• なんちゃって和風ファンタジー
  • 一応芥川の「犬と笛」を下敷きにしています
  • エロは薄め
  • 作中「食蜃人(しょくしんじん)」はダイダラボッチのこと



眼下に広がる景色が赤くちろちろと揺らいでいくのを、その持ち主はまるで他人事のように見つめていた。
 この世に生れ落ちてからの大半を過ごしてきた社が、今にも焼け落ちようとしている。行き交う怒号や悲鳴も、
この場所からは遠く、頬を染めるほむらの照り返しも、そこに潜む熱はまだ、昼のうちに夏の日差しが残した
それと区別がつかぬほどであった。
 けれどもう幾許もせぬうちに、己の命も、今しがた轟音と共に崩れ落ちた舞殿への大階段と同じ末路を辿る様子が
見えているのにもかかわらず、この社の主は不気味なほどの静謐を守っている。その周りだけは平素と変わらぬ
ぬばたまの闇が見えるようで、側使えの者たちは、避難を提案することを疑問にさえ感じるほどだった。
 夜半過ぎに何ものかの手によって火の手が上がったことに、社に住まうほとんどはすでに寝入っており、
気付くことができなかった。寝ずの番をしていた兵ですら気付けなかったのは、ことにその目をよく盗んで
放たれた火であったからであろう。警備兵が無能であったわけではない。相手が、悪かったのだ。
 社の主は従者たちの反対を無視して、何を思ったか一人だけ本殿に残った。切れ長の瞳を伏せがちにし、
じっと立ち尽くして何かを待っているようだった。

 と、びょうと吹いた強い風に、火影を受けて紫に照る黒髪がざわざわとさらわれる。顔にかかる髪を疎ましげに
払う社の主は、つと肩越しに背後の様子を窺った。
「駒の姫御子とお見受けいたします」
 どこから表れたものか、若い男の声を受け、姫はそれに背を向けたまま、くつくつと笑う。
「来ると思うておった、髪長彦よ」
「――先の皇子様の名において、御身を頂戴に上がりました」
 面識も無く名を当てられたことに一瞬虚を突かれたのか、不自然な沈黙ののちに、しかし穏やかな口調で髪長彦は
その役割を告げる。
「ぬしが必要なのは、我が身ではない」
 そうして場に不似合いな優雅さで、白い額に輝く赤い玉を取り上げながら、それを髪長彦の眼前に突きつけて見せた。
「これであろう」
 そこで初めて、姫と若武者は互いの顔を知ることになる。
 腰まで伸ばした黒い髪の映える切れ長の瞳が、髪長彦の貌を見据える。
 具足で守る厚い胸板に青黒赤三色の勾玉を飾り、精悍に頬がこけ、その目を隠す前髪に阻まれてなお分かるような
彫りの深い顔立ちではあったが、その色の薄さと名の由来であるらしい頭のてっぺんで括った長い髪が、彼の
男臭さを殺しているように姫には見えた。
「別に、くれてやって構わぬ。私など、これさえなければただの小娘、よくて政の道具に過ぎぬのだから」
「それだけでは意味がありません。駒姫様の通力がなければ」
「我が通力の源がこの玉であることなど知っておろうに」
 駒姫が自嘲気味に言ったことが気に入らなかったのか、髪長彦は飛び火を払いながら僅かにその口元を歪ませる。
「ぬしの、まことの目的を、言うてみよ」
 赤い玉をその手で弄び、髪長彦を駒姫は煽る。ごうごうと勢いをいや増していく火炎が社を焼いていく音を、
ひとつも気にしないその銀細工のように知的な顔は、実に楽しげであった。
「なぜ」
「なぜ? 私から社を奪った理由がくだらぬ命に寄るものであるというのが、気に入らぬからだ」
「…………」
「否定せぬのか」
「すべき部分が見当たりません」
「そうか、ではぬしも廃太子の命などくだらぬと思うのだな」
「…………」
「……言わぬなら、それで構わぬ」
「私は――」
 駒姫が玉を向けようと絹の裾を揺らしたそのとき、不意に髪長彦は口を開いた。
 髪長彦は泥と血で汚れた手を乱暴に着物の裾で拭うと、腰に佩いた太刀に手を触れる。
「私は、力が欲しい。天も地もすべて手に入れられる力が」
「ほう」


 淡々とした口調に、駒姫はにわかに髪長彦への興味を持った。突きつけられたままの玉に気付いていないはずが
ないのに、若武者は気負いも恐れも持たず、静かに続ける。
「玉を奪えば、褒美は意のまま。ですから、是が非でもいらしていただきます」
「殺して奪えば、それでしまいだろう」
「玉を持ったあなたを殺めることが出来るほど、私に通力はありません」
「偽りを申せ」
 駒姫はこれまでになく強い口調で髪長彦を一喝した。しかし髪長彦は動ぜず、真っ直ぐに姫を見つめたまま、
次の言葉を待っている。駒姫はその態度を不遜だと感じるより先に、かえって感心した。玉の通力を知りながら
堂々たる態度を崩さないその胆力はいったいどこから来るものか見極めたくなり、少しばかり挑発してみようかと思い至る。
「その太刀、そしてその勾玉。ぬしは人ならざるものの力を持っておる」
「…………」
「我が呪が効いておらぬのが、何よりの証拠よの。あやつめ、随分物騒なけものを飼っておるわ」
「さすが、斎の姫は違う」
 その通りです、と思いのほか素直に認めたことに駒姫は密かに落胆し、見切りをつけようと呪に力をこめようと
したその時、髪長彦が一息に太刀を引き抜いた。
 その澄んだ刀身に己の顔が映ったようにみえ、この男が自分を殺すことは無いと直感してはいたが、気丈な駒姫も
さすがにひやりとした。炎の色を反射する切っ先から視線を峰に沿って落としてゆくと、前髪に遮られてこちらからは
よく見えないはずの瞳が、それを透かしてぎろりとこちらを見つめていた。
 視線は強かったが、不思議なことに恐怖は浮かばなかった。それどころかなぜだか、まるで元は同じ根から
生じたものであるような親しみを覚え、駒姫は困惑する。その意味するところを考えれば万が一にも有り得ないこと
ではあったけれど、月の光さえ通してしまいそうな冴えきった刀身に酔わされたのかもしれないと思った。
 その刀身のきらめきは、すぐに若武者の瞳と結びつく。
「共においでください」
 大きな手に握られていた太刀が、音もなく艶やかな漆を塗りこめた一本の笛に姿を変えた。その笛をひと吹き、
火の勢いを一瞬封じ込めるほどの突風が駒姫の視界を奪う。
「私は、あなたが欲しい!」
 風がやみ、駒姫が顔を庇った腕をどかすと、髪長彦の横に獅子ほどもあろうかという立派な黒い犬がそびえる山のように立っていた。
「ふふ、ふふふ」
 駒姫が、笑う。抑えた笑い声が、徐々に歯止めが利かなくなり、しまいには気が違ったかのような高笑いになる。
駒姫自身、そう長くは無いその人生の中で、こんな笑い方をしたのは初めてだった。
 ――ただ無性に、可笑しかった。
 斎王(いつきのみこ)といえば聞こえはいいが、この社に半ば幽閉されているも同然だった駒姫が、その社と
引き換えに、自由を手に入れようとしているのだ。隷属の対象が大王や祭神から目の前の若武者に変わるだけで
あることは承知の上で、それでも気分が高揚するのを押さえ切れなかった。
 この社が嫌いだったわけではない。夜明け前の清澄な気配と木々の呼吸の青い匂い、巨大な陽の沈む山の稜線の
黄金の輝き、神さびた石造りの舞殿を裸足で踏みしめたときの冷たさ、思い出すまでもなく身体に染み付いて、
駒姫をつくってきたものを今この瞬間もありありと思い描ける。社は駒姫そのものだった。
「私が欲しいか、髪長彦」
 赤い玉を握り締めたまま、駒姫は問うた。
 私が欲しいか。疑問ではない、確認だった。口に出すと、尚のこと気分が猛った。
 『駒姫』という存在の意味を知りながら、それでも欲しいと言って躊躇わない髪長彦が、心底馬鹿らしかった。
そして巧妙に隠してはいるが、その内に秘めているのであろう滾りきった欲が、駒姫を魅了した。
「先の皇子は私を殺せと言わなんだか」
「はい」
「そうせぬのは、先の皇子を欺いておるからじゃな」
「なぜそう思われるのです」
「ぬしが自分で言うたであろう、あめつちの全て欲しいと」


 ふっと髪長彦が表情を緩ませたのを見て、駒姫は悦びに戦慄した。
 社が落ちてしまえば己の生も終わるものと感じていた駒姫は、今の今まで玉を奪いに来た者を死出の道連れに
してやろうと目論んでいた。社に火を放ったのがつい先だって廃嫡された日嗣の御子の手勢であると知れるなり、
駒姫の許にやってくるのはその配下でも武勇名高い髪長彦であろうということは、火を見るより明らかであった。
 別に、社を失うことに一矢報いたかったわけでも、自ら死ぬことを良しとしたわけでもない。ただ、再び天下を
取ろうということは、それなりの犠牲を払うということを先の皇子に思い知らせてやろうと、ふと、しかもきまぐれに思っただけだった。
 社があるうちは『斎王』という役目を望まれるが、それさえなくなってしまえば、あとは大して顔も知らぬような
豪族に嫁ぎ、ぼんやりと暮らすことになると知っていた駒姫は、だから別段、社に対して愛着はありながらも、
決して愛してはいなかった。所詮、斎王などといってもこの国ではお飾りで、己の意思など省みられず、生まれてから
死ぬまで政の道具に過ぎないのだ。ただ煌びやかな衣に埋もれ、歌でも詠みながら過ごす先が見えすぎる生を、
姫はすでに達観していた。生涯斎王の座についていたとして、こんな小さな社のことなど、振るう機会の無い
玉の力と共に忘れ去られ、己も干からびていくに違いない。
 駒姫が愛していたのは斎王の立場だけだった。その立場にいさえすれば、祭神と社を守るという大義名分の上に、
生の意味に納得することが出来たのだ。
 社が落ち、同時に斎王という立場を失い、もうすでに死んだも同然の自分を、目の前の若武者は欲しいという。
それを馬鹿馬鹿しいと言わずして何と言うべきか、駒姫は知らない。
「ふ、ふふふ。あはははは!!」
 大げさなほどの笑みを顔に貼り付けたまま、駒姫は髪長彦に向き直った。
「気に入った! 好きにせよ!!」
 獣が唸り声を上げ、その首を天へと突き上げる。それに呼応するように巻き起こるつむじ風が、駒姫の身体をさらう。
 身を刻まれるかと覚悟したその風は、ふわりと姫を包み、黒い大犬の背へといざなった。反射的に瞑った目を
開いてまず印象に残ったのは、武張った男の顎には不似合いなその肌の白さと、ぼんやりと裡から光る黒い勾玉だった。
「よろしゅうございますか」
「……よい。ゆけ」
 髪長彦は頷き、しっかりと駒姫をその胸に抱きとめ、またがった犬の首筋を撫でた。すると大犬は大地を蹴り上げ、
つむじ風に乗ってみるみる空へと舞い上がったではないか! 突然のことに驚いた駒姫は、咄嗟に髪長彦にしがみついた。
二人の長い髪が中空に舞い、しゃらしゃらと姫の装飾品が音を立てる。
「……あっ」
 急上昇を経て犬の動きが落ち着くと、駒姫にも眼下を見渡す余裕が出てきた。空を飛ぶなど尋常ではない状況では
あったが、思いのほか頼りがいのある大犬の背と、髪長彦の逞しい腕に支えられながら、おもむろに真下の社へ視線を落とす。
 山のたもとに、訪れる客もなくひっそりとしていた駒姫の社は、瑠璃の釉薬を流したような夜半の空に、
月を星を奪おうと赤い手を伸ばしている。
 燃え盛る炎はついに本殿まで届き、茅葺きの甍がちらちらと黄色く光を放っていた。社を好き勝手に飛び交う
火花は郎女を隠す御簾をでも気取っているのか、輪郭を淡くぼやかし、姫が直接は目にしていない、流されたであろう
多くの兵の血までも隠していた。
「――……美しいな」
 ぽつりと漏らした言葉は、本心からの言葉だった。じわじわと遠ざかる最後の炎からなんとなく目を離すことが
出来ず、駒姫は、握り締めた赤い玉を手の中で転がして気を紛らわしていた。
「姫」
「なんだ」
「寂しくお思いですか」
「さぁて、どうなのだろうな」
 二人は顔を見合わせることをせず、互いに違う方を向いたまま、気配だけで相手の表情を探った。髪長彦は駒姫に
憚ったのだろうし、駒姫はまだ、赤い社から目を逸らす気になれなかったのだ。
「……よく、分からない」
 そうですか、と最後に髪長彦が言ったきり、二人の会話は犬が地に降り立つまで途絶えた。


 いつの間にか眠っていた駒姫が目を覚ましたのは、どことも知れぬ森の中のあばら家だった。どうやら若武者は
不在らしい。小屋の外で、合図でもするように小さく犬が吠えた。山犬ではなく、多分あの黒い大犬だろう。
辛うじて壁と屋根があるような小屋は、姫が見てきた風景の中でも飛びぬけて粗末であった。藁を敷き詰めた寝床は
温かかったが、身を起こすと明け方の空気はひやりと冷たく、またすぐに藁の中に沈み込む。
 頭上の箱に丁寧に髪が流され、装身具も外されていることに気付くと、駒姫は言いようのない胸騒ぎを覚えた。
ゆうべはただ夢中で何も考えずに髪長彦に従ってきたが、意識が鮮明になるにつれ、断片的だった記憶が繋がってくる。
(男に――)
 不可抗力であった犬の背での出来事とは違い、外されてきちんと並べられた装身具は、ぞっとする事実を浮き彫りにした。
いつの間にか意識を失った駒姫をこの藁の山に横たえ、髪や飾りの始末をしたのは、髪長彦以外には考えられない。
あの無骨な手が己の身を這ったかと思うと、それだけで肌がざわざわと騒ぎ立てた。けれどそれ以外に触れられた
形跡は残っておらず、それどころか泥で汚れた右手に革紐をしっかり巻きつけ、赤い石を握り締めたままだという
ことに気付き、また戸惑う。
(なぜ奪わなかったのだろう)
 社ひとつ守れない小さな掌の中の、計り知れない通力を持つちっぽけな石は、板壁の隙間から薄暗い小屋に
差し込む白い陽にかざして見ると、玻璃のように光を通し、駒姫ののど笛に紅色のあざを作り上げた。
「っ!」
 かたり、とどこかからの物音に、姫は腕を引っ込めた。あばら家の引き戸が開き、さあっと入り込む外気が駒姫の頬を撫でる。
(ん……?)
 狸寝入りを決め込もうと瞼を閉じるその一瞬の間に、駒姫は見慣れないものを見たような気がした。姿かたちは
確かに髪長彦だったけれど、どこか違う。何かの違いが姫の心に引っかかり、閉じた瞼をうっすら開かせた。
 がむしゃらで必死だったゆうべは気にしていなかった若武者の色彩が、駒姫の視界に飛び込んでくる。
 白い肌はもとより、戸口からの光に、長い髪が金色の輪郭を浮かび上がらせたことに、駒姫は目を見開いた。
後ろ手に引戸が閉められ光が失せると本来の暗めの亜麻色が分かるようになったが、それでもなお常人より遥かに
明るい髪の色は隠しようがなかった。
 そして何よりも鮮烈な印象を残したのは、顔に沿って流された前髪から今度ははっきりと見える、青い瞳だった。
(異形、か……!)
 髪長彦が駒姫の視線に気付いて、表情を強張らせた。つと顔を逸らし、その手で乱暴に前髪を散らす。
「申し訳ございません」
 駒姫は今さら知らぬ振りをするつもりにもならず、藁を払いながら髪長彦をじっと見つめた。
「なぜ謝る」
「不吉なものをお見せしました」
 姫が何も言わずにいると、髪長彦はすっと膝を突き、目の前に串焼きの魚を差し出した。
「岩魚です。沢で獲ってまいりました。串は葉を落とした枝ですし、器も箸もご用意できず申し訳ありませんが」
 ふむ、と駒姫は逡巡したが、それも僅かの間に過ぎなかった。頓着なく串を受け取ると、そのままがぶりと
魚の腹にかぶりつく。魚の油が頬にはねたのを、大雑把に手の甲で拭った。
 面食らったのは髪長彦の方で、差し出した手を下ろすこともせず唖然と目を丸くする。
「なんだ、ぬしは食べぬのか」
「い、いえ」
 言ったはいいが相変わらず固まったままの髪長彦の不意をついて、駒姫は男の前髪を払った。
「な……っ」
「食べるのか食べぬのかはっきりせい!」
 間近に見える青い瞳に駒姫は息を呑む。翡翠を思わせるやわらかな碧は『異形』の響きが内包する不吉の印象には
程遠く、薄い髪色に調和して、整った容貌を演出している。不思議だとは思ったけれど、怖いとは思わなかった。
「あ、はは、参りました」
 そこでやっと髪長彦は表情を崩し、駒姫の前にどっかりと座り込んだ。
「私は野育ちでな。ふたつのときに母宮が儚くなってからこちら、ずっとあの山の社で暮らしてきたのだが……
斎王を拝命してからも山歩きの楽しみを忘れられなかったのだよ」
「道理で。肝の据わったお方だ」
「都のお歴々が見たら卒倒するに違いないな」
 肩を竦める駒姫に対し、髪長彦はかぶりを振った。


「権力に取り付かれた者の顔色など窺ったところで、何の益がありましょう」
「おや、力が欲しいと申したのはどの口かな」
「私が欲しいのは天下を治める力ではありませんから。……捨ててまいります」
 髪長彦は急に立ち上がり、骨だけになった魚の串を半ば強引に駒姫から奪い取ると引戸を開けて出て行ってしまった。
「やれやれ」
 手持ち無沙汰になった駒姫は、ぼんやりとした空虚の中にいた。
 今頃社が落ちたことが都に伝わる頃だろうか。だとすれば、駒姫は死んだことになっているのだろう。社と共に。
 己が選択を悔やむつもりは毛頭無いが、かといって考えた上での選択でもなかったため、この先待ち受ける
己の身の上について、まるで想像がつかなかった。
 ばさりと藁に身を預ける。耳の裏にちくりと刺さる藁の先の感触が妙に心地よい。無いよりましという程度の
天井という名の屋根は、ところどころ木が傷み、継ぎ目に沿って黒くなっていることを駒姫は発見した。
こうして腐食が進み、いつしか崩れ落ちてくるのだろうと想像したところで、髪長彦が戻ってくる。
 どこから調達してきたものか、太い青竹の筒に水を汲んできており、上半身を起こした駒姫の手に濡れた
手ぬぐいを握らされる。
「どうぞ御身をお清めください」
「……のう、髪長彦よ」
 煤や埃で汚れた顔に畳んだ手ぬぐいを遠慮なく押し当てたまま、駒姫は訊ねた。
「なぜ生かした?」
「――それは昨日申し上げたとおりです」
「私は答えを貰ってはおらぬ。そなたには私を殺める力がある。機会もあった。なぜだ」
 髪長彦の溜息が聞こえ、駒姫はかっと耳を赤くした。なんのことはないただの溜息だのに、じわりと目頭が熱くなる。
「姫……」
「答えよ!」
 ばっと手ぬぐいから顔を上げると、悲しげに眉をひそめる髪長彦と目があった。それを見るとさらにぐっと
胸が詰まり、駒姫は何も言えなくなってしまう。
 髪長彦は穏やかな手つきで駒姫の髪を一房絡め取ると、矢庭に口付けを落とした。
「何を――」
「数々のご無礼、お許しください。私が欲しいのは玉ではなく、あなた自身なのですよ、姫」
 泣く気もないのにぼろぼろとこぼれる涙を、髪長彦はその指で丁寧に拭っていく。
「あなたは、しばらくののちに食蜃人(しょくしんじん)の贄になると決められておりました。あなたはその玉を
使いこなす器をお持ちだ。そんなあなたを贄として差し出せば、力を蓄えた食蜃人が再び八岐大蛇を蘇らすとも
限らない。残った玉も、烏合の衆に扱える代物ではない」
「贄? 何を馬鹿な……」
「信じられずとも構いません。私はただ、先の皇子の命に乗じてあなたを救うことだけが目的でしたから」
「力が欲しいと」
「嘘も方便と申します。お許しを」
 こうべを垂れた髪長彦に、駒姫は憤りにも似た感情を抱いていた。それなのに、何も出来ない。頬を張ってやる
ことも顎を蹴り上げてやることも出来るのに、髪長彦は決して避けないだろうということを思うと、実行に移せない。
無抵抗の相手にそんなことをしても、余計に空しくなるだけだ。
「闇に紛れて私どもの里へお連れします。ここは安全ですから、夜になるまで身体をお休めください」
「ぬしはどうする」
「外に」
 引戸が閉まると、拭い去るもののいなくなった駒姫の涙は、ただいたずらに緋袴に吸い取られるばかりで
何も解決しはしなかった。
 手ぬぐいを放り投げ、右手の中の石に頼るように組んだ手を額にこすりつける。何がそんなに辛いのか、
分からない。失うものなど無かったはずなのに、心のどこかに隙間があるような気がして、落ち着けない。
「ううっ」
 誰かに縋りたいなどと思ったことは初めてだった。駒姫の周りには都の姫君に比べるとずっと少ないとはいえ、
いつでもたくさんの人がいて、不便を感じる前に人の手が伸びてくるのが当然だったのだ。本殿に座した姫が手を
伸ばせば、三つ先の部屋まで届いた。それが今は、三つ先どころか、風で吹き飛びそうな薄い壁越しの髪長彦にすら届かない。
 今しがたまで眦に感じていた若武者の親指の感触を、駒姫はひどく恋しく思った。


「……?」
 ふと、駒姫の耳が何かに気付いた。
「笛、の」
 鳥のさえずりとは違い、確かに旋律がある。風に乗って聞こえてくる調べは、穴だらけの小屋にいとも簡単に
入り込み、姫の傍らで歌い始めた。
 俯いた顔を上げ、どちらから聞こえるのか耳をすませてみる。感覚には自信を持っていたつもりだったが、
遠くから聞こえるような気も近くから聞こえるような気もして、すぐに探るのをやめた。
 甘やかな旋律に、時折憂いが混じるように音の調子が変わると、慰めるように小鳥がさえずる。草木もその身を
ざわざわと揺らして、笛の音に聞き惚れているようだった。
 何とは無しに笛の歌う様を気にしているうち、不思議なほど気持ちが凪いでくるのが分かった。
 なかなか止まらなかった嗚咽も、頬をひりつかせる涙も、すうっと引いてゆく。
(ああ……きっと、これは)
 ゆっくりと瞳を閉じ視覚を断つと、昂った神経を穏やかな旋律が撫でて宥めていくように思えた。
 それはまるで――まるで。
 最後に見た悲しそうな青い瞳が浮かび、孤独とはどういうことか思い知る。駒姫はふらふらと立ち上がり、
一番近い壁に手を触れた。
 音の根拠が、この向こうにあった。所々に亀裂の走る板壁を木の筋の通りなぞって降りていくと、板と板の隙間から
僅かに亜麻色が覗いている。壁に背を預けて座り込んでいるのだろう。
 駒姫はその壁にそっと背を凭せかけた。童のように膝を抱いて座れば、その肩を誰かに労られているように感じた。
笛の音はいっそう優しく姫を癒し、慰める。
 この薄い壁の向こうで、異形の若武者はどんな顔をしているのだろうか――そんな疑問の答えを求めているうち、
笛の旋律にたゆたいながら駒姫は再び穏やかな眠りに落ちていた。



 意識を取り戻す切っ掛けは、実に些細なことだった。あばら家の外で吠えた犬の声に目が覚めてしまったのだ。
 知らず知らず緊張していたのか、身を起こすと肋骨が軋み、駒姫は顔をしかめた。壁に凭れていたはずが藁の上に
いるのは、言わずもがな髪長彦によるものだろう。差し込む陽は赤い。
「お目覚めですか」
 不安そうにも怒っているようにも見える何ともいえない表情で、いつの間にか具足を解いた髪長彦が駒姫の顔を
覗き込んでいる。
「あ……っ!」
 思わず姫は髪長彦の首筋に手を伸ばし、その頼りなさに言葉を失った。髪長彦は照れたようにぎこちなく微笑んで、
目で駒姫の手の動きを追っている。
「変でしょうか」
「変、というか」
 括りあげた元結から切ったのか、指先に触れるばらばらな毛先の違和感をどう表現したものか。顎先程度の
ところでばっさり断たれてしまった男の髪をいたずらに引っ張ると、その手を掴まれ、駒姫はどきっとした。
「もともと私の一族に髪を伸ばすならわしは無いのです」
「か、『髪長彦』では、なくなってしまったな」
 動揺を隠せなかったのは、真剣な眼差しとかち合ってしまったからだった。ぴたりと絡み合った視線はなかなか
話すことが出来ず、駒姫の当惑は増す一方だ。
 掴まれた手を取られ、口付けを落とされる。驚いて引っ込めようとした手は、更に重ねられたもう一方の男の手に阻まれた。


「十年ほど前のことです。真夜中、まだ幼いあなたの寝所にひとりの曲者が紛れ込みました。賊の狙いはその
赤い玉でした。それは、元々はその賊の一族の秘宝であったからです」
 唐突に昔語りを始めた髪長彦は、愛しげに滑らかな駒姫の白磁の肌を撫でた。
「賊は少年でした。玉を取り戻す使命を与えられた彼は、忍び込むまでに毒矢を受けてしまいました」
 そこまで言うと、髪長彦は胸にかけた勾玉の飾りを取り払い、おもむろにぐっと着物の合わせ目を開いた。
 もろ肌脱ぎになった若武者はくるりと駒姫に背を向ける。予想外に傷の少ないその背中で、左肩の傷痕が特に目立っていた。
「暗闇のなか火も灯さず、あなたは恐れを知らず手探りで賊の背中に刺さった矢を抜き、玉の力で毒を吸ってやりました。
命拾いした賊は、怯えきって礼もせず謝罪も忘れほうほうの体で逃げ出しました」
 淡々と語る髪長彦が、肩越しにちらりと笑みを乗せた頬を見せた。
「それが」
 駒姫は眉をひそめ、小さく溜息をついた。気を遣ったつもりだったが、この至近距離で相手が気付かぬはずがない。
それは分かっていながら、なおつかずにはいられなかった。
 傷がある。その傷を治したという玉もある。髪長彦の言葉を信用せぬわけではないにしろ、十年も前のことを
駒姫ははっきりと思い出せない。そんなことがあったような気もするし、無かったような気もするのだ。
 そして、もし本当に髪長彦の手当てをしてやっていたとしても、駒姫の性格からして、気まぐれからの行動に
過ぎないことはまず間違いが無かった。
(なのに)
 よもやその恩を返しに来たとでも言うなら、男は正真正銘の痴れ者だ。社に火を放ったことは、廃太子の目を
誤魔化すために必要だったからなのだろう。けれど、命を救い、話によれば本来目当てであるはずの玉も奪わず、
手足の自由すらそのままに駒姫を扱っている今の状況は、愚かというよりない。
(侮られておるのか?)
 駒姫は背中の傷痕にそっと触れた。男はぴくりと反応したが、咎めなかった。
 今ここで、手の中の玉の力を解放すれば、恐らく髪長彦の源の分からない力を持ってしても耐えることは難しい
だろう。それが分からないような男には見えないのに、なぜこんなにも気を許しているのか。
「言ったでしょう。私の目的は、玉ではないと」
「分からぬ」
「先の皇子に取り入ったのは、彼が玉を狙っていると知ったからです。それだけならまだいい。問題は、玉の主
であるあなたを邪魔に思っていることでした。贄の話を持ち出されたとき、もう時間がないと感じました」
「…………」
「あなたにとっては気まぐれでも、自業自得の傷を治してもらい、私は確かに生きながらえることが出来た。
玉など、別にいつだって取り返せるのです。けれど、あなたの命はそうはいかない」
「そんな陳腐な理由で」
「構いません、陳腐で。それが私の真であると、私自身が分かっておりますから」
 本当は、恨むべき相手であるはずなのだ。
 髪長彦の放った火のせいで命を落とした者もいただろう。髪長彦の配下の者――ひいては髪長彦自身に殺された
者もいただろう。そんな彼らを守る義務が駒姫にはあったはずだ。
 それなのに、恨めない。憎めない。ちっとも負の感情が沸いてこない。それどころか、思い出すのはあの優しげな
笛の音と、孤独の涙を拭ってくれた頼りがいのある大きな手。
「あの夜、髪長彦は生まれ、そして今宵、髪長彦は死にました」
「ならそなたは何者だ」
 男は振り向いて、駒姫を真っ直ぐに見据えた。
「――利人。それが私の真の名です」
「り、ひと」
「一族の言葉で『光』という意味があります」
「光、か」
 駒姫は両手を差し出して男の――利人の頬を覆った。前髪を払うと、意志の強そうな澄んだ青い瞳のなかに、
泣きそうな顔をした黒髪の女が映っていた。
「我が名は、耀(あかる)。奇遇だな、私の名も光という意味だ」
 男が息を呑む。女は微笑んで、己の額を相手のそれにくっつけた。


「姫……! 真名を差し出すなど、いったい何を考えておられるのですか!!」
「そなたに言われとうない。それに今さら言の葉を消すことも出来まい。私は、真名を差し出すことでそなたに
呪を掛けたのだ」
「それは」
「そなたが、私を生涯守り抜かなければならぬ呪だよ」
 男はふっと息を漏らすと、顔をずらしぎゅっと耀姫を抱きしめた。強い力に一瞬息が詰まったが、姫も同じように
男の背に腕を回す。短くなった髪を梳くと、男はくすぐったそうに肩を竦めた。
「そのような呪……十年前に、とっくにかけられておりますよ」
 藁山に背が押し付けられ、互いの鼻が触れた。
 出立は一晩先になりそうだ。

 耀が初めて受ける口付けは、煤と男の汗のにおいの混じる、何とも野生的なものだった。
 社の奥で香を焚き染めた耀の着物も煤けているのだから、無理もない。そのことに気付いたのは相手も同じ
だったようで、唇をもう一度強く押し付けると名残惜しげに耀から離れた。唾液が糸を引き、耀の唇の上に落ちる。
 それを舌で舐め取ると、戻ってきた若武者とはたと目が合った。
「……っ」
 不意に視線を逸らされたかと思うと、二の腕をとられてぐいっと身を起こされる。
「あ、あの、髪長彦」
「利人、とお呼びください耀さま」
「り、りひと……」
 耀が躊躇いがちに名を呼ぶと、利人はなぜか眉をしかめた。
「利人?」
 利人は真面目しくさった顔で耀の着物の合わせ目を強引に開き、上半身を露わにさせた。そして藁の上に腹ばいに
なるように身体を引き倒すと、その背に散らばる黒髪をまとめて払った。
 素肌に髪と利人の指が微妙に触れ、耀は身体の奥の方から這い出してくる吐息を必死で誤魔化した。唇を噛み締め、
その上に手を当てて口を塞ぐ。
「ふぁっ」
 ところが、それはあっけなく崩された。何か冷たい感触が背中に落ちてきたのだ。びりっと全身に痺れが走る。
 肩越しに振り向くと、手ぬぐいで耀の背を拭いている利人の手があった。
「完全には消えませんが、これで多少は気にならなくなると思います」
「そ、そうか」
 そういえば身体を清めればいいと勧められたのに結局何もしなかったことを思い出し、大人しくされるがままになる。
 肌を傷つけないように気を遣っているのか、利人は優しく優しく触れてくる。
 それが、逆にたまらない。意識的にしているのか無意識にしているのかは与り知らぬところではあったが、
耀の知らぬ感覚を、男の手は少しずつ揺り起こしていた。
「う……っ、ふ」
 手ぬぐいの冷たさはもちろんだが、腰元を抑える利人の手が微妙に位置を変えると、耀はその手を払いのけて
しまいたくなる。神経をかき乱され、平静を保ってられなくなるのだ。
「耀さま、前をお拭きします」
 そう言われても、自ら胸を曝け出すような真似は出来るはずがなかった。沐浴や更衣の際、従者に全裸を見せて
いるし触れられてもいるのに、利人にだけはどうしても見せられない。
「姫?」
「……いや」
 けれど心配そうに顔を覗き込まれてはどうしようもない。結局、利人に半ば縋るかたちで、耀は仰向けに転がされた。
 柔肌が外気に触れ、衣のないことでここまで頼りなさを感じることを耀は知らなかった。
 手ぬぐいを握り締めた利人にじっと見つめられ、いたたまれなくなる。目をぎゅっと瞑り、頬を藁に押し当てた。
 すっと利人の左手が再び腰に伸びる。しっかりと捕まえられ、耀は肌に落ちてくるはずの冷たい感触を覚悟した。
「あっ、あぁっ! りひ、と……っ」


 確かに濡れた感触はあった。ところが、耀を襲ったのは手ぬぐいではなかったのだ。
 薄目を開いて飛び込んできたのは、己の乳房に吸い付く亜麻色の短い髪。右手がもう片方の乳首に伸び、きゅっと摘み上げた。
「や、やぁ!」
 耐え切れずに漏れ出る己の声が卑しくて、耀は右手の甲を押し当てた。それでも堪えきれず、その肌を噛む。
 膨らみを揉まれ、肌を舐められ、吸われるたび、鼻から甘い息が抜けた。
 ちらっと青い瞳がこちらを見た。そのまま利人は起き上がり、耀の口元から手を奪い去る。手の甲にはっきりと
刻まれた歯形を見るなり、嫌悪の色がその顔に浮かぶのを耀は見た。
「痕が残ります」
「け、けれど……んむっ」
 耀の言い訳など聞く気は無いらしく、利人は口付けることでその続きを封じた。
 忍び込んできた舌が耀の口の中を蹂躙する。舌を捉えられ吸われると、耀は奥から何かが滲み出てくる感覚に襲われた。
(溶けそう……)
 まさかそんなことを言えるはずも無く、耀は男の逞しい二の腕にしがみついた。
「ふ、っふ」
「傷つけるなら、私にしてください。潰れたって平気ですから」
 そう声の端々に怒気をじわりと漂わせて、利人は耀の口にその左手の親指を含ませた。反射的にその指を吸うと、
ちゅぱちゅぱと音がした。
 まるで童女のような扱いだと思ったが、臍に舌を突っ込まれて、すぐにその考えを撤回した。利人の右手が自身の
着物と耀の帯と袴とを器用に解いていくさなか、時折敏感な部分を掠めていく。
 不意打ちに耐えようと歯を噛み締めようとするが、利人の親指に阻まれてそれはままならない。利人は噛まれても
気にしないようだったが、耀の方が気にした。
(だって、この親指は)
 耀の涙を拭ってくれた指だ。心を慰める笛を吹いてくれた指だ。
 だから、耀は決して利人の指に傷をつけられないのだ。傷をつけるくらいなら、声を出すことくらい――
「ふあっ、あん!」
 耀は火照って赤くなった頬をさらに赤くした。
(何とも無くなんか、無い!)
 すっかり裸になった耀の内腿を撫でられて挙げた声を、激しく後悔した。今まで聞いたことの無い自分の声は、
見事に欲に濡れていて、耀の羞恥を煽る。
「姫……嬉しいです、感じてくださったんですね」
「え……っ」
 口から親指が引き抜かれ、身をかがめた利人が耀の両脚を広げる。床に落とされた緋袴に、利人の裸の膝が乗った。
「あぁぁっ、いや、ふぁっ」
 ちゅくちゅくと先まで舐めていた指で敏感な芽を撫でさすられると、もうどうしようもなかった。
太腿に口付けられ撫で回され、びくびくと腰が動く。
 開く気も無いのに勝手に開いてしまった左足が、つま先で濡れた何かを蹴った。多分手ぬぐいなのだろうが、
それを確かめる余裕が今の耀には無い。
 とろとろに溶けた秘所は、利人の呼気にすら反応した。
「痛かったら、仰ってください」
 そう前置きされて、利人の指がずぶずぶと耀のそこに沈んでゆく。
「ひぁ……っ」
 ゆっくりと抜き差しされても、幸い十分に濡れた秘所は、痛みを感じることは無かった。熱を持って駆け巡る
快感に、否が応にも耀は振り回される。
 じんじんと痺れたようなそこの疼きを、鎮めて欲しくてたまらない。
「利人、りひと……」
「はい、耀姫」
 はぁはぁと熱い吐息を漏らしているのが耀だけではないことに、ひどく興奮する。情欲の青い火を灯した利人の
潤んだ瞳から、目が離せなくなる。薄く開いた唇や、武人らしく均整の取れた身体の色気を、耀は独り占めしたくなった。


 腕を伸べ、利人の髪に手を差し入れる。短くなった髪はそれだけでは物足りず、耀はじっと利人を見つめた。
 言わんとすることが分かったのか、利人は素直に身を起こした。広い背に腕を回し、ぎゅっと抱きつく。
玉を巻きつけたままの右手が、利人の肩の傷痕をなぞる。
「そなたは、私のものだ」
 上擦る声で、耀は何とか言いきって、その唇を男のそれに押し付けた。
「耀さま!」
「う、くっ」
 秘所に、熱い何かが押し付けられる。そのまま利人が腰を揺らし、粘膜を擦った。苦しげに眉間に皺を刻む男の顔。
「あっ、ああっ!!」
 花芽に利人の手が伸びたかと思うと、きゅっとつままれ、脚をびくびくと痙攣させながら耀は絶頂を迎えた。
「駒姫、耀さま、よろしいですか」
 ふわふわと浮遊感に浸りながら、訳もわからず耀は頷いた。利人があまりにも切なげな表情を浮かべるものだから、
こちらまで切なくなる。
「耀さま、痛ければ私の肩を噛んでください。背に爪を立てても結構です」
 途端、ぐっと秘所に熱いものが入り込み、耀の身体は強張った。
「いっ」
「力を抜いて」
 接吻と胸への愛撫を繰り返しながら、ゆっくりゆっくり、利人は腰を進める。
 利人がそれを完全に埋め込んでしまうまで、必死に痛みを耐える。耀は、意地で利人の身体に傷をつけなかった。
「……大丈夫ですか」
「大丈夫だろうと、そうでなかろうと、動かねば収まりがつかぬのはそなただろう」
 玉の汗を浮かべた耀の一言に、利人はそのとおりですと苦笑いを浮かべる。
「あとで、私が満足するまで笛を吹いてもらうからな」
 耀が頷くと、利人は再び腰を動かし始めた。
 ずんっと身体の奥を突き上げられ、壁を容赦なく擦られる。
 耳元に利人の乱れた熱い吐息が吹き込まれ、耀の頭はかっと一気に熱を帯びた。
「……くっ!」
 知らず知らずうねる腰に、利人の腰がぐぐっと押し付けられる。
「耀さま、耀さま」
 うわ言のように名を呼ばれる。目が合い、示し合わせたように互いの口をまさぐる。濡れた唇に反応して、
耀の中がぴくりと締まった。
「いい、きつい……」
 恍惚とした表情で、利人が呟いた。腰の動きがいっそう早くなり、耀姫を翻弄する。
「利人、りひとぉっ」
「姫、申し訳ありません!」
「うぁっ、あ、ひぁ……や――っ!!」
 はっはっと肩で息をしながら、理性を飛ばした利人は抉るように肉棒を耀に突き刺した。
 のけぞる女の背と、ひきつる男の腹筋。くらくらするほど濃厚な汗の匂いが、耀の脳髄を犯す。
「うぅ、くぅ!」
 びくりと腰を震わせて、利人が耀の中に精を吐き出すのと、再び耀が気をやったのは、ほぼ同時だった。


「……そなたは冷静に見えて、存外無茶をする」
「返す言葉がありません」
 すっかり身支度を整えると、筒に汲んだ水は白く濁った。煤や泥と、二人の体液をきれいに清めた手ぬぐいは、
しっかりとその役目を果たしたらしい。
 利人の腕の中で、膨れ面の耀姫はさらに不平を漏らす。
「藁は背に刺さるし、草履は履きっぱなしだし」
 耀は口をへの字に曲げて、右手に握り締めた玉を利人の眼前にぶら下げる。
「それに、乙女を失った私は、もうこの玉を操れぬかも知れぬのだぞ」
「それは好都合。強すぎる力など害にしかなりません」
「この力でそなたを救ってやったのではないか」
「それはそうですが」
 利人は苦笑いを浮かべ、機嫌を取るように耀の美しい黒髪を梳いた。すかさず耀は追撃の一言を突きつける。
「髪もどろどろだ。湯浴みがしたい」
「仰せのままに、耀姫」
「……真剣に聞いておらぬな」
「玉ごと私どもの里においでくだされば、力など、意味はありません」
 わずかに翳った利人の微笑みを、耀は敏感に悟った。向かい合った頬に柔らかな手を添える。
「社に火を放ったことを悔いておるのか」
「…………」
「遅かれ早かれ、同じことが起きたろうよ。そなたが来ていると分かったから、私は従者たちを戦わせず逃がす
ことが出来たのだ」
 青い目が訝しげに耀を見つめる。耀はふっと微笑えんだ。
「『武勇名高い髪長彦』と戦って勝ちおおせるような武人は、我が社にはいなかった。それだけ……この玉の力に
頼っておったのだよ」
「耀さま……」
「だからな、利人。むしろ感謝しているのだ。私をしがらみから切り離してくれたことを」
 口付けはどちらから仕掛けたものだったか、この際どちらでも構わないだろう。
 小屋の外で、黒犬が大きく欠伸をした。


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最終更新:2009年08月09日 22:16