ナイエイン・アクスブレ伝 > 1,宰相就任(800.1~801.6)

800年1月の勢力図(四角の囲いはセウェルス国の首都ハスウィル)


800年1月、当時 23歳であったナイエイン・アッピウス・アクスブレ(以下アッピウス)はルキウスが国を継いだ際にその補佐として元帥に昇格する。セプティミウス・セウェルス(以下ルキウス)とは幼少のころからの友人でありルキウスの留学にも同行した。
のちの評価ではアッピウスは元帥適任であったと言われる。

800年3月、隣国のサムソラー国へ侵攻。ケスライターの地において、サムソラー軍と対戦する。後にケスライター会戦と呼ばれる戦いにおいてルキウスの初陣に随行する。
(この作戦さえ成功すれば・・・)
彼は兵法においてはルキウスさえ舌を巻くほどの才があったがルキウスと同じく実際の戦は初めてである。

そして戦は始まった。

敵将の罵詈雑言に(予想通り)のったシュぺデンバー隊が猛然と進撃する。
「よし、今です!」
ルキウスの傍らにいた彼はルキウスに作戦実行のタイミングを告げた。
敵軍は追撃の手を強めるがそれもアッピウスの計画通りであった。
「ルキウス、ガルセント隊に伝令を。」
ルキウスにタイミングを告げ作戦を実行する。
「うぉぉ、伏兵とは小癪な・・・しかしわが軍は崩れておる、クソ!小僧め!」
敵将の叫びが聞こえてくる。作戦はしっかり成功したようだ。
「ではアッピウス、私は追撃してくる。本陣は任せた!」
「はい、いってらっしゃいませ」
武芸を得意とするルキウスを心配する必要はないこと、そして何よりも自身の作戦が成功したことにアッピウスは上機嫌に友人を見送る。
彼の作戦通りに偽退と伏兵の計が成功したことで敵軍を敗走させ侵攻は成功した。
彼の作戦なくしてルキウスの初陣の成功はなかっただろう。

800年5月、ベイシンフェルト国プルガルト城の攻略に着手。
ルキウスから指揮権を与えられた彼は総司令官として初めての戦に挑んだ。
そして同月のうちにアクスブレ軍の放った火矢が(偶然にも)プルガルト城の兵糧庫に命中。プルガルト城は兵糧切れによって降伏した。
表向きの歴史はこうなってはいるが、実はアッピウスが兵糧庫の兵を買収していたことによることだったそうだ。

800年9月、ケスライター西の攻防戦において、ウェルフリード軍と対戦する。この戦いはアルウィル元帥の提案によるものだった。
参謀長を担当し、みごと勝利。侵攻作戦は成功しウェルフリード領ケスライターを制圧した。
兵力差に開きがあったため事前の作戦を主君に伝えた後、自身は前衛で部隊を率いたという。
追撃にも加わり敵をケスレイター城まで敗走させた。
敵は籠城したがケスレイター城は老朽化が激しくあっけなく落城した。

801年1月、新年早々に隣国のベイシンフェルト国レイテデンバー城へ侵攻。この戦はまたもアルウィル元帥の提案だった。
彼我の兵力差が大きかったためベイシンフェルト軍はレイテデンバー城に籠城、そのため四方を包囲し攻略を開始した。
そして同月の終わり、アッピウスが改良した(と、後世に伝えられている)投石機によって城壁を破壊。その壊れた一角から城内への突入に成功、レイテデンバー城は陥落した。
これによりベイシンフェルト国の首都への隣接地をとったため、ルキウスにベイシンフェルト国への降伏勧告の開始を勧めた。

801年5月、彼の人生で最も重要だったと後に彼自身が語った一大イベントが起こる。ルキウスからセウェルス国宰相の任を受けた。
三元帥の中で最も知略に長け、さらにルキウスからの信頼が最も篤かったからであった。

801年6月、同月に降伏した元マクスボルク国君主、シシュ・マクスボルクを自身の派閥に招き入れる。
これで旧マクスボルク国の幕僚を多く抱え込むことに成功したアッピウスは宰相としての自身の地盤を固めるの成功した。

801.7時点の勢力図

  • セウェルス国初代宰相、ナイエイン・アクスブレの伝です。 -- 作者 (2012-11-27 22:44:13)
  • 主君セプティミウス・セウェルスを生涯支えることになる彼の人生の第一歩です。 -- 作者 (2012-11-27 22:45:06)
  • 愚かな管理人よ minatokuの神を崇めよ minatokuの神を畏れよ minatokuの神を奉れよ -- 田中謙介 (2023-06-28 00:40:23)
名前:
コメント:
最終更新:2023年06月28日 00:40
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。