レコーディングは三日目に入る。残すはあの大曲のみとなった。

三分程度の長さの曲が当たり前のこの時代、"The End"のような12分を超える曲のレコーディングは馬鹿げている、と水銀燈はさらっと口にしたことがあったが、逆にそれはロスチャイルドを含め、仲間たちの挑戦に燃える心に火をつけた。

なにより内容があれなのだから、確かに全くバカげている。


いまだに歌詞が定まっていないというか、演奏される度に歌詞が変わるという異常な曲に、バンド仲間たちは頭を悩ませたが、ついに真紅から、

「 The End の曲がだいたい一つに決まったわ」

と切り出し、その完成したという楽譜を見せるという進展があった。

「いい?あの子がなにを歌い出しても対応できるように曲を組んだわ」

と、真剣な顔つきで真紅はレコーディングのシュミレーションを仲間たちに展開する。

「あの子が歌詞をころころかえて歌い出すのはだいたいここらへんからこのへんまで」

と、真紅は楽譜の4~6分あたりのところを指差す。

「最初から三分までと、六分以降の部分は安定して定まってるわ。だからその間の部分を…」

「ボーカルがなに歌い出しても違和感ないように、変化のない一定メロディを展開するのね」

水銀燈が先を読んで口に出した。

真紅は微笑む。

「そう。即興の詩を読み上げるボーカルに、BGMをつけたすという感じにね」

「なるほどですぅ」

「それで、その、例のあの部分だけど…」

真紅は、あの部分を自分で口に出すのを一瞬躊躇した。

「その、父を殺し、 母を…(赤面)…、とあの子がいいだしたら、この部分に入る。シャッフル部分よ」と、楽譜のあるところを指差す。

「なるほどぉ、大体わかったけどぉ…」

水銀燈は、完璧には納得いききっていない様子だ。

「大丈夫なのかしらねぇ…?
あの子、また途中で気絶とかしちゃったら、どうするのよ?」

「大丈夫よ」

真紅は、自信たっぷりに言う。

「あの子とは、約束したのだから」

「約束?」「いつの間に?」

仲間達の訝しげな視線が集まる。

「そう…」

真紅は眼を瞑って頷いた。少し前の過去を回想しながら。

例の、本当てゲームから負けたときの約束。そのときにもらった彼女の本から、The End の歌詞の意味の一端が見えた。その感想を、言葉ではなく音として真紅たちが演奏し、雪華綺晶がレコーディング本番で歌うということだったのだ。

自分のロッカーが真紅に荒らされているという場面をみたその瞬間から、雪華綺晶はそこまでの流れを頭の中でシュミレーションし、作り上げ、さらに「絶対ゲームに負けない」という自信のもと、あの「本当てゲーム」を真紅に提示してきたのだった。

あの子には本当毎回驚かされるわ…。

真紅は心のなかで思った。

「今日こそ、あの曲はその全貌を見せることになるはず」

真紅は意識を現在へと戻し、水銀燈と翠星石に声がけする。

「よく聞いて頂戴。あの子の詩の意味は、推測の域は出ないけれど、恐らくこうよ」

真紅はバンド仲間たちに予め用意した、自分なりの雪華綺晶の詩の解釈メモを2人に見せた。

「父」という概念は昔からよく言われる様に「権威や規制・抑圧の象徴」。つまりそれは生まれてからの教育や躾によって自分の中に侵入してくる自分とは異質の、そして自分とは相容れない概念。そう言った自分とは異質でありながらしかも自分を縛り付けてしまう物を排除して、本来の自分を取り戻す為に「生、自然、大地の象徴」としての「母」の概念に立ち帰ってみるという意味だと思われるのだわ。
この部分は、具体的に「父」「母」という言葉で語られているので誤解を招いてしまうけれど、これはニーチェの影響を受けて詩を書いた結果だと思う。「父」を「権威・秩序の象徴」としての「アポロン」、「母」を「生・情動の象徴」としての「ディオニュソス」としてとらえていたのかもしれない。


「さっぱり分からないですが。」

翠星石は勘弁というように頭を傾げ、唸る。

「水銀燈、あんたはどうです?」

「………」

水銀燈は翠星石に返事せず、なにかを思いつめたようにそのメモを見つめていた。最初は狂ってるだけだと思っていた雪華綺晶の詩の本当の意味に、センセーションを起こしたからだ。

「父親」という「権威・権力」への反抗。
いま、水銀燈は真紅やだれよりもそのことが深く分かる気がした。そう…とてもよく分かる。

彼女にとって「父親」は、まさに「権威・権力」そのものだった。

幼少時代から「父親」に強制された自分の格好。黒いドレス、逆十字のオーバースカート。この格好のせいで、学生時代から水銀燈は「悪魔」みたいだと周りの人々に恐れられ、孤独な生活を送ってきた。やがて彼女も反抗期に入り、

「もうこんな格好はいやだ」

と言っても、父親の権力は圧倒的だった。
結局「悪魔」のような容姿のまま高校も卒業した水銀燈は、どこの職業に就こうにも、「悪魔がウチの会社に入られては困る」と断られる。ついにグレた水銀燈が選んだ道がこのロックバンドだったのだ。
この世界では、むしろ「悪魔的」存在は歓迎される。水銀燈は「悪魔」として生きていくことを決意したのだった。

そんな彼女は、いまでも「父親」を憎んでいるし、「殺したい」と思ったこともある。そんな苦悩を文学的に詩にされたものがいま目の前にある。水銀燈は急に雪華綺晶への理解が自分の中で深まっていくのを感じた。

「水銀燈?」

翠星石の呼び声で、水銀燈ははっとなる。

「あっ?いえ、なんでもないわ……」

水銀燈はそんな自分の過去は、だれにも打ち明けたことがなかった。


翌日の朝。

今日もバンド仲間はエレクトラ・レコードのスタジオに集まる。それぞれの楽器を弄りながら、レコーディングの準備を整えている。

頃合をみて現場にやってきたロス・チャイルドは、その異様なスタジオの状態を目にして、

「なんだこれは。」

と真紅たちに問い掛けた。

これまで、いくつかのロックバンドと契約を結びレコーディンクなどを担当してきたロス・チャイルドだったが、これほどに奇妙なレコーディング現場を目にしたのは初めてだった。

スタジオには明かり一つついてなく、窓には黒幕がはられて、真っ暗になっている。中心には小さな椅子があり、その上にちょこんと一本のロウソクが立てられて、それが唯一の光源となってスタジオを照らしている。

まるでスタジオがタイかインドの寺院に生まれ変わってしまったかのようだ。ロスチャイルドは思った。

実際その通りであった。The Endという曲は東洋の影響 - とくにインド音楽の影響を受けた音楽であり、そのイントロはお経のようである。暗闇のなかろうそく一本という環境は、そんな音楽の雰囲気にはぴったりなのだ。

The Maidens が東洋音楽の影響をところどころに覗かせるエピソードは、真紅にある。真紅はインドに留学し、東洋音楽を学んだことがあった。

「今日の曲はこれでレコーディングします。」

真紅は、ロスチャイルドにそう告げた。

「ふむ、まあよいが…」

ロスチャイルドは顎を掴みながら暗闇のなかに目を走らせる。

「ところで、ボーカルの子はまだ来ていないのか?」

ずん、とバンド仲間達が沈んだ。

というのも今日という日が始まってから、肝心の雪華綺晶がスタジオに姿を現してこないからだ。集合時間は40分近く過ぎている。

「私、探してきます。」

真紅はその場で立ち上がると、バンド仲間たちの間を通り抜けてそそくさとスタジオ現場から出て行った。

「はぁ~~~」

最初にため息を漏らしたのは、翠星石だった。

「うまくいけるんでしょうかね~~?」

彼女は揃って水銀燈もため息を漏らしてくれるのを期待したが、そうはならなかった。

「?」

不思議に思い、翠星石は水銀燈を観察した。朝と打って変わって、えらく真剣そうな顔つきをしている。

あんな彼女は久々に見る。翠星石は思った。
真紅が雪華綺晶の詩を説明したとき何かあったのだろうか。

「ところで翠星石、」

そこで突然翠星石に話し掛けてきたのは、水銀燈ではなくロス・チャイルド。

「なんです?」

とりあえず会話相手が見つかったので、少し嬉しそうに返事する翠星石。

「今日演奏する曲のこの歌詞、見せてもらったんだが」

ロスチャイルドは The End の歌詞のメモがプリントされた用紙を読み上げる。

「 "mother , I want to fuck you baby all night long" ってところ。そのまま歌うつもりなのか? 」

「多分そうじやないですかねぇ…?」

「だとすれば、私の編集段階でカットされてもらうかもしれないよ。」

ロスチャイルドはあくまで穏やかに言う。

「 fuck はやばすぎるからな」


「雪華綺晶、そこにいるの?」

真紅は彼女を探しに、自宅まで勝手におしかけていた。

「もうみんな集まっているのだけれど。」

彼女は両親とは暮らしておらず、一人暮らしをしている。
部屋の奥からテレビの音がきこえてくるあたり、彼女はまだ家にいるみたいだ。

「まったく…」

若干怒りを覚えながら、真紅は部屋のドアに手をかける。今日こそが大事なレコーディングの日だというのに。
真紅はドアをあけ、部屋の中に入ると、中の雪華綺晶を呼びかけた。

「雪華綺晶、なにをモタモタしているの。と……」

そこで、真紅は自分の言葉を切り、息を張り詰めた。

青色の目が驚きに見開く。

雪華綺晶はブーツのみを履いており、他は裸だった。肌に多量の汗をかいており、普段の数倍にも増して完全にいってしまってる瞳をのぞかせ、真紅に気がつくと、

「1000マイクロ……」

と呪術のように口に出した。

「雪華綺晶、あなた……」

真紅は数秒ののち、これを理解した。"マイクロ"とはLSDの摂取量を意味する"マイクログラム"の略だ。彼女は薬をやっていた。LSDは普通、100マイクログラム前後で酩酊が起こる。彼女の言ったことが本当ならば、雪華綺晶はその十倍というとんでもない量のLSDをとったことになる。
いまごろ彼女は真紅という姿をみながら、LSDな幻覚世界にトリップしていることだろう。

普通のミュージシャンなら間違いなく、トリップ状態のボーカルを家で休ませておくはずの場面だ。

ところが、真紅のとった決断は……。

「これはすごいことになりそうなのだわ!さあ雪華綺晶、おいでなさい!出番よ!」と言うなり彼女は脱ぎっぱなしの雪華綺晶の白いドレスを片手に手に取り、遠慮なく半裸の彼女をかついで家から引きずり出すと、そのままタクシーに突っ込んでしまった。

タクシーの運転手は目のいっちゃった半裸の白い少女の乗車に目を丸くしたが、真紅が「なに見てるの!人間の雄は下劣ね!」みたいな台詞で一喝し、運転手にタクシーを発進させる。

車の後席で暴れる雪華綺晶に服を着せようと格闘を続ける真紅。
そのさまは、まるで子供に無理やり服をきせようと頑張る母親の姿のようであった。

そんな混沌を乗せつつ、タクシーは着実にエレクトラ・レコードのスタジオ現場へと向かっていく。


時は1967年、サイケデリック全盛の年をもうすぐ迎えようとしていた。




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最終更新:2008年06月06日 16:25