~第二十六章~
~第二十六章~ 「よりにもよって、なんてモノに寄生されているの、彼女は」緊張のためか、真紅の口調は硬い。そして、結菱老人も、重々しく唸っている。この二人、明らかにナニかを知っている様子だった。 「ちょっと、真紅ぅ。アレは、一体なんなのよぉ?」 「ボクも訊きたいな。普通の植物じゃないって事は、一目瞭然だけどさ」水銀燈と蒼星石に問われて、真紅と結菱は、 「あれは……穢れた土地に自生する植物なのだわ」 「種を飛ばす事はなく、千切れた一部分からでも根付いて、繁殖するのだ」 「しかも、宿主の意識を乗っ取って、新たな繁殖先を探し回るのよ」かわるがわるに答えた。まるで、独りで全てを語ると呪われる……と、言わんばかりに。宿り木という常緑小低木は、実際に存在する。ひとえに生存競争を生き抜く為だが、この花も、その点では目的を同じくしている。ただ、前者は宿主を生かさず殺さず共生していくのに対して、後者は媒介者として利用するのみという違いがあった。 「けったいな植物ですぅ! でも、そうすると――」 「薔薇しぃのお姉さんは、あの植物に操られてるって可能性もあるかしら!」 「……それにしては、お姉ちゃんの意識が……ハッキリしてた」 「つまりぃ、意識を奪われて、記憶を共有してるのかもねぇ」だとしたら、幼少時代の薔薇水晶を知っていたのも納得できる。それに「穢れを植えつける」という言葉の意味も――最初は気にする余裕も無かったが、考えてみると不自然で、違和感を覚えた。ただ単に「殺す」で済むところを、わざわざ「植えつける」と言うなんて……。あの植物さえ排除すれば、雪華綺晶は正気を取り戻すかも知れない。薔薇水晶の心に、僅かな希望の光が射した。斬ると覚悟は決めたものの、やはり、助けられるものなら救いたかった。だって、彼女はこの世で、唯一の肉親なのだから。探し求めて、やっと会えたのに……こんな形でお別れなんて、悲しすぎる。もっと一緒に居て、ずっと一緒に暮らしたかった。そして、今までのこと――嬉しかったこと。頭にきたこと。哀しかったこと。楽しかったこと。いろんな話をして、隔てられた時間を、思い出で埋め尽くしたかった。 「真紅っ! あの花を枯らすには、どうすれば良いです?」 「あの、頭みたいな薔薇を散らしたら……ダメかな?」誰もが思い付きそうな考えを口にして、剣を構える蒼星石。真紅は、厳しい口調で、軽はずみな行動をしないように諫めた。 「待ちなさい、蒼星石。それだけは、絶対にダメよ」 「左様。あの植物の根は、全身の神経に張り巡らされているのだぞ」 「無理に散らしたり、引き抜こうとすれば、彼女は死んでしまうのだわ」 「視神経は脳に繋がっているから、迂闊な真似はひかえるべきかしら」真紅ばかりか、結菱と金糸雀にも自制を促されて、蒼星石は歯噛みした。では、どうすれば良いのだろう。真紅と結菱老人は、あの植物の正体を知っている。――だったら、対処法も承知しているのではないか? 「真紅っ。お願い……どうすれば良いか、教えて! お姉ちゃんを助けられるなら…………私、どんな事でも……するから」薔薇水晶に真剣な眼差しを向けられて、真紅は返答に窮した。正体は知っていても、駆除の仕方となると、知識が無かったのだ。助言を求めて結菱老人に目を向けるが、彼もまた眉間に深い皺を寄せて、頭を振った。憑き物ならともかく、結菱老人でさえも、この手の化け物を相手にした経験は無いのだろう。こういった症例は、あまり語られることが無いけれど、決して少なくない。にも拘わらず、真紅や結菱老人の元に連れて来られる患者は、極めて稀であった。他の憑き物と異なり、常人の目にも見えてしまう事が、一因だろう。高額の謝礼を惜しむ患者の親類縁者が、退魔師や神官を頼らず安易に引き抜いたり、切断して、患者を死なせているからだと思われた。――薔薇水晶に、なんと答えれば良いのだろう。駆除の方法は分からないから、救いようがないと伝える?姉の救助に期待を募らせる彼女に、そんな無慈悲な事、言える訳がない。ならば、どうするか。 (あの時の応用が、出来ると良いのだけれど)真紅は、翠星石に取り憑いた猫又を祓った状況を思い出した。憑依と寄生の違いはあれども、対処は相通じる。あの植物を、雪華綺晶の身体から追い出すには……。 「雛苺。貴女の精霊を、いつでも起動できる様にしておいて。 蒼星石と水銀燈、結菱さんは、雛苺の護衛をしてちょうだい」 「解ったよ、真紅。こっちは、ボクたちに任せておいて」 「私たちは、どうするです?」 「翠星石と金糸雀は、私と薔薇水晶の援護を頼むわ。 可能な限り、獄狗の動きを止めておいて欲しいのよ」 「了解したかしらっ!」全員が、素早く持ち場に着いて、雪華綺晶と獄狗の動向に注目する。彼女は今、獄狗と共に睡鳥夢の縛めを突き破ろうとしていた。めりめりっ! と樹皮の爆ぜる音が、木立の中に響きわたる。獄狗が激しく身を震わせる度に、木々の枝が粉砕されていった。睡鳥夢の縛鎖から逃げられてしまったら、もう捕縛できないだろう。 「まだ逃がさねぇですよ! 睡鳥夢、押し潰すくらいの勢いで行くですっ」木々の枝が繁茂して、獄狗を抑え付ける。同時に、雪華綺晶を弾き飛ばした。雪華綺晶は、猫のように空中で身体を捩って、事も無げに着地する。そして、翠鳥夢に雁字搦めにされた獄狗を格納した。黒い霧と化した精霊が、雪華綺晶の背後へと吸い込まれていく。 「……ふぅ。流石に、これだけ揃うと一筋縄ではいきませんわね」折れた槍を投げ捨てて、雪華綺晶は指を鳴らした。それを合図に、ひたひたと……穢れの気配が押し寄せてくる。木陰や下草の茂みから、木々の間から、頭上の枝から、穢れの軍勢が沸き出す。 「どれだけ数が多くたって、睡鳥夢と縁辺流で一撃粉砕ですぅ」 「そんな余裕を、私が与えると思っているのですか?」くすっ……と笑った直後、雪華綺晶は翠星石に向かって全力疾走していた。前衛の真紅と薔薇水晶は無視して、脇を擦り抜ける。薔薇水晶の援護をしていた金糸雀が、急遽、翠星石の援護に回った。 「これでも、食らうかしらっ!」氷鹿蹟の突進に併せて短筒を引き抜き、雪華綺晶の足元を狙って全弾速射する。雪華綺晶は大きく飛び退き、金糸雀めがけて、右腕を振り下ろした。かなり距離が離れていると思ったのに、短筒は金糸雀の手から叩き落とされる。更に、氷鹿蹟までが、水晶の角で雪華綺晶を跳ね上げる寸前、真横に払い飛ばされた。 「えぇっ? な、なんでかしら?」訳が分からず呆然とする彼女の前で、今度は翠星石が何かに弾き飛ばされて、背中から木の幹に激突した。翠星石は悲鳴を上げる間もなく、気を失った。それを見た蒼星石は、雛苺の護衛役であることを失念して、つい条件反射的に姉の元へと駆け寄ってしまった。その隙を衝いて、細い何かが空を切って伸び、雛苺の身体に巻き付く。見れば、それは棘の生えた蔓で、辿っていくと雪華綺晶の右腕に行き当たった。雪華綺晶がグイと蔓を引き寄せると、雛苺は宙を飛んで、彼女の足元に転げ落ちた。敵将の左手が、雛苺の細い喉を鷲掴みにする。 「か……ふぁ!」 「まずは、一匹目ですわね」ぐいと引き寄せられた雛苺の眼前に、牙を生やした薔薇の花が迫っていた。声を発することも出来ずに、怯える雛苺。薔薇の花は嬲るように、じわじわと、涙を溢れさせた瞳に近付いていく。けれども、あと僅かで雛苺の瞳に食らい付こうかと言うところで、雪華綺晶は絶叫を上げた。彼女の甲冑の隙間に、雛苺が縁辺流を押し込んでいたのだ。 「ぐはぁっ! や、やめろ……入って……くるなぁっ!!」雪華綺晶は、雛苺を放り出して、苦悶に喘いだ。彼女の全身に張り巡らされた穢れの根が枯れて、浄化されていく。身体が引き裂かれていく様な激痛が、雪華綺晶を襲い、苛んでいた。立っていることも儘ならず、雪華綺晶は倒れ、地面を転がり、悶える。彼女の背中から這い出してきた獄狗もまた、粘つく唾液を垂らして苦しんでいた。指揮官の変貌に気勢を削がれたらしく、足軽どもの攻撃は統率を失い始めた。連携の取れていない散発的な攻撃は、各個撃破される標的でしかない。幾らも経たずに、敵は潰走を始めた。それを追って、水銀燈と蒼星石の二人が、速やかに残敵の掃討に移る。真紅は、苦しみ悶える雪華綺晶の元へ駆け寄り、退魔の法を準備し始めた。ここまで来たら、神剣の加護と己の力を信じて、全力を尽くすだけだ。 「金糸雀っ! 雛苺を、看てあげてちょうだい」 「任せるかしら。ヒナ! もう少しだけ、頑張るかしら」 「……う……うぃ。ヒナ……頑張る、の」真紅は、完成した法術を、雪華綺晶の額から押し込んだ。どれほどの効果があるかは、正直なところ解らない。悪い方に転ぶか。それとも縁辺流の効力と相俟って、良い方に転ぶか……。 「ぐ、うあ……あぁぁぁ」雪華綺晶は目を見開き、両手で頭を抱え込んだ。彼女の側で苦悶する獄狗と同様に、口の端から唾液を垂れ流している。全身から滝のように発汗して、体表からは、うっすらと湯気が立ち上っていた。このまま、乾涸らびて死んでしまうのではないか?隣で気遣わしげに見守る薔薇水晶の眼前で、雪華綺晶は激しく痙攣し始めた。 「お、お姉ちゃんっ!」矢も楯もたまらず、薔薇水晶は雪華綺晶の脇に跪いて、姉の肩に手を伸ばした。懸命に押さえ込んで、痙攣を鎮めようとしている。 「死んじゃヤダっ! 死んじゃヤダよぅ!」いつになく感情を爆発させる薔薇水晶を、真紅と水銀燈が引き離した。まだ、完全に穢れが祓われた訳ではない。迂闊に近付いて、あの薔薇の花に囓られでもしたら、また穢れの感染者が増えてしまう。翠星石と雛苺の治療に回っていた金糸雀が、やっと様子を見に来た。しかし、この呪術的な場面では、医学の出る幕は無い。依然として苦しみ続ける雪華綺晶を、手をこまねいて、眺めることしかできない。だが、彼女の右眼から伸びる穢れの花は、明らかに萎び始めていた。あと少しで、枯れそうだ。雪華綺晶が力尽きるのが先か。それとも、花が枯れるのが先か。果たして、どちらが……。 「微力ながら、儂も協力しよう」結菱老人は、そう言うと雪華綺晶の身体に両手を翳して、瞑想を始めた。穢れの花が、鬱陶しそうに頭を振り、老人の手に噛み付こうとする。けれど、もう力が残り少ないのか、花は老人の元まで伸びて行かなかった。――どうか、助かって。薔薇水晶は、溢れる涙を拭いもせずに、苦しむ姉の姿を見守り続けていた。 びちゃっ!不意に、熟した果実が落ちて潰れた様な音がした。それも、かなり近くで。敵の新手? いいや、違う。どれだけ雪華綺晶の容態に気を取られていようと、敵が来れば、気配で判る。――では、何の音だったのか。 「うっ! こ、これは――」目を向けた蒼星石は息を呑み、言葉を詰まらせて、口元を手で覆った。そこに転がっていたのは、腐り落ちた獄狗の頚だったからだ。けれど、腐乱したのは双頭の内の一方だけ。残った一方は、まるで憑き物が落ちたかの様に、清々しい顔をしている。 「精霊までが、穢れの植物に寄生されていたと言うの?!」 「ボクらの精霊と違って、召還型の特殊攻撃精霊は、契約者と同体だからね」 「そう考えると、有り得ない話じゃあないわぁ」 「……まったく、とんでもない植物かしら」 「雛苺が居てくれて、ホントに助かったのだわ」もしも縁辺流の力が無かったら、今頃は雪華綺晶を殺していたかも知れない。或いは、その逆の展開も……。 「とりあえず、精霊の憑き物も落ちて、容態もヤマを越えたみたいねぇ」 「ボクらも早く、応急処置が必要な人を屋内に運び込もうよ」真紅たちは手分けをして、翠星石、雛苺、そして雪華綺晶を古刹に運び込んだ。 ――お前たちは、呪われた存在だ!村人達は、口々にそう言って、私たち家族を村八分にした。私たちは、お母様と私……そして、妹の薔薇水晶の三人家族。お父様は早くに病死して、お母様は女手一つで、私たち姉妹を養ってくれた。私たちは貧しかったけれど、三人で力を合わせて、幸せに暮らしていた。綺麗で、優しくて、とても思いやりのある女性――私たち姉妹の、憧れの女性――それが、私たちの……自慢のお母様。なぜ、周りの人々は、私たちが呪われた存在だと言うのだろう?幼かった私たちは、何も知らなかった。知らされなかった。お母様が、狗神筋の人間だったなんて事は、何も――十八年前……私が五歳、薔薇水晶が四歳の時に、村は戦禍に焼かれた。そして、私たちの大好きなお母様も、殺されてしまった。私と薔薇水晶は、山に逃れて助かったものの……。食べる物も無く、寒さを凌ぐ上等な服も無く――それでも、私たち姉妹は身を寄せ合い、辛うじて生きていた。食べられそうな物なら、道ばたの雑草でも、樹皮でも、昆虫さえも口にした。だけど、それも限界がある。私の腕の中で、お腹を空かせて、衰弱しきった薔薇水晶が冷たくなっていく。――ダメ! 死んじゃダメ!呼びかける私の声も、死に逝く妹には届かない。そして、私の命もまた…………尽きようとしていた。 「薔薇水晶っ!」雪華綺晶は、やおら大声を上げて跳ね起きた。よほど悪い夢を見ていたのか、びっしょりと寝汗をかいている。呼吸が荒い。 「……どこ……ですの? ここは」辺りは、真っ暗闇。ああ。ひょっとして、これが冥府と呼ばれる所?だとしたら、両親や、妹に会える筈だ。また、家族が揃って一緒に暮らせる。 「お、姉、ちゃん?」不意に、すぐ真横で、夢にまで見た妹の声がした。良かった。私を、迎えに来てくれたのね。雪華綺晶は微笑み、そして、涙を流した。 「薔薇水晶……。ああ、そうか。私、やっと死者の世界へ来られたのですね?」 「? ううん、違うよ。お姉ちゃんは、死の……穢れの世界から、戻って来たんだよ。 私の元へと、帰ってきてくれたんだよ」 「私が? 私…………まだ、生きてますの?」 「うん、生きてるよ。そして、私も――」徐に、雪華綺晶の手が、温もりに包み込まれる。薔薇水晶が、両手で優しく握り締めているのだと、直ぐに察しが付いた。 「……ああ。温かい。薔薇水晶の手……とても、温かいですわ」 「ずっとずっと、会いたかったよ……お姉ちゃん」 「ええ……ええ。私も、ずっと……薔薇水晶に会いたかった」夜闇に包まれた古刹の中で、姉妹はしっかりと抱き合い、歓喜の涙を流した。寝たフリをして、彼女たちの会話を盗み聞いていた真紅たちも、二人の再会を喜び、そっ……と涙を流すのだった。 =第二十七章につづく=
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