全てが終わった後、力尽きたかのようにその場で眠りに落ちた真紅を抱えて水銀燈たちは帰っていった。
玄関で彼女らを見送ったあと、蒼星石がリビングに戻ると翠星石の姿は見えなかった。
「翠星石、どこにいるの?」
しばらく家の中を探していると、風呂場の方から水音が聞こえてきた。
脱衣所の扉をそっと開けると、果たしてそこには翠星石の着ていた服が散乱していた。
風呂の扉(すりガラスがはまっている)の向こうには翠星石のシルエットが見えた。
その動きを見るに、どうやらしきりに身体を洗っているようだった。
ごしごしとスポンジでこする音とシャワーの音に紛れて
『魔がさしたとしか』
とか
『野良犬に噛まれたとでも』
とか呟く声が聞こえてくる。
おそらく心身ともに相当のダメージを被ったに違いない。
翠星石に対して同情的な気持ちになりながらも、どこかそれが自分でなかったことに安心を抱いている自分に気づき、蒼星石は少し申し訳ないような気持ちになった。しかし翠星石が真紅から受けたあれやこれやのことを思い出すと、
(あれはやっぱり、無理)
と思わざるをえない。
心中二重の意味で翠星石にごめんなさいする蒼星石だった。

扉を閉め、そのまま廊下で待っていると、30分ほどたってから翠星石はバスタオルを巻いただけの姿で (衣服を全て自室に置いている)出てきた。
長い髪から水滴をしたたらせ、焦点のあっていない瞳は蒼星石の上空を見つめている。
「翠星石・・・・・・大丈夫?」
まるで魂の抜け殻のようになってしまった姉に声をかけると、翠星石はうつろな視線をこちらに向けた。
「蒼星石・・・・・・」
翠星石はふらりと蒼星石に寄りかかると、やがてよよと涙を流しはじめた。
「蒼星石・・・・・・もしお嫁にいけなくなったら・・・・・・翠星石をもらってくれるですか」
錯乱しているらしい。これは重症だ。
「翠星石・・・・・・さあ、もう寝よう。寝れば大丈夫、きっと明日には元気になれるさ」
蒼星石は姉をなだめながら部屋まで送り、自力では無理そうだったので着替えも手伝ってからベッドに導き、眠りに落ちるまで手を握ってあげた。
「ぐぅ・・・・・・う、うぅ・・・・・・真紅、やめるです、ストローなんて入らないですぅ・・・・・・ぐぎがが」
寝言でもどうやら真紅の悪夢にうなされている翠星石を残し、蒼星石は部屋を出た。
自室に戻って時計を見ると、時刻は4時になろうとしていた。
「明日・・・・・・もう今日か・・・・・・起きられるかな」
今日も学校がある。どちらかというと翠星石を起こすことができるかどうかが心配だったが、考えてもしかたがないので蒼星石はそのまま眠ることにした。起きたら自分もシャワーを浴びよう。
寝間着に着替える途中、蒼星石は下着を取って自分の胸へと目を落とした。
今日は『これ』のおかげで散々な目にあった。
おそらく標準から言ってかなり控えめな自らの『それ』を見ていると、
自動的に標準から言ってかなり大きめな水銀燈の『それ』のことが頭に浮かんできた。
自分とて、大きさに対するコンプレックスがないわけでは、ない。
(真紅もやっぱり気にしてたんだね・・・・・・)
無い胸の烙印を押された者同士として、蒼星石は真紅に対して奇妙な親近感が芽生えていた。
(・・・・・・はは、参ったな。明日、じゃなくて今日どんな顔して真紅に会えばいいかわからないや)
ベッドに横になりながら、蒼星石は一連の出来事を思い返す。
眠気だか何だかで暴走した真紅の恐怖は忘れがたいものだったが、彼女があそこまで感情をあらわにしたのもそういえば珍しいことだ。たまにはこういうことも・・・・・・やっぱり無いほうがいいか。
全てから解放されて、今になってどっと疲れが押し寄せる中、自分の思考に苦笑しつつ、蒼星石はぼんやりとひとつのことを考えていた。
(あー、何だったのかな、一体)
このような日常の一幕に意味など無いのだろうか。あったとすれば、それは何だというのだろう。
とりとめの無い思考と夢の入り口が静かに渦を巻いている。
渦にのまれる寸前、覚醒した意識の最後の一片が思考をかたどった。
(ただ、確実に今回の件でわかったことがある)
もし今日と言う日に教訓があったとすれば、こういうことになるだろう。
(今後、真紅に胸の話は禁物だな)

やがて、蒼星石にもようやく眠りの時間が訪れた。


柏葉巴が職員室から鍵を取って戻ると、まだ数人が教室の中に残っていた。
ついつい雑談に花が咲いて、といった様子。しかし次の授業は体育である。
そのためもうほとんどの生徒は体操着に着替えるため、更衣室へと向かった後だった。
クラス委員の巴には教室の扉を施錠する責任がある。
鍵を閉めたら自分もすぐに更衣室へ行くところだったが、全員が教室を出てからでないとそれもできない。
「みんな、そろそろ行かないと間に合わないよ」
巴の呼びかけで何人かが外へと出てくれたが、教室後方の窓際にまだひとかたまりになって動かない集団があった。
誰かの机を中心に円になっているのは、見れば水銀燈、翠星石に蒼星石、雛苺、金糸雀、薔薇水晶のいつものメンバーだ。
となると囲まれているのは真紅の席だろうか。
「どうしたの?早く行かないと遅れるよ」
巴が声をかけつつ接近すると、こちらに背を向けて立っていた6人が、ばっ、と一斉に振り向いた。
何故か(薔薇水晶以外の)全員の顔には恐怖と焦りの表情が張り付いている。
その尋常ならざる緊迫感に押しやられ、巴は思わず一歩後ろに退がった。
「な、何かあったの・・・・・・?」
それでも巴がさらなる問いを発そうとした途端、6人はぴたりと同じ動きで口の前に立てた人差し指をあてると、

「「「「「しぃーーーーーーーーーーーーーっ!!」」」」」
    「しー・・・・・・」

全力で巴に『静かにしろ』と告げた。
「え・・・・・・?」
巴は虚をつかれて目をしばたたいた。わけがわからなかったが、たたごとではなさそうなのでとりあえず口を押さえて声を出さないようにする。
目線で正面の蒼星石に『そっちに行ってもいいか』と訊ねると、『うん、ただし静かに』という感じの頷き方をされたので、足音を忍ばせて6人の輪の中へと進入していった。

「・・・・・・すぅ」

果たして、輪の中心には、座ったまま机に伏して寝息をたている真紅がいた。
(寝てる・・・・・・の?真紅が居眠りなんて、珍し)
巴の思考はそこで中断させられた。唐突に背後の6人が自分の手足を掴んできたためである。
「え、ちょっ、むぐ」
口まで押さえられると、巴はあれよと言う間に教室の外まで(全くの無音で)連れ出されていた。
薔薇水晶が素早く教室の鍵を巴から奪い、扉に施錠していく。そうしてようやく巴は6人からの拘束を解かれた。
「ぷは、か、鍵閉めちゃったの?真紅がまだ中にいるのに・・・・・・それに、起こさなくていいの?」
巴のもっともな疑問に、目の前の6人(薔薇水晶を除く)はそろって渋面をつくった。
「話せばなが~いの」
「いや全部話す必要はないはずかしら」
「とにかくあんまり大きな声ださないでぇ・・・・・・」
「・・・・・・触らぬ神に、祟りはありません」
「とにかくここから離れるです」
「あー、ごめんね、巴ちゃん。何がなんだか、わからないよね・・・・・・」
全員が口々によくわからないことをのたまう中、蒼星石だけはなんとか巴に注意をまわしてくれたようだ。
「とにかく、歩きながら説明するよ」
こうして巴と蒼星石が先頭となって、7人は更衣室へと向かっていった。
後ろでは5人がまだ何かざわざわと(無事に教室を・・・・・・もうあんな・・・・・・なら起こさない方が・・・・・・まだまし・・・・・・云々)不吉な感じでささやきあっていて、その内容は蒼星石の顔色にも影響するものらしかったが、彼女は首を左右に2回振ると、巴の目を見て話をはじめた。
「今、真紅を起こしたら大変なことになるんだ」


最終更新:2006年06月22日 15:53