帰り道、空はもう夜との狭間にいた。道中はあの店での出来事が中心となって愉快だった。

「――でね、白崎さんったら結局ティッシュに塩かけて食べたのよ」
「それほんとぅ?なんか冗談みたい」
「いいや、あの人ならやりかねないわ」

その言葉に少し微笑み、私は目を閉じて今日の一日の出来事を振り返った―――

―――初めて楽器屋さんに行った 面白い店員さんに会った おかしなマスターにも会った 私にギターを与えてくれた
この帰り道は他愛もない話ばかり けれど本当に今日は楽しかった めぐ以外に優しい人たちに会えた
そして―――この私を普通の女の子として見てくれた


―――私は今、幸せだ・・・それが何よりいちば――「水銀燈?」

「キャァァァァァァァァッッッッッ!!!」
物思いに耽っていたら急に声をかけられたので、思わず大声が出てしまった。

「もぅ何よぉ、め・・・ぐ・・・めぐ!?」
めぐが倒れていた。何やら顔色も悪く見える。私は急いでめぐに駆け寄り、身体を起こした。
「め、めぐ!めぐ大丈夫!?」
耳を口元に近づけ、呼吸の確認をする。・・・・・・息はある。
「ビックリさせないでよぉ・・・」
ひとまず安心した私は、どこか涼しい場所へ連れて行こうとめぐを背負った。
体勢を安定させると、一気に持ち上げ―――――――――――軽い。
何なんだ、この軽さは?
私よりも年上で背も高いのに、この軽さは何なんだ?
以前、彼女の細い手足を見たことがあったが・・・まさかここまで―――。

 ・・・・・・背中で感じるめぐの身体は想像以上だった。
例えるなら、食べ尽くしたフライドチキン。
余計な贅肉などない、人として動けるギリギリの筋肉のみ―――それだけで彼女は生きている。
「どうしてぇ・・・どうしてよぉ・・・めぐぅ・・・」
泣きごとが止まらない。でも歩くのは止められない。

――――――早く
彼女を涼しい所へ・・・どこか休める所へ・・・

―――――――速く
どこだ、どこにあるの・・・

―――――――――早く!
 ・・・精一杯やってるの・・・邪魔しないで!!

――――――――――――速く!!
ウルサイ!私は、めぐを、助けるんだ!邪魔・・・するなぁぁ!!

心がざわめく度によぎる不安は隠し切れなかった。

このまま目を覚まさなかったら―――
このまま息をしなくなったら―――
このまま―――――――ブンブン!

頭に浮かんだ怖い考えを振り払うように、頭を横に振った。
振った瞬間、めぐが背中から落ちそうになった。
「あぶな――っと・・・」
危ういセーフ。ギリギリで回避できた。立ち止まって再び体勢を整える。
「もう少し待っててね、めぐ・・・」
背中のめぐに一声かけて、また歩き始めた。

結局、静かで涼しく休めそうな所で思いついたのはあの公園だった。
ここに来るまでいつもの三倍の時間をかけてやって来たので、すでに体力が底を尽きようとしている。
それでもなんとかベンチの所まで力を振り絞って、彼女を横にすることが出来た。

頭を膝の上に乗せて彼女を横にした時、ようやく一息つけた。
「ハァッ・・・ハァハァ・・・」
荒い息が夜の公園に響く。腿にはしっかりとした重みを感じる。
けれどそれはどうでもいい。今は息を整えることに専念した。

「・・・・・・フゥ・・・めぐ大丈夫・・・?」
ようやく落ち着いたので彼女の様子を見ることにした。
スゥ・・・スゥ・・・スゥ・・・
一定のリズムで膨らむ胸、かすかに開いた唇からもれる安定した息遣いにホッとした。
「よかったぁ・・・もう心配させないでよぉ・・・」
安心したからか、急に疲れが身体中を襲った。
「・・・今日はホント・・・ヘヴィだわぁ」
めぐに余計な衝撃を与えないようにゆっくりと背もたれに体重を預け、そのまま空を見上げた。
今日は曇りなのか、星は一つも見えなかった。ただ、月だけが私たちを見ていた。

しばらくそのままボォっとしていた。何も考えないで。ただずっと―――「・・・うん」
「・・・めぐ?」
「あれ・・・水銀燈?・・・私」
めぐはゆっくりと頭を上げて身体を起こした。
「私、どうしちゃったのかなぁ・・・」
「ごめんなさい!!」
私は謝った。
「・・・何で水銀燈が謝るの」
「だって・・・私がいきなり大声出したから、めぐが・・・」
「ああ・・・そういえばそうだったかな」
「他人事みたいに言わないで!私、私・・・すごく、すごく心配、したん・・・だか・・・らぁ・・・」
とうとう堪えていた涙が溢れだした。
「私の方こそ、ごめんなさいね。友達をこんなに心配させて」
「・・・めぐ・・・悪くな・・・わる・・・いのは・・・たし・・・」
涙のせいで言葉が千切れて上手く喋れない。
―――何でこんな時に涙が出るんだ、私は!

泣いている私を見てめぐは微笑み、そして――――― 

 からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ・・・・・・
 からたちの棘はいたいよ 青い青い針のとげだよ・・・・・・
 からたちは畑の垣根 いつもいつも通る道に咲いてる・・・・・・

――――唄い始めた。
久しぶりに聞くこの歌は、前と変わりないように思えた――けれど、どこか違っていた。
―――前より切なさや悲しみがより濃くなっている
―――もう後がない、ガケップチの境界に立たされているような感じがする
―――胸が、痛い・・・
―――ナイフを心臓に少しづつ刺しこまれて――――る、感覚

 (拒絶)―――もういやだ・・・聞きたくない・・・
          ―――何で?大好きな歌じゃない・・・
 (困惑)―――でもいやなの!今は・・・聞きたくない・・・
          ―――大好きな彼女が歌っているのに?
 (混乱)―――めぐは好き!・・・けど今の歌は好きじゃない!
          ―――彼女を否定するのかい?  
 (否定)―――うるさい・・・黙れっ!
          ―――彼女を・・・消してしまう?
 (否定)―――黙れ、黙れ、黙れ!!     


 (真実)―――ワタシガアナタヲスクッテアゲタノニ・・・・・・


 (咆哮)―――ウルサイウルサイウルサイウルサイ!ワタシヲマヨワセルオマエナンカキエロッ!ワタシヲコワソウトスルオマエナンカワタシノナカカライナクナレェェェェェッッッ!!

「―――――止めてッ!!」

「――――!」
めぐはビックリしたのか、恐る恐るこちらを見た。
「どうしたの・・・水銀燈」
「―――ごめんなさい。少し気分が悪くなっちゃって・・・・・・ごめんね、せっかく歌ってくれてたのに・・・」
「ううん、それは別にいいんだけど・・・」
めぐは、ひどく心配そうな顔をしてる。
何でこうなるんだろう・・・私はめぐにこんな顔して欲しくないのに・・・。

私は救われたはずだ、めぐの歌とギターで。・・・・・・なのになんで、どうして?
終わったはずのに何で今更むし返されなければならないの!
私はいつの間に、こんなに弱くなってしまったの・・・?
私は―――もしも、めぐが、私の前からいなくなっ――――ムギュッ!
「はひッ!?」
気がつけばめぐが私のほっぺたを引っ張っていた。
そしてニコっと笑って
「ま~た、悪い方悪い方に考えてたでしょ?」
「・・・はなひててよぉ(はなしてよぉ)」
「やぁ~よ。悪いことばかり考えちゃう子の言うことなんて聞きません」
さらにムギュ~!
「いはいいはい!ふぉんとにひいはへへんにして(いたいいたい!ホントにいいかげんして)」
「・・・面白い」
「ほもしほふはいわよぉ(おもしろくないわよ)!」
「え~?面白いよ~。もちょっとやらせて」
ムギュギュギュッ~!!

――――――――プチ

あっ―――切れた。私の中の何かが、切れた。

―――――パアァァン!!

めぐの両手を強く払った。白い肌が夜でも赤くなったのが判る。
「・・・離してって言ってるじゃない!どうして―――」
めぐは痛そうに赤くなった所をさすっている。
それを見ていると何故かさっきまで熱くなっていた心が一気に冷めていった。
「・・・・・・ごめん。さっきのは余計だった。でも、めぐも悪いよ・・・そんな気分じゃないのにふざけるから・・・」
謝るぐらいなら―――あんなことをしてしまった自分がとても恥ずかしくなってしまい、私はうつむいた。
そんな私を見ながらめぐは
「―――水銀燈にはね、何時だって笑っててほしいの」
「えっ」
私はうつむいていた顔を上げ、めぐを見た―――――笑っている。
「まだあなたの穴は完全には塞がってないんでしょ。わかるよ・・・歌を聞いてた時のあなたの顔、苦しんでた。それ見てさ、ああまだこの子は救われていないんだ・・・って」
「・・・そんなことない、私はめぐの歌とギターで―――」
「水銀燈」
その一言で、めぐの表情が変わった。
何でも包み込んで優しく癒してくれる聖母から、全ての悲しみを一身に背負った愚者の表情に・・・。
「――――ごめんね。私じゃ、あなたの全てを助けることはできないみたい」
「なんで、そんなこと言うの」
「私が思ってたより、あなたは傷ついていた。そしてそれは私一人では癒し尽くせない・・・それだけのことよ」
「―――――それは」
「水銀燈・・・本当のあなたは独りで飛べるはず。今のあなたは少し疲れたから、宿り木で休んでただけ・・・もう飛べるはずよ・・・」
「―――――いやだ」
「―――水銀燈」
「いやだいやだいやだぁ!私はめぐともっと一緒にいたい、一緒にギター弾いたり、一緒に美味しいご飯食べたり、一緒にお出かけしたり・・・もっと・・・ずっと二人・・・一緒に・・・いたいよぉ・・・」

お願いめぐ、私を―――――置いていかないで・・・・・・

全身から力が抜け、地面に膝をついた。
頭が下がり、視線はアスファルトに刺さる。
私の前に立ちはだかる影。
「・・・・・・私じゃ、あなた全部は救えないんだよ?それでもいいの」
声を出す代わりに、力強く縦にうなずいた。
「じゃあ一つだけ約束して。もしも私があなたの前からいなくなったとしても、あなたはちゃんと前を向いてこの汚くも美しい世界を生きていきなさい。そして、決して過去を振り返らない・・・・・・約束、できる?」
もう一度――――さっきより強くうなずく。
「じゃあ・・・約束だよ」
そう言ってめぐは小指を差し出した。
私は顔を上げ、同じように小指を出す。
自然に小指同士を絡ませ、私たちは同じ言葉をつぶやく。

 『ゆぅびきりぃげんまん うそついたらぁ はりせんぼんの~ます ゆびきったっ!!』



最終更新:2006年06月24日 22:51
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