翠星石が急にムースポッキーを食べたくなったりしなければ、こんなことにはならなかっただろう。

「・・・それで翠星石ったら、蒼星石がいないからってカナの日傘を勝手に改造しちゃったのかしらー!
それも『強風にあおられて逆さになってしまったかのように開く傘』によー!!
逆にどこをどうすればそんなファンキーな改造ができるのかとカナは小一時間問い詰めたく」

金糸雀が急にダイエットを思い立って散歩に出なければ、こんなことにはならなかったはずだ。

「・・・この前なんてお弁当の中身がいつの間にかレゴブロックにすりかわっていたのかしらー!
だから何で一瞬本物と見間違うほどのモノをわずかな時間で作れるのか
どうしてそこまでの情熱を傾けられるのかとむしろ感心いやそれよりも
いつかこっちがやってやろうと思ってたことを先にやられちゃったことが悔しいやら情けないやら」


もし地球上の歴史においていくつかの『事件』が起きていなければ、そもそも生命体は存在しなかったわけで、そうなるとこの自分も金糸雀もまずここには・・・
 ・・・いや、よそう。気が遠くなるあまり思考があらぬ方向に飛躍してしまった。
蒼星石は頭を振って気持ちを切り替え、目の前の現実を直視することにした。
今は可能性について考えても仕方が無い。いつも目の前にあるのは現在だけなのだ。


その現在。
場所は市内の一角にある喫茶店である。『餃子のおいしい喫茶店』という、何だかよくわからないキャッチコピーで有名だが、学生・若者に利用者が多くそれなりに人気の店である。
蒼星石たちも学校帰りによく利用している。(真紅はここの紅茶が気に入っているらしい)
時刻は夕方。まだ外は明るく、ティータイムで店内はそれなりの賑わいを見せている。
今日は日曜なので制服姿の客こそ見かけないが、やはり学生も多いのだろう。
中にはちらほらと薔薇学で見かけたような顔も混じっている。


そして現状。
2人は店内最奥の席にいた。壁際に蒼星石。テーブルを挟んで向かいに金糸雀が座っている。
この席についてからこれまでのえんえん1時間、蒼星石は金糸雀から先ほどのような日傘や弁当についての訴えを聞かされ続けている。
「・・・だからカナはその時・・・つまり・・・カナが・・・カナで・・・カナ・・・!カナ・・・!」
「・・・・・・」
空調の効いた店内だというのに、全身にじっとりと汗をかきつつ蒼星石は思う。
何故こんなことになってしまったのか。
止まらない金糸雀と、日曜の午後と、すっかり氷が溶けてしまったアイスティーの間で、蒼星石は思い返していた。
生命の起源よりはもう少し現在に近い、今朝からの出来事を。

       ※

~12時30分 翠星石および蒼星石自宅~

「ポッキーが食べたいです」
昼食のあと片付けが終わった直後だった。
「え?」
「さよならは突然に~、ポッキーが食べたくなったですー。
蒼星石ぃー、買ってきてく・れ・るでぇすかぁ~?」
「え?え?えぇ?」
1分後、
「・・・・・・どうして?」
がちゃん。後ろで玄関の扉が閉まる音がして、気づけば蒼星石は自宅の前にいた。
「さ、さよなら?いや、そうじゃなくって・・・え?あれぇ?」
あまりに唐突な事態のせいで思考が追いついてこない。
落ち着いて現状を把握する。
『翠星石が突然ポッキーを食べたくなったため自分が買いに行かされている』以上。
 ・・・なんてことだ。落ち着いたところで一行じゃないか。


つまりはそういうことだった。また彼女は姉の気まぐれにつき合わされることになったわけである。
「ポッキー・・・」
仕方ない、買って来よう。蒼星石は素直に姉の言うことを聞いてやることにした。
逆らっても無駄だし、そもそも逆らおうなどと考えたことはなかった。
それが彼女の姉想いな性格ゆえか、それとも無意識レベルでの経験則なのかは不明だが、どちらにせよまことに奇特であると言える。
奇特な双子の妹は目的の菓子を手に入れるべく、徒歩で近所のコンビニへと向かっていった。


15分後、
「ムースポッキーです」
買ってきたポッキーを全部食べてしまった後だった。
「え?」
「翠星石が食べたかったのは『ムース』ポッキーです!
さっくりビスケットに口の中でふわりと溶けるようなきめの細かいムースチョコをまとわせたあれが食べたかったんですぅ!!」
「え?えぇ?えぇぇぇ?」
がちゃん。
「・・・食べたのに・・・」
普通、全部食べてから言うだろうか・・・。
残念ながら翠星石に限って言うならば、『YES』だった。


ともかく立ち尽くしていても仕方が無いので、蒼星石はまた徒歩でコンビニへと向かった。
歩きながら蒼星石は考える。今度は姉の希望を叶えてやらねばならない。
ムースポッキーとやらにもし種類があるようなら念のために1箱ずつ買えばいいし、ついでだからジュースと他にいくつか菓子類を買っていけば不測(足)の事態にも対応できるはずだ。
「よし、今度こそ・・・!」
と普通ならなら必要の無い覚悟とともにコンビニの自動ドアをくぐった蒼星石だったが・・・。
「あれ・・・無い・・・?」
無かった。


ムースポッキーと名のつく商品は1箱たりとも置いていなかった。
コンビニでは取り扱っていないのだろうか?
となればここからさらに徒歩で十数分の繁華街近くのスーパーに行く必要がある。
やれやれ。思ったより遠出になりそうだ。自転車を使えばよかっただろうか。
それにそこまで行くと翠星石が遅いと言って怒るかもしれない。
しかし無いものは仕方が無い。買って帰れないよりはましだ。
こうなったら、もうついでに夕飯の買い物も済ませてしまおう。
そういえばクリーニングに出しておいたシャツも取りに行く必要があったのだ。ものはついでである。
蒼星石はプラス思考を全開にして、無駄に元気な足取りで出口へと向かっていった。
コンビニを出る蒼星石の背中に店員が声をかける。
「ありがとうございましたー」
「大丈夫、何も買ってないから!」
「え・・・?」
白い歯がとてもまぶしかったという。

~13時05分 『スーパーオートー』前・路上~

目的地のスーパーへとたどり着いた蒼星石は、ぐっと拳を握りしめてつぶやいた。
「いざ、ムースポッキーをこの手に・・・!」
「ムースポッキー?」
「うわ」
突然の声に振り返ると、そこには金糸雀がいた。
「か、金糸雀?いつの間に・・・?」
「さっきから声かけてたわよぅ。蒼星石ってば全然気づかないんだからー」
「そ、そうだったんだ・・・ごめんね」
どうやら周りが見えていなかったようだ。
常に冷静なようでいて、案外そうでもなかったりする蒼星石である。

改めて友人を観察する。金糸雀は七分丈のパンツに運動靴、上はTシャツ(『dadidas』と書いてある)という涼しげないでたちだ。
荷物は持っていない。たぶん散歩か何かだろう。
「ところで蒼星石は買い物かしらー?」
「あ、うん。そうだよ」
「翠星石は・・・いっしょじゃないのかしら?」
「うん。今は家にいるけど・・・」
それを聞いて金糸雀の目がきらりと光った。何故かにんまりと笑みを浮かべて、蒼星石の腕を掴む。
「じゃーちょっとお茶につきあって欲しいかしら。ちょうど喉が渇いてたところかしら」
ぞく。
金糸雀の眼は尋常でない輝きを放っていた。いやな予感、いや悪寒がする。

「で、でも、僕買い物が・・・」
「荷物提げてお店に入るのもなんだから、先にちょっとだけよぅ」
「いや、あの、でも・・・」
「心配しなくてもちゃんとおごるかしらー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・蒼星石が」
「聞き流せないッ!?」
何だかんだでずるずると引きずられ、蒼星石は当初の目的を果たす前に、件の喫茶店へと連行されていったのだった。

~13時14分 喫茶『Sophora(ソフォーラ)』店内~

「アイスティーをお願いします・・・あ、ストレートで・・・」
「じゃーカナはこのスペシャルローズパフェをお願いするかしら」
注文をすませると、金糸雀は一息にお冷をあおって口もとをぬぐった。
「ふぅー、この一杯のために生きてるかしら~」
そんな金糸雀に蒼星石は冷静なつっこみを入れる。
「金糸雀・・・ダイエット中だったんじゃ・・・」
「え?」


■1分前の会話■
『金糸雀は買い物?それとも散歩か何かの途中?』
『うん、ちょーっとお昼を食べすぎちゃって、ダイエットというか食後の運動で散歩してたのかしら~』

「・・・って言ってた気がするんだけど・・・」
「え?あ、あぅ、つまり、食後の運動のおかげで結局喉が渇いてきて、ついでにお腹も少しというか、でもカロリー控えめのローズパフェだから大丈夫かしら・・・」
完全に目が泳いでいる。
確かに『スペシャルパフェの中では』ローズが一番低カロリーということになっているが・・・
「まあそりゃ好きなものを頼めばいいと思うけど・・・」
「あ、あはははは、かしら。そうよ、我慢はからだに毒かしら」
「・・・・・・」


金糸雀の『ダイエット』は三日以上持続せず、3ヶ月以内に再開されることもないというのが仲間うちでの定説だが、まさか自分が最短記録の目撃者になるとは思わなかった。
そうこうしているうちに注文の品が運ばれてきた。蒼星石にアイスティー、そして金糸雀に、
「待ってましたかしら~☆」
たぶんガラスで脚のついた洗面器を作ろうとすればこうなるのだろう。
巨大な容器・・・もはやグラスとは呼べないそれに山盛りのフルーツ、ケーキ、アイスクリームその他スイーツ。
これが通常2人以上で注文するのが定石のメニュー、『Sophora』名物スペシャルパフェだった。
ちなみにローズパフェは薔薇の香りも芳しいローズソースと
白薔薇を模したホワイトチョコのデコレーションが見た目にも美しい大人の味わいである。
一杯1850円(税込み)。

「いっただきますかしらー」
猛然とアイスの山を切り崩し、フルーツポンチの海を割って金糸雀は食べ始めた。
一方蒼星石はアイスティーに手もつけず、しばらくその様子を見ていた。
ばりばりざくざくもふもふと一生懸命にパフェをかき込むその姿は、最初その食べっぷりに感心するばかりだったのだが、だんだんその子供っぽさがおもしろいというか、かわいらしいように思えてきた。
「ふふふ・・・」
「ぶ?ふぁいはおふぁふぃはひは?」
「いや、なんでもないよ・・・」
自然と笑みが浮かんできたりもした。

「ふぃー、人心地、かしらー」
やがて金糸雀の猛攻が一段落したところで、蒼星石は切り出した。
「・・・それで、何か話があるんじゃないの?」
「ふぇ?」

~14時42分(現在) 同店内~

『天性のいじられキャラ』という稀に見る特質を生まれながらに備えていた金糸雀の運命は、幼き日に翠星石と出会ったことで8割がた決定していたのだろう。
笑いの神は両者を狩るものと狩られるものとしてこの世界に配置した後、金糸雀の背後にまわって爆笑し続けていると思われる。
そんな天の采配によって翠星石から永きにわたっていじられ続けてきた金糸雀の、堪忍袋だか何だかがついに爆散した結果だった。

珍しく翠星石と一緒にいない蒼星石をつかまえて翠星石の自分に対する仕打ちを語っていた金糸雀は、語っているうちにこれまでの苦い苦い経験を脳内で想起・反芻の末自ら自制心の臨界点を突破した。
この『思い出し怒り』(器用すぎる)によって暴走した感情の濁流が、現在に至るまでのマシンガンスピーチである。

その勢いは未だ留まるところを知らない。



「・・・あげくに何て言ったかと思うかしら!?金糸雀を天然呼ばわりよー!!!
カナは天然なんかじゃないかしらああああああああ!!それを言うならむしろ雛苺の方じゃないのよーぅ!!!」
半分くらいは間違いないと思うけどなあ、と喉まで出かかった台詞を飲みこんで、蒼星石は考える。
先ほどからずっと――時々気が遠くなっても――蒼星石が考えているのは現状をどう判断すべきかということだった。

現状を、単に金糸雀が一時的な興奮状態にあるだけだと言うこともできる。
しかし蒼星石としてはここに看過できない問題が見え隠れしているように思えていた。
勘のようなものだが、ある程度根拠はある。
金糸雀は幼いころから周囲(主に翠星石)によって『いじられ』続けてきた。
ある種の人間(というか翠星石)にとっては、金糸雀はまさに打てば響く逸材、人のかたちをとった奇跡と言っても過言ではない。
必然、(もう限定しよう)翠星石は一生ものの楽器を見つけたかのように接してきた。
そこには愛情と、近しいゆえの気安さ・・・言い換えれば無遠慮があった。
その結果、長年にわたって少しずつだが金糸雀にストレスが溜まっていたことは事実。
問題はそれが自分にぶちまけたところで解消する程度のものなのかである。
もしそうでないとしたら、話を聞くだけでは根本的な解決にならないだろう。いつまた同じことが起こるかもわからない。
それに今度はこのように不満を語るだけではすまないかも知れないのだ。
考えたくは無いが、金糸雀が翠星石に下克上を図る可能性もある。
(この場合むしろ心配なのは金糸雀の方であることは言うまでもない)
ではどうするのか。それこそが目下の思案どころであった。

(翠星石にちょっかいを出すのをやめさせ・・・られるわけがないよなあ。
金糸雀に隙を見せるなというのも・・・隙が無い金糸雀ってなんだかイヤだなあ・・・無理だろうし・・・)
八方塞がりである。
とにかく今は金糸雀の気が済むまで話を聴くことくらいしかできそうにない。
蒼星石は思考を中断し、金糸雀の話に集中することにした。そのうちにうまい考えが浮かんでくるかもしれないことだし。
ところがその矢先、

「・・・なのよ!?それでカナがたまたま黄色っぽい服を着てたからって
「これだからイエローは、ですぅ」なんて言って、言外に「このカレーキャラが」ってことかしらそれ!?
たった二皿よぅ?あとはせいぜいトッピングにコロッケ二つとからあげとチーズぐらいのもんで
それのどこが・・・いけない・・・の・・・かしら・・・」
金糸雀は先ほどまでの勢いを失速させると、
「・・・・・・・・・・・・」
ついに黙り込んでしまったのだった。
まずい、考えごとをして話をちゃんと聴いていなかったのがいけなかったかな。
金糸雀は目の前のグラス・・・半分ほど残ったスペシャルローズパフェに視線を落とし、じっとうつむいていた。パフェはもうとっくにアイスが溶けてしまっている。

「ど、どうしたの?金糸雀・・・」
蒼星石がおそるおそる声をかけるも反応が無い。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
沈黙が続く。
(・・・ど、どうしたんだろう・・・というかどうしたものかな・・・)
ここへ来ていきなりの沈黙。
それはずっと話を聴き続けるのもなかなか骨が折れる。しかし急に黙られても逆に困る。
ましてこっちはさらに話を聴く決意をしたところだったのにだ。
とは思うもののさしあたってどうすればいいかもわからず、蒼星石はぬるくなったアイスティーをすすったり(まだ飲んでいなかった)しながら金糸雀が何か言い出すのを待っていた。

やがて、実際は5,6分程度だったのだろうが、蒼星石にとってはずいぶん長く感じた時間の後、
「・・・蒼星石・・・」
金糸雀がようやく口を開いた。
「・・・ん?」
蒼星石の応答に対して、金糸雀は何故か寂しそうな目でこちらを見る。
そして自分の前にあるスペシャルローズパフェをこちらに押しやると、
「・・・これ、食べてほしいかしら」
「・・・え゛」
無茶を言った。


最終更新:2006年07月12日 16:12