午後の授業中、翠星石は斜め後ろの席から頬杖をつきながらぼんやり
と黒板を見ている。
真紅は相変わらず外の景色を見ている。
そんな2人とは対照的にジュンは黒板に書かれた文字をノートに書き写し、
教科書にはアンダーラインを引いている。

オタク人間はマジメにヤッてるですねぇ、あっ、シャーペンの芯を折り
やがったですぅ~、おバカですぅ~・・・。

翠星石は自分でも気付かないうちに黒板からジュンの後ろ姿に
視線を移していた。

こんどは消しゴム落としやがったですぅ~、ほーんとにダメな
ヤロウですぅ~・・・。

ジュンは落とした消しゴムをひらい、顔を上げるとそこには
窓から微かに入ってきた風に前髪を揺らし、夏服の袖からのびた
細い腕を机につき、手のひらにアゴを乗せ、その小さな指先は
トントンと頬をノックするように何かのリズムを取っている真紅の
横顔が目に入ってくる。
一瞬その真紅の姿に見とれてしまうジュン。

なァ~、まぁたオタク人間は真紅を見てるですぅ・・・えっ・・・?
翠星石は無意識にジュンを目で追いかけている自分に驚き、急いで
視線をジュンから外し、開いたままページが進んでいない教科書の
文字を見つめる。

べつに翠星石は何とも思ってないですぅ、何とも・・・。
その戸惑いにも似た感情は今、芽生えたのか? それとも今、
気付いたのか? 困惑する翠星石は授業終わりのチャイムが鳴り
終わっても、まだ顔を伏せて教科書を見ていた。
そんな翠星石は誰かの視線を感じ、伏せていた顔を上げる。

「どうしたの? もう授業は終わったのだわ」
「気分でも悪いのかしら~?」
「なぁーにぃ? ぼぉ~っとしちゃって」

いつもなら授業終了のチャイムと同時に席を立ち、真紅達を部活に
先導していく翠星石の周りに真紅、ジュン、そして隣のクラスから
水銀燈と金糸雀が来ていた。

「気分が悪いのなら、僕が保健室に連れて行こうか?」
「べ、べつに翠星石は何ともないですぅ! 余計な心配するな
 です、このオタク野郎ぉ」
「はぁ? なんだよ、人が親切で言ってるのに」
「もう~、ほぉ~んとジュンって鈍感ねぇ。 翠星石が気分悪いのは
 アレよぉ。 ホラ、女の子ならぁ、月に1回来るものよぉウフフフ」
「なぁ、何を言いやがるですかッ、翠星石は先週終わってるですぅ!」

翠星石の言葉を聞いた水銀燈はニヤリと笑い、わざとジュンの耳元に
顔を近づけ囁くように言う。

「ふぅ~ん、ねぇジュン。 聞いたぁ、翠星石は先週来たんだってぇ~」

ジュンは少し顔を赤くなり視線を泳がせながら人差し指で頭をかきながら
黒板のほうを向く。

「な、な、何を言わせやがるですかぁ、もう水銀燈なんて大キライですぅ!」
「ウフフ、じょーだんよぉ、そんなに怒っちゃや~よ」

フフフッ、最高に楽しい反応してくれるわねぇ~・・・。
少し涙目になり頬を膨らませて睨む翠星石を見ながら水銀燈は
小さく笑う。

こいつらって、いつもこんな会話してんのか・・・?
怒りながらも席を立ち、水銀燈にブツブツ言いながら歩く翠星石の
後ろについて、ジュンは真紅と金糸雀と一緒に部室へと向かった。

「まったく水銀燈はイヤなヤツですぅ~」
「もうイイでしょ、練習するのだわ」
「そうよぉ、怒ってばかりいたら男なんてできないわよぉ」
「うっせェー、ですぅ」
「そろそろ始めるかしらッ」

こんなので演奏とかできるのかな・・・?
紅茶を飲みながら澄ましている真紅、まだ水銀燈にブツブツ言っている
翠星石、そろそろ翠星石の文句に嫌気顔をしだす水銀燈、ポテトチップスを
つまみながらキーボードのコンセントを挿す金糸雀。
どうせ何をヤッてるのか解らないような演奏だろうな・・・。
そう思っていたジュンは、翠星石が突然たたき出したドラムに体が
ビクッと驚きの反応を示す。
その直後、まだ口の中に入っているポテトチップスを食べながらも金糸雀の
指は鍵盤の上を滑るように移動し、軽やかなメロディーを作り出す。
それに対し水銀燈のギターが被さると、軽やかなメロディーが激しさを
出し始める。

(なんだよ、コレ! 凄いじゃないか・・・)

唖然とするジュンの耳に真紅の優しいようで、どこか芯の強さを感じさせる
歌声が入り出すと、見慣れた部室が途端に華やかな空間に変貌するのが
感じられる。
バイクと音楽雑誌を広げたまま置かれている机、乱雑に積み上げられた
段ボール箱、食べかけのお菓子の袋、誇りまみれの古びたラジカセ。
そのありふれた物が真紅達のかもし出す音色によって鮮やかな色彩を
放ち出す。

(これがロック、凄ぇ~!)

その高揚感、興奮はつい数時間前に体験したヘルメットの隙間から
入ってきた初夏の風と、景色が瞬く間に背後へと消えていくスピード
の世界にも似た感覚が今、この瞬間ジュンの中に生まれた。

                    *

初夏の夕暮れは、ほんの1週間前より少しだけ夜が遅くやってくる。
午後7時、ジュン達はグラウンドから聞こえる野球部の声を聞きながら
校門を出るとバイクが置かれている空き地まで一緒に歩く。

「ジュンどうしたの? さっきから黙って」
「えっ、いや。 別に・・・」

今まで転校を繰り返し、その中で知らず知らずに身につけたジュンの
生き方はソツなく平凡に目立たずというありふれた学生生活を望んでいた。
だが、そんなジュンの中で何かが変わろうとしている。
音楽とバイクの話をしている時の彼女達の笑顔と目をみていると、彼女達の
もつ価値観、興味の世界を見てみたい、そう思うようになっていた。
そんなジュンは今日あった出来事を頭の中で繰り返してみる。
部室を音色とメロディーで塗り替えていった音楽。
アスファルトをステージに変えていくスピードの世界。
今日、感じたもの全てはほんの入り口の前で立っていることに過ぎないのは
よく解っていた。
1歩を踏み出せば、入り口からその向こうに広がる世界が手招きしている。
ジュンは頭の中でいろんな考えが交差していくのを感じながら
空き地に到着する。
「じゃ、また明日かしら~」
「水銀燈も金糸雀も気ぃつけて帰るですよ」
「ねぇ、金糸雀。 途中まで競争しなぁい?」
「街中じゃ水銀燈のバイクには負けないかしらッ」

そう言うと金糸雀のホーネットは水銀燈をおいて先に空き地を出て行く。
水銀燈はホーネットのテールランプが通りに差し掛かるのを目で
追いかけながらも慌てずにヘルメットをかぶり、ZX-10Rのエンジンに
火をつける。

「水銀燈、スピードの出しすぎには注意よ!」
「解ってるわよ~。 そじゃぁねー」

クラッチを握りカコンッとつまさきでギアを入れると金糸雀を追いかける
形で水銀燈のZX-10Rは空き地から出て行った。

流れていく2台のテールランプが初夏の夕暮れ時にゆれて見える。
少し離れた所から水銀燈が操るZX-10Rの排気音がこだまする。

 ・・・ビートとスピードは同じ領域・・・

その音にジュンの胸に微かに波打つ鼓動が生まれる。
そしてジュンは決断する。


最終更新:2006年07月15日 00:26