにふと疑問に思ってしまった。
それなのに、これまで私がその重さに耐えられてきたのは何故なんだろう、と。

「なぁ水芭。お前、何のために戦ってるんだ?」

黙りこくっていた私に彼が問いかける。

「何のため? この喧嘩はあなたが売った事でしょう?」
「そうじゃねぇよ。これまでだって戦って来たんだろ? 沢山殺してきたんだろ?
 だったら、お前はいったい何のために戦ってきたんだ?」
「――――――――」

それは水芭ユキの根本を問う問いだった。
答えようとして、何も思い浮かばない事に気付いた。

私は何のために、戦ってきたんだろう?
復讐のため?
自分みたいな人間をこれ以上作らないため?
どれも本当だけど、そうじゃない。

「……やっぱりお前は戦うって意味を理解してねぇよ。
 多分、朝霧は解ってた。うちのクラスで解ってんのは、あとは若菜くらいのもんか。
 あいつらならスグに答えられただろうぜ」

戦う意味。
それを、舞歌は解かっていたのだろうか?
だからクロウとして戦ってきたのだろうか?

「じゃあ、そう言うあなたは何のために戦っているっていうのよ?」
「戦うためだよ」

何の迷いもなく即答した。
戦うために、戦っている。

「なにそれ。そんなの答えになってないわ」
「そうかもしれねぇな。
 けど、つまるところ俺にとって戦いなんてそんなもんだ。
 高尚な理由なんて必要ないし、そもそも持っちゃいけねぇ。
 ただ、この拳を振った責任は全部自分で背負う、それだけだ」
「自分で、背負う…………?」
「そうだ。そしてお前が一番分かってねぇのはそこだよ。
 だから、それが分からないお前には人は殺せない、お前にできるのはせいぜい人を殺してしまう事だけだ」
「…………それの、何が違うって言うのよ?」
「意思だよ。殺意を持って戦ったかどうかだ」

睨み付けるようなその視線に、心臓がトクンと跳ねた。
彼はとっくに気づいている。
私がこれまで、理由すらわからないのに戦えてきた理由を。

私がずっと目を逸らしてきた、その事実に。

「お前に覚悟なんてないよ。自分が死ぬ覚悟はあるかもしれねぇが、殺す覚悟ができてない」

だから、言うな。

「なのにこれまで殺してきたってんならそれは」

その先を、言うな――――!

「お前は本当に、自分の意思で戦ってきたのかよ?」
「――――――ぁ」

それが答え。

お父さんが命じて、私はお父さんの殺意を実行するだけの手足だったんだ。
私はただ殺していただけ。
死の重さは、全てお父さんが背負ってくれた。
本当の両親の死だって、お父さんが背負ってくれた。

だから、ここに来て私は初めて人の死を背負ってた。
お父さんの命令じゃなく、私は私の責任で生まれた死の重さを感じていた。

だから、こんなにも、痛い。
その重さに、私はきっと耐えきれない。

「ッ…………もういい。もうわかったから、もう私の事は放っておいてよぉ……。
 あなたは、私をイジめてそんなに楽しいの…………?」

こんなのはイジメだ。
慰めの言葉もかけず、傷口を癒すどころか抉り。
知りたくもない、自分の醜さにまで気づかされてしまった。
水芭ユキという人間を丸裸にしてしまった。

「別に楽しかねぇな。
 俺はただ、気に喰わねぇもんを気に喰わねぇって言ってるけだ」
「私の…………何が気に食わないって言うのよ」

震える声で問いかける。

「お前が朝霧やそのオッサンの死を、無駄死ににしようとしてるのがだよ」

鋭く怒りすらこめた瞳でこちらを見た。
こちらを非難するような声で彼はそう言った。

「無駄、死に?」

私が舞歌やロバートさんを?

「違う、そんな」

そんなつもりはない。

「今のお前はさ、逃げ出るだけだよ。何もかもから目をそらしてなかった事にしようとしてる。
 そんな事をしてもお前が楽になった気になるだけで、何の意味もないぞ」
「意味が、ない?」

私が楽になることに意味はない?
逃げても意味はないのか?

「逃げることは…………そんなに悪い事なの?」
「別に逃げること自体は悪手じゃねぇさ。戦力足りてないのに立ち向かうほうがバカげてる。
 けどな、逃げられない状況ってのはあるもんだ。逃げちゃいけない状況ってのもな」

今がそうだと、彼は言っていた。
つまり彼は真正面から、彼らの死を背負えと言っている。
私には、この重みは背負いきれないと言うのに。

「無理よ…………私にはできない」

舞歌に守られて生き延びても、彼女を失った私は死にたい。
正義を託されても、悪党である私にはそれを受け継ぐことなんてできない。
私には彼女のたちの遺志を継ぐことなんて、できない。

「お前の出来る出来ないなんて知らねぇよ。
 問題はするかしないかだ。自分から逃げ出してんじゃねぇよ。
 お前は守られて託された側だろうが。
 だったら素直に守られて託されてろ、そうでなければ無駄死にだ」

彼の言葉は正しいのだろう。
正しすぎて、間違った私には耐えられない。

「…………うるさい」

知らず、口からは氷のように冷たい声が漏れていた。

「うるさい、うるさいうるさいうるさい!!
 何も失ったことのないあなたに、何がわかるっていうのよッ!!
 そうしなきゃいけないで生きてけるほど人間は簡単じゃないのよ!!
 あなたに私の、何がわかるって言うのよ!!?」

私にできるのは耳を塞いで、癇癪を起した子供のように喚き散らす事だけだった。
そんな私に対しても、彼は一切の手を緩めなかった。

「だから、お前の気持ちなんて知らねぇよ。
 そいつらの死を、お前が足を止める言い訳にするな」

「うるさい! 黙れ黙れ黙れ、黙れ!」

「お前の弱さを、死人にまで押し付けてんじゃねぇよ」

「黙れええぇぇぇぇぇ!!!」

叫ぶように、鏃のような形の氷粒を無数に生み出す。
目の前の相手を強制的に黙らせるために、その全てを叩きつけるように放ち、氷矢を雨を降らせる。

「狙いが甘えよ」

だが、ただ打ち出しただけの氷の矢は、そのことごとくが躱された。
氷の雨の中、彼は一歩、こちらに向けて歩を進める。

ああクソッ、思考がまとまらない。
集中が出来ない。
頭の中はぐちゃぐちゃだ。

「この………………っ!」

ならばと、今度は、どこに触れても突き刺さるウニのような氷の針鼠を生み出す。
全体を棘で囲んでいる以上、打撃で破壊することは不可能だ。

「脆すぎる」

だが、そんなことは知らないと、彼は何の躊躇もなく拳を振り下ろし、針の上から叩きつぶす。
形状が複雑だったためか、あっけなく氷棘は砕け散った。
棘が刺さり血塗れになった拳を全く気にせず、彼はまた一歩を進める。

何だこれは。
私は今、何いてにしている?
まるでブレイカーズの上級怪人とでも戦っている気分だ。

「話になんねぇよ。お前。何がしたいんだよ?」

何がしたい?
そんな事はこっちが聞きたい。

私は何をしているんだ。
何故、私はこんなところで。
こんな無意味な戦いをしているのか。

「分らない…………分らないわよそんなの! なんなのよ…………ッ!
 あなたは私に、どうしろって言うのよ!?」
「知らねぇよ。お前がどうしたいかなんて俺が知るか。そんな事はお前が決めろ。
 お前はどうしたいんだ、水芭。ここでうだうだ言ってんのがテメェの望みかよ」
「違う! 私は――――」

違う。そうじゃない。
私の望み。
私の望みは。

「お前は何のために戦ってんだよ」
「私は――――ッ」

また一歩、距離が近づく。

私は何を、何のために。

家族のように暮らしてきた悪党商会のみんな。
ずっと一緒に居ようと誓い合った親友たち。
もう顔も思い出せない両親。

いろんな人の顔が思い浮かぶ。
大事なものがあって。
失ってしまったものがあった。

彼が歩を進める。
距離は既に、手の届く範囲にまで近づいていた。

「私は、私はただ――――――!」
「ただ何だよ、何が望みなんだよ、水芭ァ!?」

怒鳴りのような声。
それに私は。

「私はただ――――みんなと一緒に居たかった!
 誰も、失いたくなかっただけなのにッ!」

悲鳴のように叫ぶ。

だから。

それだけだったんだ。

それだけだったのに。

父さんも母さんも。

みんないなくなってしまう。

「独りは嫌なの…………寂しいのは嫌なの…………!
 みんながいなくちゃ…………ダメなの。
 私は誰にも、いなくなってほしくなかったのに…………」

その場に崩れ落ちて、グチャグチャに涙を流しながら、心中を吐露した。
そしてそのまま、子供の様に泣き喚いた。

結局、私は今も独りぼっちの子供だった。
お父さんとお母さんが殺されて独りぼっちになってから、私の時は凍ったまま。
取り残されて泣いている子供のままだ。

心が寒い。
体は寒さなんて感じないくせに、心は人一倍寒がりなんだ。
誰かのぬくもりを感じていないと、寒さで凍えてしまいそうになる。

なのに、私の大事なモノは消えていく。
大事に大事に手の中で守っていたはずなのに、
いつの間にか氷は解けて、水となって私の手の中から零れ落ちてしまう。

それが嫌だった。
そうならないために、私は今の居場所を護るため必死だった。
だというのに、現実はいつも私から全てを奪っていく。

泣き崩れる私の様子を、慰めの言葉も掛けず、ただ黙って見守っていた。

「ねぇ…………新田くん、教えてよ。
 苦しいの、辛いの! この痛みはどうしたらいいの?
 私はどうしたらいい? 分からない、分からないの……。
 …………教えてよ、ねぇ…………っ」

胸が痛い。
胸が痛い。
胸が痛い。
どうしようもないほど胸が痛い。
この痛みから逃れる術を、私は知らない。
だから、藁にでも縋る思いで、ただ目の前にいるだけの相手に助けを求めた。

「――――それは無理だ。
 その痛みは、どうしようもないんだよ水芭」

期待していなかった返答があった事に驚いて、私は顔を上げる。
そこには、今まで見たこともないような表情をしたクラスメイトがいた。

「だから、お前は楽にはならない。
 その痛みは、ずっと抱えて生きていくしかないんだ」

静かに、穏やかさすら湛えた声でそう言った。
それは冷たく残酷で、そして限りなく優しい言葉だった。

ああそうか。

それを聴いて、やっと理解できた。
思えば、彼は最初からそう言っていた。

「そう、なのね」

どんなに苦しくても辛くても逃げたくても。
この痛みからは逃れられない。
楽になる方法なんて初めからないと、彼はそう言い続けていた。

だから彼は痛みを受けろと言っていた訳じゃない。

「そうするしか、ないのね」

それしか道はないとただ示していただけなのだ。

いや、本当を言えば、他にもいくつか道はある。
失ってしまったことも、奪ってしまったことも、いっそ忘れしまえばいい。
もう二度と、彼らの事を考えないようにしてしまえば、この苦しみもそれで終わる。
現実逃避をして幻想の世界に逃げ込めば、それはどんなに楽だろう。
全てをなかったことにしてしまえば、もう苦しむことはない。

だがそれは、何もかも無意味にしてしまう行為だ。
私に残されたモノ。
私が奪ってしまったモノ。
それら全てがなかったことになってしまう。

この胸は痛くて辛くて苦しいままだけど
息苦しさも、何一つ変わってなどいないけれど。
それでも、本当に彼らの死を想うのならば、抱えていくしかないんだ。
この痛みを、苦しみを。
彼らの残した想いと共に。

そう、たとえそれが、抱えきれないものだったとしても。

それは辛く険しく、残酷な道だ。
それでも私には、他の道など選ぶことはできなかった。

「私は生きて、託された遺志を継がないといけないのね」

それが私に与えられた罰。
この痛みを抱えて生きていくことこそが私の果たすべき償いだったのだ。

「ま。あんま抱え込むなよ水芭。
 耐えきれなきゃ今みたいに吐き出しゃいいんだ。むしゃくしゃしてんなら暴れりゃいい。
 そん時は誰かにぶつけりゃいいさ。八つ当たりくらいなら俺が付き合ってやるからよ」

そう言って、彼ははにかむように笑った。

「なにそれ」

それがなんだかおかしくって、私もつられて笑ってしまった。

空を見る。
いつの間にか、涙は止まっていた。
涙の跡は氷となり、指で拭うと溶けるように消えていった。

そして初めて目の前の相手を真っ直ぐと見据える。
新田拳正と言う人間を初めて認めた。

「そうね。あなたには女の子を散々イジめてくれたお礼をしなくちゃね」
「けっ。女の子ってがらかよ。おら来いよ氷女。返り討ちにしてやんよ」
「ふん。嘗めないでよ一般人が」

互いに悪態をつきながら、楽し気にニィと笑った新田くんがクィクィと手首を返してこちらを挑発する。

白い息を吐く。
落ち着いて気持ちを切り替える。
目の前の失礼な男をぶちのめしてやると言う気持ちがわいてくる。

「それじゃ、行くわよ―――――!」

そう言って、広範囲に氷の散弾をバラまいた。
こちらは足の負傷もあり、あまり早くは動けない。
相手を近づかせないことが重要だ。

だが、彼は散弾など気にせず真正面から突撃してきた。

「―――――ふッ」

散弾故に密度が低いと踏んだのか。
彼は自らの眼前に迫る氷塊を拳で打ち砕き、突破口を切り開く。
勢いを殆ど止めることなく距離が詰まる。

「このッ!」

近づいてきた彼に、私は氷の槍を生み出し横凪に振った。
それに対して新田くんは、身を低くすることで氷槍の下を潜り抜ける。
その体勢のまま一歩踏み込み、次に気づいた瞬間、彼は私の眼前、右手側にいた。
パキンと、足元の氷が踏みつぶされる音が響く。

「くぅ…………!」

放たれる掌打を受け止める。
予想以上の衝撃。
その衝撃を、自分の足元に氷を作り出すことにより、摩擦係数を0にして受け流す。
押し出され、スピードスケーターも真っ青の勢いで氷の上を滑っていく。
いや、滑り過ぎだ。どこまで滑る。どんな威力だ。

「このっ」

適度に氷のバランスを調整して、うまくブレーキをかけやっとのことで止まった。
すぐさま体勢を整え、慌てて顔を上げ敵を確認する。
だが、そこにはすでに追撃の矢が迫っていた。

「ちょ……待っ!」

眼前に迫る小兵。
慌てて右腕に張った氷の盾に、流星の様な肘が突き刺さる。

「ッ~~~」

均衡できたのも一瞬。
氷に放射状のヒビが奔り、盾は跡形なく粉々に砕け散った。
キラキラと輝く氷の粒が周囲に舞う。

その一瞬の間に私は必死で後方に飛んで距離を取る。
当然、彼もその動きを追って追撃に奔ろうとするが、打ち付けられたようにその動きが止まった。

それも当然、彼の両足は氷で固定され地面に張り付いている。
これでもう彼はその場から動くことはできない。
動ない以上、あとは狙い撃ちにして私の勝ちだ。
そう確信した次の瞬間。

ドシンと、大地が揺れるような轟音が響いた。

「嘘…………」

それは蹴りだった。
彼は両足を地に固定されたまま、地面に向けて蹴りを放っていた。

突きは手で打つモノではなく、蹴りは足で打つモノではない。
拳法において打撃とはつま先から頭の先まで全身を使って打つモノである。
彼の行動は、その事実を如実に示していた。

都合二発。
それで新田くんの足を拘束する氷が砕けた。
砕けると同時に駆ける。
あっと言う間に距離がつめられ制空権へと間合いが詰まる。

「……ちょ、これって私の八つ当たりじゃなかったの!?」
「おおぅ。そうだった」

ヤケクソ気味に訴えた抗議に対して、彼は素直に拳を打ち出そうとした動きを止める。
そしてそのままワンステップで後方へ下がると、腰を落として待ちの構えを取る。

「おっし、なら手番をやるよ。来な」

何にせよ間が出来た。
落ち着くため、ふぅー、と白い息を吐く。

目の前の相手は強い。
余計なことは考えていては勝てる相手でない。
今はただ彼に勝つことだけを考えよう。
私も今は、戦うために戦ってみよう。

「じゃあ。全力を出させてもらうわ」

冷気を解放する。
次の瞬間、辺りに深々と白い雪が舞い散り、一帯は完全なる銀世界に染まった。

「綺麗だな」

構えたまま、彼は呟く様に銀に光り輝く私の世界をそう評した。
それは不思議な光景だった。
スポットライトの様に区切られた空間に雪が積もり、世界は彼と私の中心に区切られたよう。

そしてここから先は、私の世界だ。

「行くわよ」

鏃を抜いた氷弾を放つ。
真正面から迫るそれを撃退せんと新田くんが拳を振った。
だが、その拳は何もとらえることなく空を切り、氷弾が彼の肩口へと激突する。

「これは…………」

新田くんが戸惑の声をあげる。
それも当然だ。
彼には今、この氷弾が見えていなかったのだから。
いや、正確には見えていたが、てんで見当違いの光景を見ていたのだ。

この銀世界はただのこけおどしではない。
反射率を高めた氷が、チャフのように細かく空気中に散布されているのだ。
これにより、視力は役に立たない。
この世界において真実の光景を捉えられるのは私だけ。
加えてこの結界は相手の体温を奪い取り、皮膚感覚をも失わせる。

相手から視力と感覚を奪い取る結界。
幻惑の氷の世界に相手を閉じ込める『幻惑の氷迷宮(クリスタル・キュービック)』。
領域内にいる私以外の全ての人間を巻き込んでしまうため一対一限定でしか使えない、私の切り札。

視力が役に立たないと悟ると、新田くんは静かに目を閉じた。
明らかに異質なこの結界内に閉じ込められて、戸惑うでもなくその判断ができるというのは素直に感心する。
彼は『何故そうなったのか』と問う前に『如何すべきか』で動いている。
だから、こそ迷いがない。

だがこちらも容赦はしない。
目を閉じたままの相手に、生み出した氷の球体を弾丸の様に放つ。

その攻撃に対して彼は、目を閉じたまま身を躱した。
完全に躱しきれている訳ではないが、氷弾は僅かに掠めるだけにとどまった。

すごいな。
風切音だけで判断しているのか。

「そっちか――――」

そして氷弾の弾道から私の位置を予測して、回避から間髪入れず拳を突き出し矢の様に跳躍する。
だが、はやり聴覚のみでは完全ではないのか。その突撃は僅かに私の横を過ぎ去って行った。

狙いをハズレたが、それでも十分驚異的な行為だ。
下手な動きはこちらの位置を知らせる行為になるだろう。
小細工を弄するよりも、一撃で仕留めるほうが確実か。

ならばと、雪の上を走る。
ザッザッザッという雪を踏みしめる音が響いた。

彼はその足音に反応するものの、こちらの出方を伺っているのかすぐには動かなかった。
きっとこちらが間合いにまで近づくのを待っているのだろう。

だが、すぐには近づかない。
確実に仕留めることができ、相手の攻撃の届かないギリギリの範囲を見極める。

新田くんの周囲を取り囲むように足音が響く。
視界と感覚を封じられ、唯一の便りである聴覚に不穏な音が響いている。
そんな状況においても、彼はまるで眠っているように不動である。

彼を取り囲む円は徐々に狭まり、不動である彼の背後で足音が僅かに止まる。
ここだと、正気を身だし、一歩、足音が彼にめがけて近づいた。

だが、安全圏だと思われていたその領域は、すでに彼の間合いだったのか。
新田くんは物凄い勢いで反転すると、一息で間合いを詰める。
今度は狙いを外していない。
正確に足音のあった位置へと迫り、容赦なく肘を鳩尾へと突き刺した。

そしてその一撃を打たれた体は、真っ二つに両断された。

「氷…………!?」

手ごたえに違和感を感じたのか。
新田くんが閉じていた眼を見開き驚愕の声をあげる。

それは囮の氷像である。
彼が足音だと思っていたのは、足音に見立てて順番に放った氷の落ちる音だった。

私の体は既に地上にはなかった。
氷の階段を駆け上がり、彼の頭上を取った私は、そこから落下するように攻撃を放つ。

だが、氷像を砕き終えた彼は、超人的な反応速度で上空へと向き直った。
そして上空から落下する私を撃墜せんと空を見上げ構えをとる。

だがこちらも、そちらがそう来ることなど、予測済みだ。
相手が滅茶苦茶に馬鹿げた化物である前提で策を練ったのだ。
相手がどう反応しようとも打ち倒す術は既に手の中にある。

「……マジ?」

それを見た新田くんが、冷や汗と苦笑いを浮かべた。

そこにあったのは10m級の雪だるま。
チャフも何も関係ないレベルで視界に入る圧倒的巨大物。

ここまで来たら技も何もない。
ただ、物量で押し通す。
今の私に作れる最大級の雪玉を、防げるものなら防いで見せろ―――――!!

「ぶほ…………っ」

なんて間の抜けた声をあげて、新田くんは成す術もなく雪玉に押しつぶされていった。
とはいえ、雪の密度はかなり低めにしておいたので、押し物されたというより埋もれたと言った方が正しいだろうけど。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「だぁー、負けたぁー」

雪だるまを解凍して、新田くんを救出すと、彼はそう言って大の字で転がったまま、悔しげな声を空に響かせた。
私も、もう全力を使い果たしたため、その場に座り込んでおり、起き上がる気力もない。

「ったく女に負けるのなんてガキの頃以来だぜ」
「それって一二三さんの事?」
「ノーコメント」

コメントを控えた時点で語るに落ちてる。
それなら子供の頃どころじゃなくいつも負けてるじゃない、と言いかけて止めた。

「けど負けたって言っても。新田くん、全力じゃなかったでしょ」
「あぁ? なんでだよ。喧嘩で手抜く訳ねぇだろ」

本気で心外そうな声で言う。

「だってあなた、右側からしか攻めなかったじゃない」

こちらの右足の負傷を気にしてか、右足で踏ん張らなければならない左側からは一度たりとも攻めてこなかった。

「別に気を使ったわけじゃねぇよ。テメェの拳が鈍るような事はしない信条ってだけだ」

それはあくまで全力で戦うための戦法だったと彼は言う。
まあ、そういう事にしておこう。

「本当、誰にでも厳しいのね、あなたは」

他人にも、そして自分にも厳しい。
彼は一度たりとも私に優しい言葉などかけなかった。
誤魔化しや慰めの言葉などかけず、ただ残酷な現実だけを突き付けてきた、
きっとそれは、彼なりの優しさだったのかもしれない。

「ん? 別に誰でもって訳じゃねぇぞ。見込みのない奴にわざわざ忠告するほど酔狂じゃねぇからな俺は」

どうやら私はそれなりに見込まれているようだ。
それは喜ぶべきことなんだろうか。

「それで、ちったあすっきりしたのかよ?」

倒れこんだまま子供じみた笑みを浮かべる。
それが妙に悔しかったのでそっけなく、そうね、とだけ答えておいた。

「だろ、むしゃくしゃしてる時ぁ、思い切り暴れんのが一番だからな」
「いや、そんな脳筋理論を私に当てはめてほしくないんだけど……」

だけど、恥ずかしいまでに心の中を吐き出して、頭空っぽになるほど全力で戦って。
悔しいことにスッキリしたのは本当だけど。
何かが解決したわけじゃないけれど。
少なくとも。

「けど、そうね。頭が―――――冷えたわ」

頭は冷えた。
それこそ氷の様に。

「夏美を探すわ。まだ、膝を折るには早かった」
「そか」
「それにミロさんを探して、許してもらう」
「うん?」
「他のクラスメートも心配だし、悪党商会の皆も探したいわね」
「おいおい」

呆れたように声を漏らす。
けれど、こればっかりは譲れない。

「あんま抱え込むなって言わなかったっけ?」
「言った。けどね新田くん。やっぱり私欲張りみたい。
 なにもかもを諦めきれないの」

照れ隠しをするように笑いながら言う。

「あっ、そ。まあお前がそう決めたんならそうすりゃいいさ」

呆れながらも、彼は止めることはしなかった。
困難な道だと知りながら歩むのならば、彼にとっては止めるべきものではないのだろう。

それに、彼には言わなかった目的がもう一つ。

お父さんを探す。
これまでと方針としては一緒だけれど、その目的は違っていた。

ロバートさんが最後に残した言葉を、確かめなければならない。
私はお父さんを信じている。
世界で一番、信じている。
それでも、だからこそ、確かめなくてはならない。
それがロバートさんの死の原因を作り、彼に託された私の義務だ。

「よっと」

新田くんが寝ころんだ体制から一息で跳ね上がり立ち上がる。

「回復した」
「え!?」

いくらなんでも速すぎない?
こっちはまだ全然体力回復していないんだけど!?

「よし。んじゃ行くか」
「ちょ……ちょっと待って、私、まだ」
「だらしねぇなぁ。あんだけ目標掲げたんだ、ちんたらしてる暇はねぇだろ」
「くっ」

ここで立ち上がらないのは何か負けた気がするので、ガクガク震える足を抑え付けて何とか立ち上がる。

「はは。何なら負ぶってやろうか」

そんな私の様子をからかうように、新田くんは言う。

「結構よ。一二三さんに悪いし」

なんでそこで九十九が出るかなぁ、と不満げに呟いたあと、彼は先に進んで行っていった。
その背を見つめ、私もその後を追う。

私の心の中に落ちた氷塊は、どうやら力技で叩き壊されてしまったようだ。
前ほどの息苦しさは感じない。
けれど、舞歌やルピナスを失った悲しみは癒えないそ。
ミロさんを傷つけ、ロバートさんを殺してしまった罪悪感も消えない。

私はずっと、この痛みを抱えて生きていく。

【D-5 草原/午前】
【新田拳正】
状態:ダメージ(中)、疲労(中)
装備:なし
道具:基本支給品一式、ビッグ・ショット、ランダムアイテム0~2(確認済み)
[思考・状況]
[基本]帰る
1:クラスの面子を探す
2:脱出する方法を考える

【水芭ユキ】
[状態]:疲労(大)、頭部にダメージ(治療済み)、右足負傷(治療済み)、精神的疲労(小)
[装備]:なし
[道具]:ランダムアイテム1~3(確認済)、基本支給品一式、クロウのリボン、風の剣
    ロバート・キャンベルのデイパック、サバイバルナイフ・裂(使用回数:残り2回)、ロバート・キャンベルのノート
[思考]
基本行動方針:この痛みを抱えて生きていく
1:夏美を探して守る
2:ミロを探して許してもらう
3:悪党商会の皆も探す
4:お父さん(森茂)に会って真実を確かめたい

079.終わらない物語 投下順で読む 081.Night Lights
091.補記 時系列順で読む 082.魔法使いの祈り
戦士の心得 新田拳正 roots
正義と悪党と――(Justice Act) 水芭ユキ

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最終更新:2015年04月02日 13:44