それまで真紅のにとっての音楽は、クラシックと、ジャズが少々と言ったところだった。
少しお堅い真紅の親は、幼少のころから彼女にクラシックの名盤を聞かせ、ピアノを習わせていた。
真紅自身もそれを嫌がらず、むしろクラシックの旋律の美しさに夢中になった。
ピアノとクラシック趣味は物心ついた後も続き、周りの友達がアイドルや軽い感じのバンドのポップスに夢中になっている時、真紅はクラシックがこそ音楽、そんなアイドルなんて低俗よ、なんて言っては、喧嘩を引き起こしていたりした。

                    *

真紅に一生を変える転機が訪れたのは、薔薇乙女高校に入る前、中学3年になったころだった。
「真紅ちゃ~ん、見て見て、これ見てぇ」
のりのこの一言が、後の真紅の運命を180度変えることになるとは、真紅はもちろんのりさえも(恐らくは今でも)気づかなかった。
「なぁに、のり。うるさいのだわ」
放課後、制服姿の真紅が一人で家路へ歩いていると、当時薔薇乙女高校に在学していたのりが、ものすごい勢いで真紅めがけて突っ込んできたのだった。
「じゃ~ん、あの『トロイメント』のライブチケットが手に入ったのよ~」
「トロイ…ああ、のりが前言ってたバンドのことね。…私となんの関係があるの?」
実は当時のりはバンドこそ組んでいなかったものの、顔に似合わずロックバンド好きで自身もギターを弾いていた。
そしてその趣味は洋邦問わず、かなりマニアックなバンドにも精通していた。
「じ・つ・わ・ね、ホントはジュン君と一緒に行く予定だったんだけどね。ジュン君その日ちょうど予定があっていけなくなっちゃったのよぉ。だから真紅ちゃんと一緒に行こうと思って」
「…遠慮しておくのだわ。ロックなんて、ただの騒音なのだわ」
「行ってみればわかるって。もうトロイメントは最高のロックよ、思想よ、宗教よぉ」
のりはトランス気味状態で真紅の肩を掴み、ぐるぐる振り回した。
「お、落ち着くのだわ、のり。わかった、行けばいいのね。わかったから手はなして、痛い、痛いってば」
そんなわけで半ば無理矢理にライブへ行かされる真紅だった。
「(まぁ、のりがそこまで言う『ロック』とやらも一度聴いてみようかしら)」
真紅は、軽い気持ちでそう思ったのだった。

                    *

「やっぱり帰るのだわ、のり」
「ええっ、ここまで来たじゃないの」
真紅にとってそこは不快以外の何者でもなかった。
客の多さで狭い会場、ちかちか光る照明に小うるさいSE.。さらに集まる客の、その独特の生々しい熱気はクラシックの会場には全くもって存在しないものだった。
「まって真紅ちゃん。あとちょっとで始まるから、ね?」
「……(やれやれなのだわ)」
ガッチリすがり付かれて動くに動けない真紅は仕方なくこの不快な空気に耐えようと思った。微妙に徐倫状態で。

トロイメントのことは話だけならのりから耳にタコができるほど聞かされていた。
『トロイメント』とはインディーズで爆発的人気を誇るロックバンドでボーカルとギターのKUNKUNとキーボードの
Laplaceを中心に卓越されたテクニックと幅広い音楽性で有名とのこと。なによりフロントマンのKUNKUNのカリスマ性が凄すぎるというのがのりの説明だった。

「でねっ、でねっ、このKUNKUNがもうかっこいいの、というかカワイイの。もうほんとジュン君ぐらい…」
「もうわかったのだわ、のr「キャアアアアアアアア!!!!!!!」
突然発狂したように絶叫しだすのり。驚いた真紅が周りを見渡すとその周辺の女性客も叫び始めていた。見方によってはホラーとも見える異様な光景にただただ困惑する真紅。
「な、なんなのよぉ、もう…」
唯一の頼りの(?)のりがこんな感じで、もはや半泣き状態の真紅。
そしてやっとステージを見上げる真紅……。

スポットライトの照らされていないステージ上では、おぼろげに数人の人影が楽器を持って音を合わせていた。
音を合わせている彼らの姿から、何故か根拠のない期待感が広がっているのを真紅は感じた。
ドラムがスネアで短いフレーズを叩き、ステージ上の音が止んだ。
いつの間にか声援も止み、独特の緊迫感がライブ中を満たした。
「(なんだろう…なんでこんなに、心臓がドキドキするの…?)」
妙に響く心音を疎ましく思った瞬間、突然スポットライトがステージ上の彼らを照らした。

「あ…」
スポットライトが照らすステージの中央、ちょうど真紅の正面に一人の青年が写された。
左目に薄くクマのようなメイクをし、真っ赤なフルアコを抱えた彼は、不思議などこか雰囲気を醸していた。


その刹那、ステージに轟音が轟いた。音が真紅の体を震わせ、しかしクラシックとは似ても似つかぬその響きは、どこか一種の快感にも似た衝撃を彼女に与えた。そして…

                    *

「…ちゃん、真紅ちゃんっ」
「あ…のり…なに?」
「え、その~今日のライブすごかったよね~と思って」
ライブ終了後の帰り道、最高に熱い熱気の余韻を引き連れながら、それぞれが家路へと向かっていた。
どの客も笑顔で家路に急ぐ中、唯一真紅だけは何か形容しづらい複雑な表情を浮かべていた。

「そ、そうね…うん…」
「……真紅ちゃん?」
のりは真紅の顔を覗き込むように見る。やっぱりクラシックを中心に今まで聴いてきた真紅には今日のライブはただの騒音だったのかもしれない、のりは思った。
「(やっぱり、真紅ちゃんには合わなかったのかなぁ。とってもいいライブだったのに)」

しばしの沈黙。

「ねぇ…のり」
「?なぁに、真紅ちゃん」
真紅は伏し目がちにうつむき、言った。
「今日のライブ…良く覚えてないんだけど…その、最初におおきな音がなった時…」
のりはじっと真紅の言葉に耳を傾けた。
「まるで…体中がかき回されたような、あらゆる感情が押し寄せてきたような…すごい感覚だったのだわ」
そこまで言った後、真紅はのりの手を握り、のりと目を合わせた。切なげな表情だった。

「あんなの、初めてだった。クラシックよりもずっと、ずっと乱雑で、五月蝿くて、でも、ものすごくかっこよくて…
心がはちきれそうで…これが『ロック』なの?のり。こんな、こんな…」
真紅は目の前の光景が滲んで見えるのを感じた。
「あ、あれ…私…どうして、泣いて…」
もはや真紅は自分でも何を言ってるのかわからなくなり、ただ嗚咽をかみ締めることしか出来なかった。
「(何で…何で泣いてるの?私…)」
また俯いた真紅の頭に、温かい何かが触れたのを真紅は感じた。
そしてもうひとつのそれが真紅を背中から抱きしめ、よしよしとなでられるのを感じた。
「ね、真紅ちゃん、今度トロイメントのCD貸してあげるからね」

いつもの優しい声。自分でもわからないこの感情を、この人は理解してくれているんだ。
真紅は母に抱かれた時のような安心感を感じ、いつしか眠りへとついてしまった。


この日、間違いなく彼女の運命は変わってしまった。

ステージに立つ、彼の姿を見たときから。


最終更新:2006年07月12日 13:14