新学期が始まり幾日かたつと休み明けの気ダルさも、目覚まし時計のアラームにも
慣れてくる。
いつものメンバーといつもの会話。
金糸雀はいつになったら僕のバイクが直るのか聞いてくる。
たぶん乗ってみたいんだろう。
水銀燈は相変わらず遅刻が多く教室よりも部室で寝ていたりマンガを読んでいる時間が多いようだ。
ただ、最近は誰かのお見舞いなのか有栖川総合病院によく行っている。
真紅と僕は席が隣なので退屈な授業中などはよく2人で他愛のない話で盛り上がる。
話の内容はだいたい昨日のTV番組がどうだとか、新しい曲を作ってまた大勢の前で歌いたいとか、まぁ授業には全く関係のない話をしている。
そんな時はだいたい後ろからイヤ~な視線を感じて振り向くと翠星石が胸のあたりで指をギュッと握り締め、頬をプクッと膨らませながら見ている。
そして翠星石は決まってこう言う。

「2人で楽しそうなのはズルイですぅ、翠星石も話しに混ぜやがれですぅ!!」

いつものメンバーに、いつもの会話。そんな当たり前の生活が続くと
僕は当然のように思っていた――――――――そう、疑うことなく。


      Singin’ In The Rain ~Alone Again~ 


1週間ほど降り続いた雨がやむと街を被っていた夏の気配も日毎に弱まり、街路樹でさかんに夏の主役を演じていたセミの歌声も聞こえなくなってきた。

「あっ、これなんかイイ顔で撮れてるですぅ~。やっぱりローゼンで
 一番美しいのはこの翠星石ですぅ」
「バッカじゃないぃ~?この場面なんか唇とがらせちゃってブサイクな
 顔してるわよぉ~ウフフフ」
「ひゃぁぁー、コマ送りなんかするんじゃねぇですぅ~~!!」
「ここ、この後に真紅はコケそうになったかしらぁ~」
「うるさいわ。金糸雀だってラップの所でカミそうになってたくせに」

あの有栖川神社でのライブ映像をこうして何回みているのだろう。
始めはキャーキャーとはしゃぎながら見ていたくせに今は細かいミスを探して遊んでいるようだ。
そして映像が終盤にさしかかると僕の手ブレが原因で映像が乱れるのを全員で非難してくるのがお決まりのようになっている。
そんな訳で僕は彼女達に気付かれないようにそっと部室を出て行くことにした。
9月のカレンダーも半分が過ぎると午後の暑さも種類が違ってくる。
ジトッと体にひっつくような感覚はなくなり、乾いた風がまだ夏の色を残している校庭に植えられた記念樹の葉を揺らしていく。

そんな季節の移り変わりを感じながらジュンは自販機に500円玉を入れ、CCレモンのボタンを押そうと指を伸ばす。

「あっ!! なんだッ!?」

とつぜん背後から現れた腕がジュンの指を追い越して午後の紅茶を押す。
ジュンは慌てて振り向くと、ガコンッと自販機から出てきた午後の紅茶をあたかも当然のような表情で取る真紅がいた。

「おっ、おいそれ、ちょっと…僕のジュースが…」
「あら、ジュン。 貴方は男のクセにそんなセコイことを言うの?」

―――ことわりもなく人の金でジュースを飲むお前はどうなんだよ?

と言いたい所だが、そう言ってみてもどーせ真紅は 「男のクセに細かいこと言うのね、見損なったわ」 みたいなセリフを言うんだろうと想像できる。
よって僕は男らしく黙って目的の商品を買うことにした。
「くそぉ~、次はオゴッてもらうからなぁ~」 というセリフを飲み込みながら。

自販機には500円を入れたのでまだボタンは赤く点灯している。
ジュンは平然と午後の紅茶を口にはこぶ真紅を見ながら目的のボタンに手を伸ばす。

「えいっ!!」
「あぁ~!!」

ジュンの腕がボタンに向けて動き出すのをチラッと見た真紅は勢いよく適当なボタンを押す。
自販機の取り出し口から出てきた商品を手にしたジュンは落胆の色を見せながら真紅を軽く睨む。

「おい何やってんだよ、コレどーすんだよ?」
「ふふふ、ミネラルウォーターが一番口あたりがイイのだわ、感謝しなさい」

無邪気にクックッと肩を揺らす真紅はいつもより少しイタズラっぽい顔を見せながら笑っている。

口当たりがイイ? そりゃ水だから口当たりがイイのは違いないけど…
普通この状況でミネラルウォーターは選ばないぞ!!

ジュンの視線が真紅から自販機の横に設置されている冷水機に移されるとはっきりと解る声で真紅は笑い出した。

「なに笑ってんだよ、ったく、最近は翠星石に似てきたな」
「……ちょっとジュン。 ミネラルウォーターは口当たりだけでなく体にも
 イイのよ。特にこれは海洋深層水でカルシウム、マグネシウム、カリウム、
 ナトリウムなどが豊富に含まれているのだわ!」

ジュンの言葉に少しムキになったのか、真紅はサッとジュンの手からミネラルウォーターを取り上げるとペットボトルを口にする。
真紅の小さな唇から透き通ったミネラルウォーターの滴がツツーっと顎を伝うと夏服にすべり落ち、水の滴は胸元に小さな模様を描くように染み込んでいった。

「あぁ、このお水はとても甘くて美味しいのだわ。それに私はこれで人間に必要な
 ミネラル分を吸収できたのだわ」
「おい、それ僕のだぞ」

美味しそうに飲む真紅からペットボトルを取り戻すと半分ほどなくなったミネラルウォーターを口にする。

「あっ、ちょっとジュ……」
「ん? なんだ、全然甘くないぞ、普通の水じゃないか……あっ…」

気付けばほんの2~3秒の時間差―――――――それは小さな悪戯にも似た事故。
互いの唇の感触など解らないものの2人の間には微妙でぎこちない空気が生まれる。

「ま、まぁ、水は甘くないけど、僕もこれでミネラル補給できた…かな?」
「た、多分できたと思うのだわ…」

頬を赤らめた2人の後ろから乾いた風が長い2つに結んだ髪とメガネにかかる前髪をなでていく。
その風には涼しさから肌寒さに変わる数歩手前の季節が感じられる。
フワリと2人の髪を揺らした風にはどこか懐かしさと眠気を誘うようなキンモクセイの甘い香りが乗り真紅とジュンを取り巻く。

「ジュン……あの…私…」

真紅は後ろで手を結び、まるで足元にある小石を蹴るような仕草をした後、なにかを言いたそうに言葉を切り出そうとするがうまくセリフが出てこないのか途切れがちな言葉が続く。

「ジュンは……私のこと…」

そこまで言うと真紅の携帯電話が着信を知らせるメロディーを鳴らし始めた。
一瞬だけ驚いた表情を見せた真紅だが、どこかで救われたと思わせる顔付きになると携帯電話を耳に当てる。

「はい、もしもし……はい、はい、そうです……えっ? そ、そんなッ!?」

携帯を持つ真紅は驚きのためなのか受話器に向かって話す声が微かに上ずっている。
そしてその声は表情にも表れているのがジュンの目にも明らかであった。


夏から秋へ、そう感じたある日の午後。一本の電話がもたらした事によって僕たちの生活というか、いつもの時間が大きく形を変え始めたことだけは確かなことだった。
真紅、翠星石、水銀燈、金糸雀、蒼星石、そして僕。
始まりと終わりがそっと、静かに訪れた。そんな瞬間だったのかもしれない。

                    *

真紅が電話を切ったその瞬間から彼女達を取り巻くありきたりの日常は過去のものになっていった。
そして数分前の出来事すら急速に色彩を失ったセピア色に近いものになろうとしていった。

「じゃ、行ってきます」

玄関を出ながらいつもの挨拶。ゆるやかな坂道を下っていくと小さな交差点。
そこを左に曲がると学校の一部が見えてくる。
僕の周りにも同じ制服を着た人達が多く目に付くようになる。
それもいつもと変わらない風景であり、僕の日常のごくありふれた1コマなのだが、ここ最近は登校する生徒たちの噂話はもっぱら同じ学校の軽音楽部であるローゼンメイデンの話が絶えない。

「なぁ、マジで声がかかったんだって?」
「あぁ、オレもそう聞いたぜ。なんでも有栖川神社の祭りで歌って、それがホラ、
 24時間TVってあるじゃん、アレに映ったらしくローゼンの歌を聴いてたTV局の人から
 出演依頼が来たみたいなんだよ」
「凄ぇ、これでオレらの学校から芸能人が誕生かぁ?」

そんな話は校門を過ぎる頃には登校してきた真紅達に向けられるが、いつものツンッとした態度を崩さない。

「あら、ジュンいたの?ちょっとこれをもって頂戴」

他の生徒が囁きあう中で僕を見つけた真紅はカバンをポンッと投げて渡す。

―――おっと、危ないな~

僕のほうに飛んできたカバンを落としそうになりながらもキャッチするのを見ると、真紅は教室ではなく部室のほうに歩き出す。
カバンを持っている僕は……しかたないので僕も部室へと向かった。

「なぁ真紅。みんながローゼンメイデンの噂してるけど――」
「そうね、デビューなんて話はきてないのにね。お喋りな翠星石が口を滑らせたのだわ」
「でも、ほら、何だっけ?曲を作ってレコード会社の人に聴いてもらうようになったんだよな?
それってほとんどデビューに近いって事じゃないのか?」
「そんな生易しいことじゃないわ。そのために私達は何度も曲を作り直しているわ」

た、確かに…レコード会社から電話をもらった後の真紅達は喜びながらも凄く真剣な顔つきで何度も音楽について、ローゼンメイデンと言う自分たちのロックバンドについて話し合っていたんだよな……。
僕はその時の風景を思い出しながら真紅と並んで部室に続く階段を上っていた。

「おはよーでうすぅ!!」

そんな僕達の後ろから翠星石の元気な声が飛び込んでくる。
どうやら翠星石は学校につくなり周りの生徒から質問攻めにあったようで逃げるように部室へと向かった所、僕と真紅の姿を見つけたようだった。

「も~最悪ですぅ、まぁ~だ何も決まってないのにデビュー曲は何だぁとか、
 アイドルのサインをもらってきてくれぇとかウザイことばかり言ってくですぅ~」

話を言いふらして広げたのは誰だよッ?という突っ込みが出そうになるけど、その突っ込みは部室に現れた意外な人物が僕の代わりに突っ込んでくれた。

「ハハッ、大変そうだね。でも僕たちの事を言い出したのは翠星石なんだろ?」
「エッ?蒼星石どうしたんだ、こんな所に来て。学校は?」
「うん、サボッちゃったんだ」

少しバツの悪そうな顔をしながら蒼星石はレコード会社に送る曲について話し合うために来たと苦笑いを浮かべながら言った。
どうやら蒼星石だけ通う高校が違うため曲が決まって出来上がるまでこうして時々僕たちの部室に顔を出すことになったらしい。
まぁ、この案も翠星石が強引に言い出したことらしい……。
そうしている間に水銀燈と金糸雀も部室にやってきた。
これでメンバーが全員そろったわけなのだが、ここで授業開始を知らせるチャイムが鳴り出した。

「え~っ、もう授業が始まるかしら~?」
「しょうがないわね。教室に行くのだわ」
「おいおい、待てよ。僕たちはイイとしても蒼星石はどーするんだ?」
「私が残るから大丈夫よぉ~」
「水銀燈はダメかしらぁ、ただでさえ単位が少ないかしら~」
「す、翠星石もちぃ~っとばかし単位が少ないですぅ~。あっ、ジュンが
 残ればいいのですぅ!ジュンならまだ先生に目を付けられていないし影
 が薄いからサボッても解らねぇですよッ」
「か、影が薄いってどーいう意味だよッ! おい、お前らちょっと待てよ、おい」

僕の制止を無視するかのように彼女達は部室から出て行った。
後に残された僕はしばしこの理不尽な成り行きに呆然と部室の中で立っていると後ろから蒼星石が申し訳なさそうに声をかけてくる。

「ジュン君ゴメンね、翠星石がムリなこと言って」
「イヤ、別に大丈夫だよ、正直言うとカゼ気味で少し休みたいなと思ってたんだ」
「そうなのかい、ジュン君からだのほうは大丈夫?」

そう言うと蒼星石は心配そうな顔つきで近寄り、手を僕の額に当てた。
その手はとても柔らかくて暖かい。バンドの時にみせる激しいチョッパー演奏を難なく決める蒼星石からは想像できない優しい手の感触だった。

あッ―――――その感触にジュンは少し戸惑い1歩さがった。
あっ―――――額に当てた手をサッと引いた蒼星石はテレたように頬をそめる。

「ゴ、ゴメン…いきなり触ったりしたらビックリするよね?」
「イ、イヤ、そんなんじゃなくて、蒼星石の手が想像してたのと違っていたから…」
「えっ? 僕の手?」
「う、うん、ほら、楽器をヤッてる人の手って凄いイメージがあるから」
「へぇ~、ジュン君の中で僕達はそんなイメージだったんだ、失礼しちゃうな」
「いや、ゴメン、ゴメン」

ほのかに赤くそまった頬をプクッと膨らませる蒼星石の表情は双子の姉である翠星石とそっくりなのだが、ショートカットの髪と普段は見せない表情が相まって蒼星石をいくぶん幼く見せた。
そんな蒼星石は頬をふくらませたままプイッと横を向いてみせる。
頬にかかる横髪がサラリと流れていく。

えっ、あれッ…?  

僕達と学校が違う蒼星石。
そんな彼女と顔を会わせるときは決まって真紅や翠星石たちがとなりにいた。
だから僕と蒼星石が言葉を交わしたことは多くない。たいがいは間に真紅や翠星石が入っていたからだ。
それに蒼星石は真面目で口数少なくバンドのリーダー的な存在で、時に暴走しがちな姉を苦笑いしながら止めている。
そんな場面しか浮かばない僕にとって今みたいな仕草の蒼星石は僕が思っていた彼女に対するイメージと少し違う、こう、なんて言うか、とても女の子らしくてカワイイ。

「ハハッ、ゴメン蒼星石。そんな意味じゃないんだよ、ほら、僕は楽器が
 出来ないから演奏できる人の手とか想像できなかったんだ、ゴメン」
「あっ、そうか。ジュン君はダレにも楽器を教えてもらってないの?」
「この軽音楽部に入るときは水銀燈が何か教えるとか言ってたけど結局は
雑用専門になってたよ」
「そうなの?みんなヒドイな~。じゃ、みんなの授業が終わるまで僕が何か
 教えてあげようか?」
「えっ、イイのか?」
「うん、いいよ。ちょうどここに水銀燈のギターもあるし、簡単なコードを
 教えるよ。そしてみんなをビックリさせようよ」

そう言うと蒼星石は水銀燈のギターを持って僕に微笑みかけてきた。
そして僕も蒼星石に笑いかけながらそのギターを手にした。

校舎では授業が始まり、どの学年も1時間目は体育がないのかグラウンドからも音は聞こえない。
そんな静かな軽音楽部の部室ではぎこちない弦の振動音が微かに鳴っていた。

「こんな感じでいいのか?なんだか水銀燈が弾いてるような音が出ないぞ?」
「はははっ、それはしょうがないよジュン君。みんな始めはまともに綺麗な
 音なんか鳴らないよ」
「へぇ~、そうなのか?でもこのコードってヤツを押さえるのは指が痛くなるな~。
で、さっき教えてくれたコードはここを押さえるんだっけ?」
「ううん、そこじゃないよ。押さえるのはここだよ」

初めてギターをもった僕は弦をうまく押さえられない。それに押さえたとしても普段から耳にしていた水銀燈が出すような音が鳴らない。
そんな僕に蒼星石は後ろから肩越しに手を回して僕の指を押さえるべき弦に導いてくれる。

「そうそう、ほかの指が他の弦に触らないようにして……うん、そんな感じだよジュン君」
「あっ、なるほど。こんな感じで押さえるのか」

僕にしてみればムリな指の配列みたいな形で押さえたギターを見て蒼星石はニコッと優しく笑ってくれた。その笑顔は僕の耳元、すぐそこにある。
蒼星石の声、はく息使い、そして僕の背中に感じる蒼星石の体の温もりに緊張していた為、その時に出た音は聴けたものじゃなかった。
そんな音を聴いた蒼星石は僕の顔の真横、そう、このまま僕が彼女の方を向くと互いの唇と唇が重なるんじゃないかと思えるくらいの所でクスクスッと笑っていた。

あれ、なんだか蒼星石の距離が微妙だな~

そう思っていると2人の耳に授業終わりのチャイムが聞こえた。
途端に校舎の方が騒がしくなる。

「あっ、授業が終わったみたいだね…ジュン君」

チャイムと同時に肩越しに伸びていた蒼星石の腕が僕から離れていく。

「う、うん。終わったみたいだな……あ、あの、蒼星石」
「えっ、なんだいジュン君?」

チャイムが鳴り終わった部室のドアに歩み寄った蒼星石は僕の声にクルリと振り返ると綺麗な目を2回ほど大きくパチパチっとまばたきした。

「ギター教えてくれて、ありがとう」
「あっ…う、うん…」

ジュンの言葉に蒼星石は手を後ろで組み、やや前かがみになると視線をジュンから床へと移動させて少しテレたように爪先で床を蹴るような動作をしながら上目使いでジュンをチラッと盗み見るような仕草をした。

Illust ID:tzk0OWmV0 氏(104th take)


最終更新:2006年11月21日 00:26
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