828 臆病で優しいワハハな子 [sage] 2009/10/21(水) 15:28:30  ID:sPBF+2// Be:
 
 
 心の傷は目に見えないから、その分、ちゃんと感じ取れる様になりたい。
 無防備な心に出来た傷が、深いか浅いかなんて本人にしか、いや、本人にすら分からないからこそ。
 せめて察する事ができる人間になりたかった。


「智美ちゃんは、優しいね」
「そうかな?」
「うん。優しいから、酷いなって思うよ」

 知っているから、私は「ワハハ」といつもの様に笑う。
 目の前の幼馴染は、そんな私に困った様に笑っている。

「……ねえ、智美ちゃん」
「うん?」
「……気づかない振りをされるのも、傷ついちゃうんだよ?」

 知っているから、また「ワハハ」と笑った。
 いやいや、流石は私の事をよく分かっている彼女に、私はギシッとパイプ椅子を軋ませて、両腕を頭の後ろで組んで、のんびりと寛ぐ。

「あのな、佳織」
「うん」
「ユミちんとモモの二人には、幸せになって欲しいと思うか?」
「……思うけど、それは」
「うん、だよな。でも私は、実はどっちでもいいんだ」

 幸せになろうと、ならないとしても。
 私はけっこう、どっちでも良い。

「だってそうだろう? あの二人なら、幸せにならないで破滅したとしても、きっと何とかできるから」
「…………」
「ユミちんもモモも、二人とも強いからな。傷を抱えて前に進められる」

 だから、私はただ、二人を静かに見守るだけでいい。
 たまに、ちょっと手助けをするぐらいで、ただ二人を認めて、そこにいるだけだ。
 ――でも。

「あのな、佳織」
「…………」
「私はただ、誰かの傷口の深さを知れる人間にはなりたいが、その傷を広げようとも治そうとも思わないんだ」
「……知ってる」
「だから。―――私が佳織の正義の味方だなんて、思っちゃ駄目だぞ?」

 佳織は、何だか悲しそうな顔をして、「智美ちゃんは、シビアだね」と言った。
 それから「優しいね」とも言った。

 夕焼けが目にまぶしくて、それでも私はのんびりとしていた。
 日が沈むのが早い今の時期。辺りが暗闇に染まるのは時間の問題だろう。
 そろそろ時間切れ。帰ろうかなと思った。

「やっぱり、智美ちゃんは、ずるくて酷くてワハハで意地悪だね」
「……お?」

 おや?
 と首を曲げて佳織を見ると、佳織はどうやら怒っている様だった。

「さっきから、わざと意地悪な事を言っているよね?」
「……」
「今日、私が智美ちゃんを呼び出した理由を全部知っていて、そういう事を言っているんだよね」
「……」

 ……ワハハ。
 私の幼馴染は、変な所で鋭かった。
 そして、分かりやすかった。
 そりゃあ気づくだろう? 今日は、最後の日だ。

「明日は卒業しちゃうのに」
「まあな。ワハハ」
「遠くの大学に行っちゃうのに」
「おう。手紙ぐらいは書くぞ」
「メールにして! そうじゃなくて」

 すたすたと、佳織が机を押しのけて、私の前に立つ。
 私は少し怯んだ。
 うーん。適当に意地悪な事を言っても、やっぱり誤魔化されないかぁ。

「私は、そうやってずるい智美ちゃんが、嫌だと思う」
「……ワハハ」
「ワハハって笑って、人の気持ちには凄く敏感で、とっても優しいのに、凄い人なのに、―――傷つけるのが怖くて逃げる所は格好悪い!」

 ……グサッとくる事を言う。

「智美ちゃんって、人を傷つけるのが駄目だよね。……多分、昔の私のせいで。……だから、いつも道化になって、周りを和ませてくれるムードメーカーで、フォローが無駄に上手くて、格好良いのに格好悪い」
「……いや、それは買いかぶりで」
「だから!」

 ぐっ、と両肩に手を置かれて、固定される。
 表情が笑顔に固定されたまま、背中に汗をかいて、私は佳織を見上げる。
 一瞬、昔の幼い彼女とぶれて、非常に居心地が悪くなった。

「智美ちゃんは、私を傷つけて良いんです」

 両肩に爪が食い込んでいる。痛みが、皮を破って内側に浸透している。

「……いや、だから」
「智美ちゃんは、頑張ったと思う」
「……」

 ここで、少し笑いたくなる。
 それは癖の様なもので、自分でも楽しくない笑いだけれど。

  まあ、トラウマといいますか。

 昔、佳織と遊んでいて、子供の残酷な無邪気さで、佳織を酷く傷つけた事がある。
 当時は、声を殺して泣く佳織が分からずに無知で、成長するに至って、私は自身の愚かさを自覚し、後悔をした。

 だから、というか。

 私のこの性格は、佳織が根本にある。


「…………えぇと」
「智美ちゃん。せっかくだから、今言うね」
「いや、それは―――」

「智美ちゃんが、ずっと好きです。私と、結婚を前提にお付き合いをして下さい」

『私ね、智美ちゃんが好きだよ……! だ、だから、お嫁さんにして欲しい』

 過去の、忘れられない台詞と、現在の台詞が。
 私が傷つけたのに、いまだに私なんかを好きだという彼女に、私は、両肩に食い込む爪が、痛みが、足りないなと思った。

「……あのさ。佳織」
「…………」
「佳織は、私が断れないって、分かっていて言っているよな?」

 傷つくのが分かっていて、傷つける事にトラウマがある人間に、よくもまあ、そういう事をすると責めてみたら、佳織は「うん」と力強く頷いた。

「だって、智美ちゃん、へたれだもん」
「……うわ」

 また傷ついた。
 私は傷つけないのに、どうして傷つくのかと、少し切ない。

「ワハハ……。諦めないか?」
「いやです」
「……だって、さあ」
「智美ちゃん」

 佳織が、とても怖い顔で迫ってくる。
 そして、きっぱりと宣言する。

「絶対に諦めないからね!」

 それは、どんなにのらりくらりと交わしても、無駄だと分かる一言だった。

 強いなぁ、と。微苦笑。
 こういう時にも笑ってしまうのが私だけど、ちょっと泣くのもいいだろうかと思った。

「智美ちゃんこそ、いい加減にしなよ」
「んー?」
「私の事、ずっと好きな癖に!」
「……、……」

 頬が、夕日の沈みかけた暗い部屋で、無駄に赤くなっていそうで、溜息が零れる。

「……ワハハ」

 まいったなぁ。
 最後の最後に、逃げ切れなかった。
 卒業して、大学に行ったら、帰ってくるつもりなかったのになぁ。

「……私は、智美ちゃんの考えている事だけなら、すっごく分かるんだからね」
「……そうみだいたな」

 だから、と。
 佳織が顔を寄せてくる。

「……もう、逃がさない」

 らしい、ね。

 私は、むずむずと恥かしさとか色々と込み上げて、逃げたいのだけど。
 それは無理らしい。

「……えっと」
「うん」
「……ワハハ」
「うん」
「…………ああもう、分かったよ」

 観念して、私は瞼を閉じて、静かに私を待つ佳織に、全面降伏した。
 こんなに負けたと思ったのは、初めてだった。

 しょうがなかった。
 暫く封じ込めていた素を、少しだけ出して、佳織に口付ける。―――――その頬に。


「卒業したら、奪ってやるから、な」


 固定していた表情を崩したら、どうにもぶっきらぼうな顔が、佳織の瞳に映っていて、佳織はそれは真っ赤になって、嬉しそうに何度も、何度も頷いた。






 おまけ。






「という訳で、私の智美ちゃんは格好良いのです!」


 ……うわー。
 暫く席を離していた間に、室内がとんでもない事になっていそうだった。
 頻繁に行われる、鶴賀の麻雀部の会、みたいな小さな集まりで、佳織が何か凄く恥かしい過去の事を語っていた。

「も、元部長、なんか本当に普通に格好良いです」
「……まあ、私は知っていたがな」
「凄い。流石、蒲原先輩です」

 佳織が、アルコールに酔って、他にも余計な事を話していたらしい。
 何故か、あの件が佳織の妄想として処理されていないので、非常に困った。
 ……くっ、何を夢見てるんだ~、とか言って、部屋に入れそうにもなかった。
 これは非常に気恥ずかしい。

「智美ちゃんってば、本当に凄いんです! ワハハって笑っているだけじゃなくて、何処にいても、何かしらのトップに立っているんですから!」

 ……佳織、頼むからそろそろやめてあげないか?
 外で聞いていて凄く居たたまれない。
 嘘だといいたくても、現在のサークルで部長しているから、説得力もなかった。

「はー、やっぱり先輩と親友だけあって、元部長は凄かったんですね!」
「いや、モモ。あいつは普段からふざけている様で、裏を押さえるのが上手くてな。……だからこそ、あんな短期間に車の免許を取得していたりと、油断が無かった訳だが」
「……あ! 確かに、考えてみたら凄いですよね!」

 いやだ。気持ち悪い。褒めるなこら!
 私はほら、駄目な元部長でいいから!
 慣れてないんだ、死ぬほど逃げたくなるんだ!
 ワハハーって、馬鹿っぽいのでいいから!

「……さって、と」

 佳織が動く気配って、…………まさか

「うふふ、言ったでしょう智美ちゃん」

 ―――私は、智美ちゃんの考えている事は、よく分かっているんだからね。

 そんな声がして、戸が開かれ、私はそのまま、室内に引っ張られていった。


 私の左手の薬指で、銀の指輪が、きらりと光ったのが、
 何だかもう逃げられないみたいで、「ワハハ」と笑った。







 おわり

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最終更新:2009年10月23日 15:20