【愛の行く末】第十七話 後編
+++桜田ジュン(6/23PM1:33薔薇学園3-B教室)+++
その戦いは誰も止めることが出来ない。争いの原因である僕は、二人の鬼気迫る姿に圧倒され、身動き一つ取ることが出来なかった。止めないといけないのに。彼女を、守らないといけないのに。そんな僕に出来ることは、彼女達が無事であるように、居るはずのない神に祈りを捧げることくらいだった。
「このキチガイ女ああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
――――!!!!!!
薔薇水晶が振り上げた机が、水銀燈の頭を直撃した。彼女の小柄な体の何処にそんな力が宿っていたのか?そして、殴られた水銀燈は断末魔を上げることもなく、そのまま動かなくなった。
決闘の後、そこに残されたのは―――
頭から大量の血を流しながら地に伏す水銀燈
体中を真紅に染め上げ、放心したかのようにその場にへたり込んでいる薔薇水晶
散乱した机や椅子とその中身
そして、教室中に広がる赤、赤、赤……
互いに武器を取り、僕を巡って殺し合った結末、それがこれだ。まるでスプラッタ映画のようなその光景に思わずむせる人もいた。気分を悪くしてその場を去る人もいた。声にならない悲鳴を上げる人もいた。それは、常人ではとても直視することが出来ないほどに狂気満ちた残酷な光景だった。
「…………」
僕はあまりの事態に、頭の中が真っ白になっていた。
『なんで?なんでこんなことに?』
僕は頭の中で呟いた。愛とはここまで人を変えてしまうものなのか?愛とは憎しみと同じ感情なのか?
―――まさか、こんなことになるなんて
間違ってしまったのか?僕達は間違ってしまったのか?一体何処で?いくら考えても決定的にずれてしまったところが思い出せない。こんなふうになんても、まだ……
薔薇水晶がぎこちない動きでこちらに振り向き、真っ直ぐに僕を見据えた。彼女は、こんな状況になったにも関わらず、顔に愉快な笑みを浮かべている。背筋が、凍りついた。体が震える。息がだんだん荒くなる。汗が全身から噴き出る。僕は怯えていた。人を一人を殺したかもしれないのに、何の躊躇なくこちらに笑顔を向けている彼女に。
「……ジュン……ジュン……ジュン……」
頻りに僕の名前を呟きながら、彼女は、血の池に手をついて立ちあがろうとした。
「うっ!!」
激痛に顔を歪めた彼女は、一瞬その場に蹲った。無理も無い。彼女の体は文字通り傷だらけで、そこからの出血も著しい。素人の僕から見ても、立つことはおろか、意識を保っているのも奇跡に近い事がわかる。今すぐにでも病院に入院しないと、もしかしたら本当に死んでしまうかもしれない。ここから見える薔薇水晶の顔は蒼白で、ただでさえ白い肌が紙のような色になっていた。―――それは「死相」という言葉を思わせた。
それでも彼女は立ちあがり、ゆらり、ゆらりとふらつきながらも、亀のような遅さで、一歩ずつ確実にこちらに向かって歩みを進める。ふと気が付くと、教室にいた者全員が廊下に退避し、ここには僕達二人(倒れた水銀燈を含めると三人)しか残っていない。
「ああ、あああああ、ジュン、ジュン、ジュン、ジュン……ううう、ああ、ジュン、ジュン……」
彼女は壊れたラジオのように僕の名前を連呼しながら、無事な左腕を差し伸ばす。彼女の瞳は、水銀燈と同じようにどんよりと曇り、視線は定まることなく虚空をさまよっている。薔薇水晶もまた、狂気にその身を蝕まれていた。その彼女のあまりな姿に、僕は思わず目を逸らす。もう嫌だ。こんなの、もう見たくない。もう滅茶苦茶だ!!分からない……どうなっているのかも……何をしたらいいかも……分からない……僕は……僕は……
―――ざくっ
なにか果物を切るような音が僕の耳に届いた。とても、良い音だった。それと同時に、薔薇水晶の目が大きく見開かれ、まるで酸欠状態の金魚のように口がパクパクと開閉した。そして、その体がぐらりと崩れかけた。なんだ?なにが起こったんだ?僕がそれを理解するまでに、四・五秒は掛かった。
ふと、僕の視界の隅に何かが引っかかった。僕は、なんとか目を動かし、そちらに視線を向けた。
目に飛び込んできた色は、黒と白。白黒の斑模様の、長くてボリュームのある髪が、まるで湖のように床一面に広がっている。その髪の長さから、それが女性であることは一目でわかった。突っ伏すように顔を俯かせているので、その表情を窺い知ることは出来ない。そして、その女の手に握られたナイフが、薔薇水晶の足を深々と切り裂いていた。それは、水銀燈の持っていたのと同じ物。こいつは、まさか―――水銀燈?
ズル……ズル……
彼女が立ちあがる―――ゆっくりと―――傷ついた体を引き摺って―――
薔薇水晶を、血走った赤い双眸で睨みつけるその女は、紛れもなく、水銀燈だった。
―――ドン!!
水銀燈が薔薇水晶に突き飛ばされた。それでも彼女は立ちあがり、薔薇水晶に向けてナイフを構える。
まさか、まだ戦うつもりなのか!?すでに両者が致命傷だと思われる箇所から信じられない程の血が出血している。このまま、殺し合っていたら二人とも出血多量で死んでしまう。それなのになんで戦おうとするんだ!!
(薔薇水晶、もういいだろ!?お前……苦しいんだろ?水銀燈にやられた傷が痛いんだろ? だったらもういい!!早く逃げろ!!じゃないと本当に死んでしまうぞ!!)
(もうやめろ水銀燈!!これ以上こいつを傷つけないでくれ!!お前だって凄い怪我じゃないか!? なのになんでまだ戦おうとするんだよ!?やめろ!!お願いだからやめてくれぇぇぇ!!!)
……わかっていた。心の中で叫びつつもわかっていた。この戦いは、誰かが止めに入らないと、どちらかが命を落とすまで終わらないことを……
早くしないと、早く二人を止めないと。そう思っても、僕の体は相変わらずにピクリとも動かない。
早く動け!!じゃないと薔薇水晶が、薔薇水晶が!!
それでも体は動かない。
動け!!動けよ畜生!!薔薇水晶が危ないんだぞ!!なのになんで動かないんだよぉ!!
くそ!!くそぉくそぉくそぉ!!!!!!!!!
くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!
それでも体は動かない。まるで、自分が銅像にでもなってしまったかのように。
(なんでだ。なんで動かないんだよぉ。なんで……)
僕は、その異常事態に一人ぼやいていた。そこにいきなり、
『やれやれ、貴方には期待していたのですが……』
という奇妙な声が聞こえてきた。
(だ、誰だ!?)
そう声に出そうとしても、声が喉元で堰き止められて口に出すことが出来ない
『私が一体何者か、そんなこと、今はどうでもいいでしょう。それよりも、貴方はいつまで自分を偽るおつもりですか?』
辺りを見回しても、教室の中には僕たち三人しかいない。外の連中が話しかけてきたわけでもなさそうだ。だけど、この声はどこかで聞いたことがあるような声だった。
(自分を偽る?一体なんのことだよ?)
『ああすみません、私としたことが、少し言い方を間違えてしまいました』
『声』はすまなさそうに言った。
『貴方は好きで偽っていたのではありません。なぜなら、貴方は洗脳されていたんですから』
―――なんだって?僕が、洗脳されてた?
(どういうことだよ?)
『はい?』
(洗脳ってどういうことだよ!?)
『言葉通りの意味ですよ』
『声』は肩をすくめたように言った。
『校舎裏、雪華綺晶、これだけ聞けばわかるはずです』
―――あのときか?僕は、校舎裏でのことを思い返してみた。
”ジュン様はばらしーちゃんを愛しているのです”
”ジュン様もばらしーちゃんを守り……何があってもばらしーちゃんを助けないといけません”
”愛していない女のことなんてどうでもいいじゃないですか。だって、ジュン様が心の底から愛しているのはばらしーちゃんなんですから”
『あのときに、御自分の意識がハッキリとしなくなったことがあるはずです。 そのときに貴方は雪華綺晶にMC(マインドコントロール)されたのですよ』
『声』は当たり前だ、と言った調子で言う。
でも、それじゃあ―――
(僕は、自分の意志で行動してたんじゃないのか?この薔薇水晶への思いも、全部偽者だって言うのか!?)
『いいえ、それは違います』
『声』はあっさりと否定した
『貴方が薔薇水晶を愛しているのは間違いない。しかし、それと同じくらいに水銀燈のことも愛していらっしゃる。 そのせいで、貴方の思いは、まるで波に翻弄される小船のように右へ左へ虚ろいでいる。雪華綺晶は、その思いを薔薇水晶に固定してしまったのです』
(…………)
『ですが、彼女のMCは素人に毛が生えただけの、酷く曖昧で不安定なもの。ですからこうやって少し揺さぶっただけで簡単に解けてしまった』
『元々この術は意志が強い者に効果はありません。貴方がこうも簡単に掛かってしまったのは、すなわち貴方自身の意志が弱かったからなのです』
(やっぱり、僕のせいなのか)
『……はい』
(そっか……)
僕は、死んでしまいたくなった。僕がちゃんとしてなかったせいで、
いつも綺麗でやさしかった薔薇水晶が……
いつも元気で明るかった水銀燈が……
全部、全部僕のせいだ……僕は……僕は!最低だ……自分で自分を殺したくなるくらいの……最低野郎だ。
『今しなくてはいけないことは、後悔し、今までのことを嘆くことですか?』
『声』が僕を諭すように言った。
―――わかってるよ。今、僕がしなきゃいけないことくらい。
僕は、決断力がなく、優柔不断で、人の気持ちにも気付かないような人間だ。でも、他人に一から十まで説明されないと何も出来ないような愚鈍な人間ではない。
―――思い返せば後悔だらけの出来事だった。
あのとき、水銀燈から逃げなければ
逃げずにこの気持ちとちゃんと向き合っていたら
自分の決定を他人任せにしなかったら
きっと、こんなことにはならなかったんだ。
でも、後悔したってもう遅い。それに、今しないといけないことは後悔じゃない。悔やんでも無駄だ。反省だけなら猿でも出来る。
僕が今すべきこと、それは―――――
一度目を閉じてフゥーッと大きく息を吐く。そして、心の箍を全て外し、頭の中を真っ白にする。余計なことは考えないように―――大事なことから目を逸らさないように―――
―――答えは―――出た
僕は、”彼女”を助ける!!
腕も動く、足も動く、今までのことがまるでウソのように、体が自由に動く。大丈夫だ、これならいける。
僕が目を開けたのと同時に、水銀燈がナイフを構え、薔薇水晶に向かって突進した。彼女は、薔薇水晶にトドメを刺すつもりだ!
「やめろおおおおおおお!!!!!!!」
僕は彼女を救うべく、全速力で駆け出した!!倒れた机を飛び越え、散らばったペンや消しゴムに足を取られそうになるも、間一髪のところで間に合い、その場で立ちすくんでいた薔薇水晶をどんっ!と突き飛ばした。そして―――
―――ドスッ!!
ナイフを受けた。薔薇水晶の代わりに、この、体で。
「ぐぅ……うぅ……」
冷たい物が体の中を突き抜る嫌な感触。凄まじいまでの痛みが体中に広がり、出血が体温を持っていく。
「え?ええ?え、えええぇぇ???」
水銀燈は、今起きていることが理解できないのか、呆然とした表情で僕を見上げている。
そんな水銀燈を、僕は痛みで震える腕でしっかりと抱きしめた。
「ぇぇぇ……そんな……そ……そんな……ぇぇぇ……!?」
水銀燈は、まだ混乱しているようだ。
「……ゴメンな……すい……ぎんとう……」
僕は、目を伏せて言った。痛みと出血のせいか、舌がうまく回らない。でも、これだけは伝えないと。
「ゴメンな……いっぱい……酷い……こ……と……言って……そ、それに……水銀燈の……気……持ちを……ずっと……無視……してて……」
口を開くと、中に溜まっていた血が微か溢れ出した。白が、黒が、だんだんと視界を覆い尽くしていく。
「僕は……き……の……もうような……立……派な……と……じゃ……ない……」「…………」「白……馬の……お……う子……様でも……な、ない」「…………」「良い……言……も見………らな…………あやま…る………と……し……か……出来………い…」「ぅ……ぅぁぁ」「ゴメン……ほんとに……ほんとに……ゴメンな………」
僕の言葉に、水銀燈は何も答えなかった。ただ、時々うめくような声をあげて、呆然とされるがままになっている。ただ、ただ呆然と―――そして、言いたいことの半分も伝えられずに、僕の体はずるりと滑り、崩れ落ちた。
―――意識が混濁していく。
だんだんと痛みも和らいできた。なんだか、体がふわふわする。現実離れした浮遊感に身を委ねつつ、『ああ、僕はここで終わるんだ』と思った。
でも、終わる前にこれだけは伝えないと、僕の、本当の思いを……
(水銀燈、僕は……お前が……)
意識を失う瞬間、最後の言葉を紡ごうとしたが、実際に出たのは、とても声は言えないようなかすれたものだった。
僕の気持ち……ちゃんと伝わったかなぁ……
――――――――――――――――――――――――――――
「……ぅ……っぁ……ぁ…………」
かすれた声で何かを呟いたのを最後に、ジュンはピクリとも動かなくなった。
私は、ピシャッと彼を中心に広がりつつある新しい血溜りの中に膝をついた。私は、今起こっていることが理解出来なかった。否、したくなかった。
「ねえ、冗談でしょう?」
倒れたジュンの体を優しく揺さぶる。あれだけ感じられた怒りも嫉妬も、今では完全に消え去っていた。
「起きなさいよぉ、ねえってばぁ」
軽く頬を叩いてみた。でも、なんの反応も無い。
「ジュン……ジュン……?」
ナイフが刺さったままの腹からの出血。生気が感じられなくなっていく彼の顔。今、私の目の前にあるもの全てが、ジュンとの永遠の別れを意味していた。
「ウソよね?こんなのウソよね?ほらぁウソって言ってよぉ……」
ジュンの目からは、完全に光が消え去っていた。
「い、いやああ!!目を開けてよぉ!!お願いだから目を覚ましてよぉ!!!」
彼の胸倉を掴んで必死に揺さぶる。それでもジュンは答えない。私が何を言っても叫んでも、ジュンはなにも返してくれない。もしかして、もうジュンは―――
後悔の念が込み上げる。
私は、湧き出る憎悪と殺意に身を委ね、薔薇水晶を殺そうとした。それが、ジュンを手に入れる一番の近道だと信じて。でも、その結果はどうだ?
薔薇水晶は傷つき倒れ、私自身も重傷を負い、そして、私は自分自身の手でジュンを―――
なんて私は愚かだったんだろう
なぜ私はこんなことしか思いつかなかったんだろう
なぜ、ジュンと薔薇水晶の仲を祝福することが出来なかったんだろう
私は自分が許せない。でも、いくら後悔したところでもう遅い。もう、全てが取り返しのつかないことになっていた。
「もう薔薇水晶には手を出さない!!!もうジュンの一番にしてなんて言わない!!! 二番でも三番でも!!ううん、一番下でも構わない!!もう好きになってなんて言わないからぁ!!! だから目を開けてぇ!!!お願い死なないでぇ!!!!!!!!」
でも、ジュンは目を開けてくれなくて……その優しい声で私の名前を呼んでくれなくて……
「嫌よぉ、こんなの嫌よぉ……絶対にぃ……絶対に嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
+++???(6/23PM1:39薔薇学園屋上)+++
天まで届くような叫びを上げて、水銀燈も彼に折り重なるように倒れ込んだ。そして、屋上からその一部始終を見守る人物が居た。
いや、人物と言っていいのだろうか?なぜなら彼は、”タキシードを着た八頭身の兎”だったからだ。現実にそんなものは、特撮物のヒーローショーのきぐるみくらいしか存在しない。
その兎は、被っているシルクハットを被りなおすと、ポツリと呟いた。
「……やはり彼は間に合いませんでしたか」
その声は、先ほどまでジュンに語りかけていた声と同じものだった。彼の見据える先では、ようやく他の生徒や教師が倒れている三人に向かって駆け寄っている。
「愛はこの世で最も美しく、尊いものの一つ。ですが、その愛も一歩道を踏み誤るだけで、 いとも簡単に狂気へと変貌する。そして、その狂気は、存在する全ての物を破壊する。 周囲も、相手も、自分も、そして、そのきっかけになった愛さえも……」
兎は教室から視線を外すと、屋上を移動し、ある一点を見下ろした。そこには、蒼星石と、彼女に問い詰められている翠星石の姿があった。翠星石の手には、何かが握られている、彼女はそれをさっと後ろに隠した。彼女達がなにを話しているのか、それはここからではわからない。
「あの糸達は、絡み合ったすえにみごとに断ち切られました。もう一方の糸である彼女達は、 これからどうなってしまうのか。それがいかなる結末になろうとも、私には見届ける義務が背負わされている。 極彩色の錦となって後の世に語り継がれるか。 それとも、もつれた末にあの三人のように破滅の道を歩むのか。 金糸雀 翠星石 雪華綺晶 彼女達の行く末、それは悦びか悲しみか…」
びゅぅぅぅぅぅぅぅ……
突然突風が吹き荒れ、屋上に砂埃が舞う。そして、風が止んだあとには、屋上から兎の姿は消え去っていた。まるで、最初から存在しなかったかのように。
続く
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。