時期は県予選終了後、団体戦は清澄優勝の想定で。個人戦は無視。

576 名前:名無しさん@ローカルルール変更議論中[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 12:38:52 ID:kclX2F5G

 夕暮れ、後ろから肩を叩かれた。

「ひぅっ!?」

 人の賑わう駅前で、まさかそんな反応をされるとは思っていなかったのだろう。
振り返ると、彼女は普段見たことのない間の抜けた表情を浮かべていた。
 が、すぐに気を取り直したのか、かすかに微笑む。

「すまない。待たせたか?」

 ゆみはマニッシュなパンツスタイルを颯爽と着こなしていた。

「い、いえ。待ち合わせで声をかけられたのって初めてだったっすから」

 そもそも、人と待ち合わせるということ自体ほとんどしたことがなかったが、
それはわざわざ言わずともいいだろう。

「――なるほどな。しかし、約束の場所に一人だけ立っていたんだ。私でも
 見つけられる」
「……そうっすね」

 口にしたのは嘘だった。
 自分を見つけられる人がいる。それは桃子にとって奇跡にも等しい出来事
だったが、それを言葉にしてしまったら、本当に偶然の産物になってしまう
気がした。麻雀部は事実上引退したとはいえ、ゆみが卒業するまで半年ある。
それまでには、何度も繰り返された当たり前のことになっているだろう。きっと。
 例え、彼女にとって自分の存在価値がもうないのだとしても。

「どうした?」

 知らず、俯き加減になっていたらしい。ゆみが覗き込んでくる。

「なんでもないっす。さ、行きましょう!」

 明るく告げて、ゆみの手を取って指を絡ませる。ゆみを引っ張るようにして
駆けだした。

「うわー、やっぱり花火大会ともなるとここも混むっすねぇ」

 夕方の駅は、帰宅する人々と、桃子たちと目的地を同じくするだろう人々で、
常にない賑わいを見せていた。

「ああ、そうだな……。これからどんどん人が増えていくのかと思うと気が重い」

 県予選も決勝進出となれば、地元ではそれなりに顔が売れる。特にゆみは、
その容姿も相まってあっという間に学園のスターになってしまった。学園生徒
以外からも、道端でサインや写メを求められることだって珍しくないそうだ。
しかし、麻雀部の他の四人も似たような状態に陥っている中、桃子一人だけは
まったく生活が変わらなかった。
 『加治木ゆみ1年A組乱入事件』も、その意中の相手が誰だったのかは皆の
記憶に残らず、決勝で副将を務めた黒髪の美少女は、麻雀部の謎の助っ人として
早くも鶴賀学園の七不思議の一つになっていた。

「……多分先輩が心配してるのは、私のと違うと思うんすけど」
「え――ぅわっ!?」
「痛てっ!?」

 途端、後ろから走ってきた若い男がゆみに思い切りぶつかった。行きすぎて
数歩先でたたらを踏んだその男は、振り返って少しの間怪訝な表情を浮かべたが、
すぐに踵を返し走り去ってしまった。

「いたた……」
「先輩大丈夫っすか!? すいません――」
「いや、問題ない。モモ、別にお前が謝る必要は――」
「いいえ、私のせいっす。今の先輩は私の気配に巻き込まれてますから……」
「……そうか」

 それからのゆみの行動は、桃子の予想を超えていた。桃子の手を握ると、
今までとは逆に桃子の手を引いて歩き始める。

「え、ちょっ、先輩?」

 先程までの穏やかな表情は消え、闘牌時に見せる鋭い視線を周囲に送る。
足取りは速すぎず遅すぎず、人の流れに逆らわない。前後からの歩行者の
進路を予測し先に回避する。どうしても危険な時は自らの身体を盾にする。
 呆気にとられている間に、桃子は予定の電車の車両の隅に背中を
押し付けられていた。

「今まで気にしたことはなかったが、人混みがあんなに危険だということは、
 もしかして毎朝の通学も大変なんじゃないか?」
「いや、学校は早めに行くようにしてるから大丈夫っすけど」
「それならいいが。電車の中もこれなら平気だろう」

 両手を壁について桃子の身体に覆いかぶさり、全身で庇う形になって
ゆみは目を細めた。

「先輩――」

 まったく、この人は、なんて――

 喉の奥に熱い塊がある。それが爆発すれば、自分は叫び出さずにいられない。
だから、それを抑えるため、口を塞ぐことにした。

「んっ、やめっ――んむっ」

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――

 声を止めた代わりに涙が溢れた。
 体温の低いゆみの唇を感じる。
 身を切られるような罪悪感、喜びにも似た激情、それらを冷静に見ながら
嗜虐を楽しんでいるもう一人の自分の存在に桃子は気付いていた。

「あんまり大きな声出すと、周りの人に気付かれるっすよ」

 片手をゆみの後頭部に回し、もう片方の手をズボンの中に差し入れる。
 だが。

「――――!」

 頬に自分の涙ではない液体が触れて、咄嗟に桃子は唇を離した。

「モモ、やめてくれ……」

 ゆみが涙をこぼしている。
 一時の熱に任せた行動とはいえ、嫌われるかもしれないという躊躇はあった。
しかし、実際にゆみの泣き顔を前にすると、かもしれないなどと言える余裕は
一切残らず吹き飛んでしまった。視界が黒く染まっていく。
 もし、この人に見捨てられたなら。
 再び一人きりの世界に戻るくらいなら、いっそ死んだ方がましだった。

「すいません、すいません先輩――!」
「モモ、こういうことは、ちゃんと場所を選んでくれ」
「――すいません……え?」

 思わず疑問の声を上げる。ゆみはゆっくりとかぶりを振った。

「謝るのは私の方だ。あの時、私はお前の質問に答えられなかった。
 いや、答えなかった。卑怯にも、な」
「卑怯だなんて、そんな――」
「事実だ。モモの想いに気付いていなかったと言えば嘘になる。それを
 認められなかったのは、私の弱さだ。女同士ということもある。ただ、
 私自身、自分が部のためにモモを欲しているのか、それとも本当に
 モモと同じ感情を抱いているのか分からなかった」
「せ、先輩――」

 ゆみの眼差しに、声が詰まる。あの時、一瞬だけ弱々しく泣いていた
ゆみの面影は、もう跡形もなくなっていた。

「高校最後の夏に県予選に出たいというわがままで、答えを保留したんだ。
 すまなかった」
「じゃあ……」
「改めて答えさせてくれ――私はお前が好きだ。愛してるよ、モモ」
「じゃあ、これからも、一緒にいていいんすか?」
「ああ、もちろんだ」

 力が抜けてへたり込みそうになった所を、ゆみの腕が支えてくれる。
そのままの勢いで顔を近づけていく。ゆみも多少頬を赤らめながら、
目を閉じた。
 刹那――目が合った。

「――――ッ!!」

 発作的にゆみを突き飛ばしてしまう。ゆみにぶつかった後ろの乗客が
嫌な顔を向けた。が、すぐにゆみを見失ったらしい。
 ゆみは頭をさすりながら不満げな声を上げた。

「いきなり何をするんだ、モモ」
「――き、清澄の原村!」
「何?」

 そういえば、奇跡を起こした人物がもう一人いたのだった。
 案外、自分が孤独だと思っていたのは、さほど大したことでは
なかったのかもしれない。そんな感慨を抱きながら、乗客の影に隠れて
こっそりと原村の方を観察する。
 原村は胸元の開いた涼しげなキャミソール姿で、よく見れば隣には
浴衣を着た宮永もいる。どうやらこちらと似たような状況らしい。
 が、目が合ったはずなのに、原村はまったくこちらに意識を向けた
様子がない。恐る恐る軽く手を振ってみるが、これも反応はなし。

「……麻雀の時以外は気付かないんっすかね」
「……そのようだな」
「じゃあ目が合ったのはたまたまっすか。驚いて損したっすよ」

 改めてゆみと向かい合うが、最早雰囲気はすっかり失われていた。

「気付かれてなくても、知り合いが近くにいると気恥ずかしいっすね」
「そうだな。何もこんな所でなくても、これからいつでもできるだろう」
「それは、これからはいつでもしていいってことっすか?」

 桃子がにやりと口の端を上げると、ゆみが慌てて首を振った。

「ち、違う! いくら気付かれないとしてもだな、公共の場所で
 そんな破廉恥な――」
「どこで何するなんて、一言も言ってないっすけど」

 ゆみはますます顔を紅潮させ、大きく咳払いをする。

「からかうな、まったく」

 そのまま黙ってしまったゆみに、桃子は腕を絡ませた。

「これからもって言葉、信じていいんすよね?」
「……ああ。全国には行けなかったが、学業での成績を加味して
 推薦が貰えそうだからな。決まりさえすれば、毎日でも部に
 顔を出そうと思っている。妹尾の特訓もしなければならないしな」

 鶴賀学園麻雀部を決勝まで導いた指導者としてのゆみの顔。
 自分の好きな女性の、自分を惚れさせた表情だ。
 だが、桃子はゆみの別な顔がもっと見たかった。
 ゆみの左腕を抱いている両腕に、もっと力を込める。

「でも、たまには、私だけを見て欲しいっすよ」
「あ、ああ。二人だけの時は、モモ、お前しか見えないよ」
「本当っすか? もし、私を見失ったら?」
「その時は、またモモが気付くまで、大声で呼んでやる」

 望んでいた答えを引き出すと、モモは微笑んで手を離した。そして
乗客の中に紛れ込む。意識して気配を消していくと、無理矢理割り込まれて
迷惑そうだった乗客たちも、すぐにモモのことを気にしなくなった。

 肝心のゆみはというと、最初は見たこともない困り果てたような顔で
周囲を見渡していたが、すぐに覚悟を固めたらしい。
 もしかしたらゆみ以上の緊張をもって、モモはゆみを見つめていた。
 ゆっくりとゆみが息を吸い込む。
 そして、彼女の唇が開いた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年07月12日 19:24