Q:(問題文不明)
C:演繹
A:えんえき
(ある命題について、論理的に推論を重ねることで結論を導く方法反対に結論を先に仮定し、そこから逆方向に推論して矛盾があるかを調べる方法を「帰納」という)
C:演繹
A:えんえき
(ある命題について、論理的に推論を重ねることで結論を導く方法反対に結論を先に仮定し、そこから逆方向に推論して矛盾があるかを調べる方法を「帰納」という)
Q:生家をモデルにした北杜夫の小説は○○の人々?
C:楡家
A:にれけ
(毎日出版文化賞を受賞した。北杜夫=本名斎藤宗吉。1927年東京生まれ精神科医を経て「幽霊―或る幼年と青春の物語」で作家デビュー1960年に「夜と霧の隅で」で芥川賞娘は作家の斎藤由香)
C:楡家
A:にれけ
(毎日出版文化賞を受賞した。北杜夫=本名斎藤宗吉。1927年東京生まれ精神科医を経て「幽霊―或る幼年と青春の物語」で作家デビュー1960年に「夜と霧の隅で」で芥川賞娘は作家の斎藤由香)
Q:(片山さつきの写真)この人の元夫
A:舛添要一
C:ますぞえよういち
(1986年に結婚し、1989年に離婚した片山さつき=1959年埼玉生まれ財務省主計局主計官を経て2005年9月衆院で当選)
A:舛添要一
C:ますぞえよういち
(1986年に結婚し、1989年に離婚した片山さつき=1959年埼玉生まれ財務省主計局主計官を経て2005年9月衆院で当選)
Q:兵庫県の高級住宅街
C:「六麓荘」
A:ろくろくそう
(芦屋市の一地区阪急創始者の小林十三らによって大阪のベッドタウンとして開発されたこの手法は東急の五島慶太によって田園調布などの開発に応用された)
C:「六麓荘」
A:ろくろくそう
(芦屋市の一地区阪急創始者の小林十三らによって大阪のベッドタウンとして開発されたこの手法は東急の五島慶太によって田園調布などの開発に応用された)
Q:小豆島の尾崎放哉の墓のあるところ
C:「南郷庵」
A:みなみごあん(みなんごあん)
(小豆島霊場第五十八番札所西光寺の境内にある尾崎は墓守としてここに住むようになった)
C:「南郷庵」
A:みなみごあん(みなんごあん)
(小豆島霊場第五十八番札所西光寺の境内にある尾崎は墓守としてここに住むようになった)
Q:(問題文不明)
C:「速水御舟」
A:はやみぎょしゅう
(1894年東京生まれ1914年第1回院展に
「近村(紙すき場)」を出展代表作「炎舞」「名樹散椿」など)
C:「速水御舟」
A:はやみぎょしゅう
(1894年東京生まれ1914年第1回院展に
「近村(紙すき場)」を出展代表作「炎舞」「名樹散椿」など)
Q:南北朝時代の人物で、四条畷の戦いで戦死した
C:「楠木正行」
A:くすのきまさつら(1326年生まれ父は楠木正成父に対して「小楠公」と呼ばれる1348年の四條畷の戦いで敗れて自害)
C:「楠木正行」
A:くすのきまさつら(1326年生まれ父は楠木正成父に対して「小楠公」と呼ばれる1348年の四條畷の戦いで敗れて自害)
Q:(問題文不明)
C:「蘭奢侍」
A:らんじゃたい
(聖武天皇代に中国から渡来した香水東大寺正倉院に保管されているちなみに「蘭奢侍」には「東大寺」の文字が隠れている)
C:「蘭奢侍」
A:らんじゃたい
(聖武天皇代に中国から渡来した香水東大寺正倉院に保管されているちなみに「蘭奢侍」には「東大寺」の文字が隠れている)
Q:(問題文不明)
C:「明礬」
A:みょうばん
(カリウム・などの一価イオンの硫酸塩と鉄などの三価イオンの硫酸塩が化合した複塩の総称)
C:「明礬」
A:みょうばん
(カリウム・などの一価イオンの硫酸塩と鉄などの三価イオンの硫酸塩が化合した複塩の総称)
Q:10の62乗
C:「恒河沙」
A:ごうがしゃ
(「恒河」はサンスクリット語で「ガンジス川」を意味し、「恒河沙」で「ガンジス川の砂」ということ砂のように数が多い、ということから)
C:「恒河沙」
A:ごうがしゃ
(「恒河」はサンスクリット語で「ガンジス川」を意味し、「恒河沙」で「ガンジス川の砂」ということ砂のように数が多い、ということから)
Q:「富士には月見草がよく似合ふ」という文学碑が立つ、太宰治の『富岳百景』の舞台は○○峠?
C:御坂
A:みさか
(御坂峠山梨県太宰はここにある旅館・天下茶屋に滞在していた他に「服装に就いて」「律子と貞子」の舞台にもなった)
C:御坂
A:みさか
(御坂峠山梨県太宰はここにある旅館・天下茶屋に滞在していた他に「服装に就いて」「律子と貞子」の舞台にもなった)
Q:入道雲の一類型
C:「鉄床雲」
A:かなとこぐも
(積乱雲の上部で、上昇気流で吹き上げられた氷の結晶が水平に広がることで生ずる鉄床=金属加工をする際に加工物をのせる台)
C:「鉄床雲」
A:かなとこぐも
(積乱雲の上部で、上昇気流で吹き上げられた氷の結晶が水平に広がることで生ずる鉄床=金属加工をする際に加工物をのせる台)
Q:1786年5月幕府の命を受け択捉島に上陸した探検家
C:「最上徳内」
A:もがみとくない
(1754年出羽国生まれ1875年から幕府の蝦夷地調査隊に同行し、択捉島や樺太などを調査したこの経験から「蝦夷草紙」やシーボルトとの共編「アイノ語辞典」を著した)
C:「最上徳内」
A:もがみとくない
(1754年出羽国生まれ1875年から幕府の蝦夷地調査隊に同行し、択捉島や樺太などを調査したこの経験から「蝦夷草紙」やシーボルトとの共編「アイノ語辞典」を著した)
Q:オルセー美術館にあるこの絵の作者
C:舞台の踊り子(バレリーナ)の画像
A:ドガ
(エドガー・ドガHilaireGermainEdgardeGas1834年フランス生まれルイ・ラモートに師事し、印象派展などに出品晩年は彫刻も手掛けた)
C:舞台の踊り子(バレリーナ)の画像
A:ドガ
(エドガー・ドガHilaireGermainEdgardeGas1834年フランス生まれルイ・ラモートに師事し、印象派展などに出品晩年は彫刻も手掛けた)
Q:(問題文不明)
C:「多藝都速瀬」
A:たぎつはやせ
(川合玉堂の1953年作の絵川合玉堂=本名・芳三郎1873年愛知生まれ1898年設立の日本美術院に参加第1回文部省美術展覧会審査員や東京美術学校教授を務め、1940年に文化勲章受章)
C:「多藝都速瀬」
A:たぎつはやせ
(川合玉堂の1953年作の絵川合玉堂=本名・芳三郎1873年愛知生まれ1898年設立の日本美術院に参加第1回文部省美術展覧会審査員や東京美術学校教授を務め、1940年に文化勲章受章)
Q:長崎県の地名
C:「外海」
A:そとめ
(西彼杵半島の南西部に位置する1955年神浦村と黒崎村が合併して外海村が発足し、1960年に町制施行2005年に長崎市へ編入された)
C:「外海」
A:そとめ
(西彼杵半島の南西部に位置する1955年神浦村と黒崎村が合併して外海村が発足し、1960年に町制施行2005年に長崎市へ編入された)
Q:(問題文不明)
C:「木村栄」
A:きむらひさし
(1870年石川生まれ水沢緯度観測所長1902年に緯度変化におけるZ項(木村項とも地球の緯度変化において、極運動以外の経度に無関係な1年周期で現れる成分)を発見した)
C:「木村栄」
A:きむらひさし
(1870年石川生まれ水沢緯度観測所長1902年に緯度変化におけるZ項(木村項とも地球の緯度変化において、極運動以外の経度に無関係な1年周期で現れる成分)を発見した)
Q:北海道の山
C:「風不死」
A:ふっぷし
(千歳市にある安山岩質の成層火山アイヌ語の「フップ・ウシ(トドマツのあるところ)」に由来)
C:「風不死」
A:ふっぷし
(千歳市にある安山岩質の成層火山アイヌ語の「フップ・ウシ(トドマツのあるところ)」に由来)
Q:沖縄の苗字
C:「入慶田本」
A:いりけだもと
(与那国町の地名が由来)
C:「入慶田本」
A:いりけだもと
(与那国町の地名が由来)
Q:(問題文不明)
C:「聚落第」
A:じゅらくてい(じゅらくだい)
(1587年に豊臣秀吉が京都の旧大内裏跡に建設した城郭風邸宅その後豊臣秀次の所有となり、秀次の自害後に取り壊された)
C:「聚落第」
A:じゅらくてい(じゅらくだい)
(1587年に豊臣秀吉が京都の旧大内裏跡に建設した城郭風邸宅その後豊臣秀次の所有となり、秀次の自害後に取り壊された)
Q:(問題文不明)
C:「饕餮文」
A:とうてつもん
(殷や周の時代の、食器など祭事に用いられた青銅器などに施されている、獣をかたどった文様空想上の怪獣が多く用いられた)
C:「饕餮文」
A:とうてつもん
(殷や周の時代の、食器など祭事に用いられた青銅器などに施されている、獣をかたどった文様空想上の怪獣が多く用いられた)
Q:江戸時代の思想家石田梅岩の著作
C:「都鄙問答」
A:とひもんどう
(石田が庶民向けの哲学「石門心学」の門下生と行った問答が由来石田梅岩=1685年丹波国生まれ呉服屋の丁稚奉公を経て小栗了雲に哲学を学ぶその後自宅で町人向けに無料講座を開いた)
C:「都鄙問答」
A:とひもんどう
(石田が庶民向けの哲学「石門心学」の門下生と行った問答が由来石田梅岩=1685年丹波国生まれ呉服屋の丁稚奉公を経て小栗了雲に哲学を学ぶその後自宅で町人向けに無料講座を開いた)
Q:豊臣秀吉に自治を認められた、香川県にある諸島
C:「塩飽」
A:しわく(しあく)
(潮が速く「潮が湧くようだ」と言われたことから、製塩の「塩焼く」から、など諸説織田信長や秀吉に仕えた塩飽水軍の本拠があり、1590年に秀吉が1250石を与える朱印状を発行した)
C:「塩飽」
A:しわく(しあく)
(潮が速く「潮が湧くようだ」と言われたことから、製塩の「塩焼く」から、など諸説織田信長や秀吉に仕えた塩飽水軍の本拠があり、1590年に秀吉が1250石を与える朱印状を発行した)
Q:岩手県平泉町にある寺
C:「毛越寺」
A:もうつうじ
(欧州藤原氏の藤原基衡が建立源義経が自害した高館義経堂がある)
C:「毛越寺」
A:もうつうじ
(欧州藤原氏の藤原基衡が建立源義経が自害した高館義経堂がある)
Q:現在の最高裁判所に相当する明治憲法下の裁判所
C:「大審院」
A:だいしんいん
(「たいしんいん」は不可)(1875~1947年に置かれた最高の司法裁判所司法省裁判所が前身)
C:「大審院」
A:だいしんいん
(「たいしんいん」は不可)(1875~1947年に置かれた最高の司法裁判所司法省裁判所が前身)
Q:ふぐの漁業量が多い下関の港
C:「南風泊」
A:はえどまり
(江戸時代、北陸から大阪へ物資を運搬する帆船が南風(はえ)を避けるためにここに停泊したことから)
C:「南風泊」
A:はえどまり
(江戸時代、北陸から大阪へ物資を運搬する帆船が南風(はえ)を避けるためにここに停泊したことから)
Q:(問題文不明)大阪の地名
C:「淡輪」
A:たんのわ
(泉南郡岬町日本書紀にも「田身輪巴」として現れる)
C:「淡輪」
A:たんのわ
(泉南郡岬町日本書紀にも「田身輪巴」として現れる)
Q:室町幕府の第2代将軍、足利
C:「義詮」
A:よしあきら
(1330年生まれ足利尊氏の嫡男観応の擾乱で失脚した足利直義に代わり幕府の要職に就く1358年に征夷大将軍となる1367年死去)
C:「義詮」
A:よしあきら
(1330年生まれ足利尊氏の嫡男観応の擾乱で失脚した足利直義に代わり幕府の要職に就く1358年に征夷大将軍となる1367年死去)
Q:重要無形民俗文化財に指定されている獅子舞で有名な沖縄県の町
C:「勢理客」
A:じっちゃく
(沖縄県伊是名村の一地区獅子舞は約400年前に「コーレー具志堅」という人物が伝えたものといわれ、毎年旧暦8月15日に行われる)
C:「勢理客」
A:じっちゃく
(沖縄県伊是名村の一地区獅子舞は約400年前に「コーレー具志堅」という人物が伝えたものといわれ、毎年旧暦8月15日に行われる)
Q:民俗学者・折口信夫の号
C:「釈迢空」
A:しゃくちょうくう
(折口信夫=1887年大阪生まれ國學院大教授として万葉集研究を通じ、国文学の起源を祝詞や呪言に求めた「アララギ」や「日光」で和歌を発表)
C:「釈迢空」
A:しゃくちょうくう
(折口信夫=1887年大阪生まれ國學院大教授として万葉集研究を通じ、国文学の起源を祝詞や呪言に求めた「アララギ」や「日光」で和歌を発表)
Q:(問題文不明)
C:「瓢鮎図」
A:ひょうねんず
(京都の妙心寺退蔵院にある如拙作の山水図国宝)
C:「瓢鮎図」
A:ひょうねんず
(京都の妙心寺退蔵院にある如拙作の山水図国宝)
Q:鎌倉時代以降の武士の平服
C:「直垂」
A:ひたたれ
(鎌倉時代には幕府内での公式な服装となり、室町期には公家も用いるようになった「直」は宿直のこと名前の由来は宿直で夜着として着ていた衣服が変化した、など諸説)
C:「直垂」
A:ひたたれ
(鎌倉時代には幕府内での公式な服装となり、室町期には公家も用いるようになった「直」は宿直のこと名前の由来は宿直で夜着として着ていた衣服が変化した、など諸説)
Q:川端龍子の作品
C:「請雨曼茶羅」
A:せいうまんだら
(1929年の作川端龍子=本名昇太郎1885年和歌山生まれ1915年に平福百穂らと「珊瑚会」を結成し、同年、院展に初入選929年には「青龍社」を旗揚げ)
C:「請雨曼茶羅」
A:せいうまんだら
(1929年の作川端龍子=本名昇太郎1885年和歌山生まれ1915年に平福百穂らと「珊瑚会」を結成し、同年、院展に初入選929年には「青龍社」を旗揚げ)
Q:(問題文不明)
C:「馭者座」
A:ぎょしゃざ
(α星はカペラ連星他にメンカリナンやサダトニなどの連星を含む)
C:「馭者座」
A:ぎょしゃざ
(α星はカペラ連星他にメンカリナンやサダトニなどの連星を含む)
Q:代表作に「三十六歌仙図屏風」がある江戸時代の画家
C:「土佐光起」
A:とさみつおき
(1617年和泉国生まれ1954年に宮廷画家となり、土佐派を興した他に「源氏物語図屏風」など)
C:「土佐光起」
A:とさみつおき
(1617年和泉国生まれ1954年に宮廷画家となり、土佐派を興した他に「源氏物語図屏風」など)
Q:薬師寺三重塔のものが有名なひさし状の出っ張り
C:「裳階」
A:もこし
(「雪打」ともこれがあるものを「雪打造」という)
C:「裳階」
A:もこし
(「雪打」ともこれがあるものを「雪打造」という)
Q:中国の都市
C:「北京」
A:ぺきん
(河北省中央部に位置する政府直轄都市春秋戦国時代の燕の首都・薊に始まるその後は東北部の要衝として栄え、元の時代に首都となる明代に南京に一時遷都されるが、すぐに北京へ戻ったその後は現在まで首都であり続けている)
C:「北京」
A:ぺきん
(河北省中央部に位置する政府直轄都市春秋戦国時代の燕の首都・薊に始まるその後は東北部の要衝として栄え、元の時代に首都となる明代に南京に一時遷都されるが、すぐに北京へ戻ったその後は現在まで首都であり続けている)
Q:中国の都市
C:「香港」
A:ほんこん
(古代から貿易港・広州への入り口、あるいは真珠産業で栄えたその後1898年に南京条約でイギリス領となり、1997年に租借期間が終了、中国の特別行政区となった)
C:「香港」
A:ほんこん
(古代から貿易港・広州への入り口、あるいは真珠産業で栄えたその後1898年に南京条約でイギリス領となり、1997年に租借期間が終了、中国の特別行政区となった)
Q:室町前期の教科書
C:「庭訓往来」
A:ていきんおうらい
(玄恵の作とされる応永年間に成立したと言われ、1年間の各月で使われる文例を収めた教科書単に「庭訓」とも)
C:「庭訓往来」
A:ていきんおうらい
(玄恵の作とされる応永年間に成立したと言われ、1年間の各月で使われる文例を収めた教科書単に「庭訓」とも)
Q:(問題文不明)愛・地球博の会場の1つ
C:「海上」の森
A:かいしょ
(瀬戸会場の一部ここでオオタカの営巣地が発見されたことから瀬戸会場を一部縮小、長久手会場が新設された)
C:「海上」の森
A:かいしょ
(瀬戸会場の一部ここでオオタカの営巣地が発見されたことから瀬戸会場を一部縮小、長久手会場が新設された)
Q:岩手県宮古市の半島
C:「重茂」
A:おもえ
(三陸海岸で最大の半島)
C:「重茂」
A:おもえ
(三陸海岸で最大の半島)
Q:江戸中後期の俳人
C:「大島蓼太」
A:おおしまりょうた
(1718年信濃国生まれ桜井吏登の弟子で、雪中庵の3世代表句集に「雪おろし」「附合小鏡」など)
C:「大島蓼太」
A:おおしまりょうた
(1718年信濃国生まれ桜井吏登の弟子で、雪中庵の3世代表句集に「雪おろし」「附合小鏡」など)
Q:川端龍子の作品の名前
C:「南飛図」
A:なんぴず
(「請雨曼荼羅」も出る)
C:「南飛図」
A:なんぴず
(「請雨曼荼羅」も出る)
Q:(問題文不明確)春に黄色い花をつける落葉~で、金縷梅とも呼ばれる
C:「金縷梅」
A:まんさく
(マンサク科の落葉大低木早春の早い時期に咲き、「茶花」として栽培される名前は「先ず咲く」から)
C:「金縷梅」
A:まんさく
(マンサク科の落葉大低木早春の早い時期に咲き、「茶花」として栽培される名前は「先ず咲く」から)
Q:沖縄の地名
C:「辺戸岬」
A:へごみさき
(沖縄本島の最北端)
C:「辺戸岬」
A:へごみさき
(沖縄本島の最北端)
Q:太平洋戦争終戦時の陸軍大臣
C:「阿南惟幾」
A:あなみこれちか
(1887年大分生まれポツダム宣言受諾に反対するが、最終的には同意する1945年8月14日に自殺を図り、翌日死亡)
C:「阿南惟幾」
A:あなみこれちか
(1887年大分生まれポツダム宣言受諾に反対するが、最終的には同意する1945年8月14日に自殺を図り、翌日死亡)
Q:江戸初期の馬術の達人
C:「曲垣平九郎」
A:まがきへいくろう
(讃岐国の武士で、伝説上の人物といわれる講談「寛永三馬術」の主人公で、作中で愛宕山の石段を馬で駆け上がったとされる)
C:「曲垣平九郎」
A:まがきへいくろう
(讃岐国の武士で、伝説上の人物といわれる講談「寛永三馬術」の主人公で、作中で愛宕山の石段を馬で駆け上がったとされる)
Q:眼球が入ってる頭蓋骨のくぼみ
C:「眼窩」
A:がんか
(「窩」は「穴蔵」などという意味)
C:「眼窩」
A:がんか
(「窩」は「穴蔵」などという意味)
Q:(問題文不明)
C:「陶晴賢」
A:すえはるかた
(1521年周防国生まれ大内氏の家臣として仕えるが、大内義隆が文治に傾倒するのを見て謀反を起こして大内義長を擁立、大内氏の実権を握った1555年、厳島での毛利元就との戦いで敗れ自害した)
C:「陶晴賢」
A:すえはるかた
(1521年周防国生まれ大内氏の家臣として仕えるが、大内義隆が文治に傾倒するのを見て謀反を起こして大内義長を擁立、大内氏の実権を握った1555年、厳島での毛利元就との戦いで敗れ自害した)
Q:ある命題の結論を誤りとしてその矛盾を示して証明する方法
C:「帰謬法」
A:きびゅうほう
(背理法のこと)
C:「帰謬法」
A:きびゅうほう
(背理法のこと)
Q:(問題文不明)
C:「棄捐令」
A:きえんれい
(旗本や御家人の財政難を救うために発令された借金の帳消し令1789年に松平定信が、1843年には水野忠邦が発令した)
C:「棄捐令」
A:きえんれい
(旗本や御家人の財政難を救うために発令された借金の帳消し令1789年に松平定信が、1843年には水野忠邦が発令した)
Q:昔は化学のことをこう呼んだ
C:「舎密」
A:せいみ
(オランダ語で「化学」という意味の"chemie"から1828年に洋学者の宇田川榕庵が著書「舎密開宗」で初めて用いた)
C:「舎密」
A:せいみ
(オランダ語で「化学」という意味の"chemie"から1828年に洋学者の宇田川榕庵が著書「舎密開宗」で初めて用いた)
Q:太宰治が滞在した旅館で、『富岳百景』の舞台となった
C:「天下茶屋」
A:てんかぢゃや(てんがぢゃや)
C:「天下茶屋」
A:てんかぢゃや(てんがぢゃや)
Q:(問題文不明)
C:「楚里清」
A:そりきよし
(日本画家1952年広島生まれ愛知県立芸大の助手などを経て、現在は動物をモチーフとした作品を多く制作している)
C:「楚里清」
A:そりきよし
(日本画家1952年広島生まれ愛知県立芸大の助手などを経て、現在は動物をモチーフとした作品を多く制作している)
Q:(問題文不明)
C:「曾我蕭白」
A:そがしょうはく
(画家1730年京都生まれ高橋敬甫に師事したとされる(異説あり)曾我直庵のような個性的な画風で知られ、号の蛇足軒は曾我蛇足から代表作「寒山拾得図」「群仙図」など)
C:「曾我蕭白」
A:そがしょうはく
(画家1730年京都生まれ高橋敬甫に師事したとされる(異説あり)曾我直庵のような個性的な画風で知られ、号の蛇足軒は曾我蛇足から代表作「寒山拾得図」「群仙図」など)
Q:(問題文不明)
C:「柳宗悦」
A:やなぎむねよし
(美術評論家1889年東京生まれ雑誌「白樺」に参加し、民芸品を美の対象として捉える民芸運動を興す長男は工業でないなーの宗理)
C:「柳宗悦」
A:やなぎむねよし
(美術評論家1889年東京生まれ雑誌「白樺」に参加し、民芸品を美の対象として捉える民芸運動を興す長男は工業でないなーの宗理)
Q:頂上が屋根に似た形からこの名前になった群馬県の山
C:「四阿山」
A:あずまやさん
(「四阿屋山」とも標高1387m冠着山・聖山と筑北三山を構成する)
C:「四阿山」
A:あずまやさん
(「四阿屋山」とも標高1387m冠着山・聖山と筑北三山を構成する)
Q:川崎市の地名
C:「麻生区」
A:あさおく
(「あそう」「あざぶ」などではないので注意西北端に位置し、ベッドタウンとして発展した新百合ヶ丘などがある)
C:「麻生区」
A:あさおく
(「あそう」「あざぶ」などではないので注意西北端に位置し、ベッドタウンとして発展した新百合ヶ丘などがある)
Q:直木賞作家・新田次郎のデビュー作
C:「強力伝」
A:ごうりきでん
(1951年この作品で1956年に直木賞受賞新田次郎=1912年長野生まれ気象学者として活動し、1951年↑でサンデー毎日大衆文芸現代の部一等となる1974年吉川英治文学賞受賞1980年死去代表作「八甲田山」「アラスカ物語」など)
C:「強力伝」
A:ごうりきでん
(1951年この作品で1956年に直木賞受賞新田次郎=1912年長野生まれ気象学者として活動し、1951年↑でサンデー毎日大衆文芸現代の部一等となる1974年吉川英治文学賞受賞1980年死去代表作「八甲田山」「アラスカ物語」など)
Q:大分県にある山
C:「一尺八寸」山
A:みおう
(大分県山国町と日田市の境にある標高706.7mの山名前の由来はここに住んでいたキツネの尾の長さが一尺八寸(約54.54cm)あったから、3頭のイノシシの尾の長さの合計が一尺八寸あったから、など諸説)
C:「一尺八寸」山
A:みおう
(大分県山国町と日田市の境にある標高706.7mの山名前の由来はここに住んでいたキツネの尾の長さが一尺八寸(約54.54cm)あったから、3頭のイノシシの尾の長さの合計が一尺八寸あったから、など諸説)
Q:源義経が雨宿りした富山県の地名
C:「雨晴」
A:あまはらし
(富山県高岡市義経が奥州へ逃れる途中、この地で雨宿りをしたことに由来弁慶が太刀を海に投げて雨を止ませたという伝説もある)
C:「雨晴」
A:あまはらし
(富山県高岡市義経が奥州へ逃れる途中、この地で雨宿りをしたことに由来弁慶が太刀を海に投げて雨を止ませたという伝説もある)
Q:日露戦争・日本海海戦で活躍した参謀
C:「秋山真之」
A:あきやまさねゆき
(1868年愛媛生まれ海軍兵学校を首席で卒業日露戦争では作戦参謀として「三笠」に乗艦した友人に正岡子規がいる)
C:「秋山真之」
A:あきやまさねゆき
(1868年愛媛生まれ海軍兵学校を首席で卒業日露戦争では作戦参謀として「三笠」に乗艦した友人に正岡子規がいる)
Q:那覇空港から最寄のIC
C:「豊見城」
A:とみぐすく
(那覇空港自動車道豊見城東道路)
C:「豊見城」
A:とみぐすく
(那覇空港自動車道豊見城東道路)
Q:海女で有名な三重県鳥羽市の地名
C:「石鏡」
A:いじか
(かつて沖にあった岩の空洞から島の向こう側が見える様子が鏡にこちら側の景色が映っているように見えることに由来)
C:「石鏡」
A:いじか
(かつて沖にあった岩の空洞から島の向こう側が見える様子が鏡にこちら側の景色が映っているように見えることに由来)
Q:古代中国の集落
C:「邑」
A:ゆう
(「むら」も可)(竪穴住居集落として作られ、一つの邑には同じ一族が住んだ)
C:「邑」
A:ゆう
(「むら」も可)(竪穴住居集落として作られ、一つの邑には同じ一族が住んだ)
Q:病気の一種
C:「糜爛」
A:びらん
(皮膚が炎症によってただれる)
C:「糜爛」
A:びらん
(皮膚が炎症によってただれる)
Q:「日本百名山」に選ばれた、群馬県と栃木県の県境にある山
C:「皇海山」
A:すかいさん
(栃木県南部、群馬県との県境にある成層火山標高2144mで、日光火山群に属する)
C:「皇海山」
A:すかいさん
(栃木県南部、群馬県との県境にある成層火山標高2144mで、日光火山群に属する)
Q:錦鯉の養殖で有名な新潟県の都市です
C:「小千谷市」
A:おぢやし(おじやし)
(1954年北魚沼郡の小千谷町、同城川村、同千田村が合併して市制施行2004年に台風による水害と中越地震で大きな被害を受けた)
C:「小千谷市」
A:おぢやし(おじやし)
(1954年北魚沼郡の小千谷町、同城川村、同千田村が合併して市制施行2004年に台風による水害と中越地震で大きな被害を受けた)
Q:長野や奈良が代表的
C:「門前町」
A:もんぜんまち
(「もんぜんちょう」も可)(寺社の門の前に栄えた町参拝客相手の商店や宿泊施設が中心となって栄えた長野は善光寺、奈良は東大寺や法隆寺など)
C:「門前町」
A:もんぜんまち
(「もんぜんちょう」も可)(寺社の門の前に栄えた町参拝客相手の商店や宿泊施設が中心となって栄えた長野は善光寺、奈良は東大寺や法隆寺など)
Q:能登半島にある海女が住む孤島
C:「舳倉島」
A:へぐらじま
(輪島市の北50kmほどにある渡り鳥の中継地として有名)
C:「舳倉島」
A:へぐらじま
(輪島市の北50kmほどにある渡り鳥の中継地として有名)
Q:(問題文不明)京都の地名
C:「御陵」
A:みささぎ
(京都市山科区にある地名御陵=天皇の墓所天智天皇山科陵が近いことに由来同名の京都市営地下鉄・京阪京津線の駅がある)
C:「御陵」
A:みささぎ
(京都市山科区にある地名御陵=天皇の墓所天智天皇山科陵が近いことに由来同名の京都市営地下鉄・京阪京津線の駅がある)
Q:(問題文不明)
C:「甑島」
A:こしきじま
(鹿児島県西方沖に浮かぶ列島上甑島・中甑島・下甑島・野島・近島・双子島からなる甑島郡の上甑村・下甑村・鹿島村・里村があったが、2004年に川内市などと合併し薩摩川内市となった)
C:「甑島」
A:こしきじま
(鹿児島県西方沖に浮かぶ列島上甑島・中甑島・下甑島・野島・近島・双子島からなる甑島郡の上甑村・下甑村・鹿島村・里村があったが、2004年に川内市などと合併し薩摩川内市となった)
Q:(問題文不明)
C:「馮道」
A:ふうどう
(「ひょうどう」でも可)882年生まれ五代十国時代の政治家初め燕に仕えるが、主君に意見したため幽閉され、後に救出されて後唐に仕える後梁以外の五代王朝全てに仕えた)
C:「馮道」
A:ふうどう
(「ひょうどう」でも可)882年生まれ五代十国時代の政治家初め燕に仕えるが、主君に意見したため幽閉され、後に救出されて後唐に仕える後梁以外の五代王朝全てに仕えた)
Q:(問題文不明確)広島県にある市
C:「三次市」
A:みよしし
(1954年市制施行2004年に双三郡などと合併し、新「三次市」となる)
C:「三次市」
A:みよしし
(1954年市制施行2004年に双三郡などと合併し、新「三次市」となる)
Q:(問題文不明確)島根県にある温泉
C:「温泉津」
A:ゆのつ
(約1300年前に発見された温泉津町だったが、2005年に大田市などと合併した)
C:「温泉津」
A:ゆのつ
(約1300年前に発見された温泉津町だったが、2005年に大田市などと合併した)
Q:中国黒竜江省の省都
C:「哈爾浜」
A:ハルビン
(「白鳥」という意味の満州語に由来松花江の河畔に位置する年12世紀には金の最初の首都が置かれた)
C:「哈爾浜」
A:ハルビン
(「白鳥」という意味の満州語に由来松花江の河畔に位置する年12世紀には金の最初の首都が置かれた)
Q:(問題文不明)
C:「吉田稔麿」
A:よしだとしまろ
(1841年長州生まれ久坂玄瑞、高杉晋作らと松下村塾で学び、三秀と呼ばれる奇兵隊に参加するが、1864年池田屋事件で新撰組に殺害された)
C:「吉田稔麿」
A:よしだとしまろ
(1841年長州生まれ久坂玄瑞、高杉晋作らと松下村塾で学び、三秀と呼ばれる奇兵隊に参加するが、1864年池田屋事件で新撰組に殺害された)
Q:(問題文不明)
C:「土田麦僊」
A:つちだばくせん
(1887年新潟生まれ1811年に小野竹喬らと仮面会を結成し、また黒猫会に参加するその後1918年には国画創作協会を結成、各地で展覧会を開いた代表作「湯女図」など)
C:「土田麦僊」
A:つちだばくせん
(1887年新潟生まれ1811年に小野竹喬らと仮面会を結成し、また黒猫会に参加するその後1918年には国画創作協会を結成、各地で展覧会を開いた代表作「湯女図」など)
Q:武士に与えられた特権
C:「切捨御免」
A:きりすてごめん
(町民や農民に無礼な行為をされた場合、斬り殺しても良いとする規則ただし、実際には事前の届け出や事後の検証などが行われた)
C:「切捨御免」
A:きりすてごめん
(町民や農民に無礼な行為をされた場合、斬り殺しても良いとする規則ただし、実際には事前の届け出や事後の検証などが行われた)
Q:匈奴を打ち破った漢の武将
C:「霍去病」
A:かくきょへい
(紀元前140年生まれ大司馬大将軍となった霍光の異母兄紀元前121年に驃騎将軍となり、翌々年に大司馬となった)
C:「霍去病」
A:かくきょへい
(紀元前140年生まれ大司馬大将軍となった霍光の異母兄紀元前121年に驃騎将軍となり、翌々年に大司馬となった)
Q:北海道北部を流れ、日本海に注ぐ川
C:「天塩川」
A:てしおがわ
(総延長は256kmで信濃川・利根川・石狩川に次いで4位天塩岳を源流とし、天塩町で日本海へと注ぐ一級河川)
C:「天塩川」
A:てしおがわ
(総延長は256kmで信濃川・利根川・石狩川に次いで4位天塩岳を源流とし、天塩町で日本海へと注ぐ一級河川)
Q:(問題文不明)
C:「生花苗」沼
A:おいかまない
(北海道大樹町にあるアイヌ語で「波が越えて入る」という意味)
C:「生花苗」沼
A:おいかまない
(北海道大樹町にあるアイヌ語で「波が越えて入る」という意味)
Q:石見銀山がある島根県の都市
C:「大田市」
A:おおだし
(石見銀山は1526年に神谷寿貞が開発し、江戸時代には幕府直轄となるが1920年頃掘り尽くして閉山した)
C:「大田市」
A:おおだし
(石見銀山は1526年に神谷寿貞が開発し、江戸時代には幕府直轄となるが1920年頃掘り尽くして閉山した)
Q:秋のススキで有名な、奈良県にある高原
C:「曽爾高原」
A:そにこうげん
(曽爾村にある)
C:「曽爾高原」
A:そにこうげん
(曽爾村にある)
Q:古代中国における北方民族の呼称
C:「北狄」
A:ほくてき
(匈奴・鮮卑・柔然・韃靼・契丹・突厥・蒙古・ウイグルなど北方の異民族を卑しんで呼んだ語)
C:「北狄」
A:ほくてき
(匈奴・鮮卑・柔然・韃靼・契丹・突厥・蒙古・ウイグルなど北方の異民族を卑しんで呼んだ語)
Q:エルトール型などがある疫病
C:「虎列刺」
A:コレラ
(コレラ菌による経口感染症下痢や脱水症状などを起こし、致死率はエルトール型では1桁台だがアジア型では80%近くに達する治療は抗生物質よりは電解質を補給しながら自然免疫に任せる方法が主流)
C:「虎列刺」
A:コレラ
(コレラ菌による経口感染症下痢や脱水症状などを起こし、致死率はエルトール型では1桁台だがアジア型では80%近くに達する治療は抗生物質よりは電解質を補給しながら自然免疫に任せる方法が主流)
Q:(問題文不明確)腸などの粘膜がただれて粘液が漏れる
C:「加答児」
A:カタル
(オランダ語"catarrhe"から滲出性炎症のこと)
C:「加答児」
A:カタル
(オランダ語"catarrhe"から滲出性炎症のこと)
Q:(問題文不明)
C:「巌谷小波」
A:いわやさざなみ
(童話作家本名季雄1870年東京生まれ尾崎紅葉らと硯友社を設立するが、1891年の『こがね丸』以降は童話を中心に活動代表作に『日本昔噺』『日本お伽噺』など)
C:「巌谷小波」
A:いわやさざなみ
(童話作家本名季雄1870年東京生まれ尾崎紅葉らと硯友社を設立するが、1891年の『こがね丸』以降は童話を中心に活動代表作に『日本昔噺』『日本お伽噺』など)
Q:(問題文不明)
C:「野母崎」
A:のもざき
(長崎半島にある岬野母崎町だったが、2005年に長崎市に吸収される形で合併)
C:「野母崎」
A:のもざき
(長崎半島にある岬野母崎町だったが、2005年に長崎市に吸収される形で合併)
Q:(問題文失念)
C:「咸宜園」
A:かんぎえん
(儒学者の広瀬淡窓が1817年に豊後(現在の大分)に開いた漢学塾で、高野長英ら4000人を超える門下生を持ち、江戸時代最大の私塾といわれる)
C:「咸宜園」
A:かんぎえん
(儒学者の広瀬淡窓が1817年に豊後(現在の大分)に開いた漢学塾で、高野長英ら4000人を超える門下生を持ち、江戸時代最大の私塾といわれる)
Q:(問題文不明)
C:「賤ヶ岳」
A:しずがたけ
(滋賀県にある1583年にここで柴田秀吉と柴田勝家が戦い、秀吉が勝利して織田信長の後継者の座を決定的にした)
C:「賤ヶ岳」
A:しずがたけ
(滋賀県にある1583年にここで柴田秀吉と柴田勝家が戦い、秀吉が勝利して織田信長の後継者の座を決定的にした)
Q:薩摩半島南部、茶業の盛んな町
C:「頴娃」
A:えい
(鹿児島県揖宿郡にある「えい茶」と呼ばれるブランド茶葉の生産で有名町名は11世紀末から15世紀初めにかけて栄えた頴娃氏にちなむ)
C:「頴娃」
A:えい
(鹿児島県揖宿郡にある「えい茶」と呼ばれるブランド茶葉の生産で有名町名は11世紀末から15世紀初めにかけて栄えた頴娃氏にちなむ)
Q:太陽の周りにでる光
C:「暈」
A:かさ
(太陽の周りに薄い雲がかかった際、その周囲に光の輪が現れる現象雲の中の氷の結晶が太陽光を屈折させるために生じる太陽のものを日暈、月のものを月暈という)
C:「暈」
A:かさ
(太陽の周りに薄い雲がかかった際、その周囲に光の輪が現れる現象雲の中の氷の結晶が太陽光を屈折させるために生じる太陽のものを日暈、月のものを月暈という)
Q:落ちぶれて世間から離れて暮らすこと
C:「逼塞」
A:ひっそく
(江戸時代の武士や僧侶に科された昼間の外出を禁止する刑の名前でもある)
C:「逼塞」
A:ひっそく
(江戸時代の武士や僧侶に科された昼間の外出を禁止する刑の名前でもある)
Q:江戸時代の画家
C:「池大雅」
A:いけのたいが(いけたいが)
(1723年京都生まれ本業は書家だが、その傍ら絵を描き、文人画を大成させた代表作山水人物図「山亭雅会図」、「十便十宜図」など)
C:「池大雅」
A:いけのたいが(いけたいが)
(1723年京都生まれ本業は書家だが、その傍ら絵を描き、文人画を大成させた代表作山水人物図「山亭雅会図」、「十便十宜図」など)
Q:武田氏が釜無川に施した大規模な治水工事の遺跡
C:「信玄堤」
A:しんげんづつみ
(山梨県甲斐市にある武田信玄が新田開発や治水のために建造させた堤防)
C:「信玄堤」
A:しんげんづつみ
(山梨県甲斐市にある武田信玄が新田開発や治水のために建造させた堤防)
Q:大分県竹田市の地名
C:「神原」
A:こうばる
(多くの神々が天から降り立ったとされる高千穂が近いことから)
C:「神原」
A:こうばる
(多くの神々が天から降り立ったとされる高千穂が近いことから)
Q:徳島県にある秘境
C:「祖谷」
A:いや
C:「祖谷」
A:いや
Q:ピーナッツで有名な千葉県の都市
C:「八街市」
A:やちまたし
(1992年市制施行市名は1869年明治政府がこの地にあった旧幕府の放牧地、小金牧と佐倉牧を開墾する際に「8番目に開墾する」という意味で「八街」という字名を付けたことに由来)
C:「八街市」
A:やちまたし
(1992年市制施行市名は1869年明治政府がこの地にあった旧幕府の放牧地、小金牧と佐倉牧を開墾する際に「8番目に開墾する」という意味で「八街」という字名を付けたことに由来)