しん、しん、しん。
「――くしゅん」
「――寒いですね」
「隙間風がちと酷過ぎやしないか?」
「我慢ですよ、坊っちゃん」
「全く…店の中には有る癖して、どうして此方には無いんだよ…」
「だから炬燵が有るんじゃないですか。頭寒足熱ですよ」
「くそう、上手く言いくるめちゃって…」
「さあ、そろそろ仕度を始めましょう。呉服屋『さくらだ』、開店ですよ――」
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「――はあ…今日はまたお客さんが少なかったな…こんな寒さじゃあ仕方無いか…
――ううっ、寒いな。店の中と外でこんなに寒さが違うのか…」
「そうねぇ…新しいストーブ、買った方が良いのかしらねぇ…」
「是非ともそうしてくれ、姉さん。此の寒さは敵わん」
「そうね…今度、電気屋さんに買いに行こうかしら…
あっ、そうだ。ジュン君、豆腐切らしてたんだったわ。買ってきてくれないかしら?」
「ええっ!?こんな寒いのにか…」
「お願いよぅ、ジュン君。私達だって忙しいんだから」
「はあ…分かったよ。行ってくれば良いんだろう?はあ…――」
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「――ううっ、寒いな…肌襦袢、着て来て正解だったな……
…済みません」
「いらっしゃい!おっ、坊っちゃんじゃあないか。随分長い間顔を見なかったな!
今日はまた一段と寒いねぇ、雪まで降ってらあ!」
「本当ですよ。此の寒さは身体に堪えます…貴方も、其の格好で寒く無いのですか?」
「此れ位ならまだまだ我慢出来るってもんよ!何せ、冷たい水の中に手ぇ突っ込んで豆腐を取らにゃあならんからな。まあ、此れは此れでまた病み付きになっちまうんだよ。ははっ」
「そうですか…いやはや、羨ましいのか、羨ましくないのか、複雑な気分ですよ…」
「はは、但し慣れるまでが本当の地獄だったんだがねっ。
――処で坊っちゃん、あの娘の居処はもう判ったんかい?」
「いやいや、僕は知りませんよ。そもそも、行先を追ったりなどしておりませんですし」
「とか何とか言っちゃって、本当は心配で堪らないんじゃ無いのかい?」
「そうですね。ま、心配じゃ無いと言ったら嘘になりますね。
でも、きっと、元気にしてますよ」
「そうだと良いんだがねえ…やっぱり、俺も気になっちゃうんだよな。結構偶に、買いに来てくれてたからなぁ…
――ほれ、八十円だっ」
「有難う御座います。……あの娘なら、今頃元気でやってますから…」
「…なあ、坊っちゃん。本当に逢わなくて、良いのかい?」
「…………」
「……済まねえ」
「…や、謝らなくても良いですよ。
――では、此れで。有難う御座いました」
「毎度っ。
…坊っちゃん、俺はあの娘は確りやってると思うよ。だってあんなに強い娘なんだもんなぁ!
…あの娘が無事なのを、俺は祈るとするよ」
「…………
祈る、か……――」
《とある夢と微睡みの先での出来事》
しん、しん、しん。
「――御馳走様」
「お粗末様でした」
「――其れにしても、最近は本当に着物を買う人が減ってきたなあ…皆買って行くのは小物ばかり…」
「そうですねえ…矢張、そんなにしょっちゅう買う物じゃ無いし、其れに、うちのは他に比べて値段が高いですからね…」
「だからと言って廉価品を売ると言う訳にも行かないしな。どうするか…」
「…私は、妥協も必要だと思うんだけど。最近、安価な羊毛なんかの素材を使ったのも出てきているらしいし――」
「駄目だ。代々続いてきた『さくらだ』の名を汚す訳にはいかん。其れだけは駄目だ」
「でも――」
「駄目なものは駄目だ」
「…………」
「ま、まあまあ坊っちゃん…」
「…あの娘が、居てくれたらなあ…」
「…何故彼奴の話になる」
「だって…あの時の賑わい振りと言ったら。同じ形の服が幾つ売れた事か…」
「……彼奴が居なくたって十分売れているさ」
「そんな事無いじゃない!確実に売り上げは減っているのよ!?潰れた店だって、少なく無いのよ?そんな綺麗事ばかり言っていたら――」
「店の看板を守る事の何処が綺麗事なんだよ!姉さんは何も解っちゃいない!」
「私の方が、店の事はよく知ってるわよ!此の侭じゃ確実に赤字なの…今の内に手を打たなきゃいけないの!」
「だからと言ってそんな真似は許さんぞ」
「何よ…まだ翠星石ちゃんの方が物分かりが良いわ…
ジュン君よりよっぽど頼り甲斐が有るわよ!」
「何だと――」
「二人共、お止めなさい!」
「…………」
「どうしたのですか、二人共?…此処最近、ずっとじゃないですか…」
「…………」
「…もう寝る。お休み」
「…………」
「……のりちゃんも、少しは抑えて下さい。貴女が止まらないと坊っちゃんも止まらないんですから」
「御免ね、おばさん……
――はあ、どうして私、こんなに苛々しちゃってるのかしら…」
「仕方御座いませんよ。貴女の気持ちは痛い程分かります。
――坊っちゃんも、同じなのです。もしかしたら、あの人が一番心配しているのかも……」
「ええ――ええ…分かってるの…あの子が一番辛いって事位――」
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『――やっぱり、行くの?――ああ、国からの招集だ、行かなきゃならん――』
…また、此の夢か。
『――して、どうして――仕方――無いだろう――』
…止めろ。もう懲り懲りだ。
『――仕方無くなんか、無いじゃない――』
…………
『――かないで、行かないで!――離せ!――』
…止めろ。僕は見たく無いんだ。
『――厭…いやぁっ!――』
…止めろ――止めろ!
『――其れは…できん!――』
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『――じゃあ、ジュン君、行ってらっしゃい――ああ、行ってくる――もう、泣くなよ、姉さん――』
…此れは……
『――巴、行ってくる――…………――』
…まだ、続くのか。
『――約束――戻って来たら、其の時は、籍を入れよう。だから――』
…早く…終わってくれ…もういい…
『――待って居てくれ。必ず戻る――』
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「――……う、ううん…
――此処は…何だ?真っ黒――や、真っ白…
…今、僕は落ち込んでいるのか?其れとも留まっているのか?一体何なんだ…」
――らだくん。
「…えっ、此の声…」
「…くらだくん――桜田君!」
「…まさ、か……柏葉、なのか…」
「ふふ、驚いた?」
「…嘘だろ…」
「あら、私の事を嘘呼ばわりなんて、酷いのね?」
「…ど、何処だ、何処に居る?」
「御免なさい。直接は顔を合わせられないの。貴方のたましいに直接話し掛けてるから」
「僕の…たましいに?」
「そ。何か変な感じだわ、ふふっ」
「…………
柏葉、柏葉……済まなかった…」
「…どうしたの、急に?」
「…あの時、君を――僕は見棄てて仕舞って…君には本当に悲しい思いを…」
「…本当よね」
「…………」
「貴方ばかり格好付けて、私は泣いてばかり。何とみっともない事でしょうね」
「そんな事無い!君の顔を見るのが辛くて…怖くなって逃げ出した僕の方が、ずっと…ずっと…」
「…ふふっ」
「……何だ?」
「やっぱり、桜田君なんだな、と思って。
あの人――蒼星石から聞いたでしょ?もうそんな事、とっくの昔に許してるって」
「然し…」
「もう、しつこいよ?しつこい人は嫌いだわ」
「うっ…わ、分かったよ…然し、本当に、赦してくれるのか?」
「…また言う…もう、嫌いになった」
「あっ…御免。もう言わないよ」
「ふふ。じゃあ、許します」
「…有難う…」
「…………
――でも、今の侭だと、やっぱり許せない」
「…何故だ?」
「貴方は、しなければならない事が有るのに、しようとしない。自分に嘘を吐いて、誤魔化して、其れから逃れようとしている」
「…………」
「貴方には、逢いに行かなければならない人が居る」
「…………」
「そうでしょう?」
「ああ。彼奴に、僕は逢わなければならない。
然し…その、君は…」
「あら、死んだ人の気遣いは無用よ?」
「…そんな事、言わないでくれよ」
「…だって、本当の事じゃない。私は、器を無くしたの。私の器は、もう無いの」
「…そんな事、無い。僕はまだ、君の事を忘れていない。僕の記憶の――僕の『箪笥』の中に、君との想い出は大切に仕舞ってある。だから…君は、器を無くしてなどいない。君の器は、僕の中に『在る』んだ」
「…そうかなあ」
「そうだよ」
「そっか…」
「…………」
「有難う」
「…どう致しまして」
「…やっぱり、桜田君と話していると、何だか暖かい感じがするな。…私は貴方の事が、好きなのね。ずっと、そして此れからも」
「柏葉…」
「ねえ、また貴方の事、ジュンって呼んで良い?」
「ああ、構わないよ――巴」
「ふふ。ねえ、ジュン?」
「何だ、巴?」
「私は、貴方に巡り逢えた事を、本当に幸せに思う」
「ああ。僕もだ」
「私は、とても幸せなの。だから――貴方にも幸せになって欲しい」
「…………」
「…彼女の事、好きなのでしょう?」
「――ああ、好きだ」
「なら、逢いに行きなさい。彼女も、貴方が来るのを待っているわ」
「…良い、のか…」
「ええ」
「そうか…だが然し、彼女が何処に居るのか…」
「――終点の駅を降りて直ぐの通りを右に曲がって、三軒目の処。其処に彼女は居るわ」
「何故君が――うわっ、落ちる!」
「ふふ、私は何でも知っているのよ?」
「と、巴――」
「貴方の幸せは、私の幸せ。どうか、幸せになって下さい。
――其れと、またお墓に、来て欲しいな。全てが…終わった後に――」
----------
「――う。此処は…僕の部屋…もう朝か…八時半…
今のは…夢、か――や、違うのだろうな。
――さて、行くか。待って、居るのだよな?ならば、迎えに行かねばな。
今度こそ、今度こそ。此のハンカチーフを、返そうじゃないか。いい加減、持ち主に戻りたい頃合いだろうしな。
待ってろよ。直ぐ行くからな――」
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「――終わったかい」
「ええ」
「そうか。お疲れ様。じゃあ、次は僕の番か――」
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しん、しん、しん。
「――みっちゃん、ちょっと出掛けてくるですよ」
「何処に行くの?」
「――彼処の川に、行ってくるですよ」
「川?こんな寒いのにまたどうして?」
「何と無く、ですよ。変ですか?」
「――ううん、変じゃないわ。冬の川って、嫌いじゃ無いわよ?あの物憂げな雰囲気が、昔の事を思い出させてくれる…
ああっ!懐かしき青春時代!私にだって花恥ずかしい乙女だった頃が――」
「ああもう、喧しいです!昔の思い出に浸るなら一人でするですよ!」
「何よぉ…冷たいわね」
「普通の人なら皆同じ事言うですよ。
其れじゃ、行ってくるです」
「行ってらっしゃい――」
さら、さら、さら。
「――綺麗ですね…
喉、乾いたです…ちょっと位、飲んだって構わんですよね?
――ぷはぁ。ふう、冷たくて美味しいです…
…………
皆、元気にしてるですかねぇ……
…………
ジュン…ちゃんとご飯食ってるですかね…のりさんやおばさんに、迷惑掛けたりしてないですよね……
――っ、うっ……泣いちゃ、泣いちゃ駄目です……うっ…駄目、ですってばぁ……
…………――」
----------
「――あれ、此処は?私は確か…川辺に…」
「――また、泣いていたのかい?」
「えっ、其の声…蒼星石!?」
「うん。僕だよ、翠星石」
「え…ええっ!?何処に居るですか、蒼星石っ!?」
「御免、今、僕は其方には居ない。別の処に居るんだよ」
「えっ、どういう事ですか?」
「要するに、君に直接語り掛けてるって事」
「……良く、解んねえです」
「まあ、そんな事どうだって良いじゃない。こうやって話が出来るんだから」
「そう、ですね…っ…ううっ…」
「どうしたの?」
「……やっと…やっと、貴女に逢えた…
蒼星石…私は貴女に、謝らなきゃいけないです。貴女の最期を…看取れなくて、御免です…」
「…………」
「…私は…妹を見棄てて仕舞った…最低の姉です…本当に、本当に……っ、うっ……」
「……ほら、また泣いた」
「…だって……」
「全く…子供の頃は、人に隠れて泣いていたのに…今の方が、泣き虫さんなのかい?」
「…………」
「ほら、もう泣かないの。僕の姉さんだろう?」
「…分かったです…」
「――『伝言』の事、覚えてる?
あのね、僕は君が来てくれただけで、最期に君の顔が見れて、本当に嬉しかったんだよ?
もう逢えない侭、死んで仕舞うんじゃないかって思っていた。――君は、涙目になりながら僕のもとに駆け寄って来てくれた」
「…………」
「…あの時、来てくれて有難う」
「…蒼星石…」
「だから、謝るなんて言わないで欲しいな」
「…分かったです」
「ふふ、じゃあ、此の話は此処でお終い。
僕が君に話をしに来たのにはちゃんと理由が有るんだ。
――ジュン君、此方に来ているみたいだよ」
「えっ――ジュンが!?」
「うん。そうみたい」
「嘘…どうして…連絡先、言わなかったですのに……」
「――愛の力、ってやつじゃない?」
「なななな、何を急に言いやがるですかぁ!」
「はは、ちょっとからかっただけじゃない」
「ふん、蒼星石にからかわれるなんて甚だ心外ですよ」
「そっか、ごめんごめん。
――逢わなくて、良いのかい?」
「…………
あんな別れ方して、今更逢えねぇです。合わせる顔が無いですよ」
「…でも、ジュン君は君に逢いに来ているんだよ?」
「でも…」
「もう、昔から意地っ張りなんだから!――逢いたいんでしょう?」
「……はいです…」
「…なら、逢いに行こう?大丈夫、上手く行くから。僕が保証するから」
「…………」
「……ね?」
「…分かったですよ。しゃーないから、行ってやるですよ」
「うん、行っておいで」
「ええ。行って来るですよ」
「うん……」
「…………」
「…………」
「…蒼星石」
「…何だい?」
「――貴女は私の、世界一の妹です。そんな妹を持った私は、幸せです」
「ふふ、そっか。僕も、世界一の姉を持って幸せだよ」
「蒼星石…」
「さて、もうそろそろ、君は行かなくちゃいけないよ。ジュン君、帰っちゃうからね」
「…ええ。きっちり、話してくるですよ」
「頑張ってね。そして――幸せになってね」
「勿論です。蒼星石の分まで、頑張るですよ。
――それじゃあね、蒼星石」
「うん。じゃあ、翠星石――」
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「――ううっ、此処は…戻って来れたんですかね…
…蒼星石、私、頑張るですよ。だから、そっちから見守ってて欲しいです。
…うっし!ジュン、待っとれですよ――」
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「――そっちも、終わったのね?」
「うん、滞り無く」
「そう…ふふ」
「どうしたんだい?」
「…やっぱり、あの人と話していると、昔を思い出すな、って」
「そう。僕もだよ。でも、もう…」
「…ええ、分かっているわ。まだ、やらなきゃいけない事が残っているものね」
「うん。最後の締めだ」
「…………」
「…本当に、良いんだね?」
「ええ。固より此の心算だったし、今更戻れる訳じゃ無いから。
――覚悟は、出来てるわ」
「そう。分かったよ――」
----------
しん、しん、しん。
「――済みません、何方か、いらっしゃいますでしょうか?」
「はいはーい――って、ええと、何方様ですか?」
「初めまして。桜田ジュンと申します。…ええと、すい――」
「貴方が噂のジュンジュンねぇ!?へえ、そう…貴方が…」
「ジ、ジュンジュン…」
「…あ、ごめんごめん。勝手にそう呼ばせて貰ってるの。あの娘がいつもジュンジュン言っているものだからつい、ね。
――翠星石に、逢いに来たのでしょう?」
「はい」
「…いやあ…貴方の眼、恋している眼よ…良い眼ね…」
「は、はあ…」
「ふふっ。あの娘なら出掛けているわ」
「…何処にですか?」
「此の先に川があるの。其処に居ると思うんだけど」
「…あ、有難う御座いました。其れでは、失礼します――」
「あ…行っちゃった――」
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「――此処か?
……誰も、居ないじゃないか…もう、行って仕舞ったのか……
此の川も、綺麗だな…
――はあ…巴。人と人と云うのは、そう簡単に巡り逢えない仕組みになってるみたいだ…
…………
――帰ろうか…また、来れば良いさ……」
「…………
…本当に、来てたですか。……馬鹿。そんな簡単に諦めるなです。
でも、こんな処で逢うわけには…彼処で…逢うなら、彼処で――」
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「――はあ……――」
ピーッ。
「――…って、待ってですっ!」
「……えっ!?」
「はあ、はあ、はあ…」
「す…すいせ――」
「シーッ!」
「……え?」
「他の乗客さんに、迷惑ですよ」
「あ……」
「ふふっ。
――相席、宜しいですか?」
「…ええ、構いませんよ」
「有難うです――」
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ガタン、ゴトン。
《とある夢と微睡みの先での出来事》
おしまい。
最終更新:2008年02月07日 12:59