プレイレポート > エーインランス帝国正史 > 第8章

119年

1月
ダンベスター宰相はジークバーク軍を攻撃することを提案、陛下もこれを承認する。
サット上級大将率いる5万の帝国軍はクリスミズ・オービメッツ元帥率いる敵軍2万2千とマニツェイルで交戦。
兵力に勝る帝国軍の勝利は確実と思われたが、オービメッツ元帥の指揮によって迂回してきた敵の小隊に本陣が奇襲され、帝国軍は敗退した。
ジークバークはこれを機に3ヶ月の講和条約を提示し、この戦いで1万の兵を失った陛下はこれを受け入れた。
この戦いでの活躍からオービメッツは人々から猛狼と呼ばれて恐れられるようになった。

陛下の長男、ランスワン・ミットダン殿下がご成人、立太子される。

5月
講和条約の期限が切れたため、帝国は再びジークバーク軍を攻撃することを決定する。
サット上級大将は3万の兵を率いてマニツェイルに侵攻し、オービメッツ元帥率いる敵軍2万がこれを迎撃した。
当初サットは本陣の奇襲を警戒して側面に兵力を投入していたが、敵の中央部が突出したため側面の兵力をもってこれを包囲する。
しかしがら空きになった側面は無防備になり、それを待っていたオービメッツは騎兵隊に本陣攻撃を命令、本陣は激しい攻撃を受けて撤退。
最初に中央部に突撃してきた敵は囮だったのだ。この戦いに敗北した帝国は今回も停戦しなければならなかった。

6月
ブルタンのワーレクス地方司令が帝国への帰属を表明する。

9月
帝国軍は逆賊ハスリア討伐のため、ハスリア領バイエツェに侵攻開始。バイエツェの守備兵7千は城に立てこもり、帝国軍3万がこれを包囲した。

ジークバーク軍が物資の援助を要請してくるが、バイエツェ出兵により物資の余裕がなかった帝国はこれを拒否、ジークバークは停戦の破棄を宣言した。

11月
タスクベルク軍の首領、パスハルト・タスクベルクが病死。
彼の二人の息子は国外にいたが、将軍たちは二人が戻るのを阻止、自分たちの勢力を築く。
タスクベルク軍の旧領は4人の将軍によって分割され、タスクベルク軍は今度こそ完全に瓦解したのであった。

120年

1月
帝国軍が包囲していたハスリア領バイエツェにハスリア自身が率いる救援部隊が到着、冬の寒さで消耗していた包囲軍は撤退を開始するが、
ハスリア軍の猛追撃を受けてカリムラーク少将は戦死、捕虜となったケンプラーニ准将が敵に降った。
この戦いで帝国は2万5千の兵を失い、ハスリアは講和を申し出たが陛下はそれを断った。

4月
クーデター後も暫定自治を続けていた武将の一人、パトテルク大将がツエマイヤー軍の脅迫に屈して降伏する。

5月
この月、陛下はハスリアに決戦を挑むべく諸国に逆賊ハスリア討伐の檄文を飛ばす。
ハスリア軍に境を接する諸国はすべてこの檄文に従い、ハスリア軍に宣戦を布告した。
しかしこの檄文はすぐに忘れられてしまった。群雄の一人ツエマイヤー軍が西方を急速に平定し、新たな脅威となりつつあったからである。

8月
蝗の大群が農地を襲い、各地で作物が食い荒らされるなど、甚大な被害が報告される。

10月
蝗の襲来により収穫量が激減、大陸全土が飢饉に見舞われた。陛下自身までもが食事の量を減らして倹約に努めなければならなかった。

121年

▲ツエマイヤー軍はわずか一年の間に恐るべき速さで西方一帯を平定し、そのまま大陸全土を統一せんばかりの勢いであった。
4月
ツエマイヤー軍に押されていくハスリア軍に見切りをつけたバイエツェのアーケイデンバー地方司令が帝国への帰属を表明する。

11月
ジムウィル伯ファヴァン・サットを北西部方面軍の司令官に任命。方面軍の拠点はブルタンに置かれた。

ケルンブルク軍の当主アグゴリィが病死。長子のピシャンが後を継ぐ。

122年

5月
ツエマイヤー軍の首領、ヤーアッツォ・ツエマイヤー。ラスケルン軍崩壊後の西方をわずか一年で制したのは彼であった。
ラスケルン軍という強敵から解き放たれ、大勢力を築いた名将。そんな彼を世間は放たれた虎と呼ぶようになった。

6月
ジークバーク軍の“猛狼”オービメッツ元帥が、自らが篭城する城を陥落させたツエマイヤー軍に降伏する。
彼は他国の軍のために前線で働くことを良しとせず、息子のアイルランドに家督を譲って地方司令として地方に隠退してしまった。

7月
この月、帝国に大きな脅威をもたらす知らせが入る。臆病者のハスリアがツエマイヤー軍の傘下に入ったのである。
エーインランスはツエマイヤー軍に掌握され、もはや大陸にツエマイヤー軍に敵う勢力はなくなった。

8月
ツエマイヤー軍がバイエツェに侵攻。ランスワン皇太子率いる帝国軍4万9千がこれを迎撃する。
最初は寡兵だった敵軍だが、続々と増援が到着し、皇太子は「西方では人が地から湧いて出るのか」と驚かれたという。
帝国軍は敗退し、バイエツェは失われた。皇太子は捕虜となったが、陛下は身代金を払ったため、解放された。

11月
陛下はツエマイヤー軍を逆賊としてツエマイヤー軍を打倒するための大同盟に参加することを諸国に要請する。
諸国は軒並みこれに従い、ここに反ツエマイヤー連合が結成された。

123年

5月
この月、ツエマイヤー軍はジークバーク軍に止めを刺すべく首都サンジュフェルトへ侵攻。
君主ガスノン・ジークバーク率いるジークバーク軍1万は数倍の敵を相手に最後まで奮闘し、玉砕した。

8月
ブラウラークのフルデリヒト地方司令がツエマイヤー軍に寝返る。

9月
サンジュハルト軍がヒルデスナイト会戦でツエマイヤー軍に大敗する。

ジムウィルのターセン地方司令がツエマイヤー軍に寝返る。

10月
ジムリヒトのゼニテルク地方司令がツエマイヤー軍に寝返る。

ツエマイヤー軍が帝国の同盟軍サンジュデンバー軍を攻撃。ジムウィル伯ファヴァン・サットが援軍として参戦する。
敵軍の圧倒的な兵力の前にサットは手も足も出ず、自らの部隊も崩壊、敵兵に取り囲まれ、生き残ったわずかな従者とともに自害した。
名声53

画像、能力値など

▲ランスワン皇太子はエーインランスの先帝の元で育てられたが、クーデターの中近衛兵たちに守られて命からがら脱出した。
▲隠居した父に代わって一線で活躍する良将。この後彼は歴史の大きな節目に深く関わることになる。
最終更新:2009年02月22日 19:12
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